Act.16  -Vandal Affection-

「…ろう、光太郎ってば!寝るなよ、こら」

 懐かしい声が聞こえたような気がして、俺はふと目を開いた。

「ようやく起きたか。また倉岳教授が睨んでたらしいぞ」

 ハッとして顔を上げると、そこには怪訝そうな表情をした御前崎が立っている。ちょっとまて、俺は今、コンカトス半島にある遺跡の地下にあった研究施設の医務室に…

「なに、寝言いってんだよ。ちゃんと目を覚ませよ?」

 ガバッと起き上がってキョロキョロと周囲を見渡していると、御前崎はいつものように奴らしく呆れたような溜め息を吐いて首を左右に振るんだ。

「なんて顔をしてるんだ。ここはどこかって?お前さぁ、やっぱコンカトスに行くの、もうやめた方がいいんじゃねぇの?ここは講堂だろ」

 肩を竦めた御前崎が呆れた目をして周囲を見渡す。それを追うように俺も辺りを見渡した。
 教科書を持った学生たちがゾロゾロと俺の背後にある出入り口めざして帰ろうとしているし、何人かの見知った顔は帰り支度をしていた。なんだ、そうか。アレは全部夢だったんだ。
 やけにリアルだったけど、うわー、やったなおい。
 夢だったんだよ!全部、夢!
 ああ、良かったなぁ。
 桜木も、死んだはずの栗田もちゃんと生きてるじゃねぇか!みんないるよ、本当に良かった!
 机に突っ伏して、その木の感触に頬摺りをしながら泣きそうなほど喜んでいる俺の肩を、帰り支度をしていた栗田が掴んで声をかけてきた。

「佐鳥、ちょっと起きてみろよ。面白いもんが見られるぜ!」

 面白いもの?
 やけに嬉々とした栗田の声に、今度の寮祭に来るタレントのポスターでも貼り出してるんだろうと思った。お前も御前崎もホントにミーハーだよな。
 そんなことよりもさ、俺、面白い夢を見てたんだ。すっげぇリアルで、気持ち悪かったけどよ…
 そうして笑いながら顔を上げると、鼻の部分から額のあたりにぽっかりとどす黒く焼け焦げたような虚ろな空洞を晒した栗田の顔があった。嫌な臭いが鼻先を掠める。
 息を飲むよりも先に、その苦痛に歪んでいた唇が捲れあがり、どうやら苦しげに笑ってるようだ。

「面白いだろ?他にもたくさんいるぜ。お前も仲間になれよ…」

 栗田の背後に辻崎や死んだレンジャーの生々しい死に顔が胡乱な目付きで俺を見ている。
 肩を掴んだ手に力が込められた。

「うわぁあああああッ!!!」

 唐突に叫んで起き上がった俺は、震える両手を見下ろしていたが、そのまま嫌な汗でびっしょりに濡れた額に張り付いている前髪を乱暴に掻き揚げた。

「佐鳥、大丈夫か?!」

 疲れきっていたのだろう、泣き疲れた桜木は医務室の埃臭いベッドに蹲るようにして眠っていた。須藤は銀色の袋に必要になるかもしれない医薬品を、できる限り最小限に詰め込めるように思案しているようだったが、驚いたように俺を振り返った顔が曇っている。
 ああ、夢だったのか。
 それほど長く寝ていたわけじゃないんだろう、須藤の顔を見ればそれが判る。
 酷い悪夢だった。心の奥底じゃ、本当はみんなを助けたりするよりも、今すぐ帰りたくて仕方がないんだろう。それをまざまざと思い知らされたような気がして、俺は顔を顰めて首を振った。
 帰りたい気持ちを、死んだ連中から見透かされたような気がしたんだ。
 俺は、偽善者だ。
 そんなことはとうに判ってた。
 でも、何かを考えて、それを目標にしていないと生き抜く自信がなくなるような気がするんだ。
 片手で顔を覆う俺を訝しそうに見ていた須藤は肩を竦めると、また自分の役割に没頭することにしたようだ。コイツも何かしていないと落ち着かないんだろう。当たり前か、こんな非常事態に落ち着けるヤツがいたら見てみたいもんだ。握手だって求めるかもしれねぇ。
 そんな下らないことを考えて、あんまり馬鹿らしくて溜め息を吐く俺の隣りのベッドで桜木の身体がときおりピクンッと跳ねて、コイツも悪夢に魘されてるんだろうと思った。こんな場所で、安穏とした夢なんか見られるわけがねぇ。

「俺さ、ちょっとこのフロアを見てくるよ」

 気を取りなおした俺は腕で額に浮かんだ嫌な汗を拭って、ベッドから下りるとマシンガンを片手に須藤に振り返ってそう言った。

「何を言ってるんだ!マシンガンの弾も、もうないんだぞ?」

「だからって、ここにずっと居座るわけにもいかねぇだろ。もしかしたら武器庫みたいなものがあるかもしれないし…なんせあんな化け物を研究してるようなところだからな。ちょっと行って来るよ」

 俺は何か言いたそうな須藤の前を通りすぎて部屋を後にした。鍵は…かからないけど。
 この施設は不思議なことに、電子ロックがイカれてるのか鍵がかかっていない。あの時の変態野郎のように手動で鍵をかけないとかからないんだ。でも、運が悪いことに俺たちは鍵のかけ方を知らなかった。だから、どちらにしてもあの医務室が本当に安全かと言うと、そうでもない。我が身は結局、自分たちで守らないといけないってワケさ。
 まあ、須藤がいれば大丈夫だろう。でもコイツ、時々逃げ足が速くなるからなぁ…
 俺は一抹の不安を抱えながらも廊下に出るとマシンガンを構えなおし、さて、どちらに行こうかなと思案した。
 取り敢えず右手奥に向かってまっすぐに行ってみることにして、歩き出した。誰かに会うかもしれないし、化け物がいるかもしれない。よほど誰かが襲われたり自分が襲われない限りは弾を使うつもりはない。俺だって馬鹿じゃないんだぜ、須藤。走って逃げることだって考えてるって。
 そう思いながら一つ一つのドアを確認するように開いて、どこも似たり寄ったりの部屋だなと呟いて俺は奥へ奥へと進んで行った。廊下を突き当たって、もう何もないかと諦めたその時だったんだ。
 俺は奇妙な光景を目の当たりにした。
 あのゾンビ研究員が俺の気配にも気付かずに、いや、端から奴らは人の気配にはいまいち無頓着なところがあったけど、そんなことよりもさらに熱心に何かをしてるんだ。
 一人、二人…四人はいる。
 まあ、もう少し弾はあるからこれぐらいの人数ならどうってことないけど…君子危うきに近寄らず、だ。放っておいたほうがよさそうだな…そう思って踵を返そうとしたその時だった。
 俺の目が嫌なものを捉えた。
 床に跪いた研究員らしき連中が廊下の中心で一心不乱に何かをしている。
 その、足許に。
 リノリウムの床に流れてるもう何度も見た鮮血は───…人間の血だ。

 思わずマシンガンを取り落としそうになった俺の気配に漸く気付いたのか、醜く崩れてしまって頭皮も僅かにしか残っていない不気味な表情のゾンビが立ち上がって襲いかかってくる。
 むやみやたらに撃つと囲まれてる奴に当たる危険性もあるから、俺はソイツらを充分に引き付けて正確に狙った。銃口が火を吹くと、程なくして連中はバタバタと倒れ、腐った血液だとか奇妙な液体を撒き散らして倒れてしまった。足で蹴っても起きあがらないか確かめてみたが、全員、どうやらくたばってくれたようだ。
 ホッと息を吐いて、俺は慌てて床に倒れ込んでいる人物のところに行った。行って床に片膝をついて身体を屈めた俺は、思わず目を背けたくなった。
 食い荒らされた片腕は肘から手首のちょうど中間部分ぐらいから食い千切られて、ピンクの筋肉と真っ赤な血液で奇妙な色に染まった骨を晒している。骨はへし折れてギザギザだ。足はもっと酷かった。喰う部分が多かったのか、それとも少なかったのか、腿の辺りは服ごと食い千切られて鮮血がドクドクと溢れてリノリウムの床を濡らしていた。俺のように脹脛もやられていて、その姿は俺よりももっと悲惨だ。ほとんど肉がなかったんだ。所々に皮膚を突き破って奇妙に捩くれた骨が突き出て、顔は齧られて血塗れだ。皮膚がはげて、下の筋肉が見えている。今の状況を説明しろと言われたら、身体半分が理科室なんかに置いてある、あの人体標本のようになっているとでも言えば理解してもらえるだろうか。
 もう死んでるだろうと諦めて立ち上がりかけた俺は、男の残っている片手に握り締められた何かが震えていることに気付いて、まだ生きてるんだと思ったら、考えもせずに彼の身体を通路の端に寄せて壁に凭れさせてやった。
 苦しそうにヒューヒューと息を洩らし、咽喉も食い破られていることを知った。
 どちらにしても、もう無理だろう。くそっ、なんてこった!
 唐突に脹脛が痛んだ気がしたが、俺はそれを無視した。でも、激痛は知っている。
 たぶん、きっとそんなもんじゃないだろうなと思う。いったいどれほどの痛みがこの男を襲っているんだろう。殺して…やらないとだめだろうか…俺の、この手で?
 その激痛の切れ端を知ってるから、俺は唇を噛み締めた。血の味がしたけど、気にならない。
 俺は神様なんかじゃないから、その信じられない激痛から解放してやるには引き金を引く野蛮な方法しか知らないんだ。でも、震える指が巧い具合に引き金にかかってくれない。
 と。
 強靭な精神力で、男は俺を見た。
 片目は完全に露出していて、生きていることだって不思議だと言うのに、男は確かに俺を見た。
 血塗れの迷彩服はレンジャーのものだ。

「もしかしたらお前、タユ、なのか?」

 恐る恐る、絶対にそうであって欲しくないと願いながら問い掛ける俺に、片手をなんとか持ち上げようとしている。手に握ったものを手渡したいんだろう。
 俺はそれを受け取った。
 それは血塗れの手紙で、まだ封筒に入れていないから書き掛けだったのかもしれない。
 内容はほとんど読み取れなかったが、故郷に残してきた恋人と喧嘩でもしたんだろう、言い訳が暫く続いてそして結婚を仄めかすことが書いてあった。
 自分がこの仕事から戻ったとき、まだ怒っているのなら扉に鍵を掛けて寝ていてくれ。もし、もう怒っていないのなら、笑ってプロポーズを受け入れて抱き締めてくれと書いてある。
 未来を信じていた手紙に、俺は泣きそうになった。
 誰が、誰のせいでこんなことになっちまったんだろう。

「さ…ゴフッ…ヒュー…さ…ら…ヒュー……あい…して…ゴフッ…わた…し…てく…」

 俺を見ていた男は、もはや涙腺なんかグチャグチャで泣くことすらできない状態で、それでも伝えようとし、そして間違えずに伝わってくる思いは悲しくて悲しくて…でも、俺は泣けなかった。なぜかなんて判らねぇけど。
 そうして、男は何時の間にか事切れていた。
 漸く、解放されたんだ。いっそ死なせてくれと叫ばなかった男の洩らした最後の台詞に、それでも撃たなくて良かったと思った。
 最後の思いは確かに受け取った。
 俺は、この手紙とあんたのドッグタグを必ず持って帰るよ。
 約束だ。
 引き金に掛け損なっていた強張る指を伸ばして、俺はガクリッと項垂れて、もう虚空しか見ていない男の首からタグを外して名前を確認した。
 クリストファー=ディキンス。
 こんな時に言う台詞じゃないんだろうけど、良かった。タユじゃない。
 ここまで来たけど、タユの死体はまだ見つかっていないんだ。アイツは、もしかしたら凄く強いんじゃねぇのか?
 確か、あのおっさんレンジャーは仲間からディキンスと呼ばれていたような気がする。そうか、あんたもここまで来て弾が尽きたんだな。取り落としていたサヴァイバルナイフを見て、それがどれほど役に立たなかったのかと言う事実にゾッとした。弾がなかったら、この先に行くのは無理ってことだ。その先に、タユはいるんだろうか。アイツだって弾はもう尽きてるはずなのに…
 死に物狂いで武器庫を捜さないと…俺は焦燥感に駆り立てられるようにして奥に続く通路を進んでいた。