Act.18  -Vandal Affection-

 蒸し暑さとかは不思議となかった。
 やっぱりこの通路にも換気設備がバッチリなんだろう。そうでもなけりゃ死んでるのか。そっか。
 馬鹿みたいなことを考えて苦笑してしまう。
 人が一人か二人通ったらいっぱいになる幅の通路を几帳面に一列になって進みながら、俺たちは少し喋っていた。黙ってることに、やっぱりウンザリしていたって言うのも事実だったし。

「あたしの妹って、あたしと違って気が強いのよね。こんな時、妹だったら…って思ったら、キャーキャー言ってるだけの自分がちょっと情けなくなっちゃったの」

「桜木の妹って言ったら、確か美沙ちゃんだったっけ?一度だけ大学にも来たことあるよな」

「うん。あの時、ほら、確か佐鳥くんと須藤くんに食って掛かってたじゃない?あたしもう、恥ずかしくって…」

 クスクスと笑っていたその声が不意に小さくなって、唐突に桜木は黙り込んだ。それからすぐに、ポツリと呟くように言うんだ。

「でも、あの時はまさかこんなことになるなんて、思ってもなかったな…」

 桜木の、もう汚れてしまった頬に長い睫毛が影を落とす。
 …それはたぶんきっと、みんなが思っていたに違いない台詞だったと思う。
 どうしてこんなことに…とか、出発前はこんなことになるなんて考えてもなかった…とかな。あの炎の前で膝を抱えながら、やっぱり俺や宮原も同じようなことを言っていた。ああ、あの時は桜木は気を失っていたんだっけ。
  羨ましいヤツだなぁ…とか思ったっけなぁ。
 あれから時間が経った。そうだよな、たぶん、もう二、三日は経ってると思うんだ。
 この地下に潜ってから時間の感覚が思いきり狂ってる。
 自分たちの足音だけが響いていた。桜木がハイヒールとか穿いてたりしたらカツンカツンって音がするんだろうけど、ザッザッザッ…と、三足分のスニーカーの音だ。
 ジャングルを舐めきっとるとジジィ博士はカンカンになってたけどよ、いちばん足に 馴染んだ靴の方が 歩き易いんだからいいじゃんって思っていた。でもホントは、博士が何を言いたかったのか、後の方になって理解できたんだけどな。
 迷彩服とまでは言わないが、厚手の服を着ていないと大変なことになるんだよ。
 たとえば、カ、とかな。蚊だぜ、蚊。
 ジーパン生地すらも突き刺して血を啜ろうって言う兵が、ジャングルには実際に存在するんだ。嘘だと思うだろ?これが本当なんだよ、俺だってもう少しでヤられるところだったんだからな。そうすると、大きく腫れ上がって熱が出る。腫れは一週間近くも続いて長いこと苦しめられるんだ。俺じゃないけど、藤堂のヤツがヤられてちまって。暫くは身動きもできなかったけど、ヤツは根性でこの遺跡に入って行った…アイツ、大丈夫かな。
 それと、いちばんポピュラーなのが、やっぱ毒蛇でしょう。
 足許でいちばん気をつけないといけないのが、そいつらだ。上からも落ちて来るし、足許に身を潜めてる連中もいるからな。
 ヒルにも悩んだっけ。
 なんか、思い出したらとんでもねぇ場所に来ちまってるよな、俺たち。そこから抜けて遺跡の下にある施設に入ったんだけどさ、そこには今度はゾンビ研究員だとか人間を喰う化け物花とかがいるんだから。どうなってるんだよ、ここは。
 溜め息を吐いたら、桜木は首を左右に振った。

「ごめんね。ツマラナイこと言っちゃった」

 ぺロッと舌を出すと、桜木は努めて明るく笑った。こいつもムリしてるなと思う。
 ああ、このトンネル染みた薄暗い通路はどこまで続いてるんだろう…

 薄暗いトンネルの中をゆっくりと進んで行く。
 ここは地下だから、たぶん土地自体はたくさん余ってるんだろう。トンネルも長いし、レールも果てしなく続いてるように感じる。けど、たぶん、それもこの薄暗さのせいなんだろう。
 みんな無言だった。
 馬鹿みたいに何か喋っていたいんだけど、それもなんか疲れた。
 溜め息をついた時、不意に須藤の奴が俺の腕を掴んで後ろに引っ張りやがったんだ!

「な、なんだよ、須藤!」

「お前、気が付かなかったのか?」

「佐鳥くん…」

 薄暗い中で奇妙な顔付きをした須藤の顔が、思ったよりも近距離で俺を見返していた。その変な目付きと桜木の悲しそうな顔を交互に見て、それでも俺はコイツらの言いたいことが理解できなかったんだ。

「なんだよ、どうしたって言うんだ!?」

 俺は立ち止まって、苛々と二人を振り返った。
 須藤は俺の腕を掴んだままで、その手を目の高さまで持ち上げたんだ。
 震えてる、俺の腕を。

「お前さ。本当は怖いんじゃないのか?大丈夫か?」

「なに言ってやがる!そんなもん…」

 俺は腕を振り払うと不安そうな桜木と須藤の顔を交互に見て、それから徐に腕を組んで胸を張ってやった。

「怖いに決まってんだろ!?」

 二人は呆気に取られたような表情をポカンッと浮かべたが、それを無視して俺はヤレヤレと首を左右に振って歩き出した。

「でも、怖い怖いとも言ってられねーじゃねぇか。まずは先に進んで、全部終って気が抜けたら思い切り泣く!うん、そう考えてたら大丈夫だ。…たぶんな」

「曖昧な奴だなぁ」

 須藤が呆れたように笑うが、俺は肩を竦めて自分の震える腕を見下ろした。
 開いて、ギュッと握り締める。

「震えたって仕方ねぇけど、こればっかりは自然現象だから仕方ないよ。見逃してくれ」

「…佐鳥くん」

「行こうか」

 ポツリと言って、俺たちはまたあてもなく歩き出した。
 なんか思い切りトーンダウンしてるよな、俺たち。たぶん、この薄暗さが俺たちの気を滅入らせてるんだ。

「キャッ!」

「どうしたッ!?」

 桜木の小さな悲鳴に微かな金属音を響かせて銃を構えながら振り返った俺たちに、彼女は青褪めた表情をして首を左右に振った。足元を指差して、口許を覆っている。
 気分が悪そうだ。
 俺は彼女の足許を見下ろして眉を寄せた。
 ネズミの死体を踏みつけた桜木の汚れてるスニーカーが、恐る恐ると引き上げられる。桜木にとってショックなことでも、もう死体を嫌というほど見てきた俺と須藤は顔を見合わせて彼女の肩を軽く叩いた。

「気を付けろよ、桜木。こんなネズミよりもっと凄いのが出てくるかもな」

「やだ!怖いこと言わないでッ」

 須藤の言葉に桜木が真剣に嫌そうな声を出したが…

「…元気いいよなぁ、お前ら」

 俺は溜め息をついて首を振った。

「お?佐鳥も馬鹿にしてるな。実際、何が出てくるか判らんだろう」

「こんな状況だぜ?いまさら、あのゾンビ野郎の他に何が出てくるって言うんだよ?ま、もう何が出てきても驚きゃしねぇけどな!」

 投げやりに言って歩き出す俺に、背後で肩を竦める須藤の気配を感じた。桜木はちょっと笑ったようだった。
 俺たちは、たぶん、気を抜いていたんだと思うんだ。
 下手に張り詰めていた糸が、非常事態という状況に慣れてきたのかもしれない。
 人間て言うのはこう、妙なところで自信てものが出てくるんだ。特にこの時の俺たちなんかは、いや、桜木は別にしても、だいぶ銃を撃つことにも慣れてきていたしゾンビの姿にも慣れていたんだ。命の極限に立たされると、冗談でも見栄でもなく、人間は不思議なほど強くなる。
 その反対に、飽きれるほど弱くなることもある。無様に腰を抜かして逃げ出したくなることとか…
 そう言う時ってのは、極限を超えた時。
 やっぱり、絶対的な死を目の前にすれば逃げ出したくもなるさ。生きることができる可能性がありさえすれば、生きることにしがみ付くことだってできるだろうけど、何もない、お手上げ状態だったらもう逃げ出すしかねぇだろ?それは卑怯なこととかじゃなくて、当たり前のことじゃないかって思うんだ。
 俺の腕がこうして震えてるのは、これはもう自然現象でしかないのさ。目に見えないものに対しての恐怖かな?俺は案外、臆病者だから。須藤たちには内緒だけど、もうバレてるだろうな。
 幸いなことに、俺たちはあることにも気付いていたんだ。
 あのゾンビ研究員が近付いて来たり、傍にいるときにはひとつの法則がある。
 それは、臭い。
 そう、あの死臭のような腐った臭いさ。腐臭って言うんだろう。
 だから、きっと気を抜いていた。
 長くて薄暗いトンネルのような回廊。
 思考能力や方向感覚を狂わせるには十分な閉鎖的密室は、俺たちに誤った考えを植え付けるのにも十分だった。そうだ、ゾンビなら大丈夫。
 臭いで判るからな。
 じゃあ…それ以外のものだったら?
 俺たちを守ってくれるはずの唯一の武器は、既に底が見えている。桜木に渡している銃なんかは、もう弾が残り10発もないはずだ。
 護身用…とも言えない、ただの気休め。
 でも俺たちは気にしなかった。
 逃げればいい、安易にそんなことも考えていたっけ。
 だから、俺たちは…気付かなかったんだ。
 自分たちの背後に、すぐそこにまで迫っていた。
 不気味なその影に───…