Act.3  -Vandal Affection-

 夜明けからスコールが降り出したが、熱帯の雨は唐突に上がって、俺たちの作業の手を止めるほどではなかった。体も濡れたけど、すぐに乾くから平気だとコンカトス半島に良く来ているジジィ博士は言ったが、俺も別に気にならないから無視することにした。

「ふわぁ~」

 盛大に欠伸をして目許の涙を拭うと、周辺警備をしているレンジャーの1人、タユの奴がクスッと笑う。
 くそう、元はといえばコイツのせいなんだ。
 あの後、コーヒーで目が冴えた俺に遺跡まで散歩をしようと言い出して、俺はジジィ博士に断りもなく入るのはいけないんだと言って断ったけど、言葉が判らないせいで結局強引に連れ出されてしまった。全くの漆黒の闇の中、俺はタユの腕だけを頼りに前進したが奴は懐中電灯を懐に隠していて、月明かりに浮かび上がる遺跡を照らして見せてくれた。

「すげぇなぁ。明日、ジジィ…じゃなかった、倉岳博士がいよいよここに入るんだぜ」

 タユは静かに笑っていたが、俺の言葉なんぞ判っちゃいねぇんだろう。
 でもま、感謝しないとな。
 みんながまだ入らない場所に連れてきてくれたんだからさ。

「サンキューな、タユ」

「?」

 ニコッと笑うだけで首を傾げるこいつは、いい奴だ。うん、きっとそうだ。
 …とまあ、そんな訳なんだが、結局、悪いのは俺か?
 タユの行為を無にしないように、ありがたく胸に仕舞っておこう。

「なんだ、佐鳥。何時の間にタユと親しくなったんだ?」

 須藤が訝しそうに俺と、茂みの向こうでライフルを抱えて密林の奥を凝視しているタユの横顔を交互に見比べていたようだが、不機嫌そうに腕を組んだ姿勢で声を掛けてきた。

「親しくって…いやぁ、別にたいしたことじゃないんだ。言葉も通じないし、何となくかな」

「なんだ、そりゃ」

 遺跡の周辺に黙って入ったってこともあるので、俺がなんとか取り繕おうとチグハグなことを言うと、須藤はあからさまに訝しそうな表情をして眉間に皺を寄せる。

「どちらにしろ、あまり足手纏いなことはしてくれるなよ」

 神経質そうな表情に険を走らせて、勝手なことを言い散らすと須藤はさっさと行ってしまった。
 なんだ、ありゃ。

「佐鳥くん。申し訳ないんだけどこれをあれに替えてきてくれないかな?」

「ほいッス!」

 奇跡の12名に選ばれた小松雄二が申し訳なさそうに、と言うか、オドオドしたように緑色のバッグを差し出すのを受け取って、彼の言った【アレ】を探した。

(あり?ないや。誰か持ってたのか?)

 俺は頼まれた荷物を探して右往左往する。
 そろそろジジィ博士と須藤、他6名が例の先古典期のマヤ文明で知られるエル・ミラドールにあったティカル神殿に似た遺跡に入るみたいだ。
 ゾロゾロとそれぞれに何やら持っている。

「あ、【アレ】だ。まっずいなー、小松に言わないと」

 そうして徐に小松のところに引き返そうとした時、不意に、誰かに見られているような気配がして俺は背後の遺跡を振り返った。

「…?」

 昨夜感じた、あの奇妙な雰囲気に似てる。
 なんだろう、この気配は…
 俺は何故か酷く不安になった。
 その時はもう、俺の頭の中に【UMA】のことはなかった。
 誰かの悪戯だろう、そう決め付けてもいたし、タユたちの態度にもそんな噂が嘘のように思えていたんだ。
 だからなのかもしれない。この、得体の知れない腹の底から沸き上がるような恐怖は―――…
 嫌な胸騒ぎがする。

「すまん、小松。【アレ】、実動隊の連中が持ってっちまったみたいだ」

「ええ?そうか、困ったなぁ。あれがないと倉岳博士の仰られた石碑の解読ができないのに…あ、ありがとう、佐鳥くん」

 困惑するように眉根を寄せていた小松は、俺が立っていることに気付いて慌てたように頭を下げた。

「いいってことよ!…でも、必要なんじゃないのか?なんだったら俺が…」

 遺跡まで取りに行ってもいいし…と言いかけたが、小松は困ったように笑って首を左右に振った。
 ちっ、この俺が行きたかったのに。

「うん、大丈夫。なくても何とかできると思うから」

 そう言って持ち場に戻る小松の後姿を見送りながら、俺はふと、警備に来てる連中が少なくなっていることに気付いた。

(あれ?タユもいねーや)

 暫く考えたけど、そうか、実動隊の連中について行ったんだな、と判った。
 アイツ、見た目よりも結構強そうだったからなー…あれ?でもどうして遺跡に入るのにレンジャーの連中がついていくんだ?
 ああ、そうか。未知の遺跡だもんな、こんな密林だし何が棲みついてるか判ったもんじゃねーからな。
 残ってるのは…俺と小松、宮原に栗田、あと学生では紅一点の桜木ぐらいだ。
 それぞれが黙々と今日のノルマを無難にこなしているけど、雑用係の俺としてはやることがポッとなくなっちまった。人数少ないと、頼まれる用事も少なくなるんだ。
 で、なんとはなしにブラブラとジャングルの中を散歩することにした。
 奴らの声で帰ることだって可能な範囲の限られた散歩は、それでも俺に息を吐かせるには充分だった。汗だくになって動き回るのも嫌いじゃないが、こうしてのんびり異国の土地を散策してみるのも悪くない。
 毒蛇だとか毒蜘蛛なんかにも遭遇できて、おお、ここは本当に密林なんだな!と、実感したり。

「おっと、そろそろ戻らないと」

 気付いたら随分と遠くまで来ていて、今朝須藤に言われたばかりのことを思い出した。

(俺たちがいないからと言って、物見遊山でジャングルを見て回ろうなんて思わないことだ。ここは未知の土地だし、何が出てもおかしくないからな)

 たった今、毒蛇と遭遇すれば嫌でもその言葉に真実味が増してくる。
 そうだ、この密林にはUMAだっているかもしれないんだ。
 密林に吹く湿気を帯びた暑苦しい風に吹かれながらも、寒気を覚えた肌には鳥肌が立っている。たとえそれが偽物だったにしても、こんな雰囲気だとあながちリアルに思えてしまう出発前に見せられたあの写真が、脳裏を掠めて恐怖心を呼び起こさせるんだろう。
 慌てて踵を返そうとする俺の前に何かがドサリッと降ってきた。

「?」

 訝しく思いながら足元に無造作に転がる奇妙な物体を見下ろす。
 そして───…

「きゃぁぁぁぁぁーーーーーッッ!!!」

 突然、密林に響き渡る女の悲鳴が聞こえ、続いて乾いた銃声が数度繰り返し発砲された。
 銃声って、乾いた音なんだなとか、あの声は桜木かなとか、どこか遠くでそんなことをぼんやりと考えていた。目の前にある現実が理解できないのに、遠くで起こっている非現実的な銃撃戦なんて気にできるほど余裕はない。
 俺は、足元に転がる物体から目が離せないでいたんだ。
 こめかみから頬に向かって流れ落ちる汗も、めいいっぱい開ききった双眸も、全身総毛だっている体も、何だか全部が嘘みたいで。
 息が、俺の息が、漸く耳元に届いてきた。
 一瞬のフラッシュバックの後。
 これは嘘なんだと笑いたかった。
 足元に転がるそれは、顔半分を食い荒らされて眼窩が虚ろな空洞をさらす、人間の頭部だったんだ。