Act.4  -Vandal Affection-

 奇妙な光景だった。
 宮原は発狂し兼ねない勢いで叫びまくる桜木の口を塞ぐようにして抱きかかえながら、怯えたような目をして上空に枝を張る木を睨み据え、小松は殆ど腰を抜かしたような状態で失禁していた。レンジャーの連中は夢中で発砲しまくり、栗田が虚ろな目をして口許から泡を吹いている。
 何が起こったのかなんて聞きたくもない。
 惨状の凄まじさは俺が見たあらゆるモノの中で最高に匹敵するほど惨たらしかった。
 死んでいるレンジャーもいる。その死に様が尋常でない。
 俺の前に放り出された頭は、ここにはいなかったはずのレンジャーのものだったんだと判った。
 なぜかって、臓腑が飛び散った血溜りに体をクの字のようにへし折られて投げ出されている死体には、全員頭がついているからだ。半分以上ない顔の中からここではない世界を虚ろに見つめている目と目が合って、俺はその場にへたり込んで吐いてしまった。

「ぐえッ!ぐえッ!ぅおぇぇッ」

 ビシャビシャッと、今朝食ったサンドイッチが消化しきれていなかったのか、そのまま吐き出された。
 風が、熱帯らしいムッとする風が、血の匂いを撒き散らしている。

(な、何が起こってんだよ!?)

 吐くものがなくてキリキリと痛み出す胃の部分を押さえながら、俺は口の端を拭ってそれでも懸命に立ちあがった。理解しなくては、この状況を。
 ない知恵をフル回転させて現状打開の策を探す。

(見つかるかっての!)

 それでなくても須藤あたりに言わせれば”脳味噌筋肉”の俺だ。その俺が考えてどんな知恵が浮かぶって言うんだよ!

「ぎぃゃあああああああああああああああああッッ!!!!!」

 半ば絶望したように呆然と立ち竦む俺の目の前で、レンジャーの一人がまた襲われた。
 それは、その異常な化け物は、蛇らしかった。
 らしい…と俺が思うのは、その姿が、今まで見たこともないほど巨大だったからだ。
 上空から降るように落ちてきた巨大な頭部は三角形の形をしていて、毒蛇だと判るけど、俺はこんなに大きな毒蛇は見たことがない。いや、普通の蛇でだって見たことがない。
 アナコンダやニシキヘビにだって、こんな大きさのヤツなんていないだろう。
 レンジャーの断末魔さえ美味そうな顔をして、蛇のくせに!…なぜかギザギザに生えた歯で、巻きつかれて苦しそうにもがく彼の肩の肉を食い千切った。ぶしゅうッと動脈でも切れたのか鮮血が噴き出して、ああ、あのレンジャーはもう駄目だと他人事のように俺は成す術もなく立ち尽くしていた。次は俺の番かもしれないのに…

「ヒギィッ!ギィッ!ギィッ!」

 言葉にならない悲鳴で助けを求める仲間を、レンジャーたちですら成す術もなく見てるだけなんだ。この状況で、何かできるのはスクリーンやブラウン管を通した別の世界で生きているヒーローぐらいだ。一般人の俺に何ができるって言うんだ。

「ぎゃああああああ!!!」

 最後の断末魔を残して、レンジャーの頭部が弾けた。
 目玉が飛び出し、体が奇妙なほどぐにゃりと曲がる。垂れた舌は驚くほど長くて、変な色をしている。血と、圧力のせいでどす黒くなった頭部は、通常の人間の頭より2倍以上膨れ上がっていた。

「う、うぉおおおおおおおおッッ!!!」

 俺は、きっとその光景を目の当たりにしてキレたんだと思う。
 その部分の記憶が曖昧だからだ。
 弾き飛ばされて転がっていたライフルを拾い上げて、滅多矢鱈に撃ちまくった。もちろん、銃なんて撃ったことも手にしたこともない。ゲームで遊び半分におもちゃの銃を振り回したことはあるけどな。
 反動で肩をやったかもしれないけど、その時の俺にはそんなこと気にもならなかった。
 腹に鈍い音を立てて幾つかの銃弾がヒットすると、それまで美味そうに食っていた獲物の体を落として悲鳴を上げた大毒蛇は、ギザギザの歯の中でも一際鋭く尖った、二対の血に染まった牙をギラつかせながら俺にめがけて鎌首を持ち上げた。
 それでも俺は手なんか止めなかった。撃って、撃って、撃ちまくって弾がなくなったって撃つつもりでいたんだ。その様子に仲間の惨状に身動きが取れないでいたレンジャーたちが漸くハッと我に返って、今度は奴の後方から発砲した。

「ギッ」

 鋭い悲鳴のような声を上げて、奇妙な緑色の血を撒き散らしながら大毒蛇は退散しようとした。
 その時。

「ぎゃあ!」

 悲鳴は失神しかけていた栗田の方向から上がった。
 行きがけの駄賃とばかりに、毒蛇らしく、奴は毒液を噴き出して注意を引いている内にジャングルの奥に姿を消してしまったんだ。

(何だったんだ、アレは…)

 肩で息をするのも束の間、両目を覆ってのた打ち回る栗田の元に俺は駆けつけて片膝をついてしゃがみ込んだ。もう役に立たなくなったライフルは、それでも護身用のつもりで肩に下げている。

「大丈夫か!?栗田!」

 何かが、まるで髪の毛が焼けるような異臭が鼻をついて、俺は栗田の上半分の顔が焼けているんだと判った。奴の毒液は硫酸系か…だとすると、あの頭部に焼け焦げた痕はなかったから、別モノが他にいるってことか?

「ひぃ!ひぃ!ギャウッ!」

『救護箱を持って来い!…ああ、だがこれじゃもう駄目だ。顔が溶けてる』

 俺を押し退けるようにして駆けつけてきた壮年の男は、やがて力なく荒い息を繰り返すようになった栗田の、その覆っていた腕を退かしながら一瞬息を飲み、それから首を左右に降った。
 その行動で、ああ、栗田はもう駄目なんだと思った。
 思わず目を背けたくなる惨状は、人間の、本来なら目のある部分から額の辺りにかけて肉は溶け落ち骨も溶けて、どす黒く燻る空洞がポッカリと口を開いていたんだ。

「きゃああああああッ」

 唐突に鋭い悲鳴を上げた桜木にビクッとして振り返った俺と壮年のレンジャーの前で、まるで事切れたようにいきなり桜木は失神した。
 もう堪えられなかったんだろう。
 でも俺は、そんな桜木のことがちょっと羨ましいと思った。

 みんな無口だった。
 ありったけのもので炎を起こして、残された俺たちは膝を抱えながら体を寄せ合っていた。

「遅いな…」

 ボソッと、宮原は俺が考えていたのと同じ事を口にした。
 桜木と小松は死んだように眠っている。

「レンジャーのおっさん、大丈夫かな…」

 残された二人のレンジャーの顔色を見ると、俺たちと同じぐらい蒼白になっていて、人間の顔色がどこまでも変化できることを知った。
 そのレンジャーを代表して、先程の壮年の男が遺跡に向かったんだ。
 俺も行くと言ってみたけど、たった二人のレンジャーだけ残して行くのでは心許無い、と言って止められてしまった。

「君は強い。ここに残って他のメンバーと彼らを護ってくれ」

 と、宮原が訳してくれた。
 そう言われると、駄々を捏ねるわけにもいかず、俺は仕方なく膝を抱えて彼を待つことにしたんだ。
 俺だって、本当は強くなんかない。
 ただ、ここにいるのが嫌だっただけなんだ。亜熱帯特有の湿度のある熱さは、死体を腐らせるのが早い。生臭いような吐き気のする腐臭と、夥しい血痕の跡を見るのが本当に、本当に嫌だった。
 死体は俺とレンジャー三人と宮原で埋めたんだけど、血液は確実に腐っていく。
 そうこうしてるうちに遺跡の連中が気になって、代表して壮年のレンジャーが様子を窺いに行くことになったんだ。いつまたあの蛇が襲ってくるか判らない、この密林の中をたった一人で行ってしまった。そして、その帰りが遅い。

「やっぱり向こうも…」

 そう言いかけて、宮原は口を噤んだ。
 言ってしまうと、もう後戻りができないような気がしたんだと思う…と言うか、今のこの状況だって充分後戻りなんかできないんだけどな。

「こうしていても埒があかねぇ。おい、宮原。このおっさんたちに弾を寄越せと通訳してくれ」

 徐に立ちあがる俺を宮原とレンジャーは驚いたように見上げてきたが、俺がそう言うと、やっぱり同じことを考えていたのだろう、宮原は素直に訳してくれた。

『正気か!?』

『ここにいる方が安全なんだと彼に伝えてくれ』

 二人は同時に声を発したが、賢い宮原は二つともきちんと訳してくれた。

「ばっかだな!ここは密林なんだぜ?何が出るか判らない場所なんだ。どこにいたって安全かどうかなんて判るかよ。それよりも、今は少しだって仲間がいた方がいい。向こうも、救援を待ってるかもしれないし…」

 俺にしては上出来の言葉だったと思う。
 そうかどうかは判らないけど、レンジャーは顔を見合わせていたが渋々弾の詰まった箱を1ケースくれた。そして、弾の詰まったライフルを、護身用にしていたライフルと換えると言ってくれたが、それはありがたく辞退した。
 この銃は俺を護ってくれたんだ。
 目と鼻の先にある遺跡に行くために、俺は大きく息を吸い込んで密林へと1歩を踏み出していた。