Act.41  -Vandal Affection-

 限られた電力しか供給されていないはずのこの研究エリア内の室温が、剥き出しの空調施設から吐き出される完璧なまでに調整された空気によって維持されていると言う事はどうやら間違いなさそうだった。上層階のあのアクアリウムエリアと互角か、僅かに広いかという研究室を『部屋』という表現が正しいのか、悩んでしまうほどだだっ広かった。
 流石にここまで来ると地上でこれだけの設備を整えるとなれば、世間の目をカモフラージュするにも骨が折れそうだ。
 この地下でこれだけの施設を建設するとなるとそれだけの精度が要求されるだろうだけど、その完璧さが嫌でも俺に恐怖心を覚えさせた。
 それはこの目の前に広がる試験管というよりもむしろ、水槽に近いガラスケースに灯る青白い光が、俺の中に蹲っている恐怖心を一層煽っているからだろう。
 さらにその事に追い討ちを掛けるのは自然では到底誕生するはずもない、このおぞましい生き物達が不気味な呼吸を繰り返していることだ。
 もし、この施設の事を全く知らないヤツがここにいきなり落とされたとしたら、俺はそんなもの見たことはないけど、この世には地獄のような果てがあると信じるんだろうな。
 それにしてもここを造ったヤツらは何考えてやがるんだ?

「おいおい…こりゃ、かなり過激な研究をなさってらっしゃるようだな」

 タユはゆっくりと額の汗を腕で拭った。
 この時のタユの心境を代弁するならば、『今度ばかりはアウトだぜ!』だったと思う。
 その思いは、変わらず俺の気持ちと一緒だったからだ。

「タユ、コイツらいったい…」

「ああ、多分『cord:(コード)』ってヤツだろうな。少なくともあのサルの化け物とはお仲間達だろうよ。一匹相手に流石の俺も死ぬところだったからなぁ。これだけの数が揃えば、世界中を敵に廻しての戦争だっておっぱじめられるぜ?」

 そう言って、額に汗したままニヤッと笑うタユの表情は、それが強ち嘘ではないことを物語っているようだ。
 ざっと数えても何処まで続いているのか判らない程の数だ、その何本かは何かしらの原因か、或いは時間が立ち過ぎてしまっているせいなのかは判らなかったが、茶色く濁っていたり緑色に澱んでいたりして内容物を確認することもできなくなっていた。俺の推測だと綺麗にLEDで照らされている試験管に入っている物だけが生存中なんだろうと思えた。ただ、そのガラス管の中身が生き絶えていようとそいつらが並んでいる以上は生きた心地なんか全くしないんだけど…当然だろうな、人間を殺す為だけの兵器なんだ。
 記憶に残る、あの一匹を除いてはの話だけどな。

「慎重に先を急ごうぜ。コイツらを刺激しないようにな…」

「ああ、一匹でも目覚めさせちまったら厄介な事になる」

 俺とタユは目線を合わせると、互いに頷いて見せた。
 辺りはやや柔らかめの天井ライトに照らされている他には、この実験体の管理用に青白く光るLEDの他には照明器具はなかった。それだけに、俺たちの行動は今までの半分程まで制限されるってことになるんじゃないかと思う。
 息を飲むようにして、注意深く周囲を探索していると、突然頭上からコンピューターの音声でアナウンスが流れたんだ。

『研究施設内の各担当者へ。当エリア内の電力供給路に異常をきたしました。メイン動力・電力共にバックアップへと切り替えられます。研究施設内の…』

 それはアレックス博士の修理した自家発電機の電力供給量低下を報せるアナウンスだった。タユの説明だと、俺が僅かに居眠りしている間にアレックス博士から自家発電機が送電できる供給量についての説明と、使用されていない経路での考えられるトラブルについて説明があったらしい。
 自家発電機からの供給量の低下を感知すると、このエリアのメインシステムが用意された『非常用バッテリ』へと自動的に切り替えるんだそうだ。勿論、非常用に切り替えられたとしても俺たちは限られた時間内に行動しなくちゃならないんだがな。

「あのポンコツ発電機のヤツがそろそろくたばりやがったのか?こうなっちまったらオレ達もぐずぐずしてられないぜ、コータロー」

 タユは真摯な表情で俺の方を振り返った。そして試験管から顔を背けている俺の肩を強く叩きながら言ったんだ。

「もう直ぐヨシアキ達にも会えるんだ、もっと元気出せよ!」

「そ、そうだったな…」

 俺は気を取り直して前を見ることだけを考えた。
 タユは好奇心からなのかその立ち並ぶ試験管を一つ一つ物珍しそうに調べ始めた。どれにしても試験管から飛び出してこられたんじゃひとたまりもないって言うタユの意見だった。時間のことは確かに気になっていたんだけど、こんな所で足元を掬われてちゃもともこも無いから俺も一緒に異常がないか調べることにした。

「こりゃあ、人形や作り物じゃなさそうだぜ。現に息をしているしな…」

 タユはふと、その試験管の側に貼り付けられている操作用のマニュアルを見つけたらしく、剥ぎ取りながら今の状況を説明してくれた。

「現状は安定動作中って事だ。ここのランプが青ランプに点灯すると…ん、『遠隔操作で検体を覚醒させる事が出来る』って書いてあるぞ、こりゃどう言うことだ?」

 剥ぎ取ったマニュアルを覗き込むタユの姿が映る試験管にその姿とは別に、唐突に銀色の縁を光らせた眼鏡の白衣姿の男が暗闇から浮き出したように映ったんだ。
 俺が気付くよりも先に逸早くハッとしたタユが咄嗟にマニュアルを投げ出して銃を構えようとしたが、その行動はどうやら端から予測されていたのか、その男の手はタユの腕を掴むと一気に腕を捻り上げやがったんだ!

「タユ!!」

 ゴトンッ。

「クッ…テメェ!」

 銃を取り落としたタユはそのまま力任せに横殴りされると、思わず声を上げた俺の足元まで吹っ飛ばされたんだ。

「クククッ、ようこそ。とでも言っておこうか?」

 金髪にうっすらと白髪の混じった男がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて俺の方を見た。
 俺は…ハッと、息ができなくなるような胸に圧迫感を覚えて、思わずタユの上に雪崩れ込むようにして倒れてしまった。胸を押さえて息ができなくなる俺に、タユは素早い仕種で起き上がると、俺を抱えるようにして、目の前の男を威嚇しながら心配そうに覗き込んできたんだ。

「コータロー!?ヘイ!大丈夫かい??」

「クッ…カハッ!!」

 息ができずに涙を流す俺を、ニヤニヤと笑っていた白衣の男は無表情な顔をして、眉間に皺を寄せながら見下ろしているようだった。その顔を…どんなに忘れようと努力してもできなかったこの俺が、見間違うはずがなかった。

「お、おま…え、お前は!!」

 息も絶え絶えに胸元を押さえて睨みつけると、白衣の男はおやおやと眉を上げるような、あの憎らしい顔付きをしてニヤッと笑ったんだ。

「どうしたのかね、彼は?私の顔を知っているようだ…だが、残念ながら私は君を知らない」

「なんだと!?あんたは…ッ」

 そこまで言って、俺は唐突に気付いたんだ。
 そう、目の前の男は確かに、あの時俺に男としてこれ以上はないぐらいの屈辱を与えたアイツの顔だった。なのに、どこかヘンだ。何か、違和感がある。
 それに気付いた途端、現金なもので、俺の肺が正常に動き出したんだ。

「お前は…アイツじゃない」

「?」

 訝しそうに眉を寄せるソイツは、確かにあのときの男の顔をしていたのに、そう、何か違和感があると思ったそれは、コイツの方が老けているんだ。煌くブロンドには年波には勝てない白銀のものが疎らに混ざっていたし、目許にも草臥れた皺が刻まれている。生きてきた年月を物語る姿は、あの若々しい肉体を保持していたアイツとは、これほどよく顔が似ていながら全くの別人だったんだ。
 そうか、アレックス博士が言っていたジャクソン博士って言うのが、きっと彼なんだろう。

「アンタが、ジャクソン博士か?」

 あの、奥さんを癌で亡くし、娘さんを飛行機事故で亡くしてしまった、あの哀しい博士なんだろう。
 だが。
 白衣の男は一瞬訝しそうに眉を寄せただけで、途端に皮肉気に笑いやがったんだ。

「おやおや、ジャクソン博士を知っているのかね?残念だが、私は彼ではない」

「なんだって?」

 不意に、タユが怪訝そうに立ち上がる俺と一緒に身体を起こしながら、首を傾げたんだ。その反応は、そのまま俺にも反映されていた。
 彼がジャクソン博士じゃないって言うのなら、いったいここには、何人、あの男にソックリな顔のヤツがいるって言うんだ!?
 俺のことを薄っすらとは何かに気付いているようなタユも、俺を襲ったアイツが若いと言う台詞をそのまま信じてくれていたんだろう、同じように不審そうな顔をしてチラッと視線を寄越してきた。
 だが、タユの双眸にはそれだけではない意味合いも含んでいたようだ。
 不意に腰の辺りに隠し持っていたナイフを掴もうとした瞬間、目の前の白衣の男が目敏く気付いたようにニッと笑ったんだ。

「おっと、動くんじゃないぞ。このボタンを押せば君たちを襲ったあの生き物と同じ能力を持つペットたちが、君たちを八つ裂きにする為に目覚めてしまうからね…クククッ」

 その瞬間、隣の水槽に入った爬虫類のような頭部を持つ化け物の装置に動きがあった。それはタユの説明にもあった『遠隔操作での覚醒』を告げるランプが、音もなく赤く点灯したからだ。そのランプに反応するように中に入っている化け物の目がカッと見開くと、背筋が凍りつくようなおぞましい滑る双眸でゆっくりとこちらを見据えたんだ。だが、それ以上何も行動がない、と言うことは、ここまでは準備段階ってことになるんだろう。

「フンッ…そいつらを放せばアンタもただじゃ済まないんだぜ?」

 タユは口の端に付着していた血を拭いながら、殴られたときに口内でも切ったのか、口に溜まった血をペッと吐き捨ててニヤッと笑って言ったんだ。

「ハッ、よく知りもしないで物は言わない方が身のためだぞ?この研究施設は既に成熟された生物兵器の最後の試験施設、つまり出荷待ち状態の『cord:』達を保管している場所なのだからな。つまり、ここにいる彼らは既にただの生き物などではなく、高度な頭脳の持ち主たちだ。その彼らが私を襲うとでも思っているのかね?そう言えば、この状況を判断できるのではないのかな」

 その白衣の男はタユが床に落ちたハンドガンを拾うチャンスを窺っている事に気づいたのか、サッと水槽の陰に隠れた。
 チッと舌打ちしたタユが銃を拾い上げた時には気味の悪い『Cord:』と呼ばれる化け物が入れられた試験管を、まるで盾のようにして男は不敵に笑ってタユを挑発していた。

「このクソ野郎がッ!!」

 タユは大型口径のハンドガンを化け物の影に隠れて笑う男もろとも射抜く勢いで構えた。それを見た俺は慌ててタユの腕に飛びついて発砲を止めさせたんだ。

「何しやがるんだ!!」

「馬鹿野郎!こんな所で発砲してみろ、いたるところにあの化け物たちが眠ってやがるんだぞ!それにな、もしもお前が撃った弾がそれたらどうするんだ!?もっと、冷静になれって!!」

「そんなこた判ってるさ!オレの腕を甘く見るんじゃねぇよ。外すかッ」

 違うだろ!?そんな意味じゃねぇんだって…と、俺はイラついているタユの腕に縋りつくようにして引き止めようとする、その傍らで、こちらを睨んだままゆっくりと呼吸を繰り返すおぞましい実験体、いや生物兵器『Cord:(コード)』がニヤッとタユを見て笑った気がしてゾッとした。
 タユもどうやら同じ事を感じたらしく、息を呑むようにして悔しそうにその銃を下ろしたんだ。

「ほう、そっちの東洋人は賢い判断力を持っているようだな」

「畜生!てめぇは何が目的なんだよ!!」

 タユが忌々しそうに床を蹴りながら叫んだ。
 男の姿がぐにゃりぐにゃりと歪む円筒の水槽後ろを足早に移りながら、部屋の中央にある大型の水槽の裏側まで行きつくと、その後ろに身を隠しながら話し始めた。

「変な気を起こさない方がいいぞ。コイツは『cord:』の中でも尤も手に負えないやんちゃ者で、一度目覚めるとなかなか寝付いてくれないのだよ。まぁ、良い物を見せてやるから君らはそこで大人しくしている方が賢明だと思うぞ、ハッハッハ!」

 そう言うと俺たちを足止めさせたまま、その裏にある大型操作室の扉へと歩き始めたんだ。
 ヤツが扉に消えてからも俺たちはその場から一歩も動けないでいた。
 それは男の言った一番奥の水槽の生き物が恐ろしかったワケでも、ましてやその男の言いなりになったからでもない。俺たちの前後に並ぶ試験管のランプがオールレッド…つまり“起動態勢”という状況だったからだ。
 多分、この部屋にある数はざっと数えても100体は越えるだろう。
 見渡す限り施設内は倉庫のように試験管に埋め尽くされていたからだ。

「フン、生きた心地がしねーよなぁ?」

 タユは銃を仕舞うと諦めたように吐き捨てるようにそう言った。

「万事休すだな」

 俺は辺りを見回しながらそう呟いていた。
 どれぐらい待っていたのか…実際はそんなに長くは待っていなかったとは思うけど、暫くして聞き覚えのある声が扉の向こうから聞こえてきたんだ。

「痛い、放して!!」

「おい、ソイツに乱暴するんじゃねーよ!!」

 ハッとした。
 俺は咄嗟にその方向に振り向くと、その姿を確認する前に叫んでいた。

「須藤!桜木!!」

 そんな俺の声に、歪んだ顔をして暴れていた2人がパッとこちらを向いて同じように叫び返してきたんだ。

「佐鳥くん?佐鳥くんなの!?」

「佐鳥?そこにいるのは佐鳥なのか!?」

 やっぱり2人は生きていたんだ!!
 不意に俺の中の何かが吹っ切れたようで、漸く俺は本来の自分を取り戻せた気がしたんだ。
 俺の視線が目の前の男に向けられた。

「おや?どうしたことか2人の顔を見た途端に顔つきが変わったようだが?」

 タユもゆっくりと腰を上げると、俺と並んでヤツを睨みつけていた。

「2人を放せよ…」

 俺は静かにそう言って、不適に笑う白衣の男に足を踏み出したんだ。
 2人の姿を見た俺の頭にカッと熱い血が昇って、心臓がバクバクし始めると自然と足が前へ前へと動き始めていた。
 それに続くようにタユも銃のマガジンに残った弾数を数えながら歩き始めたんだ。
 ヤツとの距離は僅か数メートルしかなくなっていた。

「動くなと言わなかったか?」

 男の表情が冷たさを増すと、スッと腕を差し出して持っている何か小型の端末を俺たちに見せたんだ。それが何であるかって事は十分承知しているさ。それでも俺の足はお前の方へと動き出して止まらねぇんだよ!

「脅しはもう効かないぜ?」

 俺の言葉にタユも同意するような鋭い視線をヤツに向けたまま、ゆっくりと銃口をヤツの額に定めたまま近づいて行く。
 数秒後。

「引き金を引く勇気はできたか?」

「そっちこそ、ボタンを押す勇気はあるのかい?」

 俺たちは男の額に二丁の銃口を押し付けていた。
 その状況の中でもヤツは汗を掻く事もなく、まるで無表情のまま俺たちの間に『cord:』を覚醒させる装置のリモコンを差し出して、そのボタンに指をかけたままでいる。

「ダメよ!佐鳥くん!!」

「やめろ、佐鳥!タユ!!頭を冷やすんだ!!!」

 後ろ手に縛られた須藤たちが叫んだ。
 その顔には必死に、どこかぶち切れてしまっている俺たちに『頭を冷やせ!』と、訴えるような表情が浮かんでいた。

「どうする?お友達の言葉に従うか?それとも100を越す『Cord:』達を相手に遊んでみるか?」

 ただ、この男の何処にこんなにも余裕があるのか判らなかった。
 それでなくても、俺たちはこれだけ神経をすり減らしていると言うのに…
 だが、確かに。
 100を超す絶対的な力を従えているのならそれも頷けるが、かと言って、自分が死んでしまっては元も子もないんじゃないのか。
 なのに、何故だ?
 それともう1つ…
 須藤と桜木の首につけられている、あの銀色に鈍く光る鉄製らしいチョーカーの様なものはなんだ?
 男はニヤけた顔でゆっくりとタユの顔をマジマジと見ていたが…

「マックスウェル博士はそんなに馬鹿者ではなかったぞ」

「!?」

 その言葉に一瞬タユの双眸が見開いた。

「てめぇ…どうしてその名を知ってやがる?」

 搾り出すような低い声音でそう言って、タユがグイッと押し付けた銃口に抵抗する様子もなく、白衣の男はクックックッと咽喉の奥で笑ったんだ。

「やはり、君はマックスウェル博士の一人息子、ノイス君だったんだね。タユと聞いて君の顔を見たときにもしやとは思ったのだが…君は確か、特殊部隊にいたのではなかったのかね。いつから学生どものお守りをするレンジャーに成り下がったのかは知らないが、確か今も在籍していると聞いていたのだが?」

 なんだって?
 タユが、ノイス?特殊部隊??
 何を言ってるんだ。

「うるせーな。この研究施設を見つけ出すために休日を割いてレンジャーのバイトをしていたんだよ。漸く、見つけ出した。そうか、ここでオヤジは死んだんだな」

 タユ特有のジョークを言って口許に笑みを浮かべたが、そのくせ、その鋭い双眸はこれっぽっちも笑っちゃいない。それどころか、ギリッと奥歯を噛み締めて、タユは憎々しげに目の前の白衣の男を睨み据えている。
 白衣の男は怯むことなく、そんなタユの腹の底から湧きあがる怒りを真っ向から受け止めたまま、冷静に笑っている。

「じゃあ、アンタがエドガー・マクベルか?そんな面をされてちゃ全然気付かなかったぜ。オレはアンタの顔を拝んでやろうと、この手で殺してやろうとここまで来たってのにな」

 ニッと、顔こそ笑ってるくせにタユは、まるでその双眸だけは揺らぐことなく見据えている。

「…タユ、彼がマクベル博士だって?」

 ふと、憎々しげに一瞬も目線を外さないタユの横顔を見ているうちに、俺は冷静さを取り戻していた。
 いや、冷静を取り戻したんじゃない、頭をハンマーか何かでガツンと殴られた気分になっていたんだ。
 この施設に入ってから、もうずっと張り詰めていたはずの緊張が、こんな時に切れそうになるなんて俺はどうかしている。

「ど、どう言うことなんだ?」

 俺の言葉なんか耳には入っちゃいないだろうが、それでも俺は、タユがマクベルと呼んだ白衣の男に押し付けた銃口はそのままに、聞かずにはいられなかったんだ。
 だけど、タユのヤツは…ふと、そんな俺をチラッと見て、悔しそうにニヤニヤと笑っているマクベルを睨み据えた。

「…ああ、どうしてあんな面になってるのかオレは知らんが、奴は間違いなくエドガー・マクベルに違いない。オレのオヤジは…この施設の研究員だったんだ。お袋はこのコンカトスの人間でな。オヤジはお袋を連れてアリゾナの研究所に一旦戻って働いていた。だが、オレが5歳の頃、オヤジはこのコンカトスの施設に転勤しちまったんだ。お袋を残して」

 そこまで話して、タユは息を飲んだ。
 話したくて話しているんじゃないと、その姿を見ていれば一目瞭然だったけど、それでもタユは静かに語ってくれたんだ。別に、隠す話じゃない…と、思っているのかもしれないけど。

「お袋は英語に不自由だったから、幼いオレを抱えたまま独りぼっちになって、少しずつ精神を蝕まれていった。結局、オレたちにはワケの判らない理由でオヤジが死んだことが切欠になって、孤独に堪えられなかったお袋は療養所に入れられたまま首を吊って死んじまった…こんな、クソッタレな研究なんかの為に、オレの家族は崩壊したんだ!」

 吐き捨てるようにそう言ってから、タユは暗い光を宿した双眸でマクベルを睨み据えると、口許に薄ら寒くなるような笑みを浮かべた。

「探したよ。もう、ずっとな。オレはガキだったから、オヤジがどこで働いているのかも知らなかったし、お袋が療養所に入れられてから行く当てもなかったから、軍隊に入って気付けば特殊部隊に入っていたよ。それでもずっと探していた、オヤジが家族を犠牲にしてまでも没頭した研究とやらの、その成れの果てを見る為にな!」

 知らなかった。
 タユがそんなものを抱えてこの施設に入り込んでいたなんて。
 俺の知っているタユは、どこか抜けてて、それでも憎めなくて、そのくせ頼り甲斐があって…何故か絶対的に信用できるヤツだ。
 底抜けに明るいんじゃないかって思えて、だから俺も勇気付けられていたんだ。
 なのに、俺はタユのことをこれっぽっちも知っちゃいなかった。
 それが、凄まじいショックだった。

「その慣れの果てがこの施設だよ」

 そう言って、俺たち2人に銃を突きつけられたマクベルはふと、それまであんなにムカついていたニヤニヤ笑いを引っ込めて、目線を落としたんだ。

「聞きたいかね、ノイス=タユ=マックスウェル君。そんな、私怨だけの恨み言を?だが、今はそんなことは問題ではないだろう。それとも何かね、君は君の私情を最優先にして、共に戦ってきた仲間を見捨てるのかい?それは、君が憎んでいる研究と言うものと、あまりにも酷似しているではないのかな」

「…ッ」

 グッと言葉を飲み込んだタユは、それから、額に血管を浮かべたまま奥歯で歯軋りして握っていた拳を更にきつく握り締めたようだった。

「タユ…」

 ふと、それまで黙って俺たちを見守っていた須藤と桜木がその名を呼ぶと、弾かれたようにタユは、その鋭い双眸を見開いてゆっくりと、須藤、そして桜木、それからマジマジと俺を見たんだ。

「ああ、畜生ッ。そうだったな、オレには仲間がいるんだ」

 悔しそうに、歯痒そうに、タユは眉間に深い皺を刻んだまま、泣き笑いのような顔をしてマクベルを睨み据えたんだ。その決断が、どれほどの苦痛をタユに刻み込んでいるのか計り知ることなんかできないけど、それでもタユは、一瞬の迷いを残して俺たちの場所に踏み止まってくれたんだ。
 俺は…俺は冷たいヤツだから、タユの家族のことを思えばこの場でマクベルを殺っちまえ!…と言うべきなんだとは判っていた。でも、嫌だったんだ。
 タユが、この場からいなくなるかもしれないことを考えたとき、あの時もそうだった、それは酷く辛くて、心がもぎ取られちまうような、奇妙な感覚に泣きたくなっていた。
 ここにいて欲しい。
 傍にいて欲しい。
 そんな思いが、タユを残酷にも俺たちの場所に踏み止まらせてしまったんだ… 

「クックック…なんとも感動的な友情だね。まあ、いい。それでは少し、話をしよう」

「あぁ?」

 胡乱な目付きで睨みつけながらも、タユはマクベルの話に耳を傾けるつもりのようだ。
 そうだな、銃口が額を狙っているにも拘らず、微動だにもしないこの男がいったい何を考えているのか、そして…タユの親父さんが家族を顧みずに没頭した研究がどの様なものだったのか、聞いてみるのも悪くはない。
 いや。
 タユの為にはきっと、聞くべきなんだと思う。
 タユを引き止めてしまった俺たちは、そうして、タユと一緒に彼が抱えている計り知れない悲しみのほんの一欠けらでも共有しなくてはいけないんだ。
 そんなこと、タユは望んじゃいないんだろうけど…それでも、それが俺たちの、いや。
 俺の償いと言う、願いだった。