柏木たちの学校もそれは例外ではなく、眠い目をこすりながら少年自然の家の前にある開けた広場に集合して、引率の田宮の登場を待っていた。
「あれって名門の桜花院大学付属高校のジャージじゃないか?」
「は?」
宮本に脇腹をつつかれて、柏木はムッとしながらも眠気眼の目を言われた方向に向けてみた。
向けてみて、途端にギョッとしたように顔を伏せる。
「?」
訝しそうに宮本が眉を寄せたが、柏木はどうしてもその方向を見ることができなかった。
そう、その真っ青なジャージは、ほんの数時間前、自分を組み敷いていた男が着ていた服と全く同じだったからだ。彼の場合は、上着はT-シャツだった。
見れるかっての!
内心で悪態をつきながら背中を向けると、館内から腕に琴野原を下げた立原が別になんの感情も窺わせない無表情で姿を現した。
柏木が泣きそうな顔をして俯いている姿を目敏く見つけた璃紅堂の暴君皇子は、腕にへばり付いている琴野原を面倒臭そうに振り払いながら唇を噛み締めている姫君のもとに赴いた。本来ならこう言う場合は走って駆け寄るものだが、どんな理由で落ち込んでいるのか知っている立原は、殊更ゆっくりと歩いて近付く。
柏木の少し青ざめた顔を見るのが好きだからだ。
彼が辛そうに唇を噛み締めたり、泣きそうな表情をしているのが、この暴君と呼ばれる立原を興奮させるのは確かで、歪んだ劣情が時に酷く冷たく柏木を突き放す行為に繋がるのだが…今回は第三者の手がそれをしていると言うことがムカツイてムカツイて仕方がないのだ。
だがそれでも、切なそうに眉を寄せる姿はダイレクトに下半身を刺激して、今すぐにでも犯したい衝動に立原を駆りたてている。
だが、そんなことは露ほども知らない柏木は立原の姿を見止めると幾分かホッとしたような表情をした。
悲しいかな、立原はしかし、柏木のそんな顔も好きなのだ。
綯い交ぜした切ない思いを抱えながら、立原は漸く柏木の傍らに肩を並べる。
「柏木、泣きそう。大丈夫?」
「ああ、まあな」
全然平気そうではないが、背後を気にしながら俯いた姿はなぜか酷く立原を腹立たしく思わせた。なぜか…自分以外の名前も知らない誰かに心を奪われている行為が気に食わないのだ。
「柏木、知ってる?昨夜のアイツ…」
その話題を持ち出すと、柏木はビクッとしたようだった。
肩が不自然に揺れて、少し離れたところで耳をダンボにしている宮下が気になって仕方がないように、柏木は救いを求めるような無防備な目付きで上目遣いに立原を見た。
朝の生理的現象だったそれが、明らかに欲望の兆しを見せて立ち上がろうとしている。
立原はいつだって柏木を犯したいと思っていた。
だが、全く無頓着な彼は立原の思いになど一向に気付く様子もなく、それどころか平気で彼の前で下着姿になったりするのだ。無防備な姫君のあられもない姿を見せ付けられて、この暴君で知られる皇子が何度彼を押し倒そうとして苦汁の思いで踏み止まったかを、愚鈍な柏木は知らない。
泣き叫ぶ顔が見たい。
だが、最初の夜は神聖で、ひっそりと、包み込むように抱きたいと言うのが立原の願いである。だが、その後は柏木がどんなに嫌がっても無理矢理にでも抱きたい時に抱くつもりではいた。
(我慢我慢…)
我慢の後に来る開放感はとても官能的で、淫らに甘いことを知っている立原はギュウッと誰の目にも触れないように握った拳に爪を立ててニコリと笑った。
「アイツ、もういないよ」
「…へ?」
間抜けな声をあげる柏木に、腕を組んだ立原は口許に酷薄そうな笑みを一瞬だけ閃かせて頷いて見せた。
「今朝方、なんだかやけに騒がしくて目が覚めたんだ。そしたら…アイツね。階段から落ちたらしいよ。もう早くに落ちてたようだけど、誰も気付かなくて。今朝になって発見されたみたい」
「落ちて…って。し、死んだのか?」
「まさか!」
立原はクスクスと珍しく笑ったが、その表情に感情はなく、酷く冷たい笑い方だと柏木はなぜかゾッとした。だからこそ、その可能性を疑ってしまうのだ。
立原は笑いながらも、自分を犯そうとした、大切な姫君を犯そうとした野郎のことにまで気を遣ってやるその優しさに苦笑して、もっと愛しいと思った。
「脳震盪か何かを起こしたみたい。俺も詳しくは聞いていないから判らないけど、命に別状はないらしいよ」
今朝は珍しく表情のある立原に気付いている柏木はしかし、大切なことを見落としていた。
確かに表情はある。
だが、冷たい。
そして…彼にしては珍しく饒舌なのだ。
あらゆる意味で、申し訳ないとも思いながらホッとする柏木の横顔を見つめながら、立原はゆっくりと微笑んだ。
愛しい。
愛おしい。
愛してる。
どんな言葉でも言い表せる感情を噛み締めながら、目を細めた立原は貪欲に考えていた。
彼をこの合宿中にどうやって手に入れようかと…
その為にならなんでもする。
彼を煩わせる全てを抹殺しても構わない。
死んだのかだって?ああ、できれば殺してやりたかったさ。首の骨をへし折って…だが、それでなくても優しい柏木のこと、そんなことをしたら一生あの男のことで思い煩うだろう。
いや、何よりも。
生涯、柏木があの男のことを覚えているということが気に食わない。
だからこそ、一発殴って我慢してやったのだ。
階段から落ちて気を失うことも計算済みだった。
なんでもする。
この愛しい男を手に入れる為ならば。
ほっそりとした首筋を見つめながら、獲物を狙う肉食獣の獰猛さで、ペロリとを舐めた。
□ ■ □ ■ □
初夏にしては暑い日差しにうんざりしながら、柏木は地図を片手に森の中を彷徨っていた。
宮本たちと逸れてしまった柏木は、なんとも簡単な地図だけを頼りにまずは彼らを捜しているようだ。暑さに負けて脱いだジャージの上着を腰に巻いて、派手なプリントが目立つT-シャツになった彼のそれは、汗で少し濡れていた。
「ったく。申し合わせたように逸れちまうんだもんなぁ…」
地図を持った手でこめかみから頬へ、そして顎を伝う汗を拭った柏木は大きな樹木に手を当てて差し込む陽射しに眩しそうに目を細めながら、溜め息をついて周辺を見渡した。
もう何度も大声で叫んでみたが、残念ながら反応は皆無。
心細くないと言えば嘘になるが、柏木ももう高校生男児だ。
少々のことで怖いよう~と泣くワケにはいかないのだろう。
男の意地というヤツだ。
「はぁ…」
溜め息をついた柏木は疲れたように近くにあった大きな木の根元で少し休むことにしたようだ。逸れてからずっと歩き続けて、足はもうヘトヘトで棒のようになっている。
陽射しが柔らかに射し込む大きな木の根元は苔生していて、微かに湿った感触のあるそれはベルベットのような柔らかさで、柏木は思わず欠伸をしてしまう。
ウトウトとしても仕方がないのだ。
昨夜は変態野郎に襲われかかり、部屋に戻れば恒例のようにトランプを遅くまでして、皆が寝静まってからトイレに行って下着を替えた。そんなこんなで、漸く布団に潜り込んだのは短針が3を回ったぐらいの時間だった。
「で、起床が6時だもんなぁ…眠いっつの!」
ふぁ~と大きな欠伸をして伸びをした柏木は、そのまま背後の大木に凭れてウトウトと舟を漕ぐ。どうせ服は汗で濡れているのだ、もう少し濡れたってどうってことはない。
散々捜して見つからないのなら、少しぐらいは休んだっていいだろう。
安易にそんなことを考えて目を閉じた柏木はすぐに寝息を立て始める。
そうして暫くして、彼にしては珍しく慌てた表情をしていた立原はそんな柏木を発見したのだ。
大木の根元ですやすやと寝息を立てている柏木の、その汗で透けた胸元の小さな突起に気付いた立原は思わず息を飲んだ。
犯るなら今だ!…と思ったかどうかは謎だが、まだその時ではないんだとギュッと目を閉じて思い留まった立原はそっと目を開いて恐る恐る柏木の身体に触れた。
「柏木?柏木、起きなよ。迎えに来たよ」
「…ん」
目を覚ます気配もなく、柏木は心地よさそうに規則正しい呼吸を繰り返しながら身体を微かに動かすだけだった。
「…柏木?」
揺すっていた腕を止めて、立原は恋を覚えた少年のようにドキドキと胸を高鳴らせて、傍らに片方の膝をついて屈み込むと、あれほど起こそうとしていたのに今度は起きるなと願いながらそっと胸元に触れてみる。
ふっつりと立ち上がっている胸元に触れてみても身動ぎしない柏木に、調子に乗った立原はそのグッスリと眠りこけている顔を覗き込んだ。
乳首を捏ねるように弄りながら、少し溜め息をつくその唇に顔を寄せてそっと口付ける。
思った以上に柔らかい唇に胸を高鳴らせて、立原はそっと忍ばせた舌で歯列を舐めてみた。まるで応えるように口を開いた柏木の口中に舌を忍ばせて、ゆったりとその身を横たえる舌に舌を絡めて濃厚なキスをしても、やはり愚鈍な姫君は目蓋の裏に大好きな漆黒の双眸を隠したままだ。
「大好きだよ…」
唇が触れるか触れないかまで放して、そっと囁くと、その時になって漸くピクリと柏木の目蓋が反応を見せた。起きていたのかと冷やりとした、だがやはり、柏木はすぅすぅと気持ち良さそうな寝息を立てている。
微かに息は上がっているようだが、気に留めるほどではない。
「無防備な俺の姫君。また犯られてるんじゃないかって心配してたけど…まさか寝ていたなんてね。そんな風にあんまりぐっすり眠っていると、今すぐここで抱いてしまうよ?」
囁いて乳首を弾くと、ん…ッと小さな溜め息をついて、その官能的な反応に立原は嬉しくなった。
他の誰でもない、自分の手に反応している柏木の仕種が可愛くて仕方がない。
「もっともっと、大事に。壊れてしまわないように…」
同時に、誰かの目に触れさせるぐらいなら閉じ込めてしまうか、それを嫌がれば壊してしまいたいとさえ思う。
狂暴な思いを抱えながら、立原はもう一度思いを込めてキスをした。
唇を離して、ゆっくりと目を開いた立原は、それからすぐに柏木の頭を叩いた。
先ほどの柔らかさや健気さと言ったものは欠片もなく、いつも通りの無表情な何を考えてるのか良く判らない表情に戻って、立原はもう一度乱暴に頭を小突いて柏木を起こした。
驚いた表情をして目を覚ました柏木は、悪戯されたことにも気付かずにふんわりと笑って助かったーっと叫んで立原に抱き付くのだ。
自分の残酷さに気付かない柏木の背に感情を窺わせない表情で腕を回して、立原はもう合宿所のある自然の家の方に戻ろうと促した。
素直に頷く柏木を見つめながら、自分の我慢の限界を立原は悟っていた。
恐らく、もうどれほども我慢なんかできないだろう。
我が侭で知られる暴君皇子が良くぞここまで我慢したものだと自分自身で感心しながら、立原は必ずチャンスを見つけて彼を抱こうと決心した。
もう、我慢も限界なのだ。