死人返り 2  -死人遊戯-

「は?なんて言ったんだ、今」

「だから、その。弟が生きてたんだ」

 僕は昨夜、散々考えた結果、もう素直に言うしかないといった結論を弾き出した。
 突然ファミレスに呼び出され、唐突に打ち明けられた国安は目を白黒させたが「そりゃあ、良かったじゃないか」と半信半疑で喜んではくれた。

「でも、葬式とか出しちまったんだろ?死亡届は?」

 矢継ぎ早の質問に落ち着いてくれと両手を上げて、僕は困惑した表情のままで首を左右に振って見せた。

「ちょっと事情があって、親は知らないんだよ。なぁ、国安。悪いんだけど今度の旅行…」

「あ、ああ。行けなくなったんだろ?いいさ、いいさ。仕方ないもんな」

「違うよ!ゼヒ、行かせて欲しいんだ!その、弟も一緒に…ダメかな?」

 僕の申し出に驚いたように眉を上げた国安は、それでもすぐに快諾してくれた。

 彼は高校の時から一人暮しをしていたから、実家の人は匡太郎のことを知らないから別に連れていっても支障はないんだと言ってくれた。

「光太郎の弟と言うと…あのえらくハンサムなやんちゃ坊主だったよな?兄ちゃん命で、よく睨まれてたっけ」

 懐かしむように思い出す国安は、あれほど、僕のせいなんだけど、邪険にしていた弟をそれでも気に入っていたんだ。実家にいる5人の弟妹の長兄だから、弟と名の付くものは無条件で可愛いのかもしれない。

「あいつ、きっと兄ちゃん会いたさに生き返ったんだぜ。絶対そうだって…おい?どうしたんだよ」

 不覚にも僕は泣いていた。
 突然、涙が零れたんだ。
 止めようとしても、一度零れ出した涙はすぐには引っ込んでくれなかった。

「あ、あれ?変だな。どうしたんだろう」

 僕は慌てて腕で目を擦ったけど、そうすればそうするほど、涙は後から後から溢れ出して堰を切ったように流れ続けるんだ。

「…良かったな、光太郎。どんな理由であれ、もうお前が苦しむことは何もないんだよ」

 国安は駄々を捏ねる子供をあやすような優しさで、僕の肩を軽く叩いて労いの言葉を掛けてくれた。
 でも、違うんだ。
 弟はまだ死んだままなんだ。
 でも生きててくれたんだ。
 でも…何もかも全てが判ったとき、弟は本当に死んでしまうかもしれない。
 もう一度戻ってきてくれて嬉しい…でも、不安で、怖くて…
 この感情は言葉では言い表せないよ。どうしたらいいんだろう。
 僕は、心の底から泣きたかった。
 1年間、ずっと涙が出てこなかった。泣きたくても、まるで涙腺をどこかに置き忘れてきたみたいに、涙は一滴も零れなかった。両親はひっそりと僕を冷たい子供だと言っていたし、近所のおばさん連中も強い子だねぇと嫌味を言っていたけど、僕はそれでも泣けなかった。
 僕は、僕は…自分が本当に冷たいんだと思っていた。
 いや、冷たいのかもしれない…

◇ ◆ ◇

「おい!」

 唐突に、僕の背後で新聞を読んでいた男が立ちあがった。
 僕も国安も驚いて振り返ったが、そこに立っていたのは丸めた新聞を投げ捨てた匡太郎だったんだ。
 掛けていたサングラスを外すと、不機嫌そうに細められた色素の薄い双眸が国安を睨みつけている。

「なんでアニキを泣かせるんだよ!?」

「き、匡太郎!?どうしてここに…」

 思わず声を上げて、店内の視線を釘付けにしていることに気付いてハッとした。
 いくらここが実家から遠い場所にあるファミレスだからって、知り合いがいないとも限らないんだ。僕の知り合いじゃなくても、交際範囲の広かった匡太郎の知り合いがいたら一大事じゃないか。
 弟が生きてることを知ってる人は、そんなにたくさんいたら困る。何れ母さんたちの耳にも入ってしまうから。
 今はどうしたって穏便に行動しないと…

「こらこら、匡太郎くん。兄ちゃんが困ってるじゃないか。まあ、ちょうど良かった。今度の旅行の話をしよう。ほら、君も座って座って」

 国安の憎めない笑顔に気勢を殺がれた匡太郎は、チラッと僕を見下ろすと、不貞腐れたままで僕の隣りに腰を下ろした。
 凄い、さすが6人兄弟の長男!

「本当に生きてたんだな…あれ?でもちょっと感じが変わったかな?」

「そりゃあ、1年も経ってるからね。ところでさ、あんたの実家があるって言う神寄憑島の言い伝えってどんなものなんだ?アニキからそれとなくは聞いてるけど…」

 ザッと観察して鋭く気付く国安に僕はハラハラしたけど、匡太郎はどこ吹く風と言った感じで肩を竦めるだけで、話題を違う方向に導いた。

「ああ、『死人返り伝説』のことだよ。まあ、過疎の進んだ小さな村だからね、奇妙な伝説はわんさとある。俺の故郷では土葬と風葬の習慣があるんだ。盂蘭盆会の時期にその年死んだ一番新しい死体を『御霊送り』するのさ」

「御霊送り?…って、F○10のあれ?」

 どこで知ったのか、匡太郎はテーブルに頬杖をついて人気のRPGの名前を口にした。国安はそれに苦笑で応えながら、首を左右に振ってアイスコーヒーを飲む。

「『御霊送り』って言うのは、俺たちの島から程近い場所にある無人島『波埜神寄島』に、その一番新しい死体を送ることをそう言うんだよ。そこには社があって、死体の入った桶をその社の中に置いておくと、次の年には桶ごとなくなっている。きっと生きかえったんだろう…って言う、まあ良くある話なんだけど」

「ないって」

 匡太郎は呆れたようにそう言ったが、興味があるのか、色素の薄い瞳が好奇心に煌いている。

「その島には『憑黄泉さま』がいらっしゃるんだそうだ」

「憑黄泉?」

 僕も初めて聞く名前に声を出すと、国安は小さく頷いて先を進める。

「遠い昔、神である憑黄泉さまが波埜神寄島に流れつき、神寄憑島の死体に悪さをしていた鬼を懲らしめてくれたんだそうだ。だが鬼は死ぬときに神寄憑島に呪いをかけた。盂蘭盆会までに一番最後に死んだヤツの肉体に乗り移って復活する、ってな」

「それで『御霊送り』なんだね」

「そう。憑黄泉さまに浄化して頂くんだとよ」

 自分の故郷の言い伝えだと言うのに、国安は丸っきり、頭から信じていないのか、苦笑しながら肩を竦めたけど、不意に難しい顔をして黙り込んだ匡太郎に気付いて首を傾げた。

「どうしたんだ?」

「え?ああ、いや別に。面白い話だな、と思って」

 声を掛けられた匡太郎は肩を竦めてそう言っただけで、後はやっぱり押し黙ったまま何も言わなかった。訝しげに眉を寄せながら首を傾げる国安に、僕は慌てて話し掛けた。

「それで、今年の渡し守の役目が国安なんだろ?」

「ああ。正直、気色のいい話じゃないけどな!」

 国安は明らかに嫌そうな表情をして頷いた。
 僕と一緒で、国安はオカルト物がまるで駄目なんだ。
 死体を波埜神寄島に連れて行く『渡し守』の役目は神聖で、たった一人で盂蘭盆会の真夜中の2時過ぎに漕ぎ出し、約1時間かけてゆっくりと連れて行くんだ。
 このたった一人で夜中の2時に死体と一緒、と言うのが気に入らないらしく、僕を誘ったと言うわけだ。つまり、こっそりと乗せてくれるんだ。

「人数は多ければ多いほうが良いからな。その時間、島の連中はありがたいことに全員寝てるから。知ってしまうと駄目だと言う言い伝えもあるんだよ。だからわざと寝るんだ」

 お陰でお前たちを同乗させることができるからいいんだけど、と言って国安は笑った。心底、本当はホッとしてるみたいだった。
 やっぱり僕じゃ頼りないんだろうなぁ、その点で言えば、匡太郎は心強いだろう。
 何事にも豪胆に行動するし、幽霊やその類を丸っきり信じていない、死体は抜け殻だから怖くない、本当に怖いのは人間だと言い切るような、あんまり可愛げのないヤツだから。

「いつ、行くんだ?」

 唐突に黙り込んでいた匡太郎が口を開いた。
 僕と国安は顔を見合わせて、同時に口を開いていた。

「今度の土曜」