11  -ヴァンパイアと真夜中に踊れ-

 デュークと言う、ディープブルーの仄かに煌く不思議な髪を持つ妖魔は、色んなヤツの感情を真っ向から受け止めては、自分の身内に抱えてひっそりと傷を増やしていくような馬鹿なヤツだと思う。
 人間よりも人間らしい感情の持ち主で、長い睫毛を伏せて、頬に草臥れたような影を作りながら、いったいどれだけの長い時間を過ごし、幾つの傷を心に刻み付けて生きてきたんだろう。
 はかり知ることなんかできない遥かな時間の中で、きっと、デュークは傷付き過ぎて、もう自分が傷付いているのかいないのかも判らなくなっちまったんじゃないかな。
 だから、口先ではシークを罵りながら、その剥き出しの悪意の全てを自分のせいにして、真っ向から受け止めようとか…考えてるんだろうな、コイツのことだから。
 あれから、すぐにデュークは俺を連れてマンションに戻ってきたんだけど、《今日は疲れたね》と呟くように言ってから、まるで死んだように俺を抱き締めたままで眠ってしまった。
 血液の媒介でシークを倒そうとしたんだけど、今一歩のところでアークが取り逃がしちまって、それでも、俺の血液で体力は戻ったんだとばかり思っていたんだけど…大丈夫なのか?
 ぎゅうっと抱き締められているから起き上がることもできないんだけど、それでも、この豪胆なほど強い妖魔にしては珍しく、まるで縋り付くようにして俺の色気もない胸元に顔を埋めるようにして眠っているデュークを見下ろしながら、俺は一抹の不安を感じていた。
 表情こそ、いつも通りの飄々とした感じなんだけど、どこか必死な感じがして、心配で仕方ないんだよ。
 額に浮かんだ汗が、この眠りがけして穏やかなものではない…と言うことを、静かに物語っている。
 心にまたひとつ、傷を隠して、お前ってヤツは何事もなかったような面をして眠るんだな。

「デューク…俺、うまく言えないんだけどさ。それでも、沙弥音は幸せだったんじゃないかと思うよ。僅かな時間だったし、最後はその、悲惨な状況だったのかもしれないけど。それでも、いつもは知らん顔のお前が、必死な顔で助け出してくれたんだ。だからこそ、沙弥音は最後の一瞬に正気を取り戻して、お前に聞いたんだよ。それは、純粋な妖魔であり、この世で最も優しい人生の教師だったお前にしか聞けない最後の質問だったんだ。どんな意味があるにしろ、沙弥音にとってお前は、世界中で一番優しい家族だったんだぞ」

 だからもう、傷付くなよ。
 眠っているデュークの耳に届いてるかどうかまでは判らないけど、いや、判ろうとは思わないんだけど、俺はたとえデュークが聞いていなかったとしても、それでもたどたどしく言ったんだ。
 想いがちゃんと伝わればいいんだけど、考えていることは、言葉にすると誤った表現になったりするから、気持ちを伝えるのは難しいと思う。
 まるで子供みたいにギュッと抱き付いたままで眠っているデュークの頭を抱え込むようにして、俺はその不思議な色合いで仄かに光を放つ髪に頬を寄せていた。
 世界中で一番、優しくて信頼できる家族のような存在だったからこそ、沙弥音はシークでも、ましてやアークでもなく、唯一お前一人に、最後の言葉を遺したんじゃないのか?

【私はシーク様を覚えているでしょうか?】

 きっと、もう虫の息だった沙弥音には時間がなかったに違いない。
 だから、そんな彼女が言いたかったのは、シークへの想い、デュークへの感謝…いろんな思いをちゃんと覚えていることができるのか…何度もデュークを煩わせた同じ質問を、最後に投げかけることで、きっと全てを失ってしまうだろう自分のことを、せめてデュークには覚えていて欲しかったんじゃないのかな。
 俺だったら、そう思って行動しただろう。

《…ボクはそんなに優しい妖魔ではないよ》

「ぐは!お前、起きてたのか?!」

《ちょっと前にね。光太郎の声が聞こえたから》

 物思いに思い切り耽っていたから、俺はあわあわと泡食ったようにしどろもどろで真っ赤になるんだけど、俺を抱き締めて離そうとしない、ディープブルーの仄かに煌く不思議な髪を持った、綺麗な顔立ちの妖魔は人の悪い笑みを浮かべて俺を見詰めてくる。
 そんな風に妖魔らしい笑い方をしながら、そのくせ金色の双眸が、どこか嬉しそうに見えるのが俺の見間違いじゃないとすれば…くそぅ、怒る気も失せちまう。

《…沙弥音の想いは遥か彼方、もうボクでは判らないところに逝ってしまったよ》

 それは、そうなのかもしれないけど…そうしてお前、ほら見ろ、やっぱりそんな風に、平気そうな面して普通に笑うんだろ。そんな風に、悲しい顔ばっかりして、何が楽しいんだ。

「お前はバカだ。大馬鹿な妖魔だ」

 俺は下唇を突き出すようにして悪態を吐いたけど、ふと、嬉しそうに金の双眸を細めて笑ったデュークが力強い腕で俺を抱き締めるもんだから、逃げ出すこともできやしない。

《そうだね、気付きもしなかったよ。ボクは馬鹿なんだ》

 ポツリと呟いた声音の頼りなさに、俺はハッとして綺麗な妖魔の顔を見た。
 まるで今にも消えてしまいそうな覚束無い表情をしているくせに、デュークは俺を抱き締めたままで淡々と笑っているんだ。真っ赤な唇と金の双眸が、俺を不安にさせる。
 何でそんなに不安になるのかは判らないんだけど、それでも、俺は食い入るように、必死に絡み付いているデュークの腕をギュッと掴んでいた。

《光太郎?どうかした??》

 ふと、不思議そうな顔をして見下ろしてきたデュークに、へそ曲がりな俺はムッとしたままで、なんでもねーよと目線を逸らすことぐらいしかできない。
 そんな俺の態度が理解できなかったのか、綺麗な妖魔は《おかしな光太郎だね》とクスクス笑って抱きついてきやがるんだ。
 お前の方が、よほどおかしい妖魔だよ、コンチクショウ。

《…ボクは本当にバカだな》

 クスクス笑っていたデュークは、ふと、小さくポツリと呟いた。

《大切なものばかり見失って、それなのに、ボクはそれに気付きもしなかった》

「…」

《光太郎に言われてハッとしたよ。随分と長いこと、沙弥音はボクに難題を遺していたんだけど。今日ね、なんとなくその答えが判ったような気がするよ。光太郎が気付かせてくれたね》

 男二人で寝てても余裕のあるベッドで、薄暗い室内でも仄かに煌くディープブルーの不思議な髪を持つ、闇夜でも確り見えるんだろう金色の瞳を細めて、デュークはなんとも言えない表情をして俺を見詰めてきたんだ。

「お前はさ、お前が思っている以上に優しい妖魔なんだよ。そんなの、もういい加減気付くに決まってるじゃねーか」

 やれやれと目線を逸らしながら悪態を吐いたら、俺に抱き付いていたデュークは、絡めていた腕を離すと不貞腐れている俺の頬を両手で包み込んできたんだ。思わずギョッとしてデュークを見返したら、頓珍漢な妖魔野郎は不思議そうな顔をして俺をマジマジと見やがるんだ。

《だから、ボクはそんなに優しい妖魔じゃないよ?》

「そう思ってんのはだなぁ、お前だけだっての!」

 思わず鼻筋の通っているその鼻先をグニッと突っついてやったら、デュークのヤツは思わず…と言った感じで寄り目なんかしやがるから、このバカヤローさまは憎めないんだよな。
 …って、何を言ってるんだ?!くぅ…俺様としたことがッ。

《…もう、随分と長いこと生きてしまったからね。ボクには感情らしいものなんてないんだよ。だから、どんなに光太郎がボクを擁護してくれても、ボクの中に僅かに残っているのかもしれないその優しい感情すら、希薄で、指の隙間から擦り抜けてしまうほど心許無いんだ》

 デュークは金色の双眸で俺を見詰めながら、そんな風に、胸がズキリと痛むことを言いやがった。
 何なんだよ、お前は。
 妖魔のくせに、いつもは人間を襲って、その血肉を喰らって生きているくせに、どうしてそんな風に何もかも全てを悟っちまったような顔をしやがるんだ!
 なんか、ムカムカするな。

「あのなぁ、この俺様がお前は優しい妖魔だって言ってんだ。だったらお前は、優しい妖魔なんだよッ」

 渾身の力でデュークの腕をもぎ離した俺は、それから反対にヤツの腕を掴むと、ベッドに懐いている中途半端な妖魔の身体を引き起こしたんだ。
 いや、実際は正真正銘の妖魔なんだろうが、んなもんはこの際無視に決まってら!

《??》

 目を白黒させているデュークを無視して、俺は呆気に取られているふざけた妖魔の顔を見下ろして眉尻を跳ね上げたんだ。

「だいたい、そもそもどーしてテメーが中途半端な妖魔たちの色恋沙汰に振り回されてんだよ?!その段階で、優しいとかんな問題じゃねぇ。とんだ大間抜けじゃねーかッッ!」

 俺が何を怒っているのか、たぶん、このちゃらんぽらんそうな妖魔には判らないと思う。
 それでも俺は、自らが生み出したとは言え、自分勝手な半人前の妖魔たちに、本気で振り回されている正真正銘の妖魔であるはずのデュークの、その献身ぶりが腹立たしくて仕方なかったんだ。
 きっと、デュークは沙弥音も、そしてあの遠い異国の旅人に成り果ててしまったシークすら、心の底でひっそりと愛していたんだろう。愛し過ぎて、二人の空回りする運命の歯車をなんとかしてやりたくて、でもどうすることもできない事実に傷付いて、泣くこともできないから、シークが自分を恨むことを止めることもせずに、一心にその憎しみを受け止めようとしているんだろう。そんな風に考えたら、尚いっそう、俺はムシャクシャして歯軋りだってしたくなっちまうよ。

《だって…光太郎。それはね、全ての原因がボクにあるからだよ》

「お前ってヤツは…またそんなことを抜かしやがってッ」

《違うんだよ》

 そう言って、誰もが恐れる妖魔のくせに、まるで無害な生き物のような双眸で俺を見詰めながら、デュークのヤツはクスッと自嘲するように笑った。

《ボクが、シークを殺してあげてれば良かったんだ》

「…え?」

 ポツリと呟いた台詞に、怒りの冷めやらぬ俺は眉を寄せたままで、デュークの真意を探ろうとしたんだけど…さすが、何百年も生きている妖魔だけあって、その思惑は判らなかった。
 いや、20年かそこらしか生きていない俺が、何百年も、それこそこの世に存在していることが不思議な、人智を超えた超自然の生き物の考えていることが判るとしたら、たぶん、こんな貧乏探偵なんて職業を生業にはしていないと思うぞ。
 デュークは眉間に皺を寄せて胡乱げに見下ろす俺の双眸を、何を考えているのかいまいち掴みどころのない無頓着な金色の双眸で見詰めてくる。

《でもできなかった…ボクは、シークを殺してあげることができなかったんだよ。アークからは散々嗤われてしまったけれど、それでもボクは、シークを殺せなかった》

 どんなに面倒臭くてもアークを消せなかった、と言って寂しそうに笑っていたコイツのことだ、どーせまた奇妙な仏心でも出てるんだろうと、俺は苛々しながらデュークの話を聞いていた。

《だって、シークを殺してしまったら…ボクはまた独りぼっちになってしまうんだ。沙弥音やシークの想いを慮るのなら、ボクのこの行為はとても罪深い。シークの怒りはボクへの罰なんだよ》

「だから、お前はシークに狙われて、その命すら危険に晒しても、アイツを殺さなかったんだな」

《…》

 俺が気付いていないと思っていたのか?
 あの時、アークが取り逃がしたのはわざとだ。それも、デュークの思念を敏感に感じ取る双子のようなアークは、一瞬、怯んだようにデュークを見て、それから慌てたようにペラペラ喋って消えてしまった。
 物言わぬ影のようにひっそりとした双眸で俺を見詰めてくる妖魔に、俺は腹立たしげに鼻に皺を寄せてフンッと鼻で息を吐き出した。

「違うね。お前は独りぼっちになるのが怖いんじゃない。お前は…」

 俺は呟いて、それから見下ろしている綺麗な妖魔の酷薄そうな薄い唇に口付けた。
 デュークは驚いたように目を瞠ったようだったけど、気付いたらキスをしてた俺の方がビビッてんじゃ意味がないんだけどよ。それはもう、ご愛嬌ってモンだ。

「沙弥音を想うシークと、シークを想う沙弥音の感情を失いたくなかったんだよ」

《…え?》

 どれだけ驚いているのかは、キスされたことだとか、俺の台詞とかに思い切り動揺している…って、あの飄々として掴みどころがない、ふざけたピエロの妖魔が動揺なんかしやがるんだ。でも、自分が言ってることが、本当はまるで見当違いな頓珍漢なことを抜かしてるんじゃねぇかって、心配している俺の方がもっと動揺してるんだから、そんなの気になんかしてやれるかよ。

「だから、殺せなかった…んじゃなくて、お前は殺さなかったんだ。敢えて、わざとシークを生かし続けていたんだ。お前がさっき言ったように、長い年月を生きたせいで感情を亡くしてしまったんだろ?だから、シークまで失ってしまったら、お前は愛することも誰かを気遣う心も、何もかも全て失ってしまうんじゃないかって、デューク、お前はそう考えてしまったんじゃねーのか?」

《……ッ》

 デュークは、何故か泣きだしそうに顔を歪めた。
 そんな風に顔を歪めているくせに、デュークは自嘲的な笑みを口許に浮かべやがるんだ。
 その顔は、あまりに辛そうで、そして悲しげだった。

《…恐るべし、探偵さんだね。まるで何もかもお見通し。だからボクは、もうシークを殺すことができるんだろう》

 泣くことができないと言っていたデュークは、心から悲しそうに眉を顰めて、虚ろな笑みを口許に刻んでいた。
 だから、俺は自分の考えが間違っていないと確信することができた。

「でも、そうじゃねーんだよな?」

 苦笑を浮かべた俺が見下ろすと、悲しそうに眉を顰めている妖魔の、金色の双眸が訝しそうに細められたんだ。

《光太郎?》

「そんな顔してもダメだぜ。だから、気付いてるって言ってんだろ?最初は俺もそう思ったんだ。お前は馬鹿なほど優しい妖魔だからな。でも、違うんだよ。根本がまるで違う。お前は、自分の感情の希薄さに気付いていた。だからこそ、シークを生かし続けることで、シークと沙弥音が大切に育んでいた【愛情】と言う感情を残そうとしたんだろ?自分が忘れてしまったら、それこそ、自分が戯れで命を与えてしまったこの哀れで愚かな、悲しい生き物たちの記憶はどうなってしまうんだって…考えちまったんだよな、デューク」

 お前は、気が遠くなるほど長い年月を生き続けてしまったせいで、その行為が本当はどれほど【優しい】のかを忘れてしまったんだよ。その優しさがたくさんの犠牲を生んでしまったのは、恐らく、事実ではあるんだろうけど…それでも俺は、この無垢な妖魔を恨んで見捨てるなんてことはできなかった。
 俺の依頼人、娘を亡くしてしまったお袋さんには申し訳ないんだけど…

「そんなくだらねーこと、何百年も心に抱え続けやがって!…俺は呆気なく死んじまう人間でしかねーけどさ、俺を想ってくれる気持ちがあるんなら、大丈夫だ。デュークの中でちゃんと、沙弥音とシークの想いは生き続けるさ」

 照れ臭くて、気付けば仏頂面でぶっきらぼうに言ってしまっていたんだけど、俺は、そんな風に全身で物悲しさを訴える身体を抱き締めながら、デュークの震える唇に口付けていた。
 優しすぎる妖魔の無垢な想いが沙弥音の許にシークを逝かせてやることもできなかったデュークだけど、その優しさを誰よりもよく知っていたから、沙弥音はデュークにあの言葉を遺したんだろう。

【私はシーク様を忘れないでしょうか?】

 この想いを忘れずにいられるか…愛を知ることのないデュークに、どうか、誰かを愛して欲しいと。
 自分の代わりに、この想いを忘れないで欲しい…私にそれができるのなら、きっとあなたにもできると、これは俺の勝手な解釈なんだけど、短い時間の中で死に逝く沙弥音が必死に考えた、優しい妖魔への別れの言葉だったんだろう。
 その言葉をずっとデュークに、デュークだけに投げ掛けていたのは、その答えを知りたいとか、そんな単純なことじゃなくってさ、その答えをデュークに見つけて欲しかったんだよ。
 忘れるのだと言えば…いや、やるな沙弥音。
 彼女は、デュークがそうは言わないことをちゃんと判っていたんだと思うぜ。
 優しいデュークだから、きっと《忘れないよ》と答えを見つけると踏んでたんだな。中途半端な出来損ないの自分ですら忘れない感情なのだから、正当な妖魔であるデュークが、感情を亡くしてしまうはずがないと、沙弥音は言いたかったに違いない。
 でも、それにはあまりに時間がなさ過ぎた。
 まるでナゾナゾのような言葉を遺して逝った沙弥音の心残りは、きっとシークなんだろうけど、それ以上に、彼女はシークの戯れが生んだ自分を殺すこともなく傍に置いてくれたデュークを直向に信じて、そして遺して逝く悲しい妖魔が心配で仕方なかったんだろう。
 俺の心は必死にアシュリーを求めている…でも、認めたくはないんだが。
 俺は…俺の心は、切なくなるほど、デュークを愛しいとも思うんだ。
 気紛れで残忍で…遣る瀬無いほど優しすぎる腕の中にいるこの妖魔が、俺は愛しくて、長い睫毛に縁取られた目蓋で金色の双眸を隠してしまうデュークの腕に抱かれながら、手に余る感情を持て余したまま、自分がいったい何をしたいのか判らない、取りとめもない思考の中で、溺れるように抱き締めてくるこの腕が全てなんだと思い込もうとしていた。