21.学園祭でイロイロやらかす  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 俺が合コンに行っていることを実況で都築にリークした刑として百目木と柏木を呼び出したんだけど、絵美ちゃんとデートだからって柏木にあっさり断られて薄情だと歯軋りしていたら百目木は普通に来てくれた。
 1人しか欠員が出てないはずなのに、わざわざごねて菅野をうんざりさせて滑り込んだのは、都築の回し者だったからだとか聞いた時はマジで吃驚したんだからな。
 しかも、俺が知らない間に都築から相談されていて…ってアイツ、もうあの時は形振り構わずだったとは言えさ、結構気軽に誰にでも相談するよね。とは言え、ああ見えて人選は確りしてるみたいだから侮れないんだけども。
 俺にはなんの相談もないけど…聞けば大概(いや全部か)、俺のことを相談しているみたいだから、張本人の俺に何か相談するってことはないのか。
 いや待て、何かする前には、まずは俺にこそ相談するべきだろう。
 アイツ、そう言うところ全然判ってないよなぁ。
 勿論、興梠さんと属さんも呼び出したいところだったけど、あの人たちを呼び出したらこっちが火傷すると思ったからやめておいた。
 都築の元セフレと仲良くなっていたはずの百目木が、彼女に振られたって言ったのは2週間ほど前のことだ。元セフレってことには気付いていないようだったから不幸中の幸いだとは思うけど、ずっと気になっていたんだよね。都築の元セフレってのはすっげー引っ掛かっていたし、百目木には悪いけど、別れたって聞いてまあ良かったかなと思っていたことは内緒だ。
 その点で言ったら柏木と絵美ちゃんも心配なんだけど、あの2人はなんやかんや言いながら結構仲良くやっているみたいなんでまあいいかなとは思ってるけど、百目木と件の彼女の話は、なんかどうもヒヤリとする温度差を感じていたんだよ。
 何事にも鈍感なこの俺が、だ。
 百目木の会話でちらちら出ていた『カナちゃん』って子が彼女だったんだろう、俺に紹介したいんだって言ってくれてたけど、(色んな意味で)忙しかったから残念ながら直接逢うことはなかった。だから、実は名前も知らなかったりする。
 久し振りに逢った百目木が、ちょっと小太りしてるのが特徴だったのにスレンダーになっていて驚いた。
 いやこれ、スレンダーって言うか、窶れてんじゃないのか…

「来てくれて嬉しいけど、体調崩してんのか?」

 何時ものファミレスに呼び出したはいいんだけど、ふーふー息を切らしてんのがキモいとか言われていた百目木は、ブカブカの服で隠している、いや急に痩せて服が小太りの時のモノしかないのかもしれないけど、ほっそりとした手首を晒して「よお」って声をかけてきた。
 そりゃ、心配して気遣うよね。

「いや?ちょっと食欲なくて痩せちまっただけ。で?都築の件で呼び出しとかってなんだよ」

「悪い…じゃなかった!お前ら、何時の間に都築の味方になってたんだよッ」

 百目木の体調も心配なんだけど、やっぱ都築の件は確り釘を刺しとかないとな。

「味方とかじゃねーよ。都築さ、本当に凹んでるみたいだったし、篠原が合コンとか誰かと付き合うとか誰かと何処かに行くとか誰かに襲われたとか、何かあったりやってたりしたら教えて欲しいってすっげー心配そうに言ってたから、柏木とも相談してリークしたんだ」

 そうか、やっぱりリークはしていたんだな。
 ……都築が百目木と柏木に言っただろう『何か』の中身が普通に気持ち悪いけど、聞かなかったことにしよう。
 アイツ、誰彼関係なく相談するの止めてくれないかな。それで百目木と柏木が俺と都築の関係を思い切り誤解して認識してるんだぞ、メチャクチャ迷惑だって判んないのかな。
 あれ?これってもしかして…考えたくないんだけど、外堀を埋めてきてる?ははは、まさかそんなワケないって気持ち悪い!

「鈴木の件も篠原に嫉妬させたいだけの冗談だって都築は言ってんのに、お前は別れたとか言うから柏木と…」

「待ってくれ、俺はアイツにはもう拘わらないとは言ったけど別れるなんて単語は使ってないぞ!そもそも都築と付き合ってないからな」

 何度も言うけど!

「はいはい。柏木と何時もの冗談だろうと思って揶揄ってたのに、お前、真剣に合コンに行くとか言い出して、あれだけ凹んでる都築見たの初めてだったし、それだけは止めてやれよって思ったけど、篠原普通に合コンに参加しちゃっただろ?だから、何かあったんだから教えてやったんだよ。でも、そのおかげで誤解も解けて、元鞘に収まったんだから良かったんじゃないのか?」

「……」

 嫉妬事件パート2の後から、都築は驚くほどベタベタと俺の身体を触りまくるようになってきて鬱陶しいんだよな。良かったか?と聞かれても、全く良くないよって言えるぐらいには気持ち悪いんだよ。

「はぁ、まあ篠原が幸せならいいんだけどさ」

 俺がなんとも言い難いツラをしてムーッとしたってのに、それを華麗にスルーした百目木は疲れたように溜め息を吐いて、それからドリンクバーから持ってきていたコーラをじゅーっと啜っている。

「やっぱ、百目木さぁ。ちょっと調子悪いんじゃないか」
 
 幸せとかマジ何言ってんだって言い返したいけど百目木と同じようにスルーして、それよりもふっくら健康体が薄幸の少年っぽくなっているほうが気になるんだよ。
 美少年ではないから少年って言っておくな。
 でも、百目木は俺と違って薄い印象の顔立ちだけど、決して不細工とかそう言うのではなくて、こんな風に痩せるとスッキリと整った顔立ちが際立って、まあいい感じじゃないかなとは思う。
 ちょっと幼く見えるから、少年って言っておく。
 百目木に言ったら薄幸とか少年とか巫山戯んなって顔を顰められそうだけども。

「いや…実はさ、ここだけの話にして欲しいんだけど」

 ああ、悪い。俺にはここだけの話になるけど、都築のヤツにも筒抜けになっちゃうんだよなぁ、盗聴器のせいで…って前なら話していたんだけど、親友の百目木と柏木は、何時の間にか都築と仲良くなりやがっていたので、都築から懇切丁寧な説明をされてやがるから盗聴器とか監視カメラとかGPSの件は全部知っているんだよね。
 そもそも、俺以外には殆ど興味を示さない都築にとって、百目木や柏木に関する情報は特にどうでもいいから聞き流すってことで(それは問題なく)納得はしているものの、とは言え『盗聴に盗撮、さらにGPSかよ…』と青褪めて『うんうん』って話を半信半疑で聞いてはいたけど、一連の事件が終わった後に、どうも信じられなかったのか百目木は『篠原、よく今の状況に耐えられるな』って確認と心配で電話をくれたらしい。その時は今のところ実害とかないし大丈夫だって笑ったらドン引きされたんだけど、どうしてドン引くんだ。それよりも自分たちの情報も垂れ流しになるんだから止めてくれたらよかったのにって言ったら、その辺りは俺たちに完全無関心だって知ってるから大丈夫とかって笑ってたから俺のほうがドン引いたけどね。

「ほら、俺が振られたカナちゃんがいただろ?」

「うん」

「彼女、俺を振ったくせに、俺の部屋で他の男とセックスしてたんだよ」

「ぶっほ!」

「俺とは一度も関係を持ってくれなかったのにさー、相手の男、俺とは正反対の細マッチョのイケメンでさ。まるで見せつけられたみたいで凹んだわ。それでちょっと食欲なくなって痩せたんだ」

 まあ、結果的にはダイエットになって良かったけどとか、無理に明るく笑う百目木には同情が禁じ得ない。
 俺も自分の部屋じゃなかったけど、都築に鈴木とのエッチを見せつけられた時、なんかよく判んないけどすげーショックでさ、未だにモヤッてる部分があるけど、アレを自分の部屋でされるとか正直ドン引きどころの話じゃねえよな。
 友達のごにょごにょシーンを見せつけられてこれだけモヤるんだから、好きだって付き合ってた相手となると…想像もできねぇよ。

「ハア?!なんだそれ!鍵とかは…」

「俺、バカでさ。将来は一緒にとか夢見てて、合鍵を渡しちゃってたんだよ」
 
 別れた時に鍵を回収するの忘れててさとかって、百目木はコーラのグラスに挿しているストローで氷を突きながら、ちょっと自嘲的に笑ったんだけど、俺は苛々するだけで何も言えなかった。
 たぶん、都築と鈴木の件を百目木に話しても、きっとこんな気持ちで激しく怒ってくれるだろうけど、俺の気持ちを考えて困惑して何も言えないだろうなって思うんだよ。

「男ともども叩き出してやった時に合鍵は取り戻したけど、何にムカついてたのか知らないけど、当てつけみたいにラブホ代わりとかビビるよな。清純そうで大人しそうな可愛い子だったのに」

 …そっか、百目木は知らないんだ。
 その清純そうで大人しそうな子、あの都築のセフレだったんだよね。
 こればっかりは追い打ちになるから、相手も言っていないんだし俺が親友の傷口に塩を塗り込みたくはないから黙ってるけど、これは酷い仕打ちだと思う。
 溜め息を吐いて草臥れている百目木を『悪いとは思うけど、さっさと別れられてよかった』とかなんとか励まして、痛い出費ではあるものの、ファミレスの飲食代は全部俺持ちにした。
 今日はバイトの給料日あとだから、俺お金持ちでさ、お札を持っているんだよね。
 「ありがと、助かるわ」って言って疲れたように笑って帰ったけど、アイツも誰かに言いたくて仕方なかったんだろう。
 アレだけ痩せてるってことは、俺には言わないだけで、なんか酷いこととかも言われてんじゃねえのかな…
 独りで抱え込むにはデカすぎる内容だもんなぁ…とは言え百目木、あんまり食べてなかったからすげー心配だ。
 都築にリークした刑だったはずだけど、とんでもない話を聞かされたんだから、そりゃ嗾けた都築に責任取って貰わなきゃって思うよね。
 しかし、ウチの大学の品性をかなり疑ってしまうな。都築がいるからって、他の連中の風紀まで乱れてるってのはおかしな話だ。
 それなりに名のある大学だった筈なんだけど…好きな男ができたっつって振ったまでは判るけどさ、あのお人好しが服着てるような百目木の何にムカついたんだか、ムカついているとは言え他人んちを勝手にラブホ代わりに使うとかどうかしてる。
 都築の元セフレってことだったから、俺がムカムカ苛々しつつその日のうちにクレームを入れてやったら、相変わらず安物のスウェットにボサボサの色素の薄い髪、目が悪くなったら絶対にゲームはさせないって言ったらゲーム中は掛けるようになったPC眼鏡の奥の色素の薄い琥珀みたいな双眸を眇めて、相変わらず巨大なモン狩りをしている都築は俺を不機嫌そうな仏頂面で見上げたまま鼻先で笑いやがったんだ!

「セフレなんてやってる女だぞ?騙されるほうも悪い」

 百目木はあの子がお前のセフレだって知らないんだよ!俺だって言えるかよ、そんな酷いこと…知ってるクセにその言い草はホント頭にくるな。

「あー、そうかよ。騙されるほうが悪いんだな?よく判った」

 腕を組んで見下ろしていた俺が片目を眇めて鼻に皺を寄せながら厭味ったらしく言ってやったら、流石に拙いと思ったのか、都築はそれでもモン狩りは止めずに口を尖らせたみたいだ。

「……そもそも、オレはもう全員切ってるし関係ないだろ」

「仕掛けたのはお前だってこと、俺はちゃんと覚えてるからな」
 
 そんな理由で俺が逃がすとか思うなよ。

「それは悪かった。その件は反省している」

「悪かった、反省してるで済んだら警察は必要ありません」

 コイツ、いっつもこう言う話になると『悪かった』って言って『反省してる』んだけど、だいたい似たような内容のことやらかすから、絶対反省はしていないと思うんだよな。
 悪いとは思ってるかもしれないけどさ。
 俺が心底怒っていることは判っているような都築は、ちょっと困惑した不機嫌面でブツブツ言ってくる。

「そうは言うが、元セフレがやらかしたことまで責任は取れないぞ…百目木に別のアパートを借りてやればいいのか?」

「そこまでしなくていいけど…都築からも注意して欲しかったんだよ」

「あー…そうだな。オレが切ったから、腹癒せにやったのかもしれない」

「やっぱ、お前のせいじゃねーか」

 …ん?アレ、切った腹癒せって、だってそれだったらもう2ヶ月以上も前の話なのに、なんで今頃その腹癒せをするんだ?

「絵美は切ってもそんなことしなかったぞ?このまま柏木と付き合うからいいっつって、手切れ金だとか言って50万のピアスを強請って終わったな」

「………は?なにお前、柏木と付き合ってる絵美ちゃんとか百目木の彼女と切れてなかったのか?」

 都築が『セフレ』を切ったのは2週間ぐらい前の話だぞ。
 柏木と百目木が彼女たちと付き合いだしたのは2ヶ月以上も前の話しで、だから彼女たちが都築に切られたのはだから2ヶ月以上前で…え?は?都築は何を言ってるんだ??

「そう言う条件だったから、お前と付き合うことになるまでは、絵美ともカナとも普通にヤってたけど…」

「…………」

 ちょっと絶句して立ち尽くす俺にデフォの仏頂面で画面を見ていた都築は、俺の様子がおかしいと思ったのか、怪訝そうにこちらに視線を寄越して、それから途端にハッとしたように目を瞠ると、「別にそんな頻繁には会っていない」「週に1回とかその程度だ、ちょっとだけだ」「お前とのことを真剣に考えるようになってからは疎遠だった」とかなんとか、自分に都合のいいこととか後半は何を言ってるか判らないことをブツブツと言い訳しつつ、内心の動揺をダダ洩れにした焦った双眸で俺をチラ見してくる。

「……お前、最低だ最低だって思ってたけど、本当にクソ最低なヤツだったんだな」

 ああ、こんなヤツと俺、この先も友達続けられるのかな…つーか、大学のセフレはユキと鈴木で固定してるのかと思ってたのに、ちゃっかり女の子も食ってたのかコイツ。
 確か俺とゴニョゴニョするために男に切り替えたとかなんとか言ってたクセに、なんだかモヤッとする…って、その前になんかおかしいこと言ってなかったか??

「いや待て、その前に俺と付き合うってなんだよ?!お前みたいな節操なしと付き合うつもりなんかサラサラないぞ」

「はあ?!何が節操なしなんだよ!絵美たちの件はお前と付き合う以前の話だ!今はお前一筋だろッ…篠原は初めてセックスした相手と付き合わないのかよ?!」

「は、はあ?!それこそ何言ってんだよッ。セ…え、エッチとか、俺お前なんかとしてないぞ!!」

 思わず呆気にとられてドン引きしそうな気持ち悪いことを言う都築に、確かにえっち擬きみたいなことはいっぱいしてるかもしれないけど…とモゴモゴ言っていたら。

「素股も立派なセックスだぞ。お互いの体液をかけあ…」

「わーわー!!素股なんてせ、セックスじゃないだろッ」

 突拍子もないことでいきなり怒り出すから、俺は慌てて否定して拒否ってやる。

「それこそバカなこと言うなよ!素股は立派なセックスだ。AVのカテゴリにだってあるんじゃないのか?」

 都築は巫山戯んなとでも言いたそうにグッと眉間に眉根を寄せて、コントローラーを投げ出すなり胡乱な目付きで俺を見据えつつジリッと近付いてきた。

「へ?え、…あれ?す、素股ってその、せ、セックスに入るのかな??」

 俺の知識なんてAVレベルしかないんだけど…カテゴリには入ってるし、あれ?俺必然的に都築と、まさかその、せ、セックスしてたって言うのか??!
 え、嘘だろ…。

「入るに決まってんだろ!…なんだ、篠原。お前は真面目なヤツだって思ってたから、オレはイロイロと反省していたんだぞ。それなのに、オレの純情を弄ぶなんて篠原も最低じゃねぇかッ」

「え?え??あ、その、俺、そう言うことよく判らなくて…」

「判らなきゃ、セックスした相手を傷付けてもいいのかよ?お前の初めての相手なんだぞ、オレは!」

 なんで俺が謝らないといけないのかはよく理解できていないんだけど、でも、確かにエッチまでしてしまったのなら、自分が知らない間にたぶん無意識で都築を恋人と認めてたってことになる…のか?ええぇ…マジかよ。
 それで都築のヤツ、あんなにベタベタ必要以上に馴れ馴れしく触ってきていたのか。家では容認してたけど、最近は外でも偶に腰を抱こうとしてくることがあったんだよな。まあ、もちろん肘鉄は当たり前だったけど。
 ってことは何か、恋人だと信じてた都築に肘鉄喰らわせてたってことか?
 都築はもう恋人になったって思ってたんだろうに、そう仕向けてしまった当の俺がけちょんけちょんに言うのは違うし、酷いよね。
 ええー…なんだろうこの理不尽で納得いかないモヤモヤは。

「う、ううぅ…ご、ごめん」

「ごめんで済んだら警察はいらないんだろ?でもまあ、オレは心が広いんでね。1回だけ許してやる。だから、これからはちゃんとオレのことを恋人として、婚約者として確り認識しておいてくれよ」

 クソ意地悪い顔ではあるんだけど嬉しそうで、でも最後は念を押すようにきつく言いやがる都築には歯軋りも禁じ得ないけど、全ては自分が撒いた種だ。
 経験値の浅さから墓穴を掘っちまったんだろうけど、気持ち悪いし激しく悔しいけど、全部自分が悪いんだから諦めるしかない。

「……………ぐぬぬぬ、わ、判った。素股していいって言ったのは俺だからな。今日からちゃんと、お前の恋人として自覚する」

「ふーん、判ったんならいいや。じゃあ、お前からキスして仲直りだ」

 都築は完全に勝利者の顔でニヤリと笑いやがったけど、身から出た錆状態で断腸の思いに歯軋りしている俺は胡乱な目付きでヤツを睨みつつも、仕方ないからその(悔しいぐらい)ガッシリしている肩に手を添えて、ギュッと目を閉じて唇も引き結びながらニンマリしている唇にチュッとキスをした。
 「こんなもんかよ」「もっと攻めてきてもいいのに」「これだから初心な処女は」とか俺の腰に腕を回しながら相変わらずの仏頂面のくせにやたら上機嫌で何かブツブツ言いやがってるけど、俺としてはそれどころじゃないし、何よりも何か負けたようで悔しいしでギリギリ睨み据えるしかないけども、変態都築はやっぱりそんなの屁でもなさそうなんだよね。
 百目木のことで頭も痛いのに、新たな難題に目眩がする。
 あれ?人と付き合う時って、こんなに勝ち負けが関わる胸糞悪いもんだったっけ??
 俺、付き合ったこととかないからよく判らないんだよ・・・とは言え、とは言えだ!
 理不尽だし納得はいかないんだけど、でも、どうやら俺、都築とお付き合いすることになったようです。

□ ■ □ ■ □

 セフレを切ったって事で今度こそ本当に本命が?!とか噂される都築は、上機嫌で俺の腰を抱き寄せながら、ついでにうんざりした猫みたいにどんよりした顔をしている俺のことなんか御構い無しで、髪にキスしたり頬まで寄せたりなんかしてくれちゃったりしているから、外野には無駄にイチャイチャしているように見えているようです。畜生。
 この数式はどうだとか、これはこうすれば解けるんだぞとか、外野で聞いていれば砂かゲロを吐くだけでいいイチャイチャな会話も、当事者が自分だったら気持ち悪いと思って総毛立つしかないんだなぁって初めて知ったよ。因みに勿論砂もゲロも吐きそうだ。
 初恋人が男で都築とか、どんな悪夢なんだろう。
 本命は(やっぱり)篠原だったかー、アイツら最初から付き合ってたんじゃねーのとか篠原殺るとかって物騒なことまでヒソヒソ言われてるんだけど、ちょっと待て。
 言外のやっぱりってのは何だ、あれだけうんざりして気持ち悪がっている、そう、現時点でも問題なく気持ち悪がっているんだからな俺は。その俺のどこが、最初から都築と付き合っているように見えてたって言うんだよ。
 魂が抜けた顔で聞いていたけど、できれば泣きたいって両手で顔を覆ってシクシクしたら、都築からは「何やってんだ、顔が見えない」とか邪険に手を払われて顔を晒される。
 辛い、付き合うってこんなに辛いモンなのか?

「…都築さぁ」

「ああ、なんだ?」

 まるで当然の権利だとでも言うように身体をピッタリと寄せてきている都築は、そのうち家にいる時みたいに後ろから抱えようとでもしだすんじゃないかってほど機嫌が良さそうな声音と、そのくせデフォの仏頂面で俺の顔を覗き込んできてHPを削りやがる。

「俺、誰かと付き合ったこととかないからよく判んないんだけど」

「…家には誰も連れ込んでないみたいだったが、お子さまレベルの付き合いもしたことがないのか?」

「お子さまってなんだよ?!…まあ、いいや。そうだよ、付き合ったことないよ!」

「ふーん…ってことは、オレが初めてのカレシか」

「グッ」

 地味にクリティカルまで決めてくるんだよな、都築のヤツ。

「ああ、カノジョもいなかったんだから、オレが初めての恋人ってヤツか!なるほど、ふーん」

 追い打ちをかけんなよ!
 しかもなんだよ、デフォの仏頂面じゃなくてチェシャ猫みたいにニンマリ笑いやがって、また何か企んでるんじゃねーだろうな?
 気持ち悪い笑い方してるってのにさ、どうして都築よりちょっと離れたところに陣取ってる彼女とか彼氏は頬を赤らめてるんだ。
 確かに特級品の極上な面構えだとは思うけどさ、今のこの顔をイケメンって言うのはおかしくないか?おかしくないのか?俺がおかしいのかな…でも、なんか企んでそうなチェシャ猫のニンマリ微笑なんだぞ。

「まあ、そんなワケだから!俺、付き合うとかってよく判らないんだけど、恋人って何をするんだ?」

 恋愛初心者の都築に聞くってのもおかしな話なんだけどさ。
 俺にピッタリと身体を寄せている都築の顔を、下から覗き込むようにして首を傾げたら、都築はすぐに不機嫌なデフォの仏頂面に戻ってくれた。
 よかった、やっぱ都築の顔はこうじゃないとな!

「キスしたい。そんなの勿論、セッ…」

「即物的なことじゃなくてだ!」

 お前、ここを何処だと思ってるんだ?!
 曲がりなりにも大学の講堂だぞ?!お前とかお前のセフレが爛れていたり風紀を乱しまくってたりしているとしても、ここは一般的には勉学を学ぶべき学び舎なんだからな!判るか?JKだよ、JK。
 しかも、なんで最初にキスしたいとか意味不明な気持ち悪いこと言ってんだよ。

「…あー、陽菜子が言うには手を繋いでデートして、キスをしてハグをして、風呂に一緒に入って一緒に寝て、何時も一緒にいるってのが通常の恋人同士らしい」

 キスから風呂まではお前が付け加えたんじゃないだろうな…でも、陽菜子ちゃん、結構ススんでるからなぁ。
 恋愛関係に関しては、俺や都築よりも。
 まあ、だから都築が頼ってるんだよね、小学生にだけど。

「………」

「? なんだ、ヘンな顔をして」

「それ、だいたい普通にしてるな?」

 あれ?俺たち恋人とか気持ち悪い関係になる前から、そんな行動してなかったかな。
 最近はキスにも慣れてきてたし、おかえりただいま行ってきますのハグは当たり前だし、俺が風呂に入っていたら最近は専ら乱入してくるし、狭いシングルに男2人で寝てるし…この前買い物に行った時に、手繋ぎデートもしたんだよなぁ…ハハハ。

「そうだ。だから言っただろ?オレたちはもう付き合ってるようなモンだってさ」

「だったら、別に恋人とか明確にしなくてもいいん…判った、判ったから睨むなよ」

 お前はすぐにそう言うことを言いやがる…とかなんとかブツブツ言って、途端に物騒なほど不機嫌になった都築の機嫌なんかこの際どうでもいいんだけど、俺はうーんっと考えてしまう。
 だってさ、さっき言いかけたけど、別に都築が言ったことって全部恋人とかキモイ関係になる前からだいたいやってるんだし、それこそ今さらって気もしなくもないんだよね。
 友達だってここまでやるんなら、別に恋人なんてキモイ関係になる必要ってないと思うんだけどなぁ。

「友達でもやってることは一緒なのにな?」

「恋人じゃなかったらオレはまたセフレを作るぞ」

 それじゃセフレと一緒じゃねーかとやっぱり不機嫌そうにブツブツ言った後に、そんなことを言いやがるから。

「は?じゃあいいよ、作れば?」

 そしたら関係解消できるんなら、それこそ願ったり叶ったりだ。
 俺に非があって別れるとかだったら、今後都築からずーっと付き纏われてグズグズブチブチネチネチブツブツ言われ続けるんだろうってことは火を見るよりも明らかだからさ。
 都築の不貞で別れるんなら望むところだよ。

「バッカだな、やっぱりお前はバカだ」

「なんだと…」

「恋人同士なんだから、お前はオレのカレシなんだからさ、こういう時は止めるんだよ。今、そう言うフリだっただろーが」

 フリとか何言ってんだコイツ。

「はー、お前は本当に初心で処女だから、そう言うもっと恋人らしいことをたくさん経験して経験値を積んでさ。恋人レベルを上げないと人間としても底が知れた程度になっちまうぞ」

「ぐぬぬぬ」

「仕方ないからお前の恋人であるこのオレが手伝ってやるよ」

「何言ってやがる、お前だって恋愛童貞だろ。何を手伝うって言うんだよ」

 絶対にコイツにだけは言われたくないと思うようなこと言いながら偉そうにやれやれと首を横に振っている都築の身体を引き剥がそうとしつつその態度にはお冠にもなるし、心底からムカつきもするけど、コイツまたエッチとか気軽に言いやがるんじゃないのかって言った後にしまったと思ったけどもう遅い。

「決まってんだろ!恋人としてお互いを想い合うことだ」

「はあ?」

 予想外の返答にちょっと間抜けな声を上げてしまった。
 エッチなことしか言わないと思い込んでいただけに、ちょっとこれは予想外の展開なんだけど…

「早速だが、今度の学園祭はオレと一緒に行動しろよ」

 都築は機嫌が良さそうにニンマリして俺の顔を覗き込んでクリティカルを出してくる。

「え?ああ、別にいいけど…」

「学祭デートは当たり前だよな。恋人同士だからさ」

「グハッ」

 今度の土曜日にある学園祭、本当は百目木と一緒に行こうって言ってたんだけど、絶対に都築に邪魔されるからお断りされちゃってたんだよね。
 ホント、何が悲しくて都築と…俺は学祭はきっと女の子とキャッキャウフフしつつ楽しいデートができるって思ってたのに…百目木にはフラれるしキャッキャする女子もいない、ましてや今の俺は自滅で都築と付き合っていることになっているワケだから、仕方ないから、都築と学祭デートをしてやろうと思います。
 トホホホ…

□ ■ □ ■ □

 どうしてこんなことになったのか俺には判らない。
 高熱に苦しむ都築の頭を膝の上で抱えながら、阿鼻叫喚の声が漏れ聞こえる外部に意識を集中しながらも、俺は服の切れ端を簡易的な包帯として代用している都築の腕を擦った。
 息苦しそうな呼気の下で、喘ぐように歪む見慣れた綺麗な唇。
 もう、意識も朦朧としているだろうに、ひっそりと心配そうに顰められた眉根の下、揺れる双眸を僅かに細めて俺を見つめてくる色素の薄い瞳。
 大丈夫だよ、心配なんかいらない。
 お前は俺が守ってやるし、駄目ならもう、いっそのこと2人でここでくたばればいい。
 死んだって離れないってお前、ちゃんと俺に宣言してんだから。
 大丈夫、そんなに不安そうにしなくったって、俺はお前から離れないよ。
 不安に揺れる双眸を見下ろして、俺は安心させたくてニッコリと笑った。
 都築は俺のこと好きでもなければタイプでもないって言い張るんだけどさ、コイツ、俺の笑顔が大好きで、俺が笑うとちょっと不思議そうなツラをしてから、なんとも言えない嬉しそうな表情をしてジッと見つめてくるんだ。
 今は苦しいんだろう、朦朧とした半開きの双眸で、それでもやっぱりバカみたいに嬉しそうな光を浮かべた瞳で見つめてきやがるから、俺はなんだか泣きたくなっていた。
 この表情をもう見られないのかな。
 こんな風に、もう一緒にいられないのかな。
 それはなんだか、とんでもなく寂しい気持ちになる。
 息苦しく喘ぐ都築の頭を抱え直して、俺はコイツのことなんて好きでもなんでもないんだけど、手放したくない寂しさにぎゅうと抱きしめて、そして覚悟して瞼を閉じた。

□ ■ □ ■ □

 高校の文化祭を想像していたんだけど、想像を軽く超える本格的な出店とか(クレープ屋とかタピオカミルクティー屋なんてのもあるんだぜ!)、研究棟では各学部が研究している成果を発表していたり、本格的なプラネタリウムを講堂に作っている連中もいたりして、田舎の高校の文化祭しか知らない俺は目をキラキラさせてキョロキョロと見渡していた。
 そんな俺の様子を、勝手に手を繋いで(しかも恋人繋ぎだ…)俺のHPを削ってくる都築が、呆れたようなちょっと小バカな目付きをして見ているようだけど気にしない。

「楽しいのかよ?…ほらクレープだ」

「うん、楽しい。有難う」

 キョロキョロしてほえ〜と見惚れている俺の手を引っ張って、何時の間にか買っていたクレープを渡しながら都築が首を傾げるから、大道芸人とかいておもしれーなって眺めて俺は頷きつつ礼を言ってクレープを受け取った。
 都築同様、甘いモノには目がないんだよ。
 併設されているグラウンドには大道芸人とか、マジシャン、特設のステージではお笑いや漫才までしてる連中もいて、今回俺の学部では催し物はナシってことだったから、ちょっと残念な気持ちになっていたんだけど、見るだけでも十分楽しい、いや楽しすぎる。
 サークルには参加していない(都築に妨害された)し、ゼミでの学祭参加とかないからなぁ…来年は何か催し物に参加できたらいいな。

「ふーん、なら良かったけど。他に見てみたいところはあるか?」

「えー、全部見てみたい気もするけど…」

 俺の通っている大学は2日間に渡って学祭が行われるんだけど、1日目は各学部の催しで、2日目は外部から呼んだ講師やアイドルのステージがあって、2日間ともに夜はグラウンドで花火大会が行われるそうだ…ってことがプログラムには書かれているけど、1日目のこれ全部見るとなると夜までかかるよな。
 夜は夜でプロジェクトマッピングとかで、何か催しがあるみたいだし、ワクワクする。
 うーんうーんと俺が悩んでいると、俺の大事な食べかけのクレープを横から齧りながら都築は仕方なさそうに通常運転の仏頂面で、そのくせちょっと楽しそうにクスクスなんて笑ってやがる。

「仕方ねーなぁ…じゃあ、これなんかどうだ?お前、こう言うの好きなんだろ」

 都築が指差したプログラムは、13時、ちょうどこれから開始される第2部のプラネタリウムの演目だった。
 俺が擬似天体観測が好きで、良く百目木や同じ学部の仲間たちと出掛けていたのを知っているから、都築なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
 都築はプラネタリウムとかって全く興味なさそうなんだけどな…ちょっと嬉しいとか思うなんて、俺も大概気持ち悪いな。

「俺は楽しいけど、都築は退屈なんじゃないか?こっちの軽音部の野外ステージの方がいいんじゃないのか?」

 俺が気を遣って聞いてやったって言うのに、都築はプログラムをチラッと一瞥しただけで、肩を竦めて不機嫌じゃないくせに不機嫌そうな仏頂面で面倒臭そうに言いやがった。

「どっちも興味ない。だったら、篠原が楽しい方でいい」

「お前な…」

「ほら、グズグズしてたら始まるぞ」

 恋人と言うワード(グハッ)にご満悦な都築だけど、根っこの部分は何も変わっちゃいない変人だから、やっぱり「嫁を気遣えるオレいい夫」「篠原も惚れ直すイケメン旦那」とか、よく判らないことをブツブツ言いながら嫁強調して胸を張りやがる男前のツラにはウンザリする。
 呆れを通り越していっそすげぇなと俺がポカンと見上げているのも華麗にスルーで、都築は上機嫌の仏頂面でプラネタリウムが設営されている講堂に俺を引っ張って行った。

「都築、なんだそのチケット?」

 朝から、俺が好きでジュージュー飲んでいるアイスカフェモカを購入するところからさっきのクレープを買う時も都築は何やらそのキラキラしているチケットを見せていたんだけど、今も講堂の入り口でチケットを見せるだけでお金は支払わずにパンフレットを貰っているみたいだった。

「これか?学祭実行委員会に寄付したらプラチナカードとか言って渡してきた。フリーパスなんだと」

 興味もなさそうにキラキラしているカードを振り振り答える都築に、うん、きっとコイツまたとんでもない額の寄付をしたんだろうなって思うけど、今回は楽しいので黙認することにした。
 日頃無駄遣いダメ絶対とか言ってる現金な俺だけど、こんな時ぐらいは大目に見てもいいんじゃないかって話しだ。

「食べ放題飲み放題とかすげー」

「観覧もし放題だぞ」

 特に自分ちのこととか金持ちなんだぜウェーイってなことは言わないし態度にも出さない都築のクセに、俺が喜ぶと途端に自慢を始めるのは何故なんだ…安定の仏頂面で胸を張りつつ俺の手に「すげーだろ?」とプラチナカードを押し付けてくる。
 いや、お前が諸々対応してくれていいんだけどと言いつつ受け取ってカードを見たけど、キラキラカードに加工されていて表面のナンバーは数個の0の後に1となっていて真ん中にプラチナって英語で書いていてその下に名前が入っている。
 結構本格的な造りなんだなと思いながら返すと、ヤツはそれを受け取ってふふんと「嫁をエスコートできるオレいい旦那だ」とか相変わらず意味不明のおかしなことをブツブツ言いつつ、どの辺りが良い席なんだろうと仏頂面で俺の腰を引き寄せて都築が歩き出したまさにその時だった。
 ドゥンッッ!…って腹の底を震わせるような振動、たぶんこの感じだと、とんでもなく重い何かが吹き飛んだんじゃないかな。
 咄嗟に頭を両手で覆うように庇おうとしたのに、それよりも早く都築が俺を抱き込んで、いや、確かに都築は俺よりも20センチも長身だし横幅もある、だからって大の男が庇うようにして覆い被さるってなんだそりゃ。
 でも確かに都築は覆い被さるようにして自分の胸の中に俺を囲い込んで、それで漸くホッとしたように周囲を慎重に見渡しているみたいだ。
 御曹司のお前こそが大事をとらないといけないって言うのに、どうして俺を一番に助けようとするんだよ、ホントバカなヤツだ!

「なんだ、特になんにもないみたいだな?テロかと思った」

 照れ隠しとか巫山戯た理由ではないけどムーッとしつつも都築の胸元を掴んで顔を上げた俺に、それでもまだ警戒を解かずに都築は仏頂面とはまた違った緊張した面持ちでそう言うと、同じように頭を庇いながらキャーキャー言っている連中を見渡した。
 中学2年の終わりから高校入学前まで海外に留学していた経験を持つ都築にしてみたら、今の爆発音は緊張を解くには早いヤバさなんだろうか…

『ピンポンパンポーン♪』

 緊迫した状況下で拍子抜けするほどの軽快な音の後に、冷静過ぎるほど冷静な声音が構内に、俺たちが居る講堂は勿論、敷地内に淡々と響いた。

『ただ今、研究棟で爆発を伴う事故が発生しました。数名の怪我人が出ている模様です。そのため、この時間より研究棟は封鎖となりますので、けして近付かないようにしてください。繰り返します、ただ今…』

「…あ!この声、鈴木じゃないか?」

「そうだな。アイツ、学祭実行委員を押し付けられたって不貞腐れてたんだけど…」

 俺と都築が恥ずかしながら抱き合う形で言い合っていると、漸く落ち着きを取り戻してきた講堂内のそこかしこで、「研究棟爆発とかw」「あいつ等の実験エグイからなー」とかとか、思い思いのことを言いながらスマホ片手に研究棟に行こうとする連中とかもいて、おいおいって俺が呆れていると…

「あれ?ネットが反応しない」

「ってゆーか、電波きてないよこれ??」

「え、電話もできないよ」

 途端にザワザワが大きくなって、いい加減抱き付かれているのも何だかなって思った俺が「まだ危ない」「抱き心地がいい」「もうこのままオレに紐か何かで括りつけて…」とかなんとか、後半よく判らない理由で渋る都築から身体を離しながら、デイパックの大事なモノが入ってるジッパー付きのポケットからスマホを取り出しているとまた鈴木の冷静沈着な声が響いた。

『ただ今の実験中の爆発事故で電波障害が確認されました。通話ができない、できてもすぐに切れてしまう、ネットに接続できない、接続しても遅い…などの症状が出ていますので、接続など試さずに復旧まで時間をおいてください。消防と警察への届け出に時間を要していますので、研究棟には近付かずに良識ある行動をお願いします』

「電波障害ってなにそれ怖ッ」

「おいおい、研究棟ぉ~~~」

「面白そうだから動画だけでも撮りに行かない?」

「弱くても電波きてるとこあるんだ。行ってみようよ」

 などなど、銘々に言い合いながらプラネタリウムそっちのけで講堂から出ていく人波を見ていたら、たぶんもう、プラネタリウムもやらないんじゃないかと思って都築を見上げてみた。
 ヤツも同じ考えだったようで、チラリと俺を見たあと諦めたみたいに肩を竦めて溜め息を吐きやがる。

「まあ、いいや。別のところに行こうぜ」

 俺が頷くよりも早く俺の腕を掴むと、都築はやれやれと薄暗い講堂から俺を連れだした。
 都築との身長差はだいたい20センチぐらいだから、腕を掴んで立たれるとグレイの気持ちにならないとも言えないんだよなぁ。
 そんなブルーな気持ちになりながら都築に引っ張られて講堂から出た俺たちは、電波障害か何か判らないけど、「外部と連絡取れないw」「映画みてーw」とかそれなりにこの状況を楽しんでいる連中が研究棟、実はこの講堂の目と鼻の先だモンだから、こぞってスマホ片手に煙が噴き上げている3階部分を撮影している様子を眺めていた。
 不意に研究棟から白衣姿で、どうやら煙で煤けた黒い顔を晒した連中がゾロゾロと出てきたんだけど…ん?なんか様子がおかしくないか。
 アレだけの爆発があったのに無事なのは良かったけど、白衣の連中はみんなぼんやりと視線が定まらない、なんとも言えない虚ろな様子でフラフラと歩いてるんだよな。
 爆発に巻き込まれたんだから、音とかのショックで放心状態なのかなぁ…

「都築、あのさ…」

「おい、お前らぁ!ヘンな研究してんじゃねーぞ、電波障害とかふざけん……な?…へ?」

「キャー!!」

 なんだか嫌な予感がして、何時の間にか腕を掴んでいた手で俺の掌を握って、恋人繋ぎだとか巫山戯た都築にこの場を離れようぜって言おうとした時、それから白衣の連中の動画を撮影しながらイキったヤツがバカみたいにヘラヘラ笑って集団の先頭をフラフラしてるヤツの肩を押した時だったんだ。
 女の子の甲高い絶叫を嘘みたいに聞きながら、俺は今、自分の目の前で起こっている事実を受け止めきれずに息を呑んでいた。
 無意識の汗まみれで都築の掌をギュッと握り締めたけど、都築のヤツも呆気にとられたように呆然と眼前の光景に目を瞠ってる。
 そりゃそうだよな。
 なんせちょっと離れた先で、イキった男子大生が白衣の集団に囲まれて喰われてるんだから。
 最初は肩を押された煤けた白衣を着た学生が軽くぐらついたぐらいだったんだけど、体勢を取り戻したかと思うといきなりその首に喰らいついて、きょとんと声を出した野郎の手から撮影中のスマホが高い音を立てて落ちたのを合図みたいにして、わらわらと数人の白衣が口から涎を垂らしながら食い千切られた首から真っ赤な血を吹き出すソイツに襲い掛かったんだ!
 その間はもの凄くゆっくりと時間が流れているような、瞬きの瞬間のような、当事者でもない俺にですら平衡感覚がまるで掴めない朧げな感覚が襲ってくるぐらいだから、きっと喰い殺された彼は自分に何が起こったのかも判らないままもみくちゃにされて血塗れになって、それを近くで絶句して見ていたJDが思わずと言った感じで悲鳴を上げたからさあ大変。
 獲物にありつけなかった数人の白衣の集団が、悲鳴を上げた女子大生に襲い掛かったんだ。
 人間、自分の常識を超えた範囲の出来事に遭遇した時ってすぐには声が出ないんだな。でも、脳みそが異常事態を伝えて、それが感覚的に判った段階で初めて声が出る。ただ、他人が先に声を上げてしまって、その状況が大きく動いてしまうと、声よりも身体が動くモンなんだよ。
 たぶん、無意識だったと思う。
 そんな連中が数人いて、都築の手を離した俺が白衣にもみくちゃにされて、たぶんもうダメだと思うんだけど、女の子の悲痛な声を耳にしながら助けようとしたってのに、すぐに追ってきた都築はそれを許してくれなかった。

「バカか!あの男も女も、もうダメだ。ここは危険だから逃げるぞッ」

「でも!」

 でもでもだってで言い訳して腕を振り払おうとした矢先に、両目が異常なほど充血している白衣の学生が俺に襲い掛かってきた!…んだけど、都築が殴るようにして押し遣ってから、俺の腕を掴んで走り出していた。
 その時にはもう、阿鼻叫喚になっていて辺りは騒然としていたし、俺を襲えずに口許を赤く染めたソイツは逃げる俺なんかすぐに諦めて、その場でオシッコ漏らしちゃってんじゃないのってぐらい大股開きで蹲ってガタガタ震えている、逃げ出しそびれた男子大生に襲い掛かっている姿が、そこで俺が目にした最後の光景だった。
 
 俺と同じように女の子を助けようとして白衣に齧られた学生たちも這う這うの体で逃げ出していたけど、そのうちの何人かと方向が一緒になった。でも、ヘンに息が荒くて、暑そうに額から流れる汗を拭っているのをどうしたんだとか不審に思って見ていたら、不意に都築のヤツが俺を引っ張るようにしてその集団から離脱したんだ。

「アイツら様子がおかしい。別行動しようぜ」

「ああ、判った」

「…なんだ、今度は素直なのか?」

「悪いかよ?!…ってそうじゃないな、ごめん都築。俺、どうかしてた。ヘンな正義感を出してたんだと思う」

 しょぼんと項垂れた俺を物珍しそうにマジマジと凝視しつつ、都築は顎に滴る汗を片手で拭いながら肩を竦めやがる。

「…正義感は時には必要かもしれないけれど、だいたい、正義感を出したヤツの半数以上は物語の序盤で死ぬんだぜ」

「なんだよ、それ」

「ハハ……ッ!お前が好きな映画がそんな感じだろ?」

 俺、結構サバイバル系の映画とかドラマが好きで、古い映画もよく観てるんだけど、大きいテレビをモン狩りに占拠されてるからさ、都築のヤツは俺に小さいブルーレイも観られるとかって万能か!なポータブルデッキ?を寄越しやがったんだよ。あくまでモン狩りはやめないんだよな。それで仕方なくモン狩り中のだらしないスウェット姿の都築に凭れて映画を観ていたってのに、ゲームしながらこっちの内容も観てたのか。

「なんだか、映画みたいだ…何が起こったんだろう」

 非現実的な出来事に頭はついていけてないから、都築に腕を引かれたままでトボトボと歩きながらポツリと言った俺に、都築は額で玉を結ぶ汗を片方の腕で拭いながら首を傾げたみたいだ。

「さあな?研究棟の連中がヤバイ実験をしていて、爆発でそれが漏れたか飛び散ったかして、連中があのザマになったって感じじゃねーのか?」

「ヤバイって…大学生の研究でそんなヤバイことってするのかな」

「知らねーよ。そう考えるほうが普通だって思っただけだ」

「人間が人間を食べるとか…映画ならいいけど、ちょっと…」

「今は何も考えるな。兎も角、救援が来るまで隠れておける場所を探そう」

 じっとりと汗ばんでいる都築の掌をギュッと握り締めて、俺は頷いたけど、でも気懸りなことがあったから都築に聞いてみる。いや、都築にだって判らないだろうけど、何より喋っていないと胸を締め付ける動悸だとか震えとかで叫びだしそうになるんだ。

「電波障害だっけ?それで外と連絡が取れないって鈴木が言ってただろ。そんな状態で助けなんか来るかな…」

「他の連中はどうだか知らないが、オレの生体反応をTASSの本部が管理しているから、異常を察してアイツらが駆けつけてくるだろ。そもそも、その道のプロもいるからな、向う見ずに入り込んで無謀なコトはしないさ。せいぜい、様子を見つつ慎重に行動するだろうから、ヤツらが来るのをオレたちは待っていればいい」

「……」

「心配するなよ。興梠も構内にいるんだ、何らかの方法で連絡を取ってるさ…っと、よしここに入ろう」

 無言になって俯いた俺を珍しく気遣うように軽く笑った都築は、それから遠くでワーワー騒ぐ声に耳を欹てながら様子を窺うと、建物の陰にひっそりと佇む物置のようなんだけど、意外とガッシリしてそうな重厚な鉄の扉が開くか試して、それから中の様子を探って誰もいないことを確認してから俺を先に入れて再度周囲を見渡すと、それから漸く扉を閉めてガチャリ…と重い音を響かせて鍵を掛けた。
 すぐにパチッと音がしたのは、都築が扉の横に据え付けられていたスイッチを押して電灯を点けてくれたからだ。

「ここなら大人数で押し掛けられても暫くは持ち堪えるだろ。オレたちは映画みたいな派手な武器は持ってねぇしな……どうしたんだ?」

 やれやれと息を吐いていた都築が黙り込んでいる俺にどこか悪いのか?と仏頂面でブツブツ言って、俯き加減の俺の額に掌を当てた。
 汗ばんでて熱い掌を。

「なあ、都築…お前さ、本当は調子が悪いんじゃないのか?」

「……」

「さっき、白衣に齧られた連中みたいに汗が凄いし息も荒い。それに、生体反応を管理してるTASSのひとたちが来るってことは、お前、本当は凄く調子が悪いんだろ?なあ、そうなんだろ?!」

「…バカだな、お前はやっぱりバカだ。走ったんだから汗も掻けば息もあがるだろ。何言ってんだ」

「本当だな?本当になんともないんだな??!」

「なんだよ、篠原はそんなにオレのことが心配なのか?やっぱお前の恋人であり旦那だから仕方ないか…」

 都築のヤツはまるで茶化したようにニヤニヤ笑いながら俺を促して壁際に座ると、そんなバカなことを言いやがる。

「そうだよ!そうだ、お前は俺の恋人なんだから、心配で心配で仕方ないよ!!だったらなんだって言うんだよッッ」

「……」

 驚くことに都築は、なんだかきょとんとしたように、自分が何を言われたのかいまいち理解できていないような表情をして、それから安定の仏頂面に戻ると、何故かその頬を赤く染めたりした。
 何時もだったら意味もなく気持ち悪いって思うその表情も、今は何となくホッとできるから不思議なんだけど。

「なあ、本当にどこも痛くないのか?苦しくないのか??調子が悪いんじゃ…って、なんだよコレ」

 不意に触れた都築の腕の部分、無残に引き裂いたような痕があるそこは、それでも黒い服だったから気付かなかったけど、じっとりと湿っていて、触った掌を見たら真っ赤だった。

「…アイツを振り払った時にどうも噛まれたみたいでさ。これ以上、調子が悪くなるようだったら、篠原をここに置いて出ていくつもりだった」

 額にびっしり汗を浮かべて色素の薄い前髪を貼り付かせたまま、何処か切なげに、やっぱり髪と同じように色素の薄い琥珀の双眸を細めて都築は諦めたようにはにかんだ。
 見たこともないそんな優し気な表情に、俺は意を決して上着を脱がせると袖を捲って傷口を確認しようとした、しようとして絶句して呆然と、都築の逞しい腕に晒された無残に引き千切られている傷痕を見つめた。

「ハ…ハハハ、バカ言うなよ。何言ってんだよ!こんなの何かの病気に決まってる。アイツらヘンな研究とかしてて病原菌が飛び散っただけで、国の偉い学者たちがすぐに良くしてくれるに決まってる!だからさ、そんな俺を置いて行くとか言うなよ。一緒に救出されてさ、新聞に一緒に載ろうぜ。映画みたいに華やかじゃないけど、俺たち、あの時凄かったんだぜって……みんなで笑って…話すんだ………っ」

「……篠原」

 もう、たぶん都築は随分と苦しかったんだと思う。
 重苦しい呼気を吐きながら、それでもうんうんって俺の話を聞きながら嬉しそうに笑ったりしてる。
 俺の頬をポロポロ散ってる雫に気付いているクセに、震える指先を片手でギュッと掴んで落ち着かせてから、都築のヤツはらしくもなく俺をニッコリ笑って見上げると指先で拭ったりするんだよ。
 着ていたシャツの裾を渾身の力で引き千切って、包帯代わりに都築の腕に巻きつけながら、何時もは都築の専売特許だけど、ブツブツ言う俺を面白そうに見てやがるからさぁ、本当は泣き言とか言いたくない。

「はは…篠原がオレの心配をして手当てしてくれてる」

 俯きながら唇を尖らせている俺を物珍しそうな、嬉しそうな表情をして覗き込むと、齧られていないほうの腕を伸ばして色気もクソもない髪に遊ぶように触れてくる。
 そんな仕草、お願いだからやめてくれ!
 俺はふと、都築に断って中身を覗いたスマホの、あの雨の日の動画を思い出していた。
 眠っている俺を大事そうに抱えて、雨だれが幾つも滑り落ちていた窓から見える灰色の空を、何がそんなに嬉しいのか楽しいのか…判らない幸せそうな表情を見せていたあの動画。
 同じようなツラして笑ってんじゃねぇ。

「はあ?そんなの当たり前だろ。俺、お前の恋人で婚約者だからな」

 ふと、尋常じゃない熱さから発熱が疑われる都築の額には、貼り付いた色素の薄い前髪の隙間、肌色部分にはびっしりと汗の粒が浮かんでいるけど、苦しそうに喘ぐ息遣いの下で、なんだか珍しい表情を浮かべたんだ。
 てっきり、不機嫌じゃないクセに不機嫌そうなデフォの仏頂面をして、やっぱりそうだろって何時もみたいに斜め上の解釈で喜ぶんだと思ったのに、都築はやけに静かな表情で俺をジッと、視姦じゃないかって疑いたくなるのはそのまんまだけどさ、俺の顔を見つめてきやがるんだよ。
 だからやめろ、照れ臭さでも顔が赤くなるだろ…って俺は思って、それから唐突に気付いちまった。
 都築のその視線の意味に。

「都築さ、お前バカだろ?あのキーホルダーの意味は死んでも離さないんじゃなかったのか?つーか俺、離れる気とかないから!病気なんか偉い学者がチャチャッと治してくれるんだよ。何、イケメンがカッコつけてんだ」

 綺麗に洗い流してやれる水もないし、千切れた肉が覗く腕の有様は酷いモノだったからマジマジと見る勇気もなくて、ないよりはマシな俺の服の切れ端でギュッと傷口を縛ってやりながら、俺は都築を見習ってブツブツ言ってやるんだ。
 都築が俺を見つめる琥珀のような双眸に浮かんでいるのは、『この目に焼き付けておこう』としている努力だ。
 今が幸せだから、だから覚えておこうとしている切ないほど一途な双眸…

「絶対にここから脱出してやるんだからな!」

 纏わりつく嫌な予感を払拭したくて大声で宣言したちょうどその時、不意に鉄製の扉がバァンッと大きな音を立てた!
 ビクッとして思わず都築の頭を抱えてギュッと抱き付きながら扉のほうを窺うと、どうやら白衣に齧られた連中の何人かが意味不明なことを喚き散らしながら扉を叩いているみたいだ。
 都築はもう反応する体力もないのか、だらんと腕を垂らして壁に凭れ掛かったまま、ハアハア言いながら億劫そうに視線だけ扉に向けている。
 抱き付いている俺を抱き締め返す気力も、もうないんだろう。
 俺がこんな風に抱きつくと、何時だってなんだかよく判らない、あの嬉しそうな仏頂面で力いっぱいぎゅうぎゅう抱き締め返していたクセに。

「…話し声を聞きつけてるのかな?ちょっと小声で話そうか」

 極力声を絞って都築の熱い身体を抱き締めつつギュッと目を閉じていると、バンバン叩いていた音が止んで、齧られた集団が何か喚きながら何処かに行ってくれたようで気配がなくなってホッとした。
 ホッとして、都築もあんな風になるんだろうかと不安になった。不安になったけど、俺が諦めたら絶対に終わる、そんな映画を観たことがあるから、バッドエンドは絶対に冗談じゃないんだ。
 額の汗を袖で拭ってやってたら、都築は少し呼吸が落ち着いたようで、それからウトウトし始めたみたいだった。
 色んなことがあって神経はビリビリに逆立ってるんだけど、著しく体力が消耗している都築の若干穏やかな呼吸を聞いていたら、俺もちょっと落ち着くことができた。
 正直な話、これからどうしようか。
 俺の肩に頭を預けて、それでも息苦しそうに眉根を寄せて眠る都築に頬を寄せながら、俺は同じように両足を投げ出して冷たい壁に背中を凭れかけた状態でぼんやりと鉄製の扉を眺めながら考えてみた。
 映画とか海外ドラマみたいに都築が変態…いやまあ、都築は変態で気持ち悪いんだけど、そうじゃない変態…って俺何言ってんだ。
 今じゃない状態になってしまったとしたらどうなるんだろう。
 考えないように、考えたくないから敢えて考えないフリをしてたけど、コイツは将来が期待されている大御曹司なんだぞ。それなのに、俺なんかを助けて腕を齧られて、俺なんかの言葉を真に受けて必死に今や風前の灯の命を生き永らえようとしてるんだぜ?ホント、バカなヤツだよ。

「なあ、都築…もしさ、お前があの白衣の連中みたいな病気になったら、俺、どうしたらいい?ここにお前を閉じ込めて、俺だけで助けを呼びに行ったらいいかな。それとも、誰か助けが来るまで、お前とここに居るべきかな…」

 息も絶え絶えのように辛そうな都築にそんな事を聞いたって、安らかじゃない眠りに苦しそうなのに答えてくれる筈もない。
 そんなの当たり前だ、何言ってんだ篠原光太郎!俺が確りしないでどうするんだ!

「………篠原?」

 ふと、浅い眠りから微睡むように目が覚めたのか、都築が虚ろな目で俺の名を呼んで、それから心配そうに辺りを見回しているみたいだ。
 その姿が心許ないし、何よりちょっとゾッとした。
 まさか、まさか目が見えてないとかそんな…

「俺ならここに居るぞ!大丈夫だ都築、ずっと一緒に居るって言っただろ?心配せずに眠ってろよ。お前はちゃんと俺が守ってやるんだから」

 仏頂面で何時もブツブツ言っている都築が、唯一嬉しそうにする時があって、それは俺が浮かれて陽気だったり、美味しいプリンが嬉しかったり、解けなかった問題が判った時とか、都築の背中とか肩に凭れて見上げながらニッコリ笑い掛ける時なんだ。
 俺、都築のことなんて好きでもなんでもないんだけどでも、だから俺は、心配そうな表情をする苦しそうな都築を安心させてやりたくて、その頭をぎゅうっと抱きしめながら、極上だってブツブツ言っていた満面の笑みを浮かべてやった。
 都築はそんな俺の顔を暫くぼんやりと見上げていたけど、安心したのか嬉しそうにフッと微笑んで、それからまた琥珀のような綺麗な瞳を瞼の裏に隠してしまった。
 これで決まった。
 俺が何をするべきなのか、どうしたら良いのか……もういい、都築と一緒に居よう。コイツが何かになるのなら、一緒にソレになってやろう。
 せめて最期ぐらいは、誰か傍に居てやらないと、だったら、その傍に居るべきなのは俺であるはずだ。
 俺のこと、好きでもなければタイプでもないとか言いやがるくせに、一瞬だって離れたがらない、棺桶にまで一緒に入って、死出の旅路さえ一緒に行って、できれば来世でも一緒に居たいなんて巫山戯たこと言う都築なんだぜ?
 よく判らない相手からバカみたいに俺を庇って、こんなバカみたいな形で人生が終わるとか…都築の十数年をずっと独り占めしていた俺こそ、なあ都築、一緒に居るべきだよな?
 気付いたら視界が霞んでいて、頬に滴が伝う感触で、自分がボロボロ泣いていることに驚いた。
 決意した気持ちは力強いし、覚悟もできた。でも、でもさ、こんな馬鹿げたことで死の淵にある都築の一生が余りに切なくて、せめて最期に何かコイツが喜ぶようなことができたら良かったのに。
 そう思いながら、それでも俺は覚悟を決めて、瞼を閉じた。

 どれくらい寝ていたのか、ハッと気付いた時には腕の中に都築が居なくて、俺は動揺して辺りの様子を探るようにして見回しながら立ち上がろうとした。立ち上がろうとして、もう少しで腰が抜けるところだった。
 俺の目の前にぼんやりと突っ立っていたのは確かに都築で、見間違うワケがなかった。
 ただ、その目が……俺が本当はコッソリと気に入っていた、あの琥珀色の瞳が、今は白く濁ったようになっていて、白目は充血して真っ赤だった。
 こう言うの、映画で観たことがある。
 どんよりと白く濁った瞳は、もう死んでいる証拠だ。
 皮肉なこととか嫌味とか、偶にワケの判らないことをブツブツ言ったり、俺を嫁だと恥も外聞もなく誰にでも言うその形の整っている綺麗な唇の端からは、粘る唾液が糸を引いて垂れている。
 都築の筈だ、都築だった筈のソイツは、これ以上は下がれないほど壁に張り付いている俺をぼんやりと見下ろしている。
 脳裏に白衣に喰われている男子大生の姿がフラッシュバックしたけど、一瞬だけ、後悔もしたけど、でも自分自身で決めたことだから俺は気付いたらへへっと笑っていた。
 それから両腕を伸ばして都築を見上げた。

「目が覚めたんだな。なあ、大丈夫か?抱っこしなくていいのか?」

「……篠原?」

「! そう、俺だよ!判るのか??」

 双眸も雰囲気も人間ならざる者になっていると言うのに、小首を傾げている都築は呆けたようにコクリと頷いた。

「だ、大丈夫やけな!俺が助けてやるけ、一緒にここから出ような!都築を助けるち決めちょるけ、お前が大丈夫なら俺は…」

「なぁ、篠原……オレとセックスしてくれないか」

 意識があるんだって嬉しくなって思わず方言で喋っていた俺に、ゆらりと動いた都築が覆い被さるようにして抱きついてきた。

「はぁ?こ、こげな時になん言いよんのお前…」

「ちゃんとゴムも付けるから」

 自分の体液が悪さをしないようにって、変なところで気遣いを見せるのとか反則だからな。
 こんな状況じゃなかったら、映画とかだったら笑うシーンなんだからな!

「だから!こんな非常時にお前はッッ」

「だからだよ」

「…ッ!」

 不意に、何時にない真摯な声音で確りと、そして淡々とした静けさで都築は言ったんだ。
 何時もみたいなブツブツと仏頂面とかでもなくて、真っ赤に充血した白目のなか、もうこの世ではない何処かを見ているような頼りない、瞳孔も開いて白濁に濁ってしまった双眸を虚ろに揺らめかせながら、多分きっと、最後の未練が都築をこの世に引き留めてるんじゃないかって思った。

「…多分、オレはもうダメだと思う。いいんだ、それならそれで。ただ、心残りがあるとすれば、それはお前だよ篠原」

「そんなこと言うな」

「外で喚きまくっているあんな姿になるのはちょっとヤだけどさ、その姿でお前を喰うなんてのはもっと嫌だ。だから、お前は気にせずにここから出てなんとしてでも生き延びて欲しい」

 息苦しそうに肩を揺らしている都築は気付いているのか、いや、ちゃんと自分の状態は把握しているんだろう。している上で、できる限り俺に自らの意志を伝えようとしているんだ。

「何言ってるんだよ、アレは研究棟のヤツ等がなんかやらかしただけだ!だったら、国とかもっと偉い機関が動けば絶対に何とかなる!だから諦めるとか…」

「その前にお前を痛い目になんか遭わせたくねーよ。それに、そう思うんだったら、気安く置いていけるだろ?」

「嫌だ!嫌っち言いようやろうが!一緒にいる」

 覆い被さる都築に伸ばした両腕で、聞き分けのない駄々を捏ねる子供のようにその首に縋り付いて喚いた。

「なぁ…1回でいいんだ。お前の処女をオレに」

 抱きつく俺の背中に両腕を回して、都築はぎゅうっと抱き締めてきた。
 これが最期なんだと想いを込めるように。

「いいよ、そんなの幾らでもくれてやる!但し、一緒にここを出てからだ」

「オレは…あんな化け物みたいになってお前に噛み付きたくない!……ああ、もしかしたらオレはもうバケモノになってるのか?だから、こんな姿だと…そうだな、誰だってこんな不気味なヤツとなんか犯りたくねぇよな。そうだな…」

「…こんバカタレが!判った。でも、最期とか言うな。俺をずっと、その、だ、抱きたいんなら、助かることを考えろよ」

 何処か諦めたように俺から腕を離そうとする都築に自分から抱きついて、それから異形の相貌に成り果てていてもイケメンなところが非常にムカつくけど、その濁った目を見つめながら顔を真っ赤にして言うと、都築はちょっと呆気に取られたような顔をしてから、ふふっと笑ったようだった。

「……お前らしいなぁ」

「じゃないと、俺…お前がどうかなったら、他のヤツと犯るからな!」

「それはダメだ!絶対に嫌だ、お前はオレと…」

 ハッとしたように都築は緩めていた腕に力を込めて俺を抱きしめる。
 それがお前の本音なんだよね。
 俺のこと好きでもタイプでもないくせに、俺を誰かに渡すことなんて頭にもないんだ。
 思わずプッと噴き出してしまった。
 そんなお前だから、俺は……。

「そうだよ、だから」

 咄嗟に都築は避けたけど、それでも俺は、胸許をぐっと掴んで引き寄せて、粘る唾液が滴る唇にキスをした。

「篠原……」

 都築は驚いたようだったけど、額に汗を浮かべたまま、奇妙な見たこともない双眸を細めて、嬉しそうに笑っているみたいだ。
 それから治療のために…って言うかただ傷口を縛っただけなんだけど、その時に脱がしていた上着の上に俺を横たえながら、都築は発熱で熱くなっている指先を破れ被れのシャツの裾から忍ばせてきた。

「ん」

 ヘンな声が出て恥ずかしいやら居た堪れないやらだったけど、それでも俺は頑なに我慢した。だって、もう覚悟は決めたんだ。
 キスだってした、だったら、もう行き着くところまで行ければそれでいい。
 俺の乳首を指先で捏ねるようにして揉みながら、時折弾いたりするから身体がピクンピクンしてヘンな声が立て続けに口から溢れちまう。
 ギュッと唇を噛もうとしたら、覆い被さるようにして口唇が塞がれると、ねっとりとした舌が俺の舌を捕まえて絡めあって、それから軽く噛まれて吸われる。
 それだけでもう息も絶え絶えなのに、都築はキスをしたまま自分の口の端を拭って、それから何時の間にかベルトを引き抜いてジッパーを下ろしたズボンの中、おっきしているチンコじゃなくてその奥、そうだよ尻の穴に指を這わせてきたんだよ。

「んんッ……ふ、ん…」

 ヌルヌルと、あの滑る唾液を塗りこむようにして襞に擦り付けながら、ゆっくりと挿入してくる。
 驚くほどスムーズに指が入ったのは、もう何度となく夜のエロ学習とか、一緒に眠っている時に弄り倒された時の成果だと思うよ、畜生。
 慣らさないとな、と嬉々として言った通り、都築はその晩からウトウトしている俺を襲っては、ローションと言う強力な武器を片手に尻の穴に指を突っ込んではぐちゅぐちゅと卑猥な音を立てて弄んだ。
 今、同じことをされているのに、あの時のウザった感とか気持ち悪さが湧いてこないのは、多分きっと、俺がソレを受け入れているからなんだろう。

「!」

 夢中になって互いの口腔を貪っていた都築は、ハッとしたように目を瞠って、瞼を閉じたまま悪戯が成功して緩く笑う俺を見下ろしたようだった。
 だって、ヤラれっぱなしとか普通に巫山戯んなって思うよね。
 だから、ジッパーを下ろして挿入する準備をしてる都築のフルおっきしてるチンコに指を滑らせて、それからやわやわと握り込んで扱いてやったんだ。

「ふ…ッ」

 堪らないように吐息する都築が唇を離して、俺の悪戯な手指を掴もうとするのを嫌がって、俺は逃げる唇を追いかけてまたぶちゅってキスをしてやった。
 とは言っても所詮俺の経験不足なキスなんだから、都築みたいなエロいキスはできない。
 言葉通りのぶちゅってキスに、都築はちょっと笑ったみたいだけど、俺に扱かれてチンコがビクビクしてるから気持ちがいいんだろう、眉根を寄せて何か耐えているみたいだ。
 尻穴への弄虐を再開されたから思わずヒンヒン言ってしまうけども、先走りでびちょびちょになりながらも手は緩めずに俺も都築を追い詰めてやる。
 こんな非常事態で都築なんか本当の意味で目の色だって変わってんのにさ、お互いの弱いところを弄りながら、伸ばした舌を絡めてエロいキスをして喉を鳴らして唾液を飲む。
 こんな時だからこそ生存本能で身体がヤル気になりまくってんのか、びちょびちょでガッチガチで血管を浮かべてゴリッゴリの都築のチンコのカリをグニグニしたり鈴口を穿ったりして追い立てると、随分前に見つけられてしまった前立腺とかって言うシコリみたいな部分を引っ掻くようにして弄ばれて叛逆に遭う。
 でもお互い声はエロいキスで封じられてるから、ぐちゅぬちゅと厭らしい音が響くだけで耳まで犯されるんだ。
 ぐ…ぅと都築がキスの合間の口許から声を漏らして俺の手に擦りつけるように腰を振りながら、俺のチンコに熱い精液を浴びせかけると、同時に俺が尻を弄られるだけで触られもしていないのに爆発してボロボロに破れてるシャツと腹が2人分の白濁に塗れた。
 はぁはぁと荒い息を吐きながらべったりと汗で貼り付いている前髪を掻き揚げつつ腹に飛び散った白濁を撫でさするようにして、それからぬっとりと指を引き抜かれてヒクつく尻を都築に向けると、もじもじと足を擦り合わせて恥ずかしくて仕方ないんだけどチラッと、ゴクリと咽喉を鳴らす都築を見上げた。
 都築は顳顬から滴る汗を顎から零して、たった今達ったばかりのチンコを扱きながら、ペロリと上唇を舐めて、既にこの世ならざる者のような双眸でじっくりと視姦するように俺の痴態を凝視し、目許に凄絶な色香を惜しみなく撒き散らして、1回出してるってのにまだバキバキの存在感たっぷりで既に臨戦態勢のチンコを扱いて見せつけてくる。
 今日こそは犯られるんだ…痛いだろうし怖い。
 だけど、顎に汗を滴らせる都築の人ならざるくせに悩ましげな双眸と目線を交えていたら、怖いよりもそれを上回る何かが胸を去来するから…そろそろと股を開いてから恥ずかしくて真っ赤になる。
 一瞬目を瞠った都築はゴクリと咽喉を鳴らして眉根を寄せて何かに耐えると、軽く息を吐いてから開いた俺の膝をガシッと両手で掴んで、グッと押し開いた先に腰を進めて先端を尻にぐにゅぐにゅと擦り付けてきた。
 怖い怖い…でも、これが都築の願いなら俺は…

「挿れるぞ」

 都築の絶対的な宣言に、観念して瞼を閉じた瞬間───…

□ ■ □ ■ □

『ぴんぽんぱんぽーん♪』

 底抜けに呑気な音が響いて、挿入のショックに堪えようと閉じていた瞼が引き攣るようにして開いた。
 同時に、何故か都築の舌打ちが聞こえる。
 なんでだ?!

『ただ今の時間をもちまして、経済学部の催し物【ソンビランドパニック】が終了しました。お楽しみ頂けましたでしょうか?それでは、爆破後の研究棟・トラック・白衣集団・自衛隊の皆様(偽)・ゾンビ化している皆さんなどは後半のアトラクションとしてお楽しみください。なお、動画や写真の撮影、SNSへの投稿などに関しては【ゾンビランドパニック】に登場した人物と建物に限り許可されています』

 相変わらずの淡々とした鈴木の声に、一瞬我が耳を疑った俺は、呆然としているところを無理に挿入しようとした都築の腹を蹴飛ばした。

「…………は?」

 ムクリと、何がなんだか判らないまま起き上がる俺。

「…」

 腹を蹴飛ばされてもビクともしないくせにわざと倒れるフリをして唐突に無口になる都築。

「………ゾンビランドパニック?」

 精液塗れのボロボロのシャツと脱げかけのズボンとパンツ姿で呆然とへたり込んだまま言葉が零れ落ちた。
 何言ってんだ、鈴木。
 今、大学内は大変なことになっているんだよ?何、映画のタイトルみたいなこと言ってくれちゃってるワケ??

「……」

 追いつかない頭には鈴木の最後の言葉が燦然と響き渡っている。
 人間て言うのはさ、極度の驚きの衝撃に最初は呆気にとられるんだけど、次にワケが判らない感情がこうドバーッと溢れてきて身体がぶるぶる震え出して、脳みそがその時になって漸く現状を理解しようと動き出すモンなんだなぁ。
 ってか待て、アトラクションってなんだ?!

「……アトラクションって、ええ?えええ?えええええええええぇぇぇ??!!!」

 今の俺みたいにな。

「……………すまん」

 倒れるフリをしていても仕方ないと思ったのか、頭をガシガシと掻きながら何時もの仏頂面で都築の野郎は何でもなさそうに起き上がりやがる。

「すまんじゃねぇだろ、何言ってんだお前。つーか、なんで普通に起き上がってるんだよ。さっきまでの苦しみはどうしたよ?!」

 どさくさに紛れて抱きつこうとするな!脱げかけていたのを穿き直そうとしているズボンを下ろそうとするな、尻を揉むなッッ!

「くそッ、アイツもう少し時間を稼げなかったのか!もうちょっとで篠原の処女を…」

 邪険に振り払われながらも屈しずに抱きつきながらブツブツと悔しそうに吐き捨てやがるんだぜ、コイツ。

「お前ぇぇ…さてはぜんっぜん反省してねぇな?!」

「いや、黙っていたことは悪かった反省している」

「違うだろ?騙してたことだろ…ってじゃあ、さっきのハアハアとかその目の色がおかしいのとか、全部偽物なのか?齧られた傷も本当に全部嘘だったのか??」

 都築は俺の表情で全部嘘でしたと言ったらとんでもないことが起こるんじゃないかとか考えているのか、よくできている真っ赤に充血した白目のなか白く濁った(ように見える)瞳をキョロキョロ動かして、動揺したような仏頂面で珍しく視線を外しやがるから、だから…

「全部嘘なんだな?!お前、何処も痛くないし苦しくもないんだよな??!」

「…ああ、全部アトラクションの一環だ」

 都築は観念したようにブツブツ言って、そうするともう隠すこともないと開き直って通常運転で俺を凝視してくるよね。
 何時もだったら凝視されて軽くクリティカルを貰うところだけど、今日の俺はちょっと違うんだ。

「なんだ…そっか、そうか。よかった…俺さ、ホントはもうお前がダメなんじゃないかって、だったらもう、ここで一緒に居てやろうって思ってたんだ…でも、よかった、本当に何もなくてよかった」

「篠原!オレは…ッ」

 ホッとして潤んだ目で都築の顔を見上げたら、感極まったように都築は両手で俺の頬を包み込もうとしたようだったけどそうはいくかよ。

「だからって許すとかは思うなよ…クソ野郎。どれだけ俺が心配したと思ってるんだ?!ってか、なんだよ『ゾンビランドパニック』って??!」

 邪険に手を振り払って思い切り都築の顔をバッチンと叩いて強引に押すようにしてキスしようとする顔を引き剥がすと、そうしながら俺はプッと頬を膨らませて怒ってるんだぞと態度で示した…ってのに都築のヤツは、「クソ!また可愛い顔しやがって」とかなんとかまたしてもぐぬぬぬって感じでよく判らないことをブツブツ言いやがる。
 とは言え、俺の掌を顔に貼り付けたままで、真っ赤に充血した白目のなか、俺を不安にさせる白く濁った瞳でジックリと視姦さながらに凝視しつつポツポツと事の次第を話し始めた。
 勿論、冷たいコンクリの上に正座でな。

「それはその…篠原はパニック映画が好きでよく観ていただろ?だったら、今度の学祭の催し物で大学ジャックして映画の世界にしたらどうかって考えたんだ。知っているのはごく一部の生徒と学長と副学長だけで、タイトルはアレなんだが、突発的に大学内にゾンビではない何かが蠢いたらどうする?的なだな、その…」

 何言ってんだコイツ。

「………」

 ちょっと絶句して、都築の頭の中身もちょっとよく判らないし、考えるだけでもそのスケール感に口が開かなかったけど、それを実現するとか……まあでも、コイツのことだからお小遣い使おうかぐらいの感覚で思い付いたんだろう。

「幾らぐらいかかったんだよ?」

 都築の顔から掌を剥がすと、予想に反してちょっと残念そうな顔をしやがるから眉も寄るけど、下世話上等で聞いてやる。

「そんな大した額じゃない。できるだけ傷口や見た目をリアルにしたいのと、建物やちょっとした細工なんかも本格的にしたいってこともあってさ。あとシナリオにも信憑性を持たせたかったからハリウッドで活躍しているシナリオライターと特殊メイクアップアーティストとエンジニアを呼んだぐらいだ。あとはトラックとかエキストラだとかそれぐらいだからさ」

 そんなにお金は使ってない…って目線を逸らすのは失敗してるだろ。
 つまりお前は、怒られる金額だと判っていて計画を立てたってワケだな。
 何を考えてるんだ、コイツは。

「…大掛かりにもほどがあるだろ?こんな建物のなかでずっと話してるだけだったのに」

「いや、それはオレの誤算だ」

「…は?誤算??」

「そうだ。本当は白衣の属をあの場で殴るんじゃなくてお前を連れて走り出すって計画で…」

「え?ちょっと待って?!アレ、属さんだったのか??」

 ちょっと痩せぎすっぽくて青白い顔して虚ろな目付きで…ってうわー、全然気づかなかった!つーかメイクアップもすげーけど迫真の演技の属さんもすげぇ!

「そうだ。予定が狂ってビビっていたみたいだが巧い具合に立ち回ってくれた。あそこで白衣役の属を振り払って、エキストラの噛まれ役たちと行動を共にする。その経緯で大講堂に逃げ込む手筈だったんだよ。そこで噛まれ役たちが発症して、オレと篠原で大講堂から逃げ出す、そうするとトラックが乗り込んできて自衛隊(偽物)がオレたちを誘導…と見せかけて、実は別で助けた噛まれ役に噛まれてたって体で発症して凶暴化してオレたちを襲ってくる。そこでオレは篠原を庇って噛まれて、この建物に逃げ込んで篠原の処女を奪う計画だった」

「すっげ!本当の映画みたいじゃないか、ショートカットされてもまるきり信じたし、そこまでされたら俺種明かしされてもすぐには信じられなかったと思うよ。うわー、ショートカットとか勿体無いなぁ…ああ、そうそう。最後の気持ち悪い内容は聞こえないからさ」

「なんでだよ?!」

 精液塗れの俺のこのボロボロの姿を見てみろ!まんまと騙されたんだぞ、畜生。

「勝手にこんなところで他人の貞操を云々してんじゃねぇよ!…どうして、あそこで属さんだった白衣に噛まれたんだ?…て言うか噛まれたところを見てなかったんだけど」

 「せっかくドラマチックな展開を考えたのに」「もう少しでオレのモノだった」「次に向けての宿題だな…」とかとかとか!最後また何か考えてるみたいなよく判らないことをブツブツ言っている都築に呆れ果てて聞いたら、真っ赤に充血している白目の中で、白く濁っている瞳でチラッと俺を見下ろしてから、都築のヤツは形のいい唇を尖らせて、やっぱり仏頂面でブツブツ言いやがる。
 どんな姿になっても超イケメンは超イケメンってのはホント、やっぱムカつくよな。

「……お前が襲われたのを見たら頭に血が上った」

「は?」

「属の野郎、ここぞとばかりに触りやがるし、お前が青褪めてるのを見たら頭に血が上っちまってさ。気付いたら殴ってた」

 まあ、勿論本気じゃなかったけどと、武闘家の本気は確かに見たくなかったので良かったんだけど、それにしてもあんなことぐらいで頭に血が上るなんてちょっと単純がすぎやしないか、都築よ。

「だから噛まれる設定はそこにはなくて、勢いでお前に信じ込ませるしかないからシナリオがガラッと変わったのはもう仕方なかったし、あとはアドリブでなんとか…って思ってたんだが、思ったより感情移入しちまって、最後は本気で死ぬ気になってたなオレは」

「俺だって道連れの気分だったよ、畜生!アレが全部演技だったとか、未だに信じられないからな!…でもまあ、いいや。そこそこ面白かったし、今回は大負けに負けて許してやるよ」

「そうか…あ、この腕の傷は仕込みだ。押すと流血する仕組みになっている。特殊メイクだ」

 やれやれと溜め息を吐いてガックリ項垂れていると、少しは申し訳ないと思ったのか、都築は腕に巻いているシャツの切れ端を丁寧に取ってポケットに仕舞ってから、噛まれたようにグチャグチャになっている腕を見せて種明かしをしてくれた。
 グッと押したら残っていた血液のようなモノが少しだけピュッと噴き出した。

「うわ!ホントだ、すげぇな」

 偽物だとは判ってても異常にリアルだから恐る恐る、こわごわ指先で突ついてみると、やっぱり少しだけピュッと血液みたいなものが噴き出てスゲーって感動していたら…

「ッ」

「え?!ホントはやっぱ痛いんだろう?!大丈夫か!」

 痛むのか眉根を寄せて顔を歪める都築に吃驚して、それから俺は慌てて傷付いている腕を摩りながらその顔を覗き込んだ。覗き込んで…んん?!

「はは、冗談だ」

「ざっけんなよ!こんバカタレがッ…ってことは、あの熱も嘘なのか?どうやって…」

 グーで殴る俺に軽く笑って両手を挙げると「悪い」と(何故か)嬉しそうに謝った都築は、俺の疑問に「ああ」と額の汗を服の袖で拭いながら頷いて教えてくれた。

「これは単純にホッカイロだ。服の下に厚手の布を巻いててさ、その上にカイロを幾つも付けているんだ」

「そりゃ汗も出るよな…なんだよ、お前のその涙ぐましい努力は」

「熱とかあった方がリアルだろ?目の特殊メイクも必要だったから、少し睡眠系の薬を噴霧してお前を眠らせてから…」

「ちょっと待て!俺、あの時強制的に眠らされたのか?!」

「そうだ。普通、人間は極度の緊張に少しの隙…今回の場合はオレの目覚めだけど、それで安心して眠ると思うだろ?映画とかでもお馴染みのシーンだ。だが、本来は極度の緊張に少しの隙は、却って不安を煽って眠気なんか一切こない。眠れるワケがないんだよ。だから強制的に眠って貰った」

 因みにオレは息を止めていた…んだそうだ。
 やっぱ、すげー手が込んでるな。
 まあ、ホラー映画のアレは俺もおかしいなとは思ってたんだけどさ。アドレナリンどばーって出てるのに眠るかなって、脳が自己防衛で強制終了させようとしてるのかとか考えもしたけど、命の危機が迫ってる時に強制終了したら本当に終了するもんな、脳だって眠らせないようにするんじゃないのかな。
 でも、そんなこと言ってたら映画として成り立たなくなるから仕方ないだろう。
 都築の解釈は正しいと思うけど、勝手にクスリを盛るな。
 何度も言うけど、盗聴と盗撮と同意なく体液やクスリを飲ませるのは犯罪なんだからな!そう言っても絶対監視カメラは防犯とか言ってやめねーからなぁ、困ったヤツだ。

「本当はリアルさを追求して、肌にも薄っすら血管を浮かせるとか、いろいろ考えたんだがやめた。肌は触れ合った時にバレる可能性があるからさ。今のメイクは触っても取れないとか技術力が向上しているんだが、少しでもバレる可能性があることは排除したかったから仕方ない」

 目の特殊メイクは確かに凄すぎる。瞳孔とか開いてるようにちゃんと見えるんだからさ。

「……」

 でもお前、尤もそうに言ってるけど俺を犯る気満々だったもんな?
 暑いと言って黒いシャツを脱ぐと、都築が言ったように同色の厚めの布が引き締まった見せ掛けじゃない筋肉を覆っていて、それを引き剥がすと布と布の間に貼り付けられるホッカイロがビッシリと貼られていた。
 こりゃ相当暑かっただろうなと思って、あの汗と尋常じゃない熱さはこれのせいだったのかとようやく納得できた。
 それで俺、この時になって漸く、本当にアレは都築が仕掛けた壮大なドッキリで、都築は何処も噛み付かれていないし、健康だし、あの目も偽物だって信じることができたんだ。
 ……でも、よく考えるとさ。
 今回の件って俺の、まあ外国だと童貞もヴァージンって言うぐらいだから語彙はないんだろうけど、都築の言うのは全く意味が判らないってことは置いといて、俺のその、尻の処女を狙って一計を案じたってワケだろ?
 なんだろうな、この執念…俺のこと、好きでもなければタイプでもないくせに。

「お互い酷い有様だ……あれ?興梠のヤツ、何をやってるんだ」

 俺の格好をジックリと舐め回すように見ていた都築は、何処か断腸の思いみたいな決心をして(意味が判らない)、「酷いけど最高だ」「俺のモノだ」とかブツブツ言いながら正座を崩して立ち上がると…ってほんとコイツは何処ででも正座ができるヤツだよな。俺だったら痺れてよろけるだろうに、ケロッと立ってスマホを耳に当ててるんだからさ。そう言った感覚が極端に鈍いんじゃないか都築って。
 訝しむ俺を無視してスマホで興梠さんを呼び出したみたいだけど、数回のコールでも出ないようで怪訝そうに眉を寄せて首を傾げている。
 それはスゲー珍しいことで、都築に黙って付き纏うことはあっても、姿を見せずに電話にも出ないなんてことは有り得ない。

「あ!アレじゃないか。電波障害で呼び出せないとかって…」

「いや、電波障害も仕込みだから今は解消している」

 なぬ?!電波障害も仕込みだったのか?!!
 いやもうこれはダメだろ。とんでもなくお金を遣っているとしか思えない。

「…都築、あとで総額をちゃんと教えろよ。教えなかったら今後一切家に入れないし触らせない」

「判った、あとでちゃんと教える。属か?お前、まだ白衣集団を演ってるのか」

『それが興梠さんと連絡が取れないんで俺だけ離脱してンすよ。インカムも切れてるみたいで』

 都築がスピーカーにしてくれたおかげで属さんの報告が筒抜けだ。
 インカムって、あの耳に何時もしてるイヤフォンのことかな。だったらそれも切れてるなんて、いったいどうしたんだろう…

「興梠は今回の統括責任者だ。故障ならTASSの連中から連絡があるだろう」

『今回はこんな騒ぎなんで不測の事態も考慮されてるんスよ。折角のイベントに我々が踏み込んでは無粋じゃないッスか。そんなワケで興梠さんが不可抗力で離脱した場合の権限は俺が引き継ぐことになってます。まあ、この騒ぎなんで誰かにぶつかったとかのショックで一時的に不通になってるのかもしれないッスけどね。ところで坊ちゃん、興梠さんを呼ぶってことはうまくいったんスね?!良かったッスねー!今夜はお祝いだ』

 ゲフンゲフンと都築が態とらしく咳なんかするから、俺はコホンと咳払いをして満面の笑みで言ってやった。
 見惚れてくれなくていいんだよ、都築。
 お前の為にやったんじゃねぇ。

「なんのこと言ってるのかサッパリですけど、ドッキリは成功しましたが俺は無事ですよ」

『あ…』

 何かを察したらしい属さんがスンと黙ると、バツが悪そうに都築のヤツはもう一度咳払いをして言ったんだ、偉そうに。

「そのことはどうでもいい。興梠の件はここを出てから考える。責任者代行は了解した。兎も角お前は用意しておいた服を持ってここに来い」

『あー、坊ちゃんの服ですよね?』

「いや、オレと篠原の分だ」

『へ?篠原様無事なのに服は着替えるんッスか??……あ』

 どうやらまた何やら察したような属さんが、申し訳なさそうに『了解でッス!すぐに行きます』とアタフタと通話を切ったみたいだ。
 残念そうな溜め息を吐いてスマホを片手に、都築は腰を抜かしてるワケじゃないけど呆れと張っていた気が一気に緩んで床にへたり込んでいる俺をマジマジと見下ろしてきた。

「なんだよ?」

「いや、その姿のまま持ち帰りたいなと思っただけだ」

 そう言っていきなりカシャカシャと片手のスマホで写真を撮り始める。とは言え俺も慣れちゃってるからさ、別に驚きもしないけど。
 ただ、こんな臭い状態でお持ち帰りされるとかは冗談じゃないけどね。

「服まで用意してるなんてどんだけ用意周到なんだよ」

 俺が呆れていると、いろんなアングルから異形の目をした都築が写真を撮ってるなんてシュールな光景に目眩がしそうなのに「服を破って手当てしてくれるかと思って…」「夢みたいだった」「オレは嫁に愛されてる」とかなんかワケの判らないことをブツブツ言うから反論しようとしたのに、重そうな鉄の扉を意に介した風もないノックが響いてちょっとビビってしまった。トラウマな。

『一葉様、いらっしゃいますか?』

 くぐもったように聞こえる声は間違いなく興梠さんのモノで、連絡が取れない(演出)→突然の来訪…これはもしや第2のドッキリか?!と、騙されないぞと身構えて都築を見ると、撮影の邪魔をされたことに対してもだろうけど、怪訝そうに眉根を寄せて通常運転の仏頂面で首を傾げている。
 あれ?都築も驚いてんのかな…でもコイツ、演技が上手いからなぁ。

「興梠か?鍵は空いてるから入って来い」

 へ?鍵はガチャンって掛かったよな??それから都築が開けに行ったとこなんて見てないから、空いてるワケがないんだけど…

「この倉庫自体がセットだから、鍵の音はするようにしているが最初から鍵は掛からない仕様になっている」

 人間は音で鍵が掛かったと認識すると、疑うことをしないからさと首を傾げている俺に都築が尤もそうに言いやがるけど、スケールの違いに驚きすぎてもう吃驚する反応を返すのも億劫になってきた。
 これ、今回の一連の出来事、マジでただの演出だったんだなぁ…都築、もう会社経営とか辞めて映画でも撮ればいいのに。主演も都築でな。

「先ほど、外で属に会いまして荷物を預かっております。属は白衣役に戻しました」

 無責任なことを思ってうんざりしていると、興梠さんが何時ものダークスーツに人を2、3人は殺してんじゃないかってな面構えで入って来て、手にしていた紙袋を都築に手渡した。

「ああ…お前、インカムが切れていたそうだな。電話にも出なかったが何かあったのか?」

「ご不便をおかけして申し訳ございません。外部からの入場がなかった分、大きな混乱は起こらなかったのですが、それでもパニックには陥ってしまったので数人の暴徒に遭遇してしまいインカムに不具合を出してしまいました。聞こえるが通話ができない状況でした」

「なるほど」

 俺たちの大学の学祭は、一般人の入場は2日目と決まっていて、1日目は大学内の連中が楽しむためだから都築もこの日を狙ったんだろう。でも、想定外のことって起こるからまあ、興梠さんも災難だったなってことだ。
 属さんの予想した通り、どうやら逃げ惑う連中とか暴れてる連中に遭遇して、興梠さんのインカムが破損したみたいだ。都築はそれに納得したように頷いていたけど、訝しそうに眉を寄せてチラッと興梠さんの背後を気にしたみたいだった。

「電話に出なかった理由は、まさかソイツのせいか?」

 偉そうに顎で示した先、興梠さんのダークスーツの背中部分をギュッと掴んで真っ赤な顔を俯けている人物が目に入って、そこで初めて俺は、興梠さんが独りじゃないことに気付いた。

「…って、え?あれ、百目木か?!」

「よ、よう」

 何とか興梠さんの背後に隠れようとしつつも、バレてしまっては仕方がないとでも思ったのか、百目木は真っ赤な顔に不自然な…って言うかヘンな笑顔を浮かべて空いているほうの手を振って挨拶してくる。
 あ、今俺スゲー恰好してるから気遣ってくれてるのか?!うっわ、だったらスッゲ恥ずかしい!

「パニックになった連中に倒され踏まれそうになっていましたので助けました。インカムに不具合があるものの状況は掴めていましたので、下手に介入するよりはと思いまして、智嗣さんと安全な場所に退避していました」

 都築の質問に直接答えない形で興梠さんが言うと、都築は大して興味がなさそうに「へぇ」と相槌を打つぐらいだ。

「瞳さんのおかげで助かったよ。その、都築たちのところに駆けつけるのが遅くなったのは悪いと思うけど…」

 都築はどうでもいいって顔をしているけど、俺は一連の会話の違和感にバッチリ気付いていた。
 息を呑んで成り行きを見守っていたんだけど、いたんだけど、どうしても確認しないと違和感のヤツがジッとこっちを見やがるし、意味もなく叫びだしたくなるほどジッとしてられない。

「…って言うか2人とも、なんか名前呼びとか親密度上がってないか?」

 ハハハ…と乾いた笑いを浮かべながら恐る恐る聞いてみる。
 だって!だってさ、俺なんか都築と出逢ってからこれだけ長く一緒に居るけど、興梠さんの名前が『瞳』と書いてアキラって読むとか知らなかったしな!入学からこれだけ長く居るのに百目木を『智嗣』でともつぐじゃなくサトシって名前で呼んだこととかないし!
 百目木は顔を真っ赤にして困惑したように眉を寄せて俯くけど、興梠さんは何処吹く風のような動揺も見せない表情で、それからニッコリと満面の笑みだ…意味が判らない。

「…主より先と言うのは心苦しいと思っておりましたが、一葉様ならびに篠原様、このような場所での報告となり大変申し訳ございません。来月わたくし興梠瞳は百目木智嗣と入籍する運びとなりました」

「!!!!!」

「え…ええ?あ、瞳さん?!」

「ふーん」

 三者三様の反応も全く意に介さない興梠さんは、え?なんでお前まで驚いてんだよって思っている俺の目の前で、思い切り動揺している百目木の腰を抱くようにして引き寄せると幸せいっぱいの表情を晒している。
 お前、もしかして聞かされていなかったのか…って聞きたい俺が愕然として見上げている横で、いい匂いのする温かい濡れタオルをジップロックから取り出して俺の破れた服を脱がそうとする都築はちょっとムッとしたような表情で片目を眇めている。

「漸く念願叶って手を付けたから早速囲い込むって算段かよ」

「念願…って?!はぁ??」

 大人しく服を脱がされて温かいタオルで身体を拭かれながら目の前の異形の目を持つ都築を見つめて首を傾げていると、ヤツは教育係兼お世話役が取られるからオコなんてことではなく、純粋に先を越されたことにオコしている感じで唇を尖らせたみたいだ。
 なんだ、それ。

「犯罪者のような言われようですが…まあ、そうですね。来週にはこちらへ引っ越して頂き、来月には籍を入れます。智嗣さん、異論はないですね?」

「え、あ、は…はい」

 勿論、異論は受け付けないって顔をしてる興梠さんに百目木が反論できるワケもなく…って突然のサプライズなプロポーズとでも思っているのか真っ赤になってる百目木も満更じゃなさそうだよ!全然反論する気ゼロだよ!!

「え?!待って待って!!今日1日で何があったんだ??!それとも、ずっと興梠さんと付き合っていたとか…?」

 気恥ずかし気にモジモジしていた百目木は、目線でちょっと俺に説明したいとでも伝えたのか、いや、目線で判り合える仲になっていたのか、お父さんどうしていいのか判らないぞ…とかなんか俺半端なく混乱してるぞ。
 興梠さんから離れた百目木がこちらに来ると、甲斐甲斐しく俺の世話をしている都築が一瞬凄まじい目付きで睨んだようだったけど、俺に背中を押されて渋々したように興梠さんのところに行って場所を交代した。
 地味じゃなく真剣に睨むなよ。

「今日さ、こんなアトラクションがあるとか知らなかっただろ?だから構内を独りでうろついてたところであのパニックだったんだ。逃げ惑う連中に押されて転んだところで瞳さんが助けてくれて、取り敢えず安全なところに行こうってことになって誰も使っていない空き教室に逃げ込んで、それで…」

 百目木はそんな華やかな顔じゃないしどちらかと言えば平凡なヤツなんだ、それなのに、頬を染めて目線を下げて恥じらっている姿は、静かな奥床しさがあって都築の派手なセフレのユキたちとは違う趣のある面立ちに見える。
 やっぱその、男同士ではあるんだけど、コイツ今、興梠さんと恋をしているんだろうか。だからこんな風にちょっと気恥ずかしそうな幸せそうな、そんなちょっと吃驚するような表情を浮かべているのかな。

「…お前たちもどっかに逃げてるかもしれないし、瞳さんは都築の護衛兼お世話係だろ?だから、俺は別に死んでも悲しむヤツなんてもう誰もいないし、都築やお前が傷付くと悲しむ人がたくさんいるんだから置いて行ってくださいってお願いしたんだけど…瞳さんはそのまま残ってくれてイロイロ話をしているうちに、その…」

 顔を真っ赤にしてモジモジしている姿を見れば、聞かなくてもエッチに雪崩れ込んじゃいましたってコトは百目木の雰囲気でよく判る。気怠げで幸せそうな、よく塚森さんが都築んちで浮かべていた表情に似てるからさ。とは言え、つい先日まで、カナちゃんがーって愚痴ってたヤツとは思えない転身ぶりに…カナちゃん事件で女の子がダメになって、こんなパニックの吊り橋効果で興梠さんに転がったんだとしても責められないよなって俺は思うワケだよ、うん。
 でも、そうか…興梠さんとその、下世話な話だけどヤっちゃったんだな百目木。

「せ、責任は取るって言ってくれたんだけど、まさか入籍とか聞いてなかったからさっきは驚いた、でも、やっぱその、長い人生を一緒に居てくれる人がいるのってちょっと嬉しいかなって…」

「…吊り橋効果でそんな気になってるだけとかじゃなくて?」

「うん…俺、どうやら自分が思っていた以上に家族が死んだのがダメージになってたみたいでさ。そう言うところを瞳さんは判ってくれていて、ずっと色んなことを話している間に気付いたら好きになってた。できれば…離れたくないと思ってる」

「……」

 ああ、そうか。俺、親友のそんな大事なことにも気付いていなかったんだな。自分のことで手がいっぱいで…なんて言い訳で見ていなかったんだろう。

「やっぱその、気持ち悪いよな。ごめん」

 勘違いした百目木がショボンと俯いたりするから、そうじゃないんだって俺はその肩を叩いて笑った。
 まあ兎も角、俺のあられもない姿を見て動揺してたワケじゃなさそうなんで良かったよ。
 ヘンなモン見せたって思ってたのはこっちの方なんだからさ。

「バーカ!誰が気持ち悪いとか思うかよ。都築みたいに気もないのに触ってきたり一緒に居たがったりするとかなら気持ち悪いけど、興梠さんはそうじゃないんだろ?」

「あ、うん…その、ずっと好きだったって言ってくれた」

 へへへっと照れ臭そうに頭を掻きつつ笑う百目木を見ていたら、俺別に同性愛とか気にならないし、好き合ってるのなら一緒に居ればいいって思ってるぐらいだから、吊り橋とか勘違いとかじゃないのなら祝福だってするに決まってる。
 ずっと寂しかった百目木が、幸せになれるなら、それがどんなカタチだって悪かないだろ?
 …ただ、あの凶悪な面構えの興梠さん、ずっと百目木のことが好きだったんだな。全然気付かなかった。

「今の状態の智嗣さんをこのまま大学に残らせるのは非常に気懸りですので、現場の責任を属に一旦代行させ、その間に智嗣さんを自宅に送り届けようと思っています」

「ああ、責任者はお前だ。好きにするといい」

「有難うございます」

「あー、それからカナの件なんだが…」

 都築は興梠さんと百目木の関係がハッキリしたのなら、大問題の百目木の元カノにして都築の元セフレのことを、ちょっと言い難そうに頭を掻きながら切り出した。
 そうだ、ちょっとは反省しろ。自業自得なんだよ。

「存じております。私の宛がった男では飽き足らずに智嗣さんに悪さをしたようでしたので、男ともども軽くお仕置きをして放逐しました。もう、手出しはしてこないでしょう」

「ハッ!なるほどな、お前のお仕置きならカナも随分大人しくなってるだろ。…それで来週に引っ越しってワケか」

「……」

 興梠さんは何も言わずにただただ静かに微笑んでいる。
 でもその笑顔がホラーレベルで超怖いと思うのは俺の気のせいかな…たぶん、カナちゃんがラブホ代わりにした部屋にもうどんなことがあっても百目木を置いておきたくないと思ってるんじゃないかな。
 冷ややかな微笑に背筋も凍るわ百目木は嬉しそうにニコニコしてて毒気を抜かれるけど、多少は都築にもお冠なのかもしれない。その表情からでは全く判らないけども。

「式は挙げないのか?」

「そうですねぇ…入籍など落ち着いてから、一葉様と篠原様だけを招待させて頂き、静かに挙げるのも悪くないとは思っておりますが」

 俺がそこはかとなく圧のある笑顔にゴクリと息を呑んでいるのに、都築のヤツは解決したならそれでいいってな感じでニヤニヤしてるんだから…その厚かましさがいっそ羨ましい。

「…まさかお前がこの機に乗じるとは思っていなかったが、恋愛らしい恋愛をしたことがない興梠がうまくいったんなら、主としては喜んでやるよ」

「個人としては先を越されて腹立たしくとも…ですか。大人になりましたね、一葉様」

「うるせーわ、もう行け」

 どうやら向こうも一段落したようだし、これからエッチ後の気怠さを撒き散らしている百目木を思い切り心配している興梠さんが連れて帰るって言ってるから、取り敢えず俺たちも着替えることにした。
 興梠さん本気なんだろうかって疑っていたんだけど、よろけるし足許も覚束ないしでハラハラする百目木を、優しく微笑みながら…そう、ここが大事だぞ。微笑みながら、俺は胡散臭いほほえみ以外は一度も見たことがない、都築に聞いたら興梠は優しく笑うのか?とか言ってたぐらいだから、それぐらい気心を許して確り百目木を抱きかかえる勢いで庇うようにして出ていく姿を見ていると、やっぱりもう、疑う余地なんかないよね。
 なんかワケが判らない都築が仕掛けた大掛かりなドッキリ、『ゾンビランドパニック』は、本人の思惑とは違ったところでホラーパニック系には珍しいハッピーエンドになったワケだから、このイベントはなかなかの良い出来だったんじゃないかって思ったり、そんで興梠さんにからかわれたのと的外れの結果に本当に不機嫌そうな都築を横目に眺めていたら俺は思わず噴き出してしまっていた。

□ ■ □ ■ □

「都築は興梠さんが百目木を好きだって知ってたのか?」

「興梠にしては珍しく意識していたからさ。そうなんじゃねーかなとは思ってた」

 服を着替えてセットの倉庫から出たらもう外は薄暗くなってて、構内のパニックがアトラクションの演出だと知った学生連中は、夜の部に突入してることもあってかそれはそれはわーわー賑やかに盛り上がってた。構内をゾロゾロ歩いているゾンビ化?した白衣の集団とか自衛隊(偽)とか噛まれ役だった生徒たちの動画やら写真をパシャパシャ撮っているのはちょっとした見ものだったけどさ。
 でも勿論、本格的に特殊メイクをしている超イケメンが無視されるはずもなく、寄って集って画像とか動画を撮られているようだったけど、何気に苛ついていたらしい都築は俺と肩を組みながらガオッと噛むふりとかして愛嬌を振り撒いて俺を巻き込みやがった。
 おかげで、その日のSNSのトレンドとか言うのに『イケメンゾンビ』とか『大学生を襲う』とか『ゾンビランドパニック』が堂々と登場していたらしい。らしいと言うのは俺も都築もSNSはやらないので、情報通の属さんが教えてくれたんだけどね。
 トレーラーとか内緒で撮っていたらしくて、イベントが開始されると同時に外部に向けて放映された超絶イケメンゾンビの都築が最後を飾るトレーラーはこれも動画サイトの上位を占めていたらしい。
 外部の連中ができれば参加したかったって話題になったみたいだけど、これはまた別の話だ。
 本来は今日1日ゾンビ化?メイクをして練り歩くって手筈だったらしいんだけど、都築が飽きた…目の痛みを訴えたから都築のみお役御免になって、今こうしてグラウンドの良さ気なところで花火が始まるまで待機しつつ、今回の件とか話をしているワケなんだ。
 まあ勿論、家にいる時みたいに背後から抱き締められながら、厚い胸板を背凭れ代わりにしている寛いだ姿勢ってのはどうかしてるんだけどさ。

「そっかー、俺は全然気付かなかった」

「まあ、興梠だしな。オレ以外は属でも気付いていないだろ」

「属さんかー…、そう言えば、よく見たらイケメンとか言われて、さっき女子たちに囲まれてパシャパシャされてたな?」

 プッと噴き出したら、「アイツは楽しんでるからいいんだよ」とか相変わらずデフォの仏頂面のクセに面白そうにブツブツ言ってる。

「この計画ってもしかしてさ、俺んちで鈴木と見積もりだの企画書だなんだの言ってたアレが関係あるとか?」

「ああ、そうだ。お前にバレないためにわざとイチャイチャしてみせた」

「嘘吐け。俺に嫉妬させたいとか言ってただろ」

「それもある」

 全く悪びれた様子もなくブツブツ言う都築にちょっと呆れたように笑ってしまう、コイツ開き直ったらタチが悪いんだよね。

「…はいはい。なんだ、会社の書類かなんかだと思ってた」

「ハイは1回だとお前が言ったんだ。そもそも、鈴木に会社の書類なんか見せるワケないだろ?パートナー契約は結ばなかったんだ」

「ふーん…」

「篠原の貴重な嫉妬も心配も色んな表情が見られたし、今回のイベントはまずまずの成果だ」

 興梠さんからは先を越されたけど、それは見ないことにしたらしい都築は、デフォの仏頂面のくせに機嫌は良さそうだ。

「別に嫉妬とかしてません~。心配はあんな状況なら誰だってしますー」

 何でもないことみたいに唇を尖らせて見せると、都築は軽く笑ったみたいだ。

「泣いてくれたから大満足だ」

 ぐっは!…お前、寝てたじゃねーかよ。

「グッ…起きてたのかよ」

「バッチリな」

 勿論、背後からずっと視姦レベルの凝視で見つめられているんだけど、その表情はちょっと悪戯っぽい。
 …そうだな、変態の都築のことなんだから、この奇妙な執着心で一から十まで観察していたに違いない。うん、気持ち悪い。

「…篠原」

 クリティカルを受けながら、何となく見つめ合っていたけど、別に嫌な気持ちにもならないからぼんやり見ていたら、都築が何とも言えないキモい…妙な顔付きをしてモジモジ呼んでくる。

「なんだよ?」

 まあ、嫌な予感しかしないよね。

「キスぐらいしてもいいか?」

「はぁ?この話の流れでどうしてキスすることになるんだよ」

「あれはただのアトラクションだったけれど、約束しただろ?あの倉庫を出たらなんでもするってさ」

 ぐ、覚えてやがったかこの野郎。
 とは言え、とは言えだ!アレは都築が嘘を吐いていたんだから不履行でいい筈だ。

「でも、アレは嘘だったんだから約束も無効だ」

「そう言うと思った…だが、オレたちは恋人同士だ。たとえば今回のゾンビランドパニックがアトラクションだったとしても、恋人同士で交わした約束なら少しぐらい守ってくれてもいいんじゃないのか?」

「…」

「セックスまでは求めない。ただ、こんな夜はキスぐらいしたいんだ。ダメか?」

 どんな夜だって言うんだよ?……はぁ、でもまあ処女だってくれてやるなんて啖呵は切ったワケだし、恋人だって言ってる都築がその気になれば、俺の貞操はこの辺りで終了にだってなりかねない。
 エッチを激しく求められるくらいなら、キスぐらい許容範囲だし。

「…うぅ、判ったよ。別にキスはもう慣れてるからいいよ」

 超渋々で頷いたけど本当は、コイツがちゃんと無事なんだと実感したくて、俺自身、都築に触れたいと思っていた。
 だから、結構気に入っている琥珀のような双眸に戻った眼差しで、まるで視姦するみたいにジックリと安定の凝視で見つめてくる都築の物言いたそうな瞳を見つめながら、それからギュッと目を閉じて与えられるだろうエロいキスを待っていたってのに都築のヤツ、ツイッと顎クイなんかしやがって赤面している俺のギュッと引き締めた唇にソッと唇を落としてきたんだよ。
 なんだろう、何時もみたいに息も絶え絶えに貪られるようなエロいキスじゃなくて、ソッと啄ばむような、唇を重ねるだけの他愛ない優しいキスなんて…お互い無事でよかったと思わせるようなそんな感慨に陥りそうになったまさにその時、ドォンッと轟音を響かせて、夏の花が夜の闇にパッと開花すると、吃驚して都築と一緒に見上げた先、ハラハラと炎の花びらを散らしながら消えていった。
 次いでまた注目しろと言わんばかりの音を響かせて夜空に花開いた色とりどりの炎たちは、はからずも涙みたいに花びらを散らして消えていく。

「ふわー…花火も本格的なんだな」

「まあ、成功したからさ」

 パラパラと乾いた音を纏って炎の花びらが散るのを、都築は感慨深そうな双眸で見つめながらポツポツ語る。
 何時もならバカみたいに視姦レベルで俺を凝視する都築も、見事な大輪の花には見惚れるんだな。良かった、真性の変態じゃなくて。
 夏の花の光が都築の横顔を彩って、それでなくてもイケメンなのに、何処か物悲しい表情にすら見えるから雰囲気ってのは大事なんだな。
 俺じゃなかったらトゥンクとかなるんだろう。

「え?まさか花火までお前が用意したのかよ」

「姫乃や万理華が言っていたが、学園祭の想い出の〆は花火なんだそうだ。だから奮発した」

「思い出って…まだ明日があるだろ」

 呆れたように言ったら、都築のヤツは安定の仏頂面をちょっとムッとしたように歪めて鼻先で笑いやがる。

「一般人が入場する学祭に思い出なんかできるかよ」

「え?そんな理由で今日学祭ジャックしたのか?」

「まあ、それだけが理由ってワケじゃない。篠原は全然恋人らしさを出さないし自覚もないだろ?だから恋人として想い合うことがどれだけ大事か、オレがお前にとってどれほど大事な存在かを教えてやったんだ。あわよくばお前の処女を手に入れて、結ばれてから入籍までを計画していた。恋人から嫁へのランクアップも大事だ」

 あわよくばとかゲロってるしな。

「…そっか、恋人らしくもないし自覚も持っていない俺が悪いのか。だったら、本来なら楽しいはずの学園祭を、みんな、なかでも俺を阿鼻叫喚の渦に叩き込んで、勝手にジャックして都築の計画の為に利用したって仕方ないよね。今後お前の恋人でいる自信がなくなったから辞退するって決めた。今日限りで別れる」

「は?巫山戯んな!別れるとか一切認めない。オレも篠原もちゃんと恋人らしく想い合うことができただろうが。なんで自信をなくすんだよ、バカか」

 一気に不機嫌を通り越してオコになっている都築は仏頂面のままで、背後から俺をぎゅうぎゅう抱き締めながらほっぺたにチュッチュなんてしてくるから堪らない。
 確かに花火が見えるこの場所は特等席だと思うけど、そう思っているアッツアツ(死語)のカップルは俺たちだけじゃないんだ。勿論、俺たちはアッツアツじゃないし、都築は暑苦しいだけだけども。場所を弁えろ場所を、TPOだTPO。
 其処彼処でアッツアツのお2人さんたちは、横でギャーギャー言ってる奇妙な男カップルのことなんかお構いなしで俺たちよりエロいチュッチュをしている有様だから、まあ都築の少しの奇行ぐらいは誰も気にしないか!俺以外は!!
 おかしなところはなかっただと?!何処をどう見てもおかしなことだらけだろうがッ!
 俺がブーブー悪態を吐いているってのに都築のヤツ、「恋人の自覚を持ったんだからいいだろ」「泣きながら抱き締められた時は思わず勃起した」「可愛いオレの嫁」とかとか、尖らせた口にチュッとキスして後半やっぱり何を言ってるのかよく判らないことをブツブツ言いやがるんだよ。
 真っ暗な空には満点の色とりどりの夏の花、淡く儚く消えるけど、当分、俺を背後から離さないぞと抱き締める腕が消えることはないんだろう。
 だったらまあ、いいかな。
 都築には言わないけど、それなりに面白かった。
 それに、気付いてやれなかった百目木の寂しさが、今日は解消された良い日なんだ。
 だから内緒だけど、今日のことは許してやる。

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●事例21.学園祭でイロイロやらかす
 回答:篠原は全然恋人らしさを出さないし自覚もないだろ?だから恋人として想い合うことがどれだけ大事か、オレがお前にとってどれほど大事な存在かを教えてやったんだ。あわよくばお前の処女を手に入れて、結ばれてから入籍までを計画していた。恋人から嫁へのランクアップも大事だ。
 結果と対策:…そっか、恋人らしくもないし自覚も持っていない俺が悪いのか。だったら、本来なら楽しいはずの学園祭を、みんな、なかでも俺を阿鼻叫喚の渦に叩き込んで、勝手にジャックして都築の計画の為に利用したって仕方ないよね。今後お前の恋人でいる自信がなくなったから辞退するって決めた。今日限りで別れる。