第二部 9  -悪魔の樹-

 引き摺られながら俺が最後に見た光景は(…って、この言い方はおかしいな。正確には違うけど)、困惑した面持ちのねーちゃん悪魔が見下ろす先、絶望したようにへたり込むヴィーニーの姿だった。
 不謹慎なようだけど、その姿は、なんて言うか…希望を永遠になくしてしまった天使が、呪うこともできずに絶望しているような、悲愴感たっぷりで思わず庇護せずにはいられない姿だった。にも拘らず、その姿には目もくれないレヴィも、うんざりしたような迷惑そうな顔付きのねーちゃん悪魔も、さすがと言うか、魔界らしいとでも言うべきか、悪魔たる所以の残酷さを垣間見たような気がしていた。
 背筋が凍りつくような寒気は、きっと、この悪魔たちが、完璧に人間を馬鹿にして、愛情なんてこれっぽっちも持ち合わせていないように感じるからかもしれない。
 ささやかな想いさえ、この殺伐とした世界では足枷にもなれば、取るに足らない安っぽい感情でしかないんだろう。
 だからこそ、俺は心底から身震いしてしまう。
 レヴィの怒りは俺のための嫉妬じゃない。それは明らかに良く判る。
 これは、レヴィの大切な悪友であるルシフェルが、彼の与り知らぬところで、アスタロトから自分が貰い受けたはずの奴隷を譲り受けていた…と言う、その事実に、俺に対して嫉妬しているんだ。
 だから、もしかすると…考えたくはないんだが、たぶん俺は、今回は殺されるのかもしれない。
 レヴィの怒りは底知れないようで、引き摺っている俺の存在すら、もしかしたらその怒りで忘れてしまっているんじゃないかと疑いたくなるほどだった。
 アワアワしてる俺は、それでも何かこの状況を打破できる得策はないものかとない知恵を搾り出していたんだけど…そこで、大変なことを思い出しちまった。
 ああ、そうだ。
 確か、ルシフェルのヤツ、暫く城を留守にするって言ってなかったか!?
 と、言うことはつまり、暫くルシフェルがいない→レヴィの怒りは延々と続く…
 最悪のパターンじゃねーか!!
 さらにアワアワしていた俺は、それでも、城内を怒りのオーラを撒き散らして歩いてるもんだから、格下の魔物が怯えて立ち竦んでいるのに見向きもしない、怒りに任せて手当たり次第歩き回っている、このどうしようもない白い悪魔にその事実を伝える覚悟を決めた。
 無闇矢鱈に城を壊し回っても(事実、レヴィは邪魔なものはなんでも手当たり次第に壊しまくった)、反感を喰らうだけ馬鹿らしいじゃねーか!

「れ、レヴィアタン様!お待ちくださいッ」

『…』

 でも、全然聞かねーのな。
 ちらりと振り返ることもしない。
 まぁ、こんだけ怒ってるんだ、誰の言葉も入らないんだろうけど…さっきも、顔見知りらしい悪魔が『止まれ!』とか『やめてくれ!』とかなんとか、必死で懇願していたにも拘らず、やっぱり大事そうにしていた何かをぶっ壊しちまった。
 人間如きの、しかも、自分の大事な友人を奪いやがった下賎な人間なんかの言葉が、耳に入ったところで脳にまで達することはないだろうなぁ…はぁ、どうしよう。
 ちょうど、そんなことを考えて思い切り凹んだところで、不意に、本当に唐突に、レヴィが足を止めたんだ。
 怒り狂う海の覇王は、額に血管なんか浮かべて、憤懣遣るかたなさそうな金色の瞳で前方を睨み据えたまま言ったんだ。

『なんだ』

 たった、一言。
 それだって、地獄から甦った悪魔が纏う殺気だとか、不穏な気配を濃厚に秘めたブリザードよりも氷点下の声だったから、確かに竦んで咽喉の辺りで言葉が凍り付いちまったような気はする。
 それでも、せっかくレヴィが聞いてくれてるんだから、このチャンスを逃す手はないぞ。
 頑張れ、俺!

「れ、レヴィアタン様。有難うございます。あの、今日はルシ…ご主人様はおりません」

 ルシフェル…と言おうとした瞬間、それこそ焼き殺すとでも言わんばかりの形相で睨み付けられたら、やっぱり言葉を選んだって仕方ねーだろ!?ひぃぃぃ…おっかねぇ。

『いない?』

 短い言葉だけなんだけど、それでも、会話が続くのは奇跡と言っても過言じゃねーぞ。

「はい、今日はご用で出掛けられております」

 行き先は勿論知らないし、用かどうかも判らん。
 でも、いないことは確かだ。
 それを聞いて、あれほど怒り狂っていたのに、ふと、レヴィの背中から怒りの気配が消えたような気がした。
 いや、あくまでも気がしただけなんだから、未だに沸々と怒りの炎が胸の中で煮え滾っているかもしれない。しれないけど、今は知ったこっちゃない。
 取り敢えず、レヴィの怒りが冷めたのなら、それはそれで、俺にとっては命の期限が少し長引いたんだ。
 良かった良かった。
 いや、良くないだろ!
 レヴィは何かを考えているように、俺の手を握ったまま、前方を睨み据えていた。
 いつの間にか、掴んでいたはずの腕は、掌に変わっていて、変な話、俺たちはお互いで手を繋いでいるような格好になっていたんだ。
 久し振りに繋いだレヴィの手は、悪魔だと言うのに温かくて、安心できた。
 悪魔としてのレヴィに逢ったとき、こんなに冷たくなれるんだと竦み上がったんだけどなぁ…やっぱり、コイツの手はホッとするほど温かい。
 傍らにいるこの白い悪魔が、どうして、レヴィじゃないんだろう。
 どうして、レヴィアタンなんだろう。
 レヴィだったら、俺はどんなに嬉しいか…そんなこと、コイツは考えもしないんだろうけどなぁ。

『なるほど、ルゥのヤツはいないのか。だったら、城中を捜しても仕方ない』

 漸く納得したのか、それまでオブラートみたいに殺意を纏っていたレヴィの身体から、拍子抜けするほどあっさりと不穏な気配は消え去った。

 いったい、何にそんなに腹を立てていたんだよ!?…と、思わず突っ込みを入れそうになるぐらいにな。

『じゃあ、お前』

 肩から一房、飾り髪を垂らしている不遜な顔付きの白い悪魔は、冴え冴えとした金色の双眸で俺を見下ろすと、不貞腐れてでもいるように唇を尖らせた。

「?」

 訝しんで見上げると、じゃらじゃらと宝飾品で胸元を飾り立てた漆黒の外套に身を包んでいる白い悪魔は、奇妙なことに、手を繋いだままで言ったんだ。

『独りぼっちじゃないか』

「…え?」

 正直、ビックリした。
 まさか、あれだけ怒っていたレヴィが、俺のことを考えているとか信じられなかったんだ。

『魔界に来てまだ間がないんだろ?この世界は混沌とした闇で、至るところに落とし穴がある。人間の奴隷が独りでいれば、あっと言う間に消えてしまうだろう』

 淡々とした声音はどうでもよさそうで、それでも、何処かに憐憫めいたものを含んでいる。
 このままここに独りでいれば、俺はたぶん、レヴィの言うようにあっと言う間に消えてしまうんだろう。
 それだけ、俺と言う存在はちっぽけで、レヴィの中からもあっと言う間に消えたんだ。
 そう考えたらとても辛くて、レヴィの顔を見ていられなくなった俺が顔を伏せると、白い悪魔はちょっと苛々したように俺の顎を掴んで上向かせたんだ。

『だから、アイツが戻ってくるまでオレが面倒を見ててやる』

「ええ!?」

 さらにビックリして、気付いたら俺、「え」しか言ってねーじゃねーか。
 いや、そんなことよりも、俺にとっては勿論、ウハハな状況なわけなんだけど、それでもこの180度の方向転換には頭が追い付いてくれない。
 目を見開いてビックリする俺に、途端に、レヴィは不機嫌になって握っていた手を振り払ったんだ。

『ご主人以外のヤツに面倒を見られたくないんならそれでもいいさ!オレには関係ないッ』

 まさか…そんなこと。
 あるわけないじゃないか…
 俺は振り払われたはずの手で、あれだけ悪魔のレヴィアタンに怯えていたって言うのに、レヴィのあたたかな掌を両手で包んで泣いていた。

『?』

 ギョッとするような気配がしたけど、俺は嬉しくて…どんな気紛れでもいい、たとえこれが悪魔特有の意地悪だとしても、俺は嬉しかった。
 レヴィとほんの少しでもいいから、できるだけ長く一緒にいたい。
 ルシフェルがこのまま帰ってこなくてもいいか…なんつって、勿論、あのレヴィを心から愛してる俺がそんなことを考えるワケはないんだけどさ、それでも、この嬉しいハプニングは素直に喜べた。

「有難うございます、レヴィ…アタン様」

『…』

 レヴィは何処か、バツが悪そうな顔をして外方向いちまったけど、俺は嬉しくて嬉しくて…何度も「有難う」って言ったんだ。
 一緒にいさせてくれて、有難う…

「あわわわ…れ、レヴィアタン様!こ、ここは何処ですか!!?」

 そりゃあ、俺が憐れな声を出したって仕方ない。
 甘やかな桃の匂いに包まれてるのは嬉しいんだけど、背中に回した両手でギュッと掴んでいないと、思い切り落っこちてしまいそうになっているこの状況じゃぁ、とてもじゃないがレヴィを実感するのなんか無理だ。

『ふん!魔城より遥か西にある、混沌の森だ』

「こ、コントンの森?」

 上空で優雅に立っているレヴィは、外套の裾をはためかせながらニヤッと笑って眼下の、鬱蒼と捩れた枝が幾重にも覆う、殺伐とした気配が漂う不気味な森を見下ろしている。
 あの後、レヴィは有難うと呟く俺をヒョイッと小脇に抱えたかと思ったら、あっと言う間に城外の、それも空の上に連れ出したんだ…んで、今のこの状況なワケなんだけど、どうしてこんなところに来てしまったんだろう。
 恐々と見下ろす俺に、何が嬉しいのか、ニヤニヤ悪質に笑うレヴィに、俺は一抹の不安を感じていた。
 でも、こんな時に限って灰色猫はいないんだ。

「魔の森じゃなくて、混沌の森ですか…?」

 恐怖をできるだけ押し殺して、俺は疑問を白い悪魔に投げ掛けた。
 つーか、なんか喋っていないとマジで怖いぞ。
 あの時は、レヴィがギュッと抱き締めてくれていたから、空の上でも安心だったけど…今は違う。
 レヴィは両手を離しているし、俺がしがみ付いていないと落っこちてしまうんだ。
 腕がぶるぶる震えて…コイツ、たぶんきっと、わざとだと思う。
 思わず胡乱な目付きで見上げたんだけど、俺のことなんかお構いなしで、『ハァ?』と言いたそうな顔をして鼻先で笑った。

『魔の森だと?魔女が好む森なんかに用はない』

 魔女?…ってことは、やっぱりアスタロトの言葉は本当だったんだ。
 できれば、魔の森に連れて行ってくれればよかったのに。
 トホホ…ッと、思わず項垂れてしまう俺に対して、レヴィはどうでもよさそうに肩なんか竦めてくれるから…って、おい、ちょっと待て。

「そ、その…混沌の森にどうして俺を?」

 敬語なんか使ってられるか。
 そうだよ、どうしてこんな不気味で陰惨な雰囲気がぷんぷん漂う、明らかに凶悪そうな場所に俺が来なくちゃいけないんだ?!
 恐る恐るレヴィを見上げたら、白い悪魔は氷のように冷たい表情をしてくれると、シレッと言いやがったんだ。

『ちょうど手頃な土産が手に入ったんだ。ベヒモスの顔を見に来て何が悪い』

「て、手土産ってお前…!」

 ギョッとした次の瞬間、レヴィのヤツは背中に回していた俺の腕を掴んでニッコリ笑うと、それこそ悪魔のような無情さでその手を離しやがったんだ!!

「ちっくしょー!!騙したなッッ、覚えてろー!!」

 …って、おいおい、どこの捨て台詞だよってな台詞を吐き捨てて、真っ逆さまに落ちていく俺を、レヴィのヤツは殊更愉快そうにゲラゲラと笑って見下ろしてやがる!
 やっぱ、悪魔だ。
 アイツは俺の知ってるレヴィなんかじゃない!レヴィアタンって言う悪魔だ!!!!!
 落ちる俺を避けるように、それまで幾重にも折り重なっていたはずの捩れて歪な形をした枝が次々に離れていって、俺は傷付くことなく地面に激突…

「!!」

 …したはずなんだけど、激しい衝撃の後、ギュッと閉じていた目を開いたら、俺は奇妙な生き物に受け止められていた。
 それは、なんと言うか、こんな陰惨で不吉で、凡そ悪いことの代名詞みたいな森の中で、どうしてこんなヤツがいるんだと疑いたくなるほど、可愛いカバだった。
 いや、簡単に言えばってことなんだけど、そりゃ、鼻の上(?)にある角は禍々しいのかもしれないけど…でも、やっぱり可愛いと思う。
 サイとは違って、カバ面に角があるんだよ。
 カバは俺を受け止めた背中から地面に下ろすと、あの、何を考えてるのかよく判らない小さな目で繁々と俺を眺めている。

「あ、ありがとう…」

 のーんっとした雰囲気のカバ面は『ふん』と息を吐き出してから、どうでもよさそうにやれやれと嘆息すると俺の横にドッシンと座った…そう、座りやがったんだ!!
 片足を前に出して、片足は立膝じゃなくて、曲げてる、んで、前足でちゃんと支えてるんだから驚くよな。
 ビーグルとか、ラブラドールとか、よくこんな座り方したと思う。
 …うう、可愛い。

『レヴィアタンは性根が悪い。お前さんをあの高さから落とすなんて、正気の沙汰じゃねーよなぁ?』

「げ、喋るのか!?」

 思わず、本当に思わずだったんだけど、まさか喋るとか思わなくて…それも口が悪いし、フガフガ言いそうな印象なんだけどなー

『なんだよ、「げ」ってのはよー。そりゃあ、オレだって悪魔の端くれだし?喋りもすれば笑いもするさ』

 そう言って、カバは歯を見せてニッと笑う。
 その仕種がまた可笑しくて、俺は思わずうぷぷぷ…って笑っちまったんだ。
 するとカバは、笑うようにむいていた歯を引っ込めると、また『ふん』と鼻を鳴らしたんだ。

『オレはさ、お前さんを知ってるぜ』

「へ?」

『レヴィが嬉しそうに話してた「ご主人」だろ?』

 目許に浮かんだ涙を拭っていた俺は、その言葉にハッとして、カバの悪魔を見上げていた。
 今、なんて…?
 ここにいる悪魔は誰も俺とレヴィのことを知らなかった。
 だからきっと、レヴィは人間がご主人なんて言い出せないでいたから、俺のことは黙っていたんだろうって思っていた。だから、こんな風に、あの頃の俺たちを知る悪魔がいてくれて、俺は素直に嬉しかった。
 だからたぶん、こんな風に縋るような目をしてしまったんだ。

「お、俺のこと、知ってるのか?」

『ああ。お前さんが今、何を考えているのかも判るぜ。だが、それは違う。アイツはそんなに器用じゃない、自分が大切にしているモノは隠したがるんだよ。オレみたいになー』

 ふと、上空の空さえも覆っている捩れて絡み合うような枝が広がる空を見上げたカバの魔物は…そうか、コイツにとって(信じられないことに)此処は安穏とした住処なんだろう。
 だから、護ろうとするように森を覆う奇怪な木々が枝を広げて外敵の侵入を防いでいるんだ。
 あれ?そう言えば、俺も空から落っこちてきた外敵なのに、枝が離れてくれたお陰で傷を負わなくて済んだよな。
、俺が首を傾げている傍らで、ヤレヤレとカバの悪魔が溜め息を吐いたその時、不意に、
捩れた枝を掻き分けて苛々しているような白い悪魔が姿を現したから、カバの魔物は座ったままで、それでなくても小さな目を精一杯見開いて、呆気に取られているようだった。

『なんだ、お前のその姿は』

『煩い!よく判らんのだが、気付いたらこの姿が定着してたんだッ』

 余程、本当は嫌なのか、白い髪に金の双眸を持つ美形の悪魔は、鼻に皺を寄せてカバの悪魔に悪態を吐いた。

『と言うか、どうして人間と馴れ合ってるんだ!?コイツはベヒモスの飯に持ってきたんだぞッ』

 やっぱり騙してたのか。
 流石は悪魔と言うかなんと言うか、ホント、記憶が戻ったら覚えてろよ。
 ムッと眉を寄せる俺を無視して、カバの悪魔はシレッとした様子で言い返した。

『レヴィの大事なモノを喰えるわけがないだろーが。後で騒がれちゃオレが迷惑だ』

 後半は本当に迷惑そうにうんざりした表情(…は良く判らないんだけど)のカバの悪魔に、白い悪魔は怪訝そうに眉を顰めて、ベヒモスは何を言っているんだとでも言いたげな不機嫌そうな顔をして下唇を突き出した。
 あちゃ、ヤバイ。
 そうか、このカバの悪魔はレヴィが俺のことをスッカリ忘れてるなんてこと、知らないんじゃねーのか!?

『何を言ってるんだ、ベヒモス。どうしてオレがコイツを大事に思ったりするんだ??人間など喰ってしまえばそれで終わりじゃないか』

 フンッと鼻を鳴らして不機嫌そうなレヴィに、カバの悪魔、ベヒモスは全く相手にしていないような鷹揚な仕種で大きなカバ面を左右に振ってみせた。

『忘れてるだけさ。いや、忘れようとしているだけじゃねーか。思い出せばもう、手離せなくなる。ただ、それが怖いだけなのさ』

「…え?」

 カバを見上げた。
 でも、静かな光を湛えるその小さな瞳は何も語ってくれないから、俺は恐る恐る、立ち尽くしているような白い悪魔を見上げたんだ。
 でも、やっぱり、レヴィアタンは何を言われているのか判然としない様子で、訝しそうに眉を寄せているだけなんだよなぁ。
 カバの見込み違いじゃねーのか?

『全く、長らくこんな鬱陶しい森にいて脳みそが腐ったんじゃないのか?オレは人間を大事だと思ったことなんか一度だってない』

 腕を組んで小馬鹿にしたように言い放つレヴィアタンの台詞には流石に傷付くけど、それでも泣き笑いしそうな俺なんか端から無視で、ベヒモスは疲れたように溜め息を吐いて言い返した。

『判った判った!それでは、オレにコイツをくれるんだろ?貰ってやるから魔城なり自分の棲み処なりに帰ればいい』

『…喰わないのか?』

『喰う、喰わんはオレの勝手だ。四方や、今更契約を無視するワケではあるまいな?』

『するワケないだろ。馬鹿馬鹿しい!』

 そう言うなり、レヴィアタンは宝飾品がジャラジャラ胸元を飾る漆黒の外套の裾を翻して、ヒョイッと宙に舞い上がったんだ。
 置いて行かれる…と、不安になって後を追いそうになったんだけど、話の成り行きでは俺はここに捨てられたみたいだし、今の白い悪魔には、俺は不要な存在のように思えたから、だから俺は、両手で拳を握って、これ以上はない強い力で握り締めて、捩れた枝に消えてしまう白い悪魔の後姿を見送っていた。
 枝の陰に消えようとしてるレヴィアタンの顔は、一瞬だったけど、不思議そうな困惑したような表情をしていたんだけど…やっぱり、枝の海に消えてしまった。
 そう、消えてしまった。
 俺をこんな寂しい森に残したまま、アイツは嘘を吐いて、俺を城から追い出したんだ。
 でも…

『ああ、馬鹿な人間だ。そんな風に、声も出さずに泣くなんて…声を出さなけりゃ、あの薄情な悪魔にだって聞こえやしねーのになぁ』

 俺は俯いてボロボロ泣いていた。
 でも、俺が本当に辛いのは置いていかれたことでも、城を追放されたことでもない。
 俺が本当に悲しいのは…そうまでして、ルシフェルから俺を遠ざけようとしている、レヴィアタンの本心を知ってしまったから。
 だから、悲しくて悲しくて…俺は立ち尽くしたまま泣いてしまった。
 可愛いカバの悪魔は、俺の気が済むまで、そうして泣き続ける俺の傍らにどっしりと座ったままで、ずっと傍にいてくれた。