荷物係の俺は、博士を手伝ってあれやこれやと最新機器と睨めっこをしている須藤を羨ましく思いながらも、太古の昔に生きていた人々が残した遺産を前に感嘆の溜め息を洩らしていた。
鬱蒼と生い茂る下ばえの草と大木に囲まれて、その遺跡はひっそりと眠っている。
今日から博士たちの実動隊はこの遺跡を眠りから目覚めさせるんだ。
ゾクゾクするほど楽しいけど、運搬部の俺がすることと言えば不要になった荷物を縛って保管したり、みんなのできない雑務をしたり、ケーブルを到るところに張り巡らせたり、飯を作ったりと、専ら雑用ばかりだ。
今だって肩に重い機材の入った袋を下げて、汗だくになりながら密林の中を右往左往している。
「佐鳥くーん!ごめん、これも持って行ってちょうだい」
人遣いの荒い三浦女史が大声を張り上げて俺を呼ぶ。
そう言うことは、頼むからさっき言ってくれよな。あんたの前をほんの1分前に通ったじゃないか。
「佐鳥くんってば!」
「へいへい。そんなに怒鳴らなくても聞こえてますよッ!」
俺は肩から重い袋を下ろし、三浦女史の所まで走って行った。
「ねえねえ、この遺跡ってちょっと変じゃない?」
「は?ヘンですか?」
奇妙なグッズ一式の入った袋を差し出しながら三浦女史がコソコソと言うから、俺はそれを受け取りながら後方にある静まり返った遺跡を振り返って見た。木々の枝の隙間から射し込む陽射しに、その姿は荘厳な雰囲気を醸し出している。
マヤ文明で有名な、ティグレピラミッドの形に良く似ている。でも、どちらかと言うとエル・ミラドールにあった小規模なティグレ神殿の方があってるかな。
「どこら辺がヘンなんスか?」
俺にはさしておかしな所は見当たらなかった。コンカトス半島では珍しくないテの遺跡だ。
「ほら、あの紋章を見て。ここら一帯の豪族のものとは明らかに違うじゃない。なんだかこう、もっと現代っぽい匂いがするのよね」
32歳と言う年のわりには若々しく見える三浦女史は、顎に右手の人差し指の第1関節を押し当て、興味深そうにピラミッドの頂上付近にある小さな紋章を食い入るように見つめている。
(現代っぽいねぇ…)
未だここらいったいの時の豪族を把握しきれていない俺としては、そんことを言われても首を傾げるしかない。こんな時、須藤はとっても役に立つ。
「須藤に聞いたらどうですか?俺なんかと違って、ぜってぇ予習とかしてきてると思うから」
「あら!嫌よ。あたしは佐鳥くんだから話してるの。他なんてオタンチンよ」
オタンチンって…
「佐鳥!見取り図を持ってこい!」
博士と何やら話し込んでいた須藤が腰に片手を当てて俺に腕を差し出している。
「へいへい!」
…ったく、人遣いの荒い連中だ!
渡航日前の1週間は、本来予習復習の為に空けられている時間だった。
どうせ運搬部なんだからと、俺はバイトに明け暮れて体力をもう少し養っておくことにした。そんな奴、考古学学科にゃいないと思うだろ?チッチッチ、考古学ってのは結構体力の要る分野なんだ。だから俺のようにガテン系でバイトしてる奴は結構少なくない。なんたって女の子だっているぐらいなんだぜ。
ま、俺ほど働いてる奴はいねぇけどな。
「光太郎ぉ~、知ってっか?」
寮の同室であり教育学科の御前崎が、胡乱な目付きで寝転がってる俺を上から覗き込みながら唇を尖らせた。
「知らん!お前の好きなアユなんて知らん」
魚ぐらいしか…と言おうとして、俺は奴に脇腹を蹴られてしまった。
「アウチッ!」
「真剣に言ってるんだぜ!あのなぁ、お前らが今度行く遺跡のある、ほら、なんて言ったかな?コカ?コカトリスだっけ?」
「コンカトス」
「そう、それだ!」
そう言ってポンッと拳を掌に打ちつけた御前崎は頷いて、そして徐に俺の横にどっかりと腰を下ろした。
「コンカトスがどうしたんだよ」
日夜のバイトでヘトヘトに疲れた体を長々と横たわらせていた俺はむくりと起きあがると、傍らでやけに神妙な顔つきをした御前崎に眉を寄せる。
「あのさぁ、お前ってちゃんと自分が行く国のことを調べてるか?」
「はぁ?ヤダよ、面倒くせぇ」
「お前なぁ…」
御前崎は呆れたように息を吐いて、苛々したようにビシッと人差し指を突き付けて来た。
人を指差すなんていけないんだぞ。…と、言ってやろうと思ったけど、御前崎の迫力は半端じゃなくて、俺は取り敢えず言い訳を試みた。
「地図を見るってだけでも頭が痛くなるんだよな。ましてや国家情勢なんて関係ないっての」
「バカか?お前はバカか?…おいおい、その頭ん中は本当に脳味噌が詰まってんのか?筋肉じゃあないだろうな」
真剣な表情で俺の頭を両手でガッチリ掴んだ御前崎は、これでもかと言うほど前後に揺さぶりやがる!
「な、なにすんだ!この野郎ッ」
「極めて簡単なインターネットって手があんだろう!?この頃、ネットサーフィンしてると決まってUMA関係のページに飛んじゃうんだよな。つーのも、お前が行くコンカトスをW-TRENDYで検索したらヒットするんだよ」
「UMA?」
聞き慣れない単語に俺が首を傾げると、大丈夫かなぁとでも言いたそうに眉を顰める御前崎は、呆れを通り越して本気で心配しているようだった。
「未確認生物のことだよ。なんでも、コンカトス半島に広がる密林にそのUMAが出没するらしいぜ」
「おおかたデマじゃねぇの?ネットの世界はそんなの多いって聞くし」
「そうとも一概には言えねぇんだぜ。プリントアウトしたんだけど…」
そう言って御前崎はよれたジーパンのポケットからクシャクシャの紙を取り出した。
おいおい、お前こそ人に何か見せる時に、その資料をクシャクシャにしてるのかよ。たぶん、半分も見れないんじゃないのか…
「…?」
俺は最初、それが何であるのか判らなかった。
緑が生い茂るジャングルの中、何かがぶら下がってる。
何かが…
「ぅぐっ!?」
思わず吐きそうになって口許を覆ってしまう。
それは、そのプリントアウトされた代物は…木の上にぶら下がっていた人間の首だった。
いや、首と言うよりもなんて説明するべきか…本来あるはずの下半身がなく、背骨だとか内蔵が引き摺り出されて剥き出しになっていて、その先に頭部がだらりと垂れ下がった血塗れの肉の塊とでも言うべきなんだろうか。へたなスプラッター映画を見るよりも胃にきた。
「な、なんなんだよ!?それッ」
俺は思いきり尻でいざって後方に飛びのくと気味の悪いその紙を投げ出していた。
「だから、UMA。それも、どうやら飛びきり狂暴な」
どこか遠くから呟くように、俺の投げ出した紙片を拾いながら、御前崎はやけに冷静な声音でそう言ったんだ。
(アレってなんだったんだろう…)
昼間の重労働でクタクタになってるんだから、ぐっすり眠れるはずのテントを抜け出すと、俺は警護として雇われている地元のレンジャーの連中が囲む炎に仲間入りさせてもらって、炎から舞い上がる火の粉が満天の夜空に吸い込まれていくのを見上げながら、出発前に御前崎に見せてもらった写真のことを思い出していた。
下半身を食い千切られて、上半身だけ、まるで襤褸切れのように投げ出されていた無残な死体。
思わず胸が悪くなって、俺は眉を寄せた。
いや、あんなモノはきっと誰かの、性質の悪い悪戯なんだろう。
あんなことが現実に起こってたりしたら、それこそ世間が黙っちゃいないだろうし…
さっきから隣りの、迷彩服に身を包んだ俺と同い年ぐらいの男が、そんな風に物思いに耽っている俺にやたらと話しかけてくる。
「ごめんな、俺、言葉が判らねぇんだ。須藤とかだったら、全然OKなんだろうけど」
地元の言葉で陽気に話しかけられても、勉強不足の俺には理解なんて到底できそうもない。日本語で申し訳なく謝ると、若い男は暫く何かを考えているようだったが、徐に自身を指差した。
「タユ。タユ=キアージ」
「…?ああ!お前の名前か?そうか。じゃあ、俺。俺な?コータロー。コータロー=サトリ」
「コータロー」
ぎこちなく自己紹介するとタユの奴はすぐに理解したようで、屈託なさそうに笑って片手を差し出した。よく日に焼けた褐色の肌に、白い歯が爽やかな好青年を印象付ける。
俺だってたいがいバイトで体を鍛えてるつもりだったけど、こいつら、密林を住処にして仕事をしている連中に比べるとすっげぇ生っちろくて頼りなく見えるんだ。当たり前か、ジャングルで猛獣とだって格闘してんだからな、俺なんかが勝てるかっての。
ひょっとして、コイツらだったら例のUMAのことを知っていたりするんだろうか?
噂とかにもなってるだろうし…言葉さえ判ればなぁと思いながら差し出された手を愛想良く握り返してギョッとした。
見た目通り、こいつの手の力強さは思わず眉を顰めてしまうほどだったんだ。
構内で行われた「腕相撲大会」で2年連続優勝した、この俺が。
『日本人を虐めるのはそのくらいにしとけ。大事なお客さんだからな、タユ』
『わかってるさ。こいつがあんまり馴れ馴れしくて可愛いんでね』
『ケッ、嫌な病を流行らせるんじゃねぇぞ』
地元の言葉で会話をして一斉に笑うタユたちに、俺は怪訝そうに眉を寄せながら、早くこの手を放してくれないだろうかと思っていた。痛いんだよ、思いきり!
「痛いんだって、マジで。放せよッ」
俺が必死で手を引こうとすると、漸く気付いたスカンチン野郎はなぜかわざとらしく大袈裟に眉を寄せて手を放した。
すまない、と言っているようにも見えるその態度に、俺は仕方なく許してやることにした。本来の力が強いんだろうし…まさか、わざとって訳でもねぇだろう。
「コータロー」
日本じゃ殆どの奴が俺のことをそう呼ぶんだが、ここに来てからはみんな苗字でしか呼ばないから、その独特な異国訛りのある発音で呼ばれると懐かしくて、俺はすぐに気に入った。
俺を呼んでタユが差し出したマグカップには、深夜を通して野営する彼らの為に用意された飛びきり濃いコーヒーが満たされている。
「お、おう。サンキューな」
ありがたく受け取りながらも、俺はそれを口にすることに躊躇った。
何故かって?…俺はガキじゃねぇんだけど、ブラックコーヒーってのが苦手なんだよな。別に飲めないって訳じゃないんだけど、こいつを飲んだ夜は眠れなくなってしまう。明日も朝から荷物運びだってのに。
(ま、いいか。バイトで夜遅いのは慣れてるし…)
そうして俺が、そのマグカップに口をつけようとした、まさにその時だった。
「!」
ガバッと咄嗟に遺跡の方を振り返った俺を、タユとその仲間たちは驚いたように眉を上げたが、キョロキョロと周囲を見渡して訝しそうに首を傾げる俺を見て大いに笑ってくれた。クソッ。
おおかた、動物の気配に驚いたんだろう、とでも思ってるんだろう。
…でも、なんだったんだろう。今の気配は。
首の後ろがチリチリするような…怖気みたいな。
殺気…?いや、まさか。だいたい殺気ってのはなんなんだよ。俺がそんなの判るわけないよな。
それだったら、タユたちの方が真っ先に気付くはずだ。きっと、何かの間違いだろう。
俺は自分にそう言い聞かせて、笑っているタユを小突いた後でマグカップのコーヒーを飲んだ。
苦くて、胃に染みるコーヒーに眉を顰めていた俺は気付かなかった。
暗い暗い、漆黒の闇が支配する密林の奥地で、ひっそりと佇む旧時代の遺跡から見つめてくるゾッとするほど冷たい、滑るような嫌悪感を抱くその双眸の存在に。
見知らぬ異国の地で言葉の判らない現地の連中と会話する、そんな風にその夜は深けていった。