Prologue.旅立ち6  -遠くをめざして旅をしよう-

「竜使いさまは予言通りに現れたの~?」

 道化師のような衣装に身を包んだ、黄金の髪をツンツンに立てた青年は腕を組んだ不遜な態度で振り返ると、やけに惚けた口調でそう言った。

「ああ。王宮付きの占者によれば、だがな」

 純白の甲冑に身を包んだ男が、胡散臭そうな目付きを隠しもせずに道化師の男に頷いてみせると、青年は怪訝そうな表情で唇を尖らせ人を食ったような物言いで言葉を返した。

「占者~?胡散臭そうな名前だねぇ。当たるのかい?その占者さんとやらは」

 しかし、特徴的な左目の下の涙型の青い刺青と、右目の下瞼の縁から放射状に伸びた五本の赤い刺青を持つ年齢不詳の青年は、すぐに油断のないゾッとするほど冷たい双眸で微笑んでみせた。
 別に意識しているつもりもないのだろうが、彼の発する殺気のようなものは、昨日今日で身に付けたものではなさそうだ。

「お前は我々の用心棒として国家に雇われたに過ぎん身だ。余計なことに首を突っ込むんじゃないぞ」

 甲冑の男はこの道化師を嫌っているのか、憎々しそうにそう言って同じように腕を組んで威嚇する。

「おやおや…」

 両手を〝参った〟と言うように体の前で翳しながら冷やかに呟いて、道化師はニコッと屈託なく笑う。

「国家を護ることがお勤めの王宮騎士団の護衛としては、一介の旅道化などでは役不足でしょうねぇ。しかしこの役不足の道化一人に護衛を任せるとは、いったいコウエリフェルの王さまは何を考えておいででしょう?」

「!」

 辛辣に嫌味を言って、どうやら騎士団の副団長らしき男をヘコませた道化師はいきり立つように歯軋りする彼に見えないように舌を出すと、惚けたように知らん顔をする。

「喧嘩なら余所でやってくれよ。全員いるか?セシル、引き上げるぞ」

 木立ちの陰から姿を現した年若い男が、片手に何やら滑る黒い物体を手にして副団長と全員に呼び掛けた。

「団長さん、何か見つかったみたいだねぇ。で?竜使いはどこにいるわけ?」

 遠目でも見分けられる派手な衣装に身を包んだ道化は、魔物の多発するこの危険な森の中にあっても、目に痛い黄色の衣装でキメている。

「いない。もうここにはいないだろう。野営をした痕跡は見つかったが、どうも誰かに先を越されてしまったらしい」

 さして残念そうでもないその無感動な糸目をした団長は、手にした緑色の粘液に塗れた黒い布切れを皮袋に投げ込みながら端的に答えた。

「へぇぇ。どっかの国かい?たとえば、ガルハだとか…」

「それは有り得んだろうな。あの国は竜騎士の流れを持つ血族が支配している。竜使いなど災い以外の何ものでもないと考えているだろう」

「ふーん。ま、関係ないけどねー。それにしても、ちっとも残念そうじゃないね。まるでこう、何だかホッとしているみたい」

 付け入るような口調で意地悪く笑って言うと、団長らしき青年は肩を竦めるだけで上手い具合にはぐらかした。

「災厄が降りかからないようでホッとしてる?まあ、そんな答えでもいいんだけどねぇ~。それじゃ、もう帰るんでしょ?」

「そう言うことになるな」

 頷く彼の指示に従って騎乗した一同の最後に、風変わりな道化師は続いた。

「残念。できれば手土産にでもと思ったんだけど。どうもそう、易々と物事は運びそうにないねぇ。…しかし」

 不意に身体からドライアイスのような殺気が不可視の霧となって溢れ出し、馬が怯えたように嘶いた。

「どんな物好きさんがこんな魔の森に入ったんだろう?あれは湿地帯にいるはずのスライムの残骸だった。ここらでも滅多にお目にかかれないから貴重なスライムくん。けっこう強いよ~?」

 ヒッヒッヒッ…と、咽喉の奥で笑う道化師の密やかな独り言を、至近距離にいた兵士は良く聞き取れないせいでゾッとしたように馬を引き離す。

「賞金稼ぎだったら面白いことになるのにねぇ…」

 周囲に異様な空気を張り詰めさせて、派手な道化師は暫く一人で笑うのだった。

 コウエリフェル兵が撤退した魔の森では、殺気を孕んだ別の一行が到着していた。

「やれやれ、出足が遅れた」

 長く豊かな榛色の髪を背後で三つ編みに編んだ男は、漆黒の馬から苔生す大地に降り立つと、それほど残念そうでもない様子で呟いた。
 風変わりな衣装は風を孕んで長身の男をより大きく見せ、美丈夫は威風堂々とした態度でゆったりと腕を組むと小さく笑う。

「先刻、翼竜部隊の一行が飛び立ちました。恐らく、コウエリフェルの兵士かと…」

 彼の後方に控えている物静かな女が控え目に言うと、男は片手でそれを制して首を左右に振る。

「彼らも出遅れたと見える。件の道化師が物浮かぬ顔をしていたからな」

 風変わりな道化師を知っているのか、男は遠目にも目立つ派手な衣装を確認していたらしく、そう言うとクスッと笑った。

「それでは、いったい何者が…」

 物静かな女の傍らに立つ、やはり優雅な物腰の女が困惑したように柳眉を顰めると、何処かの国の裕福な商人風の出で立ちをした男はやれやれと吐息する。

「さあて、何者であろうな?道化師でもウルフラインでも、ましてやガルハ帝国でもあるまい。もちろん、コウエリフェルでもなかろうよ」

 特に残念そうでもない表情で面白そうに呟く男に、麗しい女たちは困ったように柳眉を寄せて顔を見合わせた。

「いずれにせよ、どうも無駄足であったようだ」

 男は呟くようにそう言うと、颯爽と踵を返して漆黒の愛馬へと騎乗した。

「戻るぞ」

「はっ」

 女たちも白馬にひらりと跨ると、風のように速い漆黒の馬の後を追った。彼らが去った昼なお暗い魔の森に、一陣の風が波乱の種子を撒き散らして吹き過ぎていく。
 災いと諍い、そして一種の希望のようなものを象徴する予言の竜使いは、世界中に一滴の雫を投げかけたのだ。
 その波紋は小さな漣となり、やがて津波となるかもしれない。しかし、それが幸いとなるのか災いとなるのかは、まだ誰も判らないことである。

(中央寄せ)いまはまだ、小さな波紋に過ぎないのだ…

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。