第一章.特訓!1  -遠くをめざして旅をしよう-

 瀟洒な緋色の天鵞絨が垂れる謁見の間には、純白の甲冑に身を包んだ青年が豪華な緋毛氈の上で畏まったように片膝を付き、最敬礼とも言える騎士の礼をとっている。その傍らに、そんな厳然とした場には不似合いな道化師が酷く退屈そうな顔をして立っていた。

「よう戻ったと労いたいところじゃが、どうしたことか儂の眼に竜使いの姿が見えぬ」

 白い髭を蓄えた老齢の王は豪奢な玉座にどっしりと鎮座まし、恐縮する甲冑の青年を訝しむような胡乱な目付きで捉えると咳き込むようにそうのたもうた。

「竜使いと、それを奪いし者を見付けることもせずにおめおめと舞い戻ってきた団長リジュよ、訳を陛下に詳しく申すのじゃ」

 王の傍らに控える側近の大臣は、踏ん反り返って高慢な口調で促した。

「副団長のセシルくん、ちょっとお口が軽すぎる~♪」

 道化のくせに吟遊詩人のように声の良い、派手な男は素知らぬ顔をして歌うように嘯いた。

「黙らぬか、デュアル!そなたには聞いておらんっ」

「あ、言っちゃった。ごっめ~ん♪」

 小馬鹿にしたように戯ける道化師に大臣は頭を抱えたが、王の面前に控える団長リジュが肩越しに窘めると、なぜか彼は、その言葉に素直に従って悪怯れた風もなく肩を竦めて欠伸をする。

「兎にも角にも、どう言うことが起こったのか手早く申せ。デュアルは黙っておれよ!」

「はいはい」

 先程の行為を教訓に先手を取る大臣に、デュアルと呼ばれた道化師は肩を竦めて舌を出した。

「魔の森は昼なお暗い魔物の巣窟です。いかに屈強なコウエリフェルの翼竜部隊とは申しましても、地上戦には向きません」

 さっさと話を進めようとするリジュに、大臣が水を差すように口を挟んだ。

「それ故に道化を供に連れて行かせたであろう」

「あの森の魔物を一掃すれば気が済むの?あの金額で?冗談じゃないですー」

 実は半端な額を手にしてるわけではないと言うのだが、それでも受けられないほどリスクの大きな依頼に冗談じゃなさそうにデュアルが外方向いたままで言い放つと、ムッとしたような大臣はそんな彼を睨んだが、それ以上発展しないようにリジュが慌てて先を進めるように僅かに声音を上げる。

「湿地帯でもない森にスライムがいたようです。これがその証拠ですが、このような痕跡とも言えない僅かな手掛かりだけを頼りに、あの森の深淵に進むには証拠が少なすぎると判断して戻って参りました」

 脇に置いていた皮袋を手に取り、それを開いて中に納まる粘液に塗れた黒い布の残骸を提示した。
 ムッとする異臭に大臣と国王は嫌そうに眉を寄せるが、平然とした顔でそれを持ち上げたリジュは粘る液体の絡んだ掌を開いて見せる。黒い服の残骸が溶け切れずに零れ落ちた。

「魔の森にスライムか…それで?竜使いの消息はどうした」

 不意に艶やかなバリトンが響き、太い石柱の陰から姿を現した榛色の豊かに長い髪を後ろで三つ編みに束ねた、何処かの国の裕福そうな商人風の出で立ちをした青年が腕を組んで玉座の傍らに立った。

「セイラン殿下」

 大臣とリジュはハッとしたように眼を瞠ると、セイランと呼ばれた青年はその甘いマスクにゆったりと微笑みを浮かべて頷いてみせる。

「おお、セイランか。この放蕩皇子め、いずこに参っておった?」

 王が自慢の息子を見上げて言うが、彼はそれに微笑みだけで答え、質問したリジュにではなく道化師のデュアルを見つめて話を促す。

「は。今のところは不明でありますが、現在、このコウエリフェルを始め、魔の森が位置するヴィール王国全土を探らせています。しかし、あまりに情報が少なすぎる為に難航してはいますが…」

「なるほど」

 セイラン皇子はゆったりとした足取りでリジュたちに近付くと、後ろ手に組んで、暫く何事か考えている風だった。

「時にデュアル」

 突然名指しされても道化師は驚いた様子もなく、却って不貞腐れたような表情をしてその紺瑠璃色の瞳を見据えた。

「なんですか、皇子さま」

 気乗りしない口調ではあるが、ふざけた態度は見せずにそう答えると、セイランは何がおかしいのかクスッと小さく笑う。
 そう言う態度が気に食わないデュアルだったが、どうもこう、腹に一物も二物もありそうなこの皇子の底知れぬ何かが、件の道化師にとっては苦手なようである。どんな権力者も鼻先で笑うデュアルにしては珍しいことだが、それだけに、この気紛れそうな得体の知れない権力者の不気味さが窺えるのではないだろうか。

(気紛れで得体が知れないって良く言われるけど…彼ほどじゃないとは思うんだよねぇ)

 誰にともなく言外に呟く道化師に、セイラン皇子は知ってか知らずか言を次いだ。

「お前は優れた先見の持ち主だと聞く。そのお前でも、竜使いの行方を知ることはできぬのであろうな?」

「判ったらこんな所にはいません。さっさと見つけに行ってますー」

「素直なことだ」

 クックッと笑って玉座に戻りかけるセイランに、デュアルはちらっとリジュを見て、それから徐に声をかけた。

「竜使いを連れ去った奇特な奴は、どうも頗る腕が立つみたいだよ」

 足を止め、振り返ったセイランの無表情な顔を眺めながら、デュアルは腰に片手を当ててニッコリ笑う。

「スライム然り。でもそれだけじゃあない。野営の場所に結界の跡があった。アレって確か、ハイ・ブラッヂスが使うシェリルじゃなかったっけ?」

 わざとらしく聞いてくるデュアルに、そこまで調べていたのなら証拠も一緒に持ってきてくれればいいのにと、リジュは溜め息を吐きながら頷いて答えた。

「その通りです。スライムを一刀両断にしたその腕も然ることながら、恐らく剣に施されているのだろうデュラジオの水準も驚くほど高いと思われます。そのような人物がこの世界に存在していると考えると、わたしは寒気すら覚えます」

「…なるほど。我が国きっての使い手であるお前がそこまで言うとは、面白い」

 興味を示した皇子はすぐにでも謁見の間を後にしようとしたが、ふと振り返り、派手な道化師と純白の甲冑に身を包んだ無骨そうな青年を交互に指差しながら何事かを考えているようだったが、すぐに頷いて手早く告げた。

「そうだな、お前たちに命じる。竜使いと、数多の国々を出し抜いたその使い手とやらを見つけ出してくるのだ。時間を費やしても必ず」

「ちょっと待ってよ。あれぐらいの報酬で長くクラウンを空けろって?冗談じゃないです。団長に殺されますー」

 不機嫌そうに唇を尖らせるデュアルは、まるでお話にならないとでも言うように、片手を振って踵を返そうとした。

「報酬はお前が必要とするだけ出そう。その条件でどうかな?シュカーティア」

 ピタッと道化師の足が止まる。
 無表情で振り返ったとほぼ同時に、不可視の殺気がまるでドライアイスのようにその身体から溢れ出し、リジュは思わず抜刀しそうになった。
 今度こそ意識してそうしているのか、彼の殺気は間違えることなくコウエリフェルの皇太子に向けられている。側近も大臣も、そして国王ですら思わず立ち上がりそうなほど、その気配は冷たい霧のようにゆっくりと大広間を満たしていく。
 しかし、腕を組んで平然と構える皇子を暫く無言で見据えていたデュアルは、不意にニコッと満面の笑みを浮かべると、パチンッと両手を打ち合わせると祈るようにしてその手を組んだ。

「そうこなくっちゃ、皇子さま!やった、これで目標金額に達成する~♪」

 まるでそれまでの殺気が嘘のようにケロッとしたデュアルは飛び上がらんばかりに喜んで、呆気に取られてポカンッとしているリジュを立ち上がらせると、その首に片腕を回して親指を立てて見せたのだ。

「任せなさい!すぐにでも見つけてくるさッ」

 安易に引き受けるデュアルに文句を言おうと開きかけた口をもう片方の手で塞がれ、リジュは苦しそうにもがいたが、圧倒的な力の強さにとうとう断念せずにはいられなかった。
 …と言うよりはむしろ、皇太子殿下の命令であればどのような事情があろうと最優先しなければいけないのだから、断ろうなどとは思ってもいない。ただ、どうしてこのふざけた男と旅を共にせねばならないのだろうと、実直な騎士は些か不満そうに鼻を鳴らした。

「では、任せた。モール大臣」

「は、はい、何でございましょう。殿下」

 同じく呆気に取られていた大臣はハッと我に返り、慌てて低頭すると皇子の言葉を待った。

「彼らが欲しいというものを全て用意せよ」

「はっ」

 深く頭を垂れて仰せ付かる大臣を残し、セイランは颯爽と謁見の大広間を後にした。出て行く方向がいささか違うようでもあるが、その場に居るものは敢えて何も言わなかった。

「ほっほっほ。先行きが安泰じゃ」

 黙して見守っていた王は満足そうに白い顎鬚を扱きながらそう言ったが、リジュとその場にいた側近たちは先行きの不安を感じてこっそりと溜め息を吐いた。
 皇位にある間だけでも、どうかご自分の立場だけは弁えて欲しいと。
 がっくりと一同が肩を落としているその時、デュアルだけがいつもの戯けた態度とは裏腹の、やけに冷めた双眸で皇子を見送るのだった。