第一章.特訓!2  -遠くをめざして旅をしよう-

『うわぁ、星が綺麗だー』

 両手を伸ばせば届きそうな、と言う形容がまさに似合う、降ってきそうな満天の星空を見上げ、光太郎はお約束通りに両手を伸ばしている。
 道中の長い道程にも関わらず、然して疲れた様子も見せないルウィンは魔物避けに火を熾すと近くの大きな石に腰を下ろし、そんな光太郎に目を向けた。
 こうして、天候の良い日は見晴らしの良い小高い丘で野宿をすることが多い。魔物に比較的見付かりやすい場所だが、だからこそ防御もすぐにできると言うのがルウィンの持論だ。何事もうざったいと考えている彼のことだ、魔物に関わらないでいられるのならそれにこしたことはないのだが… 
 恐らく全ては光太郎のことを考えてなのかもしれない。
 と言うのはつまり、保身の為に茂みに隠れていたのではせっかくの夜空を台無しにしてしまう、それよりは少々危険でもこの方が幾分かでも気分は爽快になるはずだ。
 もともと賞金稼ぎと言う危険な職業を生業にしているのだ、殺気は敏感に感じ取ることができる。何より、この周辺で彼よりも強い魔物などいないのだ。ただ遭遇することにうんざりするだけで、それを我慢すれば別に気にするほどのことでもない。
 賞金稼ぎと言うのは所謂、この世界での何でも屋の事で、時には要人の警護をすることもあるらしく、光太郎一人ぐらい護れなかったら今ごろルウィンはここに生きてはいないだろう…と、ルビアが以前にそう言っていた。

『ルウィン、見て。星が綺麗だよ!』

「?」

 夜空でキラキラと瞬く小さな光は、何万光年も離れた遥か彼方で燃え尽きようとしているのだ。しかし、光太郎の住む世界では、そんな儚い彼らの姿が見られるところは限定されてしまう。
 だからこそ、光太郎がこの世界に来て一番に心惹かれたものがこの星空であり、大自然だった。

『俺の世界だと、星って言ったらちょこっとぐらいしか見えないんだよ。それで、本格的に見ようと思ったら山に登ったりとか、海外の砂漠とか、あんまり人のいないところに行かないと見られないんだよね。あ、でもネオンだったら見られるよ。でも、それって星じゃないから意味がないんだ。便利だけど、時々勿体無いなぁとか思うんだ。本当だよ?』

 ルビアがいないと言葉の不通のせいか、無口になるルウィンに光太郎はへっちゃらで話し掛ける。それが通じていないと判っても、喋らずにはいられないのだ。
 一つには恐らく不安。
 オカルト好きな彰ならともかく、どうして自分がこんなところにいるのかとか、これからどうしようとか、考え込めば果てしなく落ち込んでしまうような悩みの種ばかりが脳裏を渦巻いてしまう。知らず、他愛のないお喋りが口をついて出ても仕方がないのだろう。
 だが、その光太郎のお喋りには意図的なものがあって…

「言葉を理解していないヤツに、よく話し掛けられるな。全く、変な奴だよコータローは」

 呆れたように眉を上げるルウィンに、光太郎はパッと笑ってから、漸く出てきた言葉をお浚いしようと両目を閉じた。

「何だ?」

 ちょっと訝しそうに首をげるルウィンに、パチッと双眸を開いた光太郎は彼を見上げてゆっくりと慎重に口を開いた。

「にゃんた」

「は?」

 さらに訝しそうに眉を寄せると、光太郎はニコッと笑って嬉しそうに頷いた。やはりどうも、言葉は通じていないようだ。

『ヴォイス?』

 小首を傾げる仕種をして尋ねるようなイントネーションに変えると、漸く光太郎の意図する思いが判ったらしく何か言いたそうにしていたルウィンはしかし、首を左右に振って今度はゆっくりと発音した。

「にゃんた(ヴォイス)…じゃない、」

「にゃんだ(ルヴォイス)」

「惜しい!…けど違う。ル・ヴァ・イス。判るか?」

「何だ」

「よし。発音とかムチャクチャだが、聞こうと思えば何とか聞けるな」

 ルウィンが腕を組んで頷くと、光太郎は嬉しそうに何度かその言葉を繰り返した。
 そう、光太郎は、何もせずに不安で眠れない夜を過ごすぐらいなら、毎夜起きて寝ずの番をしているルウィンを相手に、取り敢えず言葉を覚えようと決意したのだ。
 言葉を覚えなければ何も始まらない、それが悩みに悩んだ末、光太郎が弾き出した答えだった。

「…」

 もちろん、そんなことは露知らぬルウィンはしかし、その様子を見ていてすぐさますべてを理解したのだ。
 …恐らく自分は、これからこの言葉覚えに付き合わされるのだろうと内心でたらりっと汗を流しながら、ルビア、早く帰って来いよ、と思っていた。
 そんな複雑な表情をしたルウィンに気付いて、光太郎が嬉しそうにニコッと笑う。
 どうやら悪い予感は的中しそうで、ルウィンは密かに冷や汗を額に浮かべてニコッと笑い返しながら祖国ウルフラインに一時帰国しているルビアのことを考えていた。

《うふふふ~ん♪クローディアは相変わらず可愛いの》

 口笛を吹きながら陽気に戻ってきたルビアを迎えたルウィンは、やや不機嫌そうに眉を寄せているものの何か文句を言おうと口を開きそうな気配はない。

《ど、どうしたのね?いつもは普通に迎えてくれるのに、どうして今回に限ってそんなにどんより雲を背負っているの…?》

「うるせーな。オレに話し掛けるな。寝ろ。そして明日に備えろ」

《…話し方が何か、ヘン、なのね》

 一語一句を綺麗に分けて、なお且つ聞き取りやすい発音で話すルウィンの言葉遣いは、ルビアにしてみれば極めておかしく聞こえるのだ。

「う?…マジかよ。ヘンな癖になりそうだ」

 地面に直接布を一枚敷いただけの簡素なベッドに潜り込んだ光太郎は、柔らかい布に包まれて焚き火の傍で安らかな寝息を立てている。
 困惑したような疲れたような、複雑な表情をして石に腰掛けているルウィンは焚き火の光を受けて静かに眠っている光太郎を見下ろした。

《いったいどうしたの?》

 どんなに鈍いルビアでも、光太郎が関係していることぐらいルウィンの行動を見ていれば充分に予想がつく、が、敢えて聞いてしまうのは好奇心のなせる業だ。

「いや、別に」

 素っ気無くそう言って外方向くルウィンに、ルビアは訝しそうに眉を寄せてその目の前に飛んで行くと、顔を覗き込むようにして詰め寄った。

《別に、じゃないのね!ルウィンの〝別に〟は絶対に裏に何かあるの!隠さないで話すのね!》

「別にそんな大したことじゃないさ。それよりも、光太郎がお前に見捨てられたって嘆いていたぞ」

《大袈裟なの。これからウルフラインに行くのだから、隣国のブルーランドのことも下調べをしないといけないのね》

 ブルーランド。
 今から凡そ十年ほど前、ルビアの祖国ウルフラインの隣国ブルーランドは魔物による叛乱で滅亡してしまった国である。今では魔族が住み着き、魔族の王が支配している。
 その凶悪な闇の支配する国に、噂ではブルーオーブと呼ばれる秘宝が隠されているらしい。もちろん、ルウィンにとって興味深い噂だが、今はお荷物を抱えてどのようにしてその国を抜けてウルフラインに行くのか、と言うことに頭を悩ませていた。
 途中の峠では盗賊も出没するようになったと聞いている。
 凶悪な魔物の支配する国の隣国と言うこともあって、いったん祖国に戻っていたルビアの顔はそれでも僅かながら曇っていた。自分の祖国でも、やはりそれなりの諍い事は勃発しているのだ。中立国と言うこともあって、他国の干渉の全てを自国で解決しなくてはいけない為に、国内ではいらぬ諍い事が多発しているのだ。簡単に言えば、内乱である。
 つまり、皇太子であるルビアは、ガルハの賓客であるルウィンを狙うだろうレジスタンスを注意していた。
 いや、ルウィンを狙うレジスタンスを心配している、とでも言うべきだろうか。

《どっちの国も、今はやっぱり危険なのね。ブルーランドは相変わらずだし、峠の盗賊は恐ろしく強くて魔物ですら避けて通るらしいの。ウルフラインは中立と言う立場で常に近隣諸国との間に緊張感もあるし、さらに重税による圧迫で嫌気が差しているレジスタンスは竜使いさまの出現もあってますます過激化する一方なのね》

「そうか」

 残念なのかそうでないのか、よく読み取れない表情をして頷くルウィンに、ルビアは残念そうに溜め息を吐いて首を左右に振った。

《残念だけど、今のウルフラインに光ちゃんを連れて行くわけにはいかないの。どちらかの国でソッコー捕まっちゃうのね》

「光ちゃん?で、そのレジスタンスとやらの主力部隊ってのはいるのか?ああ、その、リーダー的存在の集団だな」

《光ちゃんは渾名なの。〝紅の牙〟って言うのが、今のところ彼らのリーダーみたいなのね》

 端的に説明すると、ルビアはルウィンの傍らの石に舞い降りて腰掛け、短い足をブラブラさせながら光太郎を見つめた。

《紅の牙って言うのが、誰かの名前なのか、それとも集団の名前なのか、或いは何かの暗号なのか。ぜーんぜん判らないの。これを聞き出すのも大変だったのね》

「厄介と言えば厄介だが、だからと言って何もせずに無駄に過ごすのも面白くないな」

 そう言って立ち上がったルウィンは、軽く伸びをしてから満天の星空を見上げた。
 見慣れたはずの星空は、ふと気付くと、随分長いこと見上げていなかったような気がする。

「綺麗だな。本当だ」

《?》

 呟くような独り言に眉を寄せるルビアを見下ろして、ルウィンは珍しく小さく笑った。

「竜使いはこの星空が好きなんだそうだ。自然をこよなく愛してるコイツになら、神竜の頑なな意志も解けるんじゃないのか?」

《たぶん…でも、危険なのね》

 ルビアが困惑したように言うと、ルウィンは肩を竦めてからもう一度星空を見上げた。

「諍いと騒乱…か。だが、どの国にも渡さずに神竜に届ければ、世界も少しは幸福になるんだろう?それならば、多少の危険は覚悟しないとな」

 ブルーランドを通らずにウルフラインに抜ける道もあるだろう。
 ルウィンは僅かな希望でも試してみる価値はあるだろうと思ったのだ。

《じゃあ、ルウィン!》

「明日、ウルフラインに発とう」

 神秘的な青紫の瞳の中にある満天の星の一つが、まるで希望のような彗星となって夜空を駆け抜けていった。