第一章.特訓!10  -遠くをめざして旅をしよう-

「コレ、凄く美味しいよ。団長さんは食べない?」

「煩い」

 この会話は随分と前から初めは一方的に交わされていた。
 いい加減ウンザリしたリジュが細い目に怒りを込めて背後のピエロを振り返ると、彼、陽気でふざけた派手な衣装に身体を包んだ道化師デュアルがバーガーのようなものに食い付きながら首を傾げた。

「なんで?」

「…よく、この雑踏の中で物を食いながら歩けるもんだ」

 半ば呆れたように頭を抱えるリジュに憮然としたデュアルは、片手に持った紙のコップに注がれている琥珀色の飲み物で咽喉を潤しながら唇を尖らせた。

「朝ご飯もお昼も抜きだったんだよ?腹が減っては戦はできませんー。まずは腹ごしらえですよーだ」

 子供のように言い返すデュアルにリジュは、だからまずは宿屋を探しに地下から地上に戻ったんだろうと言い返したかったが、低レベルな言い合いを続ける気力もなくて溜め息を吐いて首を左右に振った。

「ねえねえ!団長さんって。今日のウルフラインはまるでお祭りみたいに賑やかだねぇ?」

「ああ。竜使いが現れて神竜が目覚めるとかで、城では連日連夜大盤振る舞いの宴が開かれていて、街もその影響で祭りを催しているそうだ」

 子供たちが嬉しそうに人込みを掻き分けて走り抜ける後姿を目で追いながら、デュアルは自分で誘った話題のくせにいまいち気乗りしない口調でふぅ~んと応えた。
 大通りなのにこう人が多いと狭く感じる通路は、両脇に犇く露天の明かりが夕暮れ時にも関らず道行く人の顔を鮮明に浮かび上がらせる。多種族の入り混じる貿易の国ウルフラインの首都は、街の中央に運河の流れる水と森の都としても有名である。

「どうしたんだ?お祭り好きの陽気なピエロ…と言うのがお前さんのキャッチコピーじゃなかったのか?」

 急に大人しくなったデュアルの態度に不信感を抱きながらも苦笑するリジュに、食べ掛けのバーガーもどきを口許に当てていたピエロは、前を行く団長に追い付いてそれを押し付けることにした。

「ハイ、あげる」

「!?…いらんッ」

 突き返そうとするとスルリと逃げ出した陽気なピエロは浮かない顔をして舌を出す。

「先に宿を見つけててよ。後から行くし。じゃあね」

「あ!おいッ!単独行動はご法度だぞッ…と言って聞く奴でもあるまい。やれやれ」

 リジュは片手にバーガーもどきを持ったままで雑踏に消える派手な衣装を暫く見送った後、すぐに行動を起こして自らも雑踏に姿を消してしまった。
 その頃デュアルは、陽気なお祭り気分に旅人も街の住人も浮かれる大通りを浮かない足取りで不機嫌そうに進んでいた。リジュとの旅は思ったよりも楽しいし、何よりも面倒臭い【退屈】がない。
 デュアルはリジュを気に入っていた。
 だからこそ、自らの厄介事で彼を悩ませるのは尤も嫌う【退屈】よりも面白くないと思ったのだ。
 大通りから逸れた薄暗い裏路地は、魔導師になれない魔法使いが妖しい実験から生み出した幻覚剤でラリッた連中や、地下に潜ることを許されていない娼婦が所在無さそうにブラブラと立っている。昼間でも、裕福な連中がこんな裏寂れた路地に入ってくることもなく、気紛れに入り込んだとしても多額の金で買われた娼婦は二度とこの場所に戻ってくることはない。喜ぶべきか悲しむべきか、どんな顔をしたらいいのか判らないと言った感じで俯く彼女たちの脇を通り抜けて、夕暮れに薄明かりを燈す風に揺らめく蝋燭の光の中で、デュアルは不貞腐れたように立ち止まった。

「いるんでしょー?出て来なよ」

 気のない様子で闇に問えば…

「やあ、デュアル」

「お久しぶり」

「見つかっちゃった~♪」

「デューさま!」

 口々に思い思いの言葉でもって己の存在をアピールして姿を現した道化の連中に、デュアルはウンザリしたように腰に片手を当てて唇を噛んだ。

「アウブルまで来るなんて…総出ってのは趣味が悪いんじゃない?」

 砂利の転がる裏路地の狭い通路に、4人の道化はいとも優雅な風情で立っている。デュアルはまるで親しそうに話しかけて、そして途方に暮れているようにも見えた。

「そうではございませんのよ、デューさま。ジェソ団長が甚くご立腹でございますのよ」

 アウブルと呼ばれた桜色の道化の衣装に身を包んだ長身の美丈夫は、そんなデュアルに応えるように口を開きながらも、蝶を模した目許を覆 うだけの仮面の奥から冷えた金色の双眸で、まるで叱られた子供のように唇を尖らせている派手な道化を見つめているようだ。
 感情さえも読み取らせない、仮面にはそんな意味も含まれているのだろうか…

「帰っちゃえよう!クラウンに帰っちゃえよーう!」

 緑の衣装の道化がやはり蝶を模した仮面の奥から口調とは裏腹の冷静な金の双眸で見つめながらそう言うと、デュアルは 煩 そうに眉根を寄せて首を左右に振った。子供染みた口調でありながら、緑の道化はおどけたような素振りさえもせずに静かに佇んでいる。
 デュアルにはそれが鬱陶しかった。

「帰らないよ、アララハラルト。ジェソ団長にそう伝えて」

 緑の衣装の道化の表情が烈火のごとく曇ったが、口を開く前に赤の衣装を身につけたやはり目許を覆う仮面の道化が前に出た。

「ダメだよ、デュアル。ジェソ様はすぐに戻れと仰っておいでだ」

「戻らない。パッカーキーストが幾ら言っても戻らない」

「コレは言い出すと聞かない。手の焼ける団員だとジェソ団長も仰っておいで。誰の指図?」

 黙って腕を組んだままで脇に控え、事の成り行きを見守っていた青の衣装に顔全体を覆う仮面をつけた道化が口を開くと、まるでその場一帯に電流でも流れたかのように皆が一斉 に口を閉ざしてしまった。
 ただ独り、まるでカヤの外を決め込んだ様にデュアルが仏頂面で立っている。

「コウエリフェルの皇子さま。ジェソ団長が言ったんだよ、彼の言うことを聞きなさいってさ。もういいでしょ?ブリューインディスト」

 その青の道化には弱いのか、デュアルはソワソワしたように腰に当てた手で前髪を掻き揚げた。掻き揚げて、小さく舌打ちする。
 残りの3人はどうでも良くても、ブリューインディストが苦手なデュアルだ。額に浮かんだ嫌な汗は図らずも背中にも浮かんでいて、早くここから立ち去りたいと柄にもなく願っていた。

「アレは一筋縄ではいかない。手の焼ける皇太子殿下だとジェソ団長も仰っておいで。仕方ない」

 呟くように言って、仮面の奥の銀色の瞳で見つめながら何時の間にか眼前まで移動していたブリューインディストは、音もなく伸ばした指先で派手な衣装の道化の顎に手をかけて、ともすれば俯き勝ちになるデュアルの顔を上げさせた。

「任務終了時には速やかに帰団すること。ジェソ団長が寂しがっておいで」

「判ってるって、ブリューインディスト。それを承知で入団したんだもの。今更逃げ出したりはしない」

「もちろん」

 ブリューインディストがまるで滲むように闇に溶け出すと、残りの連中もさっさと闇に帰ろうとした。ただ独り残して…だが。

「デューさま。必ずお戻りになってくださいましよ?アウブルはデューさまと共にある為だけに存在してるのでございますから」

「うん。大丈夫だよ、アウブル。早くお帰り。今度はキミが叱られてしまうから」

 デュアルが跪くように平伏すアウブルの頬に触れながら呟くと、彼はその手に頬擦りをしながらうっとりと双眸を細めた。

「デューさま、愛しいお方。アウブルの身も心も、全身に流れるこの血潮でさえ全てはデューさまのものでございますのよ。きっと、お忘れにならないで下さいましね」

「…うん」

 鳥肌を立てながら頷くデュアルの手の甲に口付けを残して闇に消えたアウブルを最後に見送って、周囲から凶悪な気配が完全に消えてしまったことを確認したデュアルは崩れるように膝立ちになると、ガックリと両手を地面につけて肩で大きく息をした。

「もう、ホント!嫌になるったらッ!クラウンの連中はどうしてこう、小煩い奴らばかりなんだろう!?」

 突発的に上がった怒声に 訝 しそうに眉を寄せる娼婦や中毒者たちを無視して、デュアルは 汚 らしい路地の上に 胡座 をかいて座り込むと片手で頬杖を突いた。

「アウブルはキモイし、ブリューインディストはやたら得体が知れないんだもん。全く…疲れるったら」

 顔全体を覆うその仮面の下が、いったいどんな素顔なのかデュアルも見たことはない。
 不気味な雰囲気を 醸 し出すブリューインディストはともすればあのコウエリフェルのセイラン皇子よりも得体が知れないのかもしれない。
 デュアルの入団している【クラウン】の、彼らはまだほんの一部でしかないのだが。
 まだ知らない見知らぬ団員が後何人いるかなんてのは知ったことではないが、どうか今暫くは放っておいて欲しい…と思うデュアルだった。
 賑やかな表通りのとある宿屋で漸く空室を確保できた奇跡を起こす男リジュの待つその場所まで、デュアルがヘトヘトになった重い足を引き摺って行くのはもう少し後のことになる。