第二部 3  -悪魔の樹-

 ションボリして夕飯の支度をしても、上の空でご飯を零す俺を、茜と父親は呆気に取られたように見ていたようなんだけど、そんなことすらも、その時の俺は気になっていなかった。
 茜に言わせると、大事にしていた白蜥蜴と可愛がっていた灰色の猫が同時に消えたから、ペットロスにでも陥ってるんだろうと、人の気も知らないで父親にくっちゃべってやがった。それだけなら、俺だって傷心に打ちひしがれたままで軽やかに無視したに違いない。
 でも、父親の一言がいけなかった。

「まあまあ、光ちゃん。白い蜥蜴なんて珍しいけど、同じような蜥蜴と猫を飼ってあげるから、そんなに落ち込まないで笑顔笑顔♪」

 悪気なんかない。
 うん、よく判るんだけどな、親父。
 ごめん、殴らせて♪

「グハッ!痛い、痛いよッ、光ちゃん!!」

「うるせー!クソ親父ッ!!レヴィも灰色猫も、同じヤツなんか二度といないんだ。だから、大切なんじゃねーかッッ」

 思わずポロリ…ッと涙が零れて、俺から拳骨を喰らった父親はハッとしたような顔をして、それから申し訳なさそうにシュンッと眉を八の字にして俯いてしまったけど、大人しく蚊帳の外で飯を食っていた茜は、ヤレヤレと首を左右に振った。
 何時の頃からか動物アレルギーの治った弟は、それでも、未だに動物が嫌いらしくて、本当に清々した顔をしているんだけど、それでも俺が泣くのはそれ以上に嫌なのか、箸を置いてガタンッと椅子を蹴るようにして立ち上がったんだ。

「あのバウンサーは白くて目立つから、何処かの保健所に拉致られてるに決まってる。まずは保健所に行くべきだろ?」

 夏休みの一日を返上しても、一緒に保健所に行ってくれると、この仏頂面の弟は腕を組んで態度で示してくれた。そんな茜を見上げたら、弟はバツが悪そうな顔をして外方向いたけど、父親が殴られた頭を庇いながら嬉しそうに目尻に皺なんか寄せやがった。
 今泣いたカラスがもう笑ってんじゃねぇ!お前は子供かッ!!

「ん~、愛すべき兄弟愛!お父さん、嬉しいよ」

 思いっきり脱力して、できればその口を縫い止めてやりたい、と思っても仕方ないと思う。
 茜だって、思わずと言った感じの呆れ顔で、そんな父親を見下ろしていた。
 その時。

「にゃあ」

 猫の鳴き声にハッとして、俺は茜の足許を見下ろしていた。
 そこには、薄汚れているような灰色の猫が、いつもはまん丸で可愛いはずの瞳孔を、キュッと引き絞った細い瞳をして、金色の双眸で俺を見詰めている。
 その表情に、不意に、またしても競り上がってくる不安感に、吐き気がした。

「あ、良かったじゃん。灰色猫が戻ってきたぜ」

 俺の抜群のネーミングセンスの悪さは今更だから、『灰色猫』と名付けて可愛がるからと言った時の父親と茜の顔は、白蜥蜴に続いての胡散臭い生き物登場に溜め息を吐いていたけど…今ではスッカリ、家族の一員のように想ってくれているのが、その安堵した表情でよく判る。
 俺の我侭も、何もかも、全てをひっくるめて愛してくれる家族がいることが、最大の幸福なんだと言うことを、いつか母さんが言っていた。
 その気持ちが、今なら少し判るような気がするよ。
 俺に泣かれるのが嫌な茜も、灰色の、けして可愛いとは言い難いふてぶてしい顔付きをした灰色猫を抱き上げて、ご主人にもう心配かけるなよと、笑いながら窘めてくれている。安堵した表情は少なからず、茜も灰色猫を心配していたに違いないんだ。
 何処から入り込んだのかとか、そんなことは気にせずに、戻ってきた猫の頭に頬を摺り寄せる茜に、灰色猫は照れ臭そうに「にゃあ」と鳴いている。
 でも、その表情は何処か硬くて、チラリと俺を見る目付きは、何か言いたそうに細められている。
 一抹の不安は、今や大きなうねりとなって、俺の心を平常に保たせてはくれないようだ。

「よかった!灰色猫にオヤツを買ってるんだ。テーブルはこのままでいいから先に部屋に戻ってるよ」

 あからさまにわざとらしいかなぁとは思ったけど、その時の俺には、そんなことはどうでも良かった。
 灰色猫も俺の意思を汲んでくれたのか、居心地の良さそうな茜の腕の中で身じろいで、それから難なく擦り抜けると俺の足許に身体を摺り寄せてきた。

「やっぱ、ご主人が一番なんだな~。ま、俺は光太郎が泣かないんなら別にいいんだけどさ」

 ちょっとぐらいは名残惜しそうに唇を尖らせてそんな可愛らしいことを言う茜に、抱き上げた灰色猫と俺は顔を見合わせてこっそりニヤッと笑ったけど、のほほんとテレビを点けた父親にも、伸びをして浴室に行こうとする茜にも気付かれなかった。
 そんな2人をリビングに残して、俺は階段を一段抜かしで一目散に部屋に駆け上がっていた。
 そんなに猫のご帰宅が嬉しいのかと、茜は驚いたような顔をしていたけど、それすらも無視した俺が部屋に飛び込むのと、俺の腕からすっぽ抜けるようにして飛び出した灰色猫が空中で一回転して人型になるのはほぼ同時だった。

「灰色猫!れ、レヴィは??」

 真っ先に聞きたかった質問に、いつもは胡散臭いニヤニヤ笑いを浮かべているはずの占い師は、僅かに表情を曇らせているのか(と、言うのも顔の半分以上を灰色のフードで隠しているから、口許の動きだけで表情を読まないといけないから骨が折れるんだ)、ニヤニヤ笑いの引っ込んだ口許は、微かに強張ったように引き結ばれていた。
 いったい、何が…

「レヴィはもしかして…」

 最悪の答えが脳裏に閃いて、思わず泣きそうになりながら、俺は目の前が真っ暗になるような錯覚を感じていた。でも、そんな俺に、慌てたように灰色猫が首を左右に振って、その思いを払拭させてくれたんだけど…

『そんな、甚だしい問題ではないよ。いや、そうなのかもしれないけれど…お兄さん、どうか、落ち着いて聞いて欲しい』

「…」

 ゴクッと息を呑んだ。
 双眸を灰色フードの奥に隠してしまっている灰色猫の、その微妙な変化では、これが本気なのか、ただ単に悪魔の使い魔らしく、俺を騙しているだけなのか…どうか、後者であって欲しいと言う俺の願いは、悲しいかな、木っ端微塵に打ち砕かれた。

『ご主人、レヴィアタン様は…どうも、記憶を失くされてるようなんだ』

「…え?」

 俄かには、何を言われたのか理解できなくて、俺は眉を顰めて首を傾げてしまった。
 驚くのも無理はない…とでも思ったのか、やれやれと首を左右に振った灰色猫は、俺のベッドに腰を下ろすと疲れたような溜め息を零した。

『実際、信じられなかったんだけどねぇ。いつも通りの記憶はあるのに、まるでスッポリ、お兄さんの記憶だけが消えちゃったみたいなんだよ』

 灰色猫の台詞に、それでもどうやら、レヴィが元気でいることに変わりはないようだと一安心したんだけど、それでも、ムクムクと沸き起こるのはちょっとした激怒。

「…なんだよ、それ」

 ムスッと、眉間に皺を寄せて唇を突き出すと、俺の怒りのオーラを感じ取ったのか、灰色猫は首を竦めるようなフリをしながら、困惑したような声を出すから、どうやらこの話は嘘でも冗談でもないんだと、判ってはいるんだけど、漸く俺の脳が受け入れたようだった。

『最初は冗談だろ?って思ったんだけどねぇ…この灰色猫がお兄さんの許に戻られないんですか?って聞いたらさぁ、ご主人、なんて言ったと思う??』

 想像もできなくて首を左右に振ったら、灰色猫は溜め息を吐いたんだ。

『何を言ってるんだ、灰色猫?光太郎ってのは誰だ??』

 一言一句、聞いた通りを、まるでレヴィがそこにいて喋っているかのように、ソックリな声音で言ったから、俺はビックリして双眸を見開いてしまった。
 でも、それは悪魔の使い魔である灰色猫が、わざと声真似をしているだけだと知って、やっぱり、これは嘘でも夢でもないんだと唇を噛み締めてしまった。

「どうして…俺の記憶だけ失くなったんだろう?」

 灰色猫は『さぁ?』と首を傾げたけれど、思い直したように顔を上げて俺を見上げた。
 フードの奥の、見えないはずの双眸がチカッと光ったような気がしたのは、たぶんきっと、思い過ごしなんだろうけど。

『どちらにしても、このままだとご主人はもう二度と、こちらの世界には帰って来ないよ』

「そんなのは嫌だ!悪魔の…【悪魔の樹】の契約はどうなってるんだよ!?」

 俺を白い悪魔と結び付けてくれる最後の砦であるはずの、【悪魔の樹】の契約の効力だけが、今の俺の縋るものであり、頼れる味方だった。
 離れてしまえばもう二度と出会えないことぐらい、馬鹿な俺の脳みそだって理解してる。

『うーん…難しいねぇ。あの契約はあくまでも悪魔が理解していなくては成り立たないんだ。こんな風になるとは思っていなかったから…兎も角も、ご主人がお兄さんの記憶を取り戻してくれないことには、【悪魔の樹】の契約はドローだよ』

「そんな…!」

 思わず、弾かれたように灰色猫を見詰めたら、いつもはにんまり笑っている灰色フード男は、酷薄そうな薄い唇を引き結んで、まるで居た堪れないような仕種で俯いてしまうから、灰色猫のせいじゃない、そんなこと、百も承知だと言うのに俺は…まるで詰め寄るようにして灰色猫の、その柔らかなローブの胸元を引っ掴んでいた。

「どうすれば!?…なぁ、どうすればレヴィは帰ってくるんだ??俺は、いったいどうすれば…ッ」
 このままだと、レヴィはもう、二度とこの場所に帰って来ることはない。
 毎朝、『おはよう』と呟くようにして、白蜥蜴の姿でキスして起こしてくれることも、情熱的に抱き締めて、何度でも狂おしいほど愛している事実を教えてくれることも、そして、傍に居て、何もかも包み込んでくれるような、全てを許してくれているような、あのあたたかな、優しい、愛しい金色の眼差しも…もう、見ることができない。
 できなくなると言うのか?
 もう、あの白い悪魔に逢えないと、そう言うのか?
 そんなのは嫌だ!

「灰色猫!俺を魔界に連れて行けッ」

 殆ど、命令口調だった。
 それすらも気に止める余裕もない俺の、その突然の豹変振りにギョッとしているような灰色猫は、少し動揺したように首を竦めやがるから、本気で殴りそうになった。

『そ、それはいけない。言わなかったかい?お兄さん。魔界は異質なものを遠ざけてしまう場所なんだ』

「それはもう聞いた。でも、今の俺は異質じゃない。だって、レヴィは俺を愛してないッ」

『そ、それは…』

 魔界に行ったからと言って、いったい何ができるかとか…俺には判らない。
 ただ、逢いたかった。
 もう一度だけでいいから、あの白い悪魔の、金色の瞳を見たかった。
 冷徹でも、俺の知らない色をした瞳でも、なんでもいいから、もう一度だけ、逢いたいんだ。
 ああ、どうか。
 もう一度でいいから、レヴィに逢わせてくれ。

『お兄さん…』

 気付いたら俺は、強い双眸で睨み付けていた筈なのに、視界はぼやけて滲んでいた。
 思うよりも弱気な心が、ポロポロと涙を頬に降らせていたんだ。
 震える指先に、もう力なんか入っちゃいないから、いつだって灰色猫は逃げ出すことだってできたのに…灰色猫はそうしなかった。
 震える肩をそのままに、声を出すことも忘れて泣いている俺の肩を抱いて、ほんの少しだけ思い詰めた口調で囁くように呟いた。
 ポロリと、思わずと言った感じで零れ落ちた言葉に、俺はハッとしたように灰色猫の顔を覗き込んでいた。
 真摯に口許を引き締めた灰色猫は、まるで心を知っている猫のような仕種で、とても優しげに、にんまり笑ったんだ。

『連れて行ってあげるよ、お兄さん。でも気をおつけ。魔界はとても寂しいところだからね』

 今から友達のところに泊りがけで遊びに言ってくると宣言したら、部屋で音楽を聴いていた茜と、風呂上りにビールを飲んでいた父親が愕然とした顔をして、リュックサックを引っ掴んでいる俺を振り返って、さらに目を丸くした。
 止められても行くつもりだったけど、やけに切迫した俺の表情に気付いたのか、父親は口に含んでいたビールをゴクンッと咽喉を鳴らして飲み込みながら、それはそれで動揺したように瞬きを繰り返しながら頷いたんだ。

「べ、別に構やしないけど…どうしたんだい?こんな時間に」

「さっき、携帯に電話があって、キャンプに行くんだと。だから、一緒に行ってもいいだろ??」

「誰と行くんだよ」

 早いところ話を切り上げたかったのに、不貞腐れたように腕を組んで壁に凭れている茜が、怪訝そうな目付きをしてそんなことを言うから…う、思い付きで言っちまったから、誰にするか考えてもいなかった。
 電話で確認されたら嘘だってバレるし、そうすれば止められるのは必至だ…ああ、困った!どうしよう…

「し、篠沢だよ!」

 これも口から出任せだったんだけど、何故か、自然と口が動いていた。

「なんだ、篠沢さんか。で、灰色猫も連れて行くのか?」

 腕の中で素知らぬ体で欠伸なんかしている灰色猫は、「にゃあ」と鳴いて双眸を細めるから、そんな猫を見下ろしながら俺は頷いていた。

「ふーん、じゃあ、俺たちの飯はどうなるワケ??」

 そんなの、もういい年なんだから自分たちで作れよな!…と言えれば、きっと今の俺はいないんだろうと思うけど、仕方ないから冷凍庫に入っているレンジでチン!のレトルトでも食ってて貰うことにした。
 それで、珍しく簡単に引き下がった茜さえどうにかなれば、父親は俺の行動にはとやかく口出ししたりしないから一安心だ。

「じゃあ、気を付けてね」

 そう言った父親に頷いて、俺がリビングから飛び出そうとしたその時、父親が低い声で言ったんだ。

「とても寂しい場所だけど、無事に帰ってくるんだよ」

「え?」

 ギクッとして振り返ったら、父親はキョトンッとして、自分が何を言ったのかよく判っていないようだった。俺は首を傾げながらも、慌てて靴を引っ掛けるとそのまま玄関を飛び出して表に出ようとして…そのまま、濛々とする硫黄臭い煙に撒かれたように包まれたんだけど、気付けばとても寂しそうな細い道に落っこちていた。
 そう、玄関から飛び出すと同時に、そのまま、まるで奈落の底にでも落ちていくような錯覚に囚われるほど、真っ暗な闇の中に硫黄臭い煙と共に落ちてしまったんだ!

「なな…ッ!?」

『ご覧、お兄さん。ここはもう、魔界の入り口だよ』

 そう言って「にゃあ」と鳴いた灰色猫は腕から飛び降りると、細い道にへたり込んでいる俺に、猫の姿のまま、厳しい表情で自分の背後を振り返った。
 そのレヴィに良く似た金色の視線を追って行き着いた先には、まるで、暗黒のお伽噺から抜け出たような、漆黒の空に真っ赤な月が浮かぶ空の下、怪鳥が飛び交う排他的な雰囲気を持つ、薄気味の悪い城が蒼然と突っ立っていた。
 息を呑む音でさえ凍りつくような、心の奥底まで震え上がる殺気が満ち溢れた世界には、引き攣れるような痛みだけが支配している、そんな錯覚すら感じて、俺は気付いたら自分自身を抱き締めていた。

『よくお聞き、お兄さん。此処はぬくもりのある人間の来るべき場所ではないんだよ。此処は悪魔の支配する世界。この場所に来る人間は、悪業を背負って後悔ばかりしている、奴隷だけ』

 灰色猫は、身の竦むような恐怖が渦巻く大気に恐れ戦いている、口では大層なことを言っていた俺のヘタれた腰に擦り寄りながら、それでも、一緒にいることを決意してくれた眼差しで言ったんだ。

『だから、お兄さんはこの灰色猫が連れて来た、新しい奴隷ってことになるから。できる限り、ご主人に会うまでは、どの悪魔にも顔を見られたり、興味を抱かれてはダメだよ』

「わ、判った…って、うわ!?」

 灰色猫の小さな猫手がチョイッと動いた瞬間、俺の真上から何かが降ってきて、気付いたら俺も灰色猫のように灰色フード付きのローブを着ていた。
 Tシャツにジーンズの上から灰色のローブなんて…普通なら暑苦しいんだけど、どう言う仕組みになっているのか、それほど暑くはなかった…と言うか、暑さも寒さも感じない、そんな、何処か気持ちの悪い奇妙な空間だったから、それほど気にはならなかったんだ。

『このローブは人間の本心を隠してくれる。ご主人を想うお兄さんの心を、少しでも他の悪魔に知られないようにね』

「ありがとう、灰色猫」

 灰色猫がいてくれてよかったと思う。
 レヴィに出会う為の切欠を作ってくれたのも、レヴィと信じあえる心ってヤツを教えてくれたのも、この小さな灰色の猫のおかげだったんだから。
 俺は灰色猫がそうしていたように、灰色のフードをできるだけ目深に被って、擦り寄ってくる小さな猫のやわらかな頭部を、ピンッと尖った耳を押し潰すようにして感謝の気持ちをめいいっぱい込めて撫でていた。
 猫は気持ち良さそうにうっとりと目を細めると、「にゃあ」と鳴いて俺を見上げてきた。

『お礼なんて言ってはダメだ。きっと、お兄さんはこの灰色猫を恨むだろうからね』

「そんなこと」

 あるワケないと確信した双眸で見下ろしても、灰色猫は、こんな荒んだ場所にいると言うのに、何処か飄々としていて、のほほんとしたように金色の双眸を細めるだけだ。

『さあ、覚悟はできたかい?』

 気を取り直したようにコホンッと咳払いをして、よっこらしょっとおっさんみたいな掛け声で立ち上がった灰色猫は…って!灰色猫、お前、お前…ッッ!!

「二足歩行してる!!」

『当たり前でショーが。普段は占い師の姿で行動するんですがね、占い師姿で人間を連れていると、それだけで奴隷を調達してきたって思われて、余計な注目を集めるんだよ。それならば、本性で一緒に行動していた方が、下っ端悪魔と戯れている、ぐらいにしか思われないからね。簡単に言えば、カムフラージュだよ』

「はぁ…なるほど」

 灰色猫がのんびりと二足歩行できることにも驚いたけど、歩き出すと同時に短毛種特有の滑らかそうな毛皮の上から、赤と黒のベルベットのベストが現れて、その足にはエナメル質っぽいパンツ、そして靴まで履いてるんだ!!
 …なんつーか、まるで猫の貴公子みたいだ。
 これで羽飾りのついた、つばの広い帽子かシルクハットとか被ると、やっぱ立派に猫の貴族っぽくみえる。とても、灰色の薄汚れた野良猫には見えないよ。
 今まで、薄汚れた灰色の野良猫、って勝手な印象を持っててごめん。

「灰色猫って立派に猫の貴族だったんだなー。って、あ、そうか。やっぱりリヴァイアサンの使い魔となると、きちんと身嗜みを整えていないと、他の悪魔に馬鹿にされるからとか?」

『まあ、間違ってはいないけどね。ただ、灰色猫の趣味ですよ、お兄さん』

 チラッと撫で肩越しに振り返って、ニヤリと金色の双眸を細める灰色猫の、その台詞で遠からず外れてはいないんだろうなぁと思えた。
 漸く、ヘタれていた腰が落ち着いたから、俺は促されるままに立ち上がって、軽く伸びをしながら眼前に悠然と構えている巨大な、暗黒の城を睨み据えていた。
 いったい、何人の悪魔が居住しているのか、皆目見当もつかないんだけど、それでも怯んでばかりいるワケにもいかない。
 俺は決意したんだ。
 もう一度、レヴィに逢いたい。
 レヴィに逢って…冷たく突き放されるかもしれないけど、思い出させるチャンスぐらいは作りたいじゃないか。
 どうして、俺だけの記憶を忘れてしまったのかは判らないけど、俺は…それでも、レヴィに逢いたい。
 ただ、単純に逢いたいと願う気持ちが、今の俺の原動力になってるんだと思う。
 それを知っているから、灰色猫は俺を導いてくれるんだろう。
 何が待ち構えているかは判らないけど、ひとつだけ確かなことは、その先にきっと、レヴィがいるってことだ。
 立ち尽くす白い悪魔に逢えたら…俺は、なんて言えるんだろう。
 何を言うんだろう。
 俺は決意して歩き出した足に、力を込めた。