初夏の涼しい風と眩しい太陽、突き抜けるような空…と、どれをとってみてもウキウキするような季節だと言うのに、どうして俺の気持ちは冴えないんだろう。
そんなこた充分判ってるさ、俺は道すがら、蹴ってしまった猫の安否を気にしていたんだ。
講義の間でさえ気になったし、いつもなら馬鹿笑いをする仲間内での猥談にもうわの空で、いったい俺はどうしちまったんだろう?ただの猫なのに…
昨日は遅くまで有難うってことで、バイトも定時で上がらせてもらえたし、俺は夕飯をコンビニで調達してからあの夜の闇みたいに綺麗な黒猫がいないかと歩きながら捜していた。
『にゃあ』
ふと、暗い気持ちで電柱の影なんかを捜索している俺の耳に甘えたような声が聞こえて、ハッと顔を上げたら塀の上で寝そべっていたのか、んーっと伸びをした黒猫が欠伸をしながら塀の上から降ってきた…んだけど、昨日蹴られたせいか、距離を取って少し警戒しているみたいだ。
「お前ッ!…よかった大丈夫だったんだな??朝いなかったから、どうかなっちまったんじゃないかってスゲー心配してたんだよ。良かったよー」
元来猫好きな俺としては、警戒されているにも拘らず、それでも黒猫が高い塀の上から身軽にヒョイッと降りて来たところを見て盛大に安堵してしまっていた。
「あ、そうだ!ほらほら、コンビニで買ったチータラだけどお前喰うだろ?昨日のお詫びな」
俺は屈みながら手に持っていたビニール袋からさっき買ったばかりのチータラの袋を取り出して、本当は野良猫に餌をやるのも拙ければ、チータラなんて塩分の強い食い物をやるのも拙いんだけどさ、それでも無事な姿を見せてくれた黒猫になんかあげたくて仕方がなかったんだよ。
猫は『うにゃぁ?』と不審そうな声を出したものの、でっかい金色の瞳で俺を見上げたまま、恐る恐る近寄ってきて、それから俺の手許にあるチータラの匂いを嗅ぐと、ゴロゴロと咽喉を鳴らしながらパクンと咥えてアグアグと喰い始めた。
そのピンッと尖っている両耳の間の部分や、柔らかな被毛に覆われたなだらかな背中を撫でながら、あの時はどうしてあんなことをしてしまったんだろうと俺がしんみりと反省していたら、チータラを喰い終わって満足そうにペロペロと口許を舐める猫が顔を上げて、それから懐いたみたいに屈んでいる俺の足許に擦り寄ってきた。
そう言えば、この闇に溶けてしまいそうな綺麗な黒猫は、最初から俺にその身体を摺り寄せて懐いているみたいだった。
首輪がないからきっと何処かの飼い猫が捨てられてしまったんだろうな。そうじゃないと、こんな綺麗な野良猫はいないだろ。
「ごめんな、飼ってやりたいんだけどさ。俺んちアパートで飼えないんだよ」
見上げてくる黒猫に申し訳なさそうに笑って、俺はその小さな頭にぴょこんっと立っている耳を押し潰すようにしながら、やわらかく艶やかなその頭を撫でながら言った。その言葉を、猫はどう感じたのか、『にゃあ』と一声啼いてからふいっと踵を返して闇に消えるみたいにして何処かに行ってしまった。
その後ろ姿を見送っていて、俺はふと焦燥感を感じたが、それ以上に奇妙な既視感を感じていた。
あれ?いつかこんなことがあったんじゃなかったっけ??
何処かの橋の上で俺…確か今みたいに黒猫に…後ろ姿が。
そこまで考えて、俺は首を傾げたものの、首を左右に振って余計なことを考えるのはやめることにしたんだ。だってさ、結局何にも思い出せないんだし仕方ないよ。
昭和の時代にでも建てられたんじゃないかと思えるほどおんぼろのアパート(これなら猫の一匹ぐらい飼ってもいいんじゃないかって思えるけど)に戻った俺は、それでもバストイレ付の好条件は捨て難いから、溜め息を吐きながらも鉄製の階段を上がって自室に辿り着いた。
今日は講義もバイトもスムーズで、何しろあの黒猫がどこも痛めていないようでホッとした。
ちょっと浮かれた気持ちでシャワーを浴びてから、レポートを書く気にもなれずに、そのまま上機嫌で万年床にダイブして枕を抱えて瞼を閉じた。
今日はいい夢を見られるんじゃないのか?とかニヤニヤ思いながらウトウトしていたら、不意に腕に違和感を感じてぼんやりと目を覚ました。
腕を上に引っ張られる形で吊るされて、オマケに全裸。見渡す限りの漆黒の闇…ってこれ?!
そこで俺は漸く完全に覚醒して…とは言っても夢の中なんだが、昨夜の夢の内容を思い出して真っ青になってしまった。
そうだ、どうしてあんな強烈な夢を忘れていたって言うんだ!!?俺は、想像とは言え自分で作り出したなんかよく判らん、悪魔のコスプレをしたヘンなヤツに、その、思い切り、その、お、犯されちまったんだった!
夢とは言え、どんだけリアルなんだと信じられなかったけど、なんだ、またあの夢を見ているのか?!
それなら、早く目覚めないと、早く…
『なんだ、今日はやけに可愛らしいことをしてくれたじゃないか。少しは反省したのか?』
ぎゃあ!やっぱりこの声だッ。
「なな、なんでまたお前が夢に出てくるんだよ?!俺、そんな変態趣味は持っていなかったと思うんだけど…今度は罪悪感とかないから!消えてくれていいからッ!!」
背後から聞こえるニヤニヤ笑っているみたいな声に総毛だって、慌てて背後を振り返ろうとしたんだけど、今回はガッチリ固定されているみたいで振り返ることはできないようだ。だから余計怖くて、俺は暴れながら言い募ったって言うのに。
『別にオレはお前の罪悪感が見せている幻なんかじゃないぜ?オレは夢魔のインキュバスでエルロイって言うんだ。お前は里舘光太郎だろ?』
「え…?どうして俺の名前を、って!そうかこれは夢なんだ。名前ぐらい知ってて当たり前か。つーか夢魔ってなんだ??インキュバスって???」
俺そう言う中二病ちっくなことに疎いのに、よくこんな夢を見てるな。
背後から淡々と話しかけられるのは正直全く気分は良くないが、見なくても、きっと昨夜の真っ赤な目をしたゆるやかなウェーブの黒髪の頭に捩じれた角の生えている、褐色の肌の悪魔もどきが上半身裸で立ってるんだろうってことは容易に想像がつく。
「!」
ふと、ほんの気紛れみたいにエルロイって名乗ったどうやら夢魔?ってヤツらしいソイツは、鋭い爪を持つ指先で俺の首筋を撫で、それから後ろ髪に触れたみたいだった。
その瞬間、昨夜も感じた怖気みたいなものが背筋を舐めるように這い上がって、それから、やっぱり俺は勃起していた。
「ええぇぇぇ…??!」
もう何がなんだか判らなくって素っ頓狂な声を上げると、背後でプッと吹き出す気配がして、それからやんわりと俺を抱きすくめたりしたんだけど…さっきの怖気みたいなものも快感も少しも感じなかったから、それで俺はちょっとホッとして首と腹に巻きついているエルロイの褐色の腕を見下ろしていた。
『これで判っただろ?オレがその気になればお前を天国にでも地獄にでも落としてやれるんだぜ。昨夜は酷くしたから、今夜は思い切り可愛がってやるよ』
「…いいッ、いらんッ!いりません。俺のことなんか放っておいてくださいッ」
『そんなつれないこと言うなよ。オレは男は初めてだったからもっと男の身体を知りたいんだ…それに』
その腕から逃れようと暴れる俺なんか平気で抱き締めて、こめかみや頬、首筋にキスをしながらにんまり笑ったんだろうエルロイは言ったんだ。
『お前の胎内はすごく良かった。すごく狭くてぬるぬるしてて…女もいいけど、絡みつく感じがまた全然違うんだ。なんて言うか即物的でそれでいて愛されてるんだなって感じた』
全部お前の妄想です。
青褪めて引き攣っていたからか、喉の奥に引っ掛かった声が出てこなくて、俺はぶんぶんと首を左右に振っていた。
『オレは悪魔だから愛するとかよく判らないんだよ。でも、お前がオレに突っ込まれて泣きながらキスした時は、なんて言うかやわらかくて、これが愛されてるってことなのかって思ったよ』
いやいやいやッ、犯されているのに愛してるっておかしいでしょ?!おかしい表現でしょ、それはッ!
「うぁ!」
必死で否定しようとしている俺の腹を、胸元を、エルロイの掌が探るように蠢いて、忘れていた快感がずんっと身体の芯を貫いたみたいで、俺はバカみたいな声を出してしまっていた。
「や!嫌だ…あッ、あ!…いや、ぅあ…ッッ」
背後から俺の膨らみもない胸や肉付きの悪い腰を探りながら首筋を舐めて、褐色の腕はゆるゆると俺の下腹部まで到達すると、勃起しているそれを確かめるように掌に包み込むから、俺は耳まで真っ赤になって気弱に首を左右に振ってしまった。
『嫌なんて言うなよ。ほら、よくしてやるから』
ねっとりと執拗に弄られて、俺の先端からは早く早くと強請るように先走りが滲んでいるんだけど、鈴口にぐにっと指を押し当てられただけで―――…
「ぅんッ、ひ…ッ」
悲鳴のような声が上がったと同時に、俺は吐精していた。
その快感たるや相当なもので、自分でヤるよりもはるかに気持ちよかった。
ぶるぶる震える敏感な身体を撫で回されて…ああ、これ以上触られたらおかしくなりそうだ。
『いっぱい出たな?なんだ、溜まっていたのか。でも、な?気持ちいいだろ。オレ、こう言うのが得意なんだ。女だったらご主人の命令以外ではヤれないんだが、お前は男だから、そしてオレはサキュバスじゃないから自由にできるのさ』
暢気な口調で陽気にそう言ってべっとりと俺の精液を掌に受け止めているエルロイは、胸が苦しくて死にそうな俺なんかまるで無視して、『これじゃあ傷付くもんな』とかなんとか言った後、荒い息を繰り返す俺の背中にしっとりと裸の胸をよせて、そして白濁したモノに汚した指先を…あんなに鋭い爪があったその指先を、俺の唯一男を受け入れるあの狭い器官に潜り込ませたんだ。
「!」
そうなるんだろうなって判ってはいたけど、あれだけの激痛にノックダウンさせられそうになったってのに、今日のその部分はまるで女みたいにしっとりとヤツの指先を含んで、それから強請るように絡みついているみたいだ。
ああ…なんだろう、この腹の底がむず痒いような感覚は。
「ぅ…ふ……ァ…あ」
淫靡な湿った音を、無限にも思える暗黒の空間に響かせて、抑えきれない声が、誰の声だよって喚き散らしたくなるぐらい淫らな声を上げて、俺は手許を拘束する鎖を縋るように掴んでいた。
そうじゃなかったら膝から力が抜けて、そのまま倒れそうになる。
『…うん。指に感じてるみたいだな。はぁ、胎内を触ってるだけでオレも感じてるよ。なんだろう?この感覚は』
エルロイは不思議そうに呟いて、それから俺を拘束している鎖がジャラジャラと音を響かせて落ちてくるのと同時に、俺は引力に逆らえずにそのまま前のめりに倒れてしまった。
指を突っ込まれて掻き回される腰だけを高く掲げて、両腕を拘束されている上半身はさほど硬くない床に倒れ込んでしまった。
「ア!…ぁぁ…ッ」
いつの間にか増やしていた指を乱暴に引き抜いて俺を喘がせると、エルロイは不意に俺に伸し掛かりながら耳元で荒い息を吐ついて囁いた。
その声はとても淫靡で、それだけで俺はイッちまいそうになった。
『女とヤッてもあんまり感じなかったのに。お前が男だからかな?まあいい、お前の胎内を楽しませてくれ』
ず…ッと、音を伴うような感覚で、不意に血管の浮かんだ灼熱の棍棒みたいなソレが、俺の胎内を切り開くようにして入り込んできた。昨日はあんなに痛かったのに、そのむず痒いような速度に焦れて生理的に浮かんでいる涙がポロッと頬を零れ落ちた。
こんなはずじゃないのに、こんな行為は嫌なのに…
拘束された両腕を延ばして、何かに縋ろうと、いや何に縋りつけるんだこんな状態で。
「あ、あ、ぅ…んッ、……ぅあッ」
涙を零す俺に伸し掛かったままで強弱をつけて腰を揺らめかすエルロイは、背後から首筋や涙に濡れる頬に口付けながら荒い息を吐いて嬉しそうだ。
『ああ、やっぱりだ。お前の胎内は熱くて…すごく感じるよ』
勃起して痛々しいほど涙を零す俺の股間に指を這わせて、首を激しく左右に振っているのにエルロイは許してくれなくて、俺はすぐに吐精してビクビクと蹂躙されているはずの狭い器官に力が入ってしまう。
そうするとエルロイは気持ち良さそうに吐息して、その息が首筋にかかるだけでまた勃起する…なんか酷く発情しているみたいで本当は恥ずかしいのに、それだってすごい感じてるんだから俺って馬鹿だよな。
「あ…ぁあ…ル、ロイ……どうして、こんな…ぅあッ、……ッ」
『え?オレの名前を呼んだのか??え、こんな時に?どうしてだ…?』
開けっ放しの口許から唾液が零れる俺の口の中に指を突っ込んで、口腔まで蹂躙したいようなエルロイの指が離れたほんの一瞬、自分が何を言いたいのかも判らない熱に浮かされて呟くように言っただけなのに、俺の胎内を充分堪能していたヤツはそれこそこんな時だってのに吃驚したように声を上げたんだ。
なんか、感じまくって発情しまくってんのは俺一人じゃないかって思えるよ、トホホホ。
「ッ!」
不意に胎内に入ったままだって言うのにぐるっと向きを変えられて喘がされたけど…って、俺そんな細身じゃないはずなのに、この悪魔みたいな…いや、夢魔なんだから悪魔なのかな…コイツはどれだけ力強いって言うんだ。
拘束された両腕を一掴みにして、馬鹿みたいに惚けた顔で頬を上気させている俺の双眸を、エルロイは目尻を欲情の色に染めているものの、やたら闇の似合わないキョトンとした紅蓮の双眸で覗き込みながら不思議そうに呟いた。
『オレの名前を呼ぶなんて信じられない。大概の女はオレのご主人に許しを請うのに。やっぱり、それはお前が男だからなのか??』
ああ、なんて顔をしてるんだろう。
どうしてコイツはこんなに綺麗なのに、こんなすっ呆けたことを言っているんだ。
「?…に、言って??だって…ッ、お前が俺を抱いているのに、知らないヤツの名前なんか呼べないよ…ッッ」
尻に深々と穿たれているモノはお前自身じゃないか、何を言ってるんだろう。
ゆるやかな波打つ綺麗な漆黒の髪に捩じれた角、褐色の肌に端正に整った顔の中で情熱的に揺らぐ紅蓮の瞳を持つ、たいそう不思議な存在のエルロイは、それはそれは不思議そうな顔をしていた。
「んぁ!…あ、あ…も、ダメッ」
そんな顔をしたままで俺を揺するから、俺は両手を拘束された不自由な体のままで、もう数えきれないほどの高まりに導かれてしまう。
『オレの名前を呼んでみろよ。オレの名前を呼びながらイけよ』
何か憑かれたように何度もそう言うエルロイの声を聴いて、俺は仰け反るようにして身体を硬直させながら、ハラハラと涙を零して彼の名前を呼んでいた。
「あ!…える、ろい……アァッ…ぅあッ…え、エルロイ!」
もう何度目か判らない吐精の瞬間、エルロイは驚いたみたいに吃驚した顔をしたけど、それでも俺の胎内に彼の奔流が叩きつけられて、なんだか俺は、どうしてそう思ったのかよく判らないんだけど、とてもとても嬉しかったんだ。
チチチ…ッと鳥の声がする。
俺はぼんやりと万年床の上に起き上がって布団を掴んでいた。
「…んー…」
ボリボリと頭を掻きながら朝の陽射しの挿し込む狭い部屋の中で、俺はなんだか夢を見ていたようなのに、その内容が思い出せずに綺麗さっぱり忘れているみたいだ。
なんか、前もこんなことがあったような気がするんだけど…
「ん?な…まえ??えーと…何だっけ?」
なんだか思い出しそうで思い出せない焦れったさに、苛々していたものの、でも心は妙にスッキリして気分は爽快だし、きっといい夢を見たに違いない。
「まあいいか、なんか今日は気分もいいし♪」
胸の奥があったかいこの感覚は…なんだか馬鹿みたいだけど、まるで恋でもしているみたいだ。そんなこっぱずかしい夢でも見てしまったのかな。
でも、それならそれでいいや。
もう、あんな悲しい恋はしたくない。せめて夢の中だけでも幸福で幸せな恋ができるのなら、きっとそれは幸せなことなんだと思う。
俺は起き上がると伸びをして、それから欠伸なんかしながらバスルームに向かった。