15  -EVIL EYE-

 もうじき夕暮れが迫るラーメン屋までの道のりを、俺と安河は他愛のない話をしながらぶらぶらと歩いていた。
 普通にエヴィルと言う化け物が徘徊する夕暮れともなると、何処の家もピシャリと窓を閉めて、何事もない夜を祈るようにして電気も切って息を潜めて過ごしている…のかと思ったら、意外と何処も団欒の明かりが灯っているし、笑い声だって聞こえるんだから不思議だよな。
 ぼんやりと歩き慣れた道を進みながら左右に立ち並ぶ家々を見ていたら、安河のヤツが首を傾げて長い前髪の向こうから俺を見下ろしてきた。

「家が、どうかしたのか?」

「あ、えーっと…」

 そうか、俺。
 まだ、安河にエヴィルのこととかエヴィルハンターのこととか知らないって教えてないんだった。
 でも、何故か…それを言うのは気が咎めてしまう。
 だってさ、じゃあ、どうして思い出したんだって聞かれたら、俺のことだから、たぶんポロリと本当のこととか言っちゃいそうなんだよなぁ。
 それは、拙い。
 極めて拙い。
 だから、なんとなく…って感じでタハハハッと笑って頭を掻いたんだ。

「エヴィルとかいるのに、みんな平気で窓とか開けてるだろ?怖くないのかとか思ってさ」

「…?エヴィルは明かりが嫌いだから、電気さえ点けていれば窓を開けていても平気だ。それに、最近はハンターが徘徊してるから、小さな家なんかは襲わないよ」

 明かりが嫌いなら、ビルとか電気を点けていれば寄って来ないんじゃないのか?…あ、そうか、だから残業してビルの中にいるのか。
 馬鹿だな、俺。
 でもそれってさ、極当たり前のことなんだろうな。
 安河でさえ一瞬、訝しそうに眉を寄せたんだから…う、俺ってば何処まで墓穴を掘るんだ。

「そ、そーだよな!当たり前だよな、そんなこと。俺ってばうっかりしてたよ、アハハハ」

 アハハハ…ッと、馬鹿みたいに取り繕いながらも俺は、ふと、安河の台詞で引っ掛かるものを感じた。
 いや、胸の辺りがドキリとした、とでも言うべきか。

「…最近、ハンターがうろついてるのか?」

「ああ。ネットで検索するとガセが多いんだけど、よく出没しているって噂にあるよ。エヴィルハンターは気紛れだからさ、そんなに姿を見せることもなかったんだけどな。まるで…」

 そこまで言って、安河は首を傾げて見せた。
 長い前髪に双眸が隠れてしまうから、実際は何を考えてるのかいまいち判らない。今だって安河がどんな表情を浮かべているのか、気配だけで感じないといけないもんだから、他の連中は安河を倦厭しちまうんだろう。
 付き合ってみると、案外気安くて、いいヤツなんだけどな… 

「まるで何かを探してるみたいだ」

「え?」

 ドキッとした。
 そのハンターってのが、何も全てカタラギってワケじゃないのに、それでも俺の胸はトクンッと普段よりも強く鼓動したみたいだった。

「…?ハンターって言うぐらいだから、エヴィルを探しているんじゃないか?狩り過ぎて、あまり姿を見せなくなったのかもな」

 スッと顔色が変わる俺なんかさらりと無視して、軽く言ってのけた安河に、下手に動揺してしまった俺はバツが悪かったんだけど、まぁ、安河にしてみればただの話題じゃないか。そりゃ、さらりと受け流すに決まってるよな。
 それにヘンに反応して、根掘り葉掘り聞くと、またもや俺は、とんでもない墓穴を掘るってワケだ。
 よし、だいぶ学習してきたぞ…とか拳を握る辺り、ガックリしちまうよな、マジで。

「相羽も…エヴィルハンターが気になるのか?」

 ふと、安河が口許に静かな笑みを浮かべて聞いてきたりするから、俺はその仕種に見蕩れてしまった。
 なんつーか、こんな風に、長い前髪で鋭さすらある双眸が隠れちまうせいか、口許に静かな笑みを浮かべる安河の表情が大好きなんだ。

「相羽も…って、じゃあ、安河も気になるのか?」

「え?いや、俺はそうでもない。他の連中が、特に女子とかは気になってるみたいだからさ」

 女子と一緒かい!…と突っ込まなかったのは、何故か俺は女子受けがいいからだ。 いや、兵藤みたいに黄色い声を上げて追いかけられる…ってそんな受けじゃねーぞ、悔しいけどさ。
 なんか、気軽に話し易いみたいなんだよなー
 だから、自然と女子から声を掛けられる、そうなると、話題にも事欠かないってワケだ。暗に、安河はそれを口にしたに過ぎないってワケ。

「そうだなー、なんか理想のハンターとかいるみたいだぞ。俺もよく聞いてないから判らないけどさ」

 …ってのは嘘だ。
 女子どもが兵藤以上に熱くなる話題…ってのが、エヴィルハンターで、それは少なからず、男子の間でも人気があったりする。
 日本には7人のエヴィルハンターがいるらしくて、その中でも大人気なのがスメラギって言う、あの緑の電気野郎なんだけど、それを押し遣るほどの爆人気がカタラギだった。
 あのヘンタイが…女子どもと野郎どもの人を見る目がないのは、きっとガキだからだ。そう、信じたい。
 これでOLのお姉ちゃんたちにも人気があるとかだったら、俺は爆死するだろうな。
 いや、マジで。
 いや、そもそも姿も見せないエヴィルハンターだって聞いたのに、どうして『カタラギ』だの『スメラギ』だの名前が知れてるんだ?もしかしたら、あの派手な連中のことだから、まさかとは思うけど、自分たちで宣伝してたりして。
 それだったらちょっと笑える。
 ま、んなこたないだろーけどさ。

「相羽?その…ごめん。気に障ること言ってしまったな」

 ムッツリと黙り込んでしまった俺に居た堪れないみたいに、申し訳なさそうに呟いた安河にハッと気付いて、いかんいかん、俺が凹んでムカッとしてるのは安河のせいじゃないんだ。
 あのクソッタレなカタラギなんだよ。
 でも、これは言えないから辛いよな。

「いや、違う違う!別に安河の台詞にムカついたってワケじゃないんだ。だったら何なんだって思うだろうけど、なんか、女子とか、野郎もだけどさー、ヘンなのを好きになるよな」

「…相羽はエヴィルハンターが嫌いなのか?」

 大嫌いだ!!…と言えれば天晴れだけどさ、流石にそこまで嫌ってるワケでもないし、関わり合いたくないだけだ。

「んー、そこまで熱狂はしないよ。気にはなるけど」

「はは、同感だな」

 安河がちょっとはにかむように笑うから、俺も釣られて笑ったんだけど…その表情はすぐに引き攣ってしまった。
 だ、だって…今、安河の背後にゆらゆらしてる、アレは、あの影は…

「や、安河!」

 危ないっと、差し出した腕を掴んだのは安河の方で、その表情は今までに見たこともないほど険しく歪んでいた。

「…相羽、囲まれてる」

 俺を引き寄せた安河は忌々しそうに舌打ちして周囲を見渡している…んだけど、こんな時なのに、安河の知られざる部分を新発見、とかふざけたことを考えてるほどには余裕があったのか、俺も安河の背後に揺らめく靄のような影を睨みつけていた。

「こんな時こそ、エヴィルハンターが呼ばれて飛び出てくれないと困るよな!」

「…」

 けしておちゃらけてるつもりはないんだけど、安河の制服をギュッと握り締めたままで抱き付いてしまっている俺は、その時になって漸くハッと我に返った。
 あんまり、カタラギとか兵藤に抱かれることが多くなったせいか、男同士だってのに平気で安河に抱きついてしまっていた。
 安河にしてみたら「うげ」だろうけどさ、この場合は、それでも離れるよりも固まっているほうがいいんだろうか?うう、判らん!

「安河、ごめん!俺がラーメンとか誘ったから…」

 心の何処かで、こうなることは判っていたと思う。それでも、俺は安河と少しでも一緒にいたかったし、平凡を味わっていたかったんだ。
 だから、こんな非日常なことに、俺が安河を巻き込んでしまった。

「馬鹿だな」

 ふと、安河は仕方なさそうな表情をして、そんな俺を笑ったみたいだった。
 俺の身体をグッと抱き寄せながら、素早い仕種で…って、あのボーっとしてる安河からは想像もできない素早さで、鞄から何かを取り出した。
 それは、エヴィルを傷付けることはできないまでも、唯一撃退できる物質で作られた折畳み式の警棒のようなモノらしい。
 奇妙な光沢を放つ刀身を持つ警棒の柄を握り締めて、安河が長い前髪の隙間から、鋭さすら漂わせる双眸でギッと闇から這い出てくるような不気味なエヴィルを睨み据えると、ヤツらは一瞬だけど怯んだみたいだった。
 それでもすぐに緑色の臭気を放つ粘液を撒き散らして飛び掛ってきた!
 人型の成り損ないのようなエヴィルを、安河は握り締めていた警棒で振り払うようにして投げ飛ばしたんだ。
 『グギャ』っと、ヘンな声を出してベシャッとアスファルトに叩きつけられたエヴィルが『ギーギー』と呻くと、まるで色めき立ったように仲間のエヴィルたちが口々に金切り声を上げ始めたんだ。

「な、なんだ、これ…」

「拙いな」

 思わず耳を覆いたくなった俺の傍らで、小さな舌打ちをした安河は、それからポツリと呟いた。
 確かに、拙いと思う。
 エヴィルたちが『ギーギー』と鳴けば、まるでそれに呼応するように闇の中からズルリと一匹、また一匹と緑の粘液の塊みたいなモノが溢れ出して来るんだ。
 そのうち、何処にも逃げ道とかなくなるんじゃないか…そう思ったときだった。

「相羽、お前は逃げろ」

 こんな時だって言うのに、淡々とした口調で安河は言った。

「…は?!な、何言ってるんだよッ。そしたらお前、たった独りじゃないか!嫌だぞ、絶対に一緒にいるからなッッ」

 そんな理不尽なこと、こんな状況に巻き込んだのは俺なのに、それなのに安河をたった独りぼっちで残して行くなんて、そんなのできるワケがない!こんな時だってのに、安河は何を言ってるんだ。

「見ろ。あそこだけエヴィルが避けてるだろ?1人なら通れる。俺は…この武器がある。相羽には足があるだろ?助けを呼んできてくれ」

 ギュッと抱き付いたままで離れようとしない俺を困ったように見下ろしていた安河は、ほんのちょっぴりだけど嬉しそうな表情をして、それから、すぐに声を潜めて目線だけで促しながら言った。

「相羽は…武器を持っていないから。俺はバイトの時にもエヴィルに襲われた経験があるんだ。だから、大丈夫だ」

 そんな風に言って、俺をその気にさせようとしている安河を、俺はたぶん、これ以上はないぐらい不安そうな顔で見上げたんだと思う。
 あの何を考えてるのかいまいち良く判らない表情でボーっとしている安河からはとても想像とかできないような、真摯な表情で俺を見下ろして、それから飛んでくる緑の粘液を警棒で振り払いながら、安河は必死に言い募るんだ。
 どうも、今の世の中だと、安河が持っているような武器を持つことは当たり前になっているみたいで、だからこそ、武器すらも持たずにいる俺の身の上を心配してくれているのは良く判る。こんなヘンなヤツ、放っておけば安河だけならきっと、逃げ切れたに違いない。
 『俺』と言う足手纏いに、安河が困惑しているのはすぐに判った。
 …だから、俺は。

「判った!俺、知ってるエヴィルハンターがいるから、ソイツを呼んでくるッ。だから、お願いだから安河、絶対に死ぬんじゃないぞッッ」

「相羽?!」

 俺が知っているハンターは勿論カタラギだけど、アイツに会って、お願いなんかしてみろ。必ず何かを要求してくるに決まってる。
 そんなこと、判りきっているんだけど…それでも俺は、キュッと唇を噛み締めると、驚いたように目を瞠る安河を、断腸の思いでその場に残して、緑の粘液が嫌そうに避けている電信柱の脇を擦り抜けて走り出していた。
 カタラギが俺の身体を欲しいと言うのならくれてやるし、何だって言うことも聞いてやる。
 だから、お願いだから、安河を助けて欲しい。
 俺が平凡な日常と唯一の繋がりだと感じている安河の存在を、ここで失ってしまったら、俺はきっとどうにかなってしまうと思う。だから、俺は、カタラギがいそうな場所を目指して、エヴィルが徘徊していそうな場所ばかり選んで、走って走って走り続けたんだ。
 何処か遠い空の上にいる偉い人、お願いだ。
 どうか、お願いだから、俺をカタラギのところまで連れて行ってくれ!