Act.13  -Vandal Affection-

 結局、あの死体の謎も判らないまま、俺は簡単な治療を終えると階下に降りることにした。
 それで今、この部屋にいるわけだが…
 恐怖のようなものが、今更になってズッシリと身体を重くしているような気さえする。
 マシンガンで穴の開いたシーツを無言で見下ろしていたら、不意に何かが聞こえたような気がした。
 もう一度良く耳を澄ますと…
 パンッ!
 ハッとした。

「銃声だ!誰かいるッ」

 俺は慌てて立ち上がると、足の痛みに一瞬怯んだものの、その密室から飛び出して音のする方向に走った。
 痛みを感じるよりも、生きている誰か…誰かに無性に逢いたかったんだ。
 幾つ目かの通路を曲がって辿り着いたその先にいたのは。

「須藤!?」

「うっ!…佐鳥!?良かった、お前生きて…」

「生きてじゃねーよ!置いて行きやがってッ」

 今しも須藤に襲いかかろうとしているゾンビ研究員を蹴り倒した俺は、問答無用でその頭部をマシンガンでふっ飛ばした。ビシャビシャッと脳漿を粘った血液と一緒に撒き散らして倒れるゾンビを一瞥して、俺は眉間に皺を寄せながら須藤を振り返った。

「どこに逃げてたんだよ?捜したんだぜ!」

「すまん…気付いたらお前がいなくて。周りにはこんな連中がウジャウジャいるじゃないか!お前を捜してここまで来たんだ」

「チッ」

 自分の恐怖心を悟られないように俺はわざと荒々しく舌打ちして、顎に伝う汗を腕で拭った。

「佐鳥?お前、顔色が悪いぞ!どこか…」

 そこまで言って須藤の開きかけた口が閉じた。
 嫌な予感がしてその視線の先を見下ろすと、ヤバイ、案の定右足の脹脛が流血している。
 厚手のジーパン生地がジットリと黒い染みになっていた。チラッと赤く見えるから、実家が医者で、医者になれと言われ続けてある程度それなりの勉強をしていた須藤にしてみたら、それが何であるかなんて一発で判ったんだと思う。

「良く見たらお前、満身創痍じゃないか!腕と、足は…ああ、こいつは酷いな」

 徐に屈み込んだ須藤は有無も言わさずにジーパンの裾を引き上げて、慣れていない手付きで巻きつけている包帯を外しながら顔を顰めて見上げてきた。

「…これはやっぱり、あいつらから?」

「まあな。いいよ、大丈夫だって」

 俺が慌てて足を引こうとしたが、須藤はやけに真剣な表情をしてそれを止めちまった。
 気恥ずかしいんだよなぁ。

「抉られてるみたいだが。参ったな、薬も何もないんじゃ…ん?そう言えばお前、この包帯とかどうしたんだよ?良く見たら銃も変わってるみたいだし、何があったんだ?」

 目敏く俺の変化に気付いた須藤は、立ち上がりながら怪訝そうに眉を寄せて俺の顔を覗き込んでくる。

「ええ!?え、えーっと、それは…」

 まさか変態男から犯らせた礼にもらいました、なんて言えねぇしな。
 でも、奴のことは言った方がいいし…どうしよう。

「こ、ここに来る途中で、変な奴に会ったんだ。ソイツはここの研究員だって言ってたけどさ、実際は何者なのか詳しくは判らないんだよ。で、なんかソイツからいきなり手刀で気絶させられて、気が付いた部屋に薬とか銃とか、まあ色々とあったってワケさ。ただ、ここの研究員の報告書みたいな書類を見つけたんだけど、何か拙い証拠なのかソイツに燃やされちまって。ま、そんなものを見たから気絶させられたんだろうけどな!」

 できるだけ端折ったけど、ほぼ半分以上は実話なので、大丈夫だろう。
 畳み掛けるように言ってわざとらしく大らかに笑う俺を、須藤は怪訝そうに片目を眇めていたが、それについては何も言わなかった。

「研究員の報告書か…こんな施設だ、拙い研究でもしていたんじゃないのか?この、奇妙な連中を見ても何となく頷けるしな」

 ボロボロの、もとは白衣だったんだろう布切れを着て、頭部を吹っ飛ばされて死んでいる研究員らしき死体を嫌そうに見下ろしていた須藤は、首を左右に振ってすぐに断ち切るように俺に向き直ると肩を竦めてみせた。

「まあ、佐鳥にしてみたらとんだ災難だっただろうが、その道具はラッキーだったよ。別に報告書なんか、今の俺たちにとってなんの役にも立たないものだからどうでもいいさ」

「あ、ああ。俺もそう思った」

 本当はとんだ…どころじゃねぇんだけどな。
 お前に、いや誰にだって絶対に言えねぇようなことをされちまった、その副産物のようなものなんだ。でも、確かに便利な一式だったから、今は目を瞑ってるだけなんだよ、須藤。

「ん?どうしたんだ、顔色が悪いな…ああ、そうだな。早いところ手当てをしよう」

 確かに傷のせいでもあるかもしれないけど、俺の顔色の悪さを勘違いした須藤はテキパキと近くの部屋に俺を促して治療に取り掛かった。

「うっ…」

 新しい血が溢れる傷口を布で抑えながら止血する須藤は、俺のポーチに入っている薬を1つずつ確かめていたが、不意に手を止めると何かをまじまじと見ている。

「なんだ?」

「…なんでこんなものが入ってるんだ?」

 訝しそうに眉を寄せた須藤は、人差し指と親指で持ち上げたオレンジのキャップで口を閉めている小さなチューブを見て首を傾げている。
 うっ!…そ、それは。

「し、消炎剤だから!きっと間違えたのかもしれないぜ」

 下手に動揺すると見透かされてしまうから、俺は必死で冷静を装いながら言った。

「間違えたって…誰が?」

「俺さ!俺に決まってるだろ!?何を言ってんだよ、須藤!」

 はっはっはと笑って思いきり背中を叩いてやると、妙に勘の良い須藤は怪訝そうな顔をしたが、別に気にした様子もなく肩を竦めてソレをポーチに戻して他の薬を取り出した。用心深くて勘の良い須藤の、容赦ない追求を免れたことに俺は心底ホッとした。
 やっぱりちょっとは動揺していたんだな。焦った。

「あんな巻き方だとすぐに取れちまうって。ガーゼも入ってたから、まあ、簡単な応急処置はできそうだ」

 ホント、やっぱりこいつは頼りになる。
 ちょっとした悪戯心がムクムクと沸き上がって、俺は丁寧に手当てをしてくれる須藤に人の悪い笑いを浮かべてニヤニヤと言った。

「お前さぁ、ゾンビが怖かったんだよな?さっきは平気みたいだったけど…大声上げて逃げてただろ?」

「…」

「うっ!いて、痛ぇってば!あいたぁ!」

 無言で染みる薬をべったりと傷口に押し当てた須藤に、俺は目から星が出るほどの痛みを感じて慌てたようにその腕を離そうとした。

「誰だって、もういい加減慣れるさ。お前と会う前も半端じゃなかったからな」

「わ、悪かった!ごめん!俺が悪かったッ」

 だが、須藤は問答無用で包帯まで巻いてしまった。
 うおおおッ、いてぇッ!凄ぇッ、いてぇ!…けど、なんかさっきよりは楽になった気がする。
 おお、足も動くぞ!

「須藤!すっげぇ楽になった!ありがとうな」

 ポーチに薬を投げ込みながら、神経質そうな表情には疲労の色を浮かべて、須藤は小さく口角を釣り上げただけだった。

「なあ、お前も階上から来たなら、見たか?」

「…犬だろ?」

 須藤は立ち上がると、疲れたように俺の横にドサッと腰を下ろして溜め息を吐きながら頷いた。

「アレって、なんか変だよな。まるで、時間をかけてゆっくりと溶かしていたような…何かの実験体が逃げだしたって思うか?」

「佐鳥はそう思わないのか?」

 反対に聞き返されて、俺は答えに困った。
 実験体のような気もするけど、でもまさか、こんな放置された施設にまだ化け物じゃない生きている実験体がどれぐらいの確立で生き残ってるか…そう考えるとすっげぇ、微妙な気がするんだ。
 実験体と言うよりも…野犬か何かだったのかな。でもそうすると、こんな階層まで犬が迷い込むってのも微妙な話だと思うんだよなぁ…だって、犬は人間よりも鋭い本能を持っているはずだ、だとしたらこんな化け物がうじゃうじゃいるところに来るんだろうか?うーん、マジで微妙だな。

「何かおかしな病気が蔓延した、ってワケでもなさそうだし。実験の失敗か、或いは自らが被験者になったのか…どちらにせよ、あの奇妙な連中を見ても判るように、少々の怪死は平気で起るんじゃないのか?」

 結局須藤にも理解しがたい状況だったらしく、俺とほぼ同じような結論をその優秀な頭脳で弾き出したようだった。

「だな」

 頷いた俺は立ち上がると、比較的動きやすくなった足を軽く動かしてみて、あまり痛みがないことを確認すると腰にポーチを装着してマシンガンを取り上げた。

「おい、まだ腕の傷…」

「ああ、これは大丈夫だ。もう、直りかけてるし。さ、先に進もうぜ」

 そうだな、と呟いて立ち上がる須藤と共に、俺たちは先に進むことにした。
 先といっても、いったいどこに続いてるのか…俺たちは闇雲に前進することにしたんだ。