Act.14  -Vandal Affection-

「全く!どうしてこう、ゾロゾロと出てくるんだッ」

 須藤は舌打ちすると、苦々しく呟いて俺が渡した新しい短銃のマガジンを入れ替えようとしている。

「そろそろ弾も切れてきてる!ここはどこら辺なんだ?」

 俺も肩で息をしながら額の汗を拭った。
 階下の通路を博士たちを捜しながら歩き回っていた俺たちは、物資の乏しさに気付いて眉を顰めた。ヤバイな、このままだともう幾らも持たないんじゃねぇのか。

「あれから、もう随分と降りてきたっていうのに…いったい何階まであるんだ!?この施設は」

 須藤は苛々したようにガチンッと金属音を響かせてマガジンを完全に挿し込むと、一息ついて通路の角から顔を覗かせながら吐き捨てるように言った。
 俺たちの命運も、もう間もなくと言うことか。

「おい、佐鳥。研究員がいないぞ」

 須藤の言っている研究員と言うのはゾンビのことで、おかしいな、さっきはあれほど襲い掛かってきてたって言うのに…

「何か…あるんじゃねぇのか?」

 俺たちは恐る恐る角を曲がると、電灯が煌煌と照らし出す白い壁が圧迫感さえ感じさせる通路に立った。シン…ッと奇妙な静けさが唐突に支配して、俺は須藤と顔を見合わせる。

「なんかこう、甘ったるい匂いがしないか?」

 不意に鼻をひくつかせていた須藤が首を傾げたから、さっきからクラリ…とする匂いが鼻先を擽っていた俺も頷いて周囲を見渡した。匂いの発信地は…

「あそこだ」

 俺はマシンガンを片手に、前方にある大きな一対の白い扉を指差した。

「誘われてるみたいだな。弾の方も心配だし、ここは避けた方がいいんじゃないのか、佐鳥」

「いや、誘われてるにしろなんにしろ、行ってみた方がいい。誘ってるってことはつまり、誰か誘われた奴がいるかも知れねぇだろ?」

 まあ、そりゃそうだけど…と、些か不満げに気乗りしていない様子で呟いた須藤はそれでも諦めたように肩を竦めると、さっさと歩き出す俺の後を追って仕方なさそうに首を左右に振ってついて来た。

「う…」

 ムアッとする甘ったるい匂いに思わず鼻を押さえる俺の後ろで、須藤が驚愕したような声を上げた。

「さ、桜木!?」

「何だって!?」

 俺は須藤の言葉に反射的に前方を見た。最初に視界に飛び込んできたものは大きな花だった。その花から俺の視線はゆっくりと上へとあがって行く。
 そこには、蔦に両手と両足を絡め取られて、失神すらもできずにガタガタと震えながら双眸を大きく見開いて、ボタボタと涙を流している桜木がぶら下がっていた。

「さ、佐鳥くん…」

 恐怖に見開いた双眸で、まるで何か恐ろしいものでも見るようにゆっくりと顔を上げた桜木は、いつもキチンと化粧を施している顔を涙と鼻水でグチャグチャにしている。ピンクの可愛かった口紅は半ば落ちて、マスカラの溶けた目の縁は真っ黒だ。
 通常時ならどうしたんだよ、と言って笑うこともできたけど、桜木の恐怖心が手に取るように判るから、俺は咽喉仏を上下させて息を飲んだ。

「桜木…お前生きてたのか」

 後になって考えたら、そんなどうでもいいことを呟いちまったと後悔した言葉に、桜木は何か言おうと開きかけた口を、奇妙な花の化け物が茎を揺らしたから息を飲んで閉じてしまった。

「さ、佐鳥くん、助けて…」

 花が食虫植物になったようで、その大きさは世界最大と謳われるラフレシアなんかを遥かに凌いでると言い切れる。
 けっこう広い研究室いっぱいに腕を広げた悪魔は、花弁の中心から甘い蜜を吹き零しながら、ぬらぬらと俺を誘うように桜木の身体を弄んでいた。

「参ったな、なんなんだ!?あの化け物はッ」

 須藤は舌打ちして短銃を構えたが、俺は慌ててそれを制した。

「待てよ、須藤!桜木に当たっちまうだろ!?」

「じゃあ、放っておけって言うのかッ!」

 須藤が俺の腕を振り払うようにして怒鳴り返すと、忌々しそうに巨大な花の化け物を睨み据えた。
 俺だって桜木を助けてやりたい、でも、この化け物がどんな奴か知らないと…撃ち所が悪くて桜木に当たるか、失敗して化け物にあの蔦で桜木の身体を真っ二つにされないとも限らない。
 ゆらゆらと動く蔦が奇妙な動きを見せる。
 まるで意志を持った触手のように、その蔦はゆらりゆらりと近付いてくる。

「佐鳥!?」

 腰から引き抜いたサヴァイバルナイフで触手を切りつけて、俺は切り込むように桜木の傍まで走って行った。そうさ、撃つなら至近距離がいい。
 弾が桜木にも当たらない。
 だが、花の化け物は意外と賢かったらしく、脇から伸ばした触手で俺を薙ぎ払いやがったんだ!

「うわっ!」

 寸前で避けたものの、バランスを崩した俺は無様に尻からこけてしまう。そこを狙ったかのように触手が伸びてきたが、乾いた音が室内に響き渡って硝煙の匂いがした。

「俺を忘れてもらっちゃ困るな」

 構えている手許の短銃から微かな煙が上がり、須藤は狙いを定めて眇めていた片目を開くと口角をクッと釣り上げた。

「す、須藤」

 触手は一部を引き千切られたらしく、伸ばしていた茎を慌てて引っ込めると桜木の身体を締め上げた。

「キャアァッ!」

「桜木!」

 なんてこった!コイツは今までの化け物とは違って、何をどうすれば目の前にいる人間が苦痛を味わって戦闘意欲をなくすかってことを心得ているんだ!
 俺と須藤は為す術もなく、ただ呆然と化け物を睨み据えていた。
 何かないだろうか…俺はない知恵を絞って頭をフル回転させ周囲を見渡した。
 須藤も何かを考えているようで、忙しなく状況を判断しようとしているようだ。

(落着け、落着くんだ!!)

 そう思いながら俺はふと、ある事に気が付いた。慌ててその事を須藤に耳打ちすると、奴はハッとしたような表情をして俺を見たが、すぐに口角をグッと釣り上げてニッと笑った。

「じゃ、そう言うことだ!頼むぜ、須藤!!」

「ああ、お前もしくじるなよ!」

 俺と須藤はその化け物の脇に同時に飛び込んでいた。俺は左に、須藤は右!
 俺たちの動きに化け物は一瞬うろたえたようだった。
 その行動は予想通りで、俺はヤツの植物には無い反応を期待していたんだ。
 ヤツはまんまと俺の策に乗っかってきた。走り出しが一瞬早かった須藤に乗せられた化け物は、完全に奴の方へ気が行っちまっていたようだ。須藤には悪いが最高のオトリ作戦は成功した。
 その間に俺はどうしていたかと言うと、一目散にヤツの脇にあった扉を体当たりで開けてその部屋に転がり込んでいた。良かった、心配していたような鍵はかかっていなかった。
 すぐさまその音に、実際は振動だろうけど、気付いたのか須藤の相手をやめると一気にその触手は俺のいる部屋になだれ込んできた。
 だが、その触手は俺の手前で動きを止めた。
 そうか、やっぱり思った通りだったんだ。

「そうだよな、これがお前の弱点なんだよな!」

 そう言って俺は赤いバルブに手をかけた。そう、このバルブこそコイツが存在できる環境を生み出していたんだ。ここは全てが実験の為に用意された最適な環境下だから、バランスが崩れればあっさりその『楽園』としての役割も失ってしまうんだろう。
 俺がここに跳び込んだ理由を言えば、この研究室に入った瞬間、まるで亜熱帯のようなジメっとした室内の状況を見逃してはいなかったってワケさ。そしてあの室内を見渡していた時に目に飛び込んできたもの、それがこの部屋の扉にあるプレートに書かれていた文字。
 そこに書かれていた文字、それは『スチーム室』。

「さぁ、どうする?桜木を離すか、それとも、お前が体験したこともないような極寒を味わってみるか?」

 その言葉に少しヤツは考えているようだった。しかし、ちょっとの間があった後に何かがドサリと落ちる音がすると、部屋の外で須藤が桜木の名を呼ぶ声が聞こえた。
 どうやら、化け物のヤツは俺の言葉を理解したようだ。

「思った以上に賢かったみたいなだな…」

 だが、俺は一気にそのバルブを閉めようとした。化け物に義理立てする必要なんかないからなッ!
 もちろんそれは、ヤツにとっても同じことだった。
 俺の全身はすぐさま蔦に絡め取られ、骨が軋むようなその締め付けは尋常じゃなかった。

「うぐぅっ!!」

 だが、運が良かったのか腕に巻き付かれていなかったおかげで、バルブを握った手はそのままだ。俺は苦しさのあまりに無我夢中でそのバルブを回していた。
 そう、蒸気を止める方へ。
 骨が軋むほどの締め付けがピークに達し、俺の意識が飛びそうになったときだ。
 不意に足許にヒンヤリとした空気が流れ込んできて、次第にその締め付けが緩んでいった。

「ゲハッ!ゴホッ!ゴホッ!」

 束縛が解かれた俺の身体は力無く床に倒れ込んだ。その床には今までのジメジメした湿気は無く、逆にうっすらと白いものが貼りついていた。
 その、白いものは…霜だ。
 俺は全身を襲う寒気にここの環境の変化を悟った。どうやら今閉めたバルブがこの研究室の温度調整をしていたものだったようだ。
 実はそうじゃないかと思っていたんだよな。核心は無かったけど、温室の温度調節に温泉の蒸気を用いているという話を、以前聞いた事があったからな。

「ううっ…さみぃ…」

 俺が先ほどの締め付けにやられた体を引き摺るようにその部屋を後にすると、寒さと激しい疲労に襲われていた須藤たちが重い足取りで近付いてきた。

「ど…どうなっちまったんだ?」

「……」

 桜木は白い息を吐きながら、須藤の肩を借りて立つのがやっとと言う顔でこちらを見ているが、その身体はガタガタと震えていた。

「このままここに居たら凍えちまうぜ…」

 そう言って化け物から弾かれた時に放りだしていたマシンガンを拾うと、俺は甘い匂いで獲物を狙う、賢いがとても原始的だった化け物の方を見上げた。
 そこには今までの事がまるで嘘だったように、巨大な植物が氷付けになっていた。
 あれほど獲物を狙っていた蔦にはもう勢いもなく、自分が分泌した液でできた氷柱が何本も垂れてその動きを止めているように見える。

「ここはもうすぐ、冷蔵庫のようになるんだろうな」

 須藤はそう言うと俺の肩を叩いた。そんな須藤と二人でぐったりした桜木を連れ出しながら、俺たちはその重い扉を閉じた。たぶん、もう二度と開くことはないだろうけど。
 そう、切実に願いながら…