Act.21  -Vandal Affection-

 暫くして、俺はヤツの返り血をぼろぼろのシャツで拭くと、コンテナからゆっくりと降りた。既に須藤も桜木もレールのあるフロアに下りていて、俺が来るのを待っている。

「須藤、危なかったな……」

 俺の肩を軽くポンと叩くと、須藤はニッと笑う。

「ああ、もう正直駄目だと思ったんだがな。だけど、桜木のおかげさ、良くあんな機転がきいたな?」

「えっ、あっ、知らないうちにスイッチに手が行ってたの」

 そう言って今は無くなってしまったコンテナのあった場所を指差した。

「いや、そうじゃなくてさ。あの台車の操作の事だけど…」

 桜木は不思議そうな顔をして首を左右に振る。
 その仕草は“私じゃないわよ”と言った感じだった…
 じゃあ、誰がやったんだ?
 その時、頭上から声がした。

『当構内はこれよりオートメーションによる運搬作業を行います。線路内に侵入している工員は速やかに退避してください。繰り返します、当構内は…』

「なるほどね、運が良かった…それにしても、ヤツはどこへ召されちまったんだろうな?」

 須藤は 既 に先ほどの事態を忘れたかのようにおちゃらけて言った。そうしているうちに、貨物用エレベーターが到着すると、綺麗に並んでいた台車が順序良くゆっくり構内に入ってきた。俺たちはそれをよけながら、一段上の工員用通路に退避した。

「さて、次に進むとしましょうか?」

 須藤は“おっと、いけない”と、落としていたハンドガンを拾いにもう一度戻って行く。

「貴重な武器なんだから大事にしとかないと…」

 俺の言葉に須藤が肩をすくめながら、悪びれた様子もなくニヤッと笑って俺を見た。

「ああ、“もしもの時は馬鹿な事は考えずに使うんだぞ”だろ?」

「判ってるなら最初から拾っとけよ、バーカ」

 一段下で肩を竦めていた須藤は“よっ”とオッさんのような掛け声でこちらに上がって来たんで、俺は奴の肩を軽く突いてやった。それで二人で笑っていると、そんな俺たちを後ろで見ていた桜木も先ほどの緊張感から漸く開放されたのか、小さく噴き出している。
 まぁ、何はともあれ大切な仲間が欠ける事なく今回も無事に危険をやり過ごせて良かったと思う。
 いや、本当に良かったよ。

「なぁ、ところで俺たちって何であのカマキリとバトルしたわけ?」

 俺は注意深く先に進みながら、さっきから考えてもどうしても答えの出ない疑問を口にしたんだ。その言葉に、須藤のヤツが桜木を 挟 んだ背後で肩を竦めた気配がした。
 本当はさ、どうでも良いような事なんだけど、気が抜けたせいかみんなでそんなことを考え込んでいたんだ。
 音に敏感だったヤツのこと、本来なら大きな音を立てさえしなければあっさりと遣り過ごせたはずだ。なのに俺たちは必死でやりあった。

「う~んと。博士たちを捜し出して帰る時って大人数じゃない?あんなのいたら大変だし…だから、やっつけた!…でいいんじゃないかしら?」

 桜木の意見が一番もっともらしいが、なんか違うような気もしなくもないよな。

「少なからずも動揺してたってことかな。俺たち…」

「馬鹿だな!原因は桜木にあるんだぜ?」

 唐突に背後からの須藤の言葉に小首を傾げて振り返った桜木の鼻先を軽くつまむと、片方の口角を釣り上げて笑ったんだ。
 桜木はぶぅ!と顔を 顰 めて須藤を 睨 むが、ヤツは気にもせずに言葉を続ける。

「桜木が“ヤッホー”って言っただろ?あのカマキリくんは音に凄い敏感で、しかもその位置を正確に割り出せる能力を持っていたんだ。これはあくまでも俺の推測なんだが、暗闇に暗躍する生き物にとって、目より耳や皮膚に伝わる振動、つまり音や動きの方が敏感になるんだろう」

 そこまで言うと、首を振って須藤の手から逃れた桜木は、意地悪そうに須藤の鼻に人差し指を押し当てると鼻先を押し上げながら言った。

「あーら、じゃ、あたしが襲われなかったってのはヘンな話じゃないの?」

 須藤は豚の鼻でカッコをつけながら両手を肩のところまで上げると、“判ってないなー”とでも言わんとばかりに首を左右に振っている。

「何故かって?『木霊』だよ。桜木を救ったのはあそこの反響が『木霊』を生んで、その音に奴は惑わされたんだ。だから、俺たちの居る場所は判っていても、桜木がその場所から移動したって奴は思ったのさ。動揺したのはつまり、カマキリくんの方だったってワケだ。だが、もしあそこで俺たちが奴を無視していたとしても、俺たちの脇をゴキ野郎が通っただけで本当はいちころだったんだぜ」

 なるほど!
 それであのカマキリの化け物は俺たちを見下ろしながら首を傾げていたってわけだ。
 ここにあの音の主はいるのだろうか…ってな。だが…

「なぜ、いちころなんだ?」

「ヤツが俺たちの存在に既に気付いていたからさ」

「えっと…」

「判らないのか?物音はしないが、あの鋭敏な皮膚は俺たちの息遣いで何かいることには気づいていた。その脇を大きな音を立てた生き物が通ったらどうする?」

「あ!」

 俺と桜木は思わず顔を見合わせて、興奮したように須藤を見た。ヤツは仕方ないヤツらだとでも言うように肩を竦めて見せるけど…
 なるほど!そう言うワケだったんだ。
 さすがだな、須藤!
 奥歯に詰まっていたものがスッキリと取れた気がして、俺は満足した。桜木のヤツはいまいちムッとしているようだったけど、どうもコイツらにはなぜだか判らないが、対抗心みたいなものが芽生えているらしい。
 こんな時だって言うのに…何を考えてるんだかな、コイツらは。
 でもま、須藤のヤツは全く相手にしていないみたいなんだけど…桜木のヤツは。
 もしかしたら須藤のことが好きなのかもしれない。
 こんな状況じゃなけりゃお互いの事をもっとよく知って、もしかしたらなかなかお似合いの二人にだってなれたかもしれないだろうに。いや、考えるのはもうよそう。
 これが現実なんだ。
 生きて日本に帰られたら、そんな希望はまるで当たり前のようにあるはずだ。
 俺たちはそれだけを目標に、生きる為に突き進んでいるんだ。
 逃げることも突き進むことも、全ては生きていくことに 繋 がっていることをこのサバイバルの状況下で俺たちは学んでいた。後ろばかり振り返って何もできないでいるよりも、死ぬことに怯えながら先に進んでいくことの方が 随分 と難しいことだって、このコンカトスで知ったんだ。だけど、必ず実行すれば何とかできることも確かだった。
 ここに来る前まで、あんな化け物たちを次々と倒せるなんて思ってもみなかった。まるでゲームや映画の世界のようで、でも現実は全く違ったんだ。恐怖を煽る音楽なんかない。
そんなものでもあれば少しぐらいは気分だって晴れるのに。
 まるで研ぎ澄まされたように静まり返る周囲には生き物の息を潜めた気配だとか、建物に入ると自分の心臓の音と 息遣 いしか聞こえないんだぜ。気が狂いそうになる。
 恐怖なんか、つま先から這い上がってきて脳天に達するのなんかすぐだった。
 混乱もするし、妙に苛々するんだ。
 でも、ヘンなところが冷めていて、そう言う部分が恐怖心に 摩り替 わっていくからさらに怖い。
 怖い。
 もう、無条件で怖いんだ。
 映画やゲームのようにじわりじわりと這い寄ってきて急に襲いかかるような恐怖心じゃない、それだってどこかに「自分は安全だ」と思う安心感みたいなのがあるから恐怖心と言う感情をゆっくり味わうことができるだけだ。でも現実は違う、最初っから怖いんだ。目の前に化け物が 唐突 に現れると、まず始めに息を飲む。でも、すぐに心底から湧き上がるような恐怖心が身体を突き動かす。頭で考えるよりも先に、そう言う現象が起こる。
 それはもう無条件の、条件反射だ。
 これはもちろん俺が体験したことで、須藤や桜木がそうかと言うと判らないんだけどな。
 須藤は動揺したりもしているようだけど、けっこう冷静に判断してるみたいだし…桜木にいたっては 殆 ど放心状態が続いてるみたいだ。ああ、その点で言えば桜木と俺には共通点があるな。
 なんにせよ、頭で考えるよりも身体の方が先に動くのは一緒だってことだ。
 頭脳の方面は須藤に任せればいい。
 俺たちは、きっと3人ともベストパートナーだと思う。
 よくぞ生き残ってくれたって感謝してる。
 もうダメだと諦めかけても桜木の天然ボケに救われたり、考えても答えが出ない時はあっさりと須藤が答えてくれる…じゃあ、俺は?
 俺は、なんの役に立ってるんだろう…?

「…なんにせよ。嗅覚が発達していなかったことには感謝しないとな。だいたいの確率で、
闇でしか生きられない連中ってのは嗅覚が発達してるもんなんだ。ここにいたあのカマキリくんはどうも失敗作だったようだな」

 桜木の背後で余裕ができたのか、須藤が呟くように言った。

「嗅覚…?」

 そうか、これから先には嗅覚に敏感な生き物だって開発されてるかもしれないんだ。

「ソイツに狙われたら最後だな。この武器の少なさじゃ…頭脳戦も運も、さすがに匂いには負けるだろう」

「まあな。だが、方法がないってワケでもない」

 須藤は小さく笑っているようだった。

 その時のこともちゃんと考えてるようだ、こんな状況下、須藤の優秀な頭脳はあらゆる可能性を弾き出して計算してるんだろう。心強いことだ。

「どう言う方法なの?」

「まあ、その時になったら教えるよ」

「ケチね」

 桜木が肩を竦める気配がして俺は笑った。
 けっこう重い鉄の扉の取っ手に手を掛けて、俺は後方にいる二人を振り返った。
 焦燥感と疲労に覆われている桜木と、緊張感にいつもよりも強張った表情の須藤。
 俺は…なんの役に立ってるのかなんて判らねぇ。
 考えたってしかたないなら、今は俺ができることに集中するしかないんだろう。
 息を飲むように顔を見合わせた須藤と桜木は俺の手許を見て、それから目線を俺の顔に向けると小さく頷く。

「じゃあ、行くぞ」

 俺は思い切り良く、何かを吹っ切るように扉を開いた。
 階下に続く階段の踊り場になっているそこから、溢れるように光が俺たちの目を細めさせる。
 さあ、薄暗いトンネルに別れを告げて、おおかた怪しげな研究でもしていたんだろう、俺たちは標識にあったブルーゾーン、地下16階に踏み込むことにしたんだ。