Act.23  -Vandal Affection-

  階上 にしてみたら狭くなっている通路は、それでも俺たち三人が歩くには幾分か広いと
思うくらいの幅はあった。
 その通路の脇には整然と等間隔で細かく各研究施設の部署名がプレートに書かれて貼り付けられている。

「通路が広いだけに、この静けさだと自分の鼓動が聞こえてきそうだぜ」

 須藤がそう言いながら口角を釣り上げての、あのお決まりの苦笑を浮かべて慎重に先に進む。
 見通しが良い分だけ、逆にそこが落とし穴になるっていうこともある。
 そう、ここには先に進むか、それとも退くかの二つに一つの選択しかない場所なんだ。そして、そんな場所に俺たちはいるんだ…

「こんなに静かだと、ゾンビの類はいないようようだな」

「安心はできないだろ?あのカマキリのバケモノだって、こんな風に静かな場所にいたんだ」

 俺たちの後ろを話を聞きながら歩いていた桜木が急に足を止めた。

「ん?どうした、桜木?」

 俺が彼女の方を振り返ると、桜木はしきりに耳をそばだてて何かを聞き取ろうと必死のようだった。

「おい、どうした?」

 須藤の呼びかけにも、桜木は唇に指を当てて俺たちに黙るよう仕種で促しながら動きを制してくる。どうしたって言うんだ?
 その桜木の動作は明らかに何かを感じ取っているようで、俺たちは顔を見合わせるとすぐに黙り込んだ。その気になれば、もう息を潜めることだって身に付けちまっていた。
 あんまり、ありがたくなんかねぇけど…

「何か…音がしてるの…あっ!また!!」

 桜木はその音が聞こえる度に、 微 かに声を上げては俺たちに判って欲しそうにしていたんだけど…残念だが俺にはさっぱり何も聞こえてこないんだ。それはどうやら須藤にも同じことだったようで、困惑したような表情でヤツは俺を見て 微 かに肩を竦めた。
 桜木の空耳だと半信半疑で耳をそばだててみると…んっ?この音は…??
 タタタッ…タタッ!
 今度はハッキリと聞こえた。
 俺と須藤はその音が人間の走ってくる足音だと判ると息を呑んだ。もちろん、桜木だって同じだろう。
 そして俺たちは音のしてくる方向を見つめる…はたして、トラが出るか蛇がでるかだ。
  斜 め前にある研究室のドアの向こう、確実に近づいてくる音…
 俺たちはなけなしの武器を構えて、荒く脈打つ鼓動を必死で押さえ込みながらゴクリと息を飲んだ。
 ドンッ!!ドンッ!!
 突然の発砲の音に、ビクッとした桜木が思わず耳を押さえて小さく悲鳴を上げる。
 チッ、何度も聞いてるとはいえ、さすがにその恐ろしさは本能がしっかりと覚えてるってワケだ。
 そして、唐突に、馬鹿なほど唐突に俺はある事に気付いた。
 待てよ、誰かが必死でこっちに向かって走ってくる。そして続けざまに聞こえてくる銃声。
その意味する人間の今の状況は?
 そりゃ、お前。一つしかねーじゃねぇか!
 その瞬間だった。
 俺たちの斜め前方のドアが勢いよく吹き飛ぶように開けられたんだ!
 そこから一人の、白衣の研究員らしき人間が転がりながら飛び出してきた!

「やっべ!みんな、伏せろっ!!」

 とっさに俺は動物的直感っていうヤツか、なんだか判らねぇけどその男の次の行動をまるで予測したかのように、須藤と桜木を庇ばうようにして床に伏せたんだ!
 ガシャン!!
 明らかに俺たちに向けられた銃弾は俺と須藤の頭上をかすめると、天井で煌々と照らしているライトの一つに当たりそのガラス片を俺たちに撒き散らしてきたけど、かまうもんか!
 やられたらやり返すまでだ、でなきゃこっちが殺されちまう!!

「クソッタレ!!」

 そう叫ぶと体からキラキラと光りながら落ちるガラスの破片を落としながら立ち上がった俺は、手にしていたマシンガンの銃口をそいつの面にめがけて向けてやった…が、引き金を引くまでにはいかなかった。なぜなら男は俺たちの姿を確認すると「生きてる人間か!?」と言って、その銃口を俺たちとは全く違う正反対の方向に向けて撃ち始めたからだ。
 とにかく、今まで会ったこの施設の生存者はいない。いや、正確には一人だけいることはいる。俺が出逢った、たった一人だけ知っているあの変態野郎の存在なんだけどよ、そいつは数に入れないことにした。なぜって?もう、死んでるかも知れないし…あんまり思い出したくないからだ。まあ、死んでるなんてこた、今までだって飄々と生き残ってるぐらいなんだから、恐らく絶対にないと思うけど…

「とにかく 援護 してくれ!!」

 俺たちは 兎にも角にも 話しは後回しだと言うように、その男の脇につくと一斉に銃を構えたが、男が発砲する先には何もいない。
 拍子抜けした俺が思わず困惑したように研究員をチラッと見た。それだって、一応、前方への注意は 怠 らないように心掛けながら。それでも声は上ずっていると思う。

「な…何に向けて撃ってるんだよ!?」

「今に判る!」

 そう言うと、奴はポケットに手を突っ込んで 手榴弾 の小型版みたいな物を取り出したんだ。
 ピンッ!
 安全装置を外す音がしてピンは宙に舞うと、閑散と、奇妙に静まり返る通路にいっそ心地好い音を立ててそれが床に落ちる頃には、本体は男の手を放れて前方の通路へカラカランッと音を響かせながら転がって行った。

「伏せろ!」

 一連の動作はまるで映画のワンシーンのようなスローモーションに思えたけど、これは現実で、目の前で展開されている悲しい事実なんだと思い知らせる鋭い声が、男の口から洩れた時には俺たちはもう思い思いの仕種で頭を庇うようにして伏せていた。
 そしてその言葉と俺たちが伏せたのとほぼ同時に、前方の通路で小規模だが確実な爆発が起こり、後には何かが 引っ繰り返 って 痙攣 を繰り返していた。ムッとする硝煙の匂いと、何か肉が焦げるような異臭が鼻をついて、俺は 顰 めながら上げた顔で前方を確認しようとした…けど、残念だがここからじゃソイツの姿が焦げていて良く見えなかった。ブスブス…ッと、不気味な煙が吹き上がっている。
 まあ、百歩譲って 敢 えて言うのなら、それはきっと『カメレオン』っぽいってことだろうか?
 トカゲ…?うーん…

「お前は誰だ?」

 俺がそんなことに頭を 遣 っている時、不意に 尤 も冷静な須藤が伏せた床に上半身だけを起こして、同じような仕種をしている男の頭に銃口を押し付けて言ったんだ。

「……さすがに、この階層まで来ただけの事はある」

 そう言って男は手にしていた銃を床に置くと、そこから慎重に離れながら胸の位置に両手を上げて、敵意丸出しの須藤に自分には敵意が無いと言うことを態度で示してみせた。

「俺の名は 新倉 と言う。ここのしがないサラリーマンエンジニアだよ」

「…新倉?日本人なのか?どうなってるんだ!」

 須藤はワケが判らないと言いたそうな表情で俺を見たけど、俺にだって判るかよ。
 ソイツのあからさまに怪しい態度にも引っ掛かるけど、残念ながら、今はコイツの話を聞くしか他に手はねぇだろう。
 チラッと須藤を見ると、奴は諦めたように銃口を下ろして首を左右に振った。
 俺たちは這っていた床から起き上がると、新倉が置き去りにした短銃を拾い上げながらヤツを振り返ったんだ。

「で?新倉さん。なんだってあんたはこんな所にいるんだ?」

「俺は紫貴電工から派遣されたしがないエンジニアだ。施設のコンピュータのメンテナンスで来ていたんだが…まあ、ご覧の通りってわけだ」

 そう言うと、男が唐突に懐に手を突っ込んだもんだから、疑い深い須藤は 躊躇 わずに銃口を向けた。ちょっと、さすがにビクッとしたんだろう、新倉は名刺入れを取り出すと、片手を胸の前で上げながらそれを左右に振ってみせた。日本人特有の名刺交換ってやつか?
 残念ながら俺たちは学生で、サラリーマンじゃねぇからソイツは必要ないんだよ。

「動くな!お前、何だかうさんくせーんだよ!」

 須藤が不機嫌そうに鼻に皺を寄せて構えていた短銃を構え直すのを見ると、新倉は額にうっすらと浮かんでいた汗を軽く拭いながら、その名刺入れを引っ込めて肩を竦めてみせた。

「とにかく、俺たちの探している生存者じゃねーんだ。放っておく方がいいだろ? 足手纏 いにだってになりかねないからな」

 ここに来て二人目の生存者。
 ったく、なんだってここで生き残ってる連中ってのはこんなに 胡散臭 いんだろうな。
 まあ、こんな状況の施設だ、生き残ってる方が不思議なぐらいなんだから、そうとう肝の座った奴しか生き残れねぇんだろうけど。
 そんな事を考えながら言った俺の提案に、須藤は舌打ちしながら賛成したようだった…が、俺らの仲間の一人がやはりと言うか、セオリー通りに裏切ってくれるんだよな。

「こんなところにいて、よく無事でしたね。大丈夫ですか?」

 つーか、お前の頭は大丈夫かよ、桜木。
 それまで黙って事の成り行きを見守っていた桜木が、いきなりその「新倉」と名乗る怪しい男に近づきやがったんだ!桜木にしては初めての生存者にホッとしたんだろう。その気持ちは判るし、同感だってしてやれるさ。だが、俺はそれでかなり痛い目にあったんだ。あんな思い、女の子にはさせられない。
 俺と同じことを思った…ワケじゃもちろんない須藤がそんな桜木を引き戻して、男との間合いを取った。

「何を考えてるんだ、桜木。今、出会ったばかりで、どんなとこから来てるのかも判らない人間に簡単に近づくんじゃない!」

 そうだ。あんなことならまだ生きていけるからいいかもしれねぇけど、もしコイツに何かしらの菌がついていたりしたらどうするんだ!?
 今回ばっかりは須藤の言うことを聞いてくれよな。

「わ、判ってるわよ!…でも、どうやってこんな施設の中で生き残れたのか、紫貴電工ってなんなのか知りたいじゃない」

 桜木は予想以上の猛反撃をしてくる。
 いや、その台詞にはもちろん同感だったけど…

「いや、それだって駄目だ。お前の指摘するように、この男がエンジニアだって言うのにどうして短銃だの 手榴弾 だのを持ってるのかって事が引っ掛かるんだよ。俺にはこいつが言葉通りの人間とは思えないんだ。桜木は好奇心が 旺盛 すぎるよ、もう少し現実的に物事を考えるべきだと思うね」

 さすが、須藤って感じだ。桜木の言動に怯むどころかあっさり切り返しやがった。
 須藤はいつも以上のポーカーフェイスを気取っていたけど、ムッとしている桜木の顔を溜め息をつきながら見下ろしている。

「どちらにしたって、俺たちに紫貴電工なんて会社は関係ないんだよ。そりゃ、この施設を作った会社かもしれないから気にはなるけど…まあ、当分就職活動はお預けだと思うし、気にしない方がいい」

 俺が肩を竦めて言うと、桜木はちょっとバツが悪そうな表情をして小さく笑って見せたし、須藤は呆れたように肩を竦めた。そして俺たちの目の前の男はあからさまに噴き出したんだ。

「…っと、失礼。こんな状況下でも、なかなかのハイセンスなジョークだと思ってね」

 須藤に 胡乱 な目付きで 睨 まれた新倉は、苦笑しながら首を左右に振った。

「君たちはここから先に進むんだろう?だったら、少なくともこの施設の知識を多少でも持っている俺を同行させた方がいいんじゃないのか?」

 もっともらしくそう言って、尊大な態度で腕を組むのを須藤は憎々しげに見ていたが、俺をチラッと見て眉を上げてみせた。
 どうする?…とまあ、そんなことを聞いてるんだろう。
 俺に意見を求めて欲しくはないけど、仕方ねぇ。

「どうして俺たちについて来たいんだよ?逃げるなら 地上 に行けばいいだろ」

 俺の台詞に新倉は肩を竦めて見せて、それから 徐 に組んでいた腕を解くと首を左右に振ったんだ。

「実は…さっきので最後だったんだよ。パイナップル」

「パイナップル?…ねぇ、須藤くん。やっぱりちょっと、この人ってヘンね。関わらない方がいいみたい。ごめん、今回はあたしの負け…」

 …ってなことを須藤に耳打ちする桜木に、笑っていいのかどんな顔をすりゃいいのか、困惑したような表情で参ったように彼女を見下ろしている。
 俺は思わず笑っちまいそうになったが、新倉を前にそれほど心を許すわけにもいかない。

「最後の手榴弾だったってワケか。じゃあ、今度あんな目には見えない化け物がいたら…最悪だな」

 やだ、パイナップルって手榴弾のことだったの?…と、桜木が口許を押さえて恥ずかしそうに舌を出した。須藤が頭痛でもしているようにこめかみを押さえている。それらをまるで無視して、新倉は俺を見据えながら頷いたんだ。

「と言うワケだ。それで、見れば君たちは多少なりとも武器を携帯しているようだからね。単身、こんな安っぽい短銃一つで地上に戻るぐらいなら、君たちに同行させて欲しいんだよ」

 思ったよりも真剣な表情で言うそのエンジニアを、別に俺たちは信じたわけじゃない。
 ただ、本当に久し振りに出会った人間を、見殺しにするのが嫌だったんだ。
 須藤もそれには納得したようで、渋々と言った感じで頷いた。
 ただし、と言ってヤツはきっちりと釘を刺したんだけどな。

「少しでもおかしな真似をしやがったら、俺は 躊躇 わずに引き金を引くからな」

 そのゾッとしない台詞に新倉は苦笑し、桜木は呆れたようだった。
 俺は…ずいぶん過激になったもんだと、妙に感心したもんだ。
 そうして、手にしていた口径のけっこう大きい短銃とは呼べないような銃を返してやりながら、俺たちは新しい仲間を加えて歩き出していた。