Act.24  -Vandal Affection-

 痛ッ!な、何だ?
 通路を進んでいた俺は、 唐突 な痛みにビクッとして腕を掴んだ。
 腕には嫌な思い出があるからな、慌てて掴んだ腕を目の高さまで持ってきて見てみると、腕には 擦り傷 があって、うっすらと血が浮かんできていた。それはまるで、そうだカッターかなんか、ナイフのようなものでスーッと切ったようだった。その後からタラリと血が浮かんでる、そんな感じだ。

「佐鳥くん?…え?あ、キャッ!」

 俺の様子に不思議そうな顔をして近付いてきた桜木が 唐突 にビックリしたような声を上げると、慌てたように見た自分の手の甲に 擦り傷 がついていることに気付いて首を傾げている。

「!?」

 須藤はとっさに何かを感じたように頬を押さえると、その頬にもうっすらと傷がついていた。
 まるでカマイタチみたいだ。
 いったい、なんだって言うんだ…?
 ドンッ!!
 激しい音と共に新倉の立つ後ろのドアが内側から 蹴破 られると、そこからゾンビの群れが突然現れやがった!
 しかも数がハンパじゃねぇ!!

「う、うわぁ!!」

 思わず手にしていた口径の大きなハンドガンでソイツらに発砲しながら声を上げ、新倉はゾンビの腕からうまく逃げ延びると、俺たちの傍に走りこんで来た。

「そう言えばゾンビの群れにも追われていたんだ!」

 な、なんだと!?

「そういうことはもっと早く言えっつーの!!」

「いやぁ!!もう、ゾンビなんて嫌い!」

「取り敢えず逃げろッ!」

 須藤、桜木、そして俺はそう叫ぶと一気に後ろへ方向転換する。
 来た道を戻るなんて冗談じゃなかったけど、その後はもう猛ダッシュで来た道を戻る事にしたんだ。
 それ以外に逃げ道がないかったからだ。
  既 に俺たちの居た場所には十人位のゾンビがウジャウジャと幅を利かせながら、こちらに向かって来ている。弾だってもうそんなにねぇのに、とんだ拾い者だったぜ!
 と、俺が舌打ちしてそんなことを考えていたまさにその時だった!

『緊急警報!この通路内にてレベル23の薬物検知センサーに該当する薬物反応を感知しました。この通路は事態の深刻化を回避するため閉鎖されます!緊急警報!…』

 おい、待てよ。いったい何を感知したって言うんだ、こんな時にッ!!
 あと一歩で出口だってのに次々にシャッターが下ろされちまったんだ!
 ドンドン!!
 俺たちはそのシャッターを破れないかと必死で体当たりとかしてみたが、大体が何かの防御壁用に作られている物だ、いくら人数が多くたってそう簡単に破れるはずがないことぐらい、間抜けな俺たちにだって判っていたさ。でも、何かしないと気が…
 クソッ!

「チッ!須藤、もう応戦するしか道がねぇ!」

 そう言うなり俺はゾンビに向かって発砲したんだ。
 もちろん、ゾンビたちはその通路に降りたシャッターで分散されたおかげで俺たちはわずかな数のゾンビとのバトルですみそうだったが…
 それは今までのお話。
 今回ばかりは 奴 さんたち、何がどうしたワケか力が入ってて結構しぶといんだ。
 ドサドサと音を立てて倒れるゾンビの群れ、普通ならそれでお終いなんだけど、今回は映画並にしぶとく立ち上がってくるんだよ。
 ああ、クソッ!誰だよ、こんな連中を作ったのは!?

「佐鳥、出来るだけ弾は温存…って、できるわけねぇかこんな状況じゃ!!」

 いつもは冷静な須藤も、今回ばかりはその手ごわさに弾の事など考えていられないと言った感じで、手にしているハンドガンで応戦している。桜木も 同じく口径の小さい銃だったが、須藤のフォローに入る姿は弱々しいがそれなりに様にはなっていた。
 …つったって、それにも限界がある。
 あの銃には、もう殆ど弾が入っていなかったんだ。案の定、そう思ったときにはガチィンッと撃鉄が虚しく音を響かせていた。

「ああ!弾がなくなっちゃったわ!!」

 桜木の声が悲痛に響いて、俺は彼女の腕を掴むと背後に庇いながら新倉を見た。 ヤツは片手を支えるように掴んで口径の大きな銃口から発砲している。
 なんだ…何かおかしい。
 新倉のあの口径の銃、そして俺たちの攻撃、いつもならあっさり召されてくれる奴らの様子がおかしいんだよ。そのことに須藤は気付かないんだろうか?

「変だな?後ろの奴らがゲートを壊したのか?数が減らないぞ!!」

 最前線に立っている須藤が近づくゾンビたちに押され始めると、俺たちは自然と後ろに後退することを余儀なくされてしまう。

「変だよ、何だか本物のゾンビみたい!!」

 桜木はワケのわからないことを言いながら後ろに下がる…その後ろにはシャッターがあって、彼女はギクリッとしたようだった。

「いやん、もう、どうなってるの!?」

 シュッ!
 桜木の悲鳴のような声と同時に、俺が彼女を気にかけようとした瞬間、腕に走る痛みに顔を顰 めてしまう。

「イタッ、またこの傷か!何なんだよ、一体!?」

 俺はそう言いながらゾンビをかわして反撃するが、 依然 増えつづけるゾンビの数に正直、既 に弾薬が底をつきかけていたんだ。

「佐鳥、もう弾がないぞ!仕方ないな……別の逃げ道を探そう!!」

 俺は自分がこんなにも緊張しているって時に、何かが一つ欠けている気がし始めていたんだ。
 なんだろう…?なんなんだろう、この気分は。
 こんな、クソッ!ゾンビに囲まれてるって時に!?

「ぐあっ!」

「きゃぁ!!」

 須藤、桜木が次々に声を上げる度にその体に傷が出来るんだ。

「痛ッ!」

 俺は顔を歪めた。だが、もうそんな傷を気にしてるヒマはねぇ!
 真剣に活路を探す須藤。俺の背後からでも必死に須藤のフォローを言葉で続けている桜木。
 そして、そんな須藤たちを横目で見ながら発砲を続けている新倉。
 そんな時だった…
 まるで無音の世界に飛び込んじまったような…さらにスローモーションで動いてでもいるかのような錯覚の中、ここに来て培われた『生きる事への執念』ってヤツがこの状況下でとても重大なことに気付かせてくれたんだ!!
 俺は迫り来るゾンビをかわしながら背後に庇っていた桜木をその場に残して、新倉に近付いた。そして、驚いたように目を見開く無言の新倉の腕を掴んだんだ。
 途端に切り傷がつかない。
 やっぱりな。

「どうしたんだ、佐鳥?」

「どうしたの佐鳥くん……何か変?」

 そんな二人の言葉にようやく新倉も事態に気が付いたらしいが……遅せーんだよ!
 俺はゾンビに抱きつかれながら、思いっきりマシンガンの柄で新倉の横顔を殴りつけた!

「ぅぐッ!?」

 新倉は吹っ飛んで、後ろのシャッターに思いっきり転がりながらぶつかった。

「佐鳥くん!?危ないッ!!」

「佐鳥!!」

 須藤たちはまだ、俺が知った【現実】に気付いていない様子で、俺にまとわりつくゾンビを必死に剥がそうとしていた。
 だが俺は腕を組むと、不敵にニヤッと笑って見せる。ゾンビが俺の頬の肉を食い千切り、ふくらはぎの肉が削がれても、俺が顔色さえ変えずに悠々と立っている姿を見た桜木は口に手を当てて驚きに声も出せない様子でいた。
 きっと、俺が狂っちまったんだろう…と思っているんだ。
 まあ、そう思われても仕方ないけどな。

「さ、桜木…足元!」

 しかし、そんな桜木も須藤の声にハッとして下を向くと、足に激しく噛み付くゾンビがやはり俺と同じように自分に襲い掛かっているのを見て悲鳴をあげた。

「す、須藤くんこそ……首、首ぃ!!」

 須藤は首をゾンビにかじられていたが本人は気付いていなかったらしく、桜木の声で慌てて振り払ったんだ。
 だが二人とも平気な顔の癖にお互いの姿を見てはパニックに陥っていた。
 俺は気づいたんだよ。
 撃っても、蹴飛ばしても何度だって立ち上がるそのゾンビたちの秘密に。
 思いっきりマシンガンから伸びた柄で新倉の顎を砕かんばかりに殴りつけた!
 人間の顎とは異なる変な感触がしたが、ゴキッという音は間違いなくソレを砕く音に違いなかったようだが…

「ふがぁ!ふがぁ!」

 砕かれた顎を必死に押さえながらもヨロヨロと立ち上がろうとする新倉へ、俺はマシンガンでトドメだとばかりに滅多撃ちにしたんだ。
 叫びながら、それでも唐突に無言になっていた新倉。
 通路内に凄まじい叫び声ともいえない奇声が上がると、そいつは壁一杯に 夥 しい肉片を血液と一緒に壁にぶちまけながら、肉の塊にグチャグチャになっちまっていた…

「どうして、こんな酷いこと…」

「はぁ?桜木、お前が見ているのは新倉とか言う男の死体なのか?」

 桜木は口許を押さえながら流れ出る真っ赤な血の中に、新倉の 残骸 を認めてキッ!と青褪 めた顔のまま睨んで叫ぶ。

「何を言ってるの佐鳥くん!?人殺しだよ!新倉さんは何もしてないのに佐鳥くんが…!」

 俺はそんな桜木を強引に立ち上がらせると、両頬を軽く叩いた。

「しっかりしろよ、桜木!!お前にはそいつが人間に見えてるのかよ!」

 その言葉に少し桜木は戸惑っていたようだったが、ぼんやりその新倉に焦点を合わせていくと…

「…ひっ!」

 桜木は俺が囚われていた幻覚と同じものからようやく目覚めたようだった。

「こいつは一体…どうなってるんだ?」

 須藤も自分が幻覚に囚われていた事を知ったようだ。
 桜木は相変わらず床にしゃがみ込んだまま、呆然と「新倉」と名乗った男の正体を見つめて嗚咽しているだけだった。
 俺たちは原型が何であるのか解らなくなってしまった物体から虫の羽らしき残骸物に歩み寄った。

 須藤たちはようやく何かの分泌液が薄れてきたのか、俺が現実に戻った時のように現実の景色と幻覚の景色がリフレインしはじめてきたようだ。
 そこにはゾンビなどの影は一切なくて、しかも狭いように見えたこの通路もその倍はあったんだ。だけど、違うところは白い壁がこの化け物の分泌液に汚され”巣”のように白い糸を張り巡らされていたと言う事と、無駄に消費した弾丸が壁に虚しい穴を空けているだけだった。

「こいつ一匹に俺たちは踊らされていたっていうのか?」

 須藤は憤りを押さえきれずに、その床に散らばる「自称、新倉」を蹴飛ばすと、覚束ないぼっーとした頭で現実を取り戻そうと必死に首を左右に振って、意識の混濁から覚めようとしているようだった。

「…それにしても佐鳥、よく気が付いたな。こんな最悪な状態で、しかも相手はまるで人間と変わりがなかったってのに」

「ああ、その事か。実は、須藤の行動で俺は気がついたんだ」

 まだ頭がモヤモヤしているのだろう、須藤は左右に首を振ってはこの状況が飲み込めていないという顔をして俺をみていたが、その言葉に目を丸くした。

「俺?俺が何かしたのか?」

「いや、実際には足元のコイツが俺たちにした事なんだけどな。お前、ゾンビと随分離れてたのにすッ転んでケガしただろ?なんで敵との間隔が広いのに何もないところから俺たちを攻撃できるんだ?」

 そこまで言うと、勘の良い須藤は何かを悟ったようだった。

「実際はどんな仕組みになっているのかは解んないけどな、どうやらこの掠り傷がポイントらしい」

「掠り傷?これのことか?」

 須藤が腕や頬についた小さな傷を指して言った。

「たぶんな。このバケモノは俺たちに傷をつけることで幻覚を見せていたんだろう」

「判った。それは理解できた。だがな佐鳥、全員が同じ幻覚をみるってところは納得がいかない。それはどう説明するんだよ?」

 それを聞いて、俺は唇を少し噛んだ。
 いちばん考えたくもない答えを、今ここで、この場で口にしなきゃならないことに抵抗を覚えたんだ。

「あくまでこれは俺の憶測なんだけどさ、コイツ、本当は人間だったんじゃないかって思うんだ」

「あぁ?」

 須藤は 訝 しそうに眉を寄せて俺を見たし、桜木もへたり込んでいた床から漸く身体を起こすと、不気味そうに肉の塊になってしまった物体を見下ろして首を傾げながら俺を見上げてきた。

「いや、正確には人間だった、てことだけど。コイツは人間に寄生する…虫かなぁ?まあ、そんなもんだと思うんだ。新倉は実在した人間だったんじゃねぇかな。新倉はこの得体のしれない虫に寄生されたことによって生き延びていたんだよ。いや、もしかしたら脳みそだけ生きてたのかも…まあ、今となってはもう判らないことなんだけどさ。それで、こいつが目にするものが脳に伝わると、それを共有している体内か、全部か…寄生していたコイツに直接伝わって、何らかの作用で分泌した液を、背骨の付け根辺りから出ていた触角…だと思うんだけど、それで俺たちを傷つけることによって注入して共通の幻覚を見せていた。って、そんな感じじゃねぇのかなぁ」

「ああ、なんか、だんだん判ってきたぜ」

 須藤はそう言うと、ヤツらしく口角を釣り上げて笑った。

「新倉の緊張と興奮を連続的に味わっている脳は、それとは別の外部から起こる未知の刺激によって、今までに経験した記憶を引き出されたんだろう。それが寄生虫に伝わってその記憶を幻覚に変えてしまうような得体のしれない何らかの分泌液を出す…つまりあの幻覚は、新倉が味わった現実だったんだろう」

 あるいは身体を乗っ取られる直前に見た、人間としての最後の光景…

「…ひでぇことしやがるな」

 須藤が、あの冷静で人のことなんかそれほど構っちゃいない須藤でも、ポツリと遣る瀬無さそうに呟いた。肩を竦めて名刺入れを引っ込めたあの一連の動作も、いや、扉を破って出てきたあの瞬間から、俺たちは新倉の記憶と言う幻覚に囚われていたんだろう。

「人間を何だと思ってるのよ。ねぇ、佐鳥くん、須藤くん。あたしたち、きっと生き残って博士たちを助け出しましょうね!それで、こんな所を作った連中に中指立てて『FACK YOU!』って言ってやるの!」

 桜木は頬に 零 れる涙をそのままにして、中指を立ててニコッと、強い笑顔を浮かべてそう言った。
 俺と須藤は顔を見合わせると、力強く頷いて桜木の震えてる背中を軽く叩いてやったんだ。
 俺たちは強くなった。そう思う。
 でもさすがに、今回はちょっと参ったかな。
 俺たちは惨劇の通路を後にして歩き出した。そして、そのとき同時にきっと思っていたと思う。
 この施設のことを知りたいと。
 なぜだか知らないんだが、少なくとも確実に俺はそう思っていた。