Act.28  -Vandal Affection-

「佐鳥、桜木…無事か?」

 漸く我に返ったのか、逸早く須藤が荒い息を吐きながら立ち上がると、俺たちを見下ろしながら声を掛けてきた。まるでそれが 暗礁 に乗り上げちまった船みたいにピクリともしない俺と桜木を動かすタンカーの音のように響いて、漸く俺たちも時間を取り戻すことに成功したんだ。

「ああ…まあ、なんとか」

「さ、佐鳥くん。ありがとう…」

 自分の置かれている状況に気付いた桜木は、恥らうように目線を伏せながら俺の上から身体を起こしたものの、立ち上がることはできなかったようで浸水した床にへたり込んでしまっている。

「取り敢えずは…ってとこだな。まあいい。暗いがこの部屋について調べてみよう」

 手探りで立ち上がった俺は、そう言えば…と思い出して尻のポケットに突っ込んでいたペンライトを取り出した。水だとか衝撃だとかで壊れていなきゃいいんだが…

「佐鳥、お前いいモノ持ってるな」

 幾度か確かめるためにカチカチと付けたライトはいいカンジで光を 点 し、その僅かな明かりを眩しそうに目を細める須藤が口角を釣り上げるような嫌味な笑いを口許に張り付けてそう言った。
 …まあ、確かめるのにわざわざ須藤の顔を照らす俺も俺なんだが。

「…明かり」

 薄暗い室内に点る僅かな明かりはそれだけで安心できるのか、桜木がホッとしたように溜め息を吐くのが気配で感じ取れた。

「よし、それじゃあ調べてみようぜ」

 俺は須藤にそう言うと、一先ず天井を照らしてみた。照らしてみて、愕然とした。

「キャッ!」

「!?」

 どう言った仕組みでそうなっているのかは判らないけれど、突然パッと明るいライトが点灯して真上から照らしてきたんだ!
 思わずペンライトを取り落としそうになった俺は慌ててソレを尻ポケットに 捻じ込む と、ライトの眩しさに慣れない目を半ば覆うように片手を翳してそれでも天井を見上げた。
 その時になって漸く俺たちは天井が吹き抜けになっていることに気付いたんだ。
 吹き抜け?…ってのは、なんでだ?なんで、吹き抜けである必要があるんだ?
 俺は疑問に思ったが、思っただけでそれを須藤に聞こうとは思わなかった。なぜなら、今はそんな時じゃないし、それを知ったからってここから出る手段にその答えがどれぐらい役に立つんだなんて聞かれても、単純に答えられないと思ったからだ。
 俺は 一旦 その考えを振り払って、取り敢えず状況を 把握しようと須藤とその場でグルッと回って室内を見渡してみた。
 部屋は真四角だったけど、そこは一時的な避難所なのかなんなのか良く判らない造りで、逃げるとするなら真上の階にある側面通路に向かって這い上がるしか他に手段はなさそうだ。

「行き止まり…ってワケか。参ったな」

 すぐに俺から離れて四方を囲む壁を入念に調べていた須藤が、どうやら脱出できるようなハッチだの 通風孔 のような 類 は見当たらなかったのか、渋い顔で戻って来ながらそう呟いた。動揺を 滅多 に見せるような男じゃないが、今度ばかりは万事休すと言ったところか。

「どうする?これ以上は進めそうにない…」

 よろけながら立ち上がる桜木に手を貸してやりながら須藤が俺に言うし、桜木も不安そうに見てるからな、おいそれと万事休すだな!…とは口が裂けたって言えるもんかよ。
 ああ、判ってるさ!
 何か、何か考えないとな…
 俺は鬱陶しく張り付いている前髪を 掻き揚げ ながら、腰に片手を当ててもう一度吹き抜けを振り仰いだ。
 照り付けてくるライト。
 逃げる道はズバリ!そこしかないってワケか。
 …だけど、それにだって問題がある。
 俺や須藤ならなんとかなるかもしれない。だけど、桜木には無理だ。
 それでなくてもたった今まで精神的な面でも肉体的な面でも恐怖を味わっていたんだ、女の子の体力なんか高が知れてる。そりゃ、女を舐めるな!…とか言って頑張れる子だっているに違いない。だけど、現実問題として局面に立たせられれば失神の一つだってしかねないんだ。
 これまでの桜木は良く頑張ったと思う。キャーキャー喚いて失神ばっかりするような子じゃなかったし、今だって本当は泣き出したいに決まっているのに、そうはせずに確りした態度を見せている…でも、やっぱり彼女は女の子なんだ。
 ましてやこの高さだ。カタカタ震えている足じゃ無理だ。
 男の俺だって悲鳴を上げたい。
 はぁ…どうしたものか。

「佐鳥…」

 眉間に 皺 を刻んで悩む俺の考えを見抜いたのか、それともやっぱり同じことを考えていたのか…須藤が煮えきらずに渋い顔をする俺に声をかけたその時だった。
 どこかの…いや、恐らくはすぐ近くの防水用シャッターが恐ろしい轟音と共に吹っ飛んだようだった。

「キャアッ!!」

 桜木が頭を抱えてへたり込むその背後のシャッターが…あの他のものに比べると少しは頑丈そうなシャッターが奇妙な形で 歪 みやがったから、須藤はすぐさまへたり込んでいる桜木の腕を掴んで強引に立ち上がらせると俺の傍まで転がるようにして走ってきた。

「どうやら、素直には逃がしてくれないみたいだな!」

「全く!いよいよ、奴さんのお出ましってか?」

 焦りの 滲 む須藤の言葉に、俺は、軽口を叩くつもりで失敗した言葉を苦く噛み潰した。
 須藤の焦りが良く判る。こんな状況だ、できることなら…そうであって欲しくないと願っていた。
 僅かに入った亀裂の 隙間、その間から、爬虫類の持つあの独特の瞳をした目が内部の様子を窺うようにギロリッと動いて、覗いてるのが見えた一瞬後、そこから水が一気に流れ込み始めた!
 だだだだ…と嫌な音を立てて流れ込む水のおかげで水位は上昇するし、得体の知れない化け物と、こんなせまっ苦しい室内で遣り合うのかと思うと…正直生きた心地なんかするもんじゃねぇ!
 俺たちは、怯える桜木にも 叱咤 しながらあるだけの武器を手当たり次第に構えてその時を待つしかなかったんだ。
 既にゲートはほぼ半壊状態で、入りこむ水の量が、俺たちがそれほど長くはここに立っていることができないと物語っている。
 実際、浸水だけならその力を借りて2階に駆け込む…って策もあった。
 ああ、押し寄せてるのが水だけ、ならな。
 水嵩は増える一方で、もう膝ぐらいまでには到達しようとしている。
 今までの度重なる死闘で体力と精神力を消耗しきっているこの俺たちに、いったいどんな攻撃を仕掛けてくるかも判らない化け物を相手に何ができるって言うんだよ!?
 笑いたくなったり、泣きたくなったり…精神状態は即ち最悪で、極限まで研ぎ澄まされてヘトヘトに 摺り切 れた脳味噌はとっくに注意力を失っていて、手に構えたこの武器が果たして相手に通用するのかと言う事実にさえ考えが回らないと言った状況なんだ。
 それはたぶん、須藤も桜木も一緒だったと思う。
 ここで死ぬんだろうか。
 ここまで来て…仲間の一人も助けることができないまま、俺を信じてついて来たコイツらさえも道連れにして…?
 俺は…俺は…

「心配するなよ、佐鳥。ここまで来れたんだ、きっと生き残ることはできる!下手なことでくよくよと無い脳味噌を遣うぐらいなら、今、この状況を打開していくことだけを考えようぜ!」

「そうだよ、佐鳥くん…」

 まるで、俺の考えていることを見透かしたように、 或 いは覚悟しているかのように、須藤と桜木が小さく笑っている。
 その顔には疲労と焦燥感みたいなものがベッタリとクマのように張り付いてるって言うのに…
 そうだ。
 どんな状況下だって、一度だって諦めたりしなかったじゃないか!
 たとえ、ああ、たとえここが俺たちのエンド地点だとしても、最後の最後まで人間らしく無駄に 足掻 いてみるってのも悪くねぇよな?
 俺は、きっと疲労とかでおんなじ顔をしているに違いねぇけど、須藤たちを振り返って頷いて見せた。
 死ぬかもしれない。
 ああ、今度こそ本当にな。
 水死も化け物に食い殺されるのも同じぐらい辛いだろうけど、何もせずに死ねるかってんだ。

「やれるところまでイッチョ、やって差し上げようぜ!」

「望むところさ」

「あ、あたしも!」

 俺の、自分的にはなんだかな…と言いたくなる決意の言葉に同調した須藤が頷いて片方の口角を釣り上げる、あの嫌味な笑いを口許に刻むと桜木も慌てて頷いた。
 不安で怖いんだろうに…
 俺たちは、水嵩の増す冷たい室内で、その今となっては薄っぺらい防水シャッターの向こうで獲物を食らおうと、今か今かと待ち構えている化け物と 対峙 するその瞬間を待っていた。
 その一瞬が、俺たちの最後だとしても。
 希望は忘れない。