出掛けにライフルと弾の入った箱だけじゃ心許無いからと、護衛の連中だって酷く不安だろうに、俺にサヴァイバルナイフと短銃をくれた。
戦闘準備万全!…なわけないか。
銃器の扱いに慣れているわけでもないし、こんな状況だって生まれて初めてだ。
こんな俺に、いったい何ができるって言うんだろう。
何もできないかもしれないけれどやれることなら生きる為に何でもしないと…それに、あのままあそこにいても気が狂いそうだった。何もかも手放して死んだように眠る小松と桜木、憔悴しきった暗い顔で蹲っている宮原と警護の連中。その疲れ切った落ち窪んだ目を見ていると、こっちの方まで発狂しそうになる。
何より、その無言が怖かった。
今だって充分無言だけどさ、人間の息を潜めた気配とか炎をジッと見据えるギラついた双眸だとか、その一種独特の雰囲気は重苦しくてこんなもんじゃない。一触即発の感じは、俺が立ち上がった時にフッと和らいだような気がした。
みんながホッとしたような。
遺跡の様子も気になるし、おっさんレンジャーも心配だ。何よりも自分の命が一番大事だから、誰かが行ってくれないだろうか…と、思ってたんだろうな。
俺が立ち上がった時、明らかにみんな安堵したような顔をした。
行きたくなくったって行かなきゃいけない気分になるだろ?
まあ、最初から行こうとは思ってたけど。
枯れ木や草を踏み締めて、突き出てる枝なんかをサヴァイバルナイフで切り分けながら歩く。あの警護の連中には感謝しないと…ああでも、こうなることが判ってたのかもしれないな。
それでも俺の頬や服のあちこちは引っ掻き傷ができてるだろう。
…今日は色んなことがあった。
日本に帰ったら…いや、正確には帰れたら、俺は真新しい日記帳を買おうと思う。何でそんなこと思うのか、本当は良く判らないんだ。非現実的なライフルを抱えて片手にサヴァイバルナイフ、腰に短銃を突っ込んで、化け物の蠢く闇の中をうろうろと徘徊してるんだ。尋常じゃないよな。
日記帳が欲しかったのは自分の存在を何らかの形で遺したいからなのかもしれない。
なんで日記帳なんだって考えもしたけど、本当に俺の頭ってのは筋肉でできてるのかもしれないなと思ったら、こんな時なのに笑っちまいそうになった。
死ぬなんて考えてないけど、死ぬことは確実に付き纏っていると思う。
先の見えない暗闇の中、考え事ばかりが脳裏を渦巻いていく。体がキュッと引き締まるような緊張感の中で、そのくせ、妙に醒めた俺がいて、頭の片隅がシンッと静まり返ってる。
耳元で心臓の音がドクドクッと脈打っている。
そして俺は不意に気付くんだ。唐突に、辺りから音が消えたことに。
さっきまで聞こえていた虫の声も夜行性の小動物の動きも、風でさえ妙にシンッと静まり返っている。
…田舎の池で、蛙の大合唱が不意にやむ時、田んぼの中に蛇が泳いでると聞いた。
ハッとしてライフルを構える。
でも、別に何も襲ってこなかった。真っ暗闇でも、暫くすると慣れてはくるんだ。周囲を見渡しても何の気配もしない。でも、明らかに何かヘンだ。
咽喉仏が上下に動く。
嫌な汗がこめかみから頬を伝う。
熱帯の夜の蒸し暑さが感じられないぐらい…動揺してる。
そう、俺はきっと動揺してる。
何が、どこから襲ってくるのか判らない。それが、俺に動揺を呼んでいるんだ。
ダメだダメだ!そんなこと考えていたら隙ができちまう!
俺は顎に伝う汗を腕で拭って、周囲を注意深く窺いながら先に進もうとした。
と。
ガサッ。
ビクッとして音のした方に銃口を向けた。
それはもう、殆ど条件反射だったと思う。
そして俺が見たものは───…
「撃たないでくれよ、佐鳥」
傷だらけで肩で息をしているそいつは周囲に素早く視線を巡らせると、俺が一人であることに驚いたように眉を上げた。
「お前一人なのか?じゃあ、こっちもやっぱり…」
「須藤!」
俺は、思わず抱きつきそうになるぐらい喜んでヤツの傍に駆け寄った。
須藤義章、天才だとジジィ博士が褒めちぎる、俺とは全く正反対の友人だ。
「こっちも…ってことは、やっぱり遺跡の方も襲われたのか?」
「ああ。俺と黒川と三宅でこっちの様子を見に来たんだ。途中で化け物に襲われて…レンジャーの大半も死んじまった!」
俺にとってはあんまり有り難くない情報を持って姿を現した須藤は、悔しそうに唇を噛み締めて首を左右に振る。もしかしたら泣いてるのかもしれない。
声の震えに気付かないフリをして、俺は腰に突っ込んでいた短銃を取り出して須藤に差し出した。
「これを持って宮原たちのいるところまで行けよ。俺は遺跡の方に行ってみるから…」
「やめておけ!危険だ…」
「そうも言ってらんねーよ。随分前にレンジャーのおっさんが遺跡に向かったんだけど…その様子だと出会ってもないみたいだし。実際、何人ぐらい生き残ってるのか判らねぇんだろ?」
「…ああ」
須藤は殊の外素直に頷いた。
蜘蛛の子を散らすように逸れちまったんだろう。で、残ってた黒川と三宅を連れて一先ずキャンプのある所まで戻ろうってことになって、途中で化け物に襲われたんだろう。銃もなしに良くぞ生き残ったと誉めてやりたいぐらいだ。
「取り敢えず行ってみるよ。博士が見つかれば携帯無線とか手に入るし、救援を呼ぶこともできるからな。何よりも、早くこんなところからはおさらばしたいだろ?」
ちょっとおどけた様に言うと、須藤は力なく笑ったが、すぐに真剣な表情をして俺を暗闇の中から凝視しているようだった。
「お前、お前一人で大丈夫なのか?」
「ここまで一人で来たんだぜ?何を言ってるんだよ」
俺は笑った。でも、それは嘘だ。
ヤツを安心させてやる為だけに笑った空元気だ。本当は一緒について来てくれと縋りつきたかった。須藤は賢くて頼りになる。
だが、今のコイツの姿を見ているとそんなこと、口が裂けても言えない。
宮原たちと同じを目をしているから。
もしかしたら、俺もそんな目をしているのかもしれないけど…
「ここから、たぶんそう遠くないと思うけどさ。がんばれよ、一緒に引き返してやりたいけど…」
俺がそこまで言うと、須藤はすぐに首を左右に振った。
やっぱりコイツは頼りになる。
100を言わなくても1で理解してくれる。
「がんばれよ、佐鳥。俺も、まあぼちぼち頑張るさ」
何をどう頑張るのかなんて、その時の俺たちは理解なんかしていなかった。だから馬鹿みたいに苦笑し合って、片手をガッチリ握り締めた。
もう逢えないかもしれない。
そんな言葉がチラッと頭の中を掠めたけど、それは口には出さなかった。
「じゃあな」
そう言って俺はもう背後を振り返らずに歩き出した。たぶん、須藤の奴もそうしただろう。
真っ暗なジャングルの中、一時の邂逅を果たした俺たちの運命は、いったいどこに流れていくんだろう。