Level.4  -暴君皇子と哀れな姫君-

 どんなに溜め息をついたとしても、悪夢のような日々は確実に、足音を忍ばせて近付いてくるものだ。
 どんよりと暗雲を背後に背負った柏木のもとにも、それはやはり、当然の顔をして訪れた。
 そう、今日から、4日間の正式名称『新入生歓迎強化合宿』の幕開けである。

「柏木?何を恨めしそうな顔をしてるんだ」

 寮長でもある生活指導の田宮が睨みつけている狂暴そうな視線の主に、訝しそうに眉を寄せて丸めたキャンプのしおりでその頭をポンッと叩いた。

(あんたらには判らねぇんだよ!この、アレさえなければきっと楽しいはずの脱落コンテストだっつーのに。アレが、アレがあるばっかりに…うっうっ)

 下唇を噛み締めて、それでも口にするのも嫌なのか、柏木は胡乱な目付きでそんな教師を睨んだが別に何も言わずに頭を掻いた。
 えへへへ…と。
 アレ…そう、つまり言葉を濁しているが『肝試し大会』のことだ。
 言い出したのは驚くことに、この引率の田宮だった。
 ニヤニヤ笑いながら、まさかこの年になっても怖いよぅ~なんつー腰抜けはいないだろうと、高を括っての提案に青褪めたのは柏木だけで、その他の生徒は一様に馬鹿にして呆れるか、キャーキャー言って喜ぶかのどちらかの反応に綺麗に分かれた。
 ああ、クソ野郎ども…
 柏木が密かに袖を濡らしたことは言うまでもないが、肝試しが大半の賛成の声で決まったこともまた言うまでもなかった。
 そんな思いもあるせいか、誤魔化しても目付きの悪さは尋常じゃなく、教師は何か言いたそうに口を開きかけたが諦めたように溜め息をついて首を左右に振った。見本になるべきはずの田宮は丸めたしおりで自分の腕を叩きながら、総勢30名の生徒たちに整列するよう拡声器で怒鳴った。

「おらおら!お前たち、並べ並べーッ!」

 班長である柏木たちも整列させるべく忙しなく動いているが、本来、良いところの坊ちゃんである箱入りウサギのような彼らは、人気のあるまだ若い田宮の一喝にキャーキャー言いながら素直に整列している。それほど、柏木たちの手を煩わせることはなかった。

「…つーか、立原。お前さぁ、旅行先でもジャンバリかよ?」

「…?ジャンバリ?なに、ソレ」

 耳元でシャカシャカと音量の洩れるイヤホンは、満員電車だと躊躇わずに非難の視線を一身に受けること間違いなしだろう。しかし、さすがに大自然に囲まれたキャンプ場。ワイワイ騒ぐ生徒の声に紛れてそれほど鮮明には聴こえないが、肩を並べている柏木の耳には届いていた。

「何を聴いてるんだ?」

「…柏木っていつもそうだな。俺が聞いてる曲に興味があるわけ?」

 クスッと抑揚もなく鼻先で笑う立原に、これまたやはり同じように、いつも通り外してある片方のイヤホンを奪うように柏木はコッソリ田宮の様子を窺いながら、それを耳に嵌めて聴いてみる。
 片耳では拡声器でがなる田宮の声を聞きながら…

「なんだ、こりゃ?」

「大自然の中にいるんだ。心を安らげないとな。フィールだよ」

「フィール?ええっと、近頃流行ってるって言うヒーリング系のアレか?」

「ご名答」

 立原と仲良く…と言うワケでもないが、よく一緒にいることが多くなったここ最近では、彼のおかげで音楽に興味のない柏木もけっこう曲名に詳しくなっていた。
 独特のフレーズを口ずさむ物悲しげな歌声で…立原はよくこう言った悲しげな曲を聴いている。
 だが本人にそれを聞くと、彼はいたって抑揚のない無表情で突拍子もない感想を述べてくる。柏木にはそれが不思議でもあったが、気に入っていた。立原は気付きもしないことをあっさりと口にするくせに、それに対しての頓着がない。
 この年代の少年にしては珍しく、ふふんっと奢ると言うことがまずないのだ。
 何事に対しても…そう言うことが面倒臭いのだろう。
 本人もたまにそんなことを口にすることがある。

「お前ってさ。いつもこんな風に物悲しい曲ばかり聴いてるよなー」

「物悲しい?」

 立原は拡声器で注意事項を叫んでいる田宮を感情の窺わせない表情で見つめながら、暫く何かを考えているようだったが、肩を竦めて鼻先で笑った。

「柏木にはこう言う曲は物悲しく聞こえるんだな」

「え?お前にはそんな風に聴こえないのか」

 柏木の驚いたような姿をチラッと見返して、彼は僅かに肩を竦めただけで説明しようとはしない。

「なんだよ、教えろよ」

 柏木は少なからず立原のエイリアン的発言を心待ちにしていた。
 それは面白いし、なんの刺激もない寮生活あって立原ほど面白い奴はいないと、初めて見た毛色の違う玩具に興奮する子供のように柏木は立原に噛み付いた。…と言うよりも、じゃれていた。

「先生―。立原が柏木に襲われてますぅー」

 誰かが、いやきっと歩く宣伝カー的宮本が野次るように面白半分で田宮に大声で告げ口すると、肩を寄せ合っていた柏木は一斉に全員の視線を集めてハッとしたようなバツが悪そうな顔をし、イヤホンを外すとそれを立原に返しながら身体を退いてしまった。
 その瞬間、微かに傍らから舌打ちしたような声が聞こえて、柏木は訝しそうに立原の方を振り返ってみた。が、彼は相変わらずの無表情で受け取ったイヤホンを耳にしながら、別に気にとめた素振りもなくまた自分の世界に没頭したようだ。
 なんだ…気のせいか。

(そうだよな。あの感情のない宇宙人があんなことぐらいで不機嫌になるはずがねぇや)

 でも…と、柏木は傍らで退屈そうに腰を下ろしている立原の、その抑揚のない横顔を盗み見をしながら思うのだ。

(コイツの取り乱した顔とか…一度でいいから拝んでみたいもんだな)

 そう遠くない未来をコッソリ思いながら、柏木も同じように退屈そうに座りなおした。
 田宮の取り留めのないキャンプにおける注意事項と称した武勇伝は、それから暫くは続いていた。

□ ■ □ ■ □

(…宮本、殺す)

 まさか、その抑揚のない仮面の下で狂暴な焔が渦巻いているなどと言うことにこれっぽっちも気付いていない愚鈍な姫君の傍らで、暴君魔王の冷やかな双眸がチラッと自分を見て舌を出す優秀な片腕に注がれている。
 内心の憎悪を感じ取ったのか、それでも宮本はゾッとしながら肩を竦めて見せる。
 どうせあと少しで聞き分けのないじゃじゃ馬はあんたの腕に堕ちるんだ。こんな些細なことで怒るなよと、その怯えを孕んだ双眸が訴えかけている。
 暴君な硝子宮殿の皇子はしかし、すぐにそれにも興味を無くしたように視線を逸らせると、傍らで退屈そうに欠伸を噛み殺している柏木をコッソリと見た。
 意志の強そうな横顔も好きだと…覚えたての恋に戸惑う少年のように胸を高鳴らせて、そのある程度整った鼻筋に見惚れている。
 難を逃れた宮本は吐息し、それから何も知らずにしおりに視線を落として面白くもなさそうに読んでいる柏木に、同情したような溜め息をつく。
 こうして、やや波乱気味の長い4日間はこんな風に幕を開けたのだった。