俺が胃痛になったワケ 7  -デブと俺の恋愛事情-

「里野くんがこんな所を知ってるなんて…」

 可愛く洒落た感じの店内で、可愛いフリルのアリスをイメージしたエプロンドレスを着たウェイトレスのおネェちゃんが運んできたフルーツケーキに舌鼓を打ちながら、佐渡は幸福そうに微笑んで満足そうに片手で頬を包み込んでほぅ…っと溜め息をついている。俺には初めて見せる幸せそうな笑顔だ。
 うん、いい顔をするな。
 こんな店に来たことがないのか?似合いそうなのにな。
 こんな風に嬉しそうに笑うんだから、洋太も連れて来てやればいいのに…
 この店がこんなに似合うのは、男でも佐渡ぐらいだろう。
 フリルのエプロンドレスとか似合いそうだもんな。
 クリクリの大きな色素の薄い綺麗な目と、ふんわりふわふわの天然パーマが夢見ごこちな天使みたいに可愛らしい。やれやれ、少なくとも俺よりは似合うだろう…
 ハッ!何を比較してるんだよ、俺!
 端から佐渡には負けてるって…洋太はこういう可愛いのが似合う奴が好きだからな。
 ああ、また果てしなく落ち込んじまいそうだ。

「洋太と来てるんだよ。あの土手で散歩した後に…ッと」

 自分で墓穴を掘りそうになって慌てて口を噤むと、佐渡は食べかけていたフルーツケーキを挿した銀色のちっちゃなフォークを皿に置いて顔を伏せてしまった。
 う、また怒鳴られるのか?
 うんざりして目線を逸らそうとしたその時、不意に佐渡は不機嫌そうに突き刺したケーキを口に運んだ。

「洋ちゃんったら!僕にはこんなお店、ぜんぜん教えてくれないでさッ!里野くんばっかり!」

「…そりゃあ、お前には教えないよ」

「どうして!?まるで洋ちゃんのことはなんだって知ってるって感じだね!んもう!ムカツクーッ」

 唇を尖らせても、この店内にいたらただ拗ねてるだけの可愛い人形みたいだ。
 向こうの席のおネェちゃんがクスクス笑いながらこっちを見てる。友達か…いや、仲の悪い兄弟だって思ってるんだろうな。佐渡はちんまいし。
 いや、それ以前に男同士でここにいるってのが、アイツらにとっては大問題なんだろう。
 洋太と2人で来た時も…まあ、デートをしてたんだけど…やっぱりあんな目で見られたもんな。もっと露骨で、嫌味ったらしかったけど。

「だって、ここを教えたのは俺だから…」

 バツが悪くって頬杖をついて外方向くと、佐渡は案の定、驚いたように目を見開いてポカンッと俺を見てやがる。
 チッ。

「な、何だよ!?文句あるかってんだ!」

 ぶぅ…ッと頬杖をついたまま、不貞腐れてアイスミルクティーの入った細長いグラスを掴んでガシガシとストローに噛り付くと、透明な氷がカランッと小気味よい音を立てる。
 適度のざわめきもいい感じだけど、本当はみんな、耳をダンボにして俺たちの会話に意識を集中してるんだ。だからな、佐渡の右斜め向こうにいる怪しげな男だか女だか判らな
い客の手元からケーキが零れ落ちてるし…こっちに背を向けていて判らないけど、長い髪の奴がそれを注意してる。
 あっちの方がよっぽど怪しく思えるんだが、ガクランでいる俺たちの方が物珍しいんだろう。
 ま、別に気にもならないけどな。
 佐渡もそうらしく、と言うかコイツは、見られることに慣れちまってるようだ。
 まあ、これだけ目立つ容姿をしていれば、しょっちゅう注目されても仕方ないだろうな。

「ほ、他にもどこか知ってる?」

 身を乗り出すようにして聞いてくる佐渡に、はじめは馬鹿にしやがって!…と腹も立ったけど、あんまり真剣な表情をするし、なんか、すごい尊敬の眼差しをされるもんだから、俺は気分がよくなってエヘンッと胸を張って教えてやった。

「知ってるぜ。駅前のアイスショップだろ。あそこはプリンジェラードってのが旨いんだ。1つ駅を越えた所にあるパン屋なんか、店内で作り立てのケーキを食わせてくれるんだ」

「す、すごーい!どうしてそんなに知ってるの?」

 身を乗り出して目をキラキラさせる佐渡に、それまで気分良く自慢していた俺は、唐突にハッと思い出して視線を泳がせてしまった。不思議そうな顔をする佐渡に、バツが悪くてちょっと口篭もっていた俺はそれでも仕方なく渋々と口を開いた。

「洋太と…洋太と一緒に行きたくて。その、調べたんだよ!畜生!ワリィかよ!?」

 言ってるうちになぜか腹が立ってきて、最後はちょっと怒鳴っちまった。くそっ、気分悪いな!

「大丈夫だ。もう、洋太とは来ないから…」

 俯いた俺に、佐渡はなんとも言いがたい表情をして小首を傾げるんだ。

「そう、洋ちゃんが好きなんだね…」

 小さく、それこそよほど耳を澄ましていないと聞き取れないほど小さな声で呟いた佐渡は、長い睫毛に縁取られた綺麗な目をソッと伏せた。
 当たり前じゃねぇかよ、洋太が好きで、洋太が幸せそうな顔をするのを見ることが俺の幸せなんだ。
 俺はその為ならなんだってする。
 真冬に2時間並んで、あいつの誕生日に人気の店でシュークリームだって手に入れた。洋太には遅刻した理由は教えてないけど…時間にルーズな俺のことだ、寝坊の言葉を信じてるだろう。
 そう言うことでしか俺、あいつを喜ばせてやれないから。
 エッチだって、本当はもっと洋太の要求どおりのことをしてやりたい。でも、俺って夢中になると見境がなくなるから、ついつい犯り過ぎるんだよな…アレはやめないと、洋太の身体が持たないからなぁ。

「何を赤くなってるの?」

 ハッとして、エッチなことを考えていた俺は誤魔化すように水っぽくなったアイスティーを飲み干した。

「べ、別に」

「僕…僕にはわからないよ。どうして洋ちゃんが好きなの?里野くんて、とてもモテそうだもの」

 訝しそうに眉を寄せる佐渡は、きっと本当に良く判らないんだろうな。
 人を好きになるのって、ある日突然で、それで、自分でも良く判らないもんなんだ。
 でも…

「バッカ言うな!」

「え?え?」

 驚いたように目を見開く佐渡に、俺はムッとしたままで小さなプチケーキにちっこいフォークを突き立てた。

「俺がモテる?そんなワケねーだろ。モテるのは洋太の方だ。そりゃあ、洋太はデブかもしれねぇけど、アイツの良さを知ったらすぐにノックアウトされるって。お前もそのクチなんだろ?」

 小さく笑って見せると、佐渡は溜め息をついた。

「敵わないな…」

 ポツリと呟いて、俺がケーキに食いつきながら眉を寄せると、佐渡は肩を竦めた。
 ちょっと、遣る瀬無さそうに。

「洋ちゃんは君が好きだよ」

 思わず口にしたケーキを噴き出しそうになって、俺は驚いたように佐渡を凝視した。
 そりゃあ、そう言ってもらえるとありがてぇし、嬉しいさ。
 でもなんだってこんな時に…

「僕に気を遣ってるだけだよ。洋ちゃんも!ママも!…みんな、ただの同情なんだッ」

「何を言ってるんだ?」

 佐渡はキュッと唇を噛み締めると、細い肩を小刻みに震わせた。
 何に怒ってるんだ?どうしたって言うんだ?
 いや、俺が洋太を好きうんぬんつー前に、俺にはお前が良く判らんのだけど?

「もういいよ。君に洋ちゃんを返してあげる」

「ええ!?さ、佐渡?え?…いいのか?」

 俺…洋太の傍に戻っても?
 つーか、どうして突然…?
 判らねぇことばっかりだ!

「いいよ。もう、なんだか馬鹿らしくなっちゃった。洋ちゃんがいつも僕のところに来て幸せそうに君の話をするから、ちょっと邪魔しちゃおうって思ったんだ」

 なんだ、そりゃ。
 洋太が…アイツが俺のことを幸せそうに話していた…だと?
 俺のことを?

「でも!…君を見たらその気持ちがちょっと判ったんだ。僕には…敵わないよ。そんな風に、声もなく泣ける人なんて見たことないもの」

 佐渡が銀色の小さなフォークを握り締めて、困ったように微笑んでいる。

「え?」

 ハラハラと涙が頬を粒になって零れ落ちていく。
 店内の客もウェイトレスのおネェちゃんも驚いたように俺たちを見てるけど、佐渡は別に気にした様子もなく綺麗にアイロンをかけているハンカチを取り出して俺の頬に押し当ててきた。
 その時になっても、俺は自分が泣いてることに気付かなかった。
 店の中なんだから恥ずかしがればいいんだけど、突然、目の前に幸福を突きつけられると周りなんかどうだってよくなるんだ。まさに俺は今、そんな状態だった。

「涙ってもっとグチャグチャしてて…すごく汚いものだったのに…綺麗だよね。僕、初めてそう思えた」

 小さく溜め息をついて首を左右に振る。

「幸せになってね」

 唇を噛み締める佐渡を見て、俺は、コイツは強いヤツだなぁ…と思った。きっとコイツも洋太を好きだろうに、どうして俺に譲れるんだろう?俺は、キスしないとか言いながら、やっぱりキスしちゃったし。本当は悩んだけど、結局、答えなんか出せなかった。
 コイツはどうして…

「僕は…想ってるだけで、それだけでいいんだ。叶わない恋だって、最初から知っていたから」

 そう言って花が綻ぶように笑った佐渡のその笑顔は、なぜかとても儚かった。

「佐渡、お前…」

「やだ!そんな顔しないでよ。僕は大丈夫だって!じゃあ、ごちそうさま。ここはもちろん里野くんの奢りだよ!」

 可愛らしくニコッと笑ってウィンクした佐渡は重そうな学生カバンを抱えて立ち上がると、じゃあねと言って店を後にした。
 その小さな後ろ姿を見送りながら、俺はなぜか一抹の不安を覚えた。それがなんであるかなんて判らないけど、俺の胸騒ぎは家に帰ってもなかなか収まらなかった。
 そして、それはいきなり不安の形になって俺の前に突きつけられてきた。
 その晩、電話が鳴ったんだ。