8.トイレを覗く(扉は強制的に開放)  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 都築が当たり前みたいな顔をして既に居座って数日が過ぎるんだが、帰る気配がないのはこの際よしとしても、都築の奇行にまた1つ加えなければいけない事案が発生した。
 それはトイレを覗いてくることだ。
 本人は全く無意識みたいなんだけど、俺が大小問わずにトイレに入ると、のこのこと跡を追ってきて、何かをペラペラと話し続けるんだよな。まあ、小の時はそれでも気にしながらではあるけど、相槌なんか打って相手をしてやるけど、さすがに大の時は勘弁して欲しい。
 芳しい臭いも気になるし、踏ん張ってる時に下らない話をされても、どう返していいか判らないんだよ、実際のところ。
 だいたい、話しの延長線上で俺が席を立ったのなら、その辱めは受けるしかないと思うけど、話しも一段落して、と言うかお前なんか俺のこと、全然無視してスマホ弄ったり電話したりしてるくせに、今なら大丈夫だと思ってトイレに行くと、座った途端にドア全開にされた挙げ句、相手から声が籠もってるとか何とか言われて、今トイレなんだwとか巫山戯た返しで俺を恥ずかしがらせるとかどんな羞恥プレイなんだよ。

「悪いけど、ホント、あっち行っててくれ」

「は?なぜ?」

 なぜじゃねーよ、常識考えろよ。JKだよ、JK。
 俺んちはユニットだから風呂とトイレが一緒なんだけど、たまにトイレ中に都築が風呂に入りたがったり、俺が風呂に入っている時に、都築がトイレに来ることがあって、なかなか気が休まらない。
 洋式トイレだけど俺は昔から座って用を足すけど、都築のヤツは小さい方は立って用を足す、だからチンコを握ったままシャワーカーテンを引っ張り開けられて、見たくもないデカいモノを見せつけられて男の沽券がとか何とか凹まされた挙げ句に、全裸をしげしげと観察と言う体の視姦を存分にされて、やっぱり凹まされる。
 そんな生活も随分と慣れてきたけど、やっぱりトイレを覗かれるのは精神的に一番ダメージがデカイなぁと思う。人間が一番リラックスしている排泄時と入浴時の攻撃なんて、ダメージ以外に何が起こるっていうんだ。
 最近なんかアイツ、別に用を足しに来たワケでもないくせに、トイレに座ったままで髪を洗う俺を横からじっと眺めながら、たまにチンコを擦ってることがある。それにはさすがにビビッてシャワーをぶっかけて追い払ったけど、都築は違うと否定したけど、これは一種の嫌がらせじゃないかと思うんだよね。
 色んなコトはあんまり気にならないから放置してるけど、さすがにトイレと風呂のリラックスタイムの襲撃は無理だ。耐えられない。

「あのな、俺が幾ら鈍感だからって、臭い全開の派手な音を撒き散らしても平気でいられるほど壕な心臓を持ってるワケじゃないんだ。俺にだって羞恥心ぐらいある」

「オレだってわざわざこんな覗きみたいなことしたいワケじゃないぞ。ただ、お前が寂しそうにしてるから付き合ってやってるだけだ。感謝こそされてもその物言いはないだろ」

 …そっか、寂しそうな顔をしている俺が悪いのか。だったら、都築が大小関係なく覗いてくるのも、風呂に入っている所を覗きに来るのも仕方ないよな。今後、DIYで鍵を取り付けて籠もってやるって決めた。早速、明日にでもホムセンに買いに行こう。うん。
 安心できるリラックスタイムを取り戻すぞ。

□ ■ □ ■ □

 それから暫くして、都築が急にパッタリと姿を見せなくなった。
 あんなにしつこいぐらいベッタリと傍にいたモンだから、その急な不在に頭も身体も追いつけなくて、気付いたら2人前の料理を作って苦笑いしていることも屡々だ。
 でもまだたったの3日ぐらいだから、もしかしたら新しいセフレでも作って、俺にまで手が回らなくなったのかもな。それならそれで、まあいいや。
 最長一週間は寄り付かないコトもあったけど、あの時は俺がゼミの連中と泊りがけでレポートを仕上げなければいけなくて、都築に来るなよと言っておいたのに勝手に来て、独りにされたと怒って二度と来ないと200通近いメールで抗議された結果だったっけ。
 今回はトイレを覗くなって怒ったからかな。いや、でも平然とした顔でその後もずっと覗きに来てたから、それが原因ではないんだろうけど、ちょっと気になるな。
 アレかな、何時も空気みたいに一緒にいるもんだから、空気が薄くなって息苦しくなってるって感じかな。違うかな…
 そんなバカげたことを作りすぎた昼飯を食べながら首を傾げて考えているところに、スマホがピロンッとメールの受信を告げた。
 ちゃぶ台の上のスマホを取って画面を見ると…

『先生が帰ってきたから、しばらくお前のところには行かない』

 なんだそれ。俺がなんでも判ってるみたいなメールの書き方はやめてくれ。
 先生ってなんだ。

『ふうん、別にいいけど。先生って誰だ?』

 何時もならピロンピロンッて煩いぐらいにメールをしてくるくせに、今回は暫くしてから、俺が昼飯を食べ終わって片付けをしているぐらいの時に、ピロンッと返信が届いた。

『中学の時のカテキョ。童貞食われた相手だ』

『ああ、お前の初めてのひとか』

『そうだ』

 それから何もメールが来ないから、用件だけ伝えたかったんだろう。
 アイツが一時的にでも真剣に交際していたって言うカテキョの先生か…帰って来たって言うぐらいだから、何処かに行っていたのか。
 その先生が帰ってきたら、もう俺はお払い箱なのかな。
 まあ、便利で都合のいいハウスキーパーとか言ってたから、また先生が何処かに行ったら俺んちに来るようになるんだろうな。
 あ、そうだ。

『都築、来ないのはいいけど置いてる荷物は郵送しておこうか?』

 参考書とかレポートとか、本当に俺の部屋の大半が都築のモノで埋められている事実は大問題だと思う。押し入れもほぼ、都築のモノで埋められているもんな。
 暫くしてピロンッと返信が来た。

『捨てていい』

 なぬ?!慌ててチクチクと返信した。

『何いってんだよ、レポートだぞ?提出しないといけないだろ』

 ピロンッと今度は早く返信がきた。

『どうだっていい。今、先生とセックスしてるんだ。お前うるさい。もうメールしてくるな』

 …なんだそれ。自分が大好きな先生と久し振りのエッチに燃えてるから、親切な俺の申し出は必要ないってのか。なんなんだよ、それ。

『判った。しばらくと言わず、もう二度と来るな』

 そう返信してから電源を切った。その足で、俺は近所のスーパーに行ってダン箱を手に入れると、都築が部屋に置いていった荷物を整理しながら詰め込んで、近所のコンビニに発送の手続きをしに行った。
 それからそのまま銀行で金を下ろすと、やっぱり近所にある鍵の専門店に行って、すぐに鍵の交換をお願いしたいと言ったら、その日はたまたま件数もなく暇なので、これから行きますよと親切なお兄さんが言ってくれて、結構安価で鍵の交換をしてくれた。
 それとドアチェーンとかなかったから、これはDIYで自分で取り付けた。
 全部1日で終わって、自分の行動力に正直ちょっと戸惑ってしまった。
 どうやらそれぐらい、腹に据えかねたんだと思う。
 全部終わったのは21時を少し過ぎてたから、あれから9時間以上も経っていることにビックリして、怒りに任せてスマホの電源を落としていたけど、都築だけじゃない連絡もあるから慌てて電源を入れた。
 でも、着信もメールも来ていなかった。
 何時もだったら都築から『は?なんで?!』ぐらいの悪態メールが100通を超えて届いているし、着信も鬼みたいに来てると高を括っていただけに、ちょっと拍子抜けしてしまった。
 そっか、都築にとって本当に俺って都合がよくて便利なハウスキーパーだったんだな。
 だから、大本命の先生の前だと、こうもアッサリ切られてしまうんだ。
 そうやって考えると、都築は都築なりに、他のセフレとは別の扱いをしてくれていたのかと思って納得した。セフレ側の要請は断っても、俺を選んで俺んちには入り浸っていたからさ。
 なんだそっか、あんなにだらしなくて変態の都築でも、本命には弱いんだろうな。
 なら仕方ない、そう思うんだけど、慣れたモノが傍にいないとこんなに寂しい気持ちになるんだなぁと、俺は視界をぼやかしながら小さく唇を噛み締めた。

□ ■ □ ■ □

 都築が俺からの荷物を捨てたのかどうかは判らなかったけど、どうやら大学にも顔を出していないのか、華やかグループの面々が少し寂しそうに手持ち無沙汰で話をしていた。
 都築は粘着質な独占欲の持ち主だから、今頃先生に夢中になっていて、他のことに気が回らなくなってるんじゃないかな。
 連絡が来なくなって寂しいとは思っていたけど、俺の生活はそれなりに楽しくなっていた。
 百目木に事の真相を話したら、なんだかちょっと怒っていて、自分勝手なヤツだとレッテルを貼りまくってから、都築の服は送り返したけど、俺の服やデイバックも全部替えちまえと言って、百目木の鶴の一声で集まったわりと新しい古着で賄えるようになったから、GPSが仕込まれていた服とかお気に入りのデイバックとか全部捨てられてしまった。
 なんだか生まれ変わったみたいな気がしていたけど、実際、都築の監視から外れたことで本当の自分を取り戻せたのかもしれない。
 都築に本命ができたみたいと、実しやかな噂が流れ始めた頃、漸く都築は大学に顔を見せたようだった。
 その傍らには一見すれば中肉中背に見える綺麗な男が佇んでいて、新しく非常勤講師できた河野聖と言う名前だと情報通の百目木が教えてくれた。
 確かに都築は俺に、好きなヤツがいて、その人が俺と同じような中肉中背だって言っていたから…そうか、アレは恐らく都築の初恋だった先生のことで、本当のことだったんだなと納得できた。少し、ほんの少しだけ、ああは言っても本当は俺のことを言ってるんだろうと…やっぱ自惚れていたのかな。
 小さく自嘲的に笑ってから、仲が良さそうに笑い合って肩を抱いている都築を遠目に見てから、俺はその場を立ち去った。
 都築からは相変わらずメールも電話もなくて家にも来ないから、どうやら本当にこのまま自然消滅を待っているんだなと判ったから、俺は自分の生活を前のモノにゆっくりと戻そうと思っていたけど、長いこと都築がいたせいで、前はどんな生活をしていたっけ?と首を傾げざるを得ない事実にちょっと愕然としてしまった。
 独りになることは慣れているし、都築に言ったように独りでいるほうが好きだったから、ヤツのいない広い空間はおおいにウエルカムのはずなのに、やっぱり、ちょっと寂しいんだろう。
 そう思っている矢先にドアが叩かれて、俺はとうとう痺れを切らした都築が凸ってきたのかなと、少しの期待を胸にチェーンを掛けてそろっと覗いたら、立っていたのは柏木だった。

「よう」

 久し振りに見る柏木の顔が懐かしくて、ちょっとガッカリしたことは胸の奥の深いところに隠してから、大喜びでチェーンを外して招き入れた。
 都築がいるころはみんな遠慮して家に来なかったけど…と言うか、都築が何らかの妨害行動をしていたと思われるけど、捨てられた今となっては、俺が誰と会っていようと少しも気にならないようだから…あの異常な執着がふつりと切れたことは良かったんだろうなと思った。

「どうしたんだよ、柏木。久し振りだな、入れよ」

「おう!なんか、お前が寂しがってんじゃないかと思ってさ」

 ニヤニヤ笑うクソ意地の悪い柏木に笑いながら肘鉄を食らわせて、寂しくなんかないよと、ただ、独りに慣れるために頑張ってるだけだよと言ったら、柏木はそうかと頷いて、それから部屋の中をキョロキョロと見渡した。
 初めて都築がうちに来た時みたいな反応に、ちょっと笑いそうになった。
 そんなに俺んちって珍しいのかな。どうしてみんな、一度はキョロつくんだろう。

「都築もそうだったけどさ、どうしてそんなに部屋の中を見渡してるんだ?」

「…いやぁ、イロイロとね。そうだ、篠原!今日は泊まっていってもいいかな」

「へ?モチロンいいぞ」

 今夜は2人分の食事が作れると張り切って頷くと、柏木はそんな俺を、昔からコイツは本当に俺のことを兄弟みたいに大事にしてくれていたから、なんとなく優しい双眸で見つめてきた。

「ちょっと大事な話があるんだけど、飯を食いながら聞いてくれよ」

 何時もは俺と一緒に巫山戯てばかりいる幼馴染みが、見たこともない真剣な表情をして聞いてくるから、俺はちょっと目を瞠って頷くしかなかった。

「お、おう。じゃあ、飯の用意をするよ」

 もう19時を回っていたから料理に取り掛かっている俺を無視して、柏木は手にしたコンパクトな機械のようなモノで、部屋中を探っているみたいだった。その度に、「うわ、ここにもある」とか「ああ、これもそうか」とか、果ては超小型のカメラみたいなモノまで見つけ出したみたいで、チーズとササミの紫蘇巻とか蕪のあんかけ、ほうれん草と春雨の中華風サラダとかとか、久し振りに腕を振るう俺を待っている間に、監視カメラを除く盗聴器らしきそれらの品物をちゃぶ台にずらっと並べている。

「なんだ、これ?」

「…」

 俺の顔を見上げて人差し指で唇を塞いだ柏木に、この件は黙ってろと言うことらしく、俺は無言で頷いてからそれらを床に並べ直す柏木の隣りで、ちゃぶ台に食卓の準備をした。
 さて、戴きますだけど…っと柏木を見ると、難しい、少し気味の悪そうな顔付きをしていた柏木は、気を取り直したように笑って両手を合わせた。

「うわ!美味そうだな。お前の料理って久し振りだから腹がなるよ」

「へへ、そう言ってもらえると嬉しい」

 いただきますの合図で箸を進める柏木が、本当に泣き出すんじゃないかと思うほど感激して、味噌汁やササミの紫蘇巻に舌鼓を打っているから、独りの時だと手を抜きすぎてたなぁと食に対して反省した。

「さて、大事な話なんだけどさ…」

 そう言って柏木が切り出したから、俺は咀嚼していたササミをゴクンと飲み込んで、それから覚悟したように頷いた。
 さあ、なんでも言ってこい。どんとこいだ。
 そんな俺の空元気に柏木が噴いて、なんだようと唇を尖らせるとますますおかしそうにアハハハと声を上げて笑ってくれた。クソ。

「気を持たせんなよ、早く言えよ」

「お前さ、都築と別れたって本当か?」

「ぶっは!別れるとか、そんな俺たち付き合ってもねえよ。俺、アイツのタイプじゃないんだと」

 思わず噴き出してから、アハハハと笑って手を振っていたら、柏木のヤツがなんだそうかと拍子抜けしたように肩を竦めやがるから、また根も葉もない噂でも聞いたんだろうなとおかしかった。

「じゃあ、それなら問題ないか」

「なんだよ?」

「篠原、俺と付き合ってくれ」

 うんいいよ、何処に行けばいいんだ?と素で聞きそうになった俺を、柏木が思わず噴き出しそうになりながら、トントンと何かを指差して床を叩いている。
 その指先を見て、思わず声が出そうになったけど、柏木が目線だけで止めたので慌ててお口チャックで頷いた。

「…えっと、どう言うことだ?」

 柏木の指示に従って、たぶん大根役者だとは思うけど、俺なりに頑張って不審そうな素振りで首を傾げながら言った。

「俺と付き合って欲しいだけだよ。男女みたいにさ」

 柏木が指し示した一片の用紙には、幾つかの項目が書き込まれていた。
 まず第一に、この部屋は盗聴と隠しカメラで監視されていること。
 それから、たぶん犯人は都築で、俺を捨てたのに付けたままにしているのは業腹だと言うこと。
 だから、恐らく都築が一番ダメージを食らうことをしようと思うので協力しろ。
 そして、さあゲームの始まりだ。レッツトライ♪
 まずは俺が付き合ってくれと切り出すから、思い切り不審そうな素振りで返せ、それから俺が言いくるめるから納得しろ。で、同棲を切り出すから頷け…とのことらしい。
 今も盗聴監視してるとは言え、ただ俺が鍵を替えたせいで外しに来られないだけで、もう今は先生に夢中なんだから、こんなことで都築がダメージは喰らわないと思うんだけどなぁと、半信半疑で柏木の策に乗っかってやった。
 まあ、一矢報いれなくても、ちょっとスパイごっこみたいで楽しそうだしな。

「俺たち、ずっと傍にいすぎてお互いが大事なことを見落としていたと思うんだ。お前と離れて、お前が都築と一緒にいるようになってから気付いた。だからさ、都築と付き合ってもいないんだったら俺とのこと、真剣に考えてくれないか」

 どこの俳優だよお前、と言って吹きそうになる俺に、やっぱり頬をピクつかせていたいまいち役に入り込めない学芸会並の柏木に、笑うなと目線で指摘されて、それから俺はわざとらしく「うーん」と声を出して咳払いの代わりにした。

「…判った。俺もなんか最近、イロイロ考えていて寂しかったから。俺、お前と付き合うよ」

 どこの悲劇のヒロインだ、ばりの名演技…とは言えない弱々しさで、俺は柏木の申し出を受け入れるふりをした。
 なんか背中がむず痒くなるけど、どうせただの遊びなんだから、余裕をもって頑張ろうかなと思う。

「マジか…マジか。嬉しい、有難う。光太郎」

 いきなり柏木が名前呼びできたからまたしても吹きそうになったけど、どんな茶番も楽しんじゃう俺と柏木だから、手に手を取ってお互いキラキラと見つめ合って噴き出した。

「ははは!ホントに嬉しいよ。じゃあさ、ここだと壁も薄いし狭いしさ。2人で部屋を借りないか?」

 どうやら第二幕目が開けられたようだ。

「ははッ、そうだな。俺ももう、此処はいいかなって思ってたんだ」

 ちょうど良かったって笑ったら、柏木がその調子だぞとニヤニヤ笑って頷いてくれる。
 監視カメラはわざと見え難く偽装してくれているらしく、盗聴器のみ近場を1つ残して取り外しは完了しているらしい。さすが工学部、そう言ったことに長けているんだなと感心した。

「なあ、光太郎。じゃあ、セックスはそれからだな」

 クスクスと笑って甘く囁く柏木に思い切り気持ち悪いと鳥肌を立てながらも、俺もニッコリと作り笑いを満面に浮かべて頷いてやった。

「別に、俺はホテルでもいいけど?」

 挑発的に言うと、柏木は一瞬呆気に取られたけど、すぐにニヤニヤ笑って「了解」と呟いた。それから筆談で、【カラオケとかカレー食い放題目当てにラブホ行くか?たぶん、都築の監視付きのデートになるけど】とか笑わせてくれた。
 俺たちがそんなことで巫山戯あっていると、不意に久し振りに俺のスマホがピロンッとメールを受信したみたいだ。
 俺と柏木は目線を合わせて、それから柏木が顎をしゃくるから、仕方なく俺はスマホを取り上げて画面を見た。

『篠原、柏木そっちに行った?例の件、順調??』

 と、よく見ると百目木からのメールだった。
 柏木にその画面を見せて都築じゃなかったと笑ったら、柏木のヤツは笑うどころか、妙に不審そうな表情をして食い入るように俺のスマホを見ていた。それから、不意にフリックしてタップを何回かして、都築が入れていたに違いないスパイから通常から、目につかないモノまで全てのアプリを削除したみたいだ。

「こいつ、何を言ってるんだ。俺が告るのは百目木には内緒にしてるんだけど、例の件ってなんだ?光太郎は何か知ってるのか??」

 不審そうにわざと困惑したように言いながらも、柏木はさらさらと紙片に何事かを記入して筆談してくる。コイツ、喋りながら手が動かせるとかさすが天才って言われたヤツだ、すげぇ!

【百目木にお前を慰めろと言われたが、今回の計画は俺1人のモノ。たぶん、このメールは百目木のモノじゃない。成り済ましメールだ】

「いや、俺も知らない。なんだろ、百目木に電話してみようか?」

「…メールで来たんだからメールで返してやれよ。向こうも何かやってたら電話だと迷惑だろ」

「あ、それもそうだな」

 先生と乳繰り合ってる時にメールはどうかと思うけど、前もそれでお前うざいって言われたんだけど、本当にメールでいいのかな?
 不安そうに柏木を見たら、ヤツは満面の笑みで頷いた。

『問題ないよ。あ、そうだ。お前だけに言っておく。俺、柏木と付き合うことにしたんだ。イロイロと寂しかったけど、幸せになるよ。心配してくれてたんだろ?ありがとう』

 以上は柏木が書けと言った内容だ。これが本当に百目木のメールだったらと思うと生きた心地がしなかったけど、まあでも、明日大学に行ってから柏木と種明かしすればいいか。
 ピロンッと返信が返ってきた。

『本気か?友達に打ち明けるってことは、本気ってことか?』

 ふと、そのメールの文面を見て気付いた。
 これは恐らく、都築が打っているメールだと思う。
 百目木はこんな聞き方はしてこない。せいぜい、冗談みたいにおめでとう!とか絵文字を交えて揶揄うように祝福してくれるはずだ。それで、大学で尋問なwぐらいは打ってくる。
 こんな素で不機嫌そうなメールは打ってこない。

【監視カメラも盗聴器も、その気になればお前がいないときに全部引き上げることができるんだよ。なのに、そのままにして自分は先生という昔の男とイチャイチャしてお前に見せつけてるだろ?絶対に何か企んでいるし、それならムカツくから一矢報いようぜ】

 柏木がそんな感じで言ってくれたから、本当に独りぼっちになったみたいだと凹んでいたけど、そうじゃなかった、味方なんて此処にいたのにと、柏木の存在に感謝して、それから都築に対する怒りがフツフツと湧き上がってきた。

『もちろんだよ、百目木。何を驚いてるんだ?』

 チクチクと返信を打つと、柏木と顔を見合わせるより早くピロンッとスマホが鳴る。
 そして、立て続けにピロンピロンッと。

『そりゃ、驚くだろ?なんだよ、ゲイになったのか??』

『柏木ならいいのか?』

『どうしたらそんな気持ちになるんだよ』

 百目木が俺如きにこんなにメールを、しかも早打ちなんかできるワケがない。
 たぶん、これは都築なんだろう。今さら、手放した獲物に未練でもあるのかよ?

『それがな、百目木!聞いてくれよ。柏木って俺がタイプだったんだって!都築から散々タイプじゃないって言われて凹んでたけど、すっげえ嬉しかった(ハートマーク)都築に感謝しないと、俺の目を覚まさせてくれたんだ。アイツも初恋の先生と幸せそうだし、よかったよかった(ハートマーク)百目木も恋人見つけろよ。あ、そうだ。もう合コンは誘ってくれなくていいから(ハートマーク)』

 俺にしては珍しくハートマークとか絵文字を駆使して幸せ満タンって感じの文面になったんじゃないかなと思う。横目で見ていた柏木ですら若干退く幸せオーラに、どうやら俺の怒りの深さを知ったみたいだった。
 送信したらすぐにピロンッと返信が来た。それも立て続けに何通も。

『お前、それはきっと勘違いだ。虐げられてたから甘い言葉によろめく詐欺の心理だ』

『思い直せよ。男同士だぞ。絶対にうまくかないって』

『お前は勘違いしているんだ。本当に好きなヤツは別にいるかもしれないだろ』

 などなど、どうやら必死で止めたいみたいだけど無視だな。
 ピロンピロンッと喧しく鳴くスマホを俺の横から無言で覗き込んでいた柏木が肩を揺らして笑いたいのを堪えているようだけど、俺はそんな幼馴染みも軽く無視して、宿敵都築に最後通牒をチクチクと打ち込んだ。

『言ってることがちょっと判らないけど。俺たちこれから出掛けるから、メールに返信ってもうできないと思う。だから、もうメールしてきても読まないぞ。来週、また学校で』

 俺はお前ほど冷たいヤツじゃないから、もうメールしてくんなとか、うるさいとか書かないから優しいだろ?でも、これでおあいこで終わりだな。
 ピロンッとすぐに返信が来たけど、俺は読まずに電源を切った。

「お前と百目木ってこんなメールの遣り取りをしていたのか?」

 肩を震わせる柏木が筆談では【おまえと都築って】となっていて、まあ、もう盗聴されててもいいから、百目木を都築として話しを進めた。

「まあな。何時もこんな感じだよ。メールを打つのが向こうのほうが早いから、俺はまとめて返信をチクチク打つんだ」

「ふうん…百目木ってさ、お前のこと好きだったんじゃないのか?」

 は?都築が??そんなの有り得ないっての。

「はは、まさか!それより、行くんだろ?ホテル」

「ああ、だな」

 立ち上がって食器をシンクに入れてから振り返ったら、柏木はなんとも言えない複雑そうな表情をして、それでも面白おかしいとニヤニヤしている。いい根性した幼馴染みだ。

「男同士でも入れるホテルを検索したんだ。で、ここなら近いし、なんと、風呂はジャグジーらしいぞ。でもって、ローション風呂とかもできて楽しい…」

 ノリノリで柏木が冗談半分に俺の目の前でスマホを翳して説明している時だった、不意に、ピロンッと柏木のスマホに受信を告げる音が鳴る。
 まさか、とは思ったんだけど。

『柏木のアドレスだろ?そこに篠原がいるよな』

 さらにピロンッと受信の音。

『スマホの電源を入れろと言え』

 かなり上から目線の百目木は、恐らく、滾る怒りに見境がなくなったのか、はたまた、夢中になりすぎてせっかく技術屋が仕込んでくれた成り済ましをうっかり忘れてしまったのか、御曹司様ぜんとした何時もの都築に戻っていた。
 思わず2人で噴いたけど、柏木が悪乗りしてチクチクと返信しやがった。

『残念だけど、篠原はもう俺のモノなんだよね。百目木って篠原のこと好きだったんじゃないのか?悪いな、寝取っちまって。NTRだよ、萌えるよなw』

 都築ほど性に長けてるヤツならこのメールの意味が判ったんだろうけど、最初俺はいまいち意味を飲み込めていなかった。だってさ、寝取られってもともと好きあってる夫婦とか恋人とかに間男が乱入して、嫁さんとか恋人がイヤイヤながらも感じまくってソイツを好きになるって話じゃなかったっけ?別に俺、都築のモノじゃないし。

『巫山戯んな。別にソイツを好きなワケじゃない。オレには相手がいる。ただ、篠原がお前に騙されるのを黙って見ていたくないだけだ』

「こんなコト言ってんのか。相手ってアレだろ?噂になってる非常勤の」

「そうそう。河野聖…って、あれ?あれは都築の相手だった。百目木、恋人ができたんだな」

 思わず本音が出て、お互い顔を見合わせて大笑いしてから、柏木は百目木に成り済ましている都築に返信を書いた。

『別に騙さないぜ?俺、今独りだし。光太郎を大事にするよ。つーかさ、百目木こそ他人の恋路に口を出してたら馬に蹴られちまうぜ。じゃあ、俺たちホテルに行くからもうメールしてくんなよ』

 俺が書きたかった『メールしてくんな』を綺麗に決めてくれた柏木に感謝して、俺は本物の百目木がくれたアウターを着ながら、柏木に「ありがとう」と言った。
 これで少しは溜飲が下がるってモンだ。

「じゃあ、さっきのホテルに行こうぜ。カラオケとかカレーとソフトクリームの食べ放題が充実してるんだってさ」 

 柏木が楽しそうに言って、俺も釣られるようにして笑った。
 男同士でも女同士でも入れる、カラオケとか食べ物の食べ放題が充実してるとか、たぶんそのラブホは女子会とか男子会歓迎の、今風のラブホなのかも。
 男2人で男子会ってのもウケるけどさ。
 お互いで笑いながら玄関を出て鍵を締めてから、俺たちはそれぞれの近況報告をしあって、どうやら柏木んちは爺ちゃん婆ちゃんを田舎の九州に残してきたけど、来年には両親だけ戻るそうで、その際に独り暮らしが決定するから、できれば今から俺との同居を予約しておきたかったんだとか。
 都築の存在で無理かなぁと思っていたけど、思わぬ方向に転がって、お金持ちが庶民を虐めやがってただじゃおかないってことで、都築から俺を奪うことで懲らしめてやろうと思ったんだそうだ。
 外に出て盗聴器がないことを確認してから、お互い思い思いのことを話せるからよかったなと思う。でも本当は、別にもう聞かれてもいいかなとか開き直っているところもあるんだけど。
 別に俺が誰のモノになろうと、都築には関係ないんだから。

「なんだ、お前も下心ありで近寄ってきたんだな。酷い!」

「ははは、人間なんて打算的な生き物だろ?」

 そんな軽口をお互いで叩きあっていたら、高校時代を思い出した。
 よくこんな風に、柏木と肩を並べて一緒に帰ったっけ。それが、まさかホテルに行く仲になるなんて…なんつって。

「篠原様、柏木様」

 不意に思い出に陶酔していた俺を現実に引き戻す低い声音に、俺と柏木は顔を見合わせて、声のした背後を振り返った。

「お疲れ様でございます、篠原様。そして、初めてお目にかかります、柏木様。私はツヅキ・アルティメット・セキュリティサービスに所属しております、一葉様付きの興梠と申します。以後、お見知り置き頂ければと思います」

「興梠さん…」

 都築が来るかと思っていたけど、まさかの興梠さんの登場で、俺の心の中がほんの少しだけ、またしんと静まり返った。
 やっぱり、先生から離れるつもりはないんだろうな。

「お2人に一葉様より伝言がございます。まず柏木様、篠原様のことを光太郎と呼ぶな…とのことです。そして、篠原様。本日、一葉様が夜にご自宅に伺うそうですので、自宅にお戻りになるようにとのことでございます」

 何時もの胡散臭い満面の笑みは鳴りを潜めて、何時になく厳しい面持ちで柏木を見据えながら淡々と報告するのは…どうも、興梠さんは大切な主人を懲らしめる柏木に腹を立てて警戒しているみたいだ。
 悪いのは都築なのに、そんなの理不尽だ。
 都築はもう成り済ましなんかする気はなくて、ある意味、形振り構わずに興梠さんを寄越したんだろう。

「悪いんですけど、興梠さん。俺、これから柏木とデートなんで、都築には来ないように伝えてください。それから、前にメールで書いたとおり、二度と来るなって言っておいたはずなんだけどとも付け加えておいてください。それでは失礼します」

 バカ丁寧に頭を下げてから、呆気に取られてポカンッとしている柏木のアウターの裾を掴んでから、ほら行こうぜと促していると、興梠さんが小さいながらもハッキリとした声で呼び止めてきた。

「篠原様」

 そのまま無視していけばいいのに、それでも俺は仕方なさそうに溜め息を吐いて振り返った。まだ、何かあるんだろうか。

「なんですか、興梠さん」

「篠原様の中で、都築はもう終わりですか?絶対に駄目なのでしょうか」

 何が…とは聞けなかった。
 俺の中ではもう終わっているし、確かにもう、絶対に駄目だと思ってもいる。でも、心の何処かで、あの生活はなかなか気持ち悪くて碌でもなくて、だけど愛すべき日々だったんだなとも思っている自分がいる。
 だけど、駄目なんだ。
 もう、本当に駄目なんだって判ったから。

「何を言ってるんですか、興梠さん。俺じゃない、都築がもう駄目なんですよ。アイツは中学の初恋を引き摺っていて、漸く恋が実ったんだ。俺のことなんか、気にしている場合じゃない」

 それからニッコリと笑ってみせた。
 興梠さんと柏木が目を瞠っていたけど、そんなのはどうでもいい。

「都築は性にだらしなくて本当に変態だけど、でも根っこの方は世間知らずのお坊ちゃまで憎めない。だから、幸せになるといい。俺はそれを望んでいます」

 それじゃあ、さようならと頭を下げてから、柏木の腕を掴んで歩き出した。柏木は俺と、呆然と立ち尽くしている興梠さんを交互に見て困惑しているようだったけど、まっすぐに正面を見据えて振り返らない俺に諦めたのか、仕方なさそうに肩を竦めたみたいだった。

「お前も都築も頑固で我儘な子どもみたいだな」

 誰が子どもだ。都築と一緒にすんな。
 俺の断固とした決断に、興梠さんは見えなくなるまで立ち尽くしたまま、とうとう身動きができないみたいだった。そのまま、諦めて都築の許に帰っただろう。
 俺はこれで漸く、都築という呪縛から逃れることができるんだろうと、一抹の寂しさを風に攫われながら、都築との決別の道を歩いていた。

□ ■ □ ■ □

●事例8:トイレを覗く(扉は強制的に開放)
 回答:お前が寂しそうにしてるから付き合ってやってるだけだ。感謝こそされてもその物言いはないだろ。
 結果と対策:そっか、寂しそうな顔をしている俺が悪いのか。だったら、都築が大小関係なく覗いてくるのも、風呂に入っている所を覗きに来るのも仕方ないよな。今後、DIYで鍵を取り付けて籠もってやるって決めた。