19.毎朝作ってくれるスムージーに精液を入れる  -俺の友達が凄まじいヤンツンデレで困っている件-

 以前、同じような感じで臨時講師だった『先生』とお付き合いしていた時のような派手さはないものの、都築は有言実行だとばかりに鈴木と付き合い始めたみたいだった。
 鈴木は、鈴木雅紀と言う名前で、やはり都築が取った俺とはかぶらない講義に参加しているヤツだった。
 まあ、これは百目木情報なんだけど。
 柏木と百目木には内緒だけど、都築のセフレだった子を彼女にしてご満悦のヤツらは、俺が都築と別れた(付き合っていない)ことを知ると腰を抜かすほど驚いていた。
 どうしてそこまで驚かれるのかこっちのほうがビビッたけど、どうせまた『先生事件』みたいに都築の画策なんじゃないかと疑わしそうな目付きをして、でも相手が鈴木雅紀だと知ると妙なことにすんなりと納得したみたいだった。

「鈴木なら仕方ないな。鈴木は平凡なツラをしてるけど名家の出だし、実家はグループ会社を幾つか持ってる企業の社長だから、都築にはピッタリの相手だよな」

 男でも、とちゃんと百目木は付け加えた。
 知らなかった情報を耳にして、ああ、それなら尚更アイツはとんでもない相手に手を出したのかと、今回の俺の決断は強ち的外れではなかったんだと納得できた。

「お、噂をすれば」

 柏木の視線の先を見て、俺は何故かソッと唇を噛んでいた。
 『先生事件』の時は、都築はこれでもかと俺に見せつけるように先生とイチャイチャしていたけれど、鈴木とはごく普通に歩いている。ただ、その目付きが優しい。
 愛しいひとを見るような優しい目付きで、特に肩を抱くワケでもなく、さり気ない気配りで相手を大切にしていることが判る仕草だ。
 なんだ、やればできるんじゃないか。
 俺にはウザいぐらい構い倒していたくせに、でも、その仕草に愛情は感じなかった。
 ただひたすら、自分のモノだと主張するみっともない独占欲と執着心だけが感じられる気持ち悪さだったけど、鈴木に向ける都築のそれは、紛れもなく愛情だと判る。
 そりゃ、そうだよな。
 アレだけの会話でも、都築が鈴木を気に入って大事にしているのが判ったんだ。
 鈴木の愛情に気付けば相思相愛になるのも時間の問題だったんだよ。

「なんか、篠原と一緒にいるときより落ち着いてるな」

「案外、しっくりしてるんじゃないのか、あの2人…っと、すまん」

「…なんでそこで謝るんだよ。別に気にしてない。清々してるぐらいだ」

 都築たちから目線を外してフンッと鼻で息を吐きだしてから、俺はアイスカフェモカをジューとストローで吸い上げた。
 そう言えば先生の時もカフェモカを飲んでなかったか?
 因果は巡るとか言うなよ…

「はぁぁ…可哀想になぁ、篠原。捨てられたからって落ち込むなよ。きっと素晴らしい出会いがあるって」

「うんうん。絵美ちゃんに友達紹介してもらおうか??」

 何故か俺が捨てられた設定になっていて、可哀想にと頭を撫でてくる百目木と柏木の憐れむようなバカにした目付きに苛々したから、俺は4本の腕を振り払いながらブウブウと口を尖らせて悪態を吐いていた。
 都築と目線が合ったんだけど、賑やかに構われる俺を小馬鹿にしたようにチラッと見ただけで、しょうがないヤツだなとでも言いたそうな目付きをして、それから何かを囁く鈴木にクスクス笑って首を左右に振りながら行ってしまった。
 …なんだよ、そのイケメン態度は。
 前みたいにギャンギャン言ってこないのはいい。確かにこれっきりと言って出て行った手前、嫉妬心むき出しでギャアギャア言うのはどうかしてるし、都築にだってそれなりにプライドがあるだろう。
 だからってお前から仕方ないヤツ扱いをされる謂れはないぞ。
 なんだよ、男同士で仲良くしかできないガキだって思ってんのかよ。
 …なんか、ムカつくな。

「絵美ちゃんはいいよ。でも、俺合コン行く」

「は?!」

「何いってんだよ!」

 テーブルの上でグッと拳を握る俺に、何故か百目木と柏木が驚いたみたいに双眸を開いてから、それから慌てて止めようとするんだ。
 何故だ!お前らだって(都築の元セフレとは言え)彼女ができて超ハッピーって浮かれてんじゃねえか。

「そもそも、俺が童貞だから都築にバカにされてきたんだよな。だったらこんなモン、大事に取っとく必要なんてないんだから、彼女を作って捨ててやるッ」

 別に彼女とかじゃなくてもいい。
 都築みたいに少しは爛れた関係を持てばいいだけだ。
 お持ち帰りで一発決めたら、都築だってあんなツラしてバカになんかしなくなるだろ。

「おいおい、ちょ、お前しっかりしろよ?!何があったか知らないけど、合コンはやめておけ合コンは」

「そうそう!自棄になんなって」

「自棄になんかなってないし、俺は別に通常運転だってのッ!それに…」

「なんだ、篠原。合コン行くって??」

 柏木の(何故か)必死な引き止めに百目木も頷いて、その一々に苛つきながら言い返そうとした時、背後でデイパックを抱えた菅野久美がスマホ片手に憎めないタレ目でニヤニヤしつつ声を掛けてきたみたいだった。

「そうそう!久美ちゃん、近々合コンってない?」

「ふ~ん…と、5日後にM女大との合コンがあるね。参加者がひとり行けないってんで欠員出てるんだ」

 既に学部内では久美ちゃんで通ってしまっている菅野は、呪いのメールを相変わらず炸裂しているものの、最近ではもう悪態は吐かなくなった。飲み会という名の合コンの時に、女の子から『久美ちゃんって可愛い(ハートマーク)』と言われたのがクリティカルだったんだろう。

「それ、参加する!…あ!都築は来ねえだろうな」

 アイツが参加するならやめるけど。

「都築?都築なら最近は合コンも飲み会も断ってるよ。本命ができたんだって噂だから、やっと子守から開放されて良かったな、篠原~」

 バシバシと肩を叩かれて、そっか、詳しく知っている百目木や柏木以外の連中には、俺は都築のお世話係としか見られていなかったんだよな。
 それはそれでなんとなくムカつくけど、合コンも飲み会もパスして会社に感けつつ、鈴木やイケメン秘書とゴニョゴニョに勤しんでいるんなら、都築としてはまともになってると言えるな。

「そっか!だったら俺、その合コンに参加するッ」

 宣言するように鼻息も荒く拳を握るのと、百目木と柏木が何故か青褪めるのは同時だった。

「別学部の連中も参加するから、篠原も交流の輪を広げるといいよ~」

 なんて菅野の間抜けた台詞に(何故か)百目木たちが青褪めたままで睨んだんだけど、俺は感謝して大いに頷いていた。

□ ■ □ ■ □

 一人分の夕食の準備をしていると、不意に立て付けの悪い安物のドアのノブがガチャガチャされて、勝手に鍵を開けた闖入者が恋人を伴って侵入してきやがった。

「…何しに来てんだよ」

 味見に小皿に取った出汁を舐めながら眉根を寄せると、都築は俺なんかどうでもいいようにフンッと鼻で嗤ってから、鈴木の腰に手を当ててその耳元に囁くように言っている。

「そこと、あそこにあるから、一緒に詰めてくれ」

「うん、判った。必要なものだけでいいの?」

「ああ」

 どうやら荷物を取りに来たようで、先生の時と違って俺が送り返さなくてもいいみたいで安心した。

「ついでに監視カメラと盗聴器も外して行ってくれ」

 俺を端から無視して2人の世界もいいんだけど、一言ぐらいは悪態を吐かないと、プライバシーのプの字もない俺が理不尽だ。
 少し塩気が足らないかなぁと、今夜のポトフの味見をしつつ、こっちこそフンッと鼻で息を吐き出すと、都築のヤツは「監視じゃない防犯だ」とかなんとかブツブツ言いながら、それでもストカーキットは放置する気満々みたいでうんざりする。

「すみません、食事の準備中にお邪魔してバタバタしちゃって…一葉が荷物は早いところ引き上げたほうがいいって言うから」

 とか、誰も聞いていない言い訳と謝罪を、腰に回る都築の手を意識して頬をほんのりと染めながら、鈴木は困ったように微苦笑して軽く頭を下げてきた。
 その双眸の奥に、何処か勝ち誇ったような色が見え隠れしたと思うのは、俺の卑屈な思い込みかな。

「別にいいよ。狭い部屋だから、余計なものは早くなくなったほうが助かる」

 バンッ!
 不意にビクッとしたのは、俺の言葉が言い終わるか言い終わらないうちに、いきなり都築が分厚い参考書を床に叩きつけたからだ。

「…安普請なアパートなんだから、あんまり大きな音を立てるなよ」

 思わずお玉を取り落としかかったなんてことは微塵も感じさせずに、俺は溜め息を吐きながら振り返りもせずに都築に言った。

「悪かったな、余計なモノを置いたままにして。そんなに邪魔なら、明日オレの家に全部持って来い。郵送は受け取らないからな。行くぞ、雅紀」

 粗方の荷物を詰め込んだボストンを肩に下げてから、ちょっと困惑している鈴木の肩を労るように優しく抱いて、都築は来た時と同じようにズカズカと大股で出て行った。
 何だよアイツ、なんなんだよ?!
 すれ違いざまにボストンが強かに当たっても、都築は謝るどころか、一瞥もくれずに出て行ってしまった。
 そんな風に無体にされる謂れなんかないぞ!
 明日荷物を持って来いとか言ってやがったけど、興梠さんか属さんに預けるワケにはいかないのか…ってそう言えば、都築とこれっきりになってから、あの2人を見なくなったな。
 結局都築と終われば、あの人達とも終わりってことで、見かけないってことは、どうやら今回は本当に都築は俺とこれっきりにする気になったんだろう。
 …だったら、あのダッチワイフも始末してくれるんだろうな。
 あの気持ち悪い抱き枕とかクッションとかも始末してくれるんだろう。
 都築んちなんか悪い予感しかしないから絶対に行きたくないけど、アレらを始末しているかどうかは確り確認しておかないと落ち着かないし…はぁ、嫌だけど行くしかないか。
 と言うことで、俺は両手でダンボールと、肩に都築のゴチャゴチャした荷物を収めた紙袋を下げた状態で、タクシーと言う痛い出費にもメゲズに都築んちの豪華なマンションのエントランスに立っているワケだけども。

「お待たせいたしました。都築様より確認が取れましたのでお通り頂いて結構です」

 顔パスだったと思ってそのままエレベーターに乗ろうとしたら、コンシェルジュのお兄さんと警備員のおっちゃんに捕まってしまって、なるほど、そこまで徹底することにしたんだなと氏名を名乗って都築に取り次いでもらった。
 で、OKが出たからエレベーターに乗ったワケだけど、だったら合鍵も取り上げておけよといらない恥を掻いちゃったじゃないかと苛々しつつ、合鍵で開けて入った室内はシンッと静まり返っていて寒々しかった。
 何が違うんだろうと思って、ああそうか、何時もなら都築が迎えに飛んで出てきて、何か小芝居をしてから入っていたから、初っ端のあの賑やかさがないのか。
 広い家は嫌いだな。
 リビングを覗いても暗くて誰もいる様子がなかったし、都築は専ら寝室で全部の用を足してしまうと何時か興梠さんが嘆いていたから、俺はそのまま主寝室まで行った。主寝室まで行って、「都築」と呼びかけながら扉を開いた。
 ああ、そうか。
 合鍵を返させなかったワケはこう言うことか。

「んぁ…あ、ああ…一葉、イイ…もっと奥!奥を突いてッ」

「クク…可愛いな、雅紀」

 ベッドの上で肌色が踊っていて、鈴木の両足を肩に担ぐようにして腰を叩きつけている結合部のリアルさ、ジュブジュボッと湿った音が響く室内は厭らしい匂いと気配で満たされていて、俺はぼんやりと初めて見る都築と他人のセックスにショックを受けたみたいに固まってしまっていた。
 いや、セックス自体、生で見るのは初めてだ。
 都築の逞しい背筋の隆起は惚れ惚れするほど引き締まっていて、男なら、一度はなりたい理想の体型だなと思う。ピストン運動に強張ったり弛緩したりする様は、無駄のない筋肉の流れみたいなものが見て取れて、鈴木のほっそりした足首が妙に艶めいて揺れている。
 汗の流れが筋肉の動きに沿うように流れポタポタ…と鈴木の白くてやわな腹に落ちる。
 薄いゴムから透ける血筋を浮かべるチンコがグッグッと突き込まれる度に結合部の微肉が誘うような厭らしい赤をチラチラさせて、鈴木の気持ちいいのか辛いのか、複雑な表情の中で唯一淫らに歪んでいる口許からは引っ切り無しに嬌声が婀娜めくように漏れていた。
 指先が乳首を弄んでいるところをぼんやり眺めていたら、不意に俺の手から荷物がドサリと重い音を立てて落ち、荒い息と激しい肉と肉のぶつかる音が不意に途絶えて、それから不意に汗に張り付いた前髪を掻き上げながら、都築がフゥッと息を吐き出して俺の方に振り返ったみたいだ。
 俺自身も荷物の音でハッと我に返った。

「荷物を持ってきたんだろ?そこに置いてさっさと出てけよ」

 どうでも良さそうな、面倒臭そうな気怠げな物言いにカチンときたけど、鈴木が「いやぁ、やめないでッ…もっとして!もっと突いてッ」と腰を擦り付けながら都築に甘えているのを見ると、俺自身も何だかどうでもいいような気がして溜め息を吐きながらダンボと紙袋を床に置いた。
 帰りにリビングのテーブルに鍵を置いておこうと思って、人形と犯ってるのとは違う生々しさはいっそキッパリと気持ち悪いもんなんだなとか思いながら何も言わずに立ち去ろうとしたのに、都築のヤツが「ちょっと待て」と傲慢に呼び止めるから、なんだよと胡乱な目付きをして振り返った。
 その矢先、何か硬質で硬いものが投げられて、俺は慌てて手を差し出したけど… 

「必要ないから返す」

 まるで不要なゴミクズを投げ捨てるように放ってきた俺の部屋の鍵は受け止めそこねて、やっぱり硬質な音を響かせて床に転がった。
 一瞬だけグッと拳を握りしめたけど、大丈夫、俺は傷付いちゃいない。
 こんなことぐらいで、涙なんか溢れもしない。
 俺は小さく息を吐き出して自分を落ち着けると、やれやれとわざとらしく溜め息を吐きながら投げ捨てられた…なんだこれ、マスターキーじゃねえか!合鍵だとばかり思っていたのに、なんで都築のほうがマスターキーを持っているんだ?!
 ハッ、いや、そんなこた今はどうでもいい。
 俺は自分の(何故か)マスターキーを拾ってポケットに取り敢えず避難させて、それからまだ鈴木に挿入したままで胡乱な目付きをしている都築を見て、ズカズカと近づいて行った。
 都築は俺が何か文句か泣き言でも言うのだろうかと、こんな時だってのに、鈴木と犯ってる最中だってのに、目をキラキラさせて俺の出方を待っているみたいだ。なんだよ、その目はムカつくな。
 セックスを見せつけたり鍵をゴミみたいに投げ捨てるだけが酷い行為じゃないんだぞ。
 ひとを傷付けるつもりなら、最後までキッチリやれよ。
 このヘタレ。
 ゴミ箱を覗くと昨日から犯ってるのか、それとも今日1日でこの量なのか、考えたくないから考えないことにしたけど、口も縛っていないゴムたちから大量の精液が零れているのを確認して、これで充分だと頷いた俺は、徐に顔を上げて、ついでに顎も上げて、ポケットから出した人差し指と親指で摘んでいるキーホルダーを見せた。
 それにはもう、都築んちの合鍵しかついていない。
 都築は怪訝そうな顔をしたけど、それから徐にハッとしたみたいだった。
 何故か焦ってチンコを引き抜いて泣いて嫌がる鈴木を喘がせたけど、俺はそんなこたどうでもいいってツラをしたまま、クッと顎を上げたまま、俺史上最強の上から目線で面倒臭そうに眉根を寄せてこれ以上はないぐらいの蔑んだ目付きで何か言おうとする都築を遮ると、南極のブリザードより冷ややかな馬鹿にした口調で言ってやる。

「使用済みはいらないんだったよなぁ。俺は返せないからさ」

 カシャン…と繊細な音を立てて俺の指を離れたキーホルダー、月と星、ダイヤとアイビーの愛らしい、都築がデザインまでしたなんつー厄介なプラチナの塊と都築んちの合鍵は無常にゴミ箱に落下して、予想して慌てて差し出した都築の指先を掠めると2人分が混ざっているんだろう大量の精液の中に埋もれてしまった。
 それは都築の想いの篭っているはずのキーホルダー。
 俺がどんなに無体な目にあわされていたとしても、文句も何も言わずに大事にしていることを、都築は知っていた。
 呆然とした都築は要領を得ない人みたいに、口を開きかけて、何も言えなくて閉じ、また開くを何度か繰り返してゴミ箱を凝視していたけど、俺は何をそんなに驚いてんだよと馬鹿にしたように鼻で嗤ってやる。

「…捨てるのか?」

 ふと、都築の薄く開いた唇から声が漏れて、俺は眉を顰めて蔑んだ目付きのままで笑って言った。

「安心しろよ。そんな汚ねぇの二度と拾ったりしないからさ」

 精液に塗れた静かな輝きは、薄汚れた俺みたいだなと一瞬思ったけど、都築にしても俺にしても、自業自得だ。これで良かったんだ。
 都築は色をなくしてしまったような双眸をゴミ箱から上げたみたいだったけど、俺は肩を竦めると両手をお手上げみたいにジェスチャーをして都築に背を向けた。

「それじゃ、これでホントにさよなら。お幸せに」

 それだけ言うとさっさと都築んちを後にした。
 鈴木は呆気に取られたみたいに、全裸の間抜け姿で呆然としている都築を見て、それから何故か批難したいように俺を見ていたけど、お門違いもいいところだ。お前ら2人で何を企んでたのか知らないが、馬鹿にされるのも、駆け引きしようとするのも、もううんざりなんだよ!
 本当はキーホルダーを捨てることまでは考えていなかった。せいぜい、ここに置いとくからなと言って適当なところに置いて、都築が投げ返してくるんだろういつかの日を待っていればいいとか、そんな安易なことを考えていたんだ。
 でも、都築が鈴木と寝ていて、初めて他人を抱く都築を見たら、アイツには腐るほどセフレがいて何を今更って思うんだけど、頭が沸騰したみたいに血が昇って胸はモヤモヤで押し潰されそうで、何も考えることができなかった。
 荷物を落とす音で我に返って、そしたら、こんな場面を見せつけるほど俺が憎いのなら、中途半端なことはせずに断ち切ろうと…頭の何処か片隅から、都築を傷付けて離れてしまえと声が聞こえた気がしたんだ。
 そうしてその声を決定打にしたのは、俺の合鍵(マスターだったけど)をゴミクズにしたことだった。
 都築は俺から心が離れても、きっとあのキーホルダーは特別に思っていると確信していたし、アレを俺が手放すことがどう言うことなのか、充分よく熟知している。
 だから、「捨てるのか」と呆然と聞いてきたんだろう。
 俺の思惑はどうやら的中したみたいだったから、クク…と喉から声が漏れて、俺は暮れなずむ茜色の空を仰ぎながら大声で嗤った。
 笑いながら、頬に散った雫が顎に滑り落ちていくのを感じていた。
 ここは都会で、ちょうど会社帰りの家路を急ぐリーマンとか学生とかがギョッとしたようにそんな俺を見たけど、誰も何も言わずに立ち去ってくれるから、俺は一頻り馬鹿みたいに笑ってから、滲む景色の中にフラフラと歩き出しながら、俺を傷付けた都築に「ざまあみろ」と呟いていた。

□ ■ □ ■ □

 バイトの帰り道に都築がウアイラを止めていたガレージの前を通ったら、何時の間にかガレージは壊されていて更地になっていた。
 もうこれっきりと言っていたし、俺もキーホルダーを捨てて、それから大学で何か言いたそうに近付こうとする都築を尽く無視しているから、漸く諦めて鈴木へと気持ちを切り替えたんだろうな。
 更地を横目にどうでもいいと思って家に帰ってシャワーを浴びて、それから仕込んでいた遅い晩飯に火を入れて、ホカホカのご飯でお腹を満たしてから、歯磨きしてぐっすり眠る。何時ものルーチンワークにスヤァ…ッと夢の国に行きかけた時、夜の静寂にブォン…と低く響く重いエグゾーストノートに瞼を開いた。
 寒い最中にエンジンを切って、その重いエグゾーストノートを持つ車の持ち主は、これから4、5時間はそこでジッとしているんだ。
 毎晩来る夜中の来訪者は人が起き出す時間になると姿を消す。
 属さんを捕まえた俺が脅しまくって部屋の監視カメラと盗聴器を外させたから、俺の動向は俺以外誰も知らなくなった。いや、本当はこれが正常なんだからな。
 服も一新して、昔の服は捨てるのが勿体無いから、そのまま部屋着で置いている。と言うことで、服に着けていた小型GPSも、スマホに入っていたアプリなんかを機械に詳しい柏木に頼んで一新してもらったから、GPSは全て今は役に立たない状態だ。
 はぁ…と、知らず口の端から遣る瀬無い溜め息が零れた。
 大学でチラリと見た都築は、若干眠そうなものの、鈴木と楽しそうに談笑しながら闊歩していた。何も問題はないと、その背中がキッパリと宣言している。
 ずっと無視しているから俺に近付くこともない…はずだったけど、気付いたら横に座っていたり、真後ろに座っていることが多々あった。ただ、もう俺のことは見ない。
 アレほど異常なまでに視姦レベルの凝視は鳴りを潜め、その分、鈴木をジックリと見ているようで納得した。なるほど、もう俺のことは何も気にならないから傍に寄って来れるんだよと主張しているワケか、って思ったね。思うよね、普通は。
 電話番号とメールは着拒したし、俺はラインとかSNSとかしないから、細やかな繋がりもなくなった。
 流石に引っ越しまではできなかったら、新聞受けに手紙が入るようになった。
 差出人は不明だし、返信を期待しない手書きの手紙…と言うかメモかな。
 今日は何処其処で見かけた、今日の服は可愛い(なんだそりゃ)、今日は誰それと話していたけど友達なんだろうか…とか、それもまた薄気味悪い内容で。
 それと、何故か使い捨ての容器に入れられたスムージー…なんだそれって思うよね。
 人が眠り込む3時半とか4時半頃に投函されている。
 最初にエグゾーストノートを聞いて目が覚めた時に、まんじりともせずに俺自身、起きて様子を伺っていたんだ。それが何日も続いて、何を考えているんだアイツはと思いながらも、メモはまだ捨てられずにいるし、モノを粗末にできない性格のせいで律儀に拾った時に冷蔵庫に保管したスムージーも朝食前に完食している。
 ただ、本当に気持ち悪いのは、そのメモとスムージーを投函する時に新聞受けを部屋側に押し開くんだけど、そのまま2~30分はジッとしているんだよな。その時間帯だと誰も通らないことを綿密に調べ尽くしているのか、ジッとしゃがんだ状態で、俺んちの部屋の中の気配を窺っているんだろう。
 もしかしたら匂いとかも嗅いでいるのかもしれない。何それ、キモい。
 枕をギュッと抱き締めながら様子を窺っていたら、俺んちの新聞受けには受け皿がなくて、そのまま床に直接新聞が落ちる仕様なんだけど、偶にニュッとスマホが挿し込まれてカシャカシャと写真を撮っているみたいで、その時は思い切り引いたなぁ。
 …はぁ、アイツ、何してんだろ。
 深夜と言うよりもそろそろ夜明け前だという時間帯に、やっぱり鉄製の階段を慎重に昇ってくる音がして、それからコツコツと歩く音、ピタリと止まる俺の部屋の前で屈み込んだのか、キィ…っと古い家屋には付き物の耳障りな音をさせて押し開いた新聞受けが開きっぱになっている。
 これが2~30分も続いてから、徐にかさりと音がして白い紙切れがポトリと落ちて、続けてゴトッと重い音がする。スムージーか…
 名残りを惜しむように一旦閉じた新聞受けが再度開いて、何か逡巡しているようだったけど、諦めたみたいに閉じられて、それからコツコツと足音が鉄製の階段を降りて行き、車のドアの閉まる音とエンジン音が響くと、今日の一連のお勤めが終了した都築は帰っていったようだ。
 本当にアイツ、何がしたいんだろう…!
 そして俺は今日も、眠れぬ夜を過ごすように頭を抱えて唇を噛みしめるんだ。

□ ■ □ ■ □

 少し前から仲良くなった別学部の学生に囲まれて、俺はそれなりに充実した日々を過ごしていた。まあ、夜の都築の奇行が意味不明で気持ち悪いけど、それでも実害もないワケだから、漸く本来なら4月から普通に過ごせるはずの大学生らしい生活を送れるようになった気がする。
 百目木とか柏木とか、同じゼミの連中といる時はさり気なく近付いていた都築も、流石にあまり交流のない別学部の学生と一緒にいると気後れするのか、それとも無意味にギリギリと奥歯を噛み締めているのか(限りなく後者に近いと思うが)、近付けずに遠目からこちらの様子を窺っているようで気にもならない。
 はじめからこんな風に、他学部の連中と面白おかしく楽しく過ごしていればよかったんだ。
 今夜の久美ちゃん主催の合コンに行く約束を華麗に交わしてから、上機嫌でマスターキーと(本来俺が持っている)合鍵がぶら下がる、別学部で仲良くなった光希ことミッキーがくれた有名ネズミのキーホルダーを片手で投げながら、口笛吹きつつ軽快に鉄製の階段を駆け上がった俺は、玄関を開けてキーホルダーごと鍵を落としてしまった。
 ついでに肩も落としてしまった。
 属さんと興梠さんが何故か俺んちの狭い玄関でギュウギュウしながら土下座をしている。

「???…あの、何をしてるんですか?」

 何処か遠い目をしながら、都築からこれっきりと言われてからこっち、殆ど顔を見なかった2人に致し方なく声を掛ける。掛けないと部屋に入れない。

「篠原様、どうかウチの坊っちゃんを許してください」

「篠原様、都築は悪気があったワケではなく、ただの子どもじみた悪戯だったんです」

 ああ、なんだやっぱり都築のことか!
 何事かと思っちゃったよ。

「アレを悪戯の範囲で納められるほど俺はできた人間ではないので、どうぞお引取りください」

 アハハハッと一旦笑ってから、至極真剣な表情の2人にそう言って玄関のドアを大きく開いた。

「篠原様!」

 思わずと言ったように興梠さんが腰を浮かしかけたが、逸早く背後の…もう部屋に入っちゃってるよね、な属さんが慌てたように言葉を継いでくる。

「坊っちゃん、あの日泣いたんですよッ」

「はぁ?」

 あの日って何時だ??
 俺の怪訝そうな表情に気付いたのか、属さんは詳細を説明してくれた。
 特に聞きたくはないんだけども。

「篠原様がキーホルダーをゴミ箱に捨てた日です。俺、あの日坊っちゃんに呼び出されて…追い出されて項垂れている鈴木さんと擦れ違ったんで、何かとんでもないことが起こったのかって慌てたんスけども。玄関を入るなり坊っちゃんがゴミ箱から拾ったキーホルダーを綺麗にするにはどうしたらいいんだって、ゴミ箱となんか白くてドロリとした液体まみれのキーホルダーを突き出して泣きながら聞くんですよ」

「はぁ…」

「しかもマッパだったんです!」

 食器用とか、中性洗剤で洗えばいいんじゃね?と他人事みたいに考えながら、なんでそんなことも大学生になって判らないんだアイツは、と、ちょっと他人事なんだけど都築の天才的だと噂の紙一重な脳みそが心配になった。
 他人事は重要な部分だから二回言っておくな。

「……」

 まあ、でも心底どうでもいい。

「あ、今どうでもいいって顔しましたね!確かに坊っちゃんはカッコつけではないんで、自分の身なりには無頓着なんスけど、あの日はガタガタでしたね。取り敢えず付けっぱなしのゴムを外させて、シャワーを浴びるように進めてから、藤堂のジッちゃまに連絡して聞いたんです。中性洗剤を泡立てて柔らかいブラシを使って洗えば細かい汚れも落ちると聞いたんで、坊っちゃんが浴室を出るまでに準備して洗ったんですけど…」

 そこで属さんが言い難そうにゲフンゲフンと咳をする。
 興梠さんも事態は全て把握済みなのか、申し訳なさそうに人を2、3人は殺していそうな顔を顰めて俯いている。

「綺麗になったキーホルダーを見て喜んだんスけど、それも束の間で、両手で大事そうに握ったまま泣き崩れてしまって」

「何事かと伺ったのですが、とても要領を得ず、捨てられたとそればかりで」

 恐らくヘルプを出した都築の状態が尋常じゃないと判断したんだろう、属さんは兎も角も上司である興梠さんにヘルプを出して、2人で都築邸に駆けつけたものの、可愛い恋人を追い出してマッパにゴムだけ装着の情けない格好で泣いている都築に驚愕したんだろう。
 俺がその場にいても、いよいよ頭がどうかしたのか?!とビビッたに違いない。

「これはもう、恐らく篠原様が関わっているのであろうと都築に聞いたのですが、篠原は関係ない、俺が悪い。俺が怒らせるようなことをしてしまったから、俺がただ…俺が捨てられたとそればかり仰って泣かれるのです」

 ふーん…あの都築がねぇ。
 まあ、たしかに身なりなんか気にしないだろうよ、他人に自分のゴニョゴニョシーンを見せつけられるぐらいなんだからさ。
 とは言え、あの一件から随分と時間が経ったのに、今さら俺に何の用だってんだよ。

「篠原には言わなくていいと仰るので、こちらの判断で暫く様子を見ていたのですが、毎晩泣いた後にキーホルダーを握りしめて何処かに行かれるので後を追ったところ、こちらのアパートの前に来てジッとしているんですよ」

「こりゃ、坊っちゃんが本気でヤバイと思いまして、取り敢えず喧嘩したなら毎朝欠かさないと約束したスムージーを持って、謝りに行ってはどうかと促したんです」

 それなのに!と、属さんは思わず床をドンッと叩きそうな勢いでガクーッと項垂れると、疲れ果てたような声音で俺に切々と訴えてくる。

「名案だって言って作ったモノを使い捨て容器に入れていそいそと出掛けるんスよ…真夜中に」

 謝るもクソもないだろと叫ばないのは渋面の上司の手前なんだろうけど、2人とも流石に毎晩の都築の奇行に弱り果てて、考え倦ねた末に都築に内緒で俺んちに凸してきたと言うワケだ。

「今もなんですよ。大学とか、篠原様の目のつくところでは、必死で取り繕っていますけどね、夜なんか駄目なんです。気付いたらマンションを抜け出して篠原様のアパートの近くでジッとしてるんスよ。偶に匂いを嗅ぎに行ってくるとか言ってフラフラ出ていこうとするんで止めてるんですけど。もう限界なんです」

「…」

 アイツ、たしか俺にこれっきりだとかなんだとか、豪い威勢のいい啖呵を切ってくれたよね。
 俺を傷付けて、なに諸刃の剣に斬りつけられて俺より重傷化してるんだよ。

「そのうち、坊っちゃんは間違いなく篠原様をレイプします」

「はぁ?!」

 至極、本当に切迫した真面目なツラで属さんと興梠さんが詰め寄ってくる。
 取り敢えず、俺は素っ頓狂な声をあげたものの、室内に入れてもらい興梠さんたちにも上がってもらって、漸く腰を落ち着けながら話を聞くことにした。
 玄関全開で聞く話じゃないよね。
 まあ、人は1人も通らなかったから良かったけどさ。
 まだ隣りのリーマンが帰ってくる時間帯じゃなかったのが救われた。

「鈴木さんやユキさんと一緒にいても上の空で、最近はセックスもまともにしていないようなんです。それどころか、篠原様が別学部のご学友と楽しげに話している姿を見ては泣きそうになってるんスよ。それから抑えられない嫉妬心で歯噛みもしていますし。そろそろアレは限界だと思います」

 俺がアウターを100円ショップで買ってDIYした服掛けに掛けながら、なんじゃそりゃと内心で突っ込みつつ、都築用に興梠さんが常備しているマロウブルーのハーブティーを淹れてオレンジピールを添えて2人の前に置くと、興梠さんも属さんも恐縮して礼を言いつつそれどころではない顔をしている。

「目的を完全に見失っているようですし、不明瞭なことをブツブツ言っているので、セフレのお2人も少し距離を置いているような次第でして…」

 天下の都築財閥の御曹司ともあろう者が、セフレにまで引かれるほど落ちぶれちゃってんのかよ。それも俺如きをスパンと切ったぐらいでさ。

「俺のこと…好きでもなきゃタイプでもないのにですか」

 呆れて溜め息を吐きながら、心温まる喉にも優しいハーブティーを飲みつつボヤくと、興梠さんは少し驚いたように目を瞠ってから、とんでもないと細かく首を左右に振った。

「好きですよ…都築は間違いなく篠原様を愛しています」

「愛してでもいなきゃ、あんな変態行為が持続できるワケないでしょうが」

 属さん自体は前に都築が俺に「好きでもなければタイプでもない」と胸を張って言っていたのを聞いていたけど、だからこそまだそんなこと言ってんのかと、何を巫山戯たことをとちょっと呆れた感じで溜め息を零している。

「よし判った!じゃあ属さんか興梠さんで、都築に俺を好きだって言わせてよ。そしたら戻ってもいいよ」

「!!」

 唐突な俺の承諾と条件に、都築の忠実な部下の2人が魂消たように目を瞠る。
 そりゃそうだ。
 何の信条を持っているのか、俺のことを再三貶すわ好きでもないとか言うわ、タイプなんかじゃ勿論ないと言い切るようなヤツが、これだけ凹んでるからって信条まで曲げて言うわけないっての。
 知っててその条件を出したのは、もう都築と関わる気が毛頭ないからだ。

「そもそも、俺をスパンと切り捨てたのは都築の方なんです。俺んちの合鍵もゴミクズみたいにして投げ捨てたから、同じようにアイツんちの合鍵をゴミ箱に捨ててやったんですよ。これは謂わば意地の張り合いなんだから、どんなに都築が凹んでようと、俺から折れる筋合いなんか絶対ないんです。折れるなら、俺を捨てた都築が謝って連れ戻さないと戻るワケないでしょ?じゃあ、俺はこれから合コンなんで失礼しますね!」

 スクッと立ち上がって、礼儀程度にお茶に手を付けた2人を立ち上がらせると、問答無用で玄関までグイグイ押し遣りながら宣言する。

「え?!合コンとか行っちゃ駄目ですよッ」

「それは勘弁してあげてください、篠原様!」

 なんでだよ、俺の勝手だろ!
 しかもお前ら、勝手に俺んちの合鍵をまだ持ってたんだな!返せって言われないだけ感謝しろよッ。姫乃さん経由だから仕方なく許してやるんだからな!都築に使わせたら承知しない。
 と、内心で悪態を吐きつつ、必死で食い下がる2人にニッコリ笑いかけて、それじゃあ俺は着替えますんでと言って追い出しに成功した後、ドアをバタンと無情に締めてガチャンと鍵をかけてチェーンをすると、背中を預けた俺はその場にズルズルと座り込んでしまった。
 アイツ本当に馬鹿だろ。
 笑いたいのか泣きたいのか怒りたいのか判らない…って昔、なんかの歌で聞いたことあるけど、まさにそんな状態だ。
 俺は両手で頭を抱えながら、長々と溜め息を吐いた。

□ ■ □ ■ □

 都築が泣くとか…ちょっと笑える。
 声に出してわーわー泣いたのかな、それともうぅ~って男泣きしたのか、どっちにしても俺なんかのことであの傲岸不遜の俺様大魔神が泣くとか思えない。泣いたのなら笑える。
 俺が枝豆をプチプチしながらクククッと笑っていると、隣りに座っているM女大の可愛い子ちゃん!…ではなく、俺と同じ大学の別学部の可愛い里奈ちゃんがふんわりゆるカールのやわらかそうな髪を揺らして小首を傾げると、「なにか楽しいことあった?」とウルぷるの唇をツンと尖らせて小悪魔みたいに可愛らしく笑ってくれる。
 全体的にやわらかい身体まで押し付けてくれて、サービス満点な里奈ちゃんに初心な男心が赤面しちゃいます。
 酒に強くない俺が都築を真似て粋がってハイボールなんか呑んじゃったから、目も回るし気分はフワフワで、日頃こんな風に女の子と話しなんかできないくせに、気持ちが大きくなってんのか、楽しげにニッコリ笑って「別に~?でも里奈ちゃんと話せるのは楽しいかなw」とかナンパなことを言っちゃってますよ。
 キャッキャウフフフな雰囲気で盛り上がってるのに、俺の目の前の百目木(柏木は急な絵美ちゃんの呼び出しで不参加になった)が胡乱な目付きで睨んでいるのでイマイチ気分が乗らない。
 なんだよ、自分は意中のあの子とキャッキャウフフフになってるくせに、俺が片手に花で浮かれポンチになってんのが気に食わないのかよ。

「いやぁ、篠原くんって楽しいんだね!あの都築と一緒にいるから、もっとクールなのかと思ったよ」

 俺の横でミッキーが気さくに肩なんか組んできて、面白くもないのにゲラゲラ笑っている。俺は里奈ちゃんと話したいのにさー

「里奈ねぇ、いっかいだけ都築くんとヤッたんだけど。彼、すっごいエッチが上手なのにヤり捨てするんだよ。酷くないぃ~?」

 ウルルン唇を突き出して、片手に焼酎なんか持っちゃった里奈ちゃんは、相変わらず可愛いけど絡み上戸だって判った。ただちにここから離脱したい。
 笑い上戸で引っ付きたがりのミッキーもウゼェ…百目木の胡乱な目付きは正解だった。
 俺様のモテぶりを羨ましがってるなんて、馬鹿な思い上がりをごめんなさい。お願いだから、助けて…

「篠原くんてぇ、都築くんのオトモダチなんでしょー?里奈のこと紹介してほしいのぉ。もいっかい、都築くんとヤりたーい!!」

「…里奈ちゃん、そう言うこと大きな声で言わないほうがいいと思うんだけど」

 酔いも一気に醒めそうな衝撃の告白に、里奈の隣りに座っているロン毛の黒髪が艷やかで綺麗な、年上のお姉さまみたいな見た目の沙織ちゃんが、これまたプリティーな唇を尖らせて里奈をツツいている。

「今日は都築くんの友だちが来るからってみんな勇んで参加したのに、ちゃっかり里奈が横に座るんだもん、狡いよねぇ!篠原くぅーん、沙織のことも都築くんに紹介してね」

 ハートマークが語尾に付きそうな媚びられ方に若干引き気味で、なるほど、みんなが合コンには行くなと言った理由がよく判った。アレだ、俺はきっと都築を釣る餌ぐらいにしか思われていないんだ、畜生。

「だめだめ!里奈を最初に紹介して?そしたらぁ、篠原くんともヤッてあげるから」

 やっぱり語尾にハートマークが付きそうなお強請りに、できれば片っ端から打ん殴りたくなったことは内緒にしておく。
 ついでみたいにヤるとか言うな。
 俺が青褪めて死んだ魚みたいな目でハハハッと乾いた笑いを浮かべていると、横のミッキーが胡散臭そうな目付きをして、都築を釣る餌(俺)に群がる亡者どもを睨みつつ悪態を吐いた。

「今夜は都築が参加しないからって渋ってたくせに、ヒトを疑似餌か何かと一緒にすんなっての!なぁ?」

 相変わらず肩に腕を回したままでブツブツ悪態を吐くミッキーには激しく同意だけど、お前も面倒クセェよ。なんか、早く帰りたくなってきた。

「でも、今の俺には餌の価値なんかないよ。なんせ、この間バッサリ捨てられちゃったからw」

 自棄糞で言ったのに、途端に女の子たちは見事なまでに手のひらを返すように白けた感じで態度を変えて、何だそれならそうと早く言えよ、このキモメンがとか小声で悪態まで吐かれる始末である。
 俺、凹んでもいいよね。今なら都築をぶん殴ってもいいはずだよね、グスン。
 百目木たちの言葉を借りて…つーか、興梠さんたちにも確り自分で言った台詞だけど、都築の存在感をこんなところでマザマザと感じることになろうとは…アイツ、俺のことで泣いたっていいんじゃないかな。お釣りが来るぐらい、俺は違った意味でも傷付けられてるぞ。
 溜め息を吐いた俺がハイボールを諦めて誰かが注文したまま放置している烏龍茶に口を付けた時だった、不意に合コン会場である居酒屋の大広間がそれまでにないざわめきに包まれて、何事かと烏龍茶を口にしたままで顔を上げたら、ギョッとしている百目木の隣りに険しい顔付きを隠しもせずに都築が立っていた。
 何時もの小ざっぱりしたお洒落な格好じゃなくて、トレーナーにジーンズという在り来りな、大雑把な性格の都築が本来好みそうな格好をしているにも拘らず、女の子たちはギャアギャア言って「ワイルドで素敵!」とか抜かしてる。
 同じ格好をした俺にはキモメンの挙げ句ヲタク野郎って言ったくせに。
 やっぱ顔なのか…
 俺が呆気に取られたまま見上げていると、都築はなんだか急いで駆けつけたみたいに肩で息をしていたけど、少し伸びている前髪を煩そうに掻き上げながら息を整えて、それから苛々したようにいきなり言いやがった。

「オレ、鈴木と結婚することにした!」

 なんだそれ、なんの宣言だよ。

「きゃー!!…いやぁ~、都築くんが誰かのモノになるとか冗談言わないで!!」

「学生結婚とかやるな!」

「いやぁ~!!都築くん、舞とも結婚してぇ…ッ」

 俺がアホらしいと溜め息を吐く前に、合コン会場は阿鼻叫喚だ。
 同じ大学の別学部の連中は判る、でも余所の大学の連中まで泣いたり拍手喝采ってどう言うことだ。都築は今集まっている大学の界隈じゃ有名人なのか…いやまあ、類を見ない御曹司なんだから当たり前か。
 何時も近くの量販店で買った草臥れたスウェットでモン狩りしているところしか見ていなかったから、都築が御曹司だってこと、偶にうっかり忘れちゃうんだよね、いけないいけない。
 何も言わない俺に焦れたようにギラギラしている強い双眸を細めて食い入るように…ってそう言えば、無視を決め込んでから久し振りにこんな風にジックリと見詰めてくる都築の琥珀みたいな瞳を見たなぁ。
 俺はその双眸をちょっとだけ見返してから、まるでスローモーションみたいに目線を外して、何事もなかったかのようにテーブルにある唐揚げを箸で掴みながら、口を付けていた烏龍茶を置いた。

「唐揚げうめぇ」

 ワアワアきゃあきゃあ言っている周囲の声なんか何のそので、箸で掴んだ唐揚げを口にしてホッコリ幸せそうに笑った俺を見た時点で、恐らく都築の中の何か必要なはずの箍が外れたんだと思う。
 それとも、重要な血管系の何かが切れたのか…つまり、都築はもう無視されることに限界を感じていたようで、顔を真赤にして何かパクパク言いたそうに口を開いたけど声も出ずに、だから行動に移すことにしたらしい。

「退けッ」

 狂犬、或いは猛獣のようなギラつく双眸で睨み据えてからの重低音の一喝に、俺の横を陣取って「やっぱり仲良いんじゃん!ねえねえ、紹介して!」と俺の腕をグイグイ引っ張りながらも、立ち尽くしていた都築に頬を染めてキャアキャア言っていた里奈ちゃんがビクッとしたまま腕を離してズザザッ…と身体を引くのと、面白半分で乾杯とか言って祝福気分でグラス片手に俺の肩に腕を回していたミッキーが、青褪めて引き攣りながらやっぱりズザザッ…と思い切り身体を離すのはほぼ同時で、邪魔者を蹴散らした都築は長い脚でテーブルを跨ぐようにしてヒョイと乗り越えると、いきなり唐揚げにほんわか至福の俺をまたもや気軽にヒョイッと肩に担ぎやがったんだぜ。

「おい!降ろせッ。こら都築!まだハイボール、全部呑んでないんだからなッッ」

 ギョッとした俺はなんとか降りようとジタバタ暴れてハイボールのグラスを指差すと、グラスの半分以上が残っているソレを身体を屈めるようにして掴んだ無言の都築は、あっという間に一気で飲み干しやがった。
 一瞬俺を降ろして脇に突っ込んだ手で猫の子か何かのようにブランとさせてから、これで文句はないだろうと至近距離で睨み付けてくるから、若干…どころか、綺麗な男の渾身の睨みに震え上がりながらも、これで負けるワケにいくかよ!好き勝手なことは絶対にさせないと自分を奮い立たせて、呆気に取られている間に再度担ぎ上げられた俺はプッと頬を膨らませて怒り心頭を訴える。

「お、俺はまだ合コンを楽しむんだッ!会費5000円の元を取らな…ッ!」

 何を言おうとしているのか逸早く察した都築は、やっぱり無言のまま、そして俺を肩に担ぎ上げたままで尻ポケットからウォレットを取り出して、1万円札を引き抜くと俺の尻ポケットに捩じ込んで。

「釣りはいらねえよ」

 とか、南極の氷点下より低い声音で凄むように言いやがるから、なんか俺はもう途端にシュンとして…って、たぶんいきなり酒が回ってきたのか、目眩を覚えながら小さく「はい」とか返事をしちまっていた。
 この一連の行動中、合コン会場は水を打ったような静けさに包まれていた。
 と言うのも、都築は大雑把でだらしない女好きと言う性格は既に周知の事実で、だからこそ女に関してはとても優しかったりする。その都築が、自分が持っている全ての愛嬌を媚にして、品を作って笑顔を振りまく里奈を睨み据えて恫喝…そう、恫喝するなんてことは天地が逆さまになっても、都築が俺を好きになるぐらい有り得ないことだったんだ。
 だからきっと、みんな呆気に取られているに違いない。だからきっと、誰も俺を助けてくれないんだと信じたい。
 都築はもう後は振り返りもせずに、来た時と同じようにサッサと居酒屋を後にすると、駐めているウアイラの助手席に俺を突っ込むと、慌てて起き上がろうとする俺より早く運転席側に戻って鍵を掛け、俺が勝手に外に出ないようにしてから、今度はご丁寧に俺の居住まいを正してシートベルトまでしてくれちゃって、茫然自失で座り込んでいる俺の膝の上に、何時の間に居酒屋から持って来ていたのかアウターとデイバックを置いた。
 その間、ムッツリと黙り込んで一言も喋らないんだから、正直、今まで都築を侮っていた俺はオシッコちびっちゃうぐらい怖かったりする。でも、絶対におくびにも出したりするもんか。
 雰囲気とは別にせっせと俺のお世話をした都築がエンジンをかけて軽快に走り出したウアイラの進行方向は、たぶん確認しなくても都築んちだと思う。
 俺はブスッと膨れっ面でサイドウィンドウが収まる部分に腕を乗っけて頬杖を付くと、流れていく夜の街の光を眺めながら不貞腐れたふりで口を開かない。口を開いたら、なんだか余計なことを言いそうな気がしたから。
 でも、都築は黙っちゃいなかった。

「お前、オレが鈴木と結婚しても気にしないのかよ」

「…」

「これ以上、オレを無視すると何をするか判らないぞ」

 軽く無視を決め込むつもりが、軽いジャブのくせに肝臓を抉られるようなパンチのある台詞を投げかけられて、俺は渋々、頬杖を止めて身体を前に向けた。
 この場合、都築の凶器は世界で一番綺麗なはずのウアイラだ。

「別に。恋人から結婚に昇格したんだろ?だったら、俺はおめでとうって言って祝ってやるよ」

「…」

 今度は都築がだんまりで、聞いてきたくせに放置とかなんだよお前は。
 ふと都築を見たら、運転に集中しながらもチラチラと俺の横顔を見ていたようで、俺と目が合うとバツが悪そうに舌打ちしてこちらを見なくなった。

「じゃあもうそれでいいよ」

 都築は投げ遣りにそんなことを言って仏頂面に不機嫌をまぶしたような、非常に険悪な表情をしたままでブツブツと吐き捨てた。

「だったら、これでお役御免じゃないのか?家に帰りたいんだけど」

 俺もフンッと鼻で息を吐き出すようにして嫌気を漲らせて吐き捨てたから、都築は苛ついたみたいに俺を横目で睨み据えて、それから馬鹿にしたみたいに嗤いやがった。

「だから家に帰ってるだろ?オレはもうお前を外に出さない」

「…はぁ?!何いってんだよ、お前」

 頭沸いたのか?それとも、やっぱりさっき外れた箍か、切れた血管が拙かったんじゃないだろうな…ってのは冗談としても、俺はその時でもまだ、都築が俺を脅かしているんだろうとしか思っていなかった。
 だって、都築は鈴木を選んだんだから、今さら俺をどうこうするとか思うワケないだろ。

「この道はお前んちに行く道であって、俺んちに帰ってるワケじゃないだろ」

 投げ捨てるように言ったら。

「どっちだって一緒だ」

 どうでもよさそうにそんなことを言いやがるからカチンと来た。

「…あのな都築、悪いんだけど俺はお前んちに行く用事とかないワケ。コンシェルジュに気軽に止められるのも面倒くせぇし、あんな馬鹿みたいに高級感あふれるマンションに俺はお呼びじゃないんだろ?あ、そうそう。因みに、お前が寄越した合鍵も、どっかのゴミ箱に捨てたから」

 俺が最後に吐き捨てた台詞に都築の肩がピクリと震えたように見えたけど、俺はそんなこと気にもしなかった。
 フイッと目線を外して窓の外を眺めれば、嫌でも目立つ高層マンションが姿を現して…あの角を曲がれば駐車場に一直線だ。
 都築が車を駐めたら即座に降りて、絶対に脱兎の如く逃げ出してやると決意する。

「ゴミは俺いらないし。残念だけど、もう俺がお前んちに行く理由もないし合鍵もないから入れな…ッ!」

 ヴォンと重低音のエグゾーストノートを響かせたウアイラは唸るようにしてスピードを上げて、上げすぎて、駐車場に曲がる道をギリギリで曲がり切ると馬鹿みたいな速度で場内に侵入し、駐車場係のお兄さんをビビらせていた。
 そしてそれは違わずに俺自身をもビビらせるには充分だった。
 角のところで遠心力に負けそうだった。
 よかった、事故らなくて…。
 ドアを叩きつけるようにして車を降りた都築にハッとして、当初ダッシュで逃げる予定だった俺は出遅れたものの、慌てて助手席のドアをヒョイッと開けると、地面に足がつくなり走り出そうとしたけど傍らに立っていた都築にヒョイッと捕まえられて、アッと言う間に肩上のヒトになってしまった。
 相変わらずの都築の奇行に慣れているのかいないのか、いまいち微妙なポーカーフェイスのお兄さんを無視した都築の肩の上から、キーが付いたままでエンジンのかかっているウアイラへ恭しく乗る横顔に、取り敢えず警察を呼んで欲しいんだけどと思ったけど、勿論口に出しては言えなかった。
 俺を肩に担いだままでエントランスにズカズカと乗り込む都築に、本来なら顔見知りのコンシェルジュのお兄さんが、やっぱり慣れているのかいないのか判らないポーカーフェイスのにこやかな笑みで挨拶なんかしてくれたけど、都築はそれを無視するから、俺が肩の上からにこやかに(それどろこじゃないんだけど)笑って頭を下げても、やっぱり迂闊に表情に出さないところはすげえなと思うよ。
 軽い重力を感じる最上階直通のエレベーターに乗ったところで、漸く俺はヤレヤレと溜め息を零しながら口を開いた。

「都築さ、一体何がしたいワケなの?」

「…」

「鈴木と恋人になるって宣言してゴニョゴニョまで俺に見せて、それから結婚もするんだろ?だったら、もう俺なんか必要ないはずだ。お前だってそう思ったから、スパンと捨てたんじゃないか。使用済みは拾わないんだろ?そのままにしておいてくれたら、俺は自分でどうとでも生きていくんだけどさ」

 ムッツリと押し黙ったまま都築は何も言わない。
 もうどうとでもしてくれていいよの猫の気持ちになりながら、俺はまた噛み殺せない遣る瀬無い溜め息を吐いた。
 都築の答えを聞く前に軽い重力を感じたらエレベーターが止まって、それから都築はやっぱり無言のままで鍵を開けてから独りには広い玄関を上がり、俺の足から靴を脱がすとポイポイッと放ってからスタスタと一直線に主寝室、都築の城に向かった。
 真っ暗な部屋に入るとすぐに電気を点けて、それから周囲を窺う隙きも与えずに俺をキングよりも広いんじゃないかと思うベッドに投げ出すんだ。
 本当にコイツ、俺のこと荷物か何かと思い込んでるよな!
 手軽に放り投げるんじゃねえッと怒り出す前に、都築の仕事机と思しきPCやモニターが並ぶ机の手前、こちらに背を向けるソファに俺が座っているみたいだ。
 この前、合鍵を捨てに来た時は確かいなかったと思ったけど…よく見れば、クッションだとか抱き枕も復活しているみたいだ。復活させなくていいのに。
 そう言えばこの前、ここでコイツ、鈴木とヤッてたんだよな。
 おんなじベッドに寝かせるとか趣味悪ぃな…とか思って、うんざりして上体を起こそうとしたってのに、俺は上から伸し掛かる都築にそのままベッドに張り付けられちまったんだ。
 なんだこれ。

「なあ、篠原。もうオレとヤッてよ」

 少し息の荒い都築は、目尻を染めてうっとりするぐらい匂い立つ色気が溢れていて、うっかりしていたら頷きそうなヤバさだと言うのに、そうはならずにゴクリと息を呑んでしまうのは、その琥珀のような色素の薄い双眸のせいだ。
 ギラギラと肉食獣みたいに獲物を見据える双眸はどこか剣呑としているくせに、渇望してやまない気配が色濃く浮かび、このままだと喉笛を食い千切られて、このケダモノが求める熱い血潮を飲み干されるような狂気じみた錯覚が脳裏に浮かぶ。
 ベロリと上唇を舐め上げて見下ろしてくる色気は半端ないけど、その双眸に浮かぶ狂おしいほどの暗い陰は背筋をゾクリと震わせるには充分なほど陰惨な雰囲気だ。

「…す、鈴木がいるだろ」

 なんとか言い逃れようと口にして身体をずらそうとするけど、都築がそれを許してくれず、俺の動きを封じようとでもするかのようにアッサリと両手を一纏めに掴まれてしまった。
 ヤバくない?この雰囲気…

「鈴木?誰だそれ」

 訝しそうに眉を寄せるも、空惚けている様子もない真剣な疑問に冷や汗が背筋を流れて、こんな状況は真っ平御免だと俺は足で都築を蹴り上げながら「鈴木雅紀だよ!」と藻掻きまくって叫んでいた。

「スズキマサキ?ああ、あんなクソビッチはどうでもいいよ…なあ、お願いだよ篠原。オレとヤッてよ。そしたらさ、オレはもうこんなに不安にはならなくなると思うんだ」

 不安?都築が一体、何をトチ狂って不安になんかなってるっていうんだよ。
 順風満帆な御曹司様がよ!しかも、鈴木のことは初心で処女だっつってたじゃねえかッ。

「せっかく設置したオレの防犯システムを、お前が全部外させただろ?あれはお前の防犯だけだけじゃなくて、オレの精神安定剤でもあったんだ。お前が何処かオレの知らないところで、誰か知らないヤツに触られてんじゃないかとか、犯られちまってるんじゃないかとか…心配なんだよ。オレは心配で心配で仕方ないんだ」

 俺に蹴り上げられても屁でもない仕草で、チュッチュッと何時の間にか熱心に語りながらも、都築は俺の首筋に口付けながら、スンスンと俺の匂いを嗅いでいて、今までで一番気持ち悪いと思った。

「バカ言え!俺だって普通の男だぞ、そんなに簡単に犯されるワケねえだろ!!」

「巫山戯んな!今日だってよく判らない連中にベタベタ触らせてたじゃねえか!…だから、もうお前をこの部屋に閉じ込めるんだ。それで寂しくないように毎日オレが抱いてやるから。だからお願いだから、オレに抱かれろよ。ほら、ココももう熱くなってるだろ?」

 とか何とか言って股間を擦り付けてくる都築に、俺史上始まって以来の最大の貞操の危機が訪れたワケなんだが、ゴリッゴリのチンコをジーンズ越しに擦り付けまくっていたくせに、不意に腕の拘束が外れたかと思うと都築はギュウッと抱きしめてきた。
 抱き締めながら頬にチュッチュッとキスするのは、何か不安から必死に逃れようとしているようにも見えるし、スンスンと匂いを嗅ぐのは通常運転のようにも思えて殴りたくなるんだけど…いやしかし、いよいよ本気で気持ち悪くなったな、コイツ。
 そんなに必死で、そんなに我武者羅にしがみついたって俺は許さないんだからな。

「鈴木のこと、初心で処女だって言ってたじゃないか。どうして今さらクソビッチなんて酷いこと言うんだよ?!」

 俺のことで有耶無耶にしようと思ってるんじゃねえだろうな。
 事と次第によっては…とか俺が考えつつも唇を尖らせていると、顔を上げた都築は、今まで見たこともないほどうっとりと双眸を細めて、嬉しそうに俺の尖らせた唇に触れるだけのキスをしてくる。
 いや、お前にキスさせるために尖らせたんじゃねえ。

「ああ、アレは嘘だから」

「なんだと…」

「オレ、お前にどうしても嫉妬して欲しくってさ。何時もオレばかりが嫉妬してヤキモキしているんだ。少しぐらいお前にも嫉妬して欲しかったんだよ。鈴木は都合のいいビッチだったから使ったんだ」

 出たぞ、人間をモノ扱いするクソ御曹司が。

「悪かったな。俺、ぜんっぜん嫉妬とかしないわ。まるで凪だわ」

「…ウソつけ。オレが贈ったキーホルダーを捨てるぐらいには嫉妬したんだろ?」

 俺の上にどっかり乗っかってニヤニヤ、ちょっとどうかと思うぐらい嬉しそうに笑う都築に…そうか、その方向性で考えることにして捨てられたショックを遣り過したんだな。

「残念だが違うな。お前がゴミクズみたいに俺の合鍵を投げ捨てたからお返しをしただけだよ」

「投げ捨ててない。投げただけだ。お前の運動神経が悪くて落としただけだろ」

 俺の胸の上でブツブツ言う都築が重くって身体の下から這い出ようとした。するとサッと顔色を変えると慌ててさせまいとギュッと抱きしめてくるから、「重いんだよッ」と言ってその背中をポンポンと軽く叩いてやったらちょっと安心したのか、でも疑心暗鬼で疑い深そうな目付きのまま、ちょっとでも逃げる素振りがあればすぐに捕まえるぞの構えでこっちを見てるけど、もう逃げ出す気もなければ帰る気もなくなったので、この際ジックリと話しを聞いてやろうと、腕を組んで胡座を掻く俺に都築は漸く安心したみたいだった。

「ぐぬぬぬ…運動音痴って言うな!それよりも、あの合鍵、マスターキーだったじゃねえかッ。なんで都築が持ってるんだよ??!」

 マスターキーとは本来、確か大家が持ってるんじゃなかったかな。それか、管理会社が持っているはずだぞ。俺が鍵を替えた時には、管理会社の担当の人に連絡してマスターキーを渡したと記憶しているんだけど。

「…オレの持ち物件になったからだ」

「は?」

「アレはオレのだから、返して欲しい」

 お前がいらないって捨てたのに今さら返すかよ…じゃなかった、ちょっと待て。今、何やら不穏で聞き捨てならない言葉が耳に飛び込んできたと思うんだけど、俺の気のせいかな?

「お前がいらないって言ったから返さない。で、持ち物件てなんだ?」

「いらないとは言ってない。今は必要ないから一先ず預けると言っただけだ」

 言葉数だな、お前に決定的に足らないのは言葉数と説明だと思う。
 でも知らなかったな、『必要ないから返す』の言葉の中に、『今は』と『一先ず預ける』が含まれるとか、日本語って難しいな…ってそんなワケあるか!

「…持ち物件ってなんだよ?」

 うんざりして前言を無視した俺に、都築はベッドの上に俺と同じように胡座を掻くと、ムッツリと口を尖らせて肩を竦めたみたいだ。

「返してくれるなら話す」

 交換条件とか都築のくせに生意気だな。
 ジリジリと睨み合ってもこの場合、勝者は都築ってことになる。と言うのは何故かと言うと、都築はそれこそ視姦レベル並に俺のことをジックリ見据えるのが(それでイロイロ妄想するのが)大好きなヤツなんだ。半端な気持ちで睨めっこしても必ず俺が負ける。

「ッ」

 ぐぬぬぬ…っと歯噛みして軽く睨みながら、都築がベッドの脇に落としていた俺のデイバックを拾い上げてから、大事なものを仕舞っているジッパー付きのポケットを開けて、某有名ネズミのキーホルダーを取り出した時だけ、ムッツリ不機嫌ヅラだった都築は何処か痛いような表情で息を呑んだみたいだった。
 それで溜飲は下がらなかったけど、俺は努めてなんでもないことみたいにマスターキーを外してから手渡した。
 ネズミーランドのお土産らしいけど、何時もより軽い感触は手に馴染まないってのも秘密だ。
 マスターキーを、と言うより、俺の手の中で所在なさげに揺れるネズミのキーホルダーをチラチラ見ながら、都築は少し下唇を噛んだみたいだった。俺はそれを見ないふりをして、わざとブウブウ言ってジッパーの中にネズミを滑り落とした。

「で?持ち物件てのは?」

「…あのアパートはオレが買い取ったんだ。だからオレがオーナーで大家ってワケだ」

「ぶっは!…おま、お前、なに考えてんだよ?!」

「嫁が住むところぐらい本来ならオレが用意するべきなんだよ。でもお前はオレとは住まないって言うし、じゃあマンションでもと思ってたら何もいらないとか言いやがるからさ。だからあのアパートを丸ごと買った。左右に男が住んでいるのも気に食わなかったし、水商売のあの女、時々お前に色目を遣っていたからムカついてたんだ。今は左右と下の部屋は空き部屋で、その他の部屋にはツヅキ・アルティメットの連中を常駐させている」

 だからもう危険もなくなって今は安心だと、都築は何やら上機嫌で常軌を逸した発言をぶちかましている。
 えっと、俺は今、どんな顔をしたらいいんだ??
 ええーっと、水商売のあの綺麗なお姉さんは俺じゃない、お前に色目を遣ってたんだよ?お前、全く相手しないし、俺に変態言動とか行動とか取るばっかりに、お姉さん、どっか冷めたような勿体無さそうな目付きをしてたのにも気付かなかったんだな。
 俺もお前があのアパートを買ってたなんてちっとも気付かなかった!
 それで最近、誰にも出食わさないしウアイラのエグゾーストノートが聞こえるぐらい静かだったのか…

「都築って…本当に御曹司だったんだな」

「御曹司じゃなくても家は買うだろ?」

 何を言ってるんだ?とでも言いたそうな顔で首を傾げるが、規模が違うんだよね、規模が。

「あ、因みに俺はもう嫁じゃないからな。外でヘンなこと言うなよ」

 そうそう、何時の間にかちゃっかり言い方を元に戻している都築にはちゃんと釘を刺しておかないとな。

「…は?オレの嫁はお前だけだ。何を言ってるんだ?」

 怪訝そうに眉を顰める都築の、何いってんだコイツ色をした胡散臭げな琥珀の双眸を、今すぐ目潰ししたい。

「あのさ、お前いっかい病院に行ったほうがいいと思うんだよね。俺が男だとかそう言うことはこの際大目に見ても、鈴木と結婚するんだから嫁か旦那かは判らないけど、伴侶になるのは鈴木だろ?」

「アイツはただの業務上のパートナーだぞ。公私ともにパートナーとなる嫁はお前だけだ」

 何を言ってるんだコイツ、みたいな顔つきもやめろ。
 その表情は本来、最初から最後まで俺が浮かべておくものだ。

「お前鈴木と結婚するって…」

「え?そんなこと言ったか??…ああ!アレは言い間違いだな。あの時はカッカしてたからさ…鈴木と契約することにしたって言ったつもりだったんだよ。だから、恋人とかそんなのはウソだし、でもお前には言ってなかったから、業務上のパートナーなら問題ないだろって、もう怒らずに許してくれてもいいんじゃないかって言いたかっただけだ」

 それで恋人から結婚に昇格とかワケの判らないことを言っていたのかとか、都築はブツブツ言いながら、誤解が解けたんだからまた一緒にいるもんだと思っている口調でホッとしているみたいだった。
 そうは問屋が卸すかよ。

「お前、俺に鈴木と結婚してもいいのかみたいに聞いていたのはどう言うことだよ」

「だから結婚じゃないって!鈴木とは寝ていただろ?職場も一緒で、これから出張なんかにも一緒に行くワケだから浮気とか心配するんじゃないのかって思ってさ。だから、鈴木と契約しても本当にいいのかって聞いたつもりだ」

「……」

 『オレと鈴木が結婚してもいいのか(一部語弊らしい)』の中に、『職場と出張が一緒』と『浮気を心配』の言葉が含まれるなん…て、もういい、もういいよ都築。
 たぶんきっと、頭を抱えてウガーッとなった時点で、俺の完全な敗北だと思う。
 諦めたほうが負けなんだ。
 俺は思い切り脱力して都築を見上げた。

「嫁とか結婚とか巫山戯んなって思ってるけどさ。お前の場合、どんなに大事なヤツができたところで、その浮気性は一生治らないんじゃないのか?だったら、別に業務上有利なら鈴木とパートナー契約を取るべきだと俺は思うけどね」

「…ふぅん。まあ、嫁がいいって言うなら鈴木に決めるか」

 ブツクサと面倒臭そうに言った都築はでも、徐に顔を上げてジックリと俺を獰猛そうな双眸を細めて見据えながら、獲物を狙う肉食獣のようにひっそりと呟くように言ったんだ。

「でも、浮気性は聞き捨てならない。オレはお前とセックスできるのなら、もう誰も抱かなくても満足するんだ。オレが浮気症だと言うなら、それは抱かせてくれない篠原のせいだ」

「ぶっは!」

 何時から俺がお前にアンアンうっふんって言って抱かれる立場になったんだよ!
 永遠にお断りだね。
 尻に指を突っ込まれても、フェラしたりされたりしても、睡眠学習とか言って悪戯されても、尻に何か突っ込まれるのと突っ込まれないのとじゃ大きく違うんだ。絶対にそれだけは拒み続けてみせる。

「…ゲホゲホッ。そんな話はもういいよ。ところで都築さ」

「なんだよ」

 そんな話と言われて、自分的には深刻なのにと思っているのか、不機嫌そうに唇を尖らせる都築のヤツに、俺はちょっと前から疑問に思っていたことを聞いてみる。

「どうして俺のこと見なかったんだ?何時もは馬鹿みたいに凝視してきてたのに」

 馬鹿とは何だよとブツブツ悪態を吐く都築は、それでもちょっとしょんぼりしたみたいに目線を落として唇を噛んだみたいだった。

「…お前が、オレのことを軽蔑する目を見たくなかったんだ。アレはすげえ辛かった。心臓が抉られるってのを初めて感じたよ。もう一度あんな目で見られたら、オレはきっと、間違いなく死ぬんだろうと思った」

 キーホルダーをゴミ箱に捨てる時に、今生の別れだと思っていたから、これ以上はないぐらい都築を傷付けてやろうと思って蔑んでたんだよな、確か。
 結局、またしても俺が折れて話し合いの場についてしまったワケだけども。

「もう二度と、あんな目は見たくないと思ったら、お前の顔を見られなくなった。見たくて仕方ないのに、見る勇気がなかった…でも」

 都築はそこで言葉を切ると、悔しそうな悲しそうな表情をして、俺の顔を覗き込んできた。

「お前、他学部の連中と仲良くなって、今までそんなに興味もなかったクセに合コンなんかに行きやがって!防犯グッズも持っていないのに、オレの手から擦り抜けるみたいに、他の誰かのモノになろうとしていると思ったら、そんなこと考えることもできずにウアイラを飛ばしていたよ。お前が楽しそうに笑っている顔を見るのは好きだった。でもその先にいるのはオレじゃなくて、知らないヤツなんだ。気付いたら合コン会場の居酒屋に乗り込んでてお前の顔をジックリ見られるようになっていた」

 連れ去って良かったとホッとしたように呟く都築に、俺はガックリと項垂れたくなる溜め息を吐きながら尻ポケットに捩じ込まれたクチャクチャの1万円札を取り出した。この1万円札はあの時の都築の必死さの現れみたいにクチャクチャで、俺は思わず笑いたくなっていた。

「この1万円は返すよ。あの合コンは、もう帰ろうと思ってたところだったしさ」

 クチャクチャを何度も伸ばして皺をなくそうとしながら口を尖らせると、都築はその札をジッと見下ろしてから、首を左右に振ったみたいだ。

「それは返さなくていい…ただ、これは貰ってくれ」

 ポケットにもう、ずっと突っ込んでいたのか、目線を彷徨わせていた都築はその目線を下げたままでオズオズと大きな掌に握り込んでいる何かをチャラッと差し出してきた。
 大方の予想は当たっているとは思うけど、俺はヤレヤレと半ば諦めたみたいに溜め息を零してから、大きな都築の握り拳の下に掌を差し出した。
 ほんの少し、見落としてしまいそうなほど微かに震えている拳が開いて、銀色に煌めくプラチナの塊がシャラシャラと綺麗な音を立てて俺の掌の上に落とされた。
 俺のこと、好きでもタイプでもないくせに捨てられたって泣くほど傷付いて、俺の嫉妬心を欲しがったり、一途に真摯に俺を抱きたいと切望したり、そして何はなくてもこのプラチナの塊たちをどんなことがあっても持たせておきたいなんてさ…ホント、呆れるほど言ってることと行動が伴わないんだよな、都築は。
 俺が大事なものを淹れているポケットを開いてネズミーランド土産の某有名ネズミのキーホルダーから外した俺んちの合鍵を、プラチナの月と星のチャームとアイビーとダイアモンドの指輪みたいな意匠の塊がシャラシャラと揺れるキーホルダー、あの日一緒に捨てた都築んちの合鍵のその傍らに加えると、俺んちの合鍵があるべきところにおさまったとでも言うように当然そうにカチャリと音を立ててぶら下がった。
 手に馴染むキーホルダーの不在は、どうやら思う以上に俺にもダメージを与えていたみたいだ。
 仕方ない、こればかりは認めるしかないのか。
 不意に手に馴染んだプラチナのキーホルダーを眺めている俺の前で、都築が脱兎の如き速さでネズミのキーホルダーを奪い取ると、もうつけさせるワケにはいかないんだと主張する勢いでゴミ箱に捨ててしまった。その上から、よく判らないゴミみたいなものを大量に入れて隠してしまう。
 …。

「…お前さぁ、大人げないよね。それ、ミッキーのネズミーランド土産なのに」

「なんとでも言え。キーホルダーなんか篠原には必要ない」

 他人のモノを勝手に捨てるとか…大人げなさすぎだろ。

「あーあ、属さんか興梠さんに、お前が俺を好きって言わせるまで戻らないつもりだったのにさ」

「…なんだそれ」

「お前、絶対に俺のこと好きとかタイプとか言わないだろ?だから、言わせることを条件にしてたんだよ」

 都築は暫く考えるように目線を上げてから、チラッと俺を見下ろして漸くデフォルトの仏頂面で頷いた。

「…お前がオレに抱かれるなら言ってもいいぞ」

「はぁ?絶対に嫌だ!死んでも嫌だ!!」

 だいたい、最初から言わせる予定のない賭けだったってのに、どうして自分の貞操を捧げてまでそんな気持ち悪い台詞を聞かなくちゃならないんだ。
 頭を下げて今までどおりにしてくださいって、言いたくない言葉をいやぁ~なツラをして渋々言いつつお願いするのはそっちだろうが。

「どうしてだよ?!もう精液だって飲んでる仲なのに…ッ」

 不意に都築が、珍しく尻窄みに言い淀む。
 目線が泳ぐのは、僅かに感じさせる「しまった」感だ。

「…は?俺、お前の精液なんか飲んでないぞ。口には出されたけど吐き出したしな。そんな気持ち悪い仲なんて…って、おい。なんで目を逸してんだ?お前、何か隠してるな!」

「別に何も隠してない。言い間違えたんだ」

 目線を逸して仏頂面に言い募る都築は怪しい。
 非常に怪しいぞ。

「ウソつけ、ならどうしてこっちを見ないんだ。俺の目を見て言え」

 何時もなら下からグイッと覗き込めば、何事かと驚きつつも機嫌よくジックリ見下ろして俺にダメージを与えてくるほどの男が、敢えて目線を泳がせて俺から顔を背けるのはおかしいよね。

「間違えただけだって」

 都築はさっきの話しに出た語弊をうまく使おうとしていて失敗している…と言うことは、アレは本当に語弊だったんだな。誤魔化すのが子どもレベルに下手だ。
 誤魔化してるってことは、ははーん、コイツまた夜だな。
 睡眠学習だろ!

「お前、まさか…」

「別にスムージーには…」

 またしても俺に睡眠学習をさせてたんだろ、気持ち悪い!って言うつもりだったんだ。
 そうだって、確信していた。確信していたのに…なんだと?

「俺が寝てる間に…って、今なんか思い切り不審なこと言わなかったか??!」

「言ってない!言ってないッ」

 俺が都築の胸ぐらを掴んでその大きな身体に伸し掛かると、若干嬉しそうな気持ち悪い顔をするものの、都築は必死に否定する。
 否定しながら俺の尻を両手で掴んでくるな。

「…まさかお前、スムージーに精液を混ぜてたんじゃないだろうな」

 あ、そっちの言い訳があったかみたいな閃いた顔をした時点でゲロッてるぞ、都築。
 俺にコイツの精液を飲ませる方法としたら、寝てる間の悪戯か都築の手製のモノで口にするぐらいだ…となるとスムージーが怪しいに決まってる!
 朝が弱くて寝穢い都築にしては珍しく、早起きしてせっせと作ってくれていた、いいヤツだなって見直してたっていうのに!!
 目線を外らせて絶対に言わない態度で俺の尻の感触を確かめるように揉むな。

「都築、確認するが。お前が来ない間、興梠さんが持って来てくれていたあのスムージーには、まさか興梠さんの…」

「違う!全部オレのだ…ッ」

 ハッとする都築の墓穴に、脳裏に過るのはタッパーに入っていたあのシャーベットみたいな白い塊。
 よく思い出せば、凍ったバナナとかイチゴとかベリーとか白いシャーベットの塊と一緒に、ヨーグルトをドバドバ入れてたな。ヨーグルト、カップから入れてたな…

「都築、どうして精液をスムージーに入れようとか気持ち悪いことを考えたんだ?」

 人間、自分の予想を遥かに超える出来事に遭遇すると、怒鳴ったり喚いたりできるもんじゃないんだなと身に沁みて思ったよ。
 俺は遠い目でニッコリ笑って首を傾げた。

「…お前がなかなかフェラしてくれないし、寝てても嫌がる。飲むなんて言語道断、まるで親の仇みたいな目で見たから、判らなくしてしまえば飲んでくれるんじゃないかと思ったんだよ。精液には幸福感を与える成分が含まれていて抗うつ効果もあるし、妊娠状態を安定化させて、安産に導く効果とかもあるんだ。その、何時か男同士でも妊娠出産が可能になった時にお前が妊娠しやすくなるんじゃないかって…」

 都築はぼんやりと俺の笑顔を見て許されたと安心したのか、ジックリうっとりと見下ろしながらベラベラとゲロッてくる。
 じゃあ、お前は俺の精液が飲めるのかよ?!って聞いたら、都築はなんだかアッサリとうんとか言いそうで、そんな薄ら寒くて気持ち悪いことが売り言葉に買い言葉ではけして言えやしないと思った俺は、更に意識が遠のくような遠い目をしてブツブツ言うしかないだろ。

「へええぇ…そっか。精液には抗うつ効果があって妊娠出産に有利になるから俺に飲ませようと思ったのに素直に飲まないしフェラしない俺が悪いのか。だったら都築がスムージーに精液を混ぜるなんて気持ち悪い真似しても仕方ないんだな。今後二度とお前の作る飲食物に手を出さないって心の奥底から決めた!信じられん…お前とは当分口を利かないッ」

 ガバッと跳ね起きて、そのままデイバッグを掴むと脱兎の如く逃げ出す俺を、ニッコリ笑顔にうっとりしていて出足が遅れた都築が、何故かジーンズのジッパーを上げてベルトを締めつつ追いかけてくる。
 気付いたら俺のジーンズが下ろされて半ケツしてんじゃねえか!

「待てよ!」

 …って言われて待つ獲物なんかいないだろ!

「気持ち悪い気持ち悪い!追いかけてくんなッ!!」

「嫌だね!何が気持ち悪いんだよ?!夫婦なら当然のことじゃねえかッ」

 エレベーターのボタンをダカダカ押しまくる俺に、オートロックの玄関の鍵は無視して、背後から追いついた都築がエレベーターのドアに掌をバンッと押し当てた。
 話題の壁ドンか!気持ち悪いッ。
 エレベーターのドアドンが正しいけどなッ。

「夫婦じゃないって言ってんだろ!100万歩譲って夫婦だったとしても、俺に無断で体液を飲ませるのは立派な犯罪なんだからなッ」

 チーンッと軽やかな音を響かせてエレベーターが登場したので、プリプリ腹立たしげに言った俺が乗り込むと、何故か都築まで後に続いて乗り込んでくる。

「無断じゃない!オレは健康にいいモノを飲ませてやるってちゃんとお前に言ったはずだ」

「聞いてない!」

「じゃあ、聞いてないお前が悪いんだ!」

 とかゴチャゴチャ言い合っている間に、音もなく停止階を報せるチンッと言う音と共に軽やかに開いたエレベーターからは、最初は魔獣よりも恐ろしい形相で青褪めた俺を抱えて入って行ったのに、何時間後かには自分の足で歩いて青褪めたまま「都築が悪い!この変態ッ」とギャーギャー喚きながら怒り心頭の面持ちで降りる俺と、その後を追って魔獣ではなく仏頂面の猫レベルの面持ちで「変態で上等だ!だったらもう遠慮しないからな、今度はフレッシュを飲ませてやるッ」とか意味不明の宣言をしながら出てくる、とは言え思い留まらせようと必死な御曹司の珍妙な本日の行為に、コンシェルジュのお兄さんはにっこりポーカーフェイスを決めているんだけど、きっと心のSNSには『コンシェルジュは見た!』とかのタイトルで炎上ブログが掲載されていることは間違いないと確信した…トホホホ。

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●事例19.毎日作ってくれるスムージーに精液を入れる
 回答:お前がなかなかフェラしてくれないし、寝てても嫌がる。飲むなんて言語道断、まるで親の仇みたいな目で見たから、判らなくしてしまえば飲んでくれるんじゃないかと思ったんだよ。精液には幸福感を与える成分が含まれていて抗うつ効果もあるし、妊娠状態を安定化させて、安産に導く効果とかもあるんだ。その、何時か男同士でも妊娠出産が可能になった時にお前が妊娠しやすくなるんじゃないかって
 結果と対策:そっか。精液には抗うつ効果があって妊娠出産に有利になるから俺に飲ませようと思ったのに素直に飲まないしフェラしない俺が悪いのか。だったら都築がスムージーに精液を混ぜるなんて気持ち悪い真似しても仕方ないんだな。今後二度とお前の作る飲食物に手を出さないって心の奥底から決めた!