3  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 漸く朝陽が射す眠りから覚めたばかりの清廉な空気が漂う夜明け、木の上で目が覚めてからスルスルと降りて、んーっと伸びをしつつ欠伸で頭と身体を目覚めさせた俺は、重さを感じさせないリュックを改めて背負い直してまずは川を探す旅を再開した。
 道中、耳を傾けて気配を探ってみたり、甘味が欲しくて見上げた果物が、果たして喰えるのかどうか判らなくても、無謀に手を伸ばして酸っぱさに失敗したり、甘くて正解だったりを繰り返しながら、お昼も半ばで漸く小川を見つけることができた。
 湖を探しても良かったんだろうけど、こう言う森林には湧き水とか清流のせせらぎとかそう言った水場が定番だから、探し易いと言ったら断然こっちのような気がする。
 一息吐いて何かの動物の皮を鞣して作った革の水筒に透明度の高い水を入れて…まあ生前の俺なら煮沸しなくっちゃとか思うけど、そもそも、湖から引いた水をがふがふ飲んでいたのに今更煮沸とかねーわって鼻で笑っちまう。
 こう言った小川の辺りにあるって魔女のばーさんが言ってたはずなんだけど…水を補給してから、荷物は絶対手放さないがモットーだからリュックは背負ったままで探索したら。

「やった、見つけた!ルべの実ゲッツー」

 テッテレー、真っ赤なルべの実大発見!
 あまりお目にかかれないから少し諦めてたルべの実、水辺に偶に群生してるから何かの際には役立てろって魔女のばーさんが教えてくれてたんだよ。
 ルべの実は真っ赤なルビーみたいな透明度のある変わった実で、南天みたいにふさ状に生っている。向こうの指が透けて見える透明度なのに、ナイフで切ると中身は小さな黒い粒の種が並ぶ白い果肉が収まってて、切ると向こうの指が見えない不透明になるって代物で、たぶん、魔力とかそんな関係の不思議な実だ。
 もう一つ不思議なのが、皮は真っ赤なのに実は白い、そのまま喰えば瑞々しくて甘い桃のような食感と味がする、なのに、潰すと真っ黒になって喰うとめちゃくちゃ酸っぱくて生臭い喰えたモンじゃないダークマターになるんだよな。
 どちらも匂いは桃みたいに美味しそうなのにだ。
 そしてこのルべの実、潰して黒くしたモノを髪の根本から塗りたくると、黒く染まるし、クリーンの魔法を使わない限りは生えてくる新しい髪も染まったままになると言う。
 賢明な俺は気付いたんだ。陽光を弾くほどキラキラとした蜂蜜色の金髪だし、ばーさんの話しでは真っ黒には染まらないんだとか、だけどじゃあ茶金?茶髪っぽくはなるんじゃなかろうか。だったら逃亡中の身なんだからいっそ染めちゃってよくない?ってことにな。
 染めよう、勿忘草を閉じ込めたような水晶の双眸を変化することはできなくても、目に痛い、思わずギャーと両目を押さえたくなる凶器にもなる筈の金髪は良くも悪くも目立つから。
 目が醒めて桶の上に掛けられた鏡の中の自分を見た時、ギャーッて両目を押さえたからな俺。まだ夜も明けてない夜中でその威力だ、真昼間の逢瀬によくぞ耐えるな商人熊よ。
 何が言いたいかって言うとだな、つまり逃亡中の身にこの容貌は危険ってワケだ。
 気前よく大量に収穫したら、よく熟れたモノと傷があるモノは避けて俺の腹に入れ、熟れ切らないルビーたちを薬草を乾燥させる時に敷く布の上に並べて、実が持つ水分をある程度飛ばしたら乳鉢でゴリゴリ潰していく。ドロリとした真っ黒い桃みたいな匂いのする液体ができたら完成だ。そうしたら、川辺だから此処で染めていこう。
 先ずは乾燥が優先だから、その間俺は背負っていた弓を手にしてハントに赴いちゃうんだぜ。
 ルべの実を動物に奪われると困るから、動物虫避けの薬を周りに撒いておく。ルべの実は何故か一粒ずつ並べると鳥避けになるので、理由は判らんが鳥は警戒しなくていい。
 準備が済んだら此処を探す間に幾つか感じた小動物の気配があったから、先ずはそのポイントまで行って狙ってみよう。
 ちょうど良さそうな茂みに身を潜めて、狩りの基本は隠密行動が第一だ。自然と一体化するほど息を殺して気配を隠さないと、特に敏感な野生の小動物たちはすぐさま逃げてしまうからな。
 構えたらすぐ矢を放つ、これができないと今日は坊主を覚悟しないといけないってワケ。
 フードを目深に被って茂みからジッと、恐らく小動物の通り道と思しき獣道を見詰める。
 暫く膠着状態が続いて諦めかけた時、ふと、獣道にピョンっと何かが飛び出してきた。
 野生のウサギだ!魔生物化してて独特の臭みがあるけど、焼くとジューシーで豚みたいな味わいが期待できる美味しいお肉が来た。狩りたい!
 何らかの気配、言わずもがなの俺だが、気になるのか後ろ足で立って鼻をひくつかせている。ふふふ、残念だったな、俺は風下にいる。
 フィラの身体能力を測るにも、俺との互換が何処まであるのかを知るにも、これはいいチャンスだと思う。
 既に茂みに潜んでいる時から矢はつがえている。
 野生のウサギは一旦地面に両前足をついてスンスンと周囲の様子を窺っているけど、再度立ち上がって気配を確認しようとした。
 今だ!
 俺は茂みから上体を起こすなりつがえた矢を野生のウサギめがけて射った。
 ピギュッと耳障りな甲高い声を上げて倒れた野生のウサギの喉元に、鋭く尖らせた矢が食い込んでいた。取り敢えず武器の作成は成功だ。
 それよりも俺は、茂みからゆっくりと出ると、矢を放つために指抜きした黒い手袋を嵌めた両手を見下ろした。
 俺は、俺はさ、転生だなんだって言いながらもたぶん何かの拍子にフィラ・セントってヤツの身体に憑依しただけの、間抜けなただのおっさんだと思っていた。
 だから魂と身体の互換性とか、馴染まないとなとか、勝手に考えていたんだ。
 でも矢を放った瞬間に感じたのは、若さはあるものの馴染み深いあの一体感…何が憑依だ。俺はきっとフィラ・セントと言う、綺麗なばっかりにいろんなヤツの身勝手な思惑に翻弄されるしかなかった、あの哀れなキャラに転生したんだ。いや、キャラってのもおかしな話だ。
 ゲームの中ならシナリオの絶対的な強制力には敵わないはずじゃないか?何故なら、既に道順ができているし、攻略対象に選択の余地なんかない筈だから。ゲームの世界は絶対的な主人公の世界で、それよりも重要視されるのは作者が書いた決められた設定どおりに動くシナリオの世界だ。
 俺なんかが飛び出せる世界じゃない…と言うことは、もしかしたらこの世界は乙女ゲームの世界を準えた何処か別の次元にある世界の話しなのか?
 そう思えば辻褄も合うよな。この世界のことを夢か何かで知ったクリエイターが、自分の趣味と売れる作品を目指して、本来関わることのなかった連中にそれぞれの役割を与えて人生を捻じ曲げた…この世界は外部からの、この場合はクリエイターだろうな、その身勝手なヤツからの強烈な干渉によって歪みが発生して、運命が引き摺られているとかだったらどうしよう。
 つまりだ、乙女ゲームの世界を準えた別次元の世界ではなく、乙女ゲームの世界に引き摺られた縁もゆかりもない何処かの次元にひっそりと息づくただの世界だったら…俺がいた地球のような何の変哲もなかった筈の…よし、祖父さまに教わった解体作業を試してみよう。魔生物化したとは言え生き物だし森の恵みだ、折角なら早めに処理して有難く美味しく頂きたい。
 考えるの放棄だからな!
 野生のウサギが1羽でも手に入ったから、欲はかかずに今日はこれで狩りは終了しよう。解体したら、丁度ルべの実の乾燥も完了してるだろう。
 …でもまあ、恐るべし乙女ゲームの世界だな。闇が深すぎておっさんの許容範囲は軽く限界突破だよ。