10  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 もうこうなったら早く出発したいなーとか思っていたけど、何やら打ち拉がれていた2人が気を取り直したので、ルードさんと俺の分のフィラ特製薬草サンドウィッチと特製薬草スープを作り直そうと、魔硝石を取り出したら、ルードさんが魔法で火を熾してくれた。やっぱ、生活魔法って便利でいいよなー
 まずは腹拵えをしないとだ!

「ルードさん、有難う」

「…ルードでいい」

「そっか!じゃあルード、有難う」

 ルードがまた顔を押さえて俯くけど、もうあまり気にしないことにした。俺のファンらしいから、また名前を呼び捨てにされた嬉しいってのが理由の奇行だろ。

「…新婚みたいだ」

 ボソッとルードが何か言ったけど、ちょうど俺は鍋を掻き回していたからよく聞き取れなくて、ただカルツェさんがまた顎に梅干しを作ってるから、下らないことなんだろうと無視することにして料理を続けた。別に俺に振られた会話でもないだろうしね。

「因みにオレもカルツェでいいよ。あと、その食べ物オレにちょうだい。お礼にこれを差し上げます」

 やっぱり気を取り直したカルツェさん、いやカルツェが腰に下げてるルードと同じ大きさのマジックバッグから湯気の立つ木のボウルを取り出して、ザクザクとサンドウィッチを切り分けた俺に手渡してきた。

「うん、判った…ってこれはシチュー?」

「そうそう!帝都で人気の行き付けの店でさ、旅用に買っておいたギウモのシチューなんだ。これよりもっとフィラの飯の方が美味いんだけど、交換して欲しいんだよね」

 野生のウサギと違ってギウモは歴とした魔物だ。
 見た目はティラノサウルスにそっくりで、BやAランクパーティーとかSランク以上がソロで狩る大型の恐竜と思えばいいかな。
 肉も味も牛にそっくりで、めちゃくちゃお高級なお肉なんだぞ。何故牛肉って判るかって言うとだな、魔女のばーさんが子どもの頃に食わせてくれた記憶がポンッと蘇ってきたワケだ。リィンティルにも嬉しいプレゼントだったんだろう。鮮明な記憶が牛肉の味と喜びを思い出せてくれる、口いっぱいに…これ喰っていいのか?う、久し振りの牛肉風味のお肉にタリッと涎が…

「本当にこれ喰っていいのか?俺のサンドウィッチなんて材料ならいっぱいあるから大丈夫なんだけど…」

 材料、道端の薬草と何処にでもいる野生のウサギだぞ。

「うん、遠慮なく喰って喰って」

「うわぁぁ…有難う!ギウモすごい」

 両手で凄い量のシチューを掲げて喜ぶ俺を、じっと見ていたルードが徐にマジックバッグを開いた。
 てっきりルードもお礼に何か食べ物をくれると思ったんだけど…うん、食べ物ではあるんだけど、まさか巨大な肉の塊をくれるとは思わないよね。

「ギウモの肉だ。そんなに好きならたくさん喰え」

 これは凄すぎるから受け取れないよ!…とかって普通なら言うと思うだろ?遠慮がちな日本人ならそうだろう。だが、俺は遠慮を忘れた異世界で生きる、前世日本人だったこの世界の人間だ!

「うわぁー、ルードも有難う!今夜からご飯が豪華になる!嬉しい嬉しい!ギウモ最高ッッ」

 ちゃっかりシチューを避けて、両手で重い肉を受け取ると細腕で頭上に高々と掲げ、テッテレー、俺様はギウモのお肉(お高級)を手に入れた!
 これ、本当に凄いんだぞ。米沢牛のサーロインが1kgで4万円だったと思うけど、ギウモのサーロインは1kgで15万ティンなんだ、15万!円換算でも15万円!こんなお肉が…って思うだろうけど、このお肉を狩るために冒険者は命懸けで戦うんだ。森と冒険者、この場合はたぶんルードに感謝!
 ふぉぉ……これ2、3kgぐらいあるんじゃないか?マジックバッグに収納すれば長期間保存もできるし、何日ぐらい喰えるかな。もちろん、ルードたちにも振る舞うから食べ方はやっぱステーキだよね。

「今夜はステーキがいいと思うんだけど、いいかな?!」

 お肉を綺麗なシートの上に置いて確りと両手を合わせて拝むと思い切り涎でも垂らしそうな勢いで嬉々として振り返ったら、何故かルードは片手で顔を覆って天を仰いで震えてるし、カルツェに至っては両手で顔を覆って肩を落としてる。
 なんなんだ、この光景は?!
 俺がギウモのお肉に狂喜乱舞してる間に何が起こったんだ??!

「る、ルード?カルツェもどうしたんだ…?」

「……あのさぁ、まあもう迂闊さはこの際見逃すとして、ギウモそんなに喰いたかったんだ」

 え?それがそんなガックリして聞きたいことなのか?…えっと、そりゃまあ、牛肉久し振りだしすげー楽しみだけど、この世界の住人に地球の牛肉のこと言っても判らんだろうしなぁ、説明が困ったぞ。

「えっと、ずっと肉と言えば乾燥肉だったし、この旅に出てやっと焼いた肉を食べたけど、俺の実力だと野生のウサギか野生のイノシシが限界だったから、こんな高級な肉はほぼ初めてで凄く嬉しかったんだ。ルード、カルツェ、だからホントに有難う」

 もじもじ手遊びしてぶつぶつ言い訳してから、恐る恐る見上げた2人に本当に感謝して礼を言ったのに、呆気に取られたように俺を見ていた2人がまた顔を覆って震えてる。

「…………たくさん喰え。幾らでも狩ってくる」

「いっぱい喰ってくれ。なんならそれ全部フィラが喰っていい」

 震える声でそんなことを言ってくれるけど、あれ?今俺ってものすごく食い意地が張ってると思われてないか?!

「ち、違うんだ!いや…違わないけど、えっと、魔女のばーちゃんが一度だけ子どもの頃にギウモの肉を喰わせてくれたんだけど、それが凄く美味しかったから、純粋に嬉しいだけなんだ!別に独り占めしたいとか、そんなんじゃないんだよ!俺別にそんなに食い意地が張ってるワケじゃねんだ、ホントだよ?」

 慌てて項垂れるルードにぴったり近付いて顔を覗き込みながら首を傾げつつ必死で言い訳してたら、確かにオレの方が遠いけど、その仕草と声とその容姿でルードに近付くなんてホント…と言ったきり溜め息を吐いたカルツェが泣きそうな顔をして首を左右に振っている。
 不意にバッと顔を上げたルードがガシッと俺の両頬を、それでもやんわりと掴んではいるけどビビるよね。掴んだままで、強いルビーのような双眸で顔を覗き込まれてちょっとドキドキした。
 ルードは美丈夫でイケメンだからさ。

「ちょ、おい、ルード!」

「たった一度しか喰ったことがないのか?」

 日本にいた頃は牛肉もよく喰ってたけど、魔女のばーさんは貧乏だったし、突然子どもひとり養うことになったんだから、一度でも喰わせてくれたのはこんな俺でも大事にしてくれていたからだ。
 魔女のばーさんの優しさを忘れたことなんてない。

「うん、でも一度でもちゃんと喰わせてくれたから、俺はばーちゃんに感謝してる」

「そうか、判った」

 何が判ったのかよく判らなかったけど、ルードは満足したように俺のマシュマロモチハダほっぺをふにふに堪能して離してくれた。
 今の会話で俺のほっぺを堪能する必要あったか?
 あれ?と首を傾げていると、慌ててルードを留めようとしていたカルツェが盛大な溜め息を吐いて、頭が痛いみたいに片手を額に当てながらやっぱり項垂れたみたいだ。

「迂闊大王を任命する」

「は?何で?!」

「胸に手を当てて小一時間ぐらい考えろ」

「??!」

 いつかお前が望むと望まざるとルードに手篭めにされるから、そうなって後悔しても知らないからなとか、項垂れて顎に梅干しを作ってたカルツェはそんなワケの判らんことを言い捨てて、それからもう知らんと言って俺の特製薬草サンドウィッチに齧り付いた。
 待て、お前さっき喰ったんじゃ…って言いかけたけど、同じく齧り付いたルードが感動したようにルビーみたいな紅玉の双眸をキラキラなんかさせるから、突っ込みどころを見失って、仕方なく野生のウサギのスパイシー串焼肉と薬草スープを2人に差し出した。
 そういう俺は大事なギウモのお肉(お高級)を大切にリュックに仕舞ってから…この大きさはオオバオの葉で包めないからそのまま入れるけど、どう言う仕組みか皆目見当もつかないが取り出した時は新鮮で綺麗だから本当はそのまま入れてもいいんだけどなんとなくね…お肉を仕舞ってから俺はカルツェがくれたギウモシチューに舌鼓を打ったってワケだ。
 ふぅおー!これ普通にビーフシチューだ、うめぇ。
 木製のボウルに木製のスプーンが素朴でいい感じだし、ブラウンソースをフォンドボーでさらに煮詰めたデミグラスソースが濃厚で野菜もお肉もほろほろでコクのあるスープも最高!もう全部最高…でも変だな、さすが日本の乙女ゲームが派生だから料理の質も上等なんだろうと思いはするけど、こんな美味しいシチューを食べてるカルツェやルードが俺なんかが作る料理とも言えないようなスープやサンドウィッチに感動してるなんてさ。
 美味いものばっか喰ってるから、ジャンクフードが珍しいんだろうか…ん?

「え?なに、なんで見てるんだ?」

「幸せそうに喰ってたのに、そんな難しい顔してたら気になるだろ…ってルードが言ってるぜ」

 当のルードは無言だけどね…シラっとカルツェを見遣ったモノの、真剣に見つめてくるルードの視線も気になる、それに興味もあるし聞いてみることにした。

「こんなに美味しいモノばっか喰ってるのに、どうして俺なんかの料理を喜んでくれるのかなって、ちょっと不思議に思って…」

「あー、それは…」

「フィラの手作りだぞ?それも最高に美味い。誰だって普通に喜ぶだろう。最高にレアな食事だ。何よりもフィラの繊細で美しい指先で触れた食材が満載で、目や心や口も喜べば胃だって喜ぶ。いや喜ぶべきだ。逆に喜ばないなんてことがあるのか?ソイツは頭がおかしい」

 力説、めっちゃ力説したな、ルード。
 そして俺が聞きたい話はそれじゃねぇ。
 たぶん今白くなりつつある気配のカルツェが言いたかったことこそが、俺が聞きたい真実だってのは判るようになってきた。

「はいはい、ルードはフィラが作るモノならなんだってレアアイテムだからさ。少しだけ残してマジックバッグで保存するんだよな?ははは…ふー、まあいいや。フィラが喰ってるそう言った料理は主に帝都でだけ味わえるんだ。あとは各地方の主要都市ぐらいでさ、そこそこの大きな町や村だと、だいたい自炊するか食堂や屋台が主流になる。それでもってそれらの店の味付けは塩だけだ」
 
「は?!塩だけ??」

 燃え尽きそうだったカルツェだったけど、そこはやっぱり長年の付き合いだからかすぐに立ち直って、保存しないなんて有り得ないだろって有り得ない顔をしてるルードにドン引きした俺に丁寧に説明してくれた、けど塩だけってマジかよ。

「そうそう、塩だけ。ギウモでも野生のウサギでも塩だけ。首都でも煮込み料理とか手が込んだ料理以外、焼いたり蒸したりは大概塩だけだ」

 フォンドボーとか普通にあるのに焼くも蒸すも塩だけって…乙女ゲームにしては料理の設定が雑すぎやしないかい?

「それが普通だからさ、オレだって自炊する時は塩だけだよ。だから、フィラがさっき料理してるのを見て純粋に感動したよね」

 ヘンな方向性に行っていたルードもそこは同感だったのか、腰のマジックバッグに一口大に残したサンドウィッチと串焼き肉を仕舞いながら頷いている。幾ら鮮度がそのままだからって、食べ掛けを仕舞うのは違うんじゃないかって思うんだが…黙ってよう。

「色んな種類の粉や乾燥した葉を入れてるだけで、まるで魔法みたいにいい匂いがし出すんだ、不思議で仕方なかった。喰えばまた、天にも昇るほどの絶品ときたら普通に驚くだろうな」

 まともなことをしみじみと言うルードにも驚くけど、この時ばかりはカルツェも同意したように腕を組んでうんうんと頷いている。
 そこで俺はハッと気付いた。

「調味料が高いとか…?」

 だから、きっとお高いレストランじゃないと調味料とかふんだんに使った料理を出せないんだよ。
 きっとそうだ!もしや名探偵では…?

「調味料ってなんだ?料理はレベルを持つ調理師が提供するんだが、王宮でもレベル10が最大でさ、帝都の食堂も、だからだいたい似たり寄ったりの料理しか出ないんだ」

「ぐっは!」

 え、調味料ってなに?だと…まさか、またそこからなのか??
 聖女の時の悪寒を感じて、これはもしや俺が思うよりこの世界の食文化は深刻なんじゃないのか?おい、乙女ゲーム神!乙女ゲームっつったら俺じゃ名前も判らんようなシャレオツな料理が当たり前みたいに出てくるんじゃねーのかよ!
 え?レベル??レベルって言ったか?!

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよフィーラちゃん!」

「ははは!あーはははっ!!フィラ、それ言わないと絶対に解析見られないんだろ?変わってんなっ!ははは…ッッ」

「じゃかましい!指をさすなッ」

「……………本当に、どうして…こんなに…可愛いんだ…」

「?」

 これ言うとルードが顔を覆いながら蹲って震えるし、カルツェは腹を抱えて大笑いしやがるしでムゥって眉が寄って真っ赤になるけど、これを言わないと解析できないんだ仕方ない。
 血を吐くようにブツブツ何を言ってるかよく聞き取れないけど、きっとルードも笑ってんだろうよ、ふん。
 ヒトを解析する時は対象者の名前を言うんだけど、練習していいってルードが見せてくれた時、見えーる見えーるバッチリ見えるよルード!で見えたのに、何故か自分を見る時だけちゃん付けとかどうかしてるだろ。そんなところに可愛い要素とかねぇんだからな?乙女ゲーム神出てきて殴らせろ。
 ブゥンっとやっぱり無機質な音がして、例の薄青いウィンドウが開いた。この辺り、やっぱ乙女ゲームだよなぁ。

 ・弓矢射撃レベル8
 ・ポーション作成レベル103
 ・解析レベル5
 ・隠密レベル12
 ・調理レベル50 NEW!

「ごッ!…ゲフゲフッ!あ、うん。調理レベル付与されてる」

 前に見てから随分経つから、自炊で付与されたのは判るけど、レベル50か…うん、バグってんな!
 ルードの見せてもらった時はちゃんと斬撃レベル20とか投擲レベル20とか表示されてたから、レベル表示おかしくないの確認したし俺の画面だけバグってるってのが判ったからもうそんなに驚かない。
 噴きそうになったけど驚かない。

「やっぱりな!オレはレベル2だからフィラは7とかあるんじゃないか?」

「まあ、それぐらいかな」

 とても言えない、ポーション作成レベルもバカかって叫びたいぐらいだけど、驚かないとは言ってもカンスト越えとかさ…たぶんこれ、前世の記憶があって薬草知識∞の成せる技だよね。
 想像でなんでもできるのって便利だけどこえぇな。
 適当に薬草入れてえいやってしたら想像した味になるんだから…まあ、便利なのは認めるよ、乙女ゲーム神。

「あー、これから討伐依頼の旅に出ても美味い飯が喰えるんだ!よかったよな、ルード!」

「ああ、フィラの手で作られるレアな食事が喰えるのは僥倖だ」

 お前はフィラだったらなんでもいいヤツだから有り難みが全く判ってねーなってカルツェが軽くキレている傍らで、俺は恐怖にブルブル震えてしまっていた。
 厳格な戒めの大地の加護の魔力生成レベルが85ってのも震えるけど、美と愛欲の女神の加護の魅了レベル15って、どうして5も上がった?
 アレか、ルードってファンを侍らせたせいか?サービスのあざとい上目遣いのせいか??!そんな副産物いらんのだが!!
 …よし、これからは同じパーティだし旅の仲間だから、テッテレー、ルードへのサービス終了ぉー!
 兎も角、1日も早くウルソ村に到着するぞ!
 俺は決意も新たにギウモシチューを頬張った。
 ギウモシチュー、うまー

9  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

「薄青系のポーションと薄赤系のポーション、それから薄紫のポーションは説明の必要はないですよね?今回は、テッテレー!新作の薄黄色ポーションと薄緑系ポーションがあります。どれを幾つ欲しいですか?」

 かちゃかちゃとリュックから取り出した薄黄色と薄緑のポーションを、じっくりと俺の顔を見下ろしているルードさんの前にドヤァッと見せびらかして小首を傾げてやる。
 リィンティルポーション贔屓ならサービスだって忘れない、ちゃんとあざとく上目遣いもオマケしてやるぞ。いっぱい買ってね!
 彼らは『逆炎の剣』と呼ばれているたった2人のパーティーで、ポーションなんかの討伐準備はルードさん、情報収集などをカルツェさんがそれぞれ担当してるんだとか。
 だから俺のターゲットはルードさん!
 どちらも独りで十分、依頼遂行ができる実力者なんだけど、ルードさんはこう見えて寡黙で人付き合いお断りなヒトだし、カルツェさんは陽気そうなのに他人をイマイチ信じられなくて警戒しすぎるとかで、上位クラスの討伐依頼ともなるとパーティー必須だから、どうやら独りだと立ち行かないことを知って幼馴染み同士でパーティーを組むことにしたんだそうだ。
 …カルツェさんのヒトを信じられないってのは、過去に何かあったんじゃないかって推測できたから、勿論聞くのなんか失礼だって受け流した。
 ルードさんが饒舌になるのは、リィンティルに関することだけだとか、つまり俺のことだ。さてはルードさん、ポーションに拘りがあるね?
 まあ、そんなことはどうでもいいけど。
 商談には必要ない(キッパリ)カルツェさんに横から口を挟まれたら嫌なんで、特製薬草サンドウィッチと特製薬草スープを提供して黙らせた。何これ美味いって喜んでるから良かった。恨めしそうなルードさんには購入後にご賞味頂く予定だ。

「…まさか、薄黄色ポーションはエリクサーか?」

 正解!

「初めて作ったからレベルは低いけど、千切れた部分をくっ付けるとかならできます。もうちょっとレベルを上げられれば、失った部位を生やすことができるようになりますね」

 思わずと言った感じでブッと吹き出したカルツェさん、汚いなぁと思いながら横目で見たら、こっちが驚くほどあんぐりしてる。
 あれ?エリクサーってそんなに珍しいのかな。

「え、エリクサー?!買いだ買い!おいルード、全部買え!」

「当然だな」

「え?これ5本あって、1本その…28万ティンですけどいいですか?」

 適正販売価格は30万ティンだけど、初めてのお客様だからオマケだ…て言うか、売れなかったら困るから若干割引したって言うね。
 俺的には腕とか足が生えるレベル5以上で30万、くっ付くぐらいなら10万とかそれぐらいでも十分、儲かるって思ってるんだ。何より、道端に群生してる薬草だぞ、元手タダなのに中古の安い軽自動車が買える金額とかマジで震えるわ。

「適正価格は30万だろう。それで5本購入する」

 たった5本でいきなり150万ティン!新車きたぞ。
 ベルトに付けてるB6ノートぐらいの入れ物から大金貨を取り出すルードさんにビビったけど、大金貨と金貨5枚を差し出した震える両掌に乗せられて、俺は思わず息を呑んでしまった。
 陽光を浴びてキラキラする金貨の群れが現れた!俺の目が焼かれる、ギャー。
 ふぅ、危うく無駄にHPを削られるところだった。

「あ、有難うございます!じゃあ、薄黄色ポーション5本お買い上げで」

「治癒魔法でも失った部分を付けたり生やしたりするのはかなり高度でな、失敗もよくあるんだ。だが、このエリクサーは失敗がない。レアポーションだからこちらこそ有難い」

 かちゃかちゃと取り出したポーションを手渡すと、そんな嬉しいことを言って何故か俺の手ごと掴んでくるから困惑したけど、どうやらB6ノートサイズの入れ物はマジックバッグだったようで、ルードさんがその中にポーションたちを突っ込んだから、俺も大事な金貨の群れを腰ポーチに仕舞い込んだ。

「薄緑のポーションは…疲労回復?」

 エナジードリンクみたいな所謂ブースト系じゃなくて、これはアレですよ、RPGに必要不可欠な。

「疲労回復の括りですけど、これは体力を回復させるポーションです。怪我はないけど、長時間戦闘を続けると、だんだん動きが鈍くなることってないですか?それを回復するポーションです。軽い状態異常も回復できます」

 HP回復薬って言っても伝わらないだろうから、回りくどく、勿体ぶって言ってみた。
 薄青ポーションでも怪我と体力が回復するけど、これは体力回復に特化してる。軽めの状態異常も回復できるんだぜ。

「あんまりオレらには必要ないかな〜」

 サンドウィッチとスープを堪能したカルツェさんも、手持ち無沙汰だからか、俺の説明にうんうん頷いていたくせにそんなことを言いやがった。

「あ、そうですか。じゃあ、薄青系…」

「それも全部買おう」

「…ルードが欲しいなら別にいいけどね」

 そっか、リィンティルポーションの生粋のマニアたるルードさんは、俺が作ったポーションは全部買うヒトだった。
 個数は少なめに言っておこうっと、エリクサーだけでいい儲けだモンね。
 太く短くじゃなくて、細く長いお付き合いをしたいからさ。

「薄緑ポーションと薄青と薄赤ポーションは、各種20本ずつで、ショウニング…ヒベアーさんは幾らで売られてましたか?」

「ヤツは足許を見て高値で売り付けてきた。まあ、フィラの手が触れたモノだからレア度があるのは仕方ないがな」

 カルツェさんが顎に梅干しを作って苦い顔をしている。だからどう言った感情なんだよそれ。

「あ、じゃあ俺はいっぱい買ってくれたからオマケで1本1500ティン、合計9万ティンでいいですか?」

「フィラのポーションは状態がいいし何よりその手で作られた最高級品だ、適正価格の2000でも安すぎなのにオマケなど畏れ多くないか」

 見えーる解析様が適正買取価格1000ティン、適正販売価格2000ティンって教えてくれたんだよ。しかも帝都寄りの価格でだぜ?
 だから2000でも高いっての。

「いいえ、適正ですしオマケは俺の気持ちです」

「そうか…本数はこれで全部か?」

 胸許に手を当てて気持ちを込めて言ったら、一瞬、息を呑むように目を瞠ったルードさんは、それから困ったように片手で口を覆ってギクシャクと目線を逸らしながら、それでも在庫を要求する強かさには噴きそうになる。
 で、俺の本音としては、いいえ、各種あと110本ずつあります、が全部出してルードさんがポーション破産したら困るんだよ。さっき150万も貢がせちゃったし、細く長く…だ。

「はい。あと、薄紫が10本あります」

「え?!10本…もっと作り置きってない?オレ、紫だけはフィラの薄紫ポーションじゃないと合わなくてさ、しかも1回の討伐で結構使うんだ。100本あっても全然足りないからあるだけ全部買うよ」

 どんなエグい戦闘してるんだろう…魔力回復をじゃんじゃん飲む戦闘なんて、天災クラスの魔物とか?いやまさか…ね?
 つまり他で売るぐらいなら在庫を全部くれってことだろ。

「えっと、薄紫は薬草の関係であんまり作れなくて…今、全部で120本ならあります」

「120本かぁ…今はルードに付き合ってフィラの追っ掛けをして遊んでるけど、来月頃からバジリスクが産卵期に入るから討伐依頼が増えるんだよね。独占契約とかできない?安定供給して欲しい」

 …バジリスクだと?
 小さい個体でも15メートルはあるって言う、上位種魔物だ。普通なら1頭で行動するけど、産卵期は気性が荒く、ましてやその時期は番で行動するから討伐は必ずSクラス以上でパーティーを組まないと許可されないヤバい魔物だぞ。

「えっと、ウルソに着いたら冒険者登録するから、俺も討伐とか採取依頼を受けると思います。だから、居場所が特定でき難くなるし、もう他の商人に卸すのは…」

「あ、場所特定は大丈夫。ルードがフィラにマーキングしてるから。こっちからちゃんと買いに行くよ」

 マーキングだと…?マーキングって言ったら地球で言うところの簡易GPSみたいな戦闘用補助魔法の一種なんだけど、え?何時の間にそんな気持ち悪いモノつけられたんだ!

「マーキングって追跡魔法じゃないですか…それって狙った魔物を見失わないようにする戦闘魔法ですよね?何で俺に…」

「フィラは躊躇わずに森に入ってしまっただろ?この森にはオークがいるし、稀にギガントゴブリンが湧くことがある。何かあった時に直ぐに助けられるようにマーキングしたんだ」

 まるで用意していたかのような台詞に不信感しかないけど、でもまあ、確かにオークから逃げ出すのは命からがらだったから、マーキングされてるのは有難い…のか?
 俺、魔物じゃねーのに、ぐすん。
 何かあった時って言ったルードさんが無表情でギリッと奥歯を噛んだみたいで、一瞬殺伐とした気配がしたし、うん、今回は良しとしておこう。

「…判りました、じゃあ薄紫はカルツェさんに、ヒ、じゃなくて、逆炎の剣との独占契約とします」

 カルツェさん固定だとルードさんは無言で怒るみたいだから、横でオレンジ髪がニッコリ笑って青褪めながら首と両手を振ってもいるし、それならパーティーに卸すってことにしよう。

「今まで通り全種独占したいんだが…いっそのこと、フィラが逆炎に入ったらどうだ」

 え?え?!突然何を言い出すんだ?!

「あ、それいいな!ランク差が有り過ぎるから一緒に討伐には行けないけど、着いてくることはできるよ。俺たちが討伐中に無理をせずに自分の依頼をこなすとソロよりも旅費とか節約できるんじゃないか?」

 アンタも何言ってるんだよ?!

「え?!そもそも冒険者に登録できるかどうかも判らないのに…」

 提案そのものは有難いけど、俺は追われている身だし、何よりペーペーの駆け出し冒険者が加入していいパーティーじゃないだろう。

「失礼だとは思ったが解析させてもらった。戦闘系魔法スキルはないが、射撃レベル8で生産魔法のポーションレベルが20で最大値に到達している。これならすぐに登録ができるだろう」

「え!ポーションレベル20でしたか?!」

「ああ、解析レベル5なら見えるだろう?」

 不思議そうに問い返されるのを曖昧に応えて、いや違うんだ、俺の解析ではレベル99で普通のゲームならカンストしてる表示になってるんだよ。
 この世界ではカンストはレベル20だし、10からグンッと上がり難くなって、20に到達するには生涯を懸けるとも言われているぐらいだ。
 だから俺のレベル20は凄いけど、生産魔法はポーションでもさほど重要視されないから、ルードさんもそんなに驚いていない。驚くべきは、だから20じゃなくて99ってことなんだ。
 あ、やっぱこれってバグだから、99でカンスト20ってことなのかも…解析レベルが低いからバグってんのかな。

「…俺が見た時は19だったから、エリクサーでレベルアップしたのかな、ははは」

 なんとか誤魔化した。
 でもこれ、もしかしたら幸先がいいんじゃないか?レベル20と言っても生産魔法だし、子供の頃からポーション作りしてるのかな?ぐらいでそこまで旋風を巻き起こす話題になるワケでもなし。
 それよりも表示が俺だけバグってたって判ったら安心して登録に行くことができる。
 商人熊のレイプ事件はリィンテイルの性格崩壊で未然に防いだ、あとは冒険者になってしまえば貴族に捕まって…って件を破壊することができる。
 シナリオの縛りから脱出すれば、男娼フラグを折れるだろう。
 しかもこんな強そうな連中のパーティーに入れば、滅多矢鱈と俺を引っ捕まえて男娼専門の娼館に売るなんてことはできない。
 好条件だ!好条件の提案にはよく考えたし飛び乗るべきだ。

「ルードさんとカルツェさんさえ良ければ、俺を仲間にしてください」

 正座をして、2人に迷惑をかけないように頑張るから、俺は決意も堅くまっすぐ見据えて頭を下げた。

「そんな堅っ苦しく考えなくていいよ。ただ、これから一緒に行動するなら迂闊さは治した方がいい。特にルードの前じゃ…」

「迂闊?お前は何を言っているんだ、可愛い仕草だろ…ああ、こちらから願っていることだから宜しく頼む。カルツェの言うように、几帳面に話さなくていい。今後は楽にしてくれ」
 
 やっぱりカルツェさんは顎に梅干しを作って鼻に皺を寄せている、その表情って何処かで見たことあるんだけど…忘れたな。見た感じ、嫌そうってのが有り有りと判るんだけど、かと言って俺の加入には両手を挙げて喜んでるし、ホントこのヒトよく判らん。

「本当?だったらこれからは素で宜しく!楽しみだなぁ」

 久し振りに爽快な気持ちになれたから、俺は満面の笑顔全開で喜びを表現した。
 流石にこれは…とかって両手で顔を覆うカルツェさんと大きな片手で顔を覆うルードさんの奇行には毎回驚かされる、でも、きっとこう言う奇行が好きなんだろうから俺も早いところ慣れないとね。
 さあ、残すところは冒険者登録だ!
 ウルソ村に向けてレッツラゴー

8  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 朝市は、村に着いた当初の夕暮れ時の賑わいからは幾分落ち着いているものの、それでもこの規模の村にしては活気がある方じゃないかなぁと思う。
 昨日は気付かなかったけど、俺と同じく旅路の準備に来ている冒険者が結構いるんだな。
 べリーヌの端っこの森の中でポーションだけ作る隠遁生活を送っていた身としては、この周辺、つーかベリーヌ内の情報にだって疎いってのにこの辺りに冒険者が大好きなダンジョンだとか遺跡があるのかとか知らないって。
 でもパーティーを募集してそうにもないし、だったら、もしかしてこの村から次の村までに距離があるから此処に冒険者が集まってんのかな?
 だとしたら、ウルソ村までの距離が遠いのか、此処はベリーヌとジャスパーの境に近い村だから、ベリーヌ地方の次の村が遠いのか、それによって俺の進退が決まるよね。とか言っても進むだけだけど。

「こういう場合、やっぱ地図は必要だよなー」

 ウルソに行くにはどっちに行けばいいかさっぱりだからさ。

「すみません!野生のウサギと野生のイノシシの肉の買い取りってお願いできますか?」

 腰ポーチからオオバオの葉に包んでおいた肉を取り出してカウンターの上に置くと、乾燥肉や雑貨を売っているらしい筋骨隆々の親爺が厳しい面でこっちを見遣ってきた。

「状態によっては引き取れるぞ」

 フードを目深に被っているせいか、不審そうにジロジロ見られたけど、だからってこの花のカンバセを清廉な朝陽の中に晒しちゃったら、天上から花弁が舞い散りファンファーレが鳴り響くかもしれないだろ。不審かもしれないが勘弁してもらおう。
 さっきの井戸のところでだって、何人が舞い散る花びらとファンファーレの中で運命を感じたのか判らないけど、兎も角すごい数の熱烈な勘違い視線のオンパレードだったんだぜ。気付かないフリしてたけど、すげー怖かった。
 俺は自分の顔面が持つ脅威を漸く思い知ることができたんだよ。
 用心に越したことはないっての。

「ああ、コイツはいい肉だ。上手い具合に処理してるな。老若関係なく処理が甘くて屑になった肉を平気で持ってくる輩が多いからよ、態度悪くて済まんかったな」

 オオバオの葉から取り出した肉を見た親爺が少し目を瞠ったから、処理は上手くいってたんだろう。
 有難う、祖父ちゃん!

「序でに野生のウサギの毛皮はあるか?一緒に買い取りたい」

 有難いことにこっちから言い出さなくても親爺から聞いてくれたから、これまでハントして解体した際に出るウサギの毛皮を取っておいたんだよね、それを腰のポーチからごそっと取り出してカウンターにホクホクとのっけた。
 残念だけど魔生物化したイノシシの皮は特に臭いし毛が硬いから、勿体無いけど使いようもないし内臓や骨と一緒に土に埋めるしかなかった。
 その点、魔生物化したウサギは毛が柔らかいから売れるんじゃないかって睨んでたんだよね、正解で独りドヤりをかましてやる、ふふん。

「マジックバッグに入れてたから毛皮の状態もいいな!よし、野生のウサギ15匹分の肉と野生のイノシシ3頭分の肉、それから15匹分の野生のウサギの毛皮だな。野生のウサギは1匹90ティンで、野生のイノシシは小さいから1頭250ティンだ。野生のウサギの毛皮は状態がいいから1匹300ティンで買い取ろう。合計で6600ティンでいいかい?」

 親爺も俺もしつこいくらいに『野生の』って言ってるのは、普通の動物とは価格が違うし、魔物はもっと濃厚な味で価格がグンッと変わるから、まあつまり商品名だからってことだ。
 しかしなるほど、イノシシは俺にとっては個体が大きいから狩り易いけど解体が面倒臭いのにその割には単価が低いな、ウサギは個体が小さいから狙い難いけど解体が簡単で単価はそこそこ、毛皮は狩りの状態によってはボロボロになるし、何より剥ぎ難いのに用途は山程あるから肉よりはかなり高額だ。肉の方がオマケって感じか。
 まあ、その村々で単価は変わってくるんだろうけど、解析で見た標準の適正買い取り価格よりは少し安いぐらいだからこの程度なら許容範囲だ。

「有難うございます!それでお願いします。あと、これからウルソ村まで行こうと思うんですが、どの方角に進んだらいいか教えて貰えますか?」

「こっちこそ有難うな、ウサギの、取り分け魔生物化した毛皮は柔らかくて加工し易く重宝するから助かったよ。いい買取りができた。それと、ウルソならこの先を進んだところにある北の入り口から道沿いに真っ直ぐ進めばいいぞ」

 聞かれ慣れているのか、身を乗り出しつつちゃんと身振り手振りで教えてくれる親爺が指差した、この露店通りを真っ直ぐに進んだところにある入り口を遠目に確認してから、序でに乾燥肉の大袋を2つ追加で購入して親爺に礼を言って歩き出した。
 地図がなければ聞けばいいじゃない、って何処かの王妃みたいに考えてたけどその通りにしてよかった。露店商ほどいろんな情報を持ってるし、冒険者や旅人に聞かれ慣れてるから教え上手も多いんだよ。
 RPGで鍛えたスキルだよね、ははは。
 よし、準備は整ったしウルソ村に出発しよう。親爺は道なりって言ってたけど、村道は万が一に備えて避けなきゃいけないから、やっぱり森の中に突入だな。
 此処まで来る間に、魔物にも出会して命からがら逃げ出したりしたから、本当は管理された村道を行きたいけど…商人熊の野郎が越境したとか聞いたからなぁ…ホント、森では世話になったけど、いい加減諦めて欲しい。連れ戻されたってお前のことを好きになるワケねーだろ。ちょっと考えたら判らんのかな、そもそも何で連れ戻されるんだ?旅立つのは俺の自由じゃないのか?
 理不尽さに段々とムカムカしてきたけど首を振って嫌な気持ちを振り払ってやる、だいたい俺はそんなことよりももっと考えなきゃいけないことがあるんだよ!
 …ポーション、ホワワワーッて適当に作ってるのに、狩りの獲物より数倍高額取引されるんだなぁ。前の世界でも医者や薬剤師は高収入だったけど、この世界でも薬師は割のいい仕事なのか。
 俺さぁ、乙女ゲームのヒロインの主人公と言ったら聖女とか、この世界にとって重要な役割を自動的に付与されて、人生万事何事もなくヒロイン主人公主導で世界が回るんだと思ってたんだよな。
 確か、もう朧げだけど妹もわたくしヒロイン主人公は奇跡の治癒力と膨大な聖力を持つ聖女様で攻略対象とヒャッハーするんだとか言ってたけど、実はこの世界、治癒力はほぼ全員生活魔法として持ってたりする。
 単に効能に違いがあるってだけで、だから神殿も現代の地球と一緒で神を祀るだけの民の心の安らぎの場所であって、聖力を売りになんてできないし、何なら解呪に長けた近所のおばちゃんもいるほど、特に珍しい力じゃないんだよね。え、呪われた?任しとき!みたいな。
 そろそろヒロイン主人公が登場する時期だし、この村に来てそれとなく聖女とかっているの?って直球でなんでも知ってる露店商に聞いたら、聞いたヒト全員、まずセイジョが何かを聞いてくる始末だった。説明そこからか、いやもう全部察した。
 魔力zeroの俺は無理だけど、生活括りの魔法、全部パネェな。
 但しそこはやっぱり効果の大小があるワケだし、魔力の回復を待てない時もあるだろ?それを補うために薬草やポーションがいるんだよね。聖女や医者はいない世界だけど、その分、活躍するのが、テッテレー、この俺様薬師様ってワケだ。
 強力な治癒師や解呪師は上位クラスの冒険者パーティーと組むから村とか町には常駐しない、でも薬師は薬草採取やポーション作りを主とするからパーティーに加わることは殆どなく、だいたい町や村に住居を構えて居着くモンなんだよ。
 その点、俺はこの世界では珍しい、ポーションも作れるハンター冒険者、なんつーことをしてる変わり者だったりする。まあ、止むに止まれぬ事情のせいではあるけどもな…
 一般人でもそれが必要な場面があるぐらいだから、危険と隣り合わせの冒険者はパーティーでもソロでも、自分の魔力を補わないと長期の狩りができないから、薬師のポーションは何より重宝されるってワケか。
 マジックバッグがあればどれだけ持ってても苦にならないし、うん、どうやら聖女ではなく俺…じゃなかった、薬師の方がこの世界を救いそうだ。じゃあ、絶対に拘らないリスト最上位のヒロイン主人公は、此処では薬師でもするのか、それとも膨大な聖力で攻略対象者たちとパーティーでも組んでキャッキャウフフフすんのかな?まあ、俺にはもう関係ないからどうでもいいけど。
 しっかし乙女ゲームって本当にエグいよな、キラキラピカピカのイケメンたちが砂糖菓子みたいに甘ったるく胸焼け起こしそうな戯言を言って、18禁指定でもないのにヤバいこと平気でやっているくせに、そう、恋愛至上でしかない世界観なのに!恋愛の為なら逆ハーでも監禁でも処刑でも国外追放でも何でもござれだって言うのに…魔物がいるんだぜ?
 此処に来るまでの俺の生命力はほぼzeroだったよ、マジで。弓矢を手に入れたからって、練習してるからって、魔物なんかせいぜい狩れてスライムとかコボルトぐらいの時に、オークと出会してみろ、目の前真っ暗になるからな。
 この世界にいる動物の種類は大きく分けて3種類、普通の動物、魔生物化した動物、そして魔生物が魔力を帯びすぎて進化した魔物だ。
 冒険者ギルドの低ランク用討伐依頼には、魔生物化した動物や植物までが対象になる。だから俺の場合も、ランクアップと自分のレベルアップの為にも、討伐依頼や採取依頼をどんどん熟さないといけない。そう、魔生物化した動物や植物の討伐だ。
 誰がB〜Aクラスの討伐対象と対峙できると思ってんだよ、バカか乙女ゲーム神!
 魔物討伐とか恋愛関係ねぇだろ?!…って思うだろう?チッチッチ、これがヒロイン主人公と攻略対象が絡んでみろ。外野は死にかけ丸になりつつあるのに、何故か連中の周りはピンクになって、そのオーラに触れたらこっちは戦いながら胸焼け起こすことになる。命懸けなのに迷惑だな。結局カッコよく傷付いた攻略対象にヒロイン主人公が治癒してイチャイチャしてほぼ連中は無傷でイベント終了するんだぜ?外野は死傷者出ててもな。乙女ゲームの強制力こえぇ…そんな危険ななかヒロイン護れる俺すげーの攻略対象にうっとりするヒロイン主人公の為だけに、魔物の暴走なんて危険極まりないイベントを絶対に解放するんじゃねぇぞ!
 そのうち、帝都辺りでもこれ系のイベントが起こるんじゃないかって、ちょっと不安なんだよね。
 俺、対象のゲーム名もゲーム内容も判らないから、何時どんなイベントがスタートするか本当に知らないんだ。だいたい、ヒロイン主人公以外には、冒険が絡む場合は過酷で冗談じゃねぇ内容ばっかりだからさ。
 攻略対象でさえ気が抜けないんだ、最たるモノがこの俺様の処遇と言ったら…帝都付近は避けよう、ヒロイン主人公を添えて。
 なんかの料理名っぽくなったけど、冗談じゃなくこの世界が乙女ゲームみたいな世界なら、俺は襲いくる野郎を回避しつつ、魔物の動向にも目を光らせておかないといけないってワケ。
 乙女ゲーム、単純で面白いんかと昔は思っていたけど、いざ自分がその立場に置かれたら理不尽この上ないし、こえぇし、本当にヤバくて単純どころか闇が深すぎるだろ。
 道なき道をナイフで枝を切り分けたり、倒木を飛び越えたりしながら進みつつ、自分の考えに溜め息を吐いたところで水辺を発見!
 昨日の悪夢で全身べとべとしてて行水したかったんだよね。
 小ぢんまりとした湖?いや、この広さだと泉かな。
 解析してみたら湧き水によって長い年月をかけて自然に造られた名もなき泉で、魔魚や魔生物化した魚や植物はいないらしい。森の中の小屋の前に広がっていた、あの湖のように清廉な気が満ちているのだとか。
 よし、泳げるぞ!
 リュックからシートを取り出して広げると、その上にリュックと腰ポーチと弓と矢筒を置いて、それから着替えとバスタオル、そしてウキウキして取り出したのがクブ石鹸!
 天然素材マックス、魔力すら俺じゃなくて自然から生成されてるんだ、泡も粘り気も全部薬草由来の天然素材だから、水中で使っても影響なく分解されるから自分に使っても自然で使っても安心仕様なのさ。
 行水の準備ができたから、今度は水上がりに喰うための少し遅い朝食、シャレオツに言ってブランチの準備をする。
 生活魔法が使えないから魔硝石で火を熾した焚き火で、薬草調味料を染み込ませた野生のウサギの一口大に切った肉を串に刺して火炙りの刑に処し、予め設置していたトライポッドから吊るした鍋には薬草と乾燥肉をぶち込んだスープがコトコトしてる。行水が終わったぐらいが食べ頃になる手筈だ。
 スープにエイヤッてしておいたから、ある程度混ぜておけば焦げ付かずに上手い具合に煮えるだろ。
 次に黒パンを二つに切って腰ポーチから出した薬草を片方に敷き詰め、焼けたウサギ肉を乗っけてから、俺様秘伝の薬草マヨソースをたっぷり掛けて、もう片方のパンを被せて斜めにざくざくナイフで切る!
 バーガーでも良かったけど、テッテレー、フィラ特製野生のウサギと薬草のサンドウィッチと野生のウサギの串焼き肉〜、薬草スープを添えて。
 よし、美味そうだ!今、火で炙ってる分はそのままでも大丈夫だろ。
 さーて、美味しいのを目当てに動物類が来ないように、鳥にも配慮したポーションを周りに振り撒いて完成だ。
 お待ちかねの行水に、喜び勇んであっという間に全裸になったら、地面にぽっかりと広範囲に開いた穴に溜まっている湧き水にドボンだ!
 握っていたクブ石鹸を泡立ててから、テッテレー、木の実…ヘチマみたいな木の実があったから乾燥させて作ったタワシ風スポンジ〜を、思い切り泡泡にしてから身体を洗う。
 白い腕を伸ばしてスポンジで丁寧に擦る、クブ石鹸は匂いもいいから、ちょっと鼻歌を鼻遊んじゃうよね。
 どんなに陽光に晒しても灼けないし、少々汚れても白さが燻むこともない。女の子なら喜ばしいんだろうけど、こんな生っ白さだと公衆浴場とか絶対行けない。この世界に銭湯とかあればだけど。
 つーか、人目のある海や湖で部分的にでも肌を晒すのは無理だ。高確率で襲われる。
 自分の目で見下ろしてみても、これが他人の身体だったら欲情してる…ってぐらいには、艶かしいし、成長しきれていない少年の瑞々しい体型が無垢っぽくて却ってエロい。
 その設定いらないから。
 後ろ手にスポンジを投げて、それから泡泡にしたクブ石鹸の泡を満遍なく頭に擦り付ける。
 頭に泡が行き渡ったから、これまた後ろ手にクブ石鹸を投げてから伸びをして、細い指先でワッシャワッシャと髪を洗う。
 やっとあの嫌な悪夢と出来事を水に流してサッパリできたから、ちょっと潜って髪の泡を流して、それからプカリと浮いて清廉な行水を堪能していた。
 そう、堪能していたんだよ、俺は。

「…あれは、誘っているのか?」

「それはない。どちらかと言えば、泉の精霊の水浴びをうっかり覗いたら、あまりの美しさと予想外のエロさに単純にルードが欲情したってだけだろ。と言うかこれなんだ?初めて見るな」

 あの夜に聞いた声が、比較的近い場所から響いたんだ!
 ギョッとして振り返ったら、泉の縁に腕を組んで仁王立ちしている、黒尽くめのやたら美丈夫なイケメンが、ルビーみたいな虹彩を持つ双眸を眇めてこっちを見下ろしていた。
 ズンッと、腹に落ちるような恐怖心で竦み上がってるのに、そんな威圧感オバケの横のオレンジ髪は、俺とか大男とか無視してしゃがみ込んだまま、準備してるブランチを涎でも垂らしそうな気迫で興味津々に見つめてた。
 待って待って!確かに何時もより何重にも気配を探ったし、追跡者には反応する魔道具だって使ってたのになんで…?!

「色が白いな…予想通り、乳首はピンクか」

 カッとした。俺が敵う相手じゃないことは百も承知だけど、だからって男らしくないとかむざむざと言われる筋合いはないからな!

「色が白くて乳首がピンクで何が悪い!ヒトに見せびらかすところじゃないんだからほっとけよ!アンタら誰に雇われてきたんだ?!俺を捕まえてどうするんだよ!!」

 一気に捲し立ててフーフーッと肩で息をしながら見据えると、黒尽くめの大男は器用に片方の眉を上げたみたいだった。

「別に悪くない。寧ろそうであってくれてよかった。妄想が捗る」

 片手の人差し指で顎を擦りながらジロジロと俺を見る大男の傍らで、妄想を現実化しないならいいんじゃないかなとか、無責任に軽く笑って言うオレンジ髪はこっちを見ようともせずにサンドウィッチに釘付けだ。
 なんだこの的を射ない会話は。

「誰の依頼で俺を捕まえようとしてるんだよ?」

 隙だらけなのに手が出せない不安感を醸す2人の動向を見据えながら、もう一度慎重に聞いてみたら、俺の乳首をジロジロと見ていた黒髪に赤目の男は、ふと俺の顔に目線を上げて首を傾げたようだ。

「オレは依頼なんか受けてない」

 ジロリと黒髪がオレンジ髪を見下ろすと、気配を察したのか、サンドウィッチに夢中で此方に見向きもせずに言いやがる。

「え?オレも受けてないよ」

 それぞれがおかしなことを口にするからますます眉が寄る、じゃあ、どうして俺を追っかけてこんなところまで来てるんだ。
 たった今まで気配は全然感じなかったし、随分な手練れだと思うけど。

「そんなことよりも髪の色はどうしたんだ?眩い金髪だった筈だが。お前の美しい蒼い目には金髪が似合うだろう、どうして褐色なんだ?まあ褐色も悪くはないと思うが、金髪こそお前の為にあるようなもので…」

「いやそんなことよりもじゃねぇし、依頼されてるんだろ?じゃなかったらどうして俺を追っかけて来たんだよ」

 人違いだとかは微塵も思ってないんだろう、俺が金髪だったらどんなにいいかとその良さを熱心に語る変なヤツの話は無視して、乳首を隠すように我が身を抱きしめながら聞いてみた。
 気を抜くとじっくりと乳首を見てくるんだよ、コイツ。胸にマジで穴が空くかと錯覚するぐらいには熱心にだぞ?どこ見てんだよ、真面目にやれよって言いたい。
 そんなに白い肌にピンクの男らしくない乳首が珍しいんですかねぇ、フンだ。

「…?オレはポーションが必要でお前を捜しに来ただけだが」

 うおールードがすげー喋ってる、とかサンドウィッチを見たままで笑うオレンジ髪も、うんうんと頷いている。
 え?あれ?…俺を追ってきた商人熊か貴族の手のモノじゃないのか?俺の勘違いなのか…いや、騙されるな。そんな筈ないだろ、こんな殺気が漏れ出て滲んでるような上位ランクだろう冒険者が、たかがポーションぐらいで俺なんかを追ってくる筈がないじゃないか。
 しかもコイツ、俺を火炙りにするとか乱暴するって言ったんだぞ!

「嘘吐け!テントごと燃やすとか乱暴するって言ったじゃないか!!」

「それは…お前が出てこないからだ。テントを燃やしてもお前は傷付かないようにちゃんと配慮もするし、何より、そんなに細い腕は軽く握っただけでも乱暴になるだろう?」
 
 口よりも行動が頗る慎重なんだ、コイツ。
 テントごととか怖がらせておいて、テントしか燃やさないって言うし…たぶん風と火炎系の魔法を駆使する気だったんだな。って言うか、テントはゲイン商団のモノだからさ、勝手に燃やそうとするな。

「しかし、知らなかったのか?ヒベアーからお前のポーションを買っていたのはオレだ」

 昨夜の件は正当だとでも言いたそうだけど、俺がプリプリして睨むから片手を挙げて大きな手で顔を覆ってから俯いて、一旦落ち着いたのか、手を外しながらもう少し腕は下がいいとかワケの判らんことを言う男に、ちょっと吃驚しちゃうじゃないか。
 勿論だけど、腕をもう少し下げたら胸を押し上げてるような格好になるだけなのに、何をワケの判らんこと言ってるんだって思う台詞にじゃないぞ?
 繊細な色付きの硝子細工のような上下の睫毛がパチパチする。

「ええ?もしかして全部??」

「そうだ、お前が造ったモノは取り零さず全てオレが買っていた」

「ルードは無類のリィンティルマニアだからさ。君が作ったモノなら全部買うよ。君がいなくなったから追っかけてきたんだ」

 偶に住処の小屋にも行ってたけど気付かなかったでしょって、そんな大事なことをサラッと言うなよ。と言うことはだ、つまり俺様のポーションのファンだってことか?!ファンとか…ああ、乙女ゲームだからか!!
 因みにオレはポーション以外には全く興味がない、命が一番大事だからねって疲れた顔をして付け加えてた。

「ほ、本当に俺のポーションが目当てなのか?俺を捕まえて引き渡すとかじゃなくて…」

「どうしてオレがお前を他人に引き渡さないといけないんだ。頼まれたって断る、お前を他人に譲る為に攫いはしない」

 他人に譲るためには攫わないのかーとか、オレンジ髪がははは…と、目線を逸らしながら渇いたように笑うんだが、何なんだろうかこの違和感は。
 オレンジ髪には違和感しかないけど、黒髪がキッパリと言い切る声音と気配には嘘がないようだから、だったら、それだったら俺は嬉しい!
 この世界で覚醒して、何となくポーションを作ってたけど、商人熊のせいで誰の手にも渡せずにリュックの中で貯まっていくばかりのポーションが悲しかったんだ。

「本当?!本当に俺のポーションが欲しいのか?」

「ああ、お前が欲しい」

 オレンジ髪がなんか渋い顔をしてるけど、有頂天になってる俺にはどうでもいいことで、ザブザブと水を蹴って上がると、俺はシートの上に2人に座るように促しつつリュックを引っ手繰った。

「道中で色々試しながらいっぱい作ったんだ!どれぐらい必要?何が欲しい??」

 俺のポーションが必要だって言う男の傍らにピッタリと腰を下ろして、膝の上にリュックを持ち上げた状態で顔を覗き込んで首を傾げて見上げた。
 目をキラッキラさせるのは仕方がないよね?だって初めての!ポーションの商談なんだから上手くやらないと。

「その前に服を着ようか。ルード、固まっちゃってるから返事できないし」

 君、意外と迂闊だよねと、ハハ…ッと乾いた声で笑うオレンジ髪にハッとして、浮かれてるからって全裸はないよな、全裸は。

「あ、いっけね!待って、そのままちょっと待ってて!すぐ着替えるから」

「…服を着なくても」

「やめろ、ルードそれはダメ」

 何やら2人でブツブツ言い合っているから、もしかしてポーション要らないとか言われたら拙いって、わちゃわちゃ服を着て、最後靴は引っ掛けるようにしてから、もう一度速攻でするりと黒髪男の傍らに座り込んだ。

「俺、慌てちゃってさ。えへん、先ずは自己紹介だよな。俺は薬師兼狩人で冒険者登録予定のフィラ・セント。リィンティルの名前は棄てたから、これからはフィラって呼んで欲しいけどいいですか」

 居住まいを正してから軽く咳払いをして、初めてのお客様に胸を張って自己紹介をした。どうやら俺の過去を知っているようだし、経緯は言えないまでも、改名したことはちゃんと伝えないと。

「構わない」

「オレも大丈夫だよー」

 黒髪は普通に頷いてくれたし、オレンジ髪も漸くチラッと俺を見て軽く頷いた。

「貴方たちは何て呼べばいいですか?」

「オレは逆炎の剣のルードだ」

「同じく、オレはカルツェ。ルードと2人パーティーで活動してる冒険者だよ、宜しく〜」

 オレンジ髪ことカルツェさんは屈託なく笑ってサンドウィッチを見た。サンドウィッチに挨拶しやがった。そうか、そんなに美味そうか。

「ルードさんとカルツェさんか、うん、どうぞ宜しくお願いします!」

 俺の方が多分ここにいる誰よりも年長者だろうし、居住いを正して、お客様にはキチンとしないとなぁ…って思ってるのにルードと名乗った黒髪が不意に大きな片手で顔を覆ってまたもや俯いたから、どうかしたのかとビビッたけど、カルツェさんが云くには、ルードさんはリィンティルの正真正銘のマニアだから名前を呼ばれただけで喜んでいるんだとか、なんだそりゃ。
 でもこうして俺は無事?顧客をゲッツした。
 さあ、あとは適正価格で販売できるかどうかが肝だぞ、相手は勿うての冒険者だ。まだ登録もしていない俺は孤軍奮闘なんだから、張り切っちゃって頑張るしかない。
 エイエイオー

7  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

『…で間違い……気配がない』

 ふと、知らない声が揺蕩う波のように大きくなったり小さくなったり、よく聴き取れずにイラッとするけど、何故かこの会話は聴いてはいけないような気もした。
 夢を見ていることは早い段階で気付いていたから、ごろんっと横になったままでぼんやりと眺めることにした。

『…ルード、家の中は空っぽだった』

 こちらに背を向けた夜の闇より暗い漆黒の髪を風に遊ばせている、どうやら腕を組んでいる大男に、よく見慣れたログハウスの玄関から出てきたヤンチャそうなオレンジの髪のこれまた長身の青年が、腰に手を充てがって頭を掻きながら疲れたように溜め息を吐いて報告している。

『ヒベアーの跡取りが襲いでもして逃げたんじゃない?』

『屋内に荒らされた様子はないか?』

 オレンジ髪の台詞を軽く無視する大男に肩を竦めると、彼は特に気を悪くした様子もなく顎に当てた手で軽く擦っているようだ。

『ん〜、驚くほど綺麗に掃除してる。空っぽって言っただろ?変な話、見事なほど髪の毛一本見当たらない。つまり自分で片付けちゃってるから誘拐の線は消していいと思うよ』

『なるほど、賢いな。使役防止か…』

『…どうした?』

 何かに気付いたように首を傾げるオレンジ髪に、どうやら黒髪はニヤリと嗤ったようだ。

『髪の毛一本ぐらいは欲しかった』

 途端に嫌そうに眉根を寄せて『うえっ』と口をひん曲げるオレンジ髪に、大男の肩が揺れて、声なく笑ったようだ。
 商人熊並みにキモいこと言うヤツだな。

『で?ヒベアーは2日後、バルモア伯爵はもう直ぐ来るけど、これからどーすんの?』

 腰に剣を下げているし、緩く会話をしているように見えて隙らしい隙もない。気配も慎重に広く、そのくせさり気なく探っているようだ。どうやら、かなりの手練れみたいだから、もし対峙したら狩人如きの俺は走って逃げるべきだ。但し、逃げ切れる自信はない。
 目の前にある黒尽くめの大きな背中の持ち主に至っては、何故か隙だらけに見えるのに、安易に手出しできそうなのに、何故だろう、手を出すなんてとんでもないし物凄く不安になる。
 下手したらオレンジ髪なんかよりもめちゃくちゃヤバいヤツのような気がする。
 絶対に関わりたくない。
 冒険者なんだろうか…こんなヤツにまでまさか追われるんじゃないだろうな。あれ?これ夢だよな。新しい乙女ゲームの記憶が蘇ったとか?

『…』

 大男は何か考えているようだったけど、不意にバッと振り返ってきた。
 ゴロンッとしたままそれでも不安で、恐る恐る見ている俺と目が合ったような気がする。
 夢なのに?目が合う?
 真っ赤なルビーのような透明度のある虹彩を持つ、ゆらりとした、底知れぬ仄暗い執着が見え隠れするような双眸にビクッとして身体が固まった気がした。
 ハクハクと息がし難い。

『どうしたんだよ、さっきから』

 オレンジ髪の惚けた声音が、鳥の鳴き声、水の波紋のような森のさざめきに、驚くほどあっけらかんと響いている。

『…此処はもういい、行くぞ』

 満足したようにニタ…と嗤った男がオレンジ髪を気にせずに歩き出した。長い足が大股で先を急いでいる。

『この家…つーか、小屋は燃やさなくていいのか?』

 その声にも応えずにサクサクと森の奥に消える頭の天辺から爪先まで黒い衣装に身を包んでいる、清廉な森の中に在って驚くほど不協和音を醸す異質な大男に、オレンジ髪は呆れたように天を仰いで溜め息を吐いたみたいだった。
 …ガバッと起き上がった。
 悪夢の後の気怠さと全身をびっしりと濡らす冷や汗、本当だったら気持ち悪さに風呂に入りたいと思う筈なのに、それら全てが全く気にならないほど心臓がバクバクしている。
 確かに目が合った。
 あの恐ろしい大男と夢の中なのに目が合った。
 あんなヤツ、見たことも妹の話にも出てきたことない筈なのに…カタカタと震える指先が恐怖に竦んでいるのを思い知らされる。
 咽喉がカラカラで、腰ポーチの中の革袋を取り出してゴクゴクと水を飲んだ。

「何だったんだろう、今の夢…」

 …夢?
 おい、俺!感じろ、あの気配は本当に夢の中の気配だったのか?!
 不意に何かを感じて目の前のテントの出入り口に、恐怖で瞼が痙攣するのもそのままに、息を殺して目線を向けた。
 夢の中でオレンジ髪はなんて言っていた?確か俺が旅立ってから3日後のようなことを言ってなかったか?
 俺の足で半月で辿り着いたこの村に、もし、ああ考えたくないけど、もし夢の連中が追い駆けて来たとしたら、とっくに到着して待ち伏せだってできるんじゃないのか…

「ははは、気付かれちゃったみたいだよ、ルード」

「…オレでも入れないようだ。難攻不落の城に籠った姫を誘き出すにはどうすればいい?」

 もう気配を隠すつもりはないようだ。
 隠密レベルがエグ過ぎるだろ。

「中にいるんだろう?テントごと燃やされたくなければ、開けろ」

 大丈夫だ、最強マジでも打ち破れないポーションを使ってるんだ、誰にも開けられないただの脅しだ。
 俺はコイツらが諦めるまで亀の子でいればいい。
 ジリジリと真夜中の時間がカタツムリが這うようにのってりと遅く過ぎても、彼らは無言でそこに立っているようだ。最初こそ感じた圧のようなモノは、今はかなり弛んでいる。この我慢比べを、まさか楽しんでるのか?
 人違いです…とか言ってみようか。今の俺は髪は金褐色だし、夜なら褐色にしか見えない。

「フーフー毛を逆立てちゃってるよ、今日は無理なんじゃね?」

「隠密レベルはそこそこみたいだな。だが、今は恐怖が勝っているようだ。乱暴にされたくないなら、大人しく出てこい」

 俺がちょっと気を抜くと直ぐに仕掛けてくるから、やっぱ人違いです作戦は難しいみたいだ。どうしよう。
 でも、これだけの隠密レベルと威圧レベルを持っているヤツなんて、絶対にSクラス以上の冒険者に違いない。そんなヤツらでも突破できないんだろう、流石俺様の魔法増強ポーションだ。
 …誰の依頼なんだろう?商人熊かな…こんな連中に敵うワケないよ。
 やっぱり乙女ゲーム神は、何がなんでも俺を捕まえて奈落に叩き落とすつもりなんだ。今までの逃亡劇を嘲笑って…俺はまだ何もできていないのに。

「…ヒ、……ぅく、…うぅ……」

 声を殺したつもりなのに、食い縛った歯の隙間から溢れる嗚咽に、そんな弱気な自分が許せなくて一生懸命泣き止もうとするけど無理っぽかった。
 悔しい、悔しくて仕方ない。
 誰だよ、こんなバケモノに依頼したの。バなんちゃら伯爵か?商人熊か?…どっちにしたって今捕まっても絶対に逃げ出してやるからな!
 グッと奥歯を噛んで恐怖を振り払ってから、俺は覚悟を決めてテントの開閉部を開け放つことにした。
 コイツらに捕まっても、商人熊や伯爵からは絶対に逃げ出せる、それを信じて、今は取り敢えず捕まろうと思うんだ。

「あ、あれ…?誰もいない??」

 テントの入り口を開いて恐る恐る外を見たのに、氷点下よりも寒々しいあの声の主も、何処かすっ惚けたような軽い口調のヤツも、まるで最初から誰もいなかったかのように完璧に気配がなくなっている。
 隠密レベルはマックスっぽかったから、たぶん、何処かからこっちを見ているに違いないけど、今は見逃してくれる気になったのかな。
 悔しいし、そんなことしなくてもいいと思うけど、ムゥッと唇を尖らせながらもポソッと呟くことにした。

「…俺、冒険者になりたいんだ。その、今は見逃してくれて有難う」

 不意に声なき笑い声が聞こえた気がしたけど、背筋が冷えて身体を震わせると、夜風のせいだと思い込んで俺はアタフタとテントに避難した。
 それから夜明けまでまんじりともしなかったんだけど、何もないとホッとしたら、そのまま少し寝てしまった。
 目が醒めて、寝惚け眼を手の甲で擦りながら、気配を探ってみる、だけど他の冒険者の賑やかさはあるモノの、恐怖の塊でしかなかったあの冒険者の一行の気配はないみたいだ。
 いや、気を抜いてはダメだろう。
 隠密レベルおばけだったんだ、たぶん、今も何処かで見張っているに違いない。
 腰ポーチを装着してからリュックを背負って弓と矢筒を肩に掛けて、先ずは冒険者広場の中央にある井戸で顔を洗って目を醒まそう。小川に行こうかと思ったけど、今はヒトがいない場所に行くのは得策じゃない気がする。
 森に入るのは旅の準備が整ってからじゃないと…フードを目深かに被り直してテントから出て、周囲を見渡して仮初めの警戒をしてから、そそくさと井戸に移動して、それから腰ポーチからもこもこのヘアバンドを取り出してからフードを外して装着だ。
 魔力zeroの俺は設置されてる蛇口を捻っても水を出すことができないから、ガラガラと桶を投げ込んで、人力で水を確保するしかない。
 冒険者の中にも稀に魔力のないヤツも居て、そう言う連中は極限まで肉体強化をした格闘オバケへと進化を遂げるってワケだ。
 汲んだ水でバシャバシャ顔を洗ってから、水の冷たさに首を竦めてブルブル震えた後、タオルで顔を拭いて、腰ポーチから取り出したコップと歯ブラシで歯磨き開始。
 本当は洗顔にクブ石鹸を使いたかったけど、一定数の人間がチラチラこっちを見ているのを知っているから、態と目立つ必要もないと断念した。変な汗掻いたし、森に入ったら水辺でクブ石鹸使いまくって行水でもしようっと。
 井戸の縁に腰掛けて歯磨きしつつ、ふと年頃の若人にしては細い自分の腕に気付いて、ムーッと眉が寄ってしまう。
 昨夜は声だけだったけど、あの夢が魔法か何かのチートで見たモノでその全てが事実だとしたら、あの2人…いい身体してたよな?
 背も高いし、タッパもウェイトも充実してるとかうら…羨ましくないんだからね!
 成長期だからまだまだ伸びるけど、俺の身長が160ちょっとぐらいで、あの家の前にある木の傍に立ってた黒服野郎は、たぶん少なく見積もっても40センチぐらい俺より高いんじゃないかと思う。オレンジ髪野郎は30センチぐらいだよな。ドアの前に立ってたから判り易い。
 2人とも服パツパツだったし筋肉オバケっぽかったし…

「うーん、俺も身体鍛えたらムキムキになるかな?」

 袖捲りした白い腕をムンッと曲げて力瘤を作ってみても、あの2人、いや遠目にこっちを見ているあの冒険者どもと比べても貧弱なのは理解してる。あの2人は規格外っぽいから除外だ除外!
 でも、決して筋肉がないワケじゃないんだ。弓を引くから細マッチョなだけなんだ!と、誰にともなく言い訳して赤面しても仕方ない。
 誰かにクスクス笑われてもそっちは見ない。
 美と愛欲の女神様の加護のせいで、魅了レベルが10もあるからな、目の合った相手が運命感じて問題が発生するんだよ。下手したらストーカー、運が悪ければ拉致監禁、ぜってぇ嫌だからな。
 コップと洗った歯ブラシを腰ポーチにしまいつつ、ポフっともこもこのヘアバンドを取って同じく仕舞い、ボサボサの髪を手櫛で整えて準備完了だ。
 露店の朝市に行くぞー

6  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 ああぁぁ〜…正直詰んだわーとか、最初こそヤル気だったモノの、優柔不断だから急に悲観に暮れたりしながら、それでも順調に距離を稼いでいた。最初の村に着くのは最長90日、最短で30日はかかると思っていた…方向もよく判らんし。だけど持って生まれた野生の勘のおかげか、順調に半月である地点でジャスパーに入ることができた。どの世界でも看板って有難いし大事だよな。
 道中でも練習してたから射撃レベル8になって凡人からランクが狩人に上がったし、必要ないけど薬草を解析して解析レベルも5まで上げて、気付いたら狩りの最中に培ったのか、隠密レベルがNEW!で付与されてた。
 ポーション作成レベルは…99でカンストのはずだけどまだ上がりそうで正直怖い。
 そうそう、魔女のばーさんがやっぱり俺が独りになるって心配してたから子供の頃から教えてくれてたおかげで、隠密レベルは付与された時には既に12だったから、これで一気にランク上げができたんだろうな。
 フィラの足で30日と思っていた行程も、思ったより全然疲れないしサクサク進むしで、実はつい今し方、テッテレー、最初の村に着いたんだぜ。
 若さか、若さっていいな!
 早速ポーションを売ろうかなって思ったけど、場所がよく判らないから、取り敢えず冒険者ギルドを探してみることにした。
 村とは言ってもそんな寂れた感じではなく、其処彼処に冒険者もいて、なまじずっと森の中で暮らしてたモンだから、今は引きニート並みのメンタルのような気がする。
 俺の顔は自慢じゃないが控えめに言っても目立つから、できるだけフードを目深に被って、露店が犇めく大通りのような賑わいのある場所を目指した。
 柵で囲まれただけの村の入り口付近は閑散としてたけど、やっぱ旅人や冒険者目当ての露店通りは賑やかだな。

「あの、ちょっと聞きたいんですが…」

「なんだい?なんでも聞いておくれよ!」

 威勢のいいおばちゃんは態々作業の手を止めてまで屈託のない顔でにっこり笑ってくれる。悪いなぁとは思うけど、そんな風に対応されると特に必要なくても買っちゃうよね。
 商売上手なおばちゃんだ。

「これください。あの、この村の冒険者ギルドって何処にありますか?」

「はいよ、ありがと!…冒険者ギルドかい?依頼の為の出張所ならあるよ」

 何か依頼するのか、若しくは、リュックとか弓を肩にかけてるから見た目狩人に見えるんだろう…いや狩人にランクアップはしてるけど?だから依頼完了報告にでも行くのかと思われたみたいだ。

「あの、出張所って冒険者登録ってできるんですか?」

 ジャスパー特有の柑橘系の果物とお釣りの硬貨を腰ポーチに仕舞いながら聞いたら、おばちゃんは困ったような顔をして首を左右に振った。

「出張所は依頼の受発注だけの業務しかしてないよ。ほら、ルッケ村は小さいからねぇ。次のウルソ村は少し大きいから、簡易冒険者ギルドがあるんじゃないかね」

「次の村ですか…えーっと」

 何処か判らん。
 南から来たから北に進めばいいのかな?それとも東西か、こんな時、地図がないと不便だなぁ。

「おや、アンタもしかして別の地方から来たのかい?」

「ベリーヌの端の村から来ました」

「ベリーヌ…」

 詳しい村名もない森の奥深く住みだったからその辺りは暈して、次の村の情報が欲しくて地名だけ明かしたら、不意に人の好さそうなおばちゃんが眉を寄せて顔を曇らせた。
 俺、なんか拙いこと言ったか?

「ああ、アンタがどうってワケじゃないんだよ。最近、ベリーヌの豪商のヒベアーが越境したのは知ってるかい?」

 あわあわしそうになった俺に首を振って、おばちゃんが迷惑そうに話してくれた。
 フィラの薄ぼんやりした記憶を漁ったら、確かヒベアーって商人熊の商団じゃないかとのことで、だったら越境って言うのは決まりを破ってジャスパーに商売に来たってことだ。何それヤバい。

「狩猟しながら森の中を来たから知らないです」

 できれば詳しく!
 他のお客さんの邪魔にならないように避けていたら、お喋り好きのおばちゃんがご機嫌で詳しく話してくれた。

「罰金100万ティンも払ってまで越境した理由が、跡取りの恋人が行方不明になったからビラを配らせて欲しいんだってさ!お金があるところにはあるんだねぇ」

 大金貨一枚も払ってビラ配りとか…何それ怖い。
 あの商人熊、そこまで俺に執着してたのかよ。つーか、いつ恋人になったんだよ、妄想乙!とか言ってる場合じゃないか。

「おう!その話か、何でも貴族も捜してるとかで、ちょっとした話題になってるよな!」

 買い付けにでも来たのか、商品を受け取りながらおっちゃんまで話しに参戦してきた。とは言えそれどころじゃない俺は、思わず吐血でもしそうな気持ちをグッと堪えて、これまたお喋り好きそうなおっちゃんに聞いてみた。

「貴族まで捜してるんですか?何かしたんですか、そのヒト…」

 貴族って誰?バなんちゃら伯爵か??!

「そりゃあ、ビラを見ても判るぐらいの絶世の美女だからな!商人と貴族が取り合ってるんだろ」

 面白おかしく言うおっちゃんのおかげで、ちょっと落ち着くことができた。
 そうだよな!女を捜してるんなら俺には関係ないな!登場人物が俺があまりにも避けている背景の連中だったから、ちょっと警戒しちゃったじゃん。

「森に棲んでいたそりゃあ綺麗な薬師だったらしいけど、突然居なくなっちゃったそうでね。物静かでたおやかな自分から出ていくような子じゃなかったそうだから、誘拐されたんじゃないかって情報提供を呼びかけていたよ」

 たお、やか……?吹いても折れない俺だよ??逞しく自分の両足で出てきたよ???
 おばちゃんがそう言って差し出したのは、当然配られたビラで、肖像画は盛り盛りに盛っているけど残念ながら俺の美しさを伝えきれてねぇ代物だった。これ、どう見ても女だろ。俺は男だし、でもよく見たら薄い色のポーションが売られたら連絡をくれだって?!くっそ、あの商人熊!
 ポーション売れなくなっちまったじゃねぇか!

「その人たちって次の村にも行ってるんですかねぇ?だったら、同じベリーヌってことで迷惑がられるんじゃ…」

 思わず握り潰しそうになったビラだけど、おばちゃんは肖像画の俺擬きが気に入っているそうだから、いますぐメチャクチャに破り捨てたいのを我慢して返しつつ聞いてみた。

「ううん、すぐジャスパーのゲイン商団が来てビラは全部回収して燃やしちゃったよ。仲が悪いからね、あの連中は」

「はあ…」

 でも冒険者たちは持ってるかもしれないし、おばちゃんが持ってるぐらいなんだから、もうこの近場の村じゃ暫くポーションは売れないな。

「まあ、アンタも冒険者に登録すれば判ると思うけど、ギルド発注じゃない依頼は受けないからね、冒険者たちはビラになんて見向きも受け取りもしなかったよ。もうこのビラはこれだけだから貴重だよぉ」

 冒険者のことを考えてるって気付かれたのかとギクリとしたが、実際はどれだけそのビラが貴重であるかを、おばちゃんはただ自慢したかっただけらしい。マジか、ビビった。
 つまり、シナリオは着実に進んでいたってワケか。そう言えばログハウスを発ってからもう半月だもんな、すっからかんの家を見て諦めただろうと思っていたのに、まさか商人ギルドの決まりにまで背いて越境するとか、あの商人熊気持ち悪いを通り越して気味が悪いな。
 あと、やっぱ3日後に貴族も来たのか。
 おばちゃんとおっちゃんに礼を言ってからその場を離れ、俺は唇を噛んで考えた。
 バなんちゃら伯爵だよな…妹の声で少しずつ思い出してるけど、やっぱり貴族の名前と商人熊の名前は思い出せない。大まかな粗筋も全然だ。思い出せるのは帝都の魔法学園で周囲を巻き込んでワチャワチャするぐらいか、どうやら主人公たちは世界を救う大志は抱いていないらしい。

「参ったなぁ…ポーションも売れないし、ましてや念願の冒険者ギルドの登録もできないとか、乙女ゲームの癖になんつー無理ゲーを…ん?」

 取り敢えず森に戻って今夜の宿泊場所を確保しようと歩き出したところで、露店の並ぶ繁華街?を逸れた少し寂れた雰囲気が気になって向けた目線の先、簡易な木製の囲いがされた広場がある。
 大小様々なテントやタープが所狭しと乱立しているけど、それぞれにヒトがいるってワケでもない。

「おお!此処ってまさか冒険者広場?!」

 簡易な木製の柵を掴んで身を乗り出して見渡すと、それまでの凹んでいた気持ちが一気に浮上してくる。
 だってよー、ずーっと森の木の上で寝てたんだぜ?屋根のある場所で寝たいよな。
 俺のような初心者冒険者は手持ちの路銀も少ないだろ?この規模の村の旅人の宿に泊まろうとしたら、たぶん一泊素泊まりで1000ティンはくだらない。下手すれば1500ティンとか取られる可能性だってある。乾燥肉大袋約3袋分だぞ…普通に震えるわ。
 さて、そんな初心者若しくは玄人でも節約中の冒険者たちにオススメなのが、テッテレー、この冒険者広場ってヤツだ!
 屋根付きの簡易宿泊施設で、好きなテントを選んで宿泊することができるけど、此処を管理しているのはだいたいその地方で有力な商団だから、恐らく露店のおばちゃんが言ってたゲイン商団だろう。商団の出張所がある筈だから、そこに行ってテントの貸出許可を貰わないと。
 確か相場は一張り350ティンぐらいだったはず。いや、もうちょっと高いかも。魔女のばーさんが過去に泊まった時の情報だから、今は少し高くなってるんじゃないかな。どの世界も物価高騰のあおりは庶民や冒険者に来るんだよなー
 テントに目星を付けてから、出張所は冒険者広場の近くにあるってのが定番だから、早速周囲を探索探索ー。
 テントは正直野宿続きの俺には有難いし嬉しい、だがひとつ覚悟しないといけないことがある。
 大きな町や村の冒険者広場だと巡回する自警団がちゃんと常駐していて管理しているけど、この村の広場には自警団がいない。と言うことはゲイン商団はテントの管理だけで犯罪行為は見て見ぬ振りをするってワケだ。
 出張所を見つけたから入店すると、ヤル気のなさそうなおっさんに希望のテント番号を言って料金を支払う。何と550ティンだった!乾燥お肉大袋1袋分也。でも、この値段で最長3年まで借りられるからかなりお安い、宿だと一晩1000ティンだからな!それから先客有りを表示する木札を貰っていざ広場へ。
 オレンジ生地に緑の幾何学模様がシャレオツな、選んでおいたテントの天辺に、貰った木札を掛けて固定の魔法をかける。俺みたいに魔力zeroでも扱えるのは木札自体が発動する魔法だからだ。
 固定されると俺以外が外すこともできないし、無理に押し入ることもできない魔法が発動する。だけど、Bランク上位ぐらいだとこの魔法を打ち破れるヤツもいて、初心者冒険者の荷物を奪ったり、綺麗なヤツをレイプする変態とか、つまり撃破されたら自分の身は自分で護らないといけないってワケだ。自警団がいないからね。
 そんな場所でこの美しい俺様を無謀に危険に晒すとでも?この俺様を?そこで登場するのが、テッテレー、クソッタレ暴漢や変態痴漢は押し入れないぞ☆魔法強化ポーション〜!
 素晴らしいネーミングだ、片手を腰に片手に持った小瓶を高々と掲げて流石俺様と一頻りドヤったら満足したから、一昨日偶然に出来た薄ピンクのポーションをテントや木札に全部振り掛けてやった。
 ビシャビシャに濡れたあと、すぐにキラキラして、それからモクモクと煙が出たら元の状態に戻っていた。
 でもコレで侵入を強力に防げるようになったぞ。
 解析結果では世界に10人弱ぐらいしかいないSSSクラスの冒険者の侵入も容易に防いでくれるらしい。まあ…名誉のSクラス以上を達成した冒険者が、まさか登録もしていない超初心者から何かを盗むなんて、前代未聞の馬鹿げた茶番を繰り広げるワケはないと思うんだけど、でもほら、この俺様でしょう?モノは盗まなくても貞操は奪えるじゃない?胸に手を当てて考えても震える。
 厭な汗が出るわ。
 こんなところにSクラス以上が、Aクラスだって来ないだろ。大抵、悪さをするのはBクラス以下だって決まってるから、取り越し苦労だとは思うけど、念のため何だってしておくんだよ。
 ないとは思うけど上位種魔物乱入とか洒落にもならんしね。
 これで漸く安心して入室できるし、何なら今まで片時も手放さなかったリュックと腰ポーチを外して伸びもできちゃうんだぜ。
 空間魔法の類なのか、小さいと思っていたテントの中は思ったより広くて、160弱の俺がゴロンと寝転んで両手を広げても余裕の広さだ。
 この中で料理もできるから、もう明日まで少しも外に出なくていいのは楽ちんだ。
 残り少ない白パンでなんちゃってバーガーを作って喰いながら、残金と薬草の在庫を確認してみた。
 白パンはこれで終わりだから、明日からは黒パンで代用しよう。黒パンはちょっと硬いらしいけど、バーガーにはいいんじゃないかな。
 折角テントを借りたけど、此処に長居をするのは無謀だと思うから、今日はぐっすり休んで明日の朝露店の朝市で買い出ししてからウルソ村に旅立とう。
 此処じゃポーションで荒稼ぎもできそうにないし…できたとしてもリスクは高いから、商人熊に見つかるとか思ったらゾッとするわ。
 バなんちゃら伯爵も好色なおっさんらしいから、誰にだって捕まりたくないっての。もういい加減、俺のことは放って置いて欲しいよチクショウ。
 食事を済ませて、リュックから寝具一式を取り出して、思った以上に疲れていたのか、俺はブランケットに包まりながら直ぐに眠りに落ちることができた。
 明日も楽しむぞー

5  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 勿論、べリーヌの一番端っこに住んでいた俺がジャスパーの一番べリーヌ寄りの村に行くには、徒歩と言うこともあって30日から90日は掛かるんじゃないかと思ってる。
 慎重かつ迅速に進みながら、弓の腕も上がったし、最近では野生のウサギだけではなく、大物の野生のイノシシだって狙えるようになった。
 道中で不足するから出来るだけ野営地…って言っても、冒険者の為のベースキャンプじゃなくて、俺が勝手に作った場所だから粗末なモンだけど、その場所でポーション作りに精を出す。
 ポーション作りは先ず地面にある土や川辺から持ってきた砂で瓶を作り、それから道中で見つける馴染みの薬草やら新種の薬草を欠かさずに採取して腰ポーチに入れてあるから、それを取り出して洗いもせずにそのまま瓶にギュウギュウに詰め込んだら手を離す。すると不思議なことに薬草でパンパンの瓶が宙に浮かんでいるんだ。
 既に魔法が発動しているのか、それから瓶に両手を翳してホアアアーッと大雑把にポーションのことを考えると光り輝いてポンッと液体が満たされた瓶が転がって完了となる。自然に落ちてもこの場合は魔法が発動してるから割れない。普通なら割れる。
 これだけ、特に魔力切れとか体調不良も感じないし、あと50本作ってもへっちゃらだったりする。疲れるのは材料の薬草採取って言うのがね、たははは。
 1日の終わりには必ずポーションを作るようにしているから、リュックの中はポーションの山だと思う。最初の村でギルド登録したら、何本か試しに売ってみる予定だ。
 商人熊がどれだけオマケしてたのか、それとも低価格にしていたのかが判る瞬間だ。
 でも適正価格が判らないから何ともかんとも…ゲームでよくあるアナライズとかの解析魔法はないのかな?つーか、俺が使えないだけなんじゃ、それだったら結構辛いぞ。
 よし、さっきできた薄黄色のポーションで練習してみるか。
 実際、このポーションが何に効くか判らないんだよね。初めて見る薬草をぶち込んだからさ。

「落ち着けー落ち着けー、集中集中!アナライズ!」

 適当に呪文らしきモノを唱えて、片手を翳しながら掴んでいる小瓶をじっと見据える。
 …。
 ……。
 ………。
 …………。
 ……………っダァ!ダメだダメだ、途中から睨み据えたけど無理だった。息だって止めてたかもしれん、これじゃあ解析する前に俺が倒れるだろ。
 呪文がダメなのかな?じゃあ…

「解析!」

 意気揚々と言ってみたけどこれもダメだった。
 生活魔法も出来ないのに戦闘系魔法が使えるかっての!解析はモノだけじゃなくて、ヒトや魔物や動物にも使用できるので、カテゴリは戦闘系スキルになる。
 これを取得できれは冒険者ギルドに登録に行く時、得意なのは弓矢とポーション作りと解析ですって言えるんだけどなー、今のままだと魔法スキルなしの登録になるからちょっとな。
 ポーションは生産系魔法で、冒険に役立つのに、何故か戦闘系とか冒険者スキルとして認められないんだよ。理由はやっぱり俺には判らんけども。
 大いなる乙女ゲーム神の御心か、若しくはコズミック・パワーの賜物か、自分でも何言ってるか判らん状態だから練習練習!

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよポーション!」

 ヤケクソで言ってみたら…不意にぼんやりとポーションの前に半透明の青いウィンドウ?みたいなのが現れて、ボヤッと文字が浮かび上がった。
 こっちの文字だけど、転生者の記憶の俺だけど、文字練習道々でしてたし俺以前のフィラの記憶もあるから読めることは読める。
 それによるとこのポーションは…

「エリクサーだって?世界樹の雫に次ぐ万能薬だ。価格は適正買取価格で20万ティン!すっげー!!」

 道端に自生する薬草を摘んだら大金が生まれるシステムって凄くない?俺、まじビックリだわ。
 これ売ったら和の大陸に行けるんじゃね?
 レベルはどうなんだろ?えーっと、3かー、思ったより低いな。
 因みにポーションのレベルは10まである。
 これレベル3で20万ティンか…考えると怖いな。
 因みに、実はこの世界にも世界樹ってのがあって、どの大陸にも根付くことがなく、今は空高く漂って眠れるドラゴンが身体で取り囲んで護っているんだとか。世界樹の雫ってのは魔法とか必要なくて葉に溜まる朝露を瓶に入れると世界樹の雫になって、死者すら生き返らせると言うミラクルレアの秘薬なんだと魔女のばっちゃが教えてくれた。
 世界樹の雫は無理でも、エリクサーレベル5ぐらいまでは狙えるんじゃないかな。道端の草、いっぱい摘むぞー!
 他の薄青系ポーションを見えーる見えーる解析で見たところ、商人熊がお墨付きにするだけあって、レベル7〜9の出来だった。適正買取価格は900〜1000ティンだから、商人熊はちゃんとほぼ適正価格で買い取ってくれていたってワケだ。
 まとめ買いだから誤差込みなんだろうな。
 ポーションは良しとして、解析ができるとなると今の自分のレベルとかスキルとか知りたいよな?断然、し・り・た・い!

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよ!」

 ホント、人前で唱えたくない呪文を自分の腕に向かってちゃんと言ったってのに、何故か半透明の水色のウィンドウが開かない。
 あれ?変だな。
 まさか、対象物の名前を言わないといけないのか?ポーション作りはホワワワーでどうとでもできるくせに、どうして難しくもなさそうな解析で恥をかかなくちゃいけないんだ。
 必要ないにしても周囲の気配を窺って、頬をさらに薔薇色に染めて、クゥッと屈辱に耐えながら自分の腕に向かってもう一度!

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよおーれ!」

 まあ、とは言えノリノリなんだが。
 ノリノリなのにウィンドウが開かない…レベル不足で対人は無理なのか、調子はいいのに魔力切れか。ポーション作りは無限じゃねぇかってほど無尽蔵のくせに、解析で魔力ダウンとか嘘だろ?!

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよフィラ!」

 これもダメ。

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよフィーラ!」

 うんともスンとも言わない。

「見えーる見えーる、バッチリ見えるよフィーラちゃん!」

 ブゥンッと無機質な音を響かせて半透明の水色のウィンドウが開きやがった。きっとこれアレだろ、俺を試してるか揶揄ってる類の呪文だろ。責任者誰だよ、出てこいよ。
 とかブツブツ悪態を吐きながら確認すると、俺の氏名、リィンテイルじゃなくて通り名のフィラになっているのが表示されていて、その横に年齢とヒト族とある。てっきりこの美貌はエルフとか精霊のハーフかと思ったのに、ヒト族だってよ。フィラってパネェな。
 体力と魔力が数値化されてるのは有難いけど、この年で体力150で魔力0って普通なのかな…って魔力0?!魔力zero?!魔力ゼェロゥ???!!!
 どう言うことだ、じゃあどうやってポーション作ったり解析見れてるんだ?!
 慌ててスクロールして攻撃力とかすっ飛ばしてスキルを見ると。

 ・弓矢射撃レベル3
 ・ポーション作成レベル95
 ・解析レベル1 NEW!

 …スキルレベルって普通マックス20だぞ?
 ポーションのこれ普通のゲームだったらほぼカンストだぞ、何かの間違いじゃないのか??!え、でも言われてみるとホワワワーで何とかできるレベルって普通に考えてもおかしいよね。今気付いたけど、そんなモンだって思ってたけど、俺のポーション作りの過程とか色々おかしいよね!
 さらに下に備考欄みたいなのがあるからスクロールしてみたら。

 ・祖父の弓作りの加護 弓作りレベル10 NEW!
 ・孤高なる寂しき魔女の加護 学習レベル10
 ・美と愛欲の女神の加護 魅了レベル10
 ・大いなる自然の加護 薬草知識レベル∞
 ・癒しと死の神の加護 ポーション知識レベル∞
 ・厳格な戒めの大地の加護 魔力生成レベル70

 加護の量がバケモノだ!普通、加護なんてSランク以上から付与されて3つが限界だぞ?!何より大いなる自然の加護からの意味が判んない!!
 待って待って、知識レベル無限って何?!
 魔力生成レベル70って!昔、大賢者が大変な修行の末に自然の大気や大地から純粋に魔力を生成する究極の技を編み出してそれに魔力生成と名付けた、マックスレベルは15が限界だったって魔女のばっちゃの本に載ってたぞ!
 …なんだろうこれ、異世界転生した俺へのご褒美チートかな?
 お疲れで脱力しちゃってえへへと笑った俺だけど、ちょっと待てよ、解析できる魔女のばーさんはこれに気付かなかったのか?
 気絶してる場合じゃないし、よく考えてみよう。
 あの商人熊だって解析は使えるから、よく俺のことを見ているようで、偶にニヤニヤしてて気持ち悪かったけどそれはこの結果が見えているからじゃなかった。
 見えていたら、あんなエロい目付きにはならない、それどころか、金の成る木だって商人魂でもっともっとギラギラした目付きになっているはずだ。
 もしかしたら他人には『美と愛欲の女神の加護』だけが表示されているんじゃないのか?
 バグかな…よし!見なかったことにしよう!
 多分だけど、ポーション作成レベルも他人には見えないようになってるのかも。
 冒険者ギルドでスキルチェックの時、どう表示されるんだろう…まんま出たら詰む。多分中央のお偉いギルド長とか来るか連行されるかして、王族のお抱えとかになって良くて飼い殺し、悪くて好色だって噂の王太子(攻略対象、大事なことだから2回言うけど攻略対象)の慰みモノ兼飼い殺しで若くしてダイするんだぜきっと。
 い・や・だぁぁぁぁぁ!!!
 両手で顔を覆って無言で天を仰ぐ。
 こんな落とし穴があるとか恐るべしだな乙女ゲームのBL要員!
 何としてでも誰かと絡ませようと思ってるな?どうしても俺を男に抱かせる方向に進めようとしているだろ。
 今までの他人の見え方を信じて登録に行くか、それとも諦めて地道な狩猟生活で小銭を稼ぐか…でもそんなことをしたって、村や町に入れば冒険者がいる。本当は商人熊みたいに勝手に解析で覗き見るのは御法度だし最大限の失礼になるけど、一定数、面白半分で覗くヤツもいるし、気になるヤツなら尚更覗く商人熊みたいな変態だっているんだ。
 隠したまま生きるなんて土台無理な話だったんだ。
 ならもういいや、ジャスパーの最初の村で冒険者ギルドに加入してみよう。
 この旅の間に誰とも出会さなかったから気が気じゃないけど、クヨクヨしたってどうしようもないんだ。バレたら潔く首を括る。だって王太子の愛妾とかぜってー嫌だもの、俺にだって選ぶ権利ぐらいあるだろ。
 俺、前世も今世も順応オバケなんだからへっちゃらだ。寧ろ苦境に打ち勝ってやるからな、覚えてろよ乙女ゲーム神め!!
 よっしゃ!そうと決まればサクサク行くぞ。頑張るぞ俺!

4  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 川辺に戻ったら、案の定小動物が悪さしに来ていたような痕跡はあったけど、流石はフィラ様の作る忌避剤は最強だな。地団駄踏んでどっかに行ったんだろう、ルべの実に被害はなかった、ニヤニヤだ。
 乙女ゲームの世界観にゾワゾワして忘れてたけど、俺はフィラと自分は別個体で共存してるとか思ってたんだよな。
 でも狩猟をして、その癖も何もかも俺で、不意に俺はフィラでフィラは俺だと実感するようになっていた。だからこそ、乙女ゲームに引き摺られているのなら争いたいし、逃げられるのなら逃げ出したい。今までは何処か他人事だったけど、今は切実に俺は俺を救いたいと思っている。
 フワフワしていた何かがギュッと形作られて、定められた安定した器にやっと収まったかのような充足感に、俺は自分がフィラであることを受け入れることができた。そうなったら今度は生まれ変わって若返ったのなら、この世界を余すところなく堪能し、余生を楽しんで生きなきゃ、せっかく貰ったチャンスが勿体無いって思うようになるワケだ。
 幸い俺には前世の記憶が残ってるし、思い出すまでのフィラの記憶も薄らあるから、貴重なポーションだって作れちゃうんだぜ。
 追われて怯えるだけなんて馬鹿みたいだ。
 頬に跳ねた血を腕で拭って、見ろよ俺、ちゃんと野生のウサギの解体だってできてる。向かう所敵なしじゃね?
 必要はないんだけどそのまま腰ポーチに肉を入れるのもどうかと思ったから、オオバオの葉が殺菌作用や余分な血液や水分を調整して鮮度を保つ効能を持っているのは知ってたから、解体した肉は葉に包んで腰ポーチにインした。金と食い物と飲み水と日用品は全部腰ポーチで、大物の雑貨やブランケットなんかの寝具、薬草、ポーションなんかはリュックにインしてる。
 薄青のポーションは腰ポーチにも忍ばせているけども。
 大丈夫だ、俺はこの世界でちゃんとやっていける。前世の俺も今の俺も順応オバケだからさ、どうやったって生きていけるよ。だから大丈夫だ、バなんちゃら伯爵や商人熊からちゃんと逃げ出したし、これから関わるかもしれないヤツ、つまり攻略対象者って連中だが、絶対関わらん!関わってもいいことなんかないだろうから、俺は冒険者になって乙女ゲームのキャッキャウフフは遠慮するよ。
 それに…乙女ゲームのヒロインが今の俺を見て『可哀想だ』とか『男娼でもちゃんと迎えに行くわ』とか思ってくれるんだろうか。つーか、男娼じゃねぇし、風が吹けば倒れる白百合のフィラなんて何処にもいねーしな。
 キャラと言えば、アレがリィンテイルである俺が引っ張られて創り出したキャラだったんじゃねーかな。実際は今のこれが素だしね?
 程よく乾燥したルべの実をリュックから取り出した、テッテレー、大ぶりの乳鉢にぶち込んで乳棒でゴリゴリしてやるとすぐに桃みたいないい匂いがふんわりと香り出すから美味そうだ。
 でも喰ったら吐くから匂いだけ堪能しとこう。
 清らかに流れる小川にルべの実と格闘している俺の姿が映っていて…金髪とは暫くお別れだなぁと午後の陽射しに眩く輝いて俺様の目を焼く蜂蜜色の飴菓子みたいな、巻き毛っぽかったのが緩く波打つようになった肩までの長さの髪にグッバイと言ってやる。
 実際どんな色に染まるんだろう、今からワックワクだな。
 勿忘草を閉じ込めた水晶の双眸を縁取る繊細そうな金細工みたいな睫毛にも塗ってやるし、目に入って転げ回る大惨事はできるだけ回避で、アンダーヘア?何だっけ、オシャレな言い方とか判らんから率直に言うけどちん毛と脇毛にも塗りたくろう。
 もうおっさんじゃないけど記憶におっさんがいるんだから若人感zeroでごめん。ちょっと若人っぽくゼェロゥって言ってみた。違うか。
 だが率直すぎやしないかい、せめて陰毛ぐらい言わないといかんかな。でもあんま育ってないからちん毛ポヤポヤで産毛みたいなんだよね、此処だけの話。チンコも小ぶりだし…まだピチピチの16歳で成長期だ、今は嘆かないでおこう、うん。
 考え事をしながらゴリゴリしまくってたら、魔女のばーさんが言ってた通り、本当に弾力のあるドロっとした真っ黒の液体ができてちょっと興奮した。乾燥させた上に水も入れてないのにこの弾力ある粘り気!すげぇー!!
 ゴリゴリも弾力のある粘るスライムになったら完成だから、早速全裸になって染め染めタイムだ…って何故全裸になる?脇毛とちん毛も染めるから服が汚れちゃうだろー
 幸いなことに此処には凶悪な気配もないし、態々冒険者が何かを求めて来ることもない、だから全裸ついでに毛とか髪を染めたら、クブの実の種をすり潰して色んな薬草をぶち込んで固めた、天然素材100%の石鹸で身体も頭も洗うぞ!
 俺、生活魔法とか戦闘系魔法とか全く使えないけど、ホント、ポーションとか石鹸とか、木の実とか薬草を使わせたらピカイチじゃね?
 石鹸とか村で売ってたりするのかな…商人熊は持ってなかったけど、もし一般で売られてないなら、これでひと財産稼げるんじゃねーかな。
 どろっとしてるのにもっちもちの変な触感の染髪液?を頭に乗っけて、根本からわっちゃわっちゃ掻き回して満遍なく塗布しつつあらぬ妄想にパアァァと希望を見出したけど、もしそうだとしたら作れるの俺だけだし、死ぬほどこき使われそうだし、男娼せずとも過労死余裕じゃねってなりそうで早々に断念した。
 ルべの実染髪液は塗布してすぐに洗い流しても、5分から10分置いても同じ仕上がりになるから、サッサと洗い流してOKってワケ。化学薬液じゃないからなのか、そもそも、ルべの実が魔女御用達の魔植物だからなのかは謎だが、地球にもあったらメチャ便利だろうな。とは言え、黒にしか染まらないんだけどね。
 着色できる薬草があるから混ぜてみたらいろんな色が試せるかな?ポーションにも僅かに染色薬草入れてるから、色がついてるんだよね。効能に影響もないし意味もないから、単純に区別するために少しだけ入れてるんだ。だから俺の作るポーションは全部色が薄いって特徴がある。
 村で売ってるポーションがもし色が濃ゆければ、ちょっと誤魔化してるのかもね。
 まあでも、ルべの実自体が滅多に取れない希少性の木の実だから、商売にはできないだろうけど、今後冒険者になった時、危ない連中の目を欺くには髪色を変えられるのは重宝するかもなぁ。
 ちん毛と脇毛に塗って色付きを確認しつつ、今度ルべの実を発見したら薬草を混ぜて実験してみようと思う。
 川に入って深いところに行くと腰ぐらいまで浸かれたから、頭と脇と股間を洗って、それから水面に映る顔を覗き込んでみたら…

「ふおぉぉ?!すげー、金褐色に染まってる!パッと見褐色だけど、太陽光をキラキラさせてる。俺のゴージャスな金髪には劣るけど、落ち着いてて綺麗だ」

 ホックホクで川辺に戻ってちょこっと残ったどろりんスライムを持って川に向かうと、眉毛に塗ったあと睫毛に塗って全裸で転がり回る前に素早く洗ってみた。
 流れの緩やかな水面を覗くと顔が映って、どうやら眉毛も睫毛も綺麗に染まったようだ。
 それまでの儚げで頼りなさそうな、夢の中、もしくはお伽話に出てくるお姫様か精霊のような、風がそよと吹いても折れる白百合のような病的な姿が、スッキリと削ぎ落とされて薄らぼんやりの印象がクッキリとした印象的なハンサムの面立ちになったから若干精悍さを醸している…ような気がする。
 気がするだけなんだよ、俺の決意の表れだけで俺にしか判らない精悍さとか…褐色系の髪になってもイケメンと言うよりも美人は美人だし、却ってハッキリしたモンだから、煌めく褐色の髪にクッキリした目鼻立ち、強い意志を秘めた勿忘草を閉じ込めた水晶の双眸、薔薇色の頬に熟れきらない苺の瑞々しい唇、相変わらずうっすらと開いた唇の奥、艶めく赤い舌と真珠色の歯が覗いて…美貌が浮き彫りになって益々綺麗とかなんだそれ、恐るべき乙女ゲームBL要員だなチクショウ。
 変装が裏目に出るとか巫山戯んなよ乙女ゲーム神め、とちょっぴりガッカリしつつ、俺はクブ石鹸で体を洗った後、服を着替えて着替えた服はクブ石鹸で綺麗に洗った。
 水切れのいい泡なのに、髪とか肌を洗ってもキシキシ感もつっぱり感もないから、流石俺様の石鹸は完璧だ。
 ウェッヘッヘと悪い顔で笑いつつ服を干して、それから魔物避けと動物避けの忌避剤を周辺に撒いてから、俺は夕食の準備に取り掛かることにした。
 水場と木の実探しと狩り、染髪薬準備とか獲物解体して、染髪と行水ついでに洗濯してたらすっかり夕方になっていた。
 今日はお高級な自作魔物避けも使ってるから、今夜は此処で野宿することにした。
 価格にすると5万ティンは下らないと商人熊お墨付きの逸品で、此処らでは滅多にお目に掛からない上位種魔物も寄せ付けない忌避剤なんだぜ。エリート冒険者も求めるような、俺にとってはいい金稼ぎのポーションだけど、薬草の関係で年間に5本程度しか作れないから、今年の分の貴重な5本は何故か売る気がしなくて取って置いたのか、棚の奥にあったのをガッツリ持ってきた次第だ。
 火を熾して、薬草をぶち込んで、なんか魔力をエイヤッてした調味料を振って揉み込んだ野生のウサギの一口大にカットしたお肉を、家から持ってきたアマンダイトと言う鉄より固くて鋼鉄より弱い材質の串に刺して焚き火の周りに刺して暫くしたら、肉と調味料が焼けるジューシーでスパイシーな匂いが漂い出して腹がグーグー鳴る。
 仕方ない、相手はウサギの姿をした豚野郎だ。こう言えば貶しているようだが、心配するな、正真正銘間違いなく誉め殺してる。
 久し振りの豚肉!覚醒してから何か判らない乾燥肉で凌いでたからな。嬉しさ100倍だわ。
 貴重な忌避ポーションのおかげでこうして美味しい匂いをさせても魔物も魔獣も動物だって来ない。来ないって言ってるのは、姿は見えないけど気配はあるからな、普通だったら油断ならない緊迫した状況だ。涎垂らしてグーグー腹を鳴らせてる場合じゃないんだぞ。
 でも心配いらないのが5万ティン様だヒャッハー。
 腰ポーチから皿2枚と商人熊に貰った白パンを取り出して、一つにパンを、もうひと皿に狩りの最中に摘んでおいた野菜にもなる水洗い済みの新鮮な薬草を取り出して並べて、やっと焼き上がった串を抜くと薬草の上に肉を乗っけた。
 その肉に俺特製の薬草醤油風味のソースを掛けたら手を合わせて頂きますだ。

「いただきまーす!今日も森の恵みに感謝!」

 はふはふジューシーでまろやかな風味になったウサギ肉は本当に豚肉みたいで、揉み込んだ薬草調味料のおかげで臭みもなく超うめぇ!
 パンを二つに切って薬草と肉を挟んで、クリーミーなソース、所謂マヨネーズみたいなモンだな。これも薬草と木の上の巣から黙って拝借した卵を瓶に入れてエイヤッてしたらできた偶然の産物だ。今はすぐできるけど、深く考えずに偶然の産物としておく。
 簡易バーガーもうめぇぇぇ。
 串焼肉ももりもり食べて、残ったウサギ肉はまたオオバオの葉に包んで腰ポーチに格納した。明日も喰うぞ。
 お腹いっぱいだし、特に計画もないから、リュックからシートとブランケットを取り出して、火の番要らずの魔硝石焚き火の傍らで降り注ぐような満天の星空を眺めつつリュックを枕にゴロンッと横になった。
 何時も太陽だの陽光とか言ってるけど、アレ本当に太陽なのかな?地球と同じ天の川銀河の中にある太陽系の惑星なのかなぁ。
 星も凄いなー、手が届きそうだし降ってきそうだ。月なんか二つ三つある、三つ目は薄くなりすぎて偶に見えなくなるけど…ははは。
 少なくとも太陽系では…ないな。
 アレだ、宇宙人が地球に来て乙女ゲームに興味を持った、それで宇宙人の類稀なコズミック・パワーで太陽系外にある惑星の中にその乙女ゲームの世界観を持った世界を構築した…おや?これはもしかして限りなく当たりに近いんじゃないか??
 確認のしようもないし、乙女ゲームに引っ張られている異世界説も捨て難いけど、この仮説が一番近いような気がする。俺が生きていた時の地球じゃあ、もう宇宙には地球人以外の知的生命体は居るって話になってたからさ。
 ふおぉ、この仮説をもっと煮詰めてみるのも面白いかもなぁ!……まあでも何にせよ、本当に別世界なんだなぁ。
 両手をあげて、まるで星空を押し上げるように腕を伸ばすと、本当に星を掴めそうな気がして何だかワクワクする。
 だけど俺以外の全員が宇宙人の擬態とかだと怖いな、ははは。
 まあある意味、俺も地球のヒトから見たら宇宙人と呼ばれる知的生命体だろうけど、ふふふ…とちょっと楽しくなって、それからふわぁぁっと眠気が襲ってくる。
 焚き火のおかげで寒くもないし、日中も今は過ごし易くて水浴びも苦にならない。丁度暖かい頃の春の気候かな。
 比較的べリーヌ地方とジャスパー地方、それからカッケス地方の気候は日本で言えば春から秋の気候が順繰りに巡り冬がない、その点、コースティン地方は秋から春が順繰りで夏がないんだ。だからコースティンには行きたくない、寒いのは嫌だ。凍死とか…サバイバルの天敵だろ。
 ただ不思議なことに、中央地方にある帝都は日本みたいに春夏秋冬があって暑い夏もあれば雪も降る。帝都の知識は妹の言葉を思い出した時に流れ込んできたモノで、流石日本の乙女ゲームだなって思ったぐらいで、帝都には危険物(魔法学園とかヒロインとか攻略対象など)の影響から全く行く予定がないからどうでもいいって思ったんだよなぁ。
 今でもどうでもいいけど、変わった大陸だと思う。
 そう言えば、日本で作られた乙女ゲームだからか、別大陸に『葦原中津國』と呼ばれる和の国があるんだ。熟練の冒険者になったら、是非一度探訪してみたい。
 そう言えば俺、この世界の乗り物って知らないんだよな。旅立つ時も普通に徒歩一択だったし…つーか、商人熊も何時も徒歩で来てたからさ。
 もしかして俺が知らないだけで馬とか馬車とかあったんだろうか…とは言え、逃げてる今の状況だと馬とか必要ないんだけども。葦原中津國に行く時は船だよな、やっぱり。
 暮らしぶりは日本みたいに近代ビルとかあったらどうしよう…飛行機が飛んでたり、何なら新幹線も走ってたりとかな。なのに服装は昔の日本みたいに着物を着ていたり、もしかして縄文人みたいに編布で作った服を着てるかも?ましてや神代の時代の衣とか帯とか袴とかだったら、それはそれで見てみたい。
 氏名も漢字とかカタカナとか平仮名を使ってたりしたら嬉しい。俺、異邦人なのに読めちゃったりするんじゃない?
 うははは、絶対に行ってみたい国第1号だ。
 でも、15600ティンぐらいじゃ行けないだろうな。

「……」

 ジャスパー地方に入って一番近場の村で冒険者ギルドに登録して、逸早く金稼ぎしないと話にならんわな。
 取り敢えずの目標のために、明日はサクサク進むぞ、おー!

3  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 漸く朝陽が射す眠りから覚めたばかりの清廉な空気が漂う夜明け、木の上で目が覚めてからスルスルと降りて、んーっと伸びをしつつ欠伸で頭と身体を目覚めさせた俺は、重さを感じさせないリュックを改めて背負い直してまずは川を探す旅を再開した。
 道中、耳を傾けて気配を探ってみたり、甘味が欲しくて見上げた果物が、果たして喰えるのかどうか判らなくても、無謀に手を伸ばして酸っぱさに失敗したり、甘くて正解だったりを繰り返しながら、お昼も半ばで漸く小川を見つけることができた。
 湖を探しても良かったんだろうけど、こう言う森林には湧き水とか清流のせせらぎとかそう言った水場が定番だから、探し易いと言ったら断然こっちのような気がする。
 一息吐いて何かの動物の皮を鞣して作った革の水筒に透明度の高い水を入れて…まあ生前の俺なら煮沸しなくっちゃとか思うけど、そもそも、湖から引いた水をがふがふ飲んでいたのに今更煮沸とかねーわって鼻で笑っちまう。
 こう言った小川の辺りにあるって魔女のばーさんが言ってたはずなんだけど…水を補給してから、荷物は絶対手放さないがモットーだからリュックは背負ったままで探索したら。

「やった、見つけた!ルべの実ゲッツー」

 テッテレー、真っ赤なルべの実大発見!
 あまりお目にかかれないから少し諦めてたルべの実、水辺に偶に群生してるから何かの際には役立てろって魔女のばーさんが教えてくれてたんだよ。
 ルべの実は真っ赤なルビーみたいな透明度のある変わった実で、南天みたいにふさ状に生っている。向こうの指が透けて見える透明度なのに、ナイフで切ると中身は小さな黒い粒の種が並ぶ白い果肉が収まってて、切ると向こうの指が見えない不透明になるって代物で、たぶん、魔力とかそんな関係の不思議な実だ。
 もう一つ不思議なのが、皮は真っ赤なのに実は白い、そのまま喰えば瑞々しくて甘い桃のような食感と味がする、なのに、潰すと真っ黒になって喰うとめちゃくちゃ酸っぱくて生臭い喰えたモンじゃないダークマターになるんだよな。
 どちらも匂いは桃みたいに美味しそうなのにだ。
 そしてこのルべの実、潰して黒くしたモノを髪の根本から塗りたくると、黒く染まるし、クリーンの魔法を使わない限りは生えてくる新しい髪も染まったままになると言う。
 賢明な俺は気付いたんだ。陽光を弾くほどキラキラとした蜂蜜色の金髪だし、ばーさんの話しでは真っ黒には染まらないんだとか、だけどじゃあ茶金?茶髪っぽくはなるんじゃなかろうか。だったら逃亡中の身なんだからいっそ染めちゃってよくない?ってことにな。
 染めよう、勿忘草を閉じ込めたような水晶の双眸を変化することはできなくても、目に痛い、思わずギャーと両目を押さえたくなる凶器にもなる筈の金髪は良くも悪くも目立つから。
 目が醒めて桶の上に掛けられた鏡の中の自分を見た時、ギャーッて両目を押さえたからな俺。まだ夜も明けてない夜中でその威力だ、真昼間の逢瀬によくぞ耐えるな商人熊よ。
 何が言いたいかって言うとだな、つまり逃亡中の身にこの容貌は危険ってワケだ。
 気前よく大量に収穫したら、よく熟れたモノと傷があるモノは避けて俺の腹に入れ、熟れ切らないルビーたちを薬草を乾燥させる時に敷く布の上に並べて、実が持つ水分をある程度飛ばしたら乳鉢でゴリゴリ潰していく。ドロリとした真っ黒い桃みたいな匂いのする液体ができたら完成だ。そうしたら、川辺だから此処で染めていこう。
 先ずは乾燥が優先だから、その間俺は背負っていた弓を手にしてハントに赴いちゃうんだぜ。
 ルべの実を動物に奪われると困るから、動物虫避けの薬を周りに撒いておく。ルべの実は何故か一粒ずつ並べると鳥避けになるので、理由は判らんが鳥は警戒しなくていい。
 準備が済んだら此処を探す間に幾つか感じた小動物の気配があったから、先ずはそのポイントまで行って狙ってみよう。
 ちょうど良さそうな茂みに身を潜めて、狩りの基本は隠密行動が第一だ。自然と一体化するほど息を殺して気配を隠さないと、特に敏感な野生の小動物たちはすぐさま逃げてしまうからな。
 構えたらすぐ矢を放つ、これができないと今日は坊主を覚悟しないといけないってワケ。
 フードを目深に被って茂みからジッと、恐らく小動物の通り道と思しき獣道を見詰める。
 暫く膠着状態が続いて諦めかけた時、ふと、獣道にピョンっと何かが飛び出してきた。
 野生のウサギだ!魔生物化してて独特の臭みがあるけど、焼くとジューシーで豚みたいな味わいが期待できる美味しいお肉が来た。狩りたい!
 何らかの気配、言わずもがなの俺だが、気になるのか後ろ足で立って鼻をひくつかせている。ふふふ、残念だったな、俺は風下にいる。
 フィラの身体能力を測るにも、俺との互換が何処まであるのかを知るにも、これはいいチャンスだと思う。
 既に茂みに潜んでいる時から矢はつがえている。
 野生のウサギは一旦地面に両前足をついてスンスンと周囲の様子を窺っているけど、再度立ち上がって気配を確認しようとした。
 今だ!
 俺は茂みから上体を起こすなりつがえた矢を野生のウサギめがけて射った。
 ピギュッと耳障りな甲高い声を上げて倒れた野生のウサギの喉元に、鋭く尖らせた矢が食い込んでいた。取り敢えず武器の作成は成功だ。
 それよりも俺は、茂みからゆっくりと出ると、矢を放つために指抜きした黒い手袋を嵌めた両手を見下ろした。
 俺は、俺はさ、転生だなんだって言いながらもたぶん何かの拍子にフィラ・セントってヤツの身体に憑依しただけの、間抜けなただのおっさんだと思っていた。
 だから魂と身体の互換性とか、馴染まないとなとか、勝手に考えていたんだ。
 でも矢を放った瞬間に感じたのは、若さはあるものの馴染み深いあの一体感…何が憑依だ。俺はきっとフィラ・セントと言う、綺麗なばっかりにいろんなヤツの身勝手な思惑に翻弄されるしかなかった、あの哀れなキャラに転生したんだ。いや、キャラってのもおかしな話だ。
 ゲームの中ならシナリオの絶対的な強制力には敵わないはずじゃないか?何故なら、既に道順ができているし、攻略対象に選択の余地なんかない筈だから。ゲームの世界は絶対的な主人公の世界で、それよりも重要視されるのは作者が書いた決められた設定どおりに動くシナリオの世界だ。
 俺なんかが飛び出せる世界じゃない…と言うことは、もしかしたらこの世界は乙女ゲームの世界を準えた何処か別の次元にある世界の話しなのか?
 そう思えば辻褄も合うよな。この世界のことを夢か何かで知ったクリエイターが、自分の趣味と売れる作品を目指して、本来関わることのなかった連中にそれぞれの役割を与えて人生を捻じ曲げた…この世界は外部からの、この場合はクリエイターだろうな、その身勝手なヤツからの強烈な干渉によって歪みが発生して、運命が引き摺られているとかだったらどうしよう。
 つまりだ、乙女ゲームの世界を準えた別次元の世界ではなく、乙女ゲームの世界に引き摺られた縁もゆかりもない何処かの次元にひっそりと息づくただの世界だったら…俺がいた地球のような何の変哲もなかった筈の…よし、祖父さまに教わった解体作業を試してみよう。魔生物化したとは言え生き物だし森の恵みだ、折角なら早めに処理して有難く美味しく頂きたい。
 考えるの放棄だからな!
 野生のウサギが1羽でも手に入ったから、欲はかかずに今日はこれで狩りは終了しよう。解体したら、丁度ルべの実の乾燥も完了してるだろう。
 …でもまあ、恐るべし乙女ゲームの世界だな。闇が深すぎておっさんの許容範囲は軽く限界突破だよ。

2  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 夜遅くまでかかった荷物の始末が終わると、俺はベッドの上で胡座を掻いて座り、昼に商人熊から貰ったお釣りと、フィラが貯めていた小銭をシーツの上に広げていた。
 お金類とかナイフ、鋏や水筒なんかの日常的に使う雑貨は腰ポーチに入れることにした。
 取り出す時も秀逸で、思い浮かべただけでそれが手元に引き寄せられるから超便利なんだ。

「硬貨は30個、紙幣が10枚。総額15630ティンか。これが多いのかどうかは判らないけど、乾燥肉大袋1つでフィラなら1週間は節約なしで持つから、それで計算すると1袋が550ティンだから、1ヶ月4週間として乾燥肉だけで2200ティン…他にも雑費がいるだろうし、金は早い時点で稼ぐほうがいいな」

 とは言え、ポーションで生計を立てるのはずっと後がいい。商人熊の道順は前から聞いているからだいたい判ってる。
 アイツは村道とか町道とか、商人だから安全が確保された道を好んで進むと推測して問題ないだろう。
 だったら俺が進むのは、大変でも森の中だ。
 村も様子を見て立ち寄るつもりで、商人熊のテリトリーを出るまではポーションは自分用でのみ作って使うほうがいい。
 商人には、喩え有名な商家と言えども、それぞれに縄張りみたいなモノがあるんだそうだ。商人熊の家門は主に南方、今俺が住んでいるこのべリーヌ地方が拠点だ。だから、東地方に向けてこの地域を抜けようと思ってる。
 東地方、ジャスパー地域でポーションを売りながら冒険者ギルドに登録して、本格的に活動するのがいいと思う。
 商人熊の行動範囲に近いけど、北方のコースティン地方に行く勇気はない。寒いし…寒いし。
 中央の帝都を跨ぐ形になるのは怖いけど、ジャスパーと西方のカッケスを行き来する冒険者でもいいな。とは言え初心者だから、暫くはジャスパー地方でウロウロすることになるだろう。
 よし、有り金全部腰ポーチに入れて、今後の計画も立てたから、俺はオマケで貰った白パンと乾燥肉と近くの木の上の巣から採取していた卵で簡単な料理を作って腹を満たして寝ることにした。
 チーズとか欲しいよなとうとうと思っていたけど、目が覚めたら朝だった。
 夢で妹か俺か、若しくは乙女ゲームの内容とか見るんじゃないの?!って期待してたけど、俺が見た夢はチーズを手に入れてキャッホウしているフィラの俺だった…食い意地張っててすまんな。
 服は動き易い長袖のシャツに着替えてズボンと厚めの靴下を履き、何時か使うと用意していたんだろう歩き易そうなブーツに足を入れて、それから旅には打って付けの外套を見つけたから羽織った。
 フードが付いてるし、少々の雨は弾きそうだ。
 枕カバーとシーツを慎重に片付けて床を掃いて切った髪の毛と一緒に、シーツもなんやかやも全部燃やした。
 髪の毛は一本だって残しちゃダメだ。
 俺が居なくなった後に商人熊から家探しされて奴隷みたいに使役されるとか嫌だからさ、念の為だよ。
 乙女ゲームの世界観のくせに、この世界には例に違わずに魔物がいるし冒険者もいる。何なら精霊とか妖精、種族だってエルフとかドワーフ、神仏に近い存在でドラゴンなんて生き物もいる。
 乙女系ゲームってイケメンたちとキャッキャウフフばっかしてるモンだと思ったけど、なんだお前ら主人公どもは世界でも救うつもりなのか?
 まあ、だから生活魔法とか戦闘用魔法ってのも存在するワケで…とは言え、俺はその魔法がどうも使えないようだ。いや、ポーションを作る際には使えているようだけど、火を熾す・水を出すなんて単純なモノは一切使えない。
 砂や土から瓶を創り出すってヤツと、その中に必要な薬草をぶち込んで、水もなしにホワワワーッと考えるだけでポーションを作れるから、何らかの魔法は使えているみたいだけど原理は到底判らん。
 たぶん、乙女ゲームのご都合主義的な部分なんだろう。
 フィラにはこんな力があるから、生活とか戦闘スキル系の魔法は使わせないよってことじゃないかな。
 家を出発して随分経つけど、村に出そうな感じも人間の気配もない。敢えて商人熊が進んだ村道に出る道は避けたから、ジャスパー地方に向かってるかどうかは怪しい。夜に、魔女のばーさんに教えてもらった星の位置で自分の位置を確認してみよう。
 さて、道なき道を長く歩いたワリには然して疲れも見えないすげーフィラの体力だけど、ここはちょっと休憩して、俺は生前の祖父ちゃんが教えてくれたあるモノを自作することにした。
 道具は森の中だ、あちこちに落ちている。
 俺はセイヨウネズに似た枯れてよく乾いている枝を見つけることに注力した。長さは最低でも180センチ以上は欲しい。中央が太ければ尚いい。
 移動中も見つけようとしたけどなかなかいいモノがなくて、それでも比較的灰色に変色もひび割れもない天日でよく乾いているなんの木かは知らんが、セイヨウネズに似たよくしなる枝を見つけたのはラッキーだったと思う。それから幾つかの木の棒を見つけてホクホクとベースキャンプにしている倒木のあるちょっと広い場所に戻ると、予め火を熾しておいたから、その前に座って拾ってきた枝たちを脇に置いて早速工作開始だ。
 暗くなる前には仕上げたい。
 詳細は敢えて省くが、俺は見つけた枝をナイフで丁寧に加工した。枝本来の曲がり具合はちゃんと確認したから、ハンドルとリムの位置を決めるために中心から上下に7〜8センチのところに印をつける。これでハンドルとリムの位置が決まった。
 ここから今度は全体を形作っていくことになる。
 山に住んでいた祖父ちゃんが夏休みになるとよく作ってくれて、作り方も興味津々だからじっくりと観察して覚えていたんだよ。こんなところで役立つとは思えなかったけど、なんのスキルもない俺が冒険者になるには、何らかの武器は絶対必要だと思うんだ。
 フィラの身体能力がどれほどか判らないけど、俺自身はこの武器で一定の成果を挙げることはできていた。
 だから、魔法スキルなしは無理って言われないように、ポーション作りと武器の使用で冒険者ギルドの登録を狙いたいんだ。
 下の端を足もとに置いてから、上の端を片手で支えてカーブの凹側が自分のほうを向くようにしておく。もう一方の手で枝を押していくんだけど、こうやって枝のよくしなる場所がどこで、固く、しなりにくい場所はどこかを調べるんだよね。
 しなりにくい部分はカーブの凹側の木をナイフで削って調整する、注意なのは凸側は削っちゃダメだ。上リムと下リムのカーブがほぼ上下対称になるまでこれを続けて、途中、ちょくちょく全体のバランスを見ることは忘れちゃいけない。
 こうして上下のリムのしなりがよくなって曲がり具合や太さが同じくらいになったら、次の工程に入る。
 弦をかける切り込みをナイフで入れるんだ。
 側面から始めて、凹側へ木を削っていく。両端から2.5~5cm離れた部分に、ハンドルのほうに向かって切れ込みを入れる。何cm離すかはその時次第かな。ここで大事なのは凸側には切れ込みを入れないように注意する。それとあまり深く削ると、上下のリムが生み出す威力を削いでしまうから、弦を固定するのに足りる深さまでにしておこう。
 これでだいたい本体はよくて、次は弦の素材を選ぶんだけど、流石に俺の手持ちだと丁度いい細いナイロン紐とか釣り糸がない。
 だから、家の中にあった普通の撚り糸を使用することにする。祖父ちゃんは釣り糸を使っていたけど、まあ仕方ないね。
 ひもの両端に大きさを変えられる輪を作って解けないようにしてから、まずは下リム、それから上リムに輪をかける。ひもの長さは、弦をかけていない弓の長さよりもやや短くすると弦も弓もぴんと張った状態になる…っとこれでよし!
 久し振りに作ったけどなかなかいいんじゃないかこれ。
 あとは弓の調整だから、俺は弦を張った弓をハンドルのところで木の枝に引っ掛けて、それから弦を下方向へ引いてみた。ゆっくりと引きながら、上下のリムが均等にたわんでいくのが確認できたけど、微調整で木を削って、肩からまっすぐに伸ばした腕の先から、あごまでの距離と同じくらいに弦を引けることを確認して完成だ。
 テッテレー!俺様の最重要武器、自作弓の完成だ。俺は自作弓を掲げて誰もいないのにドヤってやった。
 大物狙いは難しいだろうけど、小物を狙って腕を磨くのと食糧確保に努めよう。乾燥肉だって無限じゃないし、焼いた肉も喰いたいし、自分の腕でできることはなんだってしないとな!…と言うのも、燃費が悪いのか、それともこれが普通なのか、ほっそりした体型のフィラの食事量なら乾燥肉大袋ひと袋で1週間持つ!とか算段してたけど、この調子だと4日くらいでひと袋無くなりそうなんだよねぇ…ははは。
 それから暗くなるまで俺は、拾ってきた棒をナイフで削って火で炙りながら硬くしていき、石とかの鏃を作るのは今は無理だから、一番簡単な木の先端を削った鏃にして矢を完成させた。
 矢羽根がねーなって思うけど、実際は完璧な矢羽根を作るのって少し難しいから、飛距離とか稼げなくともそのまま使ってみよう。
 問題があれば、家にあった何に使うのか判らなかった見事な羽根の山で、矢羽根も作ってみようと思ってる。時間ならたっぷりあるんだし、取り急ぎはこの弓矢、俺様の大事な武器1号で明日は早速狩りをしてみよう。
 久し振りの出来に満足して、俺は焚き火を消して近くの木に登って休むことにした。
 森の中で野宿するなら地面の上だと餌になる覚悟が必要で休めたモンじゃない、だから、少々危険でも、この辺の樹木は頑丈で枝も確りしているから、木の上で寝るのが一番だ。
 偶に蛇とか忍んでくることもあるから、簡易で作った薬草蛇虫避けの忌避薬を撒いてブランケットに包んでお休みなさいだ。
 明日もやることは山ほどある。
 頑張るぞー。

1  -乙女ゲームの闇深さを知ったのは転生してからです。-

 蜂蜜を溶かしたような陽光を弾く黄金の髪はやんわりと柔らかく心許ないように縺れて豊かに背中を覆い、勿忘草を閉じ込めたような澄んだ水晶の煌めきを宿す不安げに揺れる双眸、縁取る睫毛は緻密な金細工の繊細さで、熟れきらない苺のような瑞々しさを湛えた唇からちらりと覗く真珠の歯…うん、知らないようでアホほども見せられたからよく知っているスチル通りの美しさだなこんちくしょう。
 頬なんて薔薇色なんだぜw
 とは言え、俺は乙女ゲームの乙女しか知らないし、妹ほどやり込むとかワケ判らんし、言わせてもらえればパズルゲームでお腹いっぱいな普通のおっさんだ。
 妹がこのキャラはゲームの中で一番綺麗なのに一番悲惨だと言って、アホほども登場スチルとやらを見せてくれたんだわ。
 だから顔だけは覚えてる。
 だが、ここでものすごく大事なことを言っておくぞ、俺はその乙女ゲームのタイトルも内容も知らない。タイトルも内容も、なんだったらこのキャラの名前すら知らんのだ。
 大事なことだから2回言ったけど、まあ、だからと言って桶の上にある鏡を何時間見てたって始まらないワケだし、おおかた、ストーカー被害に遭ってた同僚を庇って受けたストーカーからのナイフが決まった肝臓のせいでダイしたのは薄々判る。だが、だからと言って妹にアホほども見せられた登場スチルしかご縁のない乙女ゲームとやらの世界に、まさか転生するとか思いもしないだろ?
 あれ、でもこれ本当に乙女ゲームの世界なのか?
 判んねーな、だいたい、さっき棚から落ちてきた瓶で頭打って前世?の記憶みたいに思い出したところで、過去のコイツの記憶も薄らぼんやりとはあるけど、殆ど俺の記憶だからな。
 だから、コイツの名前とか知らねーんだわ!!
 ぐ、ぬぬぬ…だけどまさか、女に転生してるとか思わねぇし、だったら前世?いや、俺の記憶とか思い出さなくていーよ。
 両手で頭を抱えてたって仕方ねーよな、取り敢えずベッドにでも座るか。
 コイツの薄らぼんやりとした記憶では、子供の頃にこの森に…そうそう、今俺がいるのは森深い場所の開けた場所にポツンと建ってるログハウスのような小屋だ。
 薬草とか液体の入った瓶とか、木製の古びたテーブルに椅子は一脚、ちょっと軋る木の床、冬がくればストーブがわりにもなるんだろう鍋がかけられる石造りの暖炉、仕切りがないままに置かれている素っ気ないけどふかふかの布団があるベッド…小ぢんまりとしてはいるけど、都会の生活で腐ってる俺にとってはなかなかいい感じの家だが、コイツは此処に子供の頃から住んでいたらしい。
 ほんの小さなガキの頃に、この森に捨てられたんだそうな。
 この綺麗な顔で売られることもなく捨てられたってことは、コイツを捨てたヤツ、たぶん親なんだろうけど、きっと最後の情けだったに違いない。
 運が良ければこの森に棲む魔女に拾ってもらえれば…なんて無責任に託したんだろう。
 まあ、奴隷として売らなかっただけちっとはマシだろうけど。
 思惑通り魔女に拾ってもらったおかげで、薬師として生計は立ててたみたいだしな。
 記憶は薄らぼんやりしてるくせに、スキルは覚えてるんだから少しは良かったよ。俺の記憶になっても粗方の薬造りの知識は知ってるようだ。
 はぁ…兎も角、妹の言ってた乙女ゲームの世界かはまだ判らんが、この見た目の女がこんな森にいるってバレたら大事になりそうだから、髪でも切って野郎のフリでもするか。
 いや、心は立派な野郎だけどな。
 スクっと立ち上がって、使い込んで飴色になっている手触りのいいテーブルの上に無造作に投げ出されている鋏を握って、俺はもう一度洗面用と思しき桶の前に立ってムッツリとした美人を鏡の中に見据えながらゴージャスな蜜色の髪を無言で切り落とした。
 サッパリとショートカットにしたかったけど、切り揃えるなんて高等技術のない俺だぜ?肩まで切って諦めた。
 乙女ゲームと言ったら妹の話では中世ヨーロッパ系が舞台になることが多々あるらしいし、この家を見ても、魔女とか薬師って言葉からもそれっぽいファンタジー世界に違いなさそうだから、そんな場合だと髪は女の命だろ?
 お貴族様とか髪は縦ロールが基本だろ?ってワケで、肩まで切ってりゃそれだけで十分男だって思われるだろ。あとは貫頭衣みたいなこの服をどうにかして、ズボンを手に入れたら完璧だ。
 よし、今日はもう寝よう。
 おっさん、何が何やらでお腹いっぱいなんだわ。
 まあ、あとは起きたら考えよう。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 …おっさん、乙女ゲームのキャラって言ったら普通に女だって思うんだよ。
 朝起きたら朝勃ちでおっきしてた。
 股間のぶら下がりに馴染みすぎてて気付かなかった…髪とか切る必要なかったな。
 お前、野郎かよ?!早く思い出せよ、無駄な労力使っちゃっただろ!…はあはあ、まあいいや。
 ベッドに寝たまま両手で顔を覆っていたけど、溜め息を吐いて早々に諦めた。おっさんになると諦めも早いんだわ。
 こうなったら普通にズボンもあるだろってベッドの下にある物入れを漁ったら、案の定、Tシャツみたいな上衣とズボンとベルトがあって、それから軽く羽織れるローブみたいなのも見つけた。
 早速洗面と歯磨きして着替えたら、床に散らばる綺麗な蜜色の髪を片付けて…これ、売ったら金にならんだろうか。
 そう言えば作った薬液、確かポーションだっけ?それを買い付けに来る若い商人がいたな。
 記憶の中でエロい目でコイツのこと見てたけど、女だって思ってるんだろうな、馬鹿なヤツだ。
 確か今日の昼過ぎに来るんだよな、よし、ポーションと一緒に髪も売ってみるか。
 今日、売らなければならない、注文を受けているポーションは木箱に整然と並べられていて、そのままテーブルの上に放置されていた。
 一つ掴んで高く持ち上げると、明かり取りの窓から朝陽が燦々と降り注ぐ光を受けた小瓶がキラリと反射したけど、中身は薄青い液体が揺れている。

「これは確か回復系のポーションだな。で、この薄赤いのが異常状態を回復するポーションで、魔力回復用の薄紫のもあるな…なんだ、意外と優秀なんだな」

 初めて独り言みたいに喋った声は落ち着いた響きを持った柔らかく心地よい声だった。これが自分から出てる声なのかと思うと、やっぱり少し気後れもするし、転生とかマジかと思ってたけど納得せざるを得ない感じなんだよねぇ。
 とは言え、とは言えだよ、俺。
 まずそもそも本当に転生とかしてるのか?
 頭の打ちどころが悪くて第二の人格の日本人の『俺』が発動してるだけじゃないのか…?
 …自分で言うのも何だが、まあ、第二の人格の俺だとしても日本で生きた記憶がバッチリあるし、日本クオリティの乙女ゲームだからって第二の人格とか何だそれ、逆にこえーわとか思ってしまう。おっさんにはなかなかハードルの高い未解決問題になりそうだ。
 じゃあ、これからぼんやり生きるのか?って言われたら勿論そんなワケにはいかないからさ、取り敢えず記憶にぼんやり残る若い商人のあんちゃんにポーションとか髪を売りつけて、飯代ぐらいは稼がないといけない。
 木箱を抱えて見渡してみると、キッチンと思しき場所を発見したから、木箱を床に置いて早速流しの下に設置されている配管を隠すのと物置を兼ねた扉を開いて見た。
 作り置きの瓶とか乾燥された肉?か何かが入っているけど、どうも量が少ないように感じる。勿論、こんなところ初めて見るワケだし、飯のことを考えたら体が勝手に此処を目指したから、覚えていた感覚がそう言ってるんだろうと思う。
 明かり取りの窓が嵌め込まれた流しの上にも戸棚があって、狭い割には収納が多いから元々住んでいたヤツのセンスが良かったんだろう。
 扉の中にも見たこともない乾物の瓶が所狭しと入っているけど、瓶の中身自体は少なく感じる。
 不意に、今日商人が来たら食材と調味料、それからマジックバッグを必ず買わなければ…と、本当に唐突に頭に浮かんできて強烈な印象を残した。
 いや、マジックバッグとか知らんぞ。
 顳顬がキリキリと痛んで思わず指先で押したけど、だからと言って何かできるワケでもないし、木箱を抱えて外に出てみることにした。
 室内を見渡せば判るけど、どれも1つずつしかないから、コイツは室内に誰かを通すことはなかったんだろう。
 …室内に入れた途端に襲われでもしたら狭い上に雑然とモノがある空間だと逃げ場がないからな。
 まあ、細腕でも一応コイツも男だし、ポーション作りとか薬草採取しかしていないコイツに比べたら、ナイフでもあれば俺なら一撃で倒せるだろうけどさ!
 そんなワケで木箱を抱えて外に出て見たら、案の定、家の前にポツリと木製の古びたテーブルと椅子が向かい合わせで2脚揃ってる。対応は外でしていたってワケだ。
 木製のテーブルに木箱を置いて、さあっと吹いてきた爽やかな風にザンバラに切った蜜色の髪が遊ばれて、俺は片目を細めながら目の前に広がる光景に暫し心を奪われた。

「うわぁ…」

 奥入瀬とか、森林を掻き分けて旅したことがあるけど、この景色はまた格別に綺麗だ。
 開けているとは言え木々に囲まれた煌めく葉の隙間から幾筋も降り注ぐ光に満ちた空間に護られているかのようにポツリと建っている小さなログハウスの前には、静謐を湛えた透明度の高い湖が広がっていた。此処から見ていても小魚が群れ泳ぐ姿が見えるほどだし、邪悪な生き物が隠れ潜んでいる様子もない。ともすれば、これは聖域にも近い神聖な清らかさではないだろうか。
 暫く呆然と見つめていたけど、どれだけそうしていたのか、不意に他人の気配がしてハッとした。
 鳥だとか、小動物の気配は常に其処彼処にあって、だからすぐに侵入者の気配を感じることができたんだ。
 ハッと顔を上げた先にいたのは森の奥?から迷い出た熊…のような大男。びっくりしたような垂れた双眸を見れば、これが毎週末に行商に来る若い商人だと判る。
 俺はさ、コイツは背が高いスラリとしたイケメンだと思ってたんだよ。何故か無条件にそう思っていたワケだ。
 でも認識が誤っていた。
 確かに熊のような大男だし、こんなヤツに伸し掛かられれば逃げられないし、ナイフを刺しても逃げられるかどうかはこの俺だって一か八かだ。
 熊とは言え身長は目測で凡そ190ぐらいで、見上げる高さからすれば俺の身長は160ちょいだろう。
 何故、俺はコイツが180はあるなんて思ったんだ?!
 だって乙女ゲームだし、攻略対象ってのはイケメンだって妹が言ってたんだよ!コイツ、何系男子なんだ?!妹の摩訶不思議発言が微妙な斑らにしか思い出せねぇぇ!!
 ハッ!そうか家だ!
 家にある家具やら何やらが、全部コイツの身長にしっくりきてたんだ。恐らくコイツを育てた魔女のばーさんの身長が160ちょいだったんだろう。それに姿見とかないしあると言えば小さい鏡ぐらいで、俯瞰的に考えることができなかったからな、とんだ失態だ。

「やあ、1週間ぶりだ」

 さすが日本の乙女ゲーム、曜日の数え方は一緒なんだな…まあいい、ちょっと落ち着こう。
 肩を竦めて仕草だけでテーブルに促すと、一瞬、僅かに訝しそうな顔をしたものの、若い商人は人の好さそうな面持ちで何時も通りに背負ったデカいリュックサックをテーブルの脇にドスンと落とし、木製の椅子に腰掛けてニコッと笑ったみたいだ。
 感覚的に違和感がないから、これが何時も通りなんだろうと思えた。
 身長差は腕のリーチの長さにも関わってくるからな、逃げ道はできるだけ確保しておかないと。
 そもそも、なんで俺がこんなに警戒してるのかと言うと、妹の斑ら記憶の中に、商人に襲われる…ってフレーズがあるんだよ。そこから転落の人生とか何とか、楽しげに気持ち悪く語ってた妹が思い浮かぶからだ。
 転落人生の何が面白いんだよ、過酷な状況に無理矢理堕とされて涙する男を見てキャッキャするとか何考えてんだ、ホント気持ち悪い。
 我が身に起こってみろ、キャッキャどころか笑えもしないぞ。今の俺みたいにな!

「折角、あんなに綺麗だったのに、髪、切ったんだね…」

 しょんもりと残念そうに言う男の顔は、どうにも人が好さそうで、疑ってるこっちが拍子抜けするほどモジモジとしてやがる。
 あれ?俺の記憶違いだったか??
 アイツ、色んなキャラのこと話してたし、記憶もあやふやだから、まあもしかしたら別のキャラの話だったのかもな、と思って「ああ…」と頷きそうになった時、不意に男が腕を伸ばして短くした俺の髪に触れようとしやがった。
 しまった!やっぱリーチが…とギクっとした瞬間だった。
 不意に心臓が、ドクンと脈打つように跳ねて、そんなの漫画か小説の中の話だろって思ってたのに、本当に心臓って跳ねるんだなとか、馬鹿みたいに思っていたら今度は急激に頭が痛くなって両手で頭を掴んでしまった。
 俯いた周囲に渦巻くように声が聞こえる。それまでの鳥や小動物の気配も、商人の声も消えて、うまく言えないんだけど、ただランダムに声が反響するように周囲に渦巻いているんだ。

『フィラは商人に乱暴されて起き上がれなくなるの!』

『殴られんのか?不遇なヤツだな。面白そうに言うなよ、気持ち悪ぃ』

 嬉々とした妹の声と呆れた生前の俺の声!

『あははは!兄貴バカだねwフィラはこのゲームの中で主人公を差し置いての超絶美形なんだから!』

『はあ?美形だからなんだよ』

 何かの片手間に聞いてるんだろう、どうでもよさそうに相槌を打つ俺に、妹がバカにしたように阿保ほども同じ登場シーンのスチルとやらを見せているんだろうと思う。
 映像は見えないが声で判る。
 それは、とても日常的な何時ものことだったから…

『レイプされるんだよwその時に商人に一撃をくれて追い払うんだけど、森の中の精霊薬師を捜していた貴族に、腹を立てた商人がお金と引き換えに情報を売っちゃうの!ウケるでしょ?w』

『ウケるとこが判らん。イミフだ』

『もー兄貴つまんないヤツだなぁ!』

 うるせえ、今思い出したってイミフだわ。

『寝込んで3日目に貴族が来てね。拐かされて貴族の家に閉じ込められてそれはそれーはヒサーンな毎日を送るのよw』

『……』

『そこにメイドで居た、ジャジャーン!ワタクシこと主人公様が説得してフィラちゃんを助けちゃうんだなwで、フィラちゃんの好感度を上げるんだけど、フィラちゃんは残念ながら純真無垢なワタクシ主人公に心打たれた貴族に捨てられて如何わしいところに売られちゃうの!それでも健気に主人公の言葉を信じて男娼しながら待っちゃうんだよ、かっわいいーwww』

『意味が判らん』

 意味が判らん。

『そのゲームってさ、お貴族とかいるのかよ?』

『そりゃ、剣と魔法のファンタジーなんだからいるに決まってるでしょ!フィラを誘拐したのはバ***伯爵って言って商人の****が…』

 がなり立てるように渦巻いていた声が急にシンッとなって、頭を抱えていた俺は真剣に飴色の古ぼけたテーブルを見据えて考えていた。
 まず妹よ、バなんとかじゃ名前が判らん。商人に至っては想像もできん。
 いくら俺が上の空で聞いてたからって肝心なところが呆けてたら意味がねえんだよなー
 ふと、目線を上げると、突然の奇行でもオタオタしている商人の何ちゃらは、挙げた両手をどうしたらいいのか判らない、そんな情けない顔で心配の声を発しつつも戸惑っているみたいだ。
 いい人そうだ。
 だけどこれは油断かもしれないって思うだろ?
 だが、だがな、俺は本来のコイツと同じ16歳ってワケじゃない。成人式は2回目も迎えてる、人間を見る目はこう見えて結構養ってるんだよ。
 大柄で熊みたいだけど、この商人は俺を襲うほどの勇気も度胸もない。それどころか、お人好しにも程があるのが、リュックから覗く商品の数々から見受けられる。
 こんな森の奥深くで、どうして栄養価の高い白パンとか、高級で手が出せない食品、日持ちする食品をわんさか持ってきてるんだ。
 この森が最後の販売地で、この後商人は品物を仕入れながらボチボチと大きな街に戻って、また仕入れてここに売りに来るのがルーチンだ。この森はこの国の一番端にあって、道中に大きな街はない…だからここに到着する頃には、本当はもう殆ど商品がない状態なのが一番無駄がなくてベターな筈なんだよ。
 商人はフィラを好きなんだろう、それは判る。
 そりゃあ妹がこのゲーム史上最高の超絶美形と言わしめる俺様なんだから、老若男女に惚れられて当然だろう。貢ぎたくなるのも十分同じ男として理解できる。
 だからって触れるようなフリをして、触れることもできない男が、ある日突然豹変して俺を襲うのか?
 幾ら夢見がちな乙女ゲームだからって、そんな青年誌みたいな展開はないだろう。
 確かに綺麗な、ましてや惚れたヤツのふとした姿にドキッとして、たまに勃起することもあるけど、勃ったらすぐ襲う…なんてのはエロゲかAVぐらいだろ。男ってのはだいたい臆病で実際は繊細な生き物なんだ。
 悪さする連中だって大概色んな個室に連れ込んでヤるだろ。
 さっきの妹の会話で思い出したけど、この商人はこの野生動物だって、下手すりゃ魔物だって彷徨く、この見晴らしのいい絶好のロケーションでレイプするんだぜ。
 乙女ゲーム的にはそれがロマンなのか?
 ロマンだからシナリオ通りの強制力で発動するイベントなんだろうか。
 だとすれば切欠はなんだったんだ?イベントを発動するトリガーはなんだ?
 ふと、俺は目を瞠った。
 考えたくないが考えられること、もしかして…誘ったのか?フィラと言うこの薬師が、善良で朴訥としたこの気の優しい商人を、自分を襲うように仕向けるために誘ったとでも言うのか。
 それがイベントの強制力だとしたら…俺はゾッとした。それが事実であるなら目配せ一つ、仕草一つ気を抜くことができなくなる。

「リィンテイル?どうしたんだい。大丈夫か」

 それなら、と、俺はグッと両拳を握った。
 それなら抜け出せばいい、こんな何が面白いのかさっぱり判らない、そもそもその世界かどうかも判らないとは言え、クソッタレな乙女ゲームに真っ向から喧嘩を売ってやる。
 乙女ゲームでBLありとかどれだけ盛り盛りなんだこのゲーム…はぁ。
 本名リィンテイル・セント。
 無理矢理男娼にされて、何人目かのやたら執着して、遂には水揚げまでしようとした貴族だったかの客の男が、フェリシア…幸福と呼んだことを皮肉って付けられたフィラと言う名前。
 男娼フィラ・セント、これがゲームでの正規の名称だ。リィンテイルなんて最初にチラッと商人との会話で呼ばれるぐらいで馴染みは薄いってのに、ずっと付き纏う名前になるから、フィラを名乗るのが正解なんだろう。

「なあ、髪って売れるのかな?」

 黙り込んでいた俺が唐突にそんなことを聞くもんだから、商人の男は目を白黒させて動揺したような間抜けな声を出した。

「へ?え、えーっと…リィンテイルほどの金糸のように貴重な黄金の髪は売ろうと思えば売れるよ。だけど、絶対に売らないほうがいい」

「何故だ?売っちゃいけないってルールでもあるのか?」

 それでも気を取り直して、ちゃんと教えてくれるところは生真面目で律儀な性格が滲んでいる。
 俺だけにかもしれないし、持ち前の性質であるなら商人としてそれはどうなんだろうとも思うけど、何にせよこんないいヤツ、犯罪者にしたくない。

「ルールと言うか…魔法的な制約に因るモノだよ。長い髪はそれだけ魔力が宿るモノだから、売り出してリィンテイルを欲しがるヒトの手に渡ってしまうと、下手をすれば心を縛り付けられて人形のように従ってしまう羽目になるかもしれない」

「ああ、マジか。じゃあ、髪は燃やす」

「うん。勿体無いけれど、そうするほうがいい」

 商人は心底心配しているようだから強ち眉唾ってワケでもないんだろう、だからフィラは髪を伸ばしていたのか。切って、誰かの手に渡ることを怯えていたんだ。
 自分の容姿をちゃんと理解していたのか、それとも魔女のばーさんが教えてくれたのか、何れにしても目を付けられる美貌って生前の俺なら羨ましいって思っただろうけど、実際その状況に置かれたら面倒くさいことこの上なしだ。
 人生で得すること一割で不遇なこと九割なら平凡だった俺が一番優勝じゃないか?まあ、威張れることじゃないが。
 若くなってもあんま嬉しくねーなー。商人熊みたいな図体と若さなら断然ウェルカム!だったんだけどよ。

「じゃあ、このポーションを全部売ると幾らぐらいになる?乾燥肉と調味料、ああ、日持ちしない食材よりも日持ちする食材を多めに、それからマジックバッグも買えるかな?」

「…何処かに行くのか?」

 話の途中で調味料?と首を傾げているからアレを作ったのはフィラなんだろう、とは言え、話し終わったと同時にふと、暗い目付きになって声音が低くなる商人に、ちょっとギクッとしちまった。
 いいヤツだけど、腹の底には俺に対する得体の知れない感情がトグロを巻いているんだから気を付けないと。

「いいや?家が狭くてそろそろ荷物がさ。だからマジックバッグを購入して荷物入れに使おうと思ったんだけど変かな…」

 殊更なんでもないことみたいに肩を竦めて言ってみたら、室内の惨状とか、家に入れてないから知らない筈なのに、商人はホッとしたように誠実そうに笑って頷いた。
 その顔を見て、俺もニッコリしながら薄寒いモノを感じたのは気のせいじゃないだろうし、其処彼処に転がっているこの乙女ゲームの絶対的な恐怖感のせいだと思う。

「ああ、そう言うことなら!うん、大丈夫。リィンテイルのポーションは評判が良くてさ。1つの価格が青系と赤系は1000ティン、薄紫系が2000ティンだから、正規版マジックバッグのリュック型が1つと、リィンテイルは薬草採取に行くだろう?だから腰に付けるポーチ型を1つ、乾燥肉が大袋で5つと各種薬草を10束ずつ渡せる。それからお釣りもね」

 まあ、ポーション作りに薬草採取は必須だから腰ポーチは正直有難いな。
 それと流石乙女ゲームの世界だからか、小難しい貨幣の呼び名の変化はなくて、単純に通貨はティンで統一されている。
 しかも流通を見ると、だいたい1ティン1円に換算されると思うし、そう考えたほうが俺には優しい。数は十進法だし計算式は小学生の算数でいけるお馴染みの足す引く割る掛けるで事足りるから、わりと簡単にこの世界に馴染めて生きていけそうだ。
 硬貨は1ティンが丸い鉄貨、5ティンが丸い鉄貨の中央に穴が空いている。10ティンが丸い銅貨で50ティンが丸い銅貨の中央に穴が空いている。100ティンが銀貨で500ティンから紙幣になる。但し、10万ティンからまた貨幣に戻って金貨を使用するようになるそうだ。
 商人が見せてくれたのは100万ティンの大金貨までだった。大金貨はそれでも凄いんだとかで、商人の家系はこの世界では名の知れた商家だから持っているのであって、通常は金貨を持っている商人が殆どなのだとか。
 貴族との大きな、喩えば冬支度の準備とかで出張する時は、念の為、1000万ティンを意味する白金貨を持って行くんだそうな。何故かって言うと商人は売るだけじゃなくて仕入れもするからさ、冬支度時は道中で購入する時に偶に白金貨が必要になる時があるんだって、スゲーよな。
 1億を意味する大白金貨とかもあるそうだけど、商人でも見たことはないから、億がなかなか稼げないのはどの世界も共通なんだなぁってしみじみと思った。
 一介の薬師如きの場所に大金貨を持ってくるな。
 それと、通貨が判らん俺の為だからって大金貨を見せびらかすのもやめろ。

「…もしリィンテイルが必要なら、その、この100万ティンを渡しても…」

「いらない。及ばざるは過ぎたるより勝れり…だからね」

「?」

 まあいいや、これで通貨の意味も判ったぞ。
 因みに、マジックバッグってのは次元魔法を駆使したバッグで幾らでも入るし、時間も止まっているから中に入れたモノが劣化しないって優れモノなんだとか。劣化版だと空間魔法が使われていて時間停止がないってことかな。常に中身を気にしないといけないから、旅立つなら劣化版より断然正規版だろう。
 オマケしてくれたんだろうけど、良い買い物をした。

「じゃあ、これでまた1週間過ごせるよ。有難う。また宜しく」

「ああ、うん。…今日はその、ちょっと雰囲気が違う…よね」

 言い難そうに手遊びをしながら困ったように笑う商人を見ると、ちょっとじゃないだろうけどなと改めて思う。
 フィラの一人称は『僕』だし、大人しくて控えめ目な美人で、見た目はゴージャスなのに風が吹けば倒れる可憐な百合のような性格だ。
 物怖じしない言いたいことはポンポン言う俺の性格…ではないよな。

「昨日、落ちてきた瓶で頭を打ってから記憶があやふやでさ。だから様子がおかしくても勘弁してよ」

 できるだけフィラちっくに言ってみたぞ。

「え?!大丈夫なのかい??!」

「ははは、大丈夫大丈夫。もし性格以外で何かあったら頼らせてもらうし」

「そうして欲しい、心配なんだ。他に行く場所があるから直ぐには無理だけど、今度は早目に5日後に来るよ」

 物言いも変わってるだろうけど、これはこれで商人のお眼鏡には適ったらしい。適わんでもいい…けど面倒いのはゴメンだからにっこり笑っておく。
 痘痕も靨なんじゃない?

「いいよいいよ、有難う。じゃあ、また5日後に」

「どうか無理しないで」

「了解」

 大荷物を担いで手を振ると、商人熊は元来た道をのっそりのっそりと戻って行った。
 無理するなって言った時に初めて手を握られたけど、生ぬるくて少し湿った感触にも背筋がゾッとしたのに、にっこり微笑んだ俺は偉いと思う。誰かに褒めて欲しい。
 さて、んなことはどうでもいい。
 俺はさっさと家に入るとマジックバッグの口を開いて腰に両手を当てて仁王立ちする。
 荷物は揃ったし、服なんかは有り合わせでも旅支度には事欠かない。残ってる調味料とか、使えるモンはなんだってバッグに入れて、生前の記憶を頼りにサバイバル術だって駆使してやる。
 商人熊が来る前に、早ければ明日の朝にでも旅立つぞ。
 頑張れ俺!乙女ゲームなんかクソ喰らえだ、俺独りぐらいシナリオから逸脱したって文句ないだろ。
 BL要員とか舐めんな。
 そもそも妹から用語を聞いたぐらいで、男同士で恋愛するってことしか知らないんだぞ。レイプってなんだよ、すげー怖いだろ!
 ギュウギュウにならずに不安を抱えながらも、引っ越し宜しく室内の荷物をほぼ納めたリュックを見つめて、俺は大きく頷いていた。