14  -EVIL EYE-

 そう言えば、昼飯も兵藤と食うようになって、安河と一緒にいることが少なくなったよな~と気付いた俺は、それから、兵藤王子は牙をむいて「死ね、相羽」と威嚇する女子どもに返して、何時も通り、ボーッとしてる安河を連行して学食で昼飯を食ったんだ。
 学食にもラーメンはあるけど、俺が誘っている近所の【山小屋】は九州の濃厚な豚骨に辛子高菜をどっさり入れると激ウマだから、こんなところで済ますのは勿体無い。
 だから敢えてそれを言わなかったし、安河に至っては気付いてもいないみたいだった。
 俺が兵藤と昼休みを一緒にしている間は、安河は何処に雲隠れしていたのか、俺が兵藤の誘いを断って学校中を走り回ったってのに、学食にもいないし、何処にもいないみたいだった。
 でもたぶん、それは俺の捜す行動力が追いつかなかったんだと思う。
 やっぱり、何時もみたいにフラッと何処かに行こうとする安河の腕をギュッと掴んだら、相変わらず俺だと知ってるくせに居た堪れないみたいに長い前髪の向こうで動揺するツラにニッと笑って、敢え無く連行される安河と連行する俺を見送って、女子に囲まれた兵藤はちょっとムッとした顔をしていた。
 なんで、ヤツにそんなツラをされないといけないのかは疑問だが、そもそも、昼まで一緒にいなくてもいいんだよな、と、最近気付いたってワケだ。
 恙無く授業を終わらせた俺たちは、約束通り、ラーメン屋に向かって歩き出していた。
 夜の闇に怯えるようになった兵藤は、仕方なさそうに俺たちを見送っていたけど、そそくさと女子に誘われるまま自宅に向けてダッシュしたみたいだ。
 …って、アイツ。さすがエヴィルだからなのか、高級マンションに独り暮らしなんだぜ?
 親父の会社の社宅で親子3人で暮らしてる俺からしてみたら、エヴィルのクセに生意気だぞ!…ってさ、どっかのガキ大将みたいなこと言いたくなっちまったよ。
 ま、それはさておき、俺たちは他愛ない会話を楽しんでいた…って、一方的に俺が喋ってるんだけど、安河も適当なところで相槌を打ってくれるから、話が弾むって言うのかな?言葉数は少ないんだけど、けして聞いていないワケでもないし、やっぱ、コイツといると楽しいんだ。

「そうだ、安河の家って何処だっけ?」

「え…?」

 唐突に話を変えたせいか、安河はちょっと面食らったような顔をした。
 だってよー、知られざる安河の生態、その2とか知りたいじゃん。

「やっぱ、兵藤みたいに独り暮らししてんのか?高級マンション??」

「はは…そんなんじゃないよ。でも、独り暮らしだ」

 やっぱりか、いいよなー。

「そうだよなー!やっぱ、独り暮らしって楽しいだろ?俺も独り暮らししてみたいよ」

 何気なくそんなことを言ったら、安河はちょっと口許に笑みを浮かべただけで、スッと目線を伏せてしまった。だから、およ?っと首を傾げてその顔を覗き込めば、ドキッとするほど真摯な双眸が揺れる前髪の向こうにあって驚いた。

「ど、どうしたんだよ?」

「え?…ああ、独り暮らしも良し悪しって思ってたんだ」

 思わず返事が戻ってきて、ますます俺は驚いてしまう。
 安河がこんな表情をするときって、決まって曖昧にはぐらかされるから、俺はまた勝手に一方的な話を展開する…ってのがお決まりのパターンだったってのに、でも、だからって悪い気はしないな。
 却って、いい気分だ。
 ほんの少しだけど、安河が懐いてきたみたいで嬉しい。

「そりゃ、自炊とかしないといけないし…でも、自由な時間とかあるだろ?やっぱ、その辺が魅力的だよな!」

 気分良く相槌を打ったら、安河はちょっとキョトンッとした顔をしたけど、すぐに「そうだな」と言って笑ったみたいだ。
 それ以上は何も言わないし、それぐらいの会話だったけど、これはこれで俺たちの間で何かが発展してるんじゃないかって期待してもいいと思うんだよな。
 うははは。

「…もし、相羽が独り暮らしをしたいなら、その…」

 あまり自分から発言しない安河がポツリと呟いたから、肩を並べて歩いていた俺はん?とその鬱陶しい前髪に隠れている双眸を見ようと顔を上げた。顔を上げて、またちょっと面食らってしまったんだ。
 だってよー、あの安河が照れてるみたいに頬を染めてるんだから、ビックリしない方がどうかしてると思う。

「うん」

 頷いたら、よほど照れてるのか、ジッと見上げる俺の目線を避けるように…って言うか、安河は何時も目線をふいっと外すんだけど、今回もそうして目線を泳がせてから、後頭部を掻いた。

「いや、そんな大袈裟なことじゃないんだ。もし、よければ、ウチに来ればいいって…」

「へ?」

 思わず目をまん丸にしてすっ呆けた声を出しちまったけど…でも、ビックリするどころじゃないぞ!
 あの安河が、日曜日ですら一緒に遊ぶこともしない安河が、いきなりそう言うことをすっ飛ばして同居のお誘いなんかしてきたんだから、驚かない方がどうかしてる…いや、マジで。

「…でも、相羽には兵藤がいるから。俺よりも兵藤との方が楽しいだろうな」

 不意に自嘲的に笑って、今のは聞かなかったことにして欲しいとか言いやがるから、俺が思わずムンズッと安河の腕を両手で掴んで足を止めると、その反動で、長身の安河も足を止めざるを得ない。
 ギョッとする顔を覗き込んで、もう、逃がしてやらないからな!

「ホントか?!ホンットーに、俺が行ってもいいのか??」

「…え?あ、ああ。別に、俺は独りだし。誰に迷惑をかけるってワケでもないから…その、相羽さえよければ」

 思わずだったんだ。
 安河がさらにハッと目を瞠ったのは、うっかり、満面の笑みを浮かべちまったせいだと思う。
 だってさ、なんか、漸く本当に安河が心を開いてくれたみたいで嬉しいんだ。
 俺、エヴィルハンターとかエヴィルとかに翻弄ばっかされて、自分を見失いそうになっていたけど、こうして安河が友達をしてくれるから、漸く繋ぎ止められてるんだと思う。
 その安河が気安くこんなことを言ってくれたんだから、少しでも俺のこと、認めてくれたんだよな?
 うん、嬉しい。

「今度、日曜日じゃない日でいいからさ。泊まりに行ってもいいか?」

「…別に、土日でもいいよ」

 その台詞に、もう、今日の安河は俺に泣けと言ってるんだろうか…って、疑っても仕方ないだろ?
 日曜日は駄目だと、何百回も断られたってのにさ。

「日曜日は何時も駄目だったんじゃないのか?」

 慌てて首を傾げたら、足を止めている安河は吹いてくる夕暮れの風に前髪を揺らしたままそんな俺を見下ろすと、キリリとしている双眸をフッと和ませたみたいだった。

「日曜日…俺、早くからいないんだ。相羽がそれでもいいのなら、日曜日でもいいよ」

「…あ!もしかして、安河?」

 何となく思い当たってハッとしたら、安河はちょっとバツが悪そうに苦笑して頷いた。

「バイト…してるんだ。その、学校には内緒で」

「やっぱり!」

 俺たちが通ってる高校はバイト厳禁!…だったりする。
 だから、安河は日曜日は駄目だと言うだけで、曖昧にはぐらかしていたんだ。
 どーして気付かなかったんだ、俺。
 思わずガックリしそうになったけど、でも、それで今までの謎が一気に晴れたような気がする…って、あくまでも気がするだけなんだぞ?
 だってさー、何時もフラッと何処に行くのか、まるで掴みどころのない雲みたいな雰囲気には変わりないもんな。

「安河がバイトかー…全然想像がつかん!」

「…失礼だぞ」

 安河がらしくもなくクスッと笑ったりするから、俺も釣られたようにエヘヘヘッと笑ってしまった。

「とは言っても、こんな無愛想だからさ。知り合いの倉庫の管理とか整理とか手伝ってるんだ」

「…そうだったんだ。やっぱ作業着とか着るのか?」

「いや、倉庫内は暑いから。Tシャツにジーパンだ」

「へぇぇぇ」

 素直に感動した。
 それで、高校生のわりには、安河はガタイがいいんだ。
 本気になればヤンゾーどもなんかぶん投げられそうなほど、体育の時に見た安河の上半身は程よく筋肉がついていて、どんな筋トレしてんだろうって、羨ましかったんだよな。
 そうか、倉庫の整理って言うぐらいだから、重いものとかも持ってるんだろうなぁ。

「それじゃ、今度の土日にお邪魔しよっかな♪」

 今までの会話からどうしてそんな流れになるのか判らないのが俺流の会話だ…とかなんとか、自分に言い聞かせたりして、安河の腕を掴んだままでニヘッと笑って見上げたら、そんな俺を呆れたように見下ろしていた安河は、ちょっと口許に笑みを浮かべて頷いたみたいだった。

「ああ」

「お泊りセットを持っていくよ」

 お泊りセット…って自分で言っておきながら、何故か気恥ずかしくなってしまうってのに、安河は別段気にも留めずに、やっぱり頷くだけだ。

「さすがに独り暮らしする!ってイキナリ押しかける…ってのも悪いし。いや、それ以前に、俺んち、母さんが異常に心配性だから。独り暮らしができるか激しく謎なんだよな」

 嬉しさに調子に乗ってそんなことを言ったら、安河は「そうなのか」と呟いた後、少し何かを考えているみたいにフイッと視線を逸らして、それからぽつりと言ったんだ。

「…お袋さん。俺の家に来るのも心配するんじゃないのか?」

「友達んちに遊びに行くのまでは止めないって」

 さすがになぁー

「そうか…じゃあ、独り暮らしの気分を味わうつもりで、気が向いたら泊まりに来ればいい」

「ホントか?!じゃ、お泊りセットを置いてってもいいか?」

「ああ」

 俺がこれほど喜ぶとか夢にも思わなかったのか、ちょっと面食らったけど、それでも安河も嬉しそうに笑ってくれた。
 俺には良く判らないし、安河自身が口にしたワケじゃないから自信もないけど、もしかすると独り暮らしってのは、相当寂しいんじゃないかって思う。
 兵藤の場合は王子様だから、何時も誰かしら女子とか遊びに行ってるみたいだから平気だろうけど、安河は本人も自覚してるぐらい無愛想で取っ付き難いところがあるから、きっと知り合い以外では友達とか、遊びに来るヤツも少ないんじゃないかって思うんだよな。
 それなら、俺、しつこくストーカーまがいに付き纏ってた甲斐あって、堂々と安河の友達第一号として、今度の土日にお泊り決定だ!
 なんか、嫌なことばっかりだったけど、少しずつ、俺にもツキが回ってきたんじゃないかなぁ…とか、思っても少しぐらいはいいよな?

13  -EVIL EYE-

 狭い個室に男2人分の荒い息が響いて、俺はへたり込むように便座に座っていた。
 粘液と精液に濡れた太腿を少し動かすと、にちゃっと湿った音を立てるから、どんな有様か見るのも嫌で眉を寄せた俺は、満足そうに覆い被さってこようとする兵藤の身体を両手を突っ張るようにして押し遣った。
 終わった後までベタベタすんじゃねぇ!!

「ひっでーなぁ…俺とお前の仲なのに」

「何、言ってんだよ!尻で犯るのに慣れるように、お前は手伝ってるだけじゃねーかッ。それだけの仲なのに、どーして終わった後までベタベタされないといけないんだ」

 ムッと唇を尖らせる俺を、ゆっくりと上体を起こした兵藤は、何か意味深な目付きでニヤッと笑ったけど、それ以上は何も言わなかった。

「…じゃ、キスもなしってワケか」

 いや、言った。

「当たり前だろ!…どうでもいいけど、服は持ってきてるんだろーなぁ」

「やれやれ。俺は相羽の便利くんに成り下がっちまったぜ」

 ま、得な部分もあるからいいけどよ…とかなんとか、ブツブツ言いながら、個室の上の部分に設置されている棚みたいなところに、隠すように置いている紙袋を引っ掴んで俺に手渡してきた。
 俺がホッとして中を覗こうとしたら、それよりも早く、紙袋に手を突っ込んだ兵藤が、わざわざ買って来たんだろう、水に流せるウェットティッシュを2個取り出して封を破った。

「そのまんま…ってワケにもいかねーだろ?拭いてやるから大人しくしてろ」

「ゲッ!い、いいよッ。自分でするから!!」

 熱い掌で太腿を掴まれて、俺はギョッとして慌てて兵藤の腕を掴んだ。
 イッたばかりの身体はまだ敏感だし、何より、これ以上煽られたら本気で腰が抜けちまう。
 兵藤にもそれが判ったのか、ちょっと肩を竦めてから、ウェットティッシュを紙袋に戻してから唇を尖らせた。

「んじゃ、俺は何をしたらいいんだ?」

「何を…って、先に教室に戻っててくれ。もし、2時間目もフケそうだったら、テキトーにうまいこと言っててくれよ。その先生にも人気のツラしてさ」

「…ヘイヘイ。俺はやっぱ相羽の便利くんだ」

 そのくせ、満更でもないようなヘンなツラしてさ、馬鹿なことばっかり言ってないでさっさと出て行けよ!ここは狭いんだぞ。
 身支度を整えてから、兵藤は個室から出ようと鍵を開けようとして、その手を止めた。

「なんだよ?」

「…まぁ、大丈夫だとは思うけど。何かあったら、保健室で休めよ」

 言外に、この個室でくたばるなと言ってるんだってことは判ったから、俺は思い切り脱力したままで頷いていた。でも、今は少し休みたい。
 だから、早く出て行け。

「目に毒だな。そんな姿、カタラギが見たら今度こそ、俺は本気で殺されるだろーな」

 そんなふざけたことを抜かして、兵藤は個室を後にした。俺が鍵を掛けた後も、名残惜しそうにドアの前に居たみたいだったけど、それでも暫くするとその気配も消えて、殆ど使用されることのなくなった北側校舎の廊下には生徒の声もしないし、束の間の静寂が訪れたんだ。
 ホッとして目蓋を閉じたら…どうしてだろう?ぽろりと涙が一滴、頬を零れ落ちた。
 兵藤に抱かれるのは、最初を入れて3回目だ。
 カタラギに逢うことは、あの後は一度もないんだけど…って、案の定、心配性の母さんから夜間外出禁止令が発令されて、外に出ることがなくなったから、エヴィルに遭遇することもなければ、それとワンセットで姿を見せるカタラギに逢うこともなかったってワケだ。
 カタラギとかエヴィルのことで相談できるのって兵藤ぐらいだったから、俺は、一番最初にカタラギに抱かれた時の恐怖を吐露していた。2度目は意識がなかったから良かったものの、それでも下半身には歩く度に痛みがあった。
 俺は怖くて仕方ないんだ。
 今度、カタラギに捕まったら、やっぱりまた犯られるんだろうなぁ…と、もう半ばヤケクソで机に懐いたまま泣き言を言った俺に、暫く何かを考えていた兵藤は顎を擦っていたけど、ポツリと言った。

『じゃぁさー、男に慣れるってのはどうだ?』

『へ?』

 冗談じゃねーぞと胡乱な目付きで睨んだら、兵藤は何時もの小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべで首を振ったんだ。

『言葉が悪かったな。尻で犯るのに慣れたら、んなに身体がガタガタになることもねーんじゃねーの?』

『…』

 それはつまり、尻を誰かに犯されて慣れるってことなんだろ…

『じ、冗談じゃねぇ!』

 顔を真っ赤にしてギッと睨み据えながら食って掛かったら、兵藤はどうでも良さそうなツラをして、バリバリと頭を掻いていた。

『ま、俺は別にどうだっていいんだ。泣いても笑ってもカタラギに犯られるのは目に見えてるしな。お前はエヴィルハンターが望んだ女だし。何れ犯られる時にさ、慣れてないとまた切れて、痛い思いをするのは相羽なんだぜ』

 俺じゃないと言ってニヤッと笑う兵藤に、思わず回し蹴りしたい気分は山々だったけど、今の世の中、エヴィルハンターは警察や公務員よりも権力を持っていて、大臣並みに自由が許されてるんだ…って、いやそれ以上か。満更、兵藤が言っているのも嘘じゃないから青褪めてしまう。
 カタラギがその気になれば、俺は問答無用でヤツの家(…俺の記憶の中ではその道順は綺麗サッパリ忘れてるけど、あの隠れ家らしき部屋?)に縛り付けられて、生涯奴隷みたいな扱いを受けても文句も言えないような、そんな特権をハンターであるあの連中は持ってるんだぜ。信じられるかよ。

『カタラギってよぉ、なんつーか、ガタイもデカければウェイトもありそうだろ?ナニもデカいんじゃねーの??慣らしとかないと、相羽の尻なんか何回か突っ込まれただけで裂けて、使いモンにならなくなると思うぜ。お前のアソコってさ、狭くて、まだまだ硬いからな』

『…裂け…ひぃぃぃ』

 聞きたくない、聞きたくないぞ!
 思わず耳を押さえて泣きそうになった俺は、最初の日にカタラギに貫かれてガタガタになった記憶の残る部位が今更ながらジンッと疼いた気がして、悲鳴を上げそうになった。
 カタラギは…兵藤たちに散々犯された俺を…と言うか一部を、繁々と眺めて、『優しくすればイケるのか』と聞いていた。それは、たぶん、これからもずっと抱くから、俺がイカないと意味がないとでも思っている発言なんだろう。と言うことはだ、俺はやっぱり、このままずっとカタラギに犯られることになるワケだ。

『…慣れるって、どうやったら慣れるんだ?』

 悲壮感の漂うツラをして兵藤を見上げたら、ヤツはこの上ない悪魔みたいなツラをして、ニヤッと笑って言ったんだ。

『事情を知ってるのは俺だろ?俺と犯るんだよ、相羽。大丈夫、俺は酷くはしないぜ』

 そう言われて、何となく済し崩しに契約したワケなんだけど…そう、これは契約なんだ。
 カタラギに抱かれても痛いだけで、これっぽっちも良くはなれない。優しくされればイケそうな気もしたけど、実際、意識がないときに抱かれても、やっぱり歩く度に痛みがあった…でも、あれは兵藤たちに輪姦された後だったからなのか。
 …そんなことを考えながら便座に座っていた。
 兵藤に抱かれるのも慣れてきたのか、今はもう、歩く度に痛むことはなくなった。
 と言うことはだ、これでカタラギに犯られても、俺はもう大丈夫じゃないかと思うんだ。
 いくら兵藤がエヴィルだと言っても、当の本人が何一つ情報を持っていないのなら、俺は夜の闇に立ち向かうしかない。
 闇に怯えてばかりいても、どうして、エヴィルに関することを全て忘れてしまったのか、その俺の中に蹲る謎を解明することなんかできるはずがない。
 もう、怖くないと思う。 
 カタラギを避けて夜の街を歩くのは、たぶん、不可能だ。
 昼間にどんなに街を歩き回ってもカタラギに逢うことはなかった。
 夜こそカタラギが支配する世界であり、あの派手な男は、自在に夜の闇を味方につけてエヴィルどもを狩りまくってんだろうから…俺を見つけ出すのなんか朝飯前だ。
 …ってことはないのか?兵藤に連れ去られた時も、来るの遅かったし。
 アイツ、自分の女だとかなんだとか嘯きやがって、肝心な時に遅れたら、俺死んでたかもしれないんだぞ!
 激しく頭にきて苛々しながらふと、散々なことになっている下半身を見下ろしたら、頭に上っていたはずの血が一気に冷めて、俺は泣きたいような気持ちになって、兵藤が渡してくれた紙袋から取り出したウェットティッシュでベトベトに汚している粘液だとか精液だとかを始末することにした。
 何が悲しくてこんなことしなきゃいけないんだ?
 ベトベトに、散々汚れていた下半身を拭った後、便座から立ち上がって蓋を開けてウェットティッシュを始末すると、悲しいかな、俺はそれを跨ぐように足を開いて、タンクに向かい合うような形で座ると下腹部にグッと力を入れた。
 ごぷ…っと、嫌な音を立てて兵藤が吐き出した精液と粘液が、水の音を響かせて零れ落ちた。
 それが情けなくて、何処から歯車が狂ったんだろう…と、向かい合ったタンクに片腕を乗せて、それに顔を伏せながら、俺は恐る恐る自分の指先で、さっきまで兵藤を咥え込んでいた、熱を持って腫れぼったい肛門に触ってみた。

「…ッ」

 ビクンッと身体が震えるけど、俺はそれを敢えて無視して、唇を噛み締めながら触れていた指先を潜り込ませたんだ。
 これはカタラギがしていた行為なんだけど、2度目に兵藤に抱かれた後、アイツもこうやって掻き出せと言ったんだ。勿論、カタラギ同様、兵藤も実践して教えてくれたけどな。
 奥のほうに蟠っていたモノも、座っている姿勢のおかげで下がってきていたから、すぐに殆どを掻き出すことができた。その度に、まるで自慰でもしてるような気持ちに陥って、気付いたら痛いぐらい勃起していて…って俺、どれだけ淫乱なんだ。
 アレだけ犯ったってのに、まだ勃つんだから、男ってヤツは。
 俺、男なのに…どうして、こんなことばっかり覚えなくちゃいけないんだ。
 そうだ、全部、カタラギが悪い!
 グッと唇を噛み締めて立ち上がった俺は、レバーを引いて水を流した。
 この水と同じぐらい、全部流れて、何処かに行っちまえばいいんだ。
 兵藤が用意していた学生服…アイツはいったい、何着学生服を持ってんだ?
 恐るべしエヴィル!…とか思っていたら、不意に、掛け方が悪かったのか、カチャン…ッと鍵が開いてドアが尻に当たって吃驚した。
 着替えた服は紙袋にぶち込んで、兵藤が回収し易いように元の棚に戻した後だったから、俺は既に服は身に着けていた。
 だから、慌てて振り返った先に安河がボーッと突っ立っていた時でも、なんとか(違った意味で)平静を保てたんだ。いや、思い切り動揺はしたけどな。

「や、安河?!どうして…」

 ここに?と聞こうとしたら、長い前髪の隙間から感情の窺えない双眸をして俺を見下ろした安河は、キョトンッとしたように首を傾げたみたいだった。

「…おかしいな」

 ポツリと呟いたから、今度は俺が首を傾げる番だ。

「はぁ?何がおかしいんだ??」

「あ、いや。ここ、人はいないって思ってたから…」

 ハッとしたように俺を見下ろした安河に、ははーん、さてはコイツもサボりに来たな。
 こんなボーッとしてる安河でも、たまにフラッといなくなって、気付いたら戻って来るようなことがあるんだから驚くけど、そりゃ、コイツだってサボるよな。
 …しかし、兵藤と犯ってる時に来られなくてよかった。
 俺、安河にだけは、今のこんな情けない姿は見せたくないんだよな。

「えっと…その……」

 気まずそうに目線を泳がせる安河に気付いて、俺は慌てて個室を明け渡してやることにした。
 個室なんて他にもあるワケだが、安河にとっても、サボりのテリトリーってのがあるんだろう…って、なんじゃそりゃ。

「悪い!俺、すぐ出るから。ちょっと腹壊しちゃってさ。他のトイレだと人が多いだろ?ゲリピーとか、笑われたくないんだ」

 アハハハッて陽気に笑ったら、安河は慌てたように出ようとする俺の腕を掴んだ、掴んで、手にしていたものがポトリと落ちる。

「あ」

 思わずと言った感じで慌てる安河の、のんびりとした動作より素早く、俺は落し物を拾っていた。

「お前…タバコとか吸うのか?」

 安河の知られざる素顔を見たような気がして、何となく、安河は悪いこととか何もしていないような、お綺麗なイメージを勝手に作り上げていただけに、胸の奥が微妙に痛んでしまった。
 いや、そうだよな。
 安河にだって秘密のひとつやふたつぐらいあるさ。
 お綺麗なイメージは、俺の勝手な妄想だ。
 却って、なんだか空気みたいに掴みどころのなかった安河がグッと身近になったような気がして、俺は嬉しくなっていた。

「…まぁ、気晴らしに」

 気まずそうに目線を泳がせて、後頭部を掻く安河に、俺はニッと笑ってそのガタイに似て厚い胸板を拳でドンッと軽く叩いてやった。

「んじゃ、拾ったヤツに一割な」

 ウィンクとかしてやったら、ハッとしたように安河は俺を見た後、何時もはナマケモノみたいに動作が鈍いくせに、その時は素早い仕種でバッと、前後に振っていた俺の手から煙草の箱を奪い取ったんだ。

「…あ、その、ごめん。相羽こそ、煙草とか吸うのか?」

「いや…実は吸えないんだ。ちょっと、どんなモンか試してみようって」

「それなら、相羽は吸わない方がいい。こんなの、ただのまやかしだ」

 そう言って、安河は表情こそ変えずに、ギュッと箱を握り潰してしまった。

「わ!バッカ、お前…あーあ。これだって何百円もするんだろ?損させちゃったな」

「え…?あ、いいんだ。こんなの」

 慌てて握り潰す手を掴んだら、安河はやっぱりハッとしたみたいな顔をして、それから、ちょっと照れたように俯いてしまった。
 何時もの安河にホッとしたから、握っている手を離したくなかった。

「…相羽、何かあった?」

「え?!」

 首を傾げるようにして俺を見下ろしてくる安河の、鬱陶しいほど伸びている前髪が、空気の入れ替えだと言って兵藤が開けて行った窓から吹く風にサッと揺れた。その時、不意にドキッとするほど真摯な双眸が覗いて、こう言うヤツだから、俺は入学した時から安河を気に入ったんだ。

「最近、よく授業をサボるし…それに、顔色もよくない」

 片手は俺が掴んでいるから、もう片方の腕を上げて、安河は自然な仕種で俺の頬をやわらかく包んでくれた。
 その瞬間、思わず俺は泣きそうになって、だから安河もちょっと驚いたように目を瞠ったんだ。

「や…その、なんでもないんだ」

 声を上げて泣きたかった。
 なんだか、安河なら何もかも理解して、そうして全部でも受け入れてくれそうな気がしたんだ…そんなこと、あるはずないって判ってるんだけど。
 男が男に抱かれてるのなんかおかしいと言って、きっと安河だって嫌なツラして去っていくに違いない。
 だから俺は、精一杯平気なツラしてさ、なんでもないんだと笑うしかないだろ?

「サボり虫がウズウズしてんだよな」

 アハハハッと弾けたように笑ったら、それでも安河は、いまいち納得してないみたいなツラをして、でもそれ以上突っ込むこともせずに「そうか」と言って頷いた。
 そんな辛気臭い雰囲気を振り払おうと、俺は頬に触れている安河のもう片方の手も掴んで、ギュッと握り締めながら言ったんだ。

「な?煙草、損させちまったお詫びに、今度こそラーメン奢るよ!今日の帰りってヒマか?」

 陽気に笑って、鬱陶しい前髪に隠れる双眸を覗き込んだら、安河はちょっと嬉しそうに頷いたんだ。

「…ああ」

 そう言って、でも奢らなくてもいいと言う安河に、そうは問屋が卸しませんと笑ったら、口許に静かな笑みが浮かんだ。
 俺の非日常的学校生活の、コイツだけが正常だと思う。
 安河に嫌われてしまったら、俺、どうなるんだろう。
 一抹の不安は胸の奥に隠して、俺も笑って、安河を見上げていた。

12  -EVIL EYE-

 世界中がエヴィルと言う化け物を当たり前に受け入れていることを、何故か俺は知らなくて、登校途中の女子とかが黄色い声を上げながら噂してるのを耳にしても、どうしても信じることができない。
 だいたい、どうして俺だけが忘れてるんだ?
 世界には68億人も人がいるんだから、そのうちの何人かは俺みたいにエヴィルのこともヤツ等を狩るハンターの存在も、何かがあって終わってしまった『クリスタルガーディアン計画』のことも、何もかもさっぱり忘れてるヤツとかいるのかな。
 居るだろうとは思うけど、俺の周囲にはそれらしいヤツは独りだっていない。それどころか、信じ難いってのに、エヴィルそのものは、俺の傍にはいるんだよなぁ…
 はぁ…と溜め息を吐いていたら。

「ッ?!」

 下駄箱に靴を入れて上履きを取り出そうとする俺の背後から、イキナリグイーッと身体を押し付けるようにして声を掛けてくるヤツがいる。

「あ・い・ば・くん♪」

「…ぐるじ…おま、バカだろ?!」

 長身のクラスメイトはニヤニヤ笑いながら薄っぺらい学生鞄を片手に、俺を下駄箱でプレスしようとしやがる!な、何を考えてるんだ、コイツは。
 下駄箱に押し付けられて苦しがる俺を丸っきり無視のソイツ…クラスメイトなのにエヴィルと言う、女子には王子様扱いされる兵藤要だ。

「なんだよ、沈んだ顔してさ。朝っぱらからシケてんなよ!パァッといこうぜ♪」

 いいよなぁ、悩みのないエヴィルは。
 思わず呆れ果ててモノも言えないくなりそうな俺に覆い被さるようにして、兵藤は背後からギュウッと抱き締めてきたんだ。
 もうすぐ予鈴がなる、遅刻野郎どもを除いて生徒も先生の影も鳴りを潜めた玄関で、兵藤は俺の耳の後ろをベロッと舐めてきた。

「…ん!」

 くすぐったいようなヘンな気分になって思わず声が出そうになったけど、慌てて唇を噛み締めると、面白がるように俺を両腕に閉じ込めたエヴィルはクスクスと笑った。

「1時間目は自習だってさ。フケるだろ?」

「…ああ」

 頷くと、満足そうに笑う兵藤に腕を引かれて、俺はムッツリと頬を赤くしたままで大人しく北側校舎の2階にある、誰も使わないトイレの個室に連れ込まれた。

「…んぅ!…ン……ッ」

 長身の兵藤と狭い個室の中で抱き合うのも一苦労だってのに、ヤツはすぐに貪るようにして俺の口を塞ぐと、長い舌を絡める濃厚なキスをしながら、シャツをたくし上げるようにして素肌を弄ると、キスに反応する敏感な乳首をキュッと抓みやがったんだ!

「…や、……よけ、なことッ、すんな!」

「駄目だって、相羽。こう言うことにも慣れないとな」

「…ッ!」

 キスの合間にニヤニヤ笑う兵藤をムカつきながら見上げたけど、俺はそれ以上は何も言わずにフイッと目線を逸らしていた。
 こんなこと、本当はしたくないんだ。
 でも…

「ほら、相羽。どうする?昨日はできなかったけど、今日はコレ、舐めてみる?」

 わざとらしくジッパーの音を響かせてチャックを下ろした兵藤は、相変わらずデカいペニスを取り出して、半勃ちしているそれを軽く扱いて見せながら言ったんだ。

「うぅ…」

 舐めるのか、それ?舐めるモンなのか??
 向かい合うようにして狭い個室にいる俺は、俺の腿の付け根辺りで揺れるそれを見下ろして、この上ないく嫌なものを見てしまったように溜め息を吐いてしまった。

「まぁ、別に後ろを慣らすのにコレを舐める必要はないと思うけどさ。でも、痛いのが嫌なら舐めておいた方がスムーズかもな。カタラギのは見たことないから判んねーけど、舐めてやったら喜んですぐに終わるかもしれないぜ」

 声音はニヤついているからいまいち信用できないんだけど、俺はそれでも、蓋の閉まっている便座に腰を下ろすと、丁度目の前で兵藤の手に支えられて揺れている、半勃ちから少し硬度を増したみたいなペニスを見詰めていた。

「うっわ、マジでヤバイな。スゲー、エロイ気分になる♪」

 やっぱ、愉しんでるだけじゃねーかと胡乱な目付きで見上げたら、俺はどっちでもいいよなツラをして見下ろしてくるから、内心で『嫌だ』を連呼しながらも、俺はもう一度溜め息を吐いて、ギュッと目を閉じると兵藤のペニスに舌を伸ばした。
 口を開けて舌を伸ばして、舌先が触れるか触れないかで…

「そんなんじゃ駄目だって言ったろ?」

 興奮に目許を染めた兵藤はペロッと下唇を真っ赤な舌で舐めると、俺の後頭部を掴んで一気に股間を押し付けてきた!

「…んぐぅッ?!…ぐ……んぅッ」

 咽喉の奥を犯す質量と重量を持つペニスのムッとした雄の匂いが鼻腔に洩れて、俺は吐き気を催したってのに、兵藤はまるで意に介した風もなく、荒い息を吐きながらグイグイと腰を前後に揺らすんだ。
 その度に咽喉の奥を突かれて、俺は生理的なものと息苦しさとで目尻に涙を溜めながら、目蓋は閉じたままで必死に教えられたとおり、舌を蠢かしてペニスに唾液を擦りつけた。

「…はぁ、イイ感じだ。その泣き顔もそそるし、カタラギが目を付けるのも頷けるな」

 眉間に皺を寄せて、必死で口腔を犯すペニスに出て行って欲しくて、頬に一滴涙を零しながら奉仕する俺の頭を、今度はゆっくりと撫で、それから空いている方の手で口いっぱいに自分を含んでいる俺の頬に、含みきれずに顎へと滴る唾液を指先に絡めて塗りこめるようにして撫でるんだ。

「ん、…ふ……ん、ん…ッ」

 鼻から抜けるような声を出してペニスを必死に舐めている俺の頬を撫でる兵藤は、何が楽しいのかふと、俺の肌蹴たシャツから覗く乳首に指先を這わせたんだ。

「ふ…ッッ?!」

 ギョッとして目を開いて兵藤を見上げたら、ヤツは目許を染めて、それでなくても綺麗な顔が、ドキッとするほど淫靡に彩られていて、俺はペニスを咥えてるって言う情けない格好をしてるってのに、目の遣りどころに困って目線を泳がせてしまった。
 そんな俺に、兵藤の声が降ってきた。

「そうだ、その気になるのにさ。相羽もオナッてみたらどーよ?」

「んぶっ?!…ふんッ、ふんッ」

 思わず歯を当てそうになったけど、あまりのことに目を見開いて兵藤を見上げると、嫌だと言って首を左右に振ったのに、ヤツはそれこそ悪魔…もとい、エヴィルの本性みたいなツラをしてニタリと笑ったんだ。

「その方が、早く慣れると思うぜ?」

「…ぅ…んぅ…」

 グリッと口の中のペニスが暴れて、俺は切なげに鼻から息を吐くしかない。
 どうやら兵藤は、そうでもしないと、この顎が草臥れる行為を延々と続けるぞと脅してるみたいだ。
 俺は片手で兵藤のペニスを支えながら、空いてる方の手でチャックを下ろすと、トランクスの中に手を突っ込んでヤケクソで握ろうとして…ビビッた。
 だって、信じられるかよ。こんな屈辱的な行為を強いられてるってのに、俺、勃起してるんだ。

「苦しいよ~って顔覗かせてんじゃん。出してやれよ、ホラ」

 唆すように腰を揺らされて、俺はもう、後頭部に兵藤の手はないってのに、自分から舌先を絡めてヤツのペニスにむしゃぶりついていた。

「んぅ…ぁ……んぶ」

 直に触れたペニスに思わず口を離しそうになって、もう一度やんわりと後頭部を押さえられ、俺は仕方なく勃起して、先走りの涙を零しているペニスを、ぬちゃっと粘る音を立てて扱いていた。
 どれだけ興奮してるのか、もう前後の見境とかなく上下に擦りながら、爪の先で鈴口を引っかくと、腰にズンッと来る快感にビクンッと身体が震える。
 自慰行為とかあんまりしたことがないってのに、何が悲しくて男のモノを咥えながら自分のペニスを扱かないといけないんだー…と、悲しいはずなのに、俺は思いきり興奮してて、兵藤のペニスの先端をぢゅっと吸って、にちゅにちゅと音をさせて扱く手の速度を上げていた。

(も、どーなってんだ、俺…もち、イイッッ…)

「ぅあ!…んぅ、あ、…あッ!…ク…イクぅッッ」

 思考回路が馬鹿になったみたいに夢中で扱いていた腰に意識が集中して、俺は思わず咥えていた兵藤のペニスから口を外すと、伸びる唾液を唇に滴らせたまま歯を食い縛って、びゅくんっと白濁を吐き出してしまった。 
 思い切り吐き出して、余韻に身体を震わせていたら、兵藤のクスクスと笑う悪魔の声がした。
 羞恥に顔を真っ赤にしてハッと顔を上げたら、ビュッと熱くて粘る白濁とした粘液が顔中に飛び散って、慌てて目蓋を閉じていた俺はムッとする雄の匂いに眉を寄せてしまった。

「イク…ってちゃんと言うんだな。AVみたくて、エロかった」

 最後は自分で扱いたのか、俺の頭に片手を置いたまま、狙いを定めるみたいにペニスを掴んで淫らな笑みを浮かべている兵藤が、んなことを言うから、俺はドロッとした精液を顎から滴らせながら唇を尖らせただけで何も言わなかった。
 まさか言えるワケがない、カタラギに『言え』と言われてから、そんなにしたこともなかった自慰で『イク』と言えるように練習してるなんてな…俺、もしかして脳みそ腐ってんのかな。

「エロかった…じゃねーよ!どうしてくれんだ、顔にぶっ掛けやがって…んぐッッ」

「騒ぐなよ。誰か来たら困るんだろ?それより、舐めて大きくしろよ。ここからが本番だろ?」

 兵藤の唆すような声が、ふと、俺を不安にさせた。
 顔の青臭い精液を腕で拭おうとしていたら、問答無用で乱暴に突っ込まれて、一度イッて少し小さくなっていたペニスは、それでも口腔の滑りを感じるとすぐにグンッと硬度を増して、すぐに俺の咽喉を圧迫した。
 最後までする気なんかサラサラないんだろう、すぐに引き抜かれたペニスを必死で追っていた俺の舌に、唾液の細い糸がツゥ…ッとのびて、兵藤は尻上りの口笛を吹いた。

「…っとーに、エロイな、相羽。俺、その顔でもイキそう」

 ニヤッと笑って、仕方なくトイレットペーパーで顔を拭って胡乱な目付きで睨んでる俺を、欲情した双眸で繁々と見下ろしていた兵藤は、すぐに顎をしゃくりやがるから…悔しいけど俺は、本来はコレが目的なんだからと自分に言い聞かせて、ノロノロと立ち上がると、性悪なエヴィルに背中を向けた。
 便器を跨ぐようにして給水タンクを掴んだら、殆ど同時に、兵藤は乱暴な…と言うか、性急な仕種で俺のズボンを一気に引き摺り下ろしたんだ!

「…ッ」

 冷やりとした空気を素肌に感じて、思わず身震いする俺の尻の肉を掴んだ兵藤は、何も言わずにグイッと割り開いた。
 本来ならそんな場所、絶対に人目に晒すことなんかないって思っていたのに…俺はギュッと目蓋を閉じると同時に、唇を噛み締めてその衝撃を覚悟した。
 けど…

「…ぁ」

 想像していた衝撃はなく、昼間は100%の力が出せないとかで、鳴りを潜めているエヴィルの本性の一部だけ垣間見せる兵藤の、人間では有り得ない長い舌が、粘る粘液に塗れたまま、ずちゅ…っと、肛門を貫いて直腸を犯したんだ。
 ペニスと違ってゴツゴツした感触がなくて、まるで何か、軟体の生き物に直腸内を這い回られてるような奇妙な感触は、それでもすぐに、俺の快楽のポイントを見つけて攻めるから、自然と甘えるような声が出て恥ずかしくて恥ずかしくて死にそうになる。
 もう、誰か俺を殺してくれ。

「…ぅあ!…ゃ、あ……んッ」

 長い…もう別の生き物と化している舌が犯す肛門に、その唾液の滑りを借りて、兵藤はゆっくりと指を挿入してきた。
 直腸の内部を思う様、蹂躙される感触に身震いしている俺の、睾丸の裏のあたりにある前立腺に触れられた瞬間、俺のペニスは完全に勃起してぶるんっと震える。

「ひぁ!…ぅあ……ッ」

 思わず揺れる腰を抑えることができず、俺は縋りついたタンクを掴む指先に力を入れていた。

「…カタラギにこれぐらい解してもらえりゃ、んなにキツクねーんじゃねーか?」

「や!ひぃ…ッッ!んんッ」

 ビュルッと舌と指を同時に引き抜かれて便座の蓋に白濁の粘液を撒き散らしてイッた俺の尻を片手で掴んで、兵藤は笑みを含んだ声でそんなことを言うと、空いている方の手で既に勃起してそそり立っているペニスを掴んで扱いたみたいだった。
 大量の粘液を滴らせる肛門に灼熱の鉄の棒をオブラートで包んでいるような、硬い感触で擦られると、俺は必死で首を左右に振っていた。
 もう、頭はショート寸前で、自分がどんな痴態を演じてるのかも判らなくて、口の端からよだれを零しながら半端な目付きをして背後を振り返ろうとした。
 でも、できなかった。

「…!!」

 一気に貫かれた衝撃に、残っていた精液がビュッと飛び出して、もう何度目の絶頂なのかも判らないまま、俺は兵藤に揺すられるに任せて脱力していた…のに、兵藤を咥え込んでいる肛門の感覚だけは嫌にリアルで、生々しい息遣いに煽られたように、男に犯されている事実をまざまざと思い知らされた。
 自分が選んだことでも、これで良かったのか、本当は何も判らないんだ。
 狭い個室の中、便座に体重を預けるようにして高々と片足を抱え上げられた俺は、湿った音を立てて出入りする張り詰めた怒張に追い上げられるようにして、気付いたら自分で腰を振っていた。
 もっと、もっと奥を突いてくれ…そう言っているみたいで、脳内では羞恥にやめてくれ!と叫び出しそうなのに、目許を染めて口許からよだれを垂らしてるような情けないツラしてんじゃ、説得力も何もあったもんじゃない。
 程なくして、兵藤が低く呻くと、大量の溶岩みたいに熱い精液がドプ…ッと直腸内を満たして、俺は反射的に射精していた。

11  -EVIL EYE-

『今朝未明、巨大なエヴィルを確認した防衛庁では…』

 相変わらず、朝のニュースは信じられないような内容を展開して、トーストにバターすら付け忘れている俺が呆気に取られたように見詰める先、淡々とした表情のアナウンサーは起こったことを事実として無機質に報道していた。

「最近は毎朝欠かさずにニュースを観るようになったのね。感心だわ」

 心配性の代名詞みたいな母さんは、汚れた皿をまとめながら、少し嬉しそうに双眸を細めている。
 その傍らで、まだ食ってる暢気な親父が、「ああ!まだ食べてるよ~」と情けない声を出して母さんが手にしている皿をせがみながら…って、どれだけ手が焼けるんだ、この中年は。

「この間、エヴィルに襲われたんだって?もうね、お母さんから連絡があったとき、お父さんは死ぬかと思ったよ」

 うるうると、嘘泣き全開の中年サラリーマンを腐った目で見返す俺に、母さんは手にした皿をテーブルに戻しながらひっそりと眉を顰めた。

「無事だったから良かったけれど…もう、夜遅くに外に出ては駄目よ。この間もお父さんが書類を忘れたからって、あなたは届けに行ってくれたけど…もう、届けなくてもいいからね」

「うん、僕もそう思う。光太郎は優しいから、お父さんは甘えないようにするよ」

 何処にでもある平凡な朝の食卓風景なんだろうけど、キリリとした母さんとへぼーんっとしてる親父を見ていると、だからこそ、あのテレビの中の出来事は何かの特撮映画で、俺とは関係ない世界で起こって…いて欲しいと願ってしまう。
 そんなの顔色にだって出さずに、俺は溜め息を吐いて肩を竦めるんだ。

「書類忘れたから持って来いって言っときながら、散々な言い様だよな!」

 唇を尖らせて、反抗期みたいに悪態を吐いたら、親父はキョトンッとしたような顔をして、立っている母さんと顔を見合わせやがった。
 なんなんだよ!あのなぁ、俺はあの書類を持って行ったばかりに、カタラギに…ッ!
 ムッと眉を寄せると、母さんは出勤前の身支度があるのか、エプロンを外しながら困ったような顔をして言ったんだ。

「おかしなことを言うのね、光太郎。お父さんが書類を忘れたわ…ってお母さんが言ったら、自分が持って行くって言い出したのよ?」

「へ?」

 なんだって?俺、そんなことを言った覚えはないぞ。
 泊まり込みで会社に居た親父は最近、漸く休暇が取れて戻って来ていた。戻ってきたら文句を言ってやろうと思っていたのに…書類を届けるなんて俺、言った覚えはない。

「親父から電話があったじゃないか」

 そうだ、確かそれで、書類を持って来いって言われて、俺は渋々親父の会社に向かった…はずなのに、どうしてだろう?あのOLエヴィルに襲われる前の記憶がない。
 ないってのは語弊だ、断片的にしか思い出せない。
 困惑したように眉を寄せる俺に、母さんはキョトンッとしている親父と目線を合わせると、やっぱりひっそりと眉を潜めて小首を傾げたんだ。

「そうよ。それで、私がもう夜も遅いし、エヴィルに襲われては大変だから明日にでも…と言ったら、お父さんもそれに納得していたんだけど、光太郎、あなたがどうしても行くって言って譲らなかったのよ?」

「…」

 そんなことを言った覚えはない…と言うか、会話をした記憶すらないから、言ったのかもしれないし言わなかったのかもしれない。正直、自信がない。
 不安に眉を寄せて目線を下げたら、不意に近付いてきた母さんは、困ったような顔をして俺の額に掌を押し当てた。

「…エヴィルに襲われたとき、頭を打ったんじゃないの?やっぱり、ちゃんと病院に連れて行くべきだったわ。私がもっと確り…ッ」

 母さんの心配性が発症したみたいで、俺は慌てて笑いながら学生鞄代わりのスポーツバッグを引っ掴んで立ち上がると、心配そうに眉を寄せている母さんに明るい調子で言った。

「ちょっとビビッて気絶しただけだよ!すぐにハンターが来てくれたし、前の件はちょっとうっかり忘れただけだって。物忘れの酷さは親父譲りだもんな」

「酷いなぁ~、光太郎は」

 どうやら本気で凹んでるみたいな中年親父はこの際無視なんだけど、額に当てられた掌からやんわりと逃げ出したら、母さんは払われた掌をギュッと握って、やっぱり心配そうな顔をして俺を見詰めるから…うぅ、俺、母さんのこの目に弱いんだよなぁ。
 ホントにさ、どれだけ過保護なんだよ。
 ビビッて気絶とか冗談じゃねぇと思うけど、兵藤のクソ馬鹿がんなことを抜け抜けと報告しやがったから、母さんはホッとして頭からその話を信じてるんだよな。
 心配性のくせに何処か抜けていて、まぁ、だからこそへぼーん親父ともうまくやっていけるんだろう。

「気絶だけで大した怪我もなかったんだし、母さんは心配しすぎだよ」

 ある場所は非常に拙いことにはなっていたけど、それもボチボチとは治ったみたいで、もう普通に堅い椅子に腰掛けてても辛くない。
 陽気に言って、学校に行くからと片手を振ったら、母さんはまだ納得していないみたいだったけど、親父の暢気な「行ってらっしゃい」の声に背中を押されて、俺はそそくさと薮蛇にならないように家を後にした。

10  -EVIL EYE-

「兵藤!」

 始業まで、まだ暫く時間がある教室は今日も変わることなく賑やかだったけど、ひとつ何時もと違うのは、あの女子に囲まれてるのが当然だというツラをした兵藤が、今日に限って嫌なものでも見るみたいに顔を顰めやがって俺を見たことだ。
 朝の挨拶もそこそこで、俺は慌てて兵藤の腕を掴むと廊下に引き摺り出していた。
 背後で女子の「死ね、相羽」のドスの効いたブーイングに気圧されてたら、兵藤の「大事な用事があるんだ、ごめんねハニー」の台詞にブーイングは黄色い悲鳴に変わって朝から気が滅入っちまった。

「さすがエヴィルだな。なんか、魅力を撒き散らしてんのか?」

 呆れたように聞いたら、兵藤のヤツは肩を竦めただけでそれには応えなかった。

「俺のことなんかどうでもいいだろ?ったくよー、まさか相羽がエヴィルハンターの女だったとは盲点だったぜ」

「ゲゲッ!その話こそどうでもいい!!それより、お前に訊きたいことがあるんだッ」

 アワアワと慌てまくる俺を怪訝そうに眉を顰めて見下ろしていた兵藤は、それでもどうやら、朝はただの人間なのか、いや、人間の皮を被っているだけなのか…どちらにしても、特に気にしたようでもなく、どうでも良さそうに首を傾げて顎をしゃくった。

「なんだよ?」

「エヴィルってなんなんだ?!俺、あんな化け物とか、お前みたいなヤツだとか、今回初めて見たんだぞ!なのに、新聞とかニュースじゃ普通に話題になってるじゃないか。なんか、スゲー変だぞ」

「…」

 兵藤のヤツは思い切り胡散臭そうな顔をして俺を見下ろしていたけど、次いで、すぐにハハーンッと何かを思い付いたみたいだった。
 いや、なんでもいいから、判りやすく説明してくれ。

「お前さぁ、俺がエヴィルだからってバカにしてんだろ?どうでもいいけどよ、学校じゃ俺がエヴィルだってことは内緒にしておけよ。じゃねーと、警察とか出動されたら、俺、お前の傍にいられなくなるからな」

 最後は嫌そうに顔を顰める兵藤は、そっか、あの時カタラギから絶対的な命令を受けたんだっけ。

 『夜明けから夕暮れまでオレの女を護れ』…だっけ、ホント、あのバカは一度でも死ぬような目に遭えば目が醒めるんじゃないかと思うんだけど、ああ言う、妄想系のヤツに限って、一度だってそんな目に遭わないから不公平だよな。

「バカにしてるワケじゃねーよ!目が覚めたら、今まで気付きもしなかったことが当たり前に生活の一部になってるんだぞ?!これが驚かずにいられるかよッ」

「…カタラギってハンターに目を付けられるぐらいは、相羽って素直なヤツだからな。嘘は吐いてねーとは思うんだけどよ、それでも悪い。ちょっと保健室行くか??」

 心底呆れたように眉を寄せながら、兵藤の方こそバカにしたみたいに腕を組んで俺を見下ろしてくる。

「…え?じゃぁ、エヴィルとか本当に普通にいるのか?」

 信じられなくて、俺が不安そうに眉を顰めて見上げたからなのか、一瞬、信じられないとでも言いたそうな顔をした兵藤は、それでも組んでいた腕を解くと、ワケが判らないってなツラをして頭を掻いた。

「目の前にいるだろ。いや、でも相羽がそこまで言うってことは、本気なんだな。でも、変だな。あれだけ問題になって大騒ぎして、漸くエヴィルを害獣として認知する方向で普通の生活に戻ったってのに、あの騒動をお前は知らないって言うのか??」

「…う、うん。なんでだろ?スッポリと記憶がないみたいだ」

「はぁ?」

 今度ばかりは兵藤も驚いたのか、ギョッとしたように俺を見下ろして、それから不審そうに唇を突き出したんだ。

「ああ、でもそうか。それでなんとなく判った。夕暮れから夜明けまでがエヴィルの出没する時間帯なんだ。だから人間どもはなるべく、その時間帯は避けるようにしてる。残業とかでも、会社に泊まるのが当たり前になってるだろ?なのに、どうしてお前は平気で夕暮れでも歩いて帰ったりしてるのかって不思議だったんだ」

 俺の説明で、兵藤は納得したみたいだった。
 納得して、途端に難しい顔をして腕組みをした。

「でも、だとすると、ちょっと大変だな」

「…ああ、エヴィルのこともハンターのこともまるで知らないんだ」

「エヴィルってのはさ、何処か別の次元から来た異形の生物だと、この間、専門家がそんなこと言ってたぜ。今の世の中、エヴィルの専門家ってな連中がいるんだ、普通にどうかしてるよな?ま、そんなこたどうでもいい。俺自身、気付いたらエヴィルだったワケだし、自分が何者かとか考えたこともねーんだけど。エヴィルには二通りあって、簡単に言えば人間の形をしてるかしていないかなんだが。俺は前者の方だ」

 頷いて説明を始めてくれた兵藤は、自分の存在理由なんか考えたこともないのか、全くどうでもよさそうな口調で淡々と話してる。
 つまり、エヴィルと呼ばれる化け物は、ある日突然、この日本に姿を現したってことだ。
 別の次元…ってのは、異世界とか、そんなレベルの話なのかな?うぅ、なんかよく判らないぞ。

「普通に人間も襲えば家畜も襲う、共食いだってする悪食のエヴィルに手を焼いた各国の政府は…」

「せ、世界中にいるのか?!」

 てっきり日本限定の特産物なのかと思っていたら、思わぬ兵藤の台詞に、俺は思い切り仰天してしまった。

「そこまで覚えてないのかよ…」

 こりゃ、相当な重症だとでも思ったのか、それまで面倒臭そうに話していた兵藤は、何を思ったのか、少し身を入れて話すことにしたみたいだ。
 それまでホント、遣る瀬無いほどテキトーに喋ってたからな、コイツ。

「勿論、日本に現れたとほぼ同時に世界中のいたる場所で目撃されるようになったワケだ。事態を重く見た各国の政府はエヴィル狩りをするために、特殊部隊だとか、軍まで駆り出したんだけど、俺たちには人間の武器は全く効かねーんだよ」

 廊下の窓辺に凭れながら、兵藤はできるだけ詳しく話してくれているみたいだ。
 エヴィル本人からエヴィルのことについて聞くってのもヘンな話しだけど、それでも、今、事情を知っているのは兵藤ぐらいだから、ここは悔しくともコイツを頼るしかないだろ。

「動きを止めて捕獲するぐらいはできるがな。でも、すぐに逃げ出す。靄とか霧に変化できるからさ。んで、世界中が知恵を集めて行ったのが【クリスタルガーディアン計画】ってヤツだ」

「…クリスタルガーディアン計画?」

 そうだと頷いて、それから、兵藤のヤツはどうして自分がこんな歴史の勉強みたいなことを、本来なら知っていて然るべきヤツに話さなくちゃいけないんだ?と、唐突に思い出したみたいに不機嫌になった。
 とは言え、もうすぐ授業が始まるんだから、最後までちゃんと話してくれよ!

「んな、喰いつきそうな顔で睨むなよ。えーっと、つまりだ、昨夜会ったあのハンターみたいな連中を創り出すって計画だったらしいぜ」

 でも、実は自分もよく知らないんだと断って、兵藤は眉を寄せて頷いているみたいだった。

「ヘンだよな。人間の武器はどれも役に立たなかったのに、ハンターたちは平気で俺たちを狩れるんだぜ?よく考えたこともなかったけど、【クリスタルガーディアン計画】ってのは、いったい何だったんだろうな?」

「…何だったんだろうな、って、もしかしてもう、その計画は実行されていないのか?」

 俺が首を傾げると、一瞬バカにしたみたいに眉間に皺を寄せた兵藤は、俺の顔を見てからハッとして、それから苦虫でも噛み潰したみたいな顔をしやがった。

「奇妙なモンだな。もう、何年も前に終わった出来事を、その時代に生きてるヤツに一から説明しなきゃいけないんだ。ま、相羽が必死な形相をしていなかったら、打ん殴ってやるところだけどな」

 兵藤がそんな憎まれ口を言って、俺がムッと唇を尖らせたその時、間もなく授業が始まるぞってな予鈴が、教室に入れクソが、みたいな調子で流れてきた。
 ああ、もっと訊きたいことは山ほどあるってのに!

「ちょうど10年ぐらい前かな。なんか、研究を行っていた施設が吹っ飛ぶような事件が世界中で起こって、それで【クリスタルガーディアン計画】は失敗とかで、そのまま中止されちまったんだ。言っとくけど、俺は原因までは知らないからな。その時の不用になった連中が、賞金欲しさのハンターってのになったんだろ?俺が知ってるのはそんなモンだ」

「そうだったのか…」

 呟いて、これで全部だからもう話はないぞって感じで、肩を竦めて教室に入ろうとする兵藤を見て、俺は慌てて声を掛けた。

「そうだ。兵藤!俺を家まで送ってくれたんだろ?」

 大変なことが起こり過ぎて脳細胞が死滅しそうだったけど、ふと思い出して、聞いてみることにしたんだけど…

「あ?アレはカタラギに押し付けられたんだよ」

「え?」

 ちょっとドキッとした。
 朝にヘンなこと考えたって、別にバレるワケじゃないんだが、カタラギの名前が出て、つい悪戯を見付かった子供みたいなバツの悪さで居心地が悪くなった。

「自分が行けば胡散臭いって疑われるから、お前行け…ってよ。どれほどエヴィル扱いが悪ぃんだ、あのハンター!…お前の母ちゃん、驚きすぎて卒倒するんじゃないかって思ったよ。なんせエヴィルに襲われたんだから、そりゃビビルよな」

「でも、服とか…」

 シャツは切り裂かれていたし、下半身はドロドロになっていたはずだ。
 うぅ…今日、母さんに会いたくない。

「だから、俺が呼ばれたんだろ?」

  そろそろ本気で面倒臭くなったのか…って、まぁ、予鈴も鳴ったから、いつ先生が来てもおかしくないんだから落ち着いていられないのかもな。

「俺の服だろ?そんで、後は消毒、包帯、ウェットティッシュ。なければ買ってでも持って来いって言われて、仕方なくオレンジ頭の…スメラギとか言ったっけ?アイツに送ってもらったんだ」

 じゃねーと、俺、他のエヴィルに狙われてるからなと、言って、兵藤は嫌そうな顔をして溜め息を吐いた。

「服って…お前が着替えさせてくれたのか?」

「は?んなワケないだろ。俺が行ったとき、お前意識がなくて。カタラギが嬉しそうに抱いてたっけ。確実に1回はイッてるみたいだったから、嬉しかったんだろ?お前、アイツに犯られたとき、萎えてイケなかったって言ってたモンな」

「ぎゃー」

 思わず声を上げて両耳を押さえそうになる俺に、兵藤は何を泡食ってんだと馬鹿にしたような、どうでもいいような目付きをして見下ろしてきたけど、やれやれと溜め息を吐いたみたいだった。

「酷い状態だった下半身とか、アイツ、嬉しそうな顔してウェットティッシュで拭ってたし。綺麗にしてたぞ。腕にも包帯巻いてさ、ハンターのあんな姿、初めて見たよ。俺に手渡す時もかなり渋ってたけど、スメラギに諭されて渋々って感じだった。まぁ、お前も大変なヤツに見込まれたよな」

 …その話を聞いて、俺、いったいどんな顔をしたら良かったんだろう。
 あれだけ俺のことなんかお構いなしで自分勝手な男なのに、カタラギはどんな顔をして俺の世話をしたんだ。
 意識のない俺を犯すなんてサイテーなヤツではあるけど…俺は手首に巻かれた包帯にソッと触れた。

「何はともあれ、一件落着だろ?じゃ、俺はもう教室に戻るぞ」

「あ、ああ!俺も一緒に行くよッ。それと、その、有難うな」

 肩を竦める兵藤に礼を言ったら、ヤツはちょっとキョトンとした顔をしたけど、すぐにニヤッと笑うと「どう致しまして」と言って教室に入ろうとするから、俺もヤツの後を追うようにして教室に入ったんだ。
 自分の机の上にスポーツバッグを投げ出しながら、俺は兵藤から聞いた、本当なら信じられないような話を思い出して考えていた。
 10年前にそんな大騒動が起こったってのに…どうして俺は、覚えていないんだろう?
 今の話を聞いたからって、コレが漫画とか映画だったら、チカチカッと脳裏に閃く朧げな映像だとか記憶だとかが意味深に思い出されるんだろうけど、そんなモンが全然浮かんでこないんだから…俺、忘れたとかそんなんじゃなくて、実は本当に知らないんじゃないかって気がしてきた。
 エヴィルもハンターも、2日前に見た、あのOLの化け物と大型の化け物と、あとカタラギたちが初めてだったんだ。その気持ちは今も変わらない。
 でも、なんなんだろう、この違和感は。
 上の空で1時限目を終えた俺が、女子に囲まれてニヤついているなんちゃってエヴィルっぽい兵藤に呆れ果てて、手持ち無沙汰で机に懐いていると、不意に影が差したから不思議に思って顔を上げた。
 そうしたら…

「あ、安河。その、っはよ」

 エヘッと笑っても、安河はニコリともしない。
 いや、勿論そう言うヤツだし、ボサボサにのびてる前髪の隙間から覗く双眸では表情とか判らないんだけど、それでも、安河は小さく「っはよ」と応えてくれた。

「昨日はごめんな。なんか、ゴタゴタしててさ」

「相羽…昨日、襲われたって?」

 ハッとして、咄嗟に机に懐いていた上体を起こして安河の顔を見上げたら、案の定、ヤツはちょっと申し訳なさそうな表情で恐縮してるみたいだ。

「べ、別に安河のせいじゃないぞ。夜に呼びつける親父がクソなんだ」

「…でも。俺、後悔した」

 ポツンと呟く安河に、なんつーのか、胸の奥が久し振りにじんわりと暖かくなって、俺は嬉しい気持ちでニヘラッと笑ってしまった。

「あの時、無理にでも引き留めとけば…って、ごめん」

 デカイ図体のわりに、全然穏やかで、他人を気遣う優しさを持っている安河を、『キモイ変態』呼ばわりする女子の方が、俺には鬼に見えて仕方ねーんだけど、今はそんなこたどうでもいいか。
 ただ、あのあんまり感情表現が上手くない安河が、言葉少なにポツポツと俺の身体を案じてくれてるなんか信じられるかよ。
 そりゃ、スゲー嬉しいさ。

「だから、ホント、全然お前のせいじゃないんだって!それどころか俺、エヴィルを見たんだぜ」

 この最後の台詞に、安河がどんな反応を示すのか、俺としてはドキドキの一瞬だった。
 日常会話っぽく、ちゃんとみんながエヴィルの話をするのか純粋に知りたかったし、もしかしたら別の意味で襲われたとか言われたんだったら、今すぐダッシュで教室から逃げ出さねーと普通に嫌だろ。

「そっか。でも、相羽。2組の松崎とか…クラスメートも殺されたんだ。エヴィルは危ない」

 真摯に呟く声を聞いて、うげ、やっぱマジでみんなエヴィルを知っているんだと思ったら、なんかますます取り残されたような気分になってムカついたんだけど…そうか、松崎たちはエヴィルに殺されたことになったのか。
 その現場に俺はいたのに…どうして警察とか、事情聴取に来ないんだ?
 そこまで考えて、俺は唐突にハッとした。
 カタラギが言っていたあの言葉を思い出したからだ。

『オレたちが何を破壊しても、何を自分のモノにしても、誰も何も言わない。それどころか、喜んでソイツの人権すら無視するんだぜ』

 もしかしたら、俺はそこに存在していなかったことになったんじゃないのか?
 政府が雇っているハンターの特権で、カタラギは俺を自分のモノにしたから、たとえ凄惨な殺害現場に俺が立ち尽くしていたとしても、俺が罪に問われることはないし、ましてや保護してもらえることもないってワケだ。
 その考えに、俺はゾッとした。
 思わず青褪めて、カタカタと身体を震わせてしまう俺を見て、安河はエヴィルの恐怖を思い出させてしまったと誤解したのか、慌てて、不器用に俺を気遣おうとしてくれた。
 そんな安河の態度に、やっぱり俺は絆されて、ああ、このささやかな幸せがあれば、どんな形でもこの学校に通えるのなら、それはそれでいいかとか、親父譲りの順応力で諦めることにした。
 アイツに見初められた時から、俺の運命は捻じ曲がって、歪んでしまったんだ。

「安河さ、心配してくれたんだ?」

 青褪めていたはずの俺が意地悪くニヤニヤ笑って見上げたら、下唇を突き出すような表情をして、見え難い双眸でじっと俺を見下ろしていた安河は頷いたようだった。

「ラーメン食いに行く約束したから…」

 なんだ、ただ律儀ってだけかよ!
 思わずガックリしそうになって、それから唐突に俺はハッとした。
 何を考えてるんだ、俺。律儀にでも気遣ってくれてるってのに、感謝こそすれ、どうして期待外れにガックリしてるんだ。
 って、期待ってなんだよ?!

「気を付けるよ。ありがと、安河」

 連日の疲れもあってか、思い切り項垂れてガックリする俺を、安河は不思議そうに見下ろしていた。
 何時もの日常が始まるのかもしれない。
 ただ、日常に潜む非日常的な出来事に用心しながら、これからは生きていくべきなんだろう。
 でも…ふと、俺は思う。
 どうして、世界中の誰もが知っていることを、俺だけが忘れてしまっているんだろう。
 どうして、今まで俺は無事でいられたんだろう。
 カタラギと回り逢ったあの瞬間から、俺の世界は見事に反転して、安河と話すこのささやかな安らぎを噛み締めながら、夜の闇に怯えて生きていかなくてはいけないんだ。
 エヴィルの存在を覚えていたら、もしかしたら、夜の行動は控えたかもしれないし、カタラギと出逢うこともなかったんじゃないかって思う。
 これが運命なのだとしたら、それはとても過酷で、その運命を紡ぎ出す何者かを俺はひっそりと恨むに違いない。
 ごく普通の、当たり前だった日常生活に戻りたいとここで叫んでみても、たぶんきっと、変な目で見られて病院送りになると思う。だって、この非日常こそが日常で、俺が普通だと思っていた日常が非日常になるんだから。
 グルリと眩暈がする。
 忘れているのなら、そのままがよかった。
 気付かなければよかった。
 絶望したみたいに、俺は溜め息を吐く。

 こうして、俺の非日常的な生活は、目の眩むような痛みを伴ってスタートした。

9  -EVIL EYE-

 気付いたら、今度はベッドの上に横になっていた。
 ピチュピチュと、明るくなっているカーテンの向こうの世界から鳥の声がして、耳鳴りがする重い頭では思考回路もまだハッキリしていないけど、どう見てもそこは俺の部屋で、見慣れた天井が視界に広がっている。

「…俺、どうやって帰ってきたんだ?」

 掠れて拉げたような声が出て、軽く咳払いをしたらどうにかまともな声が出せたんだけど…ふと筋肉痛に軋む腕を持ち上げて前髪を掻き揚げようとしたら、目に飛び込んできた白い包帯を見て、漸くハッキリと意識を取り戻せた。
 グハッ、拙い!
 こんなの母さんに見られたら、何があったんだと根掘り葉掘り聞かれた挙句、暫く夜間の行動が禁止されちまう…って、別に夜間に出歩かなくていい理由ができるんだ。何、焦ってんだよ俺。
 いや、そうだ!
 俺にとっては正当な理由だけど、あのカタラギはそうじゃない。
 イキナリ家に押しかけてきて、母さんとか親父に危害を加えるかもしれない。そうなると俺的に非常に拙い。だから、夜間の出歩きを禁止されたら大問題じゃねーか!
 …と、なんか必死に理由をつけてるようでバツが悪いけど、ギシッと軋むような身体を起こして、俺は溜め息を吐きながら、感覚が乏しい足を床に下ろして顔を顰めてしまった。
 何処も彼処も痛い。
 こんな身体で学校に行けるかな…いや、根性で行こうとしてるんだから、スゲーよな。
 だってさ、兵藤に聞きたいことがたくさんあるんだ。
 あの時はてっきり悪夢だとばかり思っていたのに、放課後に兵藤が言ったはずの言葉が耳から離れない。
 あのエヴィルとかって化け物…世間に浸透してるって言うのか?
 どうして、俺はそんなスゲーことを知らないんだ?
 よく判らなくて…でも、何か知ってるはずだと考えようとしたら頭がズキズキする。
 顔を顰めながら何気なく触れた下腹部にギクッとした…だってさ、気持ち的には目立つほどでもないんだけど、やっぱり少し、膨らんでいるような気がする。
 と言うことはだ、意識を失くした俺を、カタラギは抱いたんだろうか。
 俺の胎内からエヴィルが放った精を憎々しげに掻き出したあの、燃えるように熱い指先で、意識を失くしたままの身体を、隈なく辿って抱き締めたのか。何か香でも焚き染めているのか、カタラギは独特の匂いがした。その匂いに抱き締められて、突き上げられながら俺、夢の世界にいたなんて。
 目が眩むような淫靡な光景を想像して…って、何を考えてるんだと、唐突にハッとして顔を真っ赤にしたら…おい、信じられるかよ。
 ま…ぁな、朝の生理現象なんだからそう言うことだって起こって当たり前だよな、まさか、そんな馬鹿なこととかないとは思うけど、カタラギの温もりとか匂いとか、貫かれた時の痛みとか…そんなモンを思い出して、まさか勃起したなんてこたねーよな。何、考えてるんだ俺!アハハハッ。
 ……なんか、非常に拙いことになってると思うぞ。
 あんまり、カタラギから『オレの女』を連発されて、脳内で妙な具合で捻じ曲がって、カタラギみたいに曲解しようとしてるんじゃねーだろうな?
 具合の悪さは昨日の朝よりも酷かったけど、それでも鬱々と部屋で寝転んでるのも落ち着かないし、何より、母さんに適当な言い訳でも考えないと、最後には学校にだって行かせて貰えなくなるぞ。
 うんざりするほど面倒臭いんだけどさ、俺は溜め息を吐きながらノロノロと制服に着替えると、重くなる足を引き摺りながら階段を下りてダイニングに行った…けど、母さんはいなかった。
 ふと、朝食の用意がされたテーブルの上を見ると、几帳面な母さんらしい綺麗な字で書置きがあった。

『光太郎へ。昨日はエヴィルに襲われて大変だったそうね。たまたまハンターが通りかかったから良かったものの、気をつけなくちゃ駄目よ。もし、学校に行けるようなら、兵藤くんにちゃんとお礼を言いなさいよ。お母さん、仕事に行くからね。今日は遅くなるけど、暫くは夜間の外出禁止よ。判った?じゃあ、行ってきます』

 …思わずポカンッとしちまった。
 あの冷静沈着で、物静かで、幽霊とか信じない母さんが書置きに『エヴィル』とか『ハンター』とか、何を書いてるんだと目を疑って、俺は実に5回も読み直してしまった。
 早く家を出ないと遅刻は免れないってのに俺は、慌ててリビングに行くと、テレビのリモコンを引っ手繰るように手にして、慌てて電源を入れたんだ。

[…で大型のエヴィルが出現し、機動隊が出動する騒ぎがありました。兼ねてから話題となっていたハンターの出現により、一時は危機的状況に陥っていたにも拘らず、捕獲に成功しました。次のニュースです…]

 見慣れたキャスターが聞き慣れない台詞を連発して、俺は呆然と立ち尽くしながら、母さんがソファに置いて行った新聞を引っ掴んで開いてみたんだ。
 確かに、新聞にも小さな記事が出ている…って、おい、待てよ。
 どうして、あんな怪物が暴れたってのに、一面じゃないんだ?!
 何が、どうなっているのか、まるで判らない。
 カタラギに出会って、一夜明けたら『エヴィル』は当たり前のように、生活の一部みたいにして普通に報道されている。まるで日常茶飯事のことだから、そんなに気に留めることもない…みたいな、なんだよ、この泥棒が出たぐらいですみたいな扱い方は。
 ネトゲばっかやってるからって、これは異常だ。

「学校…そうだ、学校に行こう。そんで、兵藤をつかまえないと」

 アイツは正真正銘のエヴィルだ。
 でも、そこまで考えて俺は違和感を覚えた。
 そうだ、学校にまで入り込んでいるほど、エヴィルの存在は浸透しているじゃないか。
 どうして俺、そんな大切なことに気付かなかったんだろう。
 カタラギと出会ってから、何かが微妙に歯車を狂わせたみたいに、チグハグな気分になる。
 何もかもがシックリいっているようなのに、何処かが微妙におかしくて、何か大事なことを見失っているような心許無い気分になるんだ。
 俺は学生鞄代わりのスポーツバッグを引っ掴むと、知らず乱暴にドアを閉めて鍵をかけて、痛む身体を忘れたみたいに走り出していた。

8  -EVIL EYE-

 相変わらず、一件落着したカタラギの仲間の2人は、変形する身体を持て余している兵藤を、まるで荷物でも扱うようにヒョイッと小脇に抱えて、来た時と同じように音もなく滲むようにして去ってしまった。
 面白そうだからと、夜の静寂に殺されないように、兵藤は自宅に無事に送り届けられることになったらしい。
 らしい…のはどうでもいいんだけど、今はこの目の前でマジマジと俺を品定めしているカタラギが大問題だ。

「は、早く腕の縄を切ってくれよ」

「…」

 あくまでも、そんなにも観察したいのか、一箇所を。
 それって視姦って言う、立派な変態行為なんだぞ。
 変態行為に立派もクソもねーけどな。

「昨日もカタラギに縛られたから、もう手首、ガタガタなんだけど…」

 どうでもいいとカタラギが思ってることは重々承知の上だけど、擦り切れて鬱血だけじゃなく、もう血が滲んでいる手首には感覚がない。いや、手首だけじゃない、腕も痺れて麻痺したみたいになってる。
 溜め息を吐いてカタラギを見詰めたら、真っ赤な髪の派手な男は、感情を窺わせない目付きで俺を見据えてきたんだ。
 そんな目付きをされてしまうと、腹の底に鉛でも飲み込まされたみたいに、落ち着かない気分になってくる。

「…優しく抱けば、イクんだよな?」

「今日は…もう、無理だと思う。俺、本当に具合が悪いんだ。昨日から眩暈ばかりがして…」

「イクんだよな?」

 聞いちゃいないのか。
 この野郎…と、散々恨めしく思ったけど、俺は目蓋を閉じて渋々頷いた。

「イケると…思う」

「そっか…じゃぁさ、これからイクときはちゃんとオレに言うんだぞ」

「…」

 ニヤッとカタラギが笑いながら、絶対的な命令口調でそんなことを言いやがった。
 俺…忘れてると思うけど、れっきとした男なんだぞ。
 男が、男に抱かれてイケるなんて屈辱的な台詞を吐かされた挙句、AV女優みたいに「イッちゃう~」と言えというのか?

「……」

 もう言葉も出ないほど疲弊してしまった俺は、ニヤニヤ笑いながら近付いてくるカタラギの顔をただ見詰めることぐらいしかできない。もう少し元気が残ってたら、たぶん、間違えることなく「お前、ホントはバカだろ?」って言えてたんだけどなぁ…
 無言で満足そうに笑いながら近付いてきた真っ赤な髪の派手な男は、頭上高くに腕を縛られている俺を暫く繁々と見下ろしていたけど、唐突に覆い被さるようにして抱き締めてきたんだ。

「?!…ぅあ!」

 思わず声が出たのは、俺を抱き締めながら、袖を捲り上げた硬いレザー系の黒コートの質感に怯える俺なんか無視して、カタラギが太い指を突然肛門に挿入したからだ!

「…ぁ、…い、…ッ…うぅ」

 それでなくても大柄な体躯で、覆い被さるようにして抱き締められるだけでも十分迫力があるのにさぁ、片方の尻の肉を掴んで割り開くようにしながら、突っ込んでいる太い指でグリグリと内壁を擦りまくる。ヘンな話、兵藤たちの精液のおかげで挿入の衝撃は半減できたものの、指で突き上げるようにして挿し込んで、抉るように掻き回して引き抜こうとする行為には、思わず嗚咽みたいな喘ぎ声が噛み締めた唇から洩れてしまう。

「…」

 熱心に覆い被さって、たぶん、自分が苛んでいる箇所を凝視してるに違いないカタラギは、手持ち無沙汰のように俺の肩の辺りを甘噛みした。

「ん…ッ……やめ、…くるし……ッ」

 ジュブッ…と、粘着質な音を響かせる肛門から、カタラギが指を抜き差しする度に、ゴプ…っと白濁が溢れ出して、ガクガク震えている足の内股に不快感を伴って伝い落ちているのが判る。
 ギシッと軋むように手首に食い込むように突っ張る縄に体重が一瞬かかったから、、閃くような痛みに唇を噛んで、齎される快感と苦痛に脳内が混乱したように何も考えられない。
 抱き締められた身体が熱を持って…

「!」

 信じられないことに、俺は痛いほど勃起してた。
 両目を見開く俺なんかお構いなしで、カタラギは指をくの字に曲げて、直腸内を隈なく辿るように掻き回している。
 散々弄ばれて熱を持って腫れぼったくなっている肛門は、それでも、少しも感覚を鈍らせることなく、脳天を貫くような快楽と痛みを訴えかけていた。

「…あ、あ…ゃ、う……ぁん!」

 逃げ出すことも縋ることもできずに、俺は生理的な涙をポロポロ頬に零しながら、もう許してくれと懇願するように抱き締めてくるカタラギに必死に身体を摺り寄せた。

「…エヴィルのセーエキなんか全部掻き出してやる」

 摺り寄せる俺の身体を両腕の中に閉じ込めてギュッと抱き締めるカタラギのその台詞を聞いて、その時になって漸く、この大柄な体躯の男がどうしてそこまで俺の下半身に執着しているのか判ったような気がした。
 たぶん、エヴィルに汚されたことが腹立たしくて仕方ないんだろう。
 それは、何故か、少なからず俺の心にチクッと痛みを走らせた。

「せっかくたっぷり注いだ俺の子種を薄めやがって!…ホント、今頃後悔だ。やっぱこの手で殺しとくべきだったッ」

「…こ、だね?おま、…俺、男だから……お前の子とか、生めないぞ?」

 俺が胸に感じた痛みの原因だと思い込んだ理由とは違った、ただ単に自分が吐き出したものを勝手に薄めた(?)エヴィルどもに腹を立てていただけだと言う理由に呆れたんだけど…そう言えば、カタラギは昨日も、痛みで死にそうな俺にそんなことを言ってた。
 肛門を指で犯されてその気になってる俺はどうかしてると思うけど、それでも、快楽に何度も足の力が抜けそうになるのを耐えながら…って、実際はカタラギにガッチリと抱き締められているんだから、足の力が抜けても腕に体重がかかることはない。だからって、それでも俺の自尊心がそれを許さないから必死に足に力を入れながら、肩で荒く息を吐いて呆れたように呟いたら、カタラギはどうも、鼻先で笑ったみたいなんだ。

「何言ってんだよ?そんなの当たり前だろ。光太郎の身体の奥深くに、オレの女だってさぁ、証を刻み込むんだよ」

 苛々したように呟くからには、この行為に何か特別な理由があるんだろう。
 エヴィルも、エヴィルハンターのこともこれっぽっちも知らない俺には理解不能だけど、いや、そもそも俺のことを自分の女だなんて豪語しちまうようなカタラギと、それを受け入れてるコイツの仲間の頭の中も十分、理解不能なんだけど、どうもこの状況から抜け出せるのは、この派手な真っ赤な髪の男が俺に飽きてからなんだろうなぁと、ちょっと絶望してしまった。

「…ん……んぅ!」

 直腸内を探って兵藤たちが残していた精液を掻き出してしまったのか、カタラギは乱暴に指を抜き去った。その衝撃に、もう少しでイキそうになった俺は、それでも決定的な刺激には達していなかったのか、身体を震わせて目蓋を閉じたんだ。

「ふ……ぅん…はぁ…」

 肩で息をしていたら、覆い被さったままで、どうやらカタラギはニヤッと笑ったみたいだ。

「優しく解してやったからな、入れられそうだろ?」

「!」

 思わずポカンッとして、俺は閉じていた目蓋を開いてしまった。
 これだけ執着してるんだから、カタラギがまた俺を抱くんだろうと言うことは判ってたつもりだった。でも、最初の時でさえ無造作に突っ込んできたこの男が、俺の身体を気遣ってるのか?しかも、優しくしたらって言葉、あれは本気で言ってたのか?

「…腕、解いてくれよ」

「やだね」

 間髪入れずに断るのはどうかしてるぞ。
 俺が暴れるって、思い込んでるのかな?その気になれば、俺なんか片手でだって押さえつけられるくせに。

「こんなだと俺、カタラギに抱きつくこともできないんだけど…」

 これからエッチするんなら、この体勢は絶対にキツイ。
 それに、よく考えたら、これで2回目だってのに、またしても腕を縛られてるなんてさ…これじゃ、傍目から見ても、自分的にも、強姦されてるみたいだ。
 男の俺としてはその方が、合意よりも何万倍も諦めることができて少しでも心が軽くなるんだけど…でも、なんかもう、どうでもよくなった気持ちもあるから、身体がキツイよりはいいと思ったんだよな。
 でも、俺のその言葉をカタラギはまたしても曲解したらしく、声がニヤついた響きを含んでいる。

「今夜はイケそうだな」

 どこまで俺がイクことに執着してるんだか…目に見えないナイフなのか、それとも空気なのか、よく判らないけどカタラギが指先を翳しただけで、頑丈な縄がブツッと切れて、俺の身体は重力に従ってガクンッと落ちそうになった。
 でも、落ちないのは勿論、カタラギが片方の腕で力強く俺を抱き締めてるからで…それと、俺自身が、自由になった力の入らない痺れ切った腕をなんとかのばして、カタラギの背中に両腕を回したからだ。
 でも…結局俺はイケなかった。
 昨日から散々痛めつけられた身体はもう限界で、それ以上に、俺のメンタルな部分もダメージを受けていたのか、俺が思う以上に、やわな意識は腕の縄が解かれたと同時にぷっつりと途切れてしまったんだ。

7  -EVIL EYE-

 肌寒さを感じて、暗い闇の中から目覚めた俺は、顔を上げようとして首の痛みに顔を顰めていた。

「う…」

 声にならない声を出して痛みをやり過ごそうとしたんだけど、腕が、思うように動かない。いや、そうじゃないな、腕を一纏めに括られて、頭上で縛り上げられているんだ。
 すわカタラギかと目を瞬かせた矢先に、眩しいライトを照らされて、目を焼いたような鮮烈な光に目蓋を閉じて顔を歪めてしまった。

「お目覚めかな、相羽くん」

 声は、確かに兵藤だ。
 でも、何処か抑揚がなくて、兵藤らしくもなく静かだった。
 いや、この建物自体が驚くほど静かだ…そこまで考えて、俺は嫌な予感がした。
 息遣いさえ、俺以外に聞こえないなんて、そんな非常識なことが有り得るかよ。
 そこに、兵藤と…もしかしたら松崎もいるかもしれないってのに。

「ひ、兵藤!これ、いったい何だよ?手を解いてくれッ」

「ダメだって…なぁ?相羽、ホント、いきなり美味そうになっちゃってさぁ、お前こそどうしたんだ?」

 射抜くような強烈な光のライトが不意に下げられて、漸く俺は確りと目を開くことができたけど、チカチカしていてそんなによくは見えない。
 それでも、目の前で禍々しい表情で鼻に皺を寄せて笑う兵藤の顔は、嫌でも見えるから、吐き出される息遣いを頬に感じながら、俺は嫌がって両腕を縛り上げられたまま、自由になる足で兵藤の向こう脛を蹴飛ばしてやった。
 これぐらいはしないとな、気が済むかよ。
 カタラギの時は蹴り損なっちまった。

「相変わらず威勢がいいよな。俺さぁ、このまま喰うってのでもいいけど…相羽を犯っちゃいたいんだけど、お前らどう?」

 ニタリと笑って、そんな恐ろしい提案をする兵藤にグイッと顎を引っ掴まれて、痛みに顔を顰めながらハッとした時には、ヤツは異常に長い、粘着質の唾液に塗れた舌でベロリと頬を舐めてきたんだ。

「物好きだなぁ…いいぜ。それも楽しそう」

「何よ、アタシはお腹空いてんだけど!」

「俺、相羽と犯りたい。なんか、ソイツ見てると勃った」

 口々に言いたい放題の連中を忌々しく見渡したら、なんてこった、そこにいる連中は誰も顔馴染みで、数多くいる俺の友人どもじゃねーか。

「な、何言ってるんだよッ!お前ら、頭おかしいんじゃねーのかッッ」

 悔し紛れに叫んだけど…コイツ等があの化け物だとすれば、こんな風に縛る前に、俺は既に息絶えているはずなんだから、生かされたことには理由があるんだろう。
 それが友人の姿で輪姦とかだったら、ホント、今日から俺は何を信じて生きていけばいいんだ。

「エヴィルハンターが来る前に殺しちゃおうよぉ。アタシ、お腹が空いたぁ!」

 松崎の可愛いと評判の口は耳まで裂けて、両端から、やっぱり粘る粘液のような唾液がボタボタと溢れている。その松崎の腰を掴んだ真鍋のヤツが、唾液を零す松崎の裂けた頬にキスをした。

「ヤツ等が殺れるのは下等エヴィルだけだよ、松崎。夜は長いんだ。愉しませろよ」

 だらんと垂れた舌で口の周りの粘液を拭き取ろうとしているのか、余計汚しているのか、どちらとも取れるように長い舌で顔を嘗め回す松崎は、胡乱な目付きで荒々しく息を吐きながら、恨めしそうに俺を見詰めてくる。
 吐き気がした。
 コレはもう、松崎じゃない。
 兵藤でも、俺の知る友人たちじゃない。

「俺さぁ、ずーっと相羽が憎かったんだよなぁ。でも、今日はラッキーだったぜ。小煩い安河もいねーし、存分に可愛がってから、美味しく頂いてやるよ」

 ギザギザの歯をガチガチと鳴らした後、長い舌で首筋から頬をベロリと嘗め回す兵藤は、なんの前触れもなく俺のカッターシャツを引き千切ったんだ!
 ハッとした時には、クスクスと背後で笑う気配がして、長い兇器みたいな爪を持っている誰かの指先が、いや、爪の先が、恐怖に縮こまっている乳首を抓んでキュッと引っ張った。

「ッ…」

 痛みに目蓋を閉じると、ニヤニヤ笑っているんだろう、兵藤は荒い息を吐きながら俺の耳の穴を舐めている。

「お前、知らなかっただろ?エスカレーター式の学校にさ、お前なんかが外部入学してきやがって。それ以来、ずっと人気の的だった俺が常に2番になっちまったんだッ」

「ちがッ!…うぁ……て、ストも、何もかも、い…つも、兵藤が一番…っ…」

 乳首を爪の先でギリギリと捻り上げられて、痛みに唇を噛み締めながら言ったら、兵藤は馬鹿みたいにゲラゲラ笑って、噛み締めている俺の唇を別の生きものみたいな舌で嘗め回した。

「可愛いこと言ってくれるじゃん。兵藤に惚れてるかもよ?」

 俺の股間に跪いて前を寛げていた半田が、そんな笑えもしない冗談を言って、萎えて項垂れている俺のペニスを掴むと問答無用で咥えやがった。

「…ぅあッ……嫌だッッ」

 思わず暴れそうになって、縛り上げられている縄が両手首に食い込んだまま、ギシッと軋る関節が悲鳴を上げても、俺はどうにかしてこの場から逃げ出したいともがいていた。

「可愛い声だな。まぁ、どーしても相羽が俺を好きだって言うんなら、俺の気が済むまで傍に置いてやってもいいけどな」

「お!兵藤ちゃん、優しい♪」

 背後から乳首を弄りながら項を舐めていた真鍋が野次るように尻上りの口笛を吹くと、ペニスを口に含んで、まるで生きものみたいに蠢く舌で絡みとって扱いていた半田は、俺のペニスに巻き付いてもまだ余っている舌先を細く変形させて、鈴口にグリグリと押し込もうとしながら笑うんだ。

「や…ぁ、…い、……も、やめろッ……ヒ」

 滑る粘液塗れになる股間の滑りを、そのまま肛門に導くようにして突っ込んでくる半田の指を、一度開かれて傷付いたその部位の痛みに恐怖心を煽られて、俺は知らずに括約筋に力を入れていた。

「優しいに決まってんだろ?女子にも男子にも人気のある相羽くんがさ、あの根暗野郎に夢中になるのを辞めて、可愛い顔して好きだと言えば、俺だって鬼じゃねーワケだし?朝昼晩をずーっと犯し続けて気が済むまで傍に置いてやるって」

 ゲラゲラと2人が笑うと、凶悪な面構えでニヤニヤ笑った兵藤は、涙目で俯いている俺の顔中を舐めながら、ジーンズのジッパーを引き摺り下ろすと…既に半田のせいでズボンを引き抜かれていたから、素足の膝裏に手を入れて抱え上げるようにしたら、フェラに夢中になっていた半田が掻き回している直腸から指を引き抜いた。

「コイツ、もう誰かを咥え込んでるぞ」

 傷付いて、ズタズタになっているじゃないかって思う肛門を軽く指の腹で撫でる半田がにやつく口調で言うと、唐突に、兵藤がカッと高血圧みたいに顔を真っ赤にして、掴んでいる俺の顎を力任せにグイッと上向かせたんだ!

「…ぅ……ッ」

 痛みに眉を顰める俺の顔を繁々と覗き込んできた兵藤は、双眸を真っ赤に充血させて、鋭く尖った鋭利な牙が生え揃う口許をガチガチと鳴らして唾を飛ばした。

「相手は誰だよ?!安河かッ!」

 どーして、こう、短絡的に考えるんだよ、この変態どもは。
 強い力で顎を掴まれているから、動かし難い頭を僅かに左右に振って、俺は狂気の矛先が安河に向かないように否定した。だって、相手は安河じゃない。
 カタラギだ。

「お前は淫乱なのかよ?まぁ、淫乱だよな。この人数をこれから相手するんだしぃ?」

 ヒャハハハハ!ッと、馬鹿みたいに哄笑した兵藤は、隆々と勃起しているペニスを掴むと、何度か扱いて強度を持たせ、その血管の浮き上がる凶悪そうな怒張の先端で狙いを定めると、熱を持って腫れている肛門に前触れもなく乱暴に突っ込んできやがったッ!

「ヒィ…ッッ!い…っう……ッッ」

 それでもカタラギに比べれば、まだ声が出るぐらいの余裕はあったけど、内臓が引っ繰り返るような衝撃は相変わらずで、思わず吐きそうになりながらも俺は、縋るものはもう、手首に食い込む縄しかないから…これで二度目だから、擦り切れて、もしかしたら血管とか破って死ねるんじゃないかと思う。
 俺の何が気に障ったのか…カタラギにしても兵藤にしても、ここにいる全員とも、まるで俺が女か何かみたいに、当然そうに肛門を犯そうとする。
 俺は男なのに…もう、何もかも捨て去って、このまま死ねたらいいんだ。
 グチュグチュッ…と膨大な粘液を滴らせて俺の内壁を抉るようにして突っ込んでくる凶暴なペニスに翻弄されて、前に与えられる信じられない愛撫に一瞬、理性が吹っ飛びそうになったけど、それでも唇を噛み締めて与えられる快楽から逃げ出そうと足掻いていた。

「あ、いば…お前のなか、ぬるぬるしてスゲー気持ちいい!」

 ハァハァと耳障りな息遣いで夢中になって腰を進めてくる兵藤に、俺はむずがる子供みたいに汗を飛び散らせながら頭を左右に振った。
 背後にピッタリと密着した兵藤は腰を蠢かしながら、無防備に晒している俺のあらゆる素肌を弄りながら、さっきまで真鍋が遊んでいた乳首に戯れかかると、俺はもう、思考回路がバーストして、何を考えたらいいのか判らなくなっていく。

「も、…許して…うぁ!…ん、く……やぁ……ッッ」

 あられもない喘ぎ声の語尾は悲鳴に近い叫びになって、俺は逃げ出そうと腰を捩ったけど、接合部分を長くて凶悪な舌で舐め始める真鍋を引き剥がせなかった。
 ビクンビクンッと身体が震えて、何度も絶頂に駆け上っていると言うのに、半田の舌が射精を塞き止めているから、完結できないまま何度も身体を震わせて、イくこともできずに身体をビクンッと波打たせる俺の括約筋が、その度に兵藤を締め上げて、ヤツは好色そうな目付きをしたままで、俺の中に灼熱みたいな奔流を叩き付けた。
 ゴプッと嫌な音を立てて、引き抜かれたペニスに導かれるようにして精液が零れると、内股にツゥ…ッと滴る嫌な感触に全身が震えてしまう。

「よし、次は俺だ」

 いそいそと真鍋が、まだ何かを咥えていると思い込んで閉じきらない肛門に捻じ込んできた。
 ペニスってのは男によって違うモンなんだな…とか、余計なことばかり頭の中でぐるぐるするけど、確かに突っ込まれる角度なんかで、思う以上に深い部分を貫かれて息が止まる思いに吐き気がしたり、性急なピッチで追いつく暇もなくすぐさま射精されて、俺は壊れた人形みたいに喘ぎながら、風に翻弄される木の葉みたいだと自嘲したくなっちまう。
 早く、終わってしまえばいいのに…

「んもう!早く終わってよねぇッ」

 俺の想いを代弁するような松崎の癇に障る声に眉根を寄せると、俺の口腔に貪るように長い舌を挿し込んで咽喉の奥を犯す兵藤が興奮したように牙をむいたみたいだ。

「うるせーよ、松崎!腹が減ってるんならそこらヘンの人間でも喰って来いッ」

「えー、何よそれぇ」

 憤然と激怒する松崎は端から無視で、俺の締め付けを堪能している真鍋が「おぅ、う、スゲー、いい!」とか、意味不明な言葉を発しながら、何度も射精したりしやがるから、胎内では精液が溢れたみたいで、抜き差しを繰り返す度に、粘着質な音を立てて白濁とした飛沫が散っていた。

「う…うぅ……も、い、嫌だ…や、…誰…か……ッ」

 そんな奇特なヤツ、いるワケないんだけど。
 そんなこと判りきっているんだけど、我知らず動いている腰だとか、夢中で貪られるペニスの快楽だとか、そんなもの、全部投げ出してもいいから、誰か、俺をここから救って欲しい。

「なんだよ、誰に救いを求めてるんだ?こんなエロい格好して、誰に見て欲しいワケぇ~?」

 思い切り馬鹿にしたような兵藤が、夢中で腰を振っている真鍋の横に割り込むようにして、張り詰めている怒張を、それでなくても真鍋のモノだけでもめいいっぱいだって言うのに、割り込ませようとしている事実にハッと気付いたら、背中に冷水を浴びせられた気がした。

「や!…ヒ……む、無理、…や、うあッ!……嫌だぁぁぁッッ」

 涙が飛び散る。
 ギチギチに男を頬張っている直腸に、兵藤はニタニタ笑いながら張り切って怒張しているペニスをグイグイと押し込もうとしている。
 そんなの入れられたら、俺は壊れてしまう。
 一本だって胃がせり上がるような不快感に吐き気がして、脂汗が滲んでるって言うのに、これ以上何か入れられたらと思うと、俺は恐怖と激しい痛みを恐れて両目を見開いて「もう、やめてくれ」と懇願した。にも拘らず、兵藤は指を使って少しでも広げようと焦っているみたいだったけど、その指でさえ辛い。

「ぐぅッ……ッまえら、い、ちど、自分でも突っ込まれてみろってんだッッ」

 思わずそんな憎まれ口が吐き出せたけど、みんなゲラゲラ笑うだけで、それが却って癪に障るのに、動かせない拳を握り締めて、力とか入らないけど、俺のペニスを咥えて放さない半田の脇腹の辺りを思い切り蹴り上げてやった!

「ぐわッ!!」

「んぁ?!…ぃ…ひぁ!」

 その瞬間、何処まで入り込んでいたのか、長い舌が尿道から鈴口に向けて一気に引き抜かれたと同時に、ビュルッと溜まりに溜まっていた精液が飛び出して、その腰が萎えそうな快感に悲鳴みたいな声を上げてしまった。

「何、やられてんだよ、半田!バッカじゃねぇッ」

 兵藤がゲラゲラ笑うと、顔を両手で覆って転げまわっている半田は、蹴ったのは脇腹のはずなのに、覆った指の間からどす黒い液体が滴ってるから、どうやら今の衝撃で舌を食い千切ったみたいだ。ふん!いいザマだ、そのまま昇天してろッ。

「…ッ!」

 肩で息をしながら、それでも内心で悪態を吐いていたら、不意に顎を引っ掴まれて、痛みにギュッと顔を顰めると、すぐ耳元で兵藤の粘る声がした。

「なかなかやるじゃん。お前さ、さっき誰か…って言ってたよな?アレ、誰を呼んでるんだ。しつこく纏わりついてる愛しの安河か?それとも…」

「オレだよッ」

 不意に頭上から降ってきた凶暴そうな声にギョッとした兵藤が振り仰いだ先には、ここは近所の廃工場なんだろう…天井の辺りにもう錆びて剥き出しになっている鉄筋の上に立ち尽くしている派手な出で立ちの男が不可視のオーラを浮かべていた。

「き、貴様は…ッ」

 松崎が両手の爪をジャキッと伸ばして身構えると、転がるようにして俺を突き飛ばした真鍋も兵藤と肩を並べて、どうやら戦闘態勢に入ったみたいだ。
 たった一本の縄で漸く繋がれている両腕に体重をかけながら俺は、できれば逢いたくなかったけど、でも、今は唯一、この地獄のような場所から救ってくれるかもしれない男を見上げていた。
 カタラギは、エヴィルである連中を、まるで虫けらでも見るような目付きでチラッと見ただけで、後はただただ、壮絶な表情で俺を見詰め返している。
 まるでそれは、そうして犯されている俺が悪いとでも言うような非難の目付きだったから…つーか、お前、何時からそこにいたんだ?
 そう考えた瞬間、思い切り頭を打ん殴られたような衝撃を受けて、気付いたら頭にガチンッと来たまま思わず叫んでいた。

「テメーは自分の女が輪姦されるのを黙って見てるのが趣味なのかよッ!!」

「今来たんだッッッッ!!」

 間髪入れずに腹にズンッと響く怒気を孕んだ低い声音で言い返されて、その、腹の底が冷たくなるような威圧感の伴う声音に一瞬でも怯んでしまったんだけど、それは、その場にいる誰もがそうだったのか、ヤツ等は怯えたように声にならない声を上げて威嚇してるみたいだ。でも、カタラギはそんな連中なんか眼中にもない様子で、ギリッと奥歯を噛み締めたような仕種をしてから、鉄筋から飛び降りると、ダンッ!…と、凄まじい音を響かせて俺の前に着地しやがった。
 …なんか、非常に拙いような気がする。
 さっきまでワケの判らない怒りで見境がなかったんだけど、カタラギの声を聞いた途端、頭から氷水を被ったような錯覚がするほど唐突に冷静になったから…今は素直に判る。
 うん、ヤバイ予感がする。
 ゆらっと、真っ赤な髪の派手な男が顔を上げると、右の邪眼が愈々禍々しく見えるほど忌々しそうに双眸を細めて、ビクッと竦んでいる俺を見据えたカタラギは、ゆらりっと殺気のオーラを纏って立ち上がったんだ。
 着地した場所のコンクリートが、あれほど自在に空気を操っているんじゃないかってほど、軽々と体重も感じさせずに飛び降りることだってできるくせに、砕けて弾け飛んでいるのは…それだけ、コイツは怒っていると言外に意思表示しているのかも知れない。

「さ、捜せなかったんだ!突然だったし…嫌だって言ったんだぞ!やめてくれって言ったんだけど、でも」

 無理に犯されたのは俺なのに、どうしてそんな目で俺を見るんだよ?!悪いのは全部、俺だって言うのか??!
 必死で言い訳する俺もどうかしてるのかもしれないけど、そう言わざるを得ないほど、今のカタラギは凄まじく腹を立てている。

「俺、首の辺りを叩かれて意識がなくなっちまったし…、し、仕方なかったんだ!だって…って、ん?」

 必死の言い訳なんか耳にも入っていないカタラギは、何時の間にか、見据えていた俺の顔からズーッと下の方、つまりその、なんと言うか、さんざん射精されまくって夥しい精液に濡れた下半身を、ジッと見下ろしていたんだ。
 な、何を見てるんだよ、お前は!!
 漸く引っ掛かってるだけのシャツでなんとか隠そうと足をモジモジさせて画策しながら俺は、真っ赤な髪と、鎖だとかなんだとかのアクセサリーで胸元とベルトをジャラジャラさせている、昨日とは違うダメージデニムに袖を捲くった昨日と同じ黒コートの派手なロック系のバンド野郎みたいな出で立ちのカタラギを睨みつけた。

「お、俺のことはいいから、早くエヴィルをやっつけろよッ」

「…ヤッツケロ、か。ふん!こんな雑魚はいつでも狩れるッ…でもさぁ、なんだよ、光太郎のその格好は」

 悪態吐くときぐらいは俺の顔を見ろよ。
 女ってワケじゃねーんだから、同性に見られたって屁でもないはずなんだけど…でもコイツの場合は違う意味で俺を見てることもあるワケだから、気を抜いてはダメなんだ。

「だ、だから、これは、その…」

「イッたな」

「へ?」

 忌々しい目付きで鼻に皺を寄せて口には犬歯をむいたままで、漸く隠れている俺の下半身を穴が開くほど睨み据えているカタラギが、なんとも突拍子もないことを言いやがるから、思わず呆気に取られた俺はポカンとして間抜けな声しか出なかった。

「オレの時は萎えてたくせに、そんなにエヴィルに犯られるのはよかったのかよッ?!」

「バッ!な、何言ってんだよッ?!お前はやめてくれって言ってもグイグイ突っ込んできて、血が出てたんだぞッ!痛くて感じることができなかったんだッッ」

 あれ?俺なんか売り言葉に買い言葉でヘンなこと言ってるような気がするんだけど…

「あー、そーですか。だったら優しいエヴィルちゃんどもと遊んでりゃいーんだよッ」

 フンッと鼻で笑って片手を振るカタラギの視線は、それでもしつこいぐらい僅かに布が覆ってる下半身に向けられてるから、居た堪れない気持ちになって顔が真っ赤になってしまう。

「…だって、どうしていいか判らなかったんだ。身体はヘンな具合になるし…抱かれたのだってお前が初めてだったから、あれが本当なんだって思ってたから、今の自分はおかしくなってると思って…こ、怖くて…」

 思わずポロッと涙が零れ落ちた。
 悲しいとか恐怖だとかそんな感情じゃない、選りによってなんでこんなワケの判らないことでカタラギに責められて、こんな無様な格好まで晒してなきゃいけないんだと、自分のあまりの不遇な運命に泣けてきたんだ。
 でも、それをカタラギは明らかに曲解して受け止めてしまったらしい。

「あの時は時間がなかったからな…くそ、オレとしたことが。じゃあ、お前。今度オレが抱いたら、ちゃんとイけるのかよ?」

 なんでそこに拘るんだ…と、言いたいけど、漸く俺の顔を捉えた禍々しい邪眼と険しい左目に見据えられると、なんか反論したら余計面倒臭いことになりそうな予感がしたから、俺は諦めたみたいに目を閉じてしまった。

「わ、判んねーよ。その、抱かれてみないと」

 でも、少なくとも…カタラギは仲間と俺を共有しようとは考えていないみたいだから、それがたぶん、せめてもの救いだと思う。

「でも!…今度は、ちゃんと優しくしてくれよっ」

 あんな痛いのはもう、懲り懲りだ。
 耳まで真っ赤になりながら、つっけんどんに唇を尖らせて言ったら、それでどれほどの溜飲が下がったのかは判らないけど、カタラギのヤツは陽炎のように殺気を立ち昇らせて、それでもニヤッと笑ったみたいだった。

「よし、今回は光太郎が可愛らしく反省してるみたいだから許してやる。あ・と・は」

 理不尽な物言いになんだとこの野郎とカチンとくる俺の前で、カタラギがリズムに乗るようにしてくるりと背後を振り返ると、怯えて竦んでしまっている、さっきまではあれほど偉そうだった兵藤たちが青褪めているみたいだ。

「オレの女に手を出したエヴィルどもをぶっ殺すか。雑魚だと思って見逃してやってたのにな」

 犬歯をむいてニヤッと笑うカタラギの根性の悪そうな表情に、兵藤じゃなくても怯えるに違いないけど、ヤツ等はジリジリと後退して、そのまま脱兎の如く出口に向かって逃げ出したんだ。
 その後ろ姿を腕を組んで悠然と見送るカタラギに、このままじゃ逃げられちまうと焦る俺の目の前で、突然真鍋の身体が高圧電流に触れたみたいに吹っ飛んだからギョッとした。

「あらら、強気のエヴィルちゃん。鬼ごっこはナシだぜ?なんせ、お前ら。選りによってカタラギの女に手を出したんだからな」

 両手を広げるようにして出入り口の辺りからゆらりと現れた緑の髪の派手な男は、広げた両腕の肘から掌にかけてバチバチと火花を散らして笑ってる。

「俺たちでさえおっかなくて関わらねーってのによ。強気なエヴィルちゃんは、カタラギに遊んでもらいな」

 何時の間に現れたのか、何かの機械の残骸らしきものの上にだるそうにしゃがみ込んでいるオレンジの髪の男が、投げ出している片手に一丁、肩を叩いてる手に一丁の、二丁拳銃を手にしてどうでも良さそうに無責任に言い放った。

「兵藤とか言ったっけ?光太郎、今日でコイツとはお別れだ。何か言うこととかあるか?」

 言うことなんかあるか。
 あるとすれば、どうでもいいからこの腕の縄を解いてくれ。
 さっきのことを思い出したら急に吐き気がして、俺はブンブンッと首を左右に振ってやった。
 その態度がまたカタラギをいい気分にさせたみたいで、どうやらそれで、本当に俺の言葉を頭から信じることにしたみたいだった。
 これで、カタラギたちみたいに「グッバイ、兵藤」とか言ってたら、また曲解したカタラギが激怒してたんじゃ…とか、理不尽なDV夫に恐怖する奥さんみたいに、俺はたらりと冷や汗を掻いて息を呑んでしまった。
 よかった、喋らなくて。

「…って、ことらしいぜ?んじゃ。グッバイ、エヴィルちゃん」

 ニコッと、信じられない顔で笑ったカタラギが両手を前に差し出すと、まるで空気中にある何かの粒子みたいなものが集まってきて、青白く発光しながらそれは片方を日本刀に、もう片方の手の甲を覆う鉤爪に変化したんだ。
 ニコッと笑ってるくせに、ピクッとこめかみが引き攣るってことは、やっぱり、カタラギのヤツは余程激怒してるんじゃないかと思う。
 さっきから少しも勢いの衰えない陽炎みたいな殺気は相変わらずだし、豪語していたようには強くもないような兵藤、松崎、さっき吹っ飛ばされた真鍋の顔色を見ても、それが判る。
 俺がなんとなく、こんな目に遭わされたってのに、憐れだなぁと思ったときには、電光石火の素早さで斬り込んで行ったカタラギが、呆気に取られている松崎の胴を真っ二つにして、断末魔を口にするヒマもなかった彼女は砂利だらけの廃工場の床に倒れると、グズグズと溶け出して消えてしまった。その光景に気を取られている隙に、次の行動に出たカタラギが、電気にやられて身を捩って喚き散らしている真鍋の身体を鉤爪で掬い上げるようにして投げ出したら、ついでのようにオレンジの髪の男の手にしている銃口が火を噴いた。
 乾いた音が1発響いたら、落下する真鍋の後頭部が破裂したみたいにバシュッと何かを撒き散らしたら、眉間に数センチの穴が開いたみたいだ。
 それら全てを見届けることもせずに、カタラギは、呼吸すら乱れないままニコニコ笑って今や1人になってしまった兵藤のところにぶらぶらと近付いて行った。
 それがどれほど恐ろしいだろうと、あの邪眼に何度も射竦められている俺としては、内心で合掌していた。

「オレのさ、女は美味かっただろ?兵藤くん」

 腰が抜けたように…いや、よくよく見ると、緑髪の男の電気が足許でバチバチしてるから、両手以外は身動き取れなくされている兵藤が、ゆらりと殺気を滲ませて見下ろしてくるカタラギを睨んでいるようだ。だけど、既に観念しているのか、兵藤はニヤッと嫌になる笑みを浮かべて、最後の一矢を打ち出した。

「ああ、美味かったぜ。癖になる味だ。まだ、抱かれ慣れてない身体が自分から腰を振るようになってたぜ。結局、アンタの女はアンタよりも俺のチン●で男を知ったってワケだ」

 ぶち、…と。
 その言葉が終わるか終わらないかのところで、確かにハッキリと、何かが切れたような鈍い音がしたと思う。それは俺だけじゃない、カタラギの仲間も聞いてたみたいだ。
 何故なら、オレンジの髪の男が「ゲ」と顔を顰めると、緑の髪の男が片目を閉じて、「アチャ」と片手で額を押さえたからな。

「なるほど!」

 搾り出すような声は却って冷静さを保っていたから、俺が思わず眉を顰めた次の瞬間、風を切るようにして日本刀が触れるか触れないかの近距離で、俺の横を凄まじいスピードで飛んで行った。
 んな、俺に当たるなよ。
 青褪めて言葉も出ない俺の背後で、何かが倒れる音がして、その時になって漸く、俺は半田の存在を思い出していた。

「雑魚は寝てろ」

 鉤爪でガッチリと兵藤の頭を掴んだまま、振り返るついでのように投げた日本刀は、指を変形させて造り上げたナイフのようなもので、俺に襲い掛かろうとしていた半田の頭を貫いていた。
 やっぱ…カタラギはスゲーと思う。
 ガックリと項垂れそうになる俺の目の前で、ニコニコ笑いがすぐに化けの皮を剥いで、ヒクヒクと口許を引き攣らせたカタラギは絶句している兵藤を見下ろした。

「すぐには殺してやらねーぜ。兵藤くんは昼は大人しい高校生なんだろ?お前に最大の屈辱を与えてやるよ」

「ぐ…ッ、ま、まさか…ッ」

 グエッと拉げた悲鳴を上げたのは、どうやら重いブーツの底で腹を蹴られたらしくて、兵藤はつんのめるようにして倒れそうになったんだけど、カタラギの凶悪な鉤爪がそれを許さなかった。

「そうそう、そのまさかだ。生き恥を晒してハンターの慈悲に縋って生き残っちまったエヴィルの行く末は憐れだよな?仲間に食い殺されろよ。でも、それじゃあんまりつまんねーから、もうひとつ、ハンター様からの慈悲を与えてやる」

 肩が震えるぐらいの屈辱を受けたカタラギは、邪眼を細めてニヤッと、邪悪な表情で性質の悪い笑みを浮かべながら言い放ったんだ。

「夜明けから夕暮れまで、オレの女を護るんだ」

「…!!」

 鉤爪が深々と突き刺さった頭部からどす黒い血液らしきものを流しながら、唇を噛み切るほど噛んでいる兵藤が震えるようにカタラギを睨みつけた。
 なんて条件を出してるんだよ、どうせ、んなことして解放しても言うことなんか聞くワケないだろ。
 とっとと、とんずらするに決まってるってのにさ、カタラギは結構抜けてるんじゃないのか?
 馬鹿らしい条件に溜め息でも吐こうかと思っていたら、オレンジの髪の男が低く笑う声がした。

「?」

 訝しく思ってオレンジの髪の男を見たら、その向こうの出入り口の辺りの壁に腕を組んで凭れている緑の髪の男も同じように笑っているみたいだ。
 なんなんだ。

「ワケが判らん…ってツラしてるね、カタラギの彼女」

「…その言い方はやめて欲しい」

「なんでだよッ」

 オレンジの髪の男の台詞にうんざりしたように呟いたら、そっちで勝手にやってるはずのカタラギが、間髪入れずに犬歯をむいて口を挟むから、俺は呆れたようなツラをしてしまった。

「判った、彼女でも女でもなんでもいーよ」

 もう、こうなりゃヤケクソだ。
 どうでもよさそうにフンッと鼻を鳴らしたら、なんだか納得できていなさそうな顔をしていたカタラギは、それでもそれ以上は何か言うつもりはないらしい。それを見越して、オレンジの髪の男は肩を竦めた。

「エヴィルってのはよ、仲間を裏切ると制裁を加えるんだ。ま、もともと共食いするんだから制裁ってのもどうかしてるけどな。ましてや、ハンターの女を護るなんざ愚行をすれば、それこそ嬲り殺しにされるだろーよ」

「つまり、夜が活動の全てのエヴィルが、夜道を歩けなくなるってことだな」

 オレンジの髪の男の台詞を引き継ぐようにして、緑の髪の男はそう言うとプッと噴出した。
 それで、2人してゲラゲラ笑ってるんだけど、何がそんなに可笑しいのかいまいちよく判らん。
 そもそも、エヴィルってなんなんだ??

「なんの庇護もなく、もう、人間狩りもできねーな?ましてや頼る仲間も失って、オレの命令を無視すればどちらにしても、地獄よりも苦しい死に様が待ってるってワケだが。これからどうして生きていこうか、エヴィルちゃん?」

 首を傾げている俺の前で、カタラギが皮肉気に鼻先で笑った。
 それは、エヴィルにとって最大の屈辱なのかもしれない。それに、カタラギが言うように、兵藤は他の連中よりも過酷な死に様をするんだと判る。あれほど激怒していたカタラギが、そう易々と見逃すはずがないもんなぁ。
 絶望したように青褪めた兵藤は、それでも、何もかも失って、どうすることもできないまま、カタラギの叩き付けた条件に縋るように承知したみたいだった。
 ガックリと項垂れるように頷いた兵藤を見ながら俺は、今日からエヴィルに護られることになったワケなんだけど…って、おいおい、ちょっと待てよ。
 俺の意見とか権利とかは…やっぱ無視なのか?
 その日何度目かの溜め息が、項垂れて疲れ切った口から吐き出されていた。

6  -EVIL EYE-

 「一緒に帰ろう」…ってさ、なかなか振り向いてくれない友人が漸く口にした台詞に、俺は嬉しくて舞い上がっていたってのに…現実はとても残酷だと思う。
 俺の唯一の楽しみなのは、安河が重い口を開いて話をしてくれることなんだ。
 それなのに、エヴィルが跋扈する闇は、もうすぐそこまで迫っていて、俺は眉を寄せると唇を噛み締めて俯いてしまった。

「…相羽?」

 ふと、玄関を一瞬振り返った安河は、何も見当たらないことに首を傾げてから、硬直したように立ち止まっている俺に振り向いて首を傾げてきた。
 長い前髪に覆い被さった双眸が、何時の間にか点いている電灯の光を受けてキラッと光ったみたいだ。

「…ごめん。俺、急用を思い出したんだ。先に帰ってくれ」

「え……、待ってるけど」

「いや、いいんだ。遅くなると思うし。悪いから」

 断固とした決意で安河を見上げる俺に、物静かな友人は一瞬だけ表情を固くしたみたいだったけど、何時もはクラスメイトが唖然とするぐらい付き纏う俺のその変貌振りに、どう対処していいのか判らないってさ、動揺したような態度が伝わってくる。
 そうだよな、さっきまではあんなに喜んでいた俺が、いきなり掌を返したみたいにして突き放したんだ。何が起こったんだって、ビビッても仕方ねーよな。

「ごめん」

 一言だけ呟いて、俺はぼんやりと突っ立ったている安河をその場に残したまま、呆然と突っ立って見送る安河に何時ものように片手をグルグルと振り回して別れを告げると靴のままでダッシュしながら廊下を引き返していた。
 裏門から帰ればいい。
 そんなこと、判ってるけど…やっぱりちょっと寂しいよな。
 こんな性格だと、きっと安河も、もう呆れたに決まってる。
 長い前髪に隠れた双眸からは表情を読み取ることなんか不可能に近いんだけど、でも、あの安河が少しでもいいから残念がってくれたら…俺の日頃の行いも少しは報われるんだけどなぁ。
 ははは、んなこたないか。
 走って、走って、それから、歩調を緩めて、ピタリと立ち止まった。
 裏門に続くガラスのドアの向こうに逢う魔が時の夕日が沈む。
 きっと、道路は薄暗くて、何が潜んでいるのか判らない恐怖がある。
 でも今は、そんな夕暮れ時よりももっと恐ろしい、夜が来るんだ。
 俺はそれでも、随分と回復した身体を引き摺るようにしてガラスのドアを押し開けていた。
 裏門から突っ走って、取り敢えずすぐに大通りに出る、それからバスに乗って…いや、それよりも電車がいいかな。人を巻き込まないようにするなら徒歩なんだけど、そうすると、途中で薄暗い公園を突っ切らなきゃいけなくなる…それは絶対に避けたい。
 やっぱりバスかな…とか、脳内を凄まじい早さで考えが駆け巡って…って、俺、今までにこんなに考えたこととかたぶん、一度もないんじゃないかと苦笑しちまった。
 裏門の鉄の格子に手を掛けて開こうとしたその時…

「よう、相羽。今、帰り?」

 それまで誰もいないと、あんなに何度も確認したってのに、背後から声がして俺は振り返っていた。
 だってさ、その声には聞き覚えがあったから。

「あれ?どうして、兵藤がいるんだ??さっき安河が、お前は有沢と帰ったって言ってたのに…」

 あんな悪夢を見たせいか、なんとも居心地の悪い気分を味わいながら、俺はそれでも罪悪感みたいなものを感じていたから、薄暗いなかで笑っている私服の兵藤を見ていた。

「決まってるだろ?お前を待ってたんだ」

「は?」

 間抜けな声を出して眉を顰める俺に、兵藤はゆっくりと近付いて来ながら笑っている。

「だからさ、さっきの続きをしようぜ…」

「?!」

 ハッとした。
 その異常な口の大きさが、やたら目立ってアンバランスに眉を寄せていたんだけど、違う、この違和感はそんなモンじゃねぇ!
 ヤバイ!…と、直感が身体を動かして、踵を返して逃げ出そうとした俺の首に、衝撃を伴った痛みが走った。その瞬間、フッと目の前が暗くなって、身動きが取れないまま地面にダイブしてしまった。
 スローモーションのように地面にぶっ倒れる俺が見た光景は、制服のスカートの裾をひらひらさせた…それは、確か2組の松崎って言う女子だ。
 彼女の、氷のように冷たい、禍々しさを宿した双眸が冷めたように見下ろす姿だった。

5  -EVIL EYE-

 一歩、歩くごとに下半身に激痛が走るなんか、どうかしてるよな、全く。
 今は放課後で、クラスの連中はもういない。
 早く帰らないと夜が来ると判っているのに、身体が重くて、全身が火を噴いたように熱くなっていた。
 午後から体調は悪くなっていたから、たぶん、熱が出始めたんだと思う。

「馬鹿だよなぁ…俺。こんなとこでグズグズしてたら、あのエヴィルとかって化け物の格好の餌食だよ」

 頭では判っているのに、身体が思うように言うことをきいてくれないんだ。
 熱い息を吐いて、椅子から立ち上がることもできないなんて…ホント、どうかしている。
 まさか、今夜は学校で一夜を明かすとか…いや、それはダメだ。
 それでなくても学校ってだけでも早いところずらかりたいってのに、一夜を過ごすなんか冗談じゃねぇ!…俺をこんな身体にしやがって、覚えてろよ、カタラギ。
 復讐心をメラメラと燃やしながらも、カタカタと震える足には力が入らない。立ち上がることができれば幾らかマシになるんだけどさ、その瞬間の激痛を思うと、どうしても立ち上がる勇気が出ない。
 身体を真っ二つに引き裂かれるんじゃないかって痛みは、その、レイプされている時よりも痛いってのはどう言うことだ。
 ハァ…っと、吐き出した溜め息は熱っぽいから、たぶん、かなり熱が出てるんだと思う。

「エヴィルかぁ…なんだったんだろう、アレは」

「エヴィル?」

 誰もいないとばかり思っていた教室に響き渡った声に、教室の入り口からのびる長身の影に、俺の咽喉がヒクッと痙攣して、アレだけ悪態を吐いていたのに、いざカタラギ本人が目の前に来たら竦んで身動きが取れなくなっちう。

「エヴィルってさぁ、あの化け物のことか?」

 てっきり、カタラギが教室まで押し掛けて来たんだとばかり思っていたから、あの陰険なニヤニヤ笑いを思い出して震え上がったってのに、実際は兵藤がひょっこり顔を覗かせて、思案げにアイスクリームの棒を咥えたままで下唇を突き出していた。

「ひ、兵藤かよ…驚かすなよ」

「はぁ~?ああ、そっか。こんな時間にエヴィルとか考えてたんだ。そりゃ、ビビルわな」

 ひゃっはっはっと、日頃はそんな笑い方とかしないのに、おかしそうに笑う兵藤は咥えていたアイスの棒を掴むとチラッと見下ろして、どうやらはずれクジだったのか、眉間に皺を寄せてゴミ箱にポンッと放り込んだ。ナイスコントロールはバスケで証明済みだし、心配しなくてもアイスの棒はきっちりとゴミ箱に吸い込まれていった。

「兵藤!そう言えば、今お前エヴィルって言ったよな?何か、知ってるのか??」

「知ってるのかって…はぁ?何を言ってんだよ、相羽。ネットでジャンジャン写真が出てるじゃん。昨日もどっかにエヴィルが出て、特殊部隊が動員されたってのに退治できなくってさ、賞金目当てのエヴィルハンターが仕留めたんだろ」

 エヴィルハンター!…そうか、カタラギたちは実在する連中だったんだ。
 俺、ネットって言えばネトゲぐらいだから、そんな噂知りもしなかった。
 だから、そうか。
 母さんはあんなに心配して俺を待っていたんだ…くそぅ、あのクソ親父。

「エヴィルハンターって尋常じゃない身体能力とか持ってるらしくってさ、誰も姿を見なければ、写真すらないらしいぜ。そのわりには、初遭遇~とかってエヴィルの写真は出回ってるようだけど。ありゃ、どーせ合成かニュースからの転載だよ」

 俺のほうに向かって歩きながら面倒臭そうに肩を竦めて、それからニヤッと笑ったんだ。

「相羽もさぁ、んな寝惚けたこと言ってないで、ちゃんとニュースとか見て用心したほうがいいと思うぜ」

「う…だよな」

 俺が素直に頷いたら、兵藤のヤツは「おや」っと眉を上げて、やたら素直な俺を気持ち悪いものでも見るような目付きで覗き込みやがるから、なんだよ、その目は。

「じゃあ、兵藤はエヴィルとか信じていないんだな」

「は?まさか、信じてるに決まってるだろ」

「はぁ?」

 思わずキョトンッとして見上げたら、兵藤のヤツは馬鹿にした目付きをして肩を竦めた。

「だからさ。出回ってる写真は殆ど合成だって、言ったんだよ」

「ああ、なるほど…ってこた、お前はエヴィルを見たことがあるのか?」

 思わず納得しかかって床を見下ろした俺は、唐突にハタと気付いた。
 影が…教室に射し込む暮れなずむ夕日に伸びる兵藤の影が…ない。
 さっきは長身の陰が伸びて、俺はそれを見て思い切り怯えていた。てっきりカタラギだろうと思ったからだ。
 でも、この影のない兵藤は、もしかしたら、カタラギよりも性質が悪いんじゃないだろうか。
 そこまで考えて、唐突に静まり返った室内に恐怖を覚えた俺は、震えだしそうになるのを必死に我慢しながら、殊の外平然とした口調で尋ねていた。

「つーかさ、兵藤。どうして学校に残ってるんだ?お前さ、今日は確か3組の有沢とデートするって言ってたんじゃ…」

「何、怯えてるんだよ?確かにキョーコとデートも楽しいんだけどさ。なんか、やたら美味しそーな匂いがしてたからここに来たんだよ。そしたらお前が居たってワケ。相羽ってさぁ、美味そうなんだよなぁ」

 見詰めていた顔からふと、目線を逸らした。
 その態度はいけないと安河にあれだけ注意したんだけど、見たくない時だってあるさ。
 それでなくても、カタラギに痛めつけられた身体だと、満足に逃げ出すことだってできやしないだろうと思う。そんな、融通のきかない身体を持て余してるってのに…何を言ってるんだ、俺。
 きっと、これは悪戯好きの兵藤の、性質の悪い冗談に決まってるじゃねーか。
 ちょっと、イロイロと有り過ぎたから、何もかもを疑いすぎてよくないと思う。
 …いや、影を消すなんて芸当、どうやったらできるのとかは判らないんだけど。

「う、美味そうって…何を言ってんだよ。それなら有沢の方がもーっと美味そうだ」

 そう言って、冗談のつもりで笑いながら逸らしていた視線を向けて、俺はその場に凍りついてしまった。
 兵藤の顔が、あれほど整っていて、女子が王子様だと実しやかに囁いて喜んでいた、兵藤の自慢の顔が…ボタ、ボタ、ボタ…と、目とか鼻だとかが溶けるように落ちて、のっぺりとした顔なし状態になっているんだ。

「ひ、兵藤?」

「キョーコもちゃんと後で喰うよ。でもよぉ、ホントにさぁ…相羽、美味そうだよなぁ…」

「!」

 ベリッと顔の中央が破けたように開くと、そこにはビッシリと鋭く尖った細かい歯がヤツメウナギみたいに円を描くようにして並んでいて…あの耳障りな、ガチガチと歯を鳴らす音を響かせていたんだ。
 夕暮れ間もないから、まだ夜じゃないはずなのに…これは、きっとエヴィルだ。
 カタラギのヤツ!う、嘘なんか吐きやがってッ。
 ホント、後で覚えてろよッッ!!…って、俺が生きていたらの話なんだけど。
 目の前が真っ暗になる、どうしよう、こんな熱に浮かされたような痛む身体を抱えて、いったい俺に何ができるって言うんだ。
 見たくもない異形の化け物に変貌しつつある兵藤の顔を呆然と見上げたまま、俺は成す術もなくて、誰かに助けを求めるなんて考えることもできなかった。
 エヴィルは人間でも何でも喰うんだろう、現に、あのOLのお姉ちゃんみたいなエヴィルは俺を喰おうとした。だけど、巨大なエヴィルはそのOLエヴィルを喰って…でも、カタラギが来なかったらきっと、俺も喰われていたと思う。
 だから、兵藤だったエヴィルは俺を喰うつもりなんだろう。
 はぁーはぁー…と、顔全体が口になってしまった、それもヤツメウナギのように吸盤のついた、臭気を伴う滑る粘液が滴り落ちる顔をカク…カク…と首を傾げるように動かして、兵藤なのか化け物なのか、もうどちらかも判らない不気味なソイツは、身動きすらできないまま、椅子の上で精一杯に身体を退く俺に近付いてくる。
 ぼた、ぼた…ッと、制服を汚す粘液の塊が、化け物がもう、俺の目の前まで迫ってきていることを告げていた。
 ああ、誰か…誰か俺を助けてくれ。
 あれほど友達がいるんだと思っていた俺は、その時になって初めて、誰を呼んだらいいのか判らないことに気付いたんだ。
 だから、助けを呼ぶことができなかった。
 命を懸けて救いたいと思う友達も、命を懸けて救ってくれる友達も…誰も思い出せない。
 浅く広く…そんな当たり前の付き合いが、こんな時、致命的な結果を齎すなんて…そんなこと、考えもしなかった。
 生臭い息を吐き出しながら、近付く大きな口は、細かい歯を振動させてカチカチと音を鳴らしている。
 カタラギが言ったように、俺はエヴィルを呼ぶ体質になっていて、でもそれでも、カタラギに救いを求めるのはどうしても嫌で…死にたいとか思っていないのに、そんなこと思ってもいないんだけど、自分をレイプした男に救いを求めるさせるなんて、どれほどカタラギは、俺から男としての尊厳だとか、プライドとか…そんな大事なものを奪い取って、踏み躙ろうとしているんだろう。
 何もかも悲しくなって、俺、そんなに女々しいヤツじゃなかったはずなのに、閉じた目蓋からポロポロと涙の玉が転がり落ちていく。
 首筋に生臭い息を感じた時、ああ、これでもう終わりだと思った。
 カタラギは自分を捜して俺が走り回ると思い込んでいるみたいだったけど…それはあくまで、身体が自由で、動き回る体力があるとき限定の思い込みに過ぎないだろ。こんな風に散々痛めつけられた身体で、どうやってお前を探し回ればいいんだよ。
 学校にまでエヴィルなんて言う化け物が居る有様だってのに…そこまで考えて、俺はふと苦笑してしまった。プライドだとか何だとか、なんやかんや言いながら、確りこんな身体にしやがった責任は取って貰おうって、嘯きながら俺、カタラギに期待なんかしちまってるんだなぁ。
 あんな薄情なヤツ、俺が捜さないと姿も現さないような酷いヤツに、助けてくれなんて馬鹿な期待ばかりするから、化け物とかカタラギなんかに付け込まれるんだよ。
 ぬらりとした粘液が滴る長い舌が伸びて、びちゃっと首筋が粘るように濡れたから、頚動脈を食い千切られる錯覚を感じて、青褪めた俺は震える指先で机の上を探ると、それから、漸く辿り着いたシャーペンを握り締めたんだ。
 これを突き刺せば、少しでもエヴィルの動きを止めることができるかもしれない。

 それから、全力で逃げ出せば…火事場の馬鹿力を出せれば逃げ切れるかもしれない…そんな、途方もないことを考えながらギッと口だけの兵藤を睨み付けた。

「うぁ!」

 渾身の力で突き出した腕は、奇妙に捩れた腕に遮られて、反対に捩じ上げられてしまった。

「…う、うぅ……ッ」

 椅子の上で愈々身動きも取れないし、痛めつけられている身体は悲鳴を上げて、ドッと脂汗が噴き出した。
 ああ、もうダメなんだ。
 諦めたくなんかないんだけど、絶望感がゆっくりと頭上から爪先に浸透していくようで、唇を噛み締めながら俺が目蓋を閉じたその時…

「相羽?」

 聞き慣れた、何処か物静かな口調で声を掛けられて俺はハッと目蓋を開いた。
 額にはビッシリと汗が浮かんでいて、慌てて起き上がって周囲を見渡せば、間もなく日が暮れそうな午後の陽射しが射し込む教室が、何事もなかったように静まり返っていた。

「ひ、兵藤は?!」

「…?3組の女子と帰った」

 薄っぺらい鞄を片手に、長い前髪の向こうからじゃ何を考えているのか判らない安河が、首を傾げるような仕種で呟くように言ったんだ。

「…ぁ、ああ…そっか、なんだ。夢か」

 全身に嫌な汗をびっしりと掻いてしまった俺は、どうやら熱のせいで悪夢に魘されていたようだ。
 それにしても、選りに選って兵藤をエヴィルと思うなんて…俺、どうかしてるよ。
 まさか、男にレイプされてヤケッパチになったせいで、女子に大人気の兵藤に嫉妬してるのか?…うわぁ、考えたくないけど、なんか、それが本音だったらもうホント、死にたくなるよ、マジで。
 はぁぁぁ…っと、涙目で盛大な溜め息を吐いた俺を無言で見下ろしたまま突っ立っている安河に気付いて、俺は慌てて両手を振り回して顔を真っ赤にしてしまった。なんか、心の奥を見透かされたような気がして慌てたんだけど、そんなはずがあるワケもなく、安河は不思議そうに首を傾げるだけなんだ。
 当たり前だ、俺。
 確りしろ、俺!

「え…っと、へへ。居眠りしちゃったよ」

「…」

 頭を掻きながら顔を真っ赤にして照れ笑いをしていたら、口許が僅かに綻んだから…お?珍しく安河が笑ったみたいだ。
 なんか、どんな態度もやわらかいんだよなぁ、安河は。
 だから、俺は苛々させられるんだけど、兵藤から面と向かって陰口を叩かれても(それはそれで酷いヤツなんだからあんな夢を見られても仕方ない)、俺は安河のストーカーを辞められないんだ。

「ってか、安河、どうしたんだ?何時もは俺から逃げる為に即行で帰ってただろ」

 逃げるなんて…とでも言いたかったのか、モゴモゴと口篭りながら俯いた安河の黒い髪が、夕暮れの陽射しを受けてキラッと光った。

「ラーメン…食うって」

「へ?あ、ああ、言ったな、俺。でも、安河はパスなんだろ?」

 どんなに誘っても、何時もはぐらかして、気付いたらそそくさと帰っていた安河だから、俺は肩を竦めながら苦笑したんだ。
 毎度のことだし、もう慣れっこだよ。

「いや…一緒に食おうって。誘おうと思って…」

 小さな声なんだけど、オマケにくぐもっているからこう言うのが苛々するんだけど、それでも俺は、呆気に取られたようにポカンとしてしまった。
 あの安河が一緒にラーメンを食うだと?どんなアンビリーバボーだよ。
 ん?ちょっと懐いてきたのかな??
 そんな嬉しい気持ちに、思わずヘラッと笑ってしまったら、安河は照れたように頬を染めて俯いてしまった。
 でも、ちょっと口許が綻んでいるから、笑っているのかな。

「そっか、じゃ、一緒にッ!…って、悪い。そうだ、今日はダメなんだッ」

「…え?」

 ふと顔を上げた安河は、長い前髪の向こうからは窺えない表情で俺を見ているようだったけど、ああ、せっかく安河ともう少し距離を縮められるいいチャンスだってのに、俺は泣く泣く頭を掻きながら用事を思い出したふりをしたんだ。

「今日は親父の会社に届け物をしないといけなかったんだ。俺から言い出したのに、ごめん!この次、よかったら日曜にラーメン奢るよ」

「あ、…その、俺…日曜日は……」

 そっか、やっぱまだ日曜日の壁は高いのか。
 仕方ない、せっかくのチャンスだけど、これは諦めるしかないな。
 だって、俺…安河をエヴィルとか言う化け物に殺されたくないんだ。
 あんな思いをするのは俺ひとりで十分だ、安河まで巻き込まなくていい。

「そっか、じゃぁ…残念だけど。また、今度な」

 何時になるのか判らない約束の代名詞みたいな言い訳を呟きながら俺は、ガッカリして溜め息を吐いてしまう。できればもっと、色んな安河を見てみたいと思っているのに、残念だなー

「判った…」

 シュンッとしたように俯いた安河も、やっぱり残念だと思ってくれているみたいだ。
 ま、いいか。
 これだけ進歩したんだから、いつかカタラギだとかエヴィルだとか、そんな連中に見切りをつけることができた暁には、頑張って安河をもう一度誘ってラーメンぐらいは食いにいこう。
 それを希望に、明るくない学校生活をエンジョイでもしてみるか…ってんだ、畜生。
 そんな、内心で悪態を吐きまくっている俺に、やっぱり残念そうな顔をしていた安河は、言葉数少なにポツポツと一緒に帰ろうと言ったんだ。
 そりゃ、驚くだろ、普通に。
 何時もはサッサと帰ってる安河が、ヒッジョーに短い言葉ではあるんだけど、一緒に帰ろうとか言うなんて思わなかったから、椅子に腰掛けたままで近付いてきている安河の、その長い前髪に隠れる双眸を見上げながらポカンッとしちまった。

「俺…ヘンなこと言った?」

 呆気に取られる俺に、言い出したわりには弱気な安河は、既に後悔しているみたいだ。
 違う、そうじゃない。

「んなワケないって。いや、安河が俺のことを誘ってくれるとか思わなかったから、正直驚いてるだけ」

 顔を真っ赤にして喜んでいる俺に、安河はちょっと驚いたような顔をしたけど、すぐにホッとしたように息を吐いてから片腕を差し出してきたんだ。

「?」

 差し出された腕を見詰めて首を傾げていたら、手持ち無沙汰に疲れたのか、それとも、俺のそんな態度に戸惑ったのか、いずれにしても安河は、反射的に手を引っ込めてしまった。

「ごめん…その、具合、悪そうだったから」

「あ!ああー、それで立ち上がらせてくれようとしたんだな?うっわ、ごめん。でも、マジで嬉しいよ。んじゃ、遠慮なく」

 何時もは俺が引っ掴んで連れまわす腕を、また掴もうとしたら、すぐに引っ込めていた腕を差し出して、安河は伸ばした俺の掌を握り締めたんだ。
 ちょっと汗ばんだ手はしっとりしてたけど、俺のほうが何倍も(悪夢のせいで)汗を掻いていたから、別に気にならなかった。それよりも、安河って掌が大きいんだなぁと、ヘンなところに感心していたってのは内緒だ。

「今日、ちょっと具合悪くてさ。安河が来てくれて助かったよ。有難う」

「そんなの…俺は何時も相羽に助けてもらってるから」

「へ?そんなの初耳だな。ぜってー迷惑してるって確信してたもん。でも辞めてやらないんだよなぁ。悪魔だよな、俺」

 ヘヘヘッと笑いながら、本当は立つのも辛いんだけど、思ったより力強い腕に引き起こされて立ち上がった俺は、ちょっとよろけてしまって、安河の胸元にそのまま顔を突っ込んでしまった。

「グハッ!…とと、悪い。ちょっと足許がふらついて」

「…大丈夫か?」

 慌てて身体を起こした俺が手を離そうとしたら、安河はそれを許してくれなかった。
 でもま、そうやって手をつないでくれているほうが、俺には有り難いからいいんだけど。

「これが女子だったらよかったのにな」

 ウハハハッと笑って、頭ひとつ分上にある安河の顔を見上げたら、ちょっと頬を染めて照れているような表情をしたままで、もぐもぐと何かを呟いたみたいだった…んだけど、何を言ったのかよく判らなかったし、取り敢えず、俺は楽ちんだしでここは笑ってすっ呆けるしかないな。
 なんか、久し振りに充実してるような気がする。
 あんな悲惨な目に遭って、できればすぐにでも死にたいとか考えてたんだけど、死ななくて良かったって素直に思えるよ。死んでたら、こんなスゲー体験とかできなかったと思う。
 安河はあんまり人に関わるタイプじゃないみたいで、「牛乳買って来い」とか、命令されると無言のままのそのそと教室を出て行くのは、喚き散らされるよりも指示に従ったほうが気が楽だからなんだと思ってた。事実、本人もそう思っていたんだろう、殴られてもパシリにされても、殆ど口を開かずに黙ったままで、ボーっとしたり本を読んだりしていた。
 女子はそんな安河が不気味だって言って、陰湿ないじめとかもしているみたいだった。
 安河はガタイもいいし、タッパもあるんだから、その気になれば彼女なんか選り取り見取りに違いないのに、その異様な雰囲気が女子を遠ざけているんだと思う。
 兵藤みたいにあからさまなのもどうかしてるとは思うけど、安河はもっとお洒落に気を遣うべきだ。

「お前さ、今度髪とか切って、ちょっとお洒落とかしたらどうだ?」

「……」

 他愛なく呟いたつもりだったのに、俺の腕を引いて教室を後にした安河は、何か言いたそうな表情でそんなのほほんとした顔の俺を見下ろしてきた。

「顔立ちとかカッコイイし、ぜってー彼女とかできると思うぜ」

 エヘヘヘッと笑ったら、安河もはにかむように小さな笑みを浮かべて首を左右に振ったんだ。

「…女とか、面倒臭い。人付き合いは…苦手なんだ」

「そりゃ、見てりゃ判るよ。入学した時から見てるんだから、安河のぶきっちょさとか百も承知だぜ」

 ウハハハッと声を出して笑ってやったら、「そうか」と呟いて、それでも、安河は他の連中みたいに感情が豊かではない分、物静かに口許を綻ばせるだけだ。
 これが他の連中だと、気分を害せば大声で怒鳴って喧嘩になるし、その後はバツが悪くて嫌な気分を味わうことだってある。そんなの、安河の言葉を借りれば面倒臭いから、だから俺は安河を気に入ってるんだと思う。

「相羽は?……2組の斉藤と付き合ってるって…」

「ブハッ!…ったく、誰だよ。んな、根も葉もない嘘言ってるの」

「え?……本人」

「マジで?!」

 …って、斉藤のヤツ、何を考えてんだよ。
 本命は兵藤とか言って、ちゃっかりアイツの彼女のくせに、どうして俺を当て馬に使うんだ。

「ヒッデーよなぁ!アイツ、ここだけの話、兵藤の彼女なんだぜ。おおかた、シンパの目を撹乱する為にわざと俺の名前を出したんだよ」

「…」

「そんなのに利用されてるんだぜ?彼女とかいないっての」

 自分から話を振っておきながら、とんだ薮蛇にトホホな気分で溜め息を吐いたら、黙って俺の話を聞いていた安河は、「そうか」と短く呟いて、何時もどおり黙り込んでしまった。
 あんまり喋らないヤツなんだよな。
 黙っているくせに、それでも俺がペラペラとどうでもいいような話をしている間、下らない話を根気よく聞いてくれている。だから、何が楽しいんだと級友たちが呆れてるって判っていても、やっぱり俺は安河と話したいと思うし、ストーカーとか言われても友人でいたいんだよな。

「あ、そーだ。今度さぁ…ッ!」

 下駄箱で靴に履き替えながら先にいる安河を見た瞬間、俺の行動は完全に止まってしまった。
 だって、安河の向こう、玄関の外はすっかり日が暮れて、夜の闇が忍び寄っていたんだ。