第一章.特訓!15  -遠くをめざして旅をしよう-

 光太郎は突然の出来事に目を白黒させながら周囲を見渡していた。
 ルウィンが唐突に「町外れのバザーに行こう」と言い出したのが事の切欠で、どんな場所か知らない彼にとって連れられてきたその場所は、今までに見たことがないほど賑わっている大きな都市のような場所だった。

『わーわーッ、凄い!ルビア、見て!踊り子さんだよ!!』

 野宿が主だった旅の道すがら、寄った街は街と言ってもそこそこ大きいと言うだけで、これほどの人手ではなかったから、光太郎は目に入る肌も露な踊り子や剣術を披露するために巨大な刀剣を持ち歩く旅人に見とれてはワアワアと騒いでいる。
 町外れのバザーは口煩い役所の目の届かない、よく言えば旅のバザーだが、悪く言ったらまるで無法地帯、何でもござれの悪徳バザーだったりするのだ。そのため、法を掻い潜ったあらゆる商品が出回っているから、貴重品や珍品目当ての旅人には有難い市場だった。旅人だけではなく、最近ではこのバザーを追った【おっかけ】なる者もいる始末で、合法的に法を犯していたりする。
 その分、値段も目玉が飛び出るほど高いものから、どうしてこれがこの値段なんだ…?と、疑問に思うほど安いものまでが取り扱われていて、得をするのも損をするのも買い手側の目利き次第と言うことになる。
 ルウィンがなぜこのバザーを選んだのか、彼にはお目当ての商品があった。
 もう、随分と草臥れてしまった光太郎のカタ族の衣装を買い換えてやりたかったのだ。以前立ち寄った時に無理矢理押し付けられてしまったカタ族の衣装だったが、思わぬ所で役に立った。どこででも手に入るという品物ではない、もしかしたら…と思ったルウィンは人でごった返すバザーに渋々来ることにしたのだ。

『はぁ~、凄いねぇ。どこからこんなに人が溢れてくるんだろう?あ、でも。ここだったら彰がいるかも…』

「手を離すなって!」

 思わずフラフラと人込みに紛れてしまいそうになった光太郎は手を引っ張られてハッとした。
 様々な人種が行き交うバザーの中央で、光太郎ほど目立つ旅人はいないのだが、逸れたら捜すだけでも骨折りなのだからいつも通り服の裾を掴んでいてもらっていた方が行動がしやすい。しかし、こんな時に限ってなぜか光太郎はフラフラとしたがるのだ。困ったもんだとルウィンが眉を寄せていると…

「ご、ごめちゃい!」

 申し訳なさそうにカタコトで謝ってくるから怒るに怒れない、全く本当に困ったものである。仕方なくルウィンは苦笑してポンッと頭を軽く叩いた。

「アキラを捜すんだろ?判ってるって。だがまずは服だ!」

 怒鳴らないと互いの声が聞こえないほど露店主たちの掛け声は威勢が良い。それに倣うように道行く旅人も、交渉する客も負けじと声を張り上げて果敢に値切っている。活気付いたバザーは、少年の心をワクワクさせても仕方のないことだ。

「服!うん、服!」

 頷いて、逸れてしまったら絶対に迷子になることが判っているから、光太郎は必死でルウィンの服の裾を掴んでいた。ルビアは人込みにうんざりしたように光太郎の頭にしがみ付いている。
 不意に掴んでいるルウィンの黄色い中国の民族衣装のような服の裾が解れているのに気付いて、光太郎はひっそりと眉を寄せた。よくよく見てみると、他の旅人と同じように…いや、それ以上にルウィンの服は草臥れているように見える。自分と旅をしている間に余計な心配をかけるものだから、必要以上に行動しなければならない彼の、その行動量に比例するようにボロボロになっているのだ。

(服…俺の服よりもルウィンの服を買わないと。でも、この人はきっと自分よりも俺のコトを考えてくれてるんだろうなぁ)

 ふと見上げると、風に揺れる銀髪から覗く先端の尖った右耳に下がる、三日月型の銀の耳飾りが揺れていた。それはキラキラと陽光を反射していてとても綺麗で、動きにあわせて揺れている。スイングするのは、耳朶で銀の台座にルビーのような紅玉が収まっているピアスで止めているからだろうか?
 彼が唯一身に付けている装飾品だ。
 他の旅人をコッソリと盗み見ると、指輪をしたりピアスをしたりと…結構装飾品を身につけている人が少なくない、と言うか、殆どの人々が何らかの装飾品を身に付けている。ルウィンの場合は極端に少ない方だ。

『それはやっぱり、俺がいるせいかなぁ…』

《何がなのね?》

 思わず呟いた独り言に頭上から声をかけられて、ハッとした光太郎は何でもないよ…と言いかけて思い直した。

『ねえ、ルビア。ほら、他の人って結構指輪とかしてるよね?ルウィンの装飾品って言ったら、右耳のあの赤い宝石から下がってる銀の月のピアスぐらいでしょ。買えないのはやっぱり俺のせいかなぁ…』

《何かと思ったら…そんなことなのね。ルウィンは女の子じゃないのだから宝石なんて興味がないの》

『そうじゃなくて…』

 装飾品を身につけることがこの世界のお洒落なら、ルウィンはハッキリ言ってダサダサだと言えるだろう。何も知らない自分がくっついて回るせいで、ルウィンが不自由をしているのだとしたら…それは凄く嫌なことだし、とても悲しいことである。何とか改善できる方法は…そこまで考えて、たった1つしかない解決方法にぶち当たった光太郎は溜め息をついた。

(俺が離れる…ってことしかないもんなぁ。あう、泣きそう)

 鼻の奥がツンとして、グスッと鼻を鳴らすと、唐突にルビアが頭上から語りかけてくる。 

《あの耳飾りをすることもホントは嫌がってるのに、それ以上何かつけろって言ったらブチ切れるのね。ルーちゃんは短気で怒りんぼーだから》

「…何の話をしてるんだよ」

 ルウィンは呆れたように肩を竦めながら装飾品や衣類を売っている区画に漸く辿り着いて周囲を見渡したが、ここでもやはり旅人が所狭しと行き来をしていてなかなか先に進むことができない。
 暫く思案していたが、一向に人が減る気配もない。
 もちろん、3日間はぶっ通しでバザーが開かれるのだ、夜になれば幾らか人手も減るのだろうが、夜半は何かと物騒だし、昼でヘトヘトになっている光太郎たちを連れて歩くのもどうかと思う。何より、早めに出立したいと言う思いもあった。

「よし!オレが買ってくるから、お前たちは目立つ所にいろ…そうだなぁ、あの大きな木の下がいい。あそこで待ってろよ?」

 頷いた光太郎とルビアを見下ろして、一抹の不安を感じたルウィンは小さな飛竜を抱き締める少年を食い入るように見下ろして頷いた。

「オレが戻ってくるまで【アキラ】を捜すのは絶対にダメだからな。もし約束を破ったら…そうだな、ぶった斬る」

《ほら、短気で怒りんぼーなのね》

「約束守る。うん、ホント」

 胡乱な目付きで睨むルビアをギュッと抱き締めてコクコクと頷く光太郎に、本気だからなとやはり物騒な一言を付け加えてからルウィンは人込みに消えてしまった。それでも背が高いから暫くは銀髪を目で追うことができたが、店の付近でヒョイッといなくなってしまった。
 すると、途端に光太郎はポツンと独りぼっちになってしまったような気がして、心細くなってギュッと両手に力を入れてしまう。

《く、苦しいのね》

『あ!ご、ごめん!!』

 そうか、ルビアがいるんだと気付いてホッとした。
 ルウィンが見えなくなったり、傍からいなくなるともうダメで、なぜか酷く不安になる。
 この世界に落ちてきた時から、もうずっとルウィンと一緒にいるせいか、彼がいなくなると捨てられた小犬のように不安で心細くてすぐにでも追いかけたくなってしまう。今だってそうだ。
 ここにルビアがいてくれなかったら、今頃自分は、待ってろと言われても追いかけていただろう。
 そんな自分がとても恥ずかしいけれど、この広い世界で、オマケに何も知らないこんな異世界でどこかにいるかもしれない彰を捜したくても、迷子になって悪ければ死んでしまうのが関の山だろう。自分は父のような天才的な冒険家というわけではないし、それほどの勇気もない。
 ルウィンと不思議な運命で出会って、光太郎は、なぜか自然と彼を受け入れていた。
 綺麗だからとか、強いからだとか…少しは打算的な考えもなかったわけじゃないけれど、右も左も判らない自分を連れて歩くことがどれほど迷惑になっているか良く判るし、それを甘受して面倒を見てくれる彼を信用しないでいられるはずもなかった。
 一種の刷り込みのような現象だったかもしれないし、違うかもしれない。
 それでも、光太郎はどちらでもいいんだと思っている。
 ルウィンのお供になろうと決めたのは、他の誰でもない、自分だったのだから。
 迷惑のかけついでなんだし、こうなったらとことんまでルウィンにお世話になろうと決めていたのだ。
 こんな中途半端な自分の面倒を見てくれるルウィンは、もしかしたら、案外どこか彰に似ているのかもしれない。クールな双眸も綺麗な顔立ちも全く違うのだが、雰囲気が、とても良く彰に似ていた。

(あ、そっか。ルウィンって彰に似てるんだ。あ、なんだ、そっかー。彰って何かあると決まって俺を連れ回してくれるんだよなぁ。で、父さんがいつもいないから、泊りがけでキャンプしたり…俺、だから父さんがいなくてもちっとも寂しくなんかなかった。彰がいれば寂しくなんかなかったんだ。だからきっと、こうしてルウィンと一緒にいられるから、俺は寂しくないし怖くもないんだろう。この見知らぬ異世界でも生きていけるんだって思う。彰…どうしてるかな?ちゃんとご飯とか食べてるかな?悪いヤツに捕まっていないかな…)

 様々なことを考えていた光太郎は不意に彰の顔を思い出して、唐突に居ても立ってもいられなくなった。

《光ちゃん。いつもは仏のルビアさまだけれど、今回はダメなのね。ここから離れてしまったら危険なの》

 不意に見透かすような大きなエメラルド色の澄んだ瞳で見上げられて、光太郎はドキッとした。大木の下は暑さを避けた旅人達の溜まり場になっていたが、光太郎とルビアが座るにはちょうど良い場所を見つけて確保していた。

『ご、ごめん』

 素直に謝る光太郎にニコッとルビアが笑ったちょうどその時、傍らで休息を取っていた際立つ美人が立ち上がった。
 長いストレートの黒髪は腰までもあって、豊かな胸にむっちりとした形の良い尻、褐色の肌は異国の匂いを漂わせていて、釣り上がり気味の細いサファイアの双眸と高い鼻梁、濡れたような薔薇色の唇がなんとも妖艶で艶かしい彼女は彼らを見下ろしてクスッと笑った。

《なんなのね?》

 ルビアが不信げに彼女を見上げると、すらりとした長身の美女はクスクスと笑いながら光太郎を見下ろしてジックリと眺めている。

「どこから来たなりか?」

 奇妙な調子で尋ねられて、光太郎はキョトンとした。でもすぐにハッと気付いて、ルウィンとの約束を思い出していた。

【魔の森のことは忘れちまえ。そして、誰にも言うんじゃない】

 脳裏を過ぎる彼の言葉に知らず頷いて、光太郎は誤魔化すように笑って首を左右に振った。

「聞くしない。言葉、ちょっと」

「言葉が判らないなりか?異国から来たなりね。誰かと逸れたなりか?」

「えーっと…」

 カタコトで答えながら矢継ぎ早の質問にあたふたしている光太郎の胸元から、ナイスバディの美女を見上げたルビアが鼻先にシワを寄せて威嚇するように口をパカッと開いた。

《ヒトにモノを尋ねる時はまず自分から名乗るべきなの。でも、ルビアたちには余計なお世話なのね!》

『る、ルビア…』

 ツンと外方向くルビアにムッとしたような美女は腰に片手を当てると、奇妙な二人連れの旅人を興味深く観察しているようだった。だがその僅かな時間で、光太郎もその風変わりな美女を繁々と観察した。
 美貌もさるものながら、彼女のむっちりとした太腿のベルトに下がったホルスターから覗く二丁の拳銃も大層な代物のようである。
 奇妙な文様が浮かぶグリップのところだけが覗いていたが、銃身はやや短いようだ。

「なんなりか、あちきの銃魔(ガンマ)が興味深いなりか?」

 ニコッと笑った美女はそう言って太腿のホルスターから拳銃を引き抜くと、やはり短い銃身の引き金の部分に指先を引っ掛けてクルクルと回した。

「あちきはバラキ。銃魔使い(ガンマツカイ)なりね。お前を気に入ったなり。何か困ったことがあったら賞金稼ぎよりも格安で依頼を引き受けてやるなり。いつでも声をかけるがいいなりね」

 そう言って構えた銃を光太郎に向けると発砲したのだ!

『わ!?』

 思わずルビアを庇うようにして身を縮めた光太郎に、バラキと名乗った妖艶な美女は声を立てて笑いながら立ち去ってしまった。

『な、なんだったんだろ…ん?』

《きー!ムカツクなりね!って、言葉がうつちゃったのねッ》

 光太郎の腕の中でジタバタしていたルビアはしかし、ひらひらと舞い降りてきた何かを拾っている少年の手許を覗き込んだ。
 それは一枚の紙片で、【薔薇姫】と綺麗な文字で書かれた横にキスマークがついていた。

《銃魔使いと言って、魔法の詰め込まれた銃弾を撃ち出す道具が使える魔法使いなの。賞金稼ぎよりもレベルは低いけれど、同じようにギルドがあって、ちゃんとした職業なのね》

『ふーん…って、ああ!?』

 光太郎の手から紙片を奪ったルビアは、興味がなさそうにそれをチラッと見下ろしただけで、怒りをぶつけるようにバリバリに破り捨ててしまったのだ。

『い、いいのかなぁ…?』

《いいのね!ルーちゃんがいるのに、銃魔使いなんて必要ないの!》

 その紙片に息を吹きかけると、どこにいても紙片に書かれた名前の持ち主が駆けつけてくる効果のある貴重な代物であることを、光太郎は知らなかった。バラバラになった紙片を舞い上げて、暑い地方に吹く恵みの風が吹きすぎて行った。

「なかなかないもんだなぁ…」

 ルウィンはカタ族特有の民族衣装を探して数件目の露店に立ち寄っていた。

「お兄さん!そこの綺麗なお兄さんっ!ご覧よ、綺麗な服が揃っているよ」

 威勢良く声をかけられたものの、あるものと言えば確かに珍しい物ばかりだったが、肝心のカタ族の衣装は見当たらなかった。

「何かお探しかの?」

 立派な顎鬚を蓄えた老人に声をかけられて、ルウィンは頷いてその露店の前に立つと無造作に並べられている衣装に視線を向けて溜め息をついた。

「カタ族の衣装が必要なんだが、こちらでは扱っているかな?」

「カタ族とな!これはまた珍しい物を…似たような服でよければこれなんかどうじゃね?」

 地面に直接敷いたカーペットの上に広げた商品の中から取り出した水色の衣装は、確かにカタ族の着るものによく似てはいたが、明らかに何か胡散臭かった。
 このバザーでもう一つ、目利きを問われるものがある。
 それは何かと言うと、ずばり、曰く物かどうかということだ。

「それは水の精霊が纏っていた水衣と言ってな、妖精がカタに卸していたものらしいぞ」

 らしい…と言う辺りがかなり胡散臭かったが、実しやかに説明する老人が差し出した衣装は確かに軽く、特殊な織り方で仕上げられていたし、手触りに独特の違和感が感じられた。こういった場合の多くは、やはり何かしらの秘術が織り込まれていると相場は決まっている。
 問題は…

「幾らだ?」

「おお、気に入ったかね。大負けに負けて、5000ギールでどうじゃ?」

「冗談!高すぎる」

 興味がなさそうに即答してから衣装を返そうとするルウィンの腕を掴んで、老人はさらに指を3本立てて見せた。

「3000ギールでどうじゃね?ん?1500ギールでもいいぞ」

 どうしてそんなに値引くんだ…と、いつもなら値引き交渉に喜んで臨むはずのルウィンは、明らかに胡散臭そうな老人を冷やかに見据えて、水衣をひらひらと振ってみせた。

「…こう言う市場でバイヤーが値引く条件その1は、何か曰くがあるからだろ」

 うっ、と言葉を詰まらせた老人はしかし、訝しげに眉を寄せる銀髪の青年に仕方なさそうに渋々と頷いてみせた。

「カタの衣装に似ていると言う理由だけで、誰も欲しがらんのじゃよ。竜使いが現れると言う予言が噂されてから、誰もカタ族に触れる物を欲しがらんのじゃ。ワシは妖精やエルフから卸した商品を扱っておるからのう、どうしても関連付けられて商売上がったりじゃよ。これなんかほれ、本当に良い品なんじゃがなぁ…」

 確かに、今のルウィンならば咽喉から手が出るほど欲しい品ばかりだ…

「よし、じゃあこれを纏めて5000ギールでどうだ?どうせ余っちまうんなら、売っておいた方が得だと思うけどな」

「ごご、5000っぽっちじゃと!?それこそ冗談ではないぞ、お若いの。これなんぞは10000ギールでも安い品なんじゃぞ、それを5000などと、いや、4着を纏めて5000…」

「売れなくて残れば40000ギールの損失だな。で、どんどん古くなって仕舞いに150かそこらでエルフから叩かれるんじゃないのか?だったら今のうちに売っておくってのも手だと思うぜ?」

 ニコッと笑う美形の青年に、ブツブツと悪態をついていた老人は暫く苦渋に満ちた表情をしていたが、渋々と言った感じで頷いた。思わぬ所で思わぬ買い物をしたと、ルウィンがホクホクしていると、傍らで買い物をしていた男が不意にそんなルウィンに気付いて声をかけてきた。

「お前さん、ハイレーン族かい?」

「…ああ」

 それが何か?とでも言うように訝しむルウィンに、彼は料金を支払って品物を受け取りながら驚いたような表情をした。

「こいつは驚いたな。故郷に帰らなくていいのかい?いや、余計なお世話なんだがなー」

「…は?」

 ギルドに貯めていた貯金を殆どおろしてきていたルウィンは、それでも安く買えた衣装代を引いてもまだ余りある巾着の口を縛って懐に仕舞うと、今夜は宿屋だと考えながら男の顔を見返した。

「は?って…知らないのか?とうとう、ハイレーン族の若き皇子が立太子の式典を催すそうじゃないか。放蕩だ何だと言われていても、やはり一国の皇子様だ。国を一番に考えておられるんだよ」

「…」

 話し好きの旅人は衣装を受け取ったルウィンにニコッと笑ったが、彼の代わりにそれまで渋い顔をしていた老人がパッと表情を変えて頷いてみせた。

「おお、そうじゃ!ここで3日を過ごした後、バザーはガルハ国に移るんじゃよ。大国ガルハの皇子が立太子とご婚儀を同時に挙げると言うことで、あの国は大層賑わってるそうじゃからなぁ」

「…ち、ちょっと待ってくれ。立太子?婚儀?どう言うことだ?」

 下手に動揺しても不信がられるとは判っているが、聞き慣れているようで全く免疫のない言葉をこうも矢継ぎ早に聞かされたのでは、さすがに心臓に毛の生えているルウィンだとて平然と聞いていられるはずがない。

「なんだ、ハイレーン族のくせに巷を賑わせている噂を本当に知らないのかよ?」

「長らく人のいる街に行ってなかったんでね。噂も聞かなかったよ」

 雪白の頬を引き攣らせて笑うルウィンに、そうか、旅人だからなぁと軽く言った男は頷くと事のあらましを説明してくれた。

「ハイレーンの若き皇子様はなんか知らんが、15歳の元服式で皇位継承権を拒否して以来、未だに継承されていないらしい。だから正当なる皇太子殿下でありながら、未だに皇太子じゃないんだよ。もちろん、それは知ってるよな?で、その皇子様がいよいよ皇位継承権を受けて正式な皇太子殿下になられるってワケさ。それもご正妃を決めるご婚儀を控えてって噂なんだ。皇帝陛下が触れを出して、我こそは!と思っている美姫や美女をそれこそ世界中から集めているらしいし…強ち嘘っぱちの噂でもないらしいんだ。後宮じゃもう、新たな皇太子殿下のために各国の王族の姫君や貴族の姫君が我先にってお輿入れしているそうだからなぁ。いいよなぁ、一国の皇子ともなると世界中の美女の中から飛び切り綺麗な女を選べるんだから!…って、おい、どこ行くんだ?」

 信じられない噂を耳にしたルウィンは、軽く礼を言ってその場から立ち去ろうとした。

「なんでも、皇帝陛下が病床に倒れたらしくて、皇子も仕方なかったんだろう。一国の皇子ともなれば自由の利かない身の上だからなぁ」

 目の前にいる、件のガルハ国第一皇子の性格を全くよく理解していない人間の青年は、尤もらしくそう言うと、気の毒そうに自由奔放なはずの放蕩皇子の身の上を慮って頷いている。聞き捨てならないのは最初の台詞だ。

「…陛下が倒れただって?」

 ピタリと足を止めたルウィンが振り返ると、男は肩を竦めて頷いた。双眸を細めて見ても怯むだけで、嘘だと言うわけではなさそうだ。

(そんなバカな…父上の御世はまだ続くはず)

 母譲りの先見で見た未来は未だ父の健在を物語っていたはずなのに…出来すぎた話の裏にはきっと何かあるはずだ。こんな旅先のバザーにまで聞こえるように、国家の大事を吹聴する国はない。皇帝陛下の病状は、常に一部の者に留めおかれて密やかに行動を起こすものだ。なるほど、いよいよ業を煮やした父王が最終手段に訴えたのだろう。

(なんにせよ、帰るなりいきなり見知らぬ女に引き合わせられて、「お前の妃だ」なんて言われるのもたまらんし。これは…一度城に戻らないといけないようだな)

 踵を返したルウィンはさて、光太郎をどうしたものかと考えながら大木の根元を目指した。
 指先で何かを地面に書いてはルビアと笑いあう少年、ウルフラインに連れて行ってやると約束したのだが…どんな顔をするんだろうか?
 置いていくわけにはいかないが、連れて行くわけにもいかないだろう。
 なぜかルウィンは、光太郎に自分がガルハ帝国の次代後継者だと言うことを言い出せないでいた。
 それは恐らく…彼が【竜使い】で、自分が【竜騎士】の末裔だからだろう。
 【竜騎士】の末裔のみに伝わる伝承。
 それはルビアさえも知らない秘伝で…ガルハ国ではバーバレーン家、コウエリフェル国ではジュレイン家、レセフト国ではコウ家のみに受け継がれてきた伝承である。
 この巡り合わせも皮肉なもので…竜使いである光太郎を【殺すため】に存在する竜騎士の末裔であるルウィン、いや、ガルハ国のアスティア=シェア=バーバレーン。
 殺すために連れまわしているのか…考えあぐねても出てこない答えに翻弄しながら、旅を続ける自分たち。
 どこを目指しているのか…なんのために?
 たとえ国に連れ帰ったとしても彼が【竜使い】だとばれても困る。そちらの方が大問題になるだろう。
 王家の問題ともなれば【眠れぬ森】からあの方が御出座しする…とすればやはり、連れ帰るわけにはいかない。
 占者の目を騙せたとしても、恐らく母であり兄である、あの方の目だけは騙せない。
 木陰から自分の姿を認めたのだろう、ニコッと笑ってルビアを抱き締めて立ち上がる光太郎を眩しそうに見つめ返したルウィンは、これからどうしようかと頭を痛めていた。
 暑い地方を潤す吹きすぎる風が、一枚の紙片を舞わせてルウィンの足許に落としていった。

第一章.特訓!14  -遠くをめざして旅をしよう-

 仲間に弄ばれて…もとい、戻ってくるよう諭されて、それを言い包めて戻ってきたデュアルを待っていたのは、眠ってるの?と聞きたくなるほど細い目をしたリジュの深刻な眼差しだった。

「最初っから言えばいいのにさ。これだからレジスタンスは手に負えないねぇ」

 全くもって興味のなさそうな口調で欠伸を噛み殺すふざけたピエロに、コウエリフェルの王宮竜騎士団の団長であるリジュはこめかみに痛みを感じながら溜め息をついた。
 深刻な表情をしたリジュはその手にレジスタンスから届けられたと見受けられる書状のような物を持っていて、これからすぐに地下にある彼らのアジトに来るように…と書かれた文章に困り果てていたのだ。どんな時でも旅道化と行動を共にしなくてはならないリジュは、彼の不在に慌てていた…ちょうどそこに件の道化師がご帰還召されたと言うわけだ。
 宿屋を出る時には月は中空から幾分か傾いでいたし、家に灯る明かりも少なかったことから、今が真夜中であることは嫌でも判る。そんな夜半過ぎに、彼らは汚水が垂れ流しになっている地下道を松明の明かりだけを頼りに進んでいた。

「何があるんだろうねぇ?」

 水滴が天井から落ちて脇を流れる汚水に跳ねる音が響いて、反響する壁に手をつきながら松明を翳して進むリジュは、先ほどからうるさいぐらいに良く喋るピエロを胡乱な目付きで振り返った。

「なんでも、珍しい客が来るんだそうだ。俺たちに会いたいと言っているらしい」

 口調はきわめて冷静。
 リジュはいつの間にかデュアルに免疫力をつけていたらしい。

「お客さん?」

 目を丸くするピエロに肩を竦めたリジュは歩行を再開する。

「ねーねー、それってやっぱコウエリフェルのお役人さんかなぁ?それとも、全く予想外の人物だったり?まあ、いずれにしろここにいるってことがバレてるってのは確かだねー」

 続けざまに口を開いて言いたいことだけを言ったデュアルは肩を竦めると、気のない口笛なんかを吹きながら竜騎士団の団長の後を追った。
 始めの頃、まだ小さかった【紅の牙】と名乗るレジスタンスたちのアジトは、下水の流れ込む地下水路の、遠い昔にここを建設した人々が使っていたのだろう、朽ちた仮眠所を使用していた。それを増築したり改築したりと、長い時間をかけてどんどん拡張していった為に、ウルフラインの裏の顔のように何時の間にか地下都市として構築されていた。
 リジュが松明の明かりを人目につきにくい場所にある壁に取り付けられた鉄製の火消し具に押し込むと、デュアルは訝しげな顔をしたが、納得がいったのか何も言わなかった。
 リジュが灯火を消したのはそこからが地下都市の入り口となっていたからだ。
 都市の入り口、瑣末な鉄組みの梯子を下に降りると、いきなり開けた広場に出る。そこが中央通りになっていて、八方に道が別れていた。
 皮肉なことに、彼らの主である【紅の牙】の頭領カインのいる館は、ウルフライン城の地下の真下になっていた。

「こんなに人がいるのに、どうしてウルフライン王は取り締まろうとしないんだろうね?」

 デュアルが物珍しそうにキョロキョロと辺りを見渡しながら気のない調子で訝ると、先を進んでいたリジュが肩を竦めてそれに答えた。

「彼らも丸っきりバカと言うわけではない。ダミーや囮の扉に騙されて、何人もの兵士が命を落としたらしい。探索の手は当の昔に諦めたのだろう」

「ふーん。たかが子供の集まり。されど子供の集まりねぇ…痛いしっぺ返しが来なきゃいいけど」

 さほど心配もしていないくせに、面白そうにそう言うとデュアルはもう一度欠伸を噛み殺した。
 デュアルはリジュに伴われなければこの場所を知ることはなかったのだ。リジュ自身でさえ書状を見なければこの場所を知ることはなかっただろう。自分たちが通されたあの場所が、本来はダミーの部屋であることに、ここに来て初めて気付いたといった具合だ。
 漆黒の闇をともす松明の明かりが、まるでモグラにでもなったような錯覚を起こすあの暗い通路を抜けた町を、まるで真昼のように明るくしていた。明り取りの空気は常に供給される仕組みになっているのか、大きな機械仕掛けの扇風機のような物が天井で回っていて、デュアルは初めて見る巨大な物体に目を丸くこそしたがあまり興味はないようだった。
 町は広かった。
 普通の町と言っても過言ではない広大さに、ピエロはここに来ればもうちょっと儲けられるかもね、と道化師団【クラウン】の総帥の顔を思い出して小さく笑った。
 上の町とは裏腹に、おかしなことに、地下都市の連中の顔は明るかった。そこかしこで呼び込みの威勢のいい掛け声がしたかと思うと、子供たちがハシャギながら駆けて行く。どこにでもある町の風景だが、ウルフラインの首都アセンハラでは既に見なくなってから久しい光景である。
 …と言うよりもむしろ、この時間帯に子供が無邪気に走り回っているのは大問題なのだが。そう言ってしまうと、四六時中何かしらの露店が建ち並んでいること自体が、この町の異様さを物語っているとも言える。まるで眠らない町だ。
 夜半をもう随分と過ぎていると言うのに暗夜の町の住人たちは誰もが元気だった。長らく日の光を浴びていないと判るのは、透けるように白い肌をしていると言うだけで、それだって地上に仕出しに行くのだろう露店の主などにいたっては、太陽に見事に焼けている。年老いた者、まだ幼い子供を除けば、皆が皆健康的な肌を持っている。
 八方の別れた一番端の露店の建ち並ぶ通路を人込みを避けながら進むと暫くして、リジュは一軒の3階建ての家の前で立ち止まった。ゆっくりと後方から追いついたデュアルが腰に手を当てると、大層な門構えの屋敷を見上げて眉をヒョイッと上げて見せる。

「ここなの?なんとまぁ、随分とご立派なことで…」

「いや、この屋敷を入って中庭に行く。そこにある井戸に入ってさらに真っ直ぐ進む…らしい」

「らしい…って。はぁ、まだ歩かなきゃならないの?もう、ヘトヘトだよ~」

 なんか、帰りたくなって来たんですけども…とブツブツ悪態を吐きながら首を左右に振ってガックシと項垂れたデュアルを促して、苦笑したリジュは大きな扉に下がるノッカーを勢い良くガツンガツンと鳴らしてから問答無用でドアを開けて入り込んでしまった。

「団長さん…結構アクティブになったじゃん。惚れ直しそうよ」

 趣味の悪い冗談を言って腐るデュアルを無視して、やけに無用心な屋敷へと潜入した。
 屋敷の内部は思ったほど広くはなく、正面にある階段の左右にはファタルの御使いだと称される有翼の女神像が建立されていた。

「ふーん、趣味だけは良さげだねぇ」

 そう言ってデュアルが女神像に触れた。

「あ!このバカ…ッ」

 リジュがハッとした時には既に遅く、ゴウッ…と風を切って飛んできた鋭利な鎌がデュアルに直撃した!…が、陽気なピエロは一瞬早く跳躍していて、その左右にゴウンゴウンと揺れる鎌の上に面倒臭そうに座って頬杖などをついていた。

「やっぱ、趣味がいいね。このお屋敷」

「降りて来い。行くぞ」

 小さく息をついてから気を取り直したリジュはそう言うと、既にスタスタと歩き出していた。

「あ、待ってよ~」

 大鎌の上からヒョイッと飛び降りたデュアルはサッサと中庭を目指すリジュを追いかけて、その後、あの大鎌はまた元の位置に戻る仕組みになっているのか確認したかったのだが、止む無く諦めて奇妙なエントランスを後にした。

 随分と進んだ一行が漸くカインの居住区であるアジトに辿り着いた時には、デュアルは眠気も頂点に来ていたのか、胡乱な淀んだ双眸で暗い室内を見渡した。石造りの室内は寒々としていて、地下都市にあるような活気は見受けられなかった。裏寂れた場所は彼らのボスの根城と呼ぶにはあまりにもお粗末で、墓場と呼んだほうがお似合いの陰気臭さだった。
 だが、上階にあるウルフライン城が給水として引いている井戸があって、地下水脈が豊富なことを物語るように石で囲んだ貯水場は並々と清らかな水を湛えている。
 つまり、ここはちょうど調理場の下に位置するらしい。
 剥き出しの岩に背を預けるようにして腕を組むリジュは、先刻、最初ここに来た時に道案内をしていた少女に言い渡されて瞑目して時間を過ごしていた。その間も、客人とは何者なのか、どう言った用件なのかと言った疑問をあれこれと推理しているようだ。
 一方、デュアルはそんな風に静かに待つことほど退屈なものはないと考えている彼らしく、ブラブラと歩き回っていたが所詮狭い地下室のようなものだ。すぐにやることがなくなって貯水場の岩に凭れながら欠伸を噛み殺した。
 昨夜から殆ど寝ていないのはリジュも一緒だが、忍耐力のとことんないお気楽極楽の旅道化としては、このままクラウンに帰ったほうが追っ手がかかって楽しいかもしれないと、そんな物騒なことを考えていた。
 と。
 何かの気配を感じてリジュを見たが、彼は何も感じなかったのか、相変わらず瞑目して何事かを考えているようだった。訝しみながら首を傾げていたデュアルが何度目かの欠伸をしながらふと、貯水池に目線を落とした時だった。不意に彼の行動が止まって、欠伸を仕掛けたままでジッと池を見下ろしている。

「…?」

 唐突に賑やかだったピエロが大人しくなったことに異変を感じたのか、リジュは双眸を開くと興味津々と言った感じで池を覗き込む派手な衣装を見つけて声をかけた。

「どうした…」

「ねえ、団長さん。人間が浮いてくるよ」

「は?何をバカなことを…」

 言いかけて、デュアルの傍らまで来て池を覗き込んだリジュもやはり、唐突に動きを止めて、食い入るように池を凝視してしまった。
 水面がゆらりと揺れる。
 深淵のように深い…わけがないはずの貯水池の遥か下方から、純白のローブをユラリと漂わせた何者かが浮き上がって来ようとしていたのだ。始め小さかったその姿はグングンと大きくなると、身体中から水滴を滴らせて水面に浮き上がり、不意に驚愕に目を見開いているリジュと訝しそうに眉を寄せるデュアルの目の前で水面に立ち上がったのだ。
 まるで平然とした足取りで水面を優雅に渡りきったその時には、既に純白のローブを滴らせていた水滴はものの見事に消えていた。まるで何もなかったかのように音もなく岩場から舞い降りた優雅な人物は、目深にフードを被ったままで彼らを無視して奥に続く通路をゆっくりと歩いていたが、闖入者の来訪を知ったのか、奥から姿を現わした『紅の牙』の頭領に気付くとその場で立ち止まった。

「これはようこそ。コウエリフェルの」

「無駄口は結構です。用件は手短に」

 凛と澄んだ声音はこのような陰気地味た暗い地下洞窟のような場所ではなく、気品溢れる地上の静謐とした神殿にこそ似つかわしいとリジュが思ったとき、不意に黙り込んでいたデュアルがあっけらかんと口を開いたのだ。

「あれぇ?その声はファルちゃんじゃない?」

 ファルと名指しされた純白のローブの人物は一瞬、僅かに肩を揺らしたように見えたが、フードの裾から覗く形の良い綺麗な口許が小さく笑みを象るのをカインは見逃さなかった。

「…わたくしの声を覚えておいでだとは。さすがデュアルさまと言っておきましょう」

 まるで地下の瘴気にやられるのを疎んでいるように、この綺麗な客人は常に純白のローブを着て、フードの下にそのかんばせを隠していた。下賎の輩に見せる為にある顔ではないとでも言うような客人の態度にはムッとすることもあるカインだが、正規軍と唯一戦える強国の主が遣わした高貴な使者である。その態度を咎めて諍うわけにはいかないのだ。
 その高貴な使者が、今日はこともあろうか、滅多に見せない花のかんばせを惜し気もなく瘴気の元に晒したのだ。カインが驚かないはずがない。

「やっぱり~。ファルちゃん、元気そうだねぇ」

「これは…ファルレシアさま」

 慌てたように片膝を付く古式に則った騎士の礼をしながら驚いたような呆気に取られた表情をするリジュに、フードを肩に払ったコウエリフェル国最高神官であるファルレシア=ストーンは、腰までもある豊かな流れ落ちる蜂蜜の滝のような黄金の絹糸を模した髪を惜し気もなく晒し、奇跡が彫刻を人間に戻したかのような整った女神の顔立ちでゆったりと、神々しく微笑んだ。

「団長さまもご健在で何よりでございます。どうぞ、面を上げてくださいませ」

 雪白の額に揺れる涙型の水晶が下がる額飾りは大神官の証であり、それはとてもよく、この女神とも見紛うばかりの美しいファルレシアに似合っていた。
 春の陽光のように穏やかな笑みを絶やさない口許は、天然色素が淡い桜色で、一目見た者の心を奪わざるを得ない麗しさだった。彼を見たさに毎日信者がバラシャティ神殿に詰め掛けるほどなのだ。この朴訥としたリジュですら、あまりの神々しさに畏怖を感じ、近寄りがたい存在だと認識し尊敬しているほどだった。

「ファルレシアさまがなぜこの様な所に…?」

「決まってるでしょ?ウルフラインへの内通者だよ」

 一概には信じられない事態にリジュが動転しても仕方ないのだが、あっさりと秘密をバラす普段通りで怯みもしないデュアルにファルレシアはクスクスと笑った。
 どうなっているんだと聞きたいのはリジュばかりでなくカインもだった。まるで取り残されたように事の成り行きを見守る彼の前で、デュアルは腰に手を当てて呆れたような溜め息をついた。

「随分と信用されていないんだねぇ。あのセイラン皇子が大事~にしているファルちゃんを偵察に寄越すなんてさー」

「信用していないはずなどありません」

 よく晴れた空を切り取って水晶に閉じ込めて凍らせたような双眸を僅かに細めて、ファルレシアは不機嫌そうに唇を突き出してフンッと外方向く旅道化を見つめて言葉を続けた。

「あのお方はそれだけ【竜使い】さまの御出座しを心から望んでおいでなのです」

「竜使いねぇ…ふーん」

 殺してしまえと嘯く皇子の、あのニヤけた甘い顔を思い出しながら、デュアルは舌を出して胸焼けを回避しようとした。

「それで?どんな御用を仰せつかって参られたの?」

 わざとらしく丁寧そうに、丁寧ではなくあくまで丁寧そうに尋ねるデュアルに、ファルレシアは双眸を閉じてクスクスと笑う。

「此度は殿下の御言い付けで参ったのではありません。わたくしが個人的に、デュアルさまと団長さまに無駄をして欲しくないから参ったのでございます」

「…と言うことはまさか」

 デュアルが嫌そうな顔をして傍らに立つリジュを見たのと、眠っているように細い目を訝しそうにさらに細めているリジュが目線を合わせたのはほぼ同時だった。
 派手なピエロが溜め息をつく。

「竜使いさまはどうやらこちらには御出でにならないご様子です。旅路を改められませ」

 ニッコリと微笑んだファルレシアの痛恨の一言は彼らの無駄な徒労を慰めてもくれなかった。
 結局、デュアルとリジュは振り出しに戻ることになった。
 いずれまたの再見を勝手に誓って、彼らは呆気に取られている『紅の牙』の頭領に別れを告げるとサッサと地下都市を後にしたのだった。

「…どう言うことだ?」

 彼らの去った地下洞窟で、貯水池の岩に腰掛けて水面に片足を浸すファルレシアに、困惑した面持ちでカインが口を開いた。

「聞いたままですよ」

 長い黄金の髪が冷たい地下水を湛える池に零れ落ちて、松明の明かりをきらきらと反射していた。

「アンタはここに舞い降りるだろう竜使いを狙って来てたんだろうがよ」

 素っ気無い態度にムッとしながら唇を尖らせると、長い髪を煩わしそうに肩に払うファルレシアは冷やかにそんな幼いレジスタンスのボスを見遣って微笑んだ。

「時が延びたと言うだけです。いずれこちらに参られることでしょう」

 ふと、本来なら見えることなどけしてない頭上の井戸の入り口を振り仰いで、ファルレシアは囁くように呟いた。

「…なぜ、それをヤツらに教えなかったんだ?」

「…さて?」

 クスッと微笑んだファルレシアは不意に水が滴る白く艶かしい足を水面から引き上げると、足を組むようにして岩場に座りなおした。麗しいコウエリフェルの大神官は、同時に邪悪な面も持ち合わせている、創造主が創りたもうた最高傑作の【人間】だった。

「さあ、よくできた貴方にはご褒美が必要です…」

 うっとりと微笑む神官の表情に吸い込まれるようにして、カインはその足許にフラフラと赴くと跪き、レジスタンスを束ねる屈強なる彼らの頭領は、何かに惑うようにその高貴で淫らな白い足に口唇を寄せた。
 ゴツゴツとした岩を背中に感じながら、覆い被さってくる若い肉体に両腕を這わせて、ファルレシアは天上で灯りを燈すウルフラインの井戸を睨みつけていた。

第一章.特訓!13  -遠くをめざして旅をしよう-

 潮風を受けて帆を張る美しい海賊船、その名も【女神の涙号】は闇夜に白い波頭を蹴立てて快走していた。
 宵も幾分か過ぎ、しっとりと肌に馴染む潮風を受けて、どうしたことか、その夜の晩餐は甲板でしようと、海賊船の美しい名とは裏腹の豪胆な彼らの主が突発的に言い出して、急場の食卓が手下たちの手引きで恙無く用意されることになった。
 そんな甲板で、海賊どもの主であるレッシュ=ノート=バートンは傍らに美しい異国の姫を侍らせてデッキチェアに長々と寝そべっていた。ウェストに回された逞しい腕を意識することもなく、鳥人族という稀有な種族が治めるバイオルガン国の第5皇女シュメラは退屈そうに玻璃の杯を弄びながら、レッシュに気だるげに身体を預けて唇を突き出している。
 そして、そんな風に怠惰な時間を過ごす彼らの前に、肩で息をしながら両手に持っていた食器を仮設のテーブルに投げ出すようにドンッと置いた下っ端海賊、そう、御崎彰がムッとした顔で立ちはだかった…からと言ってそれがどうしたと言われそうだが、現にそんな目付きでシュメラは見ていたが、レッシュは呑気に欠伸を噛み殺しながら肩を竦めた。

「どうした?」

 海賊の一員としてまずは下っ端の仕事、給仕に勤しむよう言いつけられた彰は「別に」と不貞腐れてそう言ったが、傍らにお目付けとしてついて回っているヒースがそんなチビ海賊の頭をグーで殴った。

『イテッ!』

 涙目で睨みながら頭を両手で抱える彰に、レッシュはプッと笑ってテーブルの上にある肉を抓んで口に放った。

「レッシュ、あんたに頼みがある!」

 数日前、不意に真摯な双眸をした彰が言った台詞を思い出して、レッシュはまた愉快になった。
 真剣な目付きをして何を言い出すのかと思ったら、この何処か遠くから来た異世界の旅人は、自分を海賊にしてくれと言い出したのだ。モチロン、デッキチェアに長く寝そべっていたレッシュは飲みかけていた酒を噴き出し、傍らを通りかけていたヒースはスッ転び、炎豪と恐れられる海賊のお頭の傍らに座っていたシュメラは目を丸くした。遠くの方で仲間の海賊たちはハラハラと結構気に入っている彰に天誅が下らないことを祈っていた。
 海賊…と言うのはあくまでも仮のことで、本当は剣の扱い方を教えてくれと言い出した彰の表情は、どう見ても真剣そのもので、俄かに笑いがこみ上げてきたレッシュたちは、すぐに腹を抱えて大笑いしたのだ。

「な、なんで笑う!?俺、ヘンなこと言ったか!?」

 ムッとした彰に、レッシュは「いやいや…」と頭を左右に振って何か言おうとしたが、それよりも早くシュメラが口を開いていた。

「あんた、馬鹿じゃないの?そんな生っちろい腕で何ができるって言うのよ。そこらの女よりもひ弱そうじゃない」

 そう言って鼻先で笑う。
 辛辣な台詞もシュメラならではで、これで反撃した海賊の連中の何人かは鼻っ柱を事実上へし折られた。
 スレイブに並ぶ戦闘部族のパイムルレイールの第5皇女である、並み居る海賊などよりもはるかに腕は立つ。それをヒースに聞いていた彰は、綺麗な顔に小生意気そうな表情を浮かべているシュメラをムッとしたように見たが、今はそれどころではないのだ。

「俺に剣の使い方を教えてくれ」

 もう一度同じことを言った彰に、まだ判らないの?とでも言いたそうに鼻先で笑って肩を竦めるシュメラの頭を軽く押しやって、レッシュはクックッと笑いながら不貞腐れたように唇を尖らせている少年を真っ向から凝視した。

「いいだろう。しかし、この船で剣技を学ぶと言うことは即ち海賊になる、と言うことだ。その辺はもちろん、心得ているんだよな?」

「え?…わ、かった」

 少しギョッとしたように一瞬怯んだ彰はしかし、それでも決意したようにクッと唇を噛み締めてレッシュの灰色の隻眼を睨みつけた。大した度胸だと感心しながらも、笑い出したいのを必死で堪えている根性の悪い海賊のボスは、どこまで持つのか、その度胸を買ってみるのも悪くないと考えた。

「よかろう。じゃあ、まずは下っ端から頑張るんだな。剣技は俺が見て、いいだろうと合格点が出た時に教えてやる。下働きにせいぜい励むといい」

 クックッと笑うレッシュを呆れたように見上げていたシュメラはしかし、肩を竦めると大きなパッチリとした蒼い双眸を挑発的に細めてクスッと笑った。

「その時は私が教えてあげるわ。いいわよね、レッシュ?」

 厄介なことになりそうだな…とは思うものの、なぜシュメラがそこまで彰を目の敵にするのかいまいちよく判らなかったが、パイムルレイールの誉れ高いシュメラに扱かれるなら腕も上達するだろうと曖昧に返事を濁した。そんなことよりも、なぜ彰が突然、剣技を学びたいなどと言い出したのか、そのことの方が気になっていた。
 ブツブツと悪態をつきながらヒースに促されて立ち去る彰の後姿を見送りながら、レッシュは今更ながら【ファタルの竜使い】と呼ばれる異世界人の不可思議さに惹かれていた。
 なぜこんなにも惹かれるのか…炎豪の海賊には理解し難い感情が渦巻いている。
 闇夜に吹く海よりの風は、なぜか焦燥感を駆り立てて、心許無い不安感を募らせる。そんな意味不明の感情を紛らわせるように、不思議そうな顔をするシュメラを無視して玻璃の杯を満たす酒を豪快に呷った。

 【疾風】と呼ばれる海賊ゲイルの船には医者やコックも乗っていた。
 その事実に驚きながらも、彰は必死で仰せ付かった皿洗いに奮闘している。
 バイトで皿洗いをしたことはあるものの、こんな風に豪快な汚れ物を洗ったのは初めてだ。どんな食べ方をしているんだと首を傾げたくなった。

「おい、シア。そっちが済んだら飯を食え」

「う、うぃッス!」

 ゴシゴシと皿を磨き上げていた彰は、ボロの椅子に腰掛けて奇妙な巻き物を読みながら葉巻を咥えたオヤジが、自分の向かいにある椅子を顎で示しながら睨み据えてくると元気よく頷いて、さらに気合いを入れて皿洗いに精を出した。
 シア…と言うのは、彼の故郷の古い言葉で【辿り着いたもの】と言う意味があるらしい。彰と言う発音を呼べないでいた老齢のコックは、咳き込むようにして彼のことをシアと呼んだのだ。
 以来、彰もそう呼ばれることをそれほど嫌だとは思ってはいなかった。
 甲板掃除も洗濯も見張りもどれも骨が折れるし、皿洗いほどきつい重労働もないのだが、彰はここにいる間がどんな時よりも好きだった。
 老齢なコックは寡黙で口数は少ないし、極めて厳つい顔をしている。取っ付き難いことこの上ないと言った感じに船員たちも結構恐れているようで、飯時以外は顔を覗かせる者は皆無に等しかった。それも、恐らくは独特な地方の暮らしをしてきたコックが言葉をうまく操れないことに端を発しているのだろうが、唯一例外である彰はお構いなしに食堂によく顔を覗かせている。
 そして決まって皿洗いの任を仰せ付かるのだ。

「よっし、終わり!…さて、ご飯♪」

 喜び勇んでコックの前の席を陣取ると、口当たりのさっぱりした飲み物を飲んだ。
 老コックの作る料理はどれも逸品で、ことさら肉じゃがと言ったらおふくろの味そのものだ。【お袋の味】は万国共通のように、異世界でも共通のようだと彰は酷く感心していた。
 無愛想で朴訥としたコックはニコリともしないが、レッシュが一人で平らげる逸品料理を、わざわざ彰のために分けて取って置いてくれたりする。それを彼が気付いたのは、下っ端海賊になって2日目のことだった。
 その場所がなんであるのか、まだゲイルに落ちてきたばかりの頃、彰は船内を隈なく探検…もとい、散策していた時に突然「皿洗いをしろッ」と怒鳴られたのが彼と年老いたコックとの出会いだった。
 すぐにヒースに見つかってレッシュの足元に戻されてしまったが、それ以来、いつか厨房に忍び込んでやろうと思っていた。美味しい匂いが鼻腔を擽り、ほんの束の間、料理上手だった光太郎を思い出せるからだ。

「飯を食ったら戻っていいぞ」

 単発の言葉でしかコミュニケーションが取れないコックに頷きながら、彰は木製のボウルにたっぷりと入っている肉じゃがもどきに同じく木製のスプーンを突っ込んで首を傾げた。

「いつも読んでる、本?なに、それ?」

「あん?これか?これはな、ワシの故郷の伝承が書いてある物語だ」

「物語ってことは…小説?」

 あむあむとほんのり甘いジャガイモもどきに舌鼓を打って、最高に至福のときを味わいながら首を傾げる彰に、コックは白髪の混じるモジャモジャの眉をヒョイッと上げて手にした巻き物に視線を落とした。

「小説か…それは違うぞ。これは偉大なるスー=イー=アが書いたブルーオーブ伝説だ」

 なぜか彰とは良く喋るコックは、いつものことながら故郷の偉大なる賢者を称えながら、彰が気になって仕方がない単語を口にする。

「ブルーオーブ?」

「うむ。今は亡きブルーランド国の秘宝だ」

 木のスプーンを弄びながら、彰は恐る恐る、しかしそうとは気取られないように素知らぬ顔でさらに尋ねてみたが、老コックはそれ以上詳しいことは教えてくれない。
 チェッと舌打ちして木のボウルを両手で掴むと、最後のスープを勢いよく咽喉に流し込んだ。味わって食べるためにある逸品料理は、海賊どもにかかると散々なモノになる…と、老コックが嘆いているかどうかは謎だが、少なからず頭を抱える理由にはなるだろう。
 彰が剣術を習おうと思ったのにはわけがあった。
 この船はいずれ陸地に停泊するのだということを、下っ端海賊の連中が実しやかに噂していたのだ。それも緑豊かな商業の町らしい。中立国ということもあって内乱が勃発している厄介な国だが、寄航するには物資の供給にちょうどいいのだと老コックも言っていた。
 その港で…脱走する。
 その為にも、剣術は必ず必要だろうと思ったのだ。
 人目の多い港でまさか、剣を揮って捕まえるようなことはないだろうが…チャンスは僅かに一回きり。それを逃してしまえばどこに連れて行かれるのか判ったもんじゃない。
 美味しい飲料水に唇を湿らせながら、彰はこの静かな場所で考えていた。
 港に着いて脱走に成功したら、まずはこの世界の地図を手に入れよう。そうして、いなくなってしまった最愛の幼馴染みを救出して、神秘の秘宝だと呼ばれるブルーオーブを見つけ出すのだ。
 自分のように、ワケが判らないまでもなんとかまともそうな船に拾われたのならまだしも、もしヘンな連中に捕まっていたらどうしよう…
 彰を悩ませている最大の原因はそれだった。
 一見、酷く頼りなさそうに見えるが性格はバリバリ世界一の冒険野郎だった父親の血を見事に受け継いでいるせいか、言い出したらきかないところもある。そのくせ、寂しがり屋で涙脆いところがあって、泣いていなければいいのだが。
 必ず助け出してやる。
 そして、元の世界に戻るためのキーになっているだろう、神秘の秘宝を一緒に見つけ出そう。
 それは気が遠くなりそうな冒険かもしれないし、光太郎を見つけ出すことだって酷く困難な旅になるかもしれない。だが、何も考えずに行動するよりも、希望がある方がずいぶんと気楽になれる。
 きっと光太郎はこの世界の何処かにいる。
 長い付き合いの幼馴染みの勘だ、そんなに容易く間違うはずがない。
 自分と同じように、唯一、この世界で元の世界を知るただ独りの仲間…彰は光太郎がいれば強くなれる。
 そんな風に考えていた。
 光太郎と一緒に元の世界に戻ろう、そのためにはきっといつか、ブルーオーブと呼ばれる神秘の秘宝が必要となってくるはずだ。

 彰がここを訪れる理由は、美味しい料理と老コックの零れ話。
 そして…
 賢い彰がここを訪れる本当の理由は、どこかにあると言われる神秘の秘宝の僅かな情報。
 どこかにあったと言われる大国ブルーランドの国宝で、どんな姿をしているのか、それがなんであるのか、実は全くと言っていいほど謎に満ちた神秘の秘宝ブルーオーブ。
 もしかしたら…その秘宝を手に入れれば元の世界に戻れるのでは?
 彰が期待したとしても、無理のない話だった。

第一章.特訓!12  -遠くをめざして旅をしよう-

 根気良く説明を続けたルウィンが勝利したのはそれから暫く後のことで、片言の共通語と懸命に戦っていた光太郎が既にダウンしてベッドに大の字になって倒れ込んでいるその傍らで、小さな深紅の飛竜はパカッと大きく口を開いて欠伸をしている。
 光太郎が安らかな寝息を立て始めた頃に、ハイレーンの若い賞金稼ぎも壁に背を預けて、片膝を抱えながら双眸を閉じて息を潜めていた。
 中空に月が集う頃にはこの小さな村の住人は既に眠りの中で、星のざわめきさえも聞こえてきそうな夜のしじまにカークーの微かな息遣いが虫の音に混じって時折洩れ聞こえてくる。
 ルウィンの鋭敏な聴覚はそれら全てを正確に捕らえ、自然の紡ぐささやかな物音すらも何気なく聞いているほどだ。彼らの種族は魔と交わることによって得たものも少なくはないが、その分、それによって大切なものを見失ってしまったことも、また事実であった。
 夜の闇は永らくの友であり、また憎むべき仇でもある。
 双眸を閉じたルウィンが何事を思い、その静かな夜更けに思考を巡らせているのか、彼の小さな相棒には理解することができないでいた。
 小さな深紅の飛竜は傍らで寝息を立てる少年を起こさないようにと、左右のベッドに挟まれた床に静かに舞い降りてペタリと腰を降ろすと、その心の奥底までも見抜いてしまいそうなエメラルドの大きな双眸で、黒髪の少年の背中越しに見える窓から覗く月を見上げていた。
 月の前を雲が通り過ぎようとして、影絵のように浮かび上がる村や牧場に一瞬、天然のストロボが点滅すると、ふと、ルウィンの神秘的な青紫の双眸が姿を現して月を睨みつけた。

「来た」

 形の良い唇が微かに動いて低音のフレーズを紡ぐと、小さな飛竜はこの時を待っていたのだと言わんばかりの素早さでスクッと立ち上がって頷いてみせる。

《驚いたのね。こんな小さな村にシーギーが現れるなんて、何かの間違いなの。それを確かめるのね!》

 呟くように言った飛竜の傍らに降り立った長身の青年は、鞘に銀色の鎖が何かを封じ込めようとでもするかのように巻き付いた剣を片手で掴んで腰に下げながら、そんなルビアを見下ろした。

「お前はここにいてコータローを見張ってろ」

《…は?何を言ってるのね、ルーちゃん。護っていろの間違いなのね》

「いいや」

 ルウィンは人の悪い笑みをニヤリと浮かべると鬱陶しそうに銀色の前髪を掻き上げながら、肩を竦めて寝息を立てる光太郎を見下ろした。

「言葉どおりさ。どーせコイツのことだ、なんでも見たがって、目が覚めたら来たがるだろうからな。身動きしないように見張ってろ」

《…ふーん。先手必勝ってワケなのね》

 ルビアが呆れたように溜め息をつくと、ルウィンは肩を竦めて笑うだけで、何も言わずに部屋から出て行ってしまった。
 その長身の後姿を見送りながら。

《でもその約束が守られるかどうかは、約束できないのね…》

 ルビアが呟くように洩らしたその背後で、ガバッと起き上がった光太郎が口許を拭いながらキョロキョロと辺りを見回した。

『や、ヤバイよ!眠っちゃってた!!…って、あれ?ルビア、ルウィンは?…もしかして』

《その〝もしかして〟が正しいのね。ルーちゃんはシーギー退治に出掛けてしまったの》

『ええーッ!?…ってことは、足手纏いだから俺は置いてけぼりってこと~?』

 ガクッとベッドの上で両手を突いて項垂れる光太郎に、ひらりっと宙に舞い上がったルビアは《そう言うことなのね》と言って頷きながら彼の目の前に舞い降りた。

『…ねえ、ルビア。今から追いかけたら、やっぱりルウィンは怒るかな?』

 顔を伏せたままで恐る恐る尋ねる光太郎に、ルビアは無害な小動物のようにキュピンと大きなエメラルドの双眸を輝かせて覗き込むと、勿体ぶって大きく頷いてみせる。

『そんなー』

 伏せていた顔をガバッと上げて、今にも泣き出しそうな仕種でウルウルと涙ぐむ光太郎の縋るようなその眼差しに、あっさりと降参して白旗を振るルビアに約束を反故にしたことによるルウィンへの謝罪の気持ちなど微塵もない。

《…でも、ルビアがいなかったらピンチかもしれないのね》

 エメラルドの双眸で覗き込みながら小悪魔のように唆して追い討ちをかけるルビアに、まんまと騙された光太郎はハッとその瞳を食い入るように見つめていたが、ギュッと両目を閉じると、それから決意したように双眸を開いた。

『やっぱり追いかける!うん!ルウィンに何かあった後じゃ、絶対に後悔してしまうと思うから。だったら、ルウィンに怒られた方が絶対にいいに決まってる!』

 俺が怒られるから…そう言って膝立ちでグッと拳を握り締める光太郎が宣言するように言うと、ルビアはシメシメ…と思いながら尻尾をゆっくりと振ってにっこりと微笑んだ。
 結局、怒られる羽目になるのは二人なのだが、迂闊なルビアはしてやったりの顔で光太郎と共に部屋を後にするのだった。

 そんな迂闊なルビアの思惑になどちっとも気付いていないルウィンは、風が運ぶ、自然臭とは違う何か嫌な匂いに眉を寄せた。
 おおかた、シーギーの鋭い爪に殺られたカークーの断末魔が風に乗って瘴気を撒き散らしているのだろう。ルウィンは風に前髪を揺らして、中空にある月を見上げた。
 夜の農道は蛇が出そうで怖い…が、それをルウィンが恐れるかと言うともちろんそんなはずがあるわけもなく、スタスタと呑気に歩いて気配のある場所まで赴いている。そんなルウィンがさほど慌てた様子がないのには理由があった。
 シーギーは狩りをするとその場で喰らう習性があり、それは賞金稼ぎであるならば誰もが知っていることだ。しかし、月夜のシーギーは特に凶暴性を増していて、なんにせよ何かを犠牲に、この場合はカークーを一羽でも犠牲にしておかないと賞金稼ぎと言えども身体の保障はないのだ。あくまでも、身体の保障であるが。

「ま、賞金稼ぎに保障もクソもないけどな…ん?」

 月光の下で砂利を蹴りながら歩くルウィンが唐突に立ち止まると、同時に何かが、その鼻先を掠めてドサリッと重い音を立てて農道に転がった。途端にムッとする死臭が鼻腔を掠め、うんざりしたように眉を寄せるルウィンは腰に下げた銀鎖の剣を鞘ごと抜いて片手に持った。次の瞬間、安っぽい牧場の木の柵を飛び越えて、凶悪な何かが月光の元にその姿を現した。
 低い、地を這うような唸り声が夜陰のしじまを切り裂いた。

「こりゃ、驚いた!本当にシーギーかよ。ちッ、安っぽい獲物だな」

 舌打ちして、今現在生きて行くために必要なのは即ち金で、その金になる魔物を金としてしか見ることができない荒んだルウィンは、片手に持った銀鎖の剣をくるりと回転させて柄と先端を親指で掌に挟むように持ち、両方の4本の指をキチンと揃えて前方に突き出した。
 月明かりの下、魔物は巨大な鎌を持つ両腕を振り上げて、真っ赤な複眼を血塗れたようにギラつかせながら、奇妙な構えのルウィンが真一文字に持っている銀鎖の剣をクルクルと回しながら何事かを呟き、その足許に素早く文様を描く様を、シーギーはこの突然現れた小さな獲物が何を始めたのだろうかと不思議そうに見下ろして首を傾げるような仕種をしていたが、すぐに真新しい、それも極上の獲物に歓喜の雄叫びを上げて対の鎌をガチガチと鳴り響かせた。ちょうどその時、ルウィンは足許に奇妙な文様を描き終え、小さく息をついてニコッと笑っていた。

「…風園を統べる沈黙の主よ!」

 瞬間、ゴウッと凄まじい風が舞い上がり、魔物は得体の知れない突風に戸惑ったように一歩後退した。

「彼の者は謳われし者。蒼古の館に棲まう嘆きの静謐を司り、永らく語らう者よ!その永劫の導で眼前に巣食う闇を吹き消せ!」

 詠唱に併せるようにルウィンを取り巻いて風が舞い上がり、怯んでいたシーギーが襲いかかろうと鎌爪を振り上げたが、金切り声を上げて立ち往生してしまう。ルウィンが描いた足許の文様は発光して魔法陣を創り上げ、風に石が孕むと襲いかかるシーギーを食い止める、術者を護る為の一種の防護壁のようなものを完成させていた。

「お前にはこれぐらいで充分だ。よっしゃ、銀鎖の剣!一丁お手並み拝見!!」

 ニッコリ笑っていたルウィンは途端に凶暴そうにニヤリッと笑うと、暗闇に光り輝く魔法陣の中央に片手に持ち替えた銀の鎖が巻きつく刀剣を鞘ごと力任せに突き立てた!
 その瞬間―――…
 その剣を中心に大地から光と風が混ざり合った突風が襲いかかる。突風は魔物の身体を包み込むと、眩い光で戒めた。苦痛の絶叫を上げる魔物を尻目に、次の行動を予測して地面に突き立てた剣を引き抜きながらも、終わったな…とルウィンは思っていた。シーギーのレベルならば、この程度の術法で充分なはずだった。

「ッ!?」

 不意に一瞬、月が雲の裏側に隠れた時だった。本来ならば木っ端微塵に砕け散って然るべきシーギーが、風の名残を孕んでゆらりと立っていたのだ。ザシュッ…と、ルウィンの反応が一瞬でも遅れていたらその身体を貫いたはずの鋭い鎌爪が地面に突き刺さる。気配を察したルウィンは反射的に後方に跳んで、地面に片膝をついて目の前の魔物を呆気に取られたように見ていた。

「なんてこった。マジかよ!?ったく、オレもとんだお人好しだぜ…ちッ!クソッ、仕方ねーな!」

 忌々しく舌打ちして立ち上がったルウィンは、身体中からブスブスと煙を燻らせて地面に突き刺さる鎌爪を引き抜くと咆哮を上げる魔物を睨み据えながら、銀の鎖が戒めのように巻き付いた鞘から僅かに発光している刀身を引き抜いて構えた。
 と。

『か、カマキリのお化けだよ、ルビア!』

《こんなシーギーは初めて見るのね!》

 後方から上がった2つの声にギョッとしたルウィンは恐る恐る先端の尖った耳を上下させて、絶対に確認しなくてはいけないと判っているのだが、振り返ることを躊躇ってしまった。

『す、凄く大きいよ、ルビア!どうしよう、ルウィンが危ないよッ』

 実際、ルビア自身も初めて見る魔物に動揺していたせいか、光太郎に返事を返せないでいた。
 こんな武器で大丈夫かな!?と、不安そうな異世界の言葉にルビアの動揺の思念が被さって、嫌でもルウィンは振り返らなければならなくなった。その隙がルウィンを窮地に追いやるかもしれない…などと言うことは、長年傍にいたルビアにはどうでもいいことなのだ。
 ルウィンに隙が生じることなどあるはずがないことを、長いこと傍にいたルビアがもちろん知らないわけがない。長年培われてきたルビアとルウィンの信頼のようなものだろう。

「おーまーえーらーなぁ…」

 身構えたままで振り返ったその先には、パタパタと飛んでいる深紅のちび竜と、農夫の誰かが腕力を鍛える為に気紛れで作ったのだろう、玩具のような銅剣を構えた光太郎が立っていてルウィンは軽い眩暈を覚えた。
 へっぴり腰では玩具の銅剣すらまともに扱えないだろう。

「ルビア!オレは見張っていろと言ったはずだ」

 鋭い鎌爪がルウィンに襲い掛かって光太郎はアッと息を呑んだが、銀髪の賞金稼ぎは耳障りな金属音を響かせてそれを受け止めた。

《えー…っと、注意はしたのね》

 ウソだな…と、ルウィンは確信しながら素早い術法の言葉を呟いた。
 ギシャァアアア…ッ!!と、凄まじい絶叫を上げて魔物が複眼を押さえてのた打ち回ると、ルウィンはさらに剣の先で虚空に魔法陣を描く。

「る、ルウィン!戦うする、僕も!」

 本当は恐ろしくて足を竦ませているくせに、光太郎は重いばかりで役に立たない銅剣を構えて威嚇している。足がガクガク震えているのは恐ろしさの為なのか、重さの為なのか…健気なその姿は傍らで呑気に飛んでいる深紅のちび竜にこそ見習わせたいものなのだが、そこまで考えていたらルウィンは思わず笑いたくなってしまった。

「その件は後だ。言い訳をきっちり聞いてやるから覚悟してろ。クソッ!…大気に連なる古記の主よ!」

 ルウィンの言葉に反応したように、中空に浮かび上がる魔法陣がボウッと白い炎を吹き上げた。
 虚空に浮かび上がった魔法陣はホロホロと燃えながら青白い光を放つと、突然周囲に巻き起こった風に氷の刃が交ざる。ルウィンはスッと構えた剣で燃え上がる魔法陣の中心部を刺し貫いた。

「今こそ真実を償う時が来た。出でよ!我が道標となれ!!」

 剣を取り巻いていた白い炎が一瞬黒く燃え上がり、ルウィンを取り巻いていた氷風が意思あるもののように魔物に襲いかかった。
 ギシャァアアアア…ッと村中に響き渡るような断末魔の悲鳴を上げた魔物は、全身を凍りつかせると途端にバラバラと崩れてその場で融けると、地面にそのまま吸収されてしまった。

「終了!」

 ヒュウ…ッと冷たい風が村を吹きすぎると、ルウィンは白い炎の名残を留めた剣を一振りして払うと、落ちていた銀鎖の巻きつく鞘を拾いながら銀の前髪がハラハラと零れる額に血管を浮かべて振り返った。と、呆然と一連の出来事を呆気に取られたように見ていた光太郎は、ハッと我に返ってバタバタと怒れるルウィンに駆け寄った。

「ルウィン!大丈夫!?傷は?どこか!?」

 興奮しているのか、文法がてんでバラバラではあるものの何を言いたいのかは理解できたし、心配そうに覗き込んでくるその黒い双眸を見ていると、ルウィンには怒る気が失せてしまった。彼は彼なりに恐ろしかっただろうに、必死で心配する姿はいっそ健気だ。

(今回はその健気な心意気に免じて許してやろう…が!)

 ムッとした仏頂面で見下ろしていたルウィンは、その胡乱な目付きのまま素知らぬ顔でパタパタと背中の翼を羽ばたかせているちび竜を睨んだ。

「ルビア…」

《ルーちゃん!》

 地獄の業火に焼かれた亡者のような低い唸り声に被さるようにして、ルビアが慌てたように思念の声で語りかける。

《あんなシーギーは初めて見たのね!トーンシェリルで倒れないシーギーはいないの》

 不安そうな面持ちで周囲を旋回する小さな飛竜を、凶暴そうな視線のままでジロリと横目で睨みながらルウィンは溜め息をついた。

「暗黒の瘴気がこんな村にまで垂れ流しになってるんだろう。今夜のシーギーは強かった」

《ハイ・ブラッヂスクラスのルーちゃんのトーンシェリルも効かないし、デアデュラジオも効かないなんてヘンなの!リーブルに弱いシーギーが!》

 まんまと話をはぐらかしたものの、しかしそれは、先ほど駆けつけたときから感じていた違和感であり、疑問でもあった。

「まあ、簡単に言えば〝レゼル・リアナ〟の出現で世界の均衡が崩れてきている…と言う、あのエセ予言者たちの言い分が正しい…ってことだろ」

『???』

 ポンポンと耳慣れない言葉ばかりが飛び交う会話に、必死でヒアリングしながら彼らを交互に見ている光太郎から役に立たなかった重い銅剣を受け取りながら、ルウィンは肩を竦めて見せた。

「案外、竜使いってのは魔族たちの魔力を強める存在なのかもしれないな。それを制御するのが神竜…?そうすると文献とはえらい違いになるワケなんだが、まあ、これはオレの考えでしかないんだけど。日頃姿を見せないスライムと言い、さっきのシーギーだ。厄介なことにならなきゃいいんだが…」

 月明かりを背にして見下ろしてくるルウィンの物言いたげな双眸に、光太郎は頬を真っ赤にして小首を傾げている。それでなくても人間にはない美しさを持つルウィンに見つめられているのだ、ただの極平凡な高校生である光太郎が動揺しないわけがない。

『?』

 首を傾げる光太郎の頭を小さく苦笑しながらルウィンはポンポンと軽く叩いて、思いつめたような面持ちのちび飛竜の首をムンズッと掴むと目の高さまで持ち上げて、驚くルビアの顔を覗き込みながら意地悪く双眸を細めた。

「さて、そんなこたどうでもいい。取り敢えずお前たちには話がある。まずは部屋に戻って、それからだな」

 荒削りの血溝が彫られた銅剣の腹でポンポンと肩を叩きながら悪魔のように笑うルウィンから、ルビアが必死で逃げ出そうとしたことは言うまでもないが、首を傾げたままで話の見えない光太郎が困惑のし通しだったことも、もちろん言うまでもなかった。

 こってり絞られた翌日、ムッツリとしたルビアとヘコんでいる光太郎を引き連れたルウィンは、どんより暗雲を漂わせている背後の2人を前にニコニコ笑っている賞金稼ぎに困惑した面持ちの村長ラーディと対面していた。既に旅支度は整っていて、長居は無用だと判断したルウィンが早朝の出立を希望したのだ。

「…そうでしたか。竜使いの出現で村の付近にも凶暴な魔物が出没するようになりましてな」

 村長は持病の頭痛が再発でもしたのか、こめかみを軽く押さえて懐から丸薬を取り出すと口に放り込んで苦笑した。

「竜使いなんか死んじゃえ!」

《竜使いさまになんてこと言うのね!》

 村長の背後から顔を覗かせた少年は顔を真っ赤にして怒鳴ったものの、ルビアの剣幕にギョッとして泣き出しそうな顔をして後ろに隠れてしまった。

「これこれ、ゾル」

「ルビア!」

 ルウィンと村長がそれぞれを窘めると、少年はモジモジと村長の背後で泣いているようだったが、光太郎に抱き締められているルビアはムッとして口先を尖らせると、ブツブツ言いながら外方向いて光太郎の腕に頬杖を突いた。

「…ったく、子供じゃないだろ」

 結婚までしてるくせに…とルウィンが呆れたのは言うまでもないが、村長は可愛い孫の柔らかな頭髪を撫でてやりながら、光太郎に抱き締められている大切な村を救ってくれた賞金稼ぎのお供に頭を下げた。

「この通りですじゃ。どうか、許してやってくだされ。この子の両親は街に行く途中で魔物に襲われてしもうてな…とうとう帰ってこんかった。言葉が悪いのは大目に見てやってくだされ」

 しんみりと話すラーディに、光太郎は眉を寄せて悲しそうな顔をしたが、ルビアは《だからってどうして竜使いさまが関係あるのね》とブツブツとまだ悪態をついている。悪態は吐いているがそれ以上は何も言わないところを見ると、よほどルウィンに喰らった4時間説教が痛かったのだろう。

(レゼル・リアナ?…またその単語だ。そう言えば、確か初めて会ったときもルウィンがそんな単語を言ってなかったっけ?)

 光太郎は聞き覚えのある単語に眉を顰めて首を傾げた。

「ああ、このちび竜は気にしないでくれ。それよりも村長殿、ひとつ尋ねたいことがあるんだが…」

 改まった…いや、本来のルウィンらしい口調で尋ねると、村長は長衣の裾を握る孫の頭部から手を離して頷いた。

「なんですかの?」

「ここら一帯を治めているのは北の領主殿と聞いたんだが、ヴィール王国の次代後継者では?」

「…さようですじゃ」

 村長の言葉尻は暗かった。なるほど、やはりあの噂は本当だったのかと、ルウィンは村長や居並ぶ村人の反応で大体を予想した。

「我が国ヴィールはもう駄目ですじゃ。〝カルーズ・エア〟に竜使いが現れると諸外国の占者が予言してからと言うもの、有力な各国が挙って干渉しましてな。それでなくとも病弱であられる国王陛下が病に伏せられてから、王位継承者である北の領主皇太子殿下はコウエリフェルに骨抜きにされておりまして…我が村がたとえ貧困に喘ごうと、〝レゼル・リアナ〟探索の費用として用立てねばならぬ為に重税の軽減の見込みもありませぬよ」

 村人たちが顔を見合わせては溜め息をつく。
 どこの国も大変な今日だが、このヴィールは噂ほどには衰えてなどいないはずだった。

(重税の軽減か…北の領主は見た感じ賢い男のようだったけどな)

 まだルウィンが国からノコノコと逃亡していない10代の頃、彼は一度ヴィール王国の皇太子である北の領主に会ったことがあった。

(生意気なヤツだったから確か自慢の髪を切ったんだっけ?あ、思い出した。ヤツはバカな男だったな、そう言えば…と言うよりも今問題なのは、会うのは避けた方が得策ってことだ)

 今はまだ立太子していないとは言え、本来ならば立派に皇太子としての身分を持つはずのルウィンは、それでも事実上の強国ガルハ帝国の皇太子として対等に接しなければならない自分を、年下と言うだけで馬鹿にした態度をとったので、冗談半分の剣技の披露で北の領主のご自慢の長髪をバッサリと切り落としてやったのだ。その際、エヘッと笑って誤魔化しはしたが、かなり根に持っているとアンカーのモースが噂していたのを思い出した。

「いずれにせよ、コウエリフェルが干渉し続ける限りは、このヴィールに平和は訪れますまいよ」

 村長の溜め息に村人たちが全員で大きく首肯した。

「…ルウィン」

 不意にクイクイと服の裾を引っ張られて、ルウィンは傍らから見上げてくる光太郎を見下ろした。

「なんだ?」

 ルビアも首を傾げていると、光太郎は先ほどから飛び交う単語に首を傾げながらルウィンに質問した。

「カルーズ・エア…場所。初めて会う?」

 瞬間、ルウィンとルビアがギョッとしたように目線を交えた。

「グレイド・ボウ。融ける、服…レゼル・リアナ…」

 自分を指差しながらもどかしそうに話してはいるが、初めて会ったときの話ができそうな予感に光太郎は少し嬉しかった。超特急でここまで来たものの、そう言えば一度もルウィンたちと初めて会ったときのことを話していないことに気付いたのだ。

「黙れ!」

 突然、話を中断するように怒鳴られて、光太郎はビクッとした。いったい何が起こったのか、光太郎は一瞬、ワケが判らなくて身体を竦ませてしまった。

「ワケの判んねーことを言うな!お前の調子っぱずれたカタコトに付き合うのはもう、うんざりだッ」

 続けざまに言うルウィンを見上げたまま、光太郎は硬直してしまった…と言うか、その場にいた全員が、その美しい賞金稼ぎの恫喝に怖れをなして震え上がった。あのルビアまでもが、だ。

「ご…ごめんちゃい」

 服の裾を掴む手が震えていたが、離そうとはしない光太郎はビクビクしながら口を開いた。だが、それがまた思うように言葉にならなくて、泣きたくなった。

(ああ、どうしよう。またルウィンを怒らせちゃったよ…俺の言葉、本当は凄く聞き取りづらいに違いないのに…どうしよう、ごめんもまともに言えないなんて)

 ウルウルと今にも泣き出しそうな顔で俯く光太郎を暫く見下ろしていたルウィンに、村長がビクビクしながら詫びを入れた。

「も、申し訳なかった。いや、私どもが出過ぎたことを口にしたばっかりに、言葉を覚えようとしている彼には物珍しかったんですじゃろう。そう怒らんでください」

「ああ、いや別に…」

 ルウィンはハッとしたように我に返ったが、目を閉じると、スッと開いて村長に賞金稼ぎ特有の儀礼的な礼をした。

「任務終了の証を頂きたい。夜明け前には出立したいからな」

 霧の濃い村にはまだ朝日はなく、村長は慌てたように懐から出した書状をルウィンに手渡し、後金の小袋は拳で唇を押さえて泣き出さないように必死で頑張っている光太郎の胸元で、ハラハラしたように収まっているルビアに手渡した。

「風よ、疾くゆけ」

 人差し指と中指で挟んだ書状をフイッと一振りして空に投げると、鱗粉のような光の粉を振り撒きながら、どこからか現れた一人の妖精が空中でその書状を華奢で小さな両手でキャッチした。結んでいた革紐を自らの腰に巻きつけて、虹色の透明な羽を羽ばたかせると、可憐な容姿の妖精は悪戯っ子のように笑いながらルウィンにペコリと頭を下げて忙しくなく飛んで行ってしまった。
 その動作を見物していた村人たちは、初めて見る妖精の姿に感嘆の溜め息をこぼしていたが、ふと気付くと、件の賞金稼ぎは泣き出しそうな少年と心配そうな飛竜のお供を連れて、既に旅路に戻っていた。

「ああ、仲良くしてくれるといいんだが…」

 不安な面持ちで村長始め村人たちは固唾を飲んで見送っていた。

 ジメジメと落ち込んでいる光太郎は怒られたショックもあるのだろうが、このまま嫌われてしまったらどうしようかと不安を噛み締めて項垂れたまま、ルウィンの服から手を離そうとしないでいた。黙々と歩いていたルウィンは、自分よりも先を飛んでいるルビアが胡乱な目付きで小さな両手を組んで真正面からこちらを睨んでいるせいもあってか、いよいよバツが悪くなって口を開いた。

「判ったよ!ハイハイ、オレが悪かったです!」

《光ちゃんに謝るのね》

 そう言われて歩調を止めたルウィンは、俯いたまま足を止めた光太郎の柔らかそうな黒髪を見下ろした。ルウィンの気配に気付いて恐る恐る顔を上げた光太郎の、その双眸には涙がたまっていて、でも、絶対に泣かないぞと決意している表情は、申し訳なさそうに眉が垂れて情けなかった。
 その顔があんまり憐れで、ルウィンはあの場をやり過ごす為とは言え、ちょっと言い過ぎたかなと内心ではかなり反省している。

「えっと、まあその…」

 ルウィンが口を開くと、涙ぐんでいる光太郎は無理したようにニコッと笑ってごめんなさいと頭を下げた。

「言葉、カタコト。もう、言うしない」

「ああ、いや、そう言うワケじゃないんだ…」

 いっそのこと、お前は〝竜使い〟と呼ばれるファタルの遣いで、各国が挙って狙っている至宝の存在なのだと言ってしまおうか…と、ルウィンは葛藤に苛まされた。万が一教え聞かせたとしても、このポヤッとしている少年がどれほど理解できるのか、或いは、言ってしまって、下手な不安を覚えさせるのは今後に何か影響はしないだろうかと、ルウィンの懸念は答えをノーだと訴えている。

「…魔の森は、確かに初めてオレたちが出会った場所だ。スライムも見たよな?あの時お前、怖がってたもんな」

 クスッと小さく笑うと、光太郎は小首を傾げて聞いている。

「だが、そのことは忘れちまえ」

《ルーちゃん?》

 驚いたようにパタパタと飛んできたルビアを片手で払いのけて、ルウィンはキョトンとしている光太郎を見下ろたまま、今までにないほど真摯な双眸をした。
 光太郎はドキッとして頬を赤らめたものの、その発言が何を意味しているのか、必死で理解しようと耳を傾けた。

「そして誰にも言うな…魔の森なんか覚えていなくてもいい。スライムも、レゼル・リアナもだ。お前は謎の多いカタ族の出身で、道に迷ったところをオレに拾われた。行く場所がなく、オレが養っている。それでいいじゃないか」

「言う、しないがいいですか?でも、喋る、楽しい。いいですか?」

「もちろんだ。オレはまあ、お前のカタコトの言葉はけっこう好きだし…」

 ちょっとムッとしたように唇を尖らせるルウィンの、その雪白の頬が僅かに朱色に染まっているのは、どうやら珍しく照れているのだろう。ルビアはいまいち納得できていないものの、光太郎は昨夜の延長線で腹を立てているルウィンの剣幕が、魔の森と言うキーワードで爆発させてしまったのだと理解していた。
 ルウィンがいれば大概のことは全てうまくいく。何より、光太郎は少しでも長くこの銀髪の風変わりな賞金稼ぎの傍にいたいと思っていた。その人が困るのなら、自分が黙っていればいい。
 光太郎は納得して大きく頷くのだ。

「僕も、ルウィン大好き!喋る、楽しいッ」

「…へ?」

 ガバッと抱きついて現金な光太郎はホッとしたように笑った。抱きつかれたルウィンは先端の尖った耳を照れ臭そうに上下させて見下ろしていたが、ルビアがジーッと見つめているのに気がついてハッとしたように我に返った。

「わ、判ったからさっさと行くぞ!そら、ルビアもチャキチャキと先に進め!」

 慌てたように抱きつく光太郎を振り払って歩き出すルウィンの後を、ルビアの呆れたような呟きが追いかける。

《ルーちゃん、素直じゃないのね》

「余計なお世話だ。ほっといてくれ」

 初めて出会ったとき、炎の前にいたルウィンはとても綺麗で、そして寂しそうだった。
 世界から切り取られているのは迷子の自分の方なのに、そこにそうして座っているルウィンの方が、まるで孤独で独りぼっちのように思えたのはなぜなのだろう?…光太郎はそうして、何気なく彼と行動を共にしている間に、彼が持つ不器用な優しさに気付くようになっていた。仏頂面で無愛想なルウィンの傍にいるのはとても楽しいし、初めて見たものに雛鳥が懐いてしまうように、光太郎が絶対的にルウィンを信頼するようになるのにそれほど時間はかからなかった。
 何が起こっても、この人についていこう。

(たぶんきっと、その言葉は言っちゃいけないんだ。ルウィンがそれでいいと言うなら、俺だってそれでいい)

 きっと迷惑だろうに…それでも、律儀に世話を焼いてくれる飄々としたルウィンを、信頼してついていくんだと決めたのは自分なのだ。
 光太郎はグッと両手の拳を握り締めた。
 ふんっと鼻を鳴らして外方向くルウィンと、クスクス笑っているルビアを見比べていた光太郎だったが、さっさと歩き出す銀髪の風変わりな賞金稼ぎのその後ろ姿を追いかけて、彼について行くんだと改めて決心したのだった。

第一章.特訓!11  -遠くをめざして旅をしよう-

 村長の家の一室を割り当てられたルウィンの一行は、月が中天に差し掛かる真夜中を目安に、それまでは休んでいることにした。

「月はまる。きらきらは星」

《そうそう》

 窓の近くのベッドを陣取った光太郎とルビアが窓辺に二人仲良く並んで両手で頬杖をつきながらそんな会話を交わしては笑いあっているのを横目に、ルウィンは対面のベッドに腰掛けて膝を組むと、片手で頬杖をつきながら財布代わりの黄色い布袋と睨めっこをしている。
 食い扶持が一人増えたとは言え、本来、ルビアは主力であったワケではなく、結局はルウィン一人の稼ぎでルビアを養っていたことになる。と言うことはだ、光太郎が増えたと言う時点でダイレクトに彼ら一行の台所事情は苦しくなったと言っても過言ではない。

「ルウィン。星、まだない」

「はいはい。星はもう少し夜にならないと出ませんよーって、それどころじゃねぇんだ。大人しくルビアと話してろ」

《ルーちゃん、酷いのね!》

 お座成りの受け答えに牙をむくルビアに気のない素振りで肩を竦めただけで、ルウィンは真剣に節約しないとな…と考えていた。
 銀の頭髪が蝋燭の燈すオレンジの光を反射して、きらきらと煌いている。時折、開け放たれた窓から吹き込むやわらかな風が、溜め息を吐くルウィンの不機嫌な青紫の双眸に触れてしまいそうな銀の前髪を揺らしているその様子は、この世界に来て初めて出会ったときから光太郎を惹きつけてやまない一瞬だったりするのだ。
 案の定、光太郎はボウッとそんな幻想的なルウィンを見つめている。
 難しい表情をして、ともすれば無口なハンサムを思わせるハイレーンの若者は、実は口を開くとけっこう毒のある性格だということが判る。事実光太郎もそれにはもう気付いていたが、美しいものには棘がある、を地でいっているルウィンを不思議とそれほど嫌いにはなれなかった。
 柔らかい言葉で酷いことを言う人だって存在するのだから、キツイ言葉で酷いことを言われた方がいっそスッキリする…はずはないが、それでもどこかルウィンの言葉には憎めない響きがあった。

(うーん。やっぱりハンサムだからなのかな?カッコイイ人って得してるよな、ぜったい)

「なんだよ?」

『え!?』

 思わず見惚れていた恥ずかしさも手伝っているが、何よりも心の声を聞きとがめられたような錯覚に落ちた光太郎は、慌てて首を左右に振った。ご丁寧に両手もぶんぶんと振っている。

『な、なんでもないよ!ルウィンがハンサムだから得してるとか、そんなこと絶対に考えていないから!ハンサムだってのは認めるけど、だからって得してるなんてことはホントに考えていないんだよ!マジでッ…て、ルビア。そこで呆れてないで助けてよー』

 傍らで呆れたように見上げている小さな飛竜を抱き締めながら光太郎が困惑した声で悲鳴を上げても、彼の言葉を完全とまでは理解していないルウィンにしてみたら、いつものように足手纏いが二人で仲良くじゃれあっているようにしかとれない。

「…変なヤツ」

 ボソッと呟いて、前金として村長から手渡されている1枚の紙幣と数十枚のコイン、そして傍らに広げていた残金をまとめて布袋に仕舞いこみながら、ルウィンはもう一度小さく溜め息を吐いた。

『やや、やっぱり怒っちゃった!?あう~、もう!俺ってばいっつもこれだもんなー!ルウィンを怒らせてばっかだよ』

 うるうると本気の涙混じりでルビアに八つ当たりをする光太郎を、それでももう慣れているのか、小さな深紅の飛竜は成されるがままで気にした様子はない。もちろん、黙っていれば美貌のハイレーンの青年も、やはり彼を気にかけるどころか、歯牙にも引っ掛けていないと言う有り様だ。
 光太郎はルビアの良き話し相手であり、ルビアは光太郎の良き玩具なのである。
 そして光太郎とルビアはルウィンにとって良き退屈凌ぎである。と言うことはつまり、知らない間に彼らの間には立派な黄金の三角関係らしきものが成立しているようだ。
 なんにせよ、本人たちはそのことに全くと言っていいほど気付いていないのだが。
 ベッドサイドに立て掛けられている、ルウィンが常に腰に下げている銀の鎖が巻きついた、華奢な意匠が細工されている鞘が風に揺れる蝋燭の明かりを反射してきらきらと輝いていた。鞘から漏れ出る白金の仄かな発光はまるで、柄から先端までをすっぽりと覆うように煌いている。

『…』

 光太郎は漸くじっくりと観察ができる奇妙な剣をマジマジと見つめ、そして欠伸をしてベッドに横たわるルウィンのチャイナカラーの中華服のような、その風変わりな衣装をしげしげと観察した。
 光太郎は以前からどうしても聞きたいことがあった。
 聞こうと思っていても、なかなかそのチャンスに恵まれなかった質問を、敢えて口にしようと決心した。

『ルウィン、あの…』

「ん?」

 先端の尖った耳がぴくりと動いて、うとうとしていたルウィンが眠そうな半目でちらりと視線を向けてきたから、光太郎は改めてルビアとルウィンの涙の結晶でもある片言の共通語でたどたどしく質問を試みた。

「ハイレーン。賞金稼ぎ。判る、できない」

「…判るができない?ってことは理解できないってことだろ?ハイレーンと賞金稼ぎねぇ…ルビア、説明してやれよ」

 鬱陶しそうに片手を振って光太郎の脇に大人しくちょこんと座っている飛竜に話を振ると、ルビアは知らん顔をして無視を決め込んだ。大好きな光太郎が言葉を覚えながら、この世界を少しでも理解しようとしているのに、簡単な方法で教えたのでは意味がないと思ったのだ。
 ルウィンにとっては単なる拷問なのだが…

「…ったく。判ったよ」

 ムッとしたように眉を顰めたルウィンはしかし、反動を利用して起き上がると面倒臭そうに頭を掻きながら床に両足を下ろして腰掛け、仕方なさそうに説明を始めるのだった。
 究極の世界説明はこんな具合で始まった。

「だーかーらー!賞金稼ぎにはランクがあるんだよ。ランク分けはコイツ…この剣で確認できるようになっているんだ」

「ちゅるぎ?」

「そう、これだ」

 頭を抱え込みたい衝動と必死で戦いながらルウィンは銀鎖の絡まる鞘から引き抜いた微かに発光している剣を持ち上げると、床に直接腰を下ろして首を傾げている光太郎にそれを見せながら根気良く説明していた。その光太郎の傍らで同じくちょこんと座り込んでいるルビアは、大きく欠伸をしながらウトウトと光太郎に凭れかかって眠りそうだ。

「この鞘に銀色の鎖が巻き付いてるだろ?これは銀鎖の剣と言って、ランクSを示す証なんだよ。この他に赤=ランクA、青=ランクB、黒=ランクC、緑=ランクD、オレンジ=ランクE、白金=ランクF…まであるんだけどな、この場合はランクが若い順の方が上位だってことになる。銀=ランクSはこのランク外として分けられているんだ。ランクAになった連中が昇給試験を特別に受けてランクSになるってワケ。この【ランク】ってのは主に賞金稼ぎでも上の連中が使うんだけど、D以下の連中は【クラス】で呼ぶんだそうだ。剣の意味はこんなカンジかな?まあ、このプレートを見せても判るんだけど、外にぶら下げてるワケにもいかないからこんな剣を持たせるんだろう」

 服の内側のポケットから銀色のプレートを取り出して手遊びしながら独り言のように呟いていると、なんとか早口の共通語を理解しようと眉を寄せて考え込んでいた光太郎は、少しずつ飲み込んだように頷いた。

「ちゅるぎ、は持つものですか?」

「は?…だいたい、オレの記憶が正しければ剣は手に持つものだろうな。腰に下げてもいいと思うぞ」

『???…えーっと、そうじゃなくて。持たされるってことは、自分の意志で持つワケじゃなくて…あれ?俺、何が言いたいんだろう??』

 自分の言いたいことが判らなくなって混乱した光太郎が首を傾げていると、ルビアがクスクスと寝たふりをしながら笑っているが、ルウィンがそれに気付くことはない。

「どうしたんだ?」

 訝しそうに眉を寄せるルウィンに、光太郎は手振り身振りで説明を促している。

『だから、えーっと…剣を、持たされてるってことは、ルウィンの武器は、別にあるの?…ってことだよな、うん』

「???意味が判らんぞ」

 根気良く先端の尖った異形の耳を欹てながら一言一句区切る物の言い方で話す言葉を聞いていたルウィンは、小さな溜め息をついて肩を竦めた。不思議と日本語をずいぶんと理解できるようになっていたルウィンとは言え、やはりニュアンスから違った意味に取れたりもするのだろう。完全、とまではいかないがお手上げ状態であるのは確かなようだ。

「ルウィン。武器、一つ。それはちゅるぎですか?他、ないですか?」

「…ああ。この剣は武器ではなく証明のようなモンで、武器は別にあるのかって聞きたいんだな?そうか、説明の仕方が悪かったな」

 ボキャブラリーの少なさからたどたどしく拾い上げた言葉の羅列で首を傾げて見せる光太郎に、漸く理解したルウィンは腕を組んで頷いた。

「武器にもなってただろ?ほら、お前に着替えをしろって言って、グレイド・ボウに襲われた時に武器として使ってたじゃないか。コイツには様々な仕掛けがあるんだぜ。まあそれは、これからまた見ていくことになるだろうがな」

 ニッと笑うルウィンに光太郎も頷きながら微笑んだ。それはとても楽しみだ…と、この時光太郎が思っていたかどうかは定かではないが、ルウィンの台詞の幾らかは理解していることは確かなようだ。

「さて、次はハイレーン族についてだ」

 案外根気強いルウィンは、賞金稼ぎと言う特殊な職業に心奪われていて、既にそのことは忘れているような光太郎が訊ねたもうひとつの課題に取り組むことにした。
 光太郎は晴れた夜空のような双眸の中に、満天の星を煌かせながら、ルウィンのくれるお楽しみ箱の中身を期待して見上げていた。
 窓辺から漸く最初の星が輝くのを見上げながら、深紅の小さな飛竜は心の奥深いところまでも覗き込めそうなほど深い新緑の双眸を瞬かせて、小首を傾げている光太郎に奮闘しているルウィンの姿を微笑ましく感じ、そう思えることの平和な時間を愛しいと思っていた。

第一章.特訓!10  -遠くをめざして旅をしよう-

「コレ、凄く美味しいよ。団長さんは食べない?」

「煩い」

 この会話は随分と前から初めは一方的に交わされていた。
 いい加減ウンザリしたリジュが細い目に怒りを込めて背後のピエロを振り返ると、彼、陽気でふざけた派手な衣装に身体を包んだ道化師デュアルがバーガーのようなものに食い付きながら首を傾げた。

「なんで?」

「…よく、この雑踏の中で物を食いながら歩けるもんだ」

 半ば呆れたように頭を抱えるリジュに憮然としたデュアルは、片手に持った紙のコップに注がれている琥珀色の飲み物で咽喉を潤しながら唇を尖らせた。

「朝ご飯もお昼も抜きだったんだよ?腹が減っては戦はできませんー。まずは腹ごしらえですよーだ」

 子供のように言い返すデュアルにリジュは、だからまずは宿屋を探しに地下から地上に戻ったんだろうと言い返したかったが、低レベルな言い合いを続ける気力もなくて溜め息を吐いて首を左右に振った。

「ねえねえ!団長さんって。今日のウルフラインはまるでお祭りみたいに賑やかだねぇ?」

「ああ。竜使いが現れて神竜が目覚めるとかで、城では連日連夜大盤振る舞いの宴が開かれていて、街もその影響で祭りを催しているそうだ」

 子供たちが嬉しそうに人込みを掻き分けて走り抜ける後姿を目で追いながら、デュアルは自分で誘った話題のくせにいまいち気乗りしない口調でふぅ~んと応えた。
 大通りなのにこう人が多いと狭く感じる通路は、両脇に犇く露天の明かりが夕暮れ時にも関らず道行く人の顔を鮮明に浮かび上がらせる。多種族の入り混じる貿易の国ウルフラインの首都は、街の中央に運河の流れる水と森の都としても有名である。

「どうしたんだ?お祭り好きの陽気なピエロ…と言うのがお前さんのキャッチコピーじゃなかったのか?」

 急に大人しくなったデュアルの態度に不信感を抱きながらも苦笑するリジュに、食べ掛けのバーガーもどきを口許に当てていたピエロは、前を行く団長に追い付いてそれを押し付けることにした。

「ハイ、あげる」

「!?…いらんッ」

 突き返そうとするとスルリと逃げ出した陽気なピエロは浮かない顔をして舌を出す。

「先に宿を見つけててよ。後から行くし。じゃあね」

「あ!おいッ!単独行動はご法度だぞッ…と言って聞く奴でもあるまい。やれやれ」

 リジュは片手にバーガーもどきを持ったままで雑踏に消える派手な衣装を暫く見送った後、すぐに行動を起こして自らも雑踏に姿を消してしまった。
 その頃デュアルは、陽気なお祭り気分に旅人も街の住人も浮かれる大通りを浮かない足取りで不機嫌そうに進んでいた。リジュとの旅は思ったよりも楽しいし、何よりも面倒臭い【退屈】がない。
 デュアルはリジュを気に入っていた。
 だからこそ、自らの厄介事で彼を悩ませるのは尤も嫌う【退屈】よりも面白くないと思ったのだ。
 大通りから逸れた薄暗い裏路地は、魔導師になれない魔法使いが妖しい実験から生み出した幻覚剤でラリッた連中や、地下に潜ることを許されていない娼婦が所在無さそうにブラブラと立っている。昼間でも、裕福な連中がこんな裏寂れた路地に入ってくることもなく、気紛れに入り込んだとしても多額の金で買われた娼婦は二度とこの場所に戻ってくることはない。喜ぶべきか悲しむべきか、どんな顔をしたらいいのか判らないと言った感じで俯く彼女たちの脇を通り抜けて、夕暮れに薄明かりを燈す風に揺らめく蝋燭の光の中で、デュアルは不貞腐れたように立ち止まった。

「いるんでしょー?出て来なよ」

 気のない様子で闇に問えば…

「やあ、デュアル」

「お久しぶり」

「見つかっちゃった~♪」

「デューさま!」

 口々に思い思いの言葉でもって己の存在をアピールして姿を現した道化の連中に、デュアルはウンザリしたように腰に片手を当てて唇を噛んだ。

「アウブルまで来るなんて…総出ってのは趣味が悪いんじゃない?」

 砂利の転がる裏路地の狭い通路に、4人の道化はいとも優雅な風情で立っている。デュアルはまるで親しそうに話しかけて、そして途方に暮れているようにも見えた。

「そうではございませんのよ、デューさま。ジェソ団長が甚くご立腹でございますのよ」

 アウブルと呼ばれた桜色の道化の衣装に身を包んだ長身の美丈夫は、そんなデュアルに応えるように口を開きながらも、蝶を模した目許を覆 うだけの仮面の奥から冷えた金色の双眸で、まるで叱られた子供のように唇を尖らせている派手な道化を見つめているようだ。
 感情さえも読み取らせない、仮面にはそんな意味も含まれているのだろうか…

「帰っちゃえよう!クラウンに帰っちゃえよーう!」

 緑の衣装の道化がやはり蝶を模した仮面の奥から口調とは裏腹の冷静な金の双眸で見つめながらそう言うと、デュアルは 煩 そうに眉根を寄せて首を左右に振った。子供染みた口調でありながら、緑の道化はおどけたような素振りさえもせずに静かに佇んでいる。
 デュアルにはそれが鬱陶しかった。

「帰らないよ、アララハラルト。ジェソ団長にそう伝えて」

 緑の衣装の道化の表情が烈火のごとく曇ったが、口を開く前に赤の衣装を身につけたやはり目許を覆う仮面の道化が前に出た。

「ダメだよ、デュアル。ジェソ様はすぐに戻れと仰っておいでだ」

「戻らない。パッカーキーストが幾ら言っても戻らない」

「コレは言い出すと聞かない。手の焼ける団員だとジェソ団長も仰っておいで。誰の指図?」

 黙って腕を組んだままで脇に控え、事の成り行きを見守っていた青の衣装に顔全体を覆う仮面をつけた道化が口を開くと、まるでその場一帯に電流でも流れたかのように皆が一斉 に口を閉ざしてしまった。
 ただ独り、まるでカヤの外を決め込んだ様にデュアルが仏頂面で立っている。

「コウエリフェルの皇子さま。ジェソ団長が言ったんだよ、彼の言うことを聞きなさいってさ。もういいでしょ?ブリューインディスト」

 その青の道化には弱いのか、デュアルはソワソワしたように腰に当てた手で前髪を掻き揚げた。掻き揚げて、小さく舌打ちする。
 残りの3人はどうでも良くても、ブリューインディストが苦手なデュアルだ。額に浮かんだ嫌な汗は図らずも背中にも浮かんでいて、早くここから立ち去りたいと柄にもなく願っていた。

「アレは一筋縄ではいかない。手の焼ける皇太子殿下だとジェソ団長も仰っておいで。仕方ない」

 呟くように言って、仮面の奥の銀色の瞳で見つめながら何時の間にか眼前まで移動していたブリューインディストは、音もなく伸ばした指先で派手な衣装の道化の顎に手をかけて、ともすれば俯き勝ちになるデュアルの顔を上げさせた。

「任務終了時には速やかに帰団すること。ジェソ団長が寂しがっておいで」

「判ってるって、ブリューインディスト。それを承知で入団したんだもの。今更逃げ出したりはしない」

「もちろん」

 ブリューインディストがまるで滲むように闇に溶け出すと、残りの連中もさっさと闇に帰ろうとした。ただ独り残して…だが。

「デューさま。必ずお戻りになってくださいましよ?アウブルはデューさまと共にある為だけに存在してるのでございますから」

「うん。大丈夫だよ、アウブル。早くお帰り。今度はキミが叱られてしまうから」

 デュアルが跪くように平伏すアウブルの頬に触れながら呟くと、彼はその手に頬擦りをしながらうっとりと双眸を細めた。

「デューさま、愛しいお方。アウブルの身も心も、全身に流れるこの血潮でさえ全てはデューさまのものでございますのよ。きっと、お忘れにならないで下さいましね」

「…うん」

 鳥肌を立てながら頷くデュアルの手の甲に口付けを残して闇に消えたアウブルを最後に見送って、周囲から凶悪な気配が完全に消えてしまったことを確認したデュアルは崩れるように膝立ちになると、ガックリと両手を地面につけて肩で大きく息をした。

「もう、ホント!嫌になるったらッ!クラウンの連中はどうしてこう、小煩い奴らばかりなんだろう!?」

 突発的に上がった怒声に 訝 しそうに眉を寄せる娼婦や中毒者たちを無視して、デュアルは 汚 らしい路地の上に 胡座 をかいて座り込むと片手で頬杖を突いた。

「アウブルはキモイし、ブリューインディストはやたら得体が知れないんだもん。全く…疲れるったら」

 顔全体を覆うその仮面の下が、いったいどんな素顔なのかデュアルも見たことはない。
 不気味な雰囲気を 醸 し出すブリューインディストはともすればあのコウエリフェルのセイラン皇子よりも得体が知れないのかもしれない。
 デュアルの入団している【クラウン】の、彼らはまだほんの一部でしかないのだが。
 まだ知らない見知らぬ団員が後何人いるかなんてのは知ったことではないが、どうか今暫くは放っておいて欲しい…と思うデュアルだった。
 賑やかな表通りのとある宿屋で漸く空室を確保できた奇跡を起こす男リジュの待つその場所まで、デュアルがヘトヘトになった重い足を引き摺って行くのはもう少し後のことになる。

第一章.特訓!9  -遠くをめざして旅をしよう-

 白波を蹴立てて水面を行く一隻の船は、その名の由来の通り、美しき涙を零しながら滑走している。その美しい名を持つ船の主は、気性の激しさから『炎豪のレッシュ』と怖れられていた。

(炎豪…ねぇ。どう見ても 怠惰 な肉食獣みたいだけど。まあ、どちらにしても、あんまり関わり合いにはなりたくないタイプだな)

 色素の薄い髪を潮風で戯れに揺らしながら、彰は愛用のデッキチェアに長々と横たわる海賊【ゲイル】の頭領を呆れたように見上げていた。
 それなりに下っ端どもが磨き上げた床に直接腰を下ろした彰が、腰に巻かれた布製のベルトを下敷きにされて身動きも取れない状態で溜め息を 吐 いていると、肌を覆う部分の少ない衣装に身を包んだ小柄な少女が船室から飛び出してきた。

「シュメラ。どうした?」

 片手で古めかしい羊皮紙の巻物を持って腕を組む少女シュメラは、 胡乱 な目付きで自分の名を呼ぶ主を見据えた。次いで、傍らに座る彰には目もくれず、彼女は海賊船【女神の涙】号の船長であるレッシュ=ノート=バートン愛用のデッキチェアに上がると、鼻先が触れ合うほど間近にその顔を覗き込んで鼻に皺を寄せる。

「どうしたもこうしたもないわよ!何時の間に航路変更しちゃったの!?」

「寝ているお前が悪い」

「なんですって?あのね、レッシュ=ノート。こんなことは言いたくないんだけど、どうしてこう、スレイブ族って嘘吐きが多いのかしらね」

 シュメラが悪態を吐いたとしても、どうやらレッシュにはどこ吹く風で、却って彼女をいきり立たせているようだ。

(シュメラ?今度は誰だよ…)

 落ち着いて事の成り行きを見守る彰にしてみたら、この船に拉致されてから一ヶ月以上も経つと言うのに、何故か見知らぬ顔が後から後から出てくるため、この状況に既に慣れていたとしても仕方がなかったりする。
 今度顔を覗かせた美少女は、こんな海賊船にはまるで不似合いで、奇妙な違和感すら感じていた。

「鳥人よりはマシなんじゃないか?睡眠時間二ヶ月は嘘だろう?」

「失礼ね! パイムルレイール は大地に足をつけて歩いてると凄く体力を使うんだから!私なんて回復力が早い方なんですからねッ」

 レッシュの伸ばした足を跨ぐようにして正面きって膝立ちしているシュメラは、可愛らしく唇を尖らせてレッシュに食って掛かる。その光景を無言で見守っている彰は、初めて聞く単語に首を傾げていた。

(〝パイムルレイール〟?)

「そんなことはどうでもいいわ、レッシュ=ノート!約束が違うじゃない。私をパイアラードの都に帰してくれるって言わなかったッ!?」

「言ったさ。言ったが、誰も今すぐとは言ってないだろう」

 間髪入れずにのんびりと否定されたシュメラは頬にカッと血を昇らせたが、精一杯の強がりで鼻先で笑い、デッキチェアから身軽に飛び降りると尻が見えそうなほど短いズボンに包んだスラリと長い足でキュッと磨かれた床を蹴って腰に手を当てた。

「竜使いに現を抜かすのもいいけど。せいぜい食われないように注意することね」

「お気遣いなく」

 肩を竦めるレッシュに行儀悪く舌を出したシュメラは羊皮紙の巻物を投げつけると、後は振り返りもせずに船室に姿を隠してしまった。
 しかし、彼女はとうとう最後まで彰を見ることはなかった。

「やれやれ」

 軽くレッシュが溜め息を吐いていると、荒々しく蹴散らして行く美少女に「おっと」と言いながら入れ替わる様にして甲板に姿を現したヒースが、シュメラの剣幕に肩を竦めながら日光浴中の頭領とその囚われ人を振り返った。

「ありゃあ、どうしたんでしょうかね?お姫さんの剣幕は今に始まったワケじゃありませんが、どうも【ゲイル】の連中はお頭の耳に念仏を唱えたがる奴が多いようでいけやせん」

 どう言う意味だと軽く睨むレッシュに肩を竦めたヒースは、遠見鏡で肩を叩きながら持ち場へブラブラと歩き出した。その道すがら、仕方なさそうにレッシュに進言する。

「お頭ぁ。女の機嫌は海よりも深い部分で決まるらしいッスよ。早いところご機嫌を取っておかないと沈まない船も沈んじまいますぜ?ましてやパイムルレイールのお姫さんとなりゃ尚更ですぜ」

「わあってるよ」

 相変わらずヒースも【念仏唱え隊】の一員だよなぁと彰はクスッと小さく笑った。彰は意外とこの、ひょろりと背の高いモヤシのようなヒースが好きだった。何がしかの理由でレッシュ以外は当たり障りなく遠巻きに眺めているなかで、このヒースだけは変わりないように接してくれるのだ。
 面倒見が良くてお人好し…と言うのが、彰のヒースに対する第一印象だった。
 一ヶ月以上も経つ月日の中で、今のところはその第一印象は 覆 されてはいない様だ。
 ハッキリしないお頭の態度に溜め息を吐いて肩を竦めたヒースはしかし、仕方なさそうに彼らを残して持ち場に行ってしまった。その後姿を見送る彰に気付いたレッシュは、眠そうに欠伸をしながらグイッと紐のベルトを引っ張った。

『おわッ!?』

 思わずグラッと背後に倒れそうになった彰は、デッキチェアから降りていた長い足に凭れるようにして受け止められると、驚いたようにレッシュを振り返った。

「なにすんだ!」

「いやなに」

 短く言って欠伸を噛み殺したレッシュは、後頭部で腕を組んで面白くもなさそうに隻眼でチラリッとそんな彰を見下ろした。
 怒っているようだが、どこか好奇の光にキラキラと漆黒の双眸を煌かせる彰に、レッシュは珍しくご機嫌そうに口許に笑みを浮かべる。豪快な笑いなら良く見る彰も、こんな風に何気なく笑われてしまうと怒る気が失せてしまう。
 なぜならそれは、案外、レッシュが男前な顔立ちをしているからだ。
 自然に伸びた髪が潮風に揺れ、燃えるような赤毛はしかし、夕暮れの海に似ていて綺麗だと思った。灰色の瞳はたった1つしかないのに、ドキッとするほど鋭利な刃物に似ていてその研ぎ澄まされた感覚にハラハラする。
 本当に、海のような男だと彰は思っていた。

「シュメラが気になるんじゃねぇかと思ってな」

 図星にムッとする彰はしかし、好奇心がプライドに勝って大人しく頷いた。

「気になるよ。で、彼女はだれ?」

「アイツは【鳥人族】の第5皇女だ。バイオルガン国の首都パイアラードに護送中の身分でね、商船を襲ったらオマケで付いて来たのさ」

 どう言った理由で商船のオマケを首都まで護送することになったのかという詳しい理由は判らないが、彰はこの世界に来て新しい種族の名を覚えることだけに集中した。

(バイオルガン国の首都パイアラードに住んでいるのがパイムルレイールと言う【鳥人族】なんだな。鳥人…ってことはあの気の強そうな子は空を飛べるってことか?)

 彰の関心は、自分には全く関係のない護送の理由だとかそんなものからは遠く離れ、自分たちの世界では空想上でしか聞いたことのない種族の名に注がれることになる。
 迷惑そうなレッシュの態度に気付かない彰は、良く晴れた透明度の高い空を見上げ、この世界のどこかに必ずいるはずの友人を思った。
 見つけ出さなくては…きっと自分がいないと泣いているだろう、大切な幼馴染み。
 案外、タフで順応性があって怖いもの知らずの性格だが、泣き虫で寂しがり屋だと知っているから、優しい幼馴染みの安否が自分よりも気遣われるのだ。

(大丈夫だろうか、アイツ…)

 心配そうに空を見上げる背中を、レッシュの細めた灰色の眸が物言いたげに見つめていることに、彰が気付くことはなかった。

第一章.特訓!8  -遠くをめざして旅をしよう-

 光太郎は小さな村を物珍しそうにキョロキョロと見渡していた。ある程度大きい町ならもう見て驚いた後だったが、農村は初めてだったので興味深そうに見渡している。
 町のような活気はないものの、生活臭が酷く身近に感じられる泥臭さが新鮮だった。

「キョロキョロするなよ…と言っても無理か」

 ルウィンは 傍 らで忙しなく動いてる黒髪を見下ろして、仕方なさそうに苦笑しながら肩を竦めて農道を歩いていた。 草臥 れた革編みの靴は 摩り減って 、広大な草原を歩いてきたせいで草の汁で汚れてもいた。
 背の高い美しい賞金稼ぎの腰の辺りの服を掴んでポカンッと口を開けている光太郎を、前方を優雅に飛んでいる深紅の飛竜がクスクスと笑っている。

『アレはなんなんだろう?ダチョウ…?うーんと、鳥かなぁ』

 農道の脇にある柵の向こうで優雅に草を食んでいる奇妙な生き物を、思わず足を止めた光太郎は熱心に観察しながら首を傾げて呟いた。
 堪らなかったのはルウィンで、裾を引っ張った形で立ち止まられると思わず身体を締められてこけそうになってしまう。もちろん、本当にこけたりなどはしないが。

「苦しいだろ、お前は!立ち止まるなら立ち止まるで一言ぐらい…何を見てるんだ?ああ、カークーか。 暢気 な連中だよな」

 ルウィンも腕を組んで光太郎の 傍 らに立つと、珍しくもない 牧歌的 なその光景を暫し見渡していたが口許に笑みを浮かべて奇妙な生き物を眺めた。

「カークー?」

「そうだ、カークー。荷物を運んだり」

「ぬもつ」

「そう荷物だ。人を乗せたり、それなりに便利な生き物だぞ」

 クイクイと掴んでいた服を引っ張って首を傾げる光太郎に気付いたルウィンは、頷きながら吹いてくる 爽 やかな風に 双眸 を細めて説明する。
 その生き物はキーウィをダチョウぐらい大きくしたような感じだが、少し違うのは、なだらかな背が鳥類らしく角張っていると言う事だ。尻尾のないところと翼が退化しているところ、つぶらな瞳と長い 嘴 は、どこをどうみてもキーウィだ。しかしあの背中なら、荷物や人を乗せるには便利だろう。

「カークー。小さい、キーウィ、鳥。いっしょ」

 光太郎が指差しながら説明すると、ルウィンは理解したのかしていないのか、へぇと呟いて肩を竦めて見せた。
 恐らく半分ぐらいは理解したのだろう。

「小さな鳥キーウィと一緒?お前の世界にいる鳥か?キーウィねぇ」

 頷いていたルウィンはしかし、「もう行くぞ」と光太郎の頭に軽く手を当てて促しながら歩き出した。彼らの向かうこの村の長の家は、もう間もなく歩いた場所にあるはずだ。
 農道は土が露出していて道端には草が生え放題で、光太郎は自分の暮らしていた町を思い出した。少し奥に入るとすぐに田んぼがあって、農道がどこまでも続いている。春になると芹が生えて、脇を流れる小さな小川には小魚たちが泳いでいた。
 この村の農道もやはり同じで、脇に流れる小川には小魚が泳いでいる。
 ただ、そのカークーの牧場の広さは北海道か、 或 いは外国の農場のように広大だが。

「引っ張るなって。見たいならゆっくり来てもいいんだぞ。この村から出ないのならな」

 この村を襲っているシーギーの 特徴 を良く心得ているのか、ルウィンはさして慌てた様子もなく自由にすることを許すような発言をする。しかし。
 古めかしい家が立ち並んでいるが、どの家の煙突からも煙が上がり、中世の農家を思わせて光太郎はドキドキしていた。

『RPGの世界だ』

 ルウィンから離れる気など 微塵 もない光太郎の耳には、せっかくの申し出は届いていないようだ。そんな態度に腹を立てるでもなく、ルウィンはこんな他愛のないものに素直に興味を示す光太郎に呆れているようだった。

「おお…これは」

 なだらかな坂を登りきった小高い場所にある一軒の古めかしい家の前で、年老いた男が長い茶色のローブに身を包んで立っている。
 賞金稼ぎの到着を今か今かと待ち構えていたのだろう、ルウィンの姿を見とめると、彼は大きく両手を広げて歓迎の挨拶をした。

「ロードのギルドから伝令鳥が来た時は驚きました。まさか銀鎖の賞金稼ぎにお出で頂けるとは…私はこの村の村長ラーディです」

 ルウィンはその老人に左手を拳に握り右手の指をキチンと揃え、左手の拳の部分をその右掌に押し付けるようにし唇の高さまで持ち上げると、双眸を閉じて軽く首を垂れる賞金稼ぎ特有の挨拶をして、懐から取り出した羊皮紙の紹介状を手渡した。

「これが紹介状だ」

「確かに確認しましたぞ。ささ、何もないあばら家ではございますが、お寛ぎくだされ」

 老人は恭しく紹介状に目を通すと、すぐにルウィンとその連れを招き入れた。
 室内は木の温もりが伝わってくる天然素材で作り上げられているが、長い間使われているせいか、天井は 煤 に汚れ壁には染みが所々文様を作り出している。木のテーブルにも家族が生活している痕跡を残して、食べ物の染みが奇妙な光沢を生み出していた。

『うわー!うわー!』

 もうちゃんとした言葉も出せないでいる光太郎が 不躾 に室内を見渡して声を上げていると、ルウィンがその頭を軽く小突いて黙らせた。二階に続く階段から様子を窺うように顔を覗かせているこの家の住人らしき少年は、熱心にそんな光太郎とルウィン、そして小さな飛竜を興味深そうに見ている。
 小突かれた頭を両手で 擦 っていた光太郎はそれに気付いてニコッと笑いかけたが、ビックリした少年は慌てたように二階に姿を隠してしまった。

(あーあ、隠れちゃった)

 光太郎はこの世界に生きる全ての住人がルウィンのように強くはないことをもう知っていた。
 彼は、やはりその容貌のように 稀 な存在で、その強さのおかげで賞金稼ぎと言う危険な仕事にも 就 けていることをルビアに聞いて理解していたのだ。
 だからこそ、あの少年が物珍しくルウィンを見ていることも理解できた。

「そちらの方は、このようにむさ苦しい家は初めてなのでしょうな」

 嫌味ではなく、親しみを込めて椅子を勧めた老人が目を細めて笑うと、ルウィンは光太郎を促しながら肩を竦めて面倒臭そうに答える。

「カタ族にはなんでも物珍しいのさ」

 この家の娘なのか、田舎娘らしくエプロンをつけた頬の赤い少女が木のコップに温かい液体を満たして持ってきた。テーブルに慎重に置くその微かに震える手は、野良仕事に痛んで、あかぎれができている。
 光太郎はこの少女のような娘が、あの少年の母親なのだろうかと首を傾げた。

「ほほう、カタ族ですか!それはそれは…」

 物珍しそうに村長と娘は光太郎を繁々と観察し、唐突に注目が集まったことにドキッとしてコップの中を覗き込んで冷めるのを待っているルビアを掴んで抱き締めた。不安になるとルビアを抱き締める光太郎の、この世界に来て覚えてしまった奇妙な癖に、いい迷惑をしている深紅の飛竜は仕方なさそうに大人しく抱かれている。

「さて、村長殿。シーギーの詳しい被害や出没時刻を教えてくれ」

 暖かなコップの取っ手を掴んで促すルウィンに、それどころではなかったことを思い出した村長は居住まいを正して咳払いをした。

「月に2羽から4羽のカークーが襲われていましてな。まだ人間は襲われていないので、なんとかその前に退治して頂きたく依頼した次第ですじゃ。出没はやはり深夜ですな」

 簡潔に説明する村長の言葉に耳を傾けていたルウィンは、不意に気配を感じて顔を上げた。

(6、8、10…それ以上だな。家をすっぽりと囲んでいる)

  先端 の尖った耳を 欹 てるルウィンの様子に気付いた光太郎は彼を見上げると、青紫の神秘的な 双眸 がさり気なくだが確実に、油断なく背後の扉と窓の様子を窺っていることに気付いた。

(…殺気がしない?)

「わぁッ!」

 不意に背後の扉が開いて大量の人間がなだれ込んできた。
 ビックリした光太郎はルビアごとルウィンの腕に抱きついたが、銀髪の賞金稼ぎは目を白黒させて背後の扉を肩越しに振り返った。

「なんだね、お前さんたちは。お客人の前だと言うに…」

 年老いた村長はローブの 裾 を 蹴 るようにして、のんびりとなだれを起こして照れ笑いを浮かべている村人たちのもとまで行くと、ほっほっほと笑う。

「なんだ、村人だったのか。 道理 で殺気がしないワケだ」

 やれやれと呆れたように口を開いたルウィンに、照れ笑いを浮かべていた村人から歓声が上がった。

「おお!喋ったぞッ」

「ってゆーか、俺たちの気配を感じていたんだ!」

「さすが銀鎖の賞金稼ぎ!」

「それにとってもハンサムよv」

 口々に思い思いのことを叫ぶ村人の 賑 やかさに、思っているほどには、シーギーの被害は少ないのだろうか?とルウィンが自分の勘を疑ったとしても仕方のないことだった。

『あはは。ここの人たちって楽しいね。賞金稼ぎが珍しいのかなぁ?』

《どうでもいいけど早く解放して欲しいのね。く、苦しいの…》

 光太郎の胸とルウィンの腕に挟まれたルビアはべろんっと舌を出して死んだフリをしている。

『わぁ、ごめん!ルビアッ』

 光太郎が慌ててルウィンの腕を離すと、深紅の飛竜は新鮮な息を吸い込みながらふわりっと天井近くまで舞い上がった。天井近くも酸素濃度は薄いのだけど…
 しかし、それにまたしても歓声がドヨヨ…ッとあがる。

「ルビア、降りてきなさい」

 ルウィンが半ば頭を抱えて促すと、深紅の飛竜は光太郎に掴まらないようにと避難していた場所から渋々と舞い降りてきた。

「飛竜だ!飛竜ッ」

「すっげぇな!銀鎖クラスになるとお供は飛竜なんだ!」

 どよどよとさらに 姦 しく騒ぎたてる村人たちを、村長も 敢 えて注意などせずにのんびりとコレコレと笑って呟いている。ルウィンは自分の選択に今更ながら頭を抱えたくなったが、光太郎がその様子を見てケラケラと笑っているので、まあいいかなと溜め息を吐いた。
 何となく、ルビアもこの村の雰囲気を気に入っているようだ。

(親しみやすいと言えば親しみやすい村だからな…この村を救えば、コイツらも喜ぶんだろう)

 ルウィンは、笑いあっているルビアと光太郎を見下ろして、仕方なさそうに微笑んだ。

第一章.特訓!7  -遠くをめざして旅をしよう-

 トーリア国の姫君は、 些 か不機嫌そうな表情をして目の前の甘いマスクの青年を見つめていた。
 幼い頃からの許婚とは言え、出会ったのは今日が初めてなのだ。しかも、その甘いマスクに常に笑みを 湛 えた青年は、恐らく自分と婚姻を結ぶことなど考えてもいないのだろう。
 遅々として進む 鬱陶 しい時間の流れに、王女は 苛々 としたように爪を噛んだ。

「退屈そうですね、ラーリ=トールティナ姫」

「当然ですわ。わたくしの目の前にいらっしゃるコウエリフェル国の皇太子さまがちっともお話して下さらないんですもの。とても退屈ですわ。 宜 しければ 欠伸 をしてもよくて?」

 辛辣に嫌味を言ってツンッと 外方向 く王女に、コウエリフェルの皇太子、セイランはクスッと微笑んだ。子供染みた仕草をする姫君は、友好国であるトーリア国の第2王女だ。

 奔放に育った姫らしく、くるくると落ち着きなく縺れ、絡まりあった金糸のような髪の毛は羽毛のような柔らかさでふんわりと小さな顔立ちを包み込んでいる。腰まである長い髪と小さな顔立ち、気の強そうな 煌 く 勿忘草 のような大きな双眸が、遠い昔に見たあの幼い姫君を思い出させて、セイランの胸に久しく忘れていた懐かしい甘やかな疼きがゆったりと降り積もる。

「これは失礼。姫君が美しくご成長されていたものですから、私は声を失っていました」

「ご冗談を」

 セイランの嘘臭い台詞にうんざりしたようなトールティナは、小奇麗に飾り付けられたドレスを早く脱いでしまいたいと思いながら、 気怠 げに扇で口許を隠しながら舌を出す。

(今日会ったばかりだと言うのに、まるで昔から知っているような口調…きっとこれで女性を誑かしているのね)

 城を出る前に侍女たちが、コウエリフェルのセイラン皇子はとんだ女たらしだと噂していた。常に美女を二人傍らに 侍 らせて、城を開けては 何処 かへ消えてしまう。女に会いに行くのだと 専 らの噂らしい。甘いマスクも胡散臭いと、今日初めて会った婚約者をトールティナは持ち前の気性の激しさで 扱 き下ろす。

(父さまったら。わたしをこんな女ったらしに嫁がせる気なんて…お城に帰ったら延髄蹴りよ)

 できることなら指を鳴らしたい気分だったが、ここは他国の王城、しかも目の前には相変わらず胡散臭い微笑を浮かべた皇太子殿下までいらっしゃるのだ、トールティナはニッコリと微笑んで内心で悪態を吐いて舌打ちする。

「姫君はもうお忘れやもしれませぬが、私は貴女にお会いしたことがあるのですよ」

 トールティナの微笑の裏に隠された本心を読み取ったかのようなセイランの言葉に、王女はハッとしたように顔を上げ、次いでバツが悪そうに扇で手遊びした。

「まあ、わたくしは何も申してはいませんわ」

 取り繕うような台詞にも、セイランは小さく微笑むだけだ。
 もちろん、洞察力の鋭い皇子のことだ、こんな子供のような姫君の上辺面など易々と見抜いていた。その内心とのギャップが面白くて、皇子は暫く黙って見守っていたのだ。
 確かに、トールティナが意地が悪そうだと見抜いたように、セイラン皇子は人が悪い一面も持っているようだ。

「わたくしがセイラン皇子とお会いしたことがあるなんて…本当ですの?」

 遠い記憶を思い出そうと首を捻っていたトールティナは、やはり思い出せなかったのか、柳眉を僅かに顰めて皇子に 訊 ねた。無害な小動物のようなあどけない仕草に、セイランはクスッと微笑んで頷いた。

「もう、随分と昔の話ですからね。貴女がお忘れになられたとしても、それは気になさるほどのことではありますまい」

「いいえ、それではわたくしの気が収まりませんわ!やはりこうして、対面したのでしょうか?」

 王女が気の強そうな双眸をキラキラと煌かせて、屈託なくまっすぐに見つめてくるその眼差しをしっかりと受け止め、しかし皇子はやわらかく微笑んで首を左右に振った。
 侍女たちが見ればハッと目を見張るほど、今日の皇子は優しげな表情をしていた。
 どこか子供のような姫君だからだろうか、今日のセイランは比較的穏やかな時を過ごしているようだ。

「姫とお会いしたのはほんの一瞬のこと。まだ幼い貴女が許婚として我が城に訪れた時ですよ。貴女は、とても悲しそうに泣きじゃくっておいでだった」

 よくよく思い出して、王女は唐突にハッとした。
 そうだ、あれはまだ5歳の頃、父王に連れられて来た異国の城で、母さまと離れてとても不安で泣きじゃくる自分に、まるで商人のような出で立ちをした少年が声を掛けて来たのだ。

『どうしたの?逸れちゃったのかい?』

『父さまと一緒に来たのよ。でも、母さまがいないの』

 両手を拳にして頬を擦りながらくすんくすんと泣く小さな少女に、少年はやわらかく微笑んで優しく金の羽毛のような巻き毛に覆われた頭を撫でてくれた。

『母さまがいないんだね。僕とおんなじだ。大丈夫だよ、父さまを一緒に捜してあげる』

 商人の息子として認識していた皇子との一瞬の邂逅は、そう言って彼が微笑んだ次の瞬間には終ってしまった。すぐにいなくなった姫君を捜しに来た護衛兵に、彼女は父王の許まで連れて行かれたのだ。商人の息子はポツンとその場に取り残されて、トールティナはその方がいっそ悲しいと思ったものだ。しかし、彼が目の前の青年だったとは…いや、その前にその事実をすらすっかり忘れてしまっていた。

「わたくしったら…あの時は本当に嬉しかったのに。恩人を忘れてしまっていたのですね」

 王女は本当に申し訳なさそうに柳眉を寄せて 項垂 れてしまった。

「姫君、気になさいますな。そうして思い出して頂けただけで、私は満足ですよ」

 セイラン皇子があの時のように優しく微笑んだ。
 トールティナは、遠い昔の記憶を思い出して、そうして今目の前で優しく微笑んでいる皇子を見つめ、自分の見解が誤っているのではないかと思った。
 あの寂しい少年は時を経て、今ではこんなに立派に成長しているが、その醸し出す雰囲気はまるであの頃のまま寂しさに彩られているように感じる。
 自分を見る目付きの、そのなんとも言い難い寂しそうな双眸…

 たった一瞬の邂逅だったが、頭に触れた皇子の優しい手の温もりは覚えている。

 トールティナは困惑したような面持ちで、自分の眼前でティーカップに口を付けている生涯の伴侶となるはずの青年を見つめていた。

「コウエリフェルのお役人がオレに何のようだ?」

 紅の牙を率いる頭領は、銀の前髪が零れ落ちてこないように真紅のタバンダナで額を覆い、エメラルドの勝気そうな瞳を鋭く光らせながら旅装束の青年と一風変わった道化の衣裳に身を包んだ青年を交互に見遣る。

「噂に聞くと、神竜の居場所を知っているそうじゃないか」

 単刀直入に聞く旅装束の青年リジュに、頭領の傍らで凄んでいた連中が 俄 かに色めき立ったが「うるせぇ」と、自分たちの主の 一喝 で黙り込んでしまった。

(なるほど。紅の牙の連中にとって、この青年が絶対権力なんだな)

 リジュは荒くれ者を 統括 しているまだ若そうな青年を、内心で感心していた。ことあるごとにデュアルから寝てんじゃないの?と言われる細い双眸の奥の新緑の眸は、警戒するように油断なく周囲をそれとなく見渡している。

「まあな。あんたらはつまり、神竜に会いに行きたいと言うのか?」

「ああ」

 リジュが表情には表さずに慎重に頷くと、銀髪の青年は肩を竦め小馬鹿にしたように口角をクイッと上げて哄った。

「神竜の許に訪れるはずの竜使いを、大方攫おうって手筈なんだろ?浅はかだな」

 腕を組んで壁に凭れていた青年は身体を起こすと、ゆっくりとリジュに歩み寄って口を開いた。

「残念だが、神竜の許に竜使いが現れれば、もう奴らを止めることなんてできっこないぜ。掻っ攫おうなんざ無理もいいところだ。もっとよく文献を調べて出直して来るんだな」

 突き放すように言って笑う頭領に倣って、リジュたちを囲んでいた連中も馬鹿にしたように笑った。

「そうか、判った」

 これ以上ここにいたとしても、恐らくこの頭領の気性からは何も語りはしないだろう。そう踏んだリジュは傍らに立つ、不気味なほど黙り込んでいるデュアルを促して立ち去ろうとした。しかし。

「どうして掻っ攫えないって言いきれるの?奇跡、なんて馬鹿らしいことは言わないけどさ。神竜はほら、竜使いの涙で復活するんでしょ?だったら泣かせる前に掻っ攫っちゃえばいいってことなんじゃないの?」

 腕を組んで不満そうに下唇を突き出していたデュアルが唇を尖らせてそう言うと、銀髪の頭領はジロッとそんなふざけた道化師を 睥睨 した。

(こいつ…どうして知っているんだ?)

 内心で毒づく台詞がまるで聞こえてでもいるかのように、デュアルがニッと笑う。

「知らないと思ったんでしょ?そりゃあ、竜使いを狙ってるんだから文献ぐらい読んでくるよー」

 ケラケラと笑うものの、その異常に冷めた青紫の双眸だけは笑わずに、頭領の出方を密やかに見守っているようだ。息を殺して、獲物を捕らえようと茂みに身体を隠してその瞬間を狙っている肉食獣のような、狂暴な双眸で。

「…なるほど。あんたがコウエリフェルの用心棒か」

 抜け目のない道化師の噂は、彼が密かに密約を交わしているコウエリフェルの黒幕から話は聞いていた。はじめはリジュがそうなのだろうと思っていた。まさかこのふざけた道化師が…そう考えて、人は見た目ではないのだと言うことを、彼はもう一度再認識させられた気がした。

「オレはカイン。紅の牙の頭領だ」

 そう言ってリジュに腕を差し出す青年に、コウエリフェルの王宮竜騎士団団長は一瞬僅かに 躊躇 したが、すぐに彼が自分たちを認めたことに気付いてその腕を握り返した。

「コウエリフェル竜騎士団の団長リジュ=ストックだ。こいつは…」

「団長さんの心強い相棒vデュアル=ケオティックだよ」

 努めてふざけた口調でニコッと笑ったデュアルはしかし、とうとう最後までカインの手を握ることはなかった。

第一章.特訓!6  -遠くをめざして旅をしよう-

 少女は木々に囲まれて、見張りの為に夜通し燃えあがる篝火に浮かぶ、白亜の美しい王城を見つめていた。
 燃えあがる焚き木の炎にオレンジの眸が揺らぎ、彼女の心の深い部分までも照らし出しているようだ。不思議な髪は薄いブルーと淡い紫が混ざり合っている美しい色で、肩口でキチンとつみ揃えられている様子は、どこか高貴さが漂い、動きやすい衣裳に身を包んであっても彼女には気品があった。
 意志の強さを秘めたオレンジの眸が一瞬細められて、次いで傍らに片膝をついて控えた長身の、漆黒の甲冑に身を包んだ場違いな男を振り返る。

「王城が遠く霞んでいるわ。こんなに近くにあっても、あたしはなんて非力なのかしらね…」

「姫君…」

 肌も露なTシャツにホットパンツのようなズボンを穿き、片足だけ股まである靴下を穿いた快活そうな少女の、まるで出で立ちに似合わない小さな溜め息のような呟きに、黒甲冑の男は兜に見えない表情を僅かに曇らせた。

「心配しないで、ローラディン。あたしは、だからこそ生きていけるのだから。あの、懐かしい城を取り戻すまでは、けっして死んだりしないわ」

 幾分かホッとしたように黒甲冑が身動ぎすると、憂いを秘めた少女のオレンジの双眸が、僅かに優しく揺れる。

「ごめんね。お前たちには無理ばかりさせて…」

「姫君。案じられますな。我らは姫と共にあることこそ無上の幸福なれば、誰も貴女さまを責める者などありますまい」

 些か不満そうに呟く黒甲冑に、少女はすぐにクスッと微笑んだ。
 自分たちをもっと信じてくれと、黒甲冑が雰囲気に漂わせる強い意志が、少女の頑なな心をいつも平常心に戻してくれているのだ。
 ホッとする。
 少女は申し訳なく思いながらも、自らの小さな胸に沸き上がる不安や恐怖のようなものが一蹴されることを感じて目を閉じた。
 大丈夫、きっと明日も生きていける。

《ブルーランドには魔族がいるのね》

『魔族?』

 ルウィンが出掛けてくると言って部屋を空けた殺風景な室内で、光太郎はベッドの上にちょこんと座って胸に抱き締めた小さな飛竜の顔を覗き込んだ。

《そう》

 チビ竜は温かな光太郎に抱き締められることが何よりも好きで、良くこうして会話を交わしている。

《昔は他種族とも仲が良かったのね。でも、ある日突然彼らは叛乱を起こし、ブルーランドを攻めたの》

『てことは、もともとブルーランドって国は魔族のものじゃなかったんだね』

 チビ竜は神妙な面持ちで頷くと、溜め息を吐いて首を左右に振った。

《どうしてそうなっちゃったのか、きっと魔族にも判らないと思うのね。昔はあんなに仲が良かったのに。ルーちゃんの…》

 そこまで言って、ルビアは慌てたようにハッと口許を押さえた。
 もちろん、光太郎は目敏くそれに気付いて、怪訝そうな表情をすると首を傾げてルビアの顔を覗き込んだ。

『ルウィンがどうかしたのかい?』

《な、なんでもないのね》

 取り繕うように笑うと咽喉を晒して光太郎を見上げるルビアのエメラルドの大きな瞳は、微かな動揺に揺れていて、光太郎に不信感を抱かせるには充分だった。

『教えてよ、ルビア!』

 その晒した咽喉をコチョコチョと擽りながら、光太郎がクスクスと笑ってじゃれ付くと、ルビアもイヤーンと笑いながら緩慢な仕草で身動ぎする。

《なんでもないの!ルーちゃんの初仕事の場所だったってだけなのね!》

 ケラケラと笑いながら、あながち嘘でもないことを言って暴れるルビアに、光太郎はその擽っていた手を止めると驚いたような表情をした。

『初仕事…ってやっぱり、賞金稼ぎの?たった一人で、魔族の王城に行ったのかい!?』

 笑いすぎて肩で息をする小さな真紅の飛竜は息を整えると、驚いたように見開かれた夜空色の漆黒の瞳を見つめながら頷いた。

《ルーちゃんは強いの。でも、ナイショだけど。ルーちゃんはその任務を失敗しちゃったのね》

『当たり前だよ!たった一人で魔族の王城に行くなんて!自殺行為じゃないかッ』

 本気で怒る光太郎にルビアは少し驚いたように目を見張ったが、すぐに小さく微笑むと、その身体を小さな両手で必死に抱き締めた。
 普通なら、このアークで生きる住人ならば、賞金稼ぎが仕事に失敗すると言うことは致命的で、以後けして雇おうなどとは思わない。馬鹿にされる要素なのだ。
 だが、異世界から来た住人は、掛け値なしでルウィンの身体だけを心配している。
 そう言う人間もいるのだとルビアは純粋に嬉しくて、そして、どうしてそんな人物が【竜使い】なのだろうかと悲しくなった。
 だからこそ、なのかもしれないが…

『ルビア?』

 【竜使い】の悲しい定めを知る小さな飛竜は、飛竜族でありながらけして思ってはならないことを自分が考え始めていることに気付いて愕然とした。
 光太郎が竜使いじゃなければいいのに…ずっと、一緒に旅ができたらいいのに。
 神竜が待ち焦がれている竜使い、もしかしたら、悲しいルウィンの心を満たすことができるかもしれない光太郎。
 ルビアは唐突に浮かんだ思いに、いったいどうしたらいいのか判らなくて、光太郎の呼びかけに答えることもできにずに不思議そうに小首を傾げるその身体に抱きつくしかなかった。

「ルウィン=アルシェリア。あら、珍しい。ハイレーンの賞金稼ぎね。しかもトップクラス。こんな田舎町じゃ滅多にお目にかかれない 銀鎖の剣 が見られるなんて、あたしってばラッキーねぇ」

 お喋りな受付嬢はクスクスと笑うと、預かっていた銀色のプレートのようなものをルウィンに差し出した。
 それはある種の通行手形のようなもので、行った先々の町で必ずギルドの事務所にそれを提示し、仕事の斡旋を受けたり生きていると言うような生存確認の登録をするのだ。いわば身分証明…つまり賞金稼ぎの免許証のようなものである。

「はい、登録しておいたわ」

 美形の賞金稼ぎに町娘はやや舞い上がっているように頬を上気させ、うっとりした双眸で見つめてくる。そんな視線にも慣れているのか、ルウィンは銀色の無機質なプレートを無表情で受け取って懐に仕舞うと、机を指先で弾きながら訊ねた。

「仕事が欲しいんだけど、何か手頃な依頼はないかな?」

「手頃って言うと、たとえば?」

 受付嬢は、どうやら依頼の掲載されているらしい膨大なリストを持ち上げると、胸元に垂らしていた眼鏡をかけて上目遣いにルウィンを見上げてきた。

「そうだな…日数のかからない、まあ、ぼちぼち金になるヤツだったらなんでも」

「日数のかからない…って言うと、護衛系は無理ってことね。じゃあ、魔物退治なんてどう?」

 そのページを 捲 る受付嬢に曖昧に頷いて、ルウィンは良く聞こえる耳を欹てて、遠くで屯しているこの町の下級賞金稼ぎたちの会話に耳を傾けた。受付嬢は膨大なリストから希望の依頼を弾き出そうと、熱心に俯いて無口になっている。

「おい、聞いたかよ。ティギの村でまたカークーが襲われたんだと」

「マジかよ。この月に入って何羽目だ?」

「3羽か…4羽ぐらいじゃねぇか?あの村も災難だな。シーギーに目を付けられるなんて」

「下級妖魔だと誰も相手にしねーからなぁ。貧しい村だと思うような報酬も得られんし、普通の賞金稼ぎは避けて通るよ。大方、出せても300ギールがいいところだろう」

「あの村はもう駄目だな」 

 口々に言っては溜め息を吐く。だが彼らの言う通り、大概の賞金稼ぎはその名の通り報酬の為に命を張るもので、下級クラスの魔物や低い報酬には見向きもしない。
 中級から上級クラスの魔物となれば、報酬も良ければ自分の名に箔がつく、そう言った理由から賞金稼ぎは下級の依頼は国王の命令でもない限り受けたりはしない。いや、たとえ国王の命令だとしても、断固として撥ね付ける賞金稼ぎもいるぐらいなのだから、その厳しさが判るだろう。
 たとえそのせいで村が壊滅的な被害に遭おうと、彼らの知ったことではない。彼らは慈善事業家ではないのだ。
 よほどの物好きがいれば話は別だが…

「ティギの村の依頼はどうなってるんだ?」

 突然話題を振られ、リストに齧り付いていた娘は顔を上げると怪訝そうな表情をしたが、大方、この旅の賞金稼ぎもそこらで近隣の村の情報でも耳にしたのだろうと思ったのか、言われたとおりにそのページを指で探って見つけ出すと内容を目で追いながら眉を顰めた。

「あなたの希望通りじゃないみたいよ。シーギー退治で250ギール。最低ね。これじゃ、誰も見向きなんてしないわよ」

「ふーん…じゃあ、それでいいや。伝令鳥を出しておいてくれ」

 受付嬢は驚いたように眉を上げて、それから徐に胡乱な目付きをした。

「ちょっと、本気なの?興味本位ならよしてよ。途中でやーめた、なんて言われたら、あたしたちギルドの 沽券 にも関わるんだからね」

「判ってるさ。ほんの小遣い稼ぎでいいんだよ。次の町まで行ける路銀になればな」

 この金額でどこまで行くのかと言いたげな疑い深そうな表情をしていた娘はしかし、幾分か嬉しそうな表情をして紹介状を取り出した。

「それなら、伝令鳥を出しておくわ。これは紹介状ね。…正直、ちょっとホッとしたわ。誰もこの依頼を引き受けてくれなかったから、あの村はもう駄目だって思っていたの」

 羽根飾りのついたペンで羊皮紙にルウィンの名とそのクラスを明記しながら、娘は綺麗で優しい賞金稼ぎに幾分か心を奪われているようだった。いくら小さな村とは言え、自分たちの暮らす町からそう遠くない場所で、ひとつの村が終焉を迎えようとしているのは気持ちの良いものではない。しかし、だからと言って命を落とすかもしれない魔物退治に、喜んで行くのは報酬目当ての賞金稼ぎぐらいだ。それだって、強かな金額でなければ首を縦には振らないだろう。ましてやトップクラスの賞金稼ぎとなればなおさらだ。
 しかし、この美しくも最高のクラスに立っている賞金稼ぎは、誰も見向きもしないような依頼を引き受けようとしている。

「じゃあ、ここにサインして…これでギルドの契約は終り。これ、村までの地図ね。じゃ、後は村の責任者と契約してちょうだい」

 紹介状と地図を受け取ってギルドを後にしようとするルウィンの良く聞こえる耳に、慌てたように駆け寄る足音が聞こえる。あの受付嬢はこの町のギルドでは看板娘だったのだろう。先ほど会話をしていた連中が口々に彼女に問い掛けているようだ。

「なあ、今のハイレーンの賞金稼ぎだろ?お、俺、初めて見ちまった」

「綺麗でカッコイイよな!なあなあ、紹介状を渡してたじゃん!どんな依頼を請けたんだ!?」

「あの 銀鎖の剣 はSクラスだ。5000ギールの依頼か…いや、10000ギールはいくかもな!」

 言いたい放題言う下級クラスの連中に、受付嬢は厚いリストでバンッと机を叩くと、かけていた眼鏡を外しながら怒鳴った。

「あんたら腰抜けと違って、たった250ギールの依頼を平然と請けたのよ!恥を知りなさい恥を!依頼はまだ山ほどあるんだからね!登録ばっかりしてないで少しは仕事を請けてちょうだい!」

 受付嬢の 一喝 で 蜘蛛 の子を散らすように去って行く男たちに溜め息を吐く気配を感じて、ルウィンはクスッと笑った。どこの町も同じだが、ギルドの娘は強いなと思ったのだ。
 当たり前だ、荒くれ者の連中相手に値段の交渉も彼女達がするのだ。低いだの高いだの、 一喝 で 纏 められるほどの勢いがないと、賞金稼ぎのギルドでは仕事ができないだろう。
 ルウィンはそれほど頑丈ではなさそうな扉を開いて外に出た。
 傾きかけた陽射しに町が暮れなずもうとしている。
 今夜は光太郎たちを久し振りのベッドでゆっくりと休ませてやろう。
 光太郎を連れての初めての仕事なら、シーギー退治でちょうどいいだろうとルウィンは安易に考えていた。