写真の理由 (番外編)  -デブと俺の恋愛事情-

「で、この写真のなかでどれが一番気に入ってるんだ?」

 エッチの後はいつだって気怠いが、俺は緩慢に伸ばした腕で床に落ちた箱を拾い上げながら上体を起こして、傍らで惰眠を貪っている洋太に訊いた。自分の犯ってる姿を見て喜ぶほど悪趣味じゃないが、これのどいつが洋太を喜ばせたのか知りたかったんだ。どの体位も淫らだが、必ず俺の横顔や顔が写り込んでいる。
 まあ、コレで脅そうとしていたんだから当たり前だけど、でもホント、やーらしく喜んでるよな俺。
 ほとんど全部、痛そうな表情なのに口許が笑ってる。

「ん…光ちゃん…」

 伸ばした太い腕で俺の腰を抱き寄せて頬を寄せながら呟く洋太に、俺はその身体を揺すりながらそうじゃないんだと声を少しだけ荒立てた。別に怒るほどのことでもないんだけど、俺はどうしても訊きたくてその太い腕を軽く抓ってみた。

「んん…なに?どうしたの?」

「この写真のなかでどれが一番好きなんだ?」

「う!?」

 目の前で自分の痴態が写し出された写真の端を口に咥えて笑っている俺を見上げて、洋太は顔を真っ赤にしながら横座りしている俺の腰に腕を回しながらモゴモゴと呟いて俯いた。

「あん?聞こえねって、洋太。お前さぁ、けっきょく俺から聞き出されちまうんだから、もう最初から言った方が楽なんじゃねぇの?」

 その顔を覗き込もうと身体を本格的に起した、写真を咥えたままの俺からそれを優しく取った洋太は真っ赤な顔で確認すると、『これは違うよ』と言ってベッドの下に落としてしまった。それから徐に起き上がり、俺の傍にある箱を引き寄せて、やけにニヤけた顔で1枚を選び出したんだ。
 チッ!目の前に本物がいるって言うのに、いったいどんな痴態を演じてる俺が好きなんだ!?
 俺は洋太の手からそれを奪い取って、胡乱な目付きで見下ろした。
 見下ろして、思わずキョトンッとしてしまう。

「洋太…これ」

「うん。それが一番好きなんだ」

 小さな俺が片目を閉じて擽ったそうに笑ってる。その頬に、キスしようとしてるやっぱり小さな洋太。
 周りで笑ってる級友たち、懐かしい幼稚園の写真…

「…って、嘘だろうがよ!この野郎ッ、俺さまの目は誤魔化せんぞ!」

 確かに大事にはしてるんだろうが、良く見てるわりには手垢もそんなについていないし…胡散臭いっつの!

「…う、やっぱり?…実は」

 そう言って往生際の悪い洋太の差し出した写真は、確かに手垢もついて、他の写真より草臥れてるみたいだけど…なんだ、こりゃ。

「こんなのがお前を興奮させるのかよ?」

 呆れたように訊くと、洋太は顔を真っ赤にして頷いた。
 ヘンなヤツだ。
 名前でも呼ばれたんだろう、熱に浮かされた顔を嬉しそうに綻ばせてカメラを見ている俺。両手は、抱き締めてくれと強請るように伸ばしてる。たったそれだけの写真なんだ。
 エッチな部分は全然写っていない。
 首筋と鎖骨のところにキスマークがあるくらいで、なんと言うこともない写真じゃねぇか。
 まあ、誘ってるって言われればそんな気もするけど…

「この顔、すっごく好きなんだ。これだけは、僕の趣味で撮っちゃった」

 じゃあ、他は違うのかよと突っ込みたい気分だったが敢えてそれを無視して、俺は暫く考え込んだ。

「こ、光ちゃん?やっぱり、怒っちゃった?」

 オロオロと黙り込んだ俺の顔を覗き込んで来る洋太に、俺は徐に顔を起すと、とびきり極上の笑みを浮かべて両手を差し出した。
 首筋と鎖骨のキスマークがネックなのかもしれないけど、全身にキスマークがついてることは敢えて目を瞑ってもらおう。
 洋太が喜ぶのなら、俺はいつだってこんな表情をしてやるのに…つーか、できるのに。
 お前の傍にいれば、いつだって俺は極上の笑顔ができるんだ。
 それとも生身じゃダメなのか?
 抱きつこうとする俺を掻き抱いた洋太は、まるで有無を言わせずに深く口付けてきた。下半身に当たる部分が熱くなってるから、なるほど、本当に効果覿面だ!
 やった、洋太を欲情させるツボを発見したぜ!
 俺はしめしめと内心で喜びながら、洋太の要求するどんなことにも応えようと口を開いてその舌を迎え入れた。
 コイツには何度だって抱かれたい。
 だって、そうすることで愛されてるんだって身体で感じられるから。
 俺は本当にコイツに参ってるんだ。
 洋太、好きだ。大好きだ!
 骨が軋むような力強さで抱き締められて、俺は喜びに震えながら間もなく訪れるはずの快感を夢見てうっとりと微笑んだ。
 ああ、俺って本当に幸せ者だな!

…洋太、学校でも俺を愛してくれよ(笑)

Level.7  -デブと俺の恋愛事情-

「けっきょく、俺たちは両思いだったんだな?」

 ずっとおんぶして連れて帰ってくれた洋太の部屋のベッドの上、嫌な連中の残した残滓を全て洗い流して、スッキリした俺はやわらかなタオル地のガウンに身体を包んで洋太と向かい合って座っている。

「うん。もちろんだよ。僕は、幼稚園のあの頃から、光ちゃん一筋だったんだから」

 俺も、俺もずっと洋太が好きだった。
 でも、それは口に出しては言ってやらん。

「畜生ッ!ずっとヤキモキして損した気分だぜ」

「僕はそんな光ちゃんの気持ちがすごく嬉しい」

 吐き捨てるように、わざと照れ隠しにそう言った俺の身体を引き寄せて、不貞腐れる俺の頬に頬を寄せた洋太がクスクスと笑う。それに俺も答えるように笑って、その頬を両手で包み込んで鼻先を触れ合わせた。

「ずっと好きだったんだからな!少しぐらい、甘い気分に浸らせろよ?」

「もちろんだよ。…もう二度と誰にも触らせないように、僕が光ちゃんを守るからね」

 囁くように呟いたその少し厚めの唇に、俺は本当に嬉しくてそっと口付けた。
 歯列はすぐに割られて、奥で身を潜めてる舌を探り当てた洋太は、ゆっくりと煽るように舌を絡めてきた。
 このままエッチできたらいいな。
 たぶん、最高に感じそう…

「…ん…ふぅ…」

 甘い溜め息が漏れて、このままエッチに持ち込もうとした俺を、洋太が慌てたように止めやがった。
 チッ!なんだって言うんだ?

「僕ね、本当は光ちゃんに謝らないといけないんだ…」

「謝る?…それってもしかしたら、もう俺とは…」

「違うよ!絶対にそれは有り得ないから、もう安心していいんだよ!…そうじゃないんだ。あの、これ」

 洋太は俺から身体を離すとベッドの下に腕を突っ込んで暫く何かを漁ってるようだったけど、引き抜いた手に箱を掴んでベッドの上にそれを置いた。
 ん?なんだ、こりゃ。
 躊躇いがちに洋太がフタを開けたその箱の中には───目を覆いたくなるようなあられもない俺の痴態が映し出されたいくつもの写真が入っていた。こりゃ、ぶったまげた。
 いつの間に…って、コイツに抱かれて淫乱みたいに感じまくってた俺なら、いつ撮られても気付きもしないだろう。洋太なら、撮れるチャンスはゴロゴロしてたに違いねぇ。

「洋太…お前」

「変態だって思うよね!?僕、本当はずっと不安だったんだ。光ちゃんがいつか僕に飽きて、他の人のモノになるんじゃないかって。その時はこれを…僕は最低だ。やろうとしたことは高野と一緒なんだから…」

「あんなヤツと一緒にするんじゃねぇ!」

 思った以上の激しい叱責に洋太は驚いたように目をパチクリとさせたけど、当たり前じゃないか!あんなヤツと一緒なんか口が裂けても言ってくれるなよ!お前は、俺にとって特別なんだからな。
 バッカなヤツめ。

「そうか、洋太。そんなに俺のことを好きでいてくれたんだ…すっげ、嬉しい」

 覗き込んでいた箱から目を上げた俺は、ベッドを軋らせて洋太に近付くと、その太い首に腕を絡めて抱き締めた。
 洋太は俺の洋太よりは細い身体を抱きながら、モゴモゴと何かを口にしている。

「聞こえねぇって、洋太。もっとハッキリ言えよ。たいがいのことなら許せるし」

 いや、全部許す。
 当たり前だ、俺の愛するデブなんだから。

「僕、その…光ちゃんに会えないときはこれで…」

 抜いてたって言うのか?この野郎…
 沸沸と怒りが湧いてきた。前言撤回だ、こん畜生ッ!
 俺は洋太からガバッと身体を引き離すと、ビックリしているヤツの頬を引っ掴んでその顔を覗き込んだ。

「目の前にいつだって本物の俺がいるじゃねぇか!写真相手に抜くぐらいなら、この俺を押し倒せ!いいか!?これからは絶対に写真なんかで抜くんじゃねぇぞ!」

「こ、光ちゃん、それって…」

「いつでも、発情したら俺を押し倒せって言ってるんだ!判らねぇのかよ?お前のこの優秀な脳味噌は!」

 はじめ、洋太は驚いたように目を見開いていた、それから焦ったように動揺したが、最後はなんとも言えない微笑を浮かべて頷いたんだ。何がそんなに嬉しいのか、怒りの冷め遣らぬ俺は鼻で息を吐き出しながら憤然として洋太の大きな顔を見上げてた。
 そんな俺をギュッと抱き締めて、洋太のヤツは柄にもなく俺の頬にキスをくれる。
 おお、すげぇ!すげぇ、嬉しい!
 もっともっと…現金な俺が甘えるように身体を摺り寄せると、洋太はモジモジとして、そんな俺の耳元に小さく囁いてきた。

「発情しちゃった」

□ ■ □ ■ □

 俺は晴れて公然と屋上で、昼休みに洋太と飯を食うことができるようになってすげぇ嬉しかった。
 高野たちは俺たちを見るとビクビクして、まるで逃げるように一目散で姿を隠してしまう。あの様子だったら、もう二度と俺に近付いてくることもないだろうし、例の件を公にバラすってこともないだろう。一安心に胸を撫で下ろした。
 洋太は相変わらずデブで弱っちいフリをしながら色んなヤツに煙たがられてるけど、俺にはそれが心底嬉しかった。誰にも見せない真摯な双眸も、欲情した時に見せるあの野性味のある表情も、全部が俺一人のモノだと思うと天にも昇るほど嬉しかった。
 今日も空を流れる麗らかな雲を眺めながら弁当を食っている。
 お手製の卵焼きを箸で挟んで俺の口許まで持ってくる洋太を眺めながら、わざとらしくゆっくりと緩慢な動作でそれを口に入れて租借してみる。洋太を、なんとか学校でも発情させたくてがんばってみるけど、こんな風に、麗らかな午後を一緒に過ごせるってだけで喜んでいるコイツには到底無理な話だ。もちろん、俺だってすぐにヘラッと笑ってしまうからいけないんだろうけど。

「洋太。俺のこと、好きか?」

 あれからずっと、俺はこうして聞いてしまう癖ができた。もちろん信じてるから口を開くんだけど、洋太は相変わらず嬉しいそうにニヤけてハッキリと頷いてくれる。

「大好きだよ、光ちゃん」

 俺はこれ以上ない喜びを噛み締めながら、照れ臭そうに俯いてしまうんだ。自分から聞いたくせに、俺ってヤツは…

「俺も、俺も洋太が好きだ」

 照れ臭そうにはにかんだら、今度は洋太が顔を真っ赤にして俯いてしまった。なに、やってんだか俺たち。
 でも、最高に幸せだから、さり気なく手を握ったりしてお互いに真っ赤になって、それからエヘヘと笑い合ったり…
 こうして、デブと俺の恋愛事情は、恙無く、却っていい方向で進行中だ。
 誰にも邪魔をされませんようにと願いながら、俺は洋太に凭れて瞼を閉じた。
 腹も一杯になったし、すっげぇ、すっげぇ幸せだし。
 今日は午後の授業を俺のせいでサボるんだろうなとか考えながら、洋太の柔らかい身体に凭れて眠ってしまった。
 洋太の優しいあの眼差しと、温かい掌に頭を撫でられながら。
 ああ、俺は最高に幸せだ!

─END─

■□■□■
この『デブと俺の恋愛事情』は紫貴がBL系、もしくはヤヲイと言った内容の小説を初めて本格的に書いた感慨深い作品だったりしまッス。実に16年前(!)の作品なんですが、やっぱ未熟ッスね(今もだが)それでも、この作品が切欠になってイロイロとお話を書けて凄い楽しかったのを覚えてまッスvvvこれからも読める作品を書けるように、何かに行き詰った時はこの『デブ俺』を読み直して、あの頃の気持ちに戻って頑張るぞ!と決意しましたvvv

Level.6  -デブと俺の恋愛事情-

「うう…助けてっ!」

 思わず叫ぶと、他の連中は俄かに色めきたった。
 当たり前だ、今までに一度だって助けなんか叫んだことのない俺が、悲鳴のように叫んでるんだ!
 身体にならどこに火傷を作られようと全然平気だ、いや、痛いけど。でも、目だけは、絶対に嫌だ。その為なら、俺は無様に助けだって呼ぶさ。
 だが俺の、そんな必死の行為がヤツらの嗜虐心に火をつけちまった。

「あうっ!」

 炎を近づける高野に目で促された背後の誰かが指を這わせてきたんだ!いたるところを撫でまわしながら、俺の最奥にいきなり突っ込んできた。その衝撃に、立ったままでされると言う行為に怯えた俺は一瞬だが力が緩んで、もう少しで炎が目を焼くところだった。
 熱を感じて慌てたんだ。
 うう…やめてくれ、許してくれ…誰か…ああ、誰か…
 クソッ!そんな誰かなんか来るもんか!
 自力でなんとかしないと、今までに一度だって誰も信じなかったじゃねぇか!弱気なこと言うんじゃねぇよ!光太郎!!

「光ちゃん!」

 不意に懐かしい声が響いて、俺は背後から犯されながら、目にはもう少しで炎を食らいそうになりながらも、思わず笑っちまった。
 ああ、そうだな。誰を信じなくても、お前だけは信じてたんだっけ。
 こんなすげぇ格好して、誰が助けてくれるってんだ。
 都合のいい空耳にいっそ泣きたくなりながら歯を食い縛った時だった。

「ぐぇっ!」

「ギャァッ!!」

「グハッ」

 続けざまに悲痛な叫びが響き、俺を犯していた杭が乱暴に引き抜かれると、高野の信じられないほど見開いた目がバカみたいに俺の背後に集中している。一瞬の隙ができて、俺は力の限りその呪縛のような腕から離れた。よろけた拍子に無様にすっ転んだ俺を、しかし、高野は追って来ようともせずにただバカみたいに一点を集中して見ている。

「そんな、なんでお前…長崎か?」

 タバコを片手に下半身を剥き出しにした恥ずかしい格好で呆然と突っ立っている高野の口から漏れた言葉を聞いて、俺は恐る恐る自分の背後を肩越しに振り返った。
 まさか、まさか…
 絶対に来てくれるわけなんかない…俺の、救世主?

「洋太!」

 思わずふにゃっと泣きそうになったけど、今の、精液と唾液に塗れた身体を晒していることに唐突に気付いた俺は、アイツの目から逃れるように両手で自分を抱き締めて床に蹲るようにして縮こまった。

「光ちゃん…」

 どんな表情をしてるんだろう?嫌だ、嫌だ!絶対に見られたくなんかなかったのに、こんな、こんな薄汚ねぇ姿なんか!

「高野、てめぇ、ぶっ殺してやるッ」

 不意に漏れた物騒な声音は確かに洋太のもので、あの優しさは微塵もない。腹の底から出しているような声は、床に蹲って血反吐を吐いている連中の相乗効果もあってやけに迫力がある。
 その握り締めた拳には、誰かの血がベットリと絡みついていた。
 鼻か、さもなくば顎か、どちらにしろへし折れてることは言うまでもねぇんだろうな。
 現に、叫んで転がり回っている連中の一人なんかは、腕の皮膚を突き破って何か白いものが覗いてるような気もする。
 一気に薬が醒めたのか、高野は開いた口が塞がらないほど驚いたようで、手にしていたタバコ型の薬は床に落ちていた。
 大股で歩み寄る洋太に怯えた高野は、思わず後退さって俺のように無様にすっ転んだ。

「ひ、ひぃぃ~ッ!」

 バタバタと、下半身を晒して尻でいざる高野を物騒な双眸で見下ろしていた洋太は、不意にポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。青褪めて怯える高野の目の前でゆっくりと白刃を晒すその凶器を開くと、躊躇いもせずにヤツの股間に向かって一直線に落としたんだ!
 それはすらで急所を逸れて床に突き刺さったけど、それだって本当は洋太の仕組んだことなんだろう。コイツ、こんなに冷静に誰かを傷付けることもできるのか…知らなかった。
 恐怖に失禁して白目をむいた高野をバカにしたような目付きで見下ろしていた洋太は、不意に無言で俺を振り返った。
 悲鳴を上げそうになるほど冷たいその双眸から逃れるように背を丸めて、俺は恐怖と、きっと洋太に嫌われてしまったと言う深い絶望感に泣いていた。
 ハラハラと涙を零して蹲る俺に近付いた洋太は、何も言わずに上着を掛けてくれた。

「見るな!…こんな、こんなの俺じゃねぇ!お願いだから、見ないでくれ…」

 しゃくりあげながら立てた両膝に顔を埋めて洋太を見ようとしない俺を、ヤツは背後から優しく抱き締めてくれた。

「光ちゃんがね、僕の為にイロイロとやってくれてたの、知ってたよ」

「…え?」

 泣き濡れた顔を上げて洋太を見ようとしたけど、俺の肩に顔を埋めた洋太の顔を見ることはできなかった。

「この身体、ずっと綺麗にしてたよね。喧嘩して痣だらけになってて僕が悲しい顔をしたら、もう二度と喧嘩をしなかったよね?あれ、本当にすごく嬉しかったんだ」

 そんなこと、覚えててくれたのか?
 お前が悲痛そうな顔でせっかく綺麗なのに、って言ってくれたから、俺はもう喧嘩をしないことにしたんだ。
 売られた喧嘩もできるだけ買わないようにして、買ったって身体に痣を作らないように気をつけて殴り合った。綺麗な身体をお前に抱いて欲しかったから…

「洋太ぁ…でも、俺はもう汚いんだ。畜生ッ」

 吐き捨てるようにそう言ったら、なんだか急に実感が湧いてきて、ああ、もう本当に洋太の傍で眠ることもできないと思った。たくさんエッチもしたいし、キスだってしたい。でも、今の俺はもうダメだ。まるで本当の淫乱になったように、誰彼にでも足を開いちまったんだから…言い訳なんか、却って醜い。

「光ちゃん、気付かないうちにこんなに痩せちゃって…あの約束、思い出した?」

 さめざめと泣く俺の身体をさらに強く抱き締めて、こんな時なのに、洋太のヤツはまだそんなことを聞いてくる。うっうっ…そんなに俺から離れてぇのかよ!クソッ!

「もういい!離せってッ。俺はもう大丈夫だから、洋太はお前がいちばん幸せだって思う道を行けよ。もう、引き留めたりしないから…」

「光ちゃん、それじゃあ答えになっていないよ。そもそも、約束、本当に綺麗さっぱりと忘れちゃったんだね」

 大きな溜め息を吐いた洋太はいきなり俺をグイッと自分の方に向かせると、まるで俺が見たこともない真摯な、それでいて意志の強そうな男らしい双眸をして見つめてきた。
 ああ、本当にお前はかっこいいよ。デブだけど。それだって、なんの障害にもならないんだ。

「大好きだ、洋太」

 俺はずっと言いたかった言葉を口にして、これが最後だからとその首に両手を伸ばして抱きついた。もう、本当に触れることができないのなら、俺はきっと死んでしまう。そんな風に感傷的になりながら、でもそれはきっと真実だと思うから、らしくなく泣いてしまう。

「こ、光ちゃん!?そんな、急にそんなこと言われたら…」

 動揺してるのが手に取るように判った。
 当たり前だ、今まで散々好き放題してコイツを困らせていた俺の唐突な告白に、動揺して困惑するのも頷ける。でも、これが最後…

「すっごい嬉しいよ!言葉では言ってもらったことがなかったから…身体はすごく正直なのに、光ちゃん、ちっとも愛の告白をしてくれないんだもの。僕はいつも悲しかったんだ」

 なぬ?
 今、なんて…

「俺、こんな身体で…」

「身体?ああ、あのクソ野郎どもに犯られたってことだね。いいよ、半殺しにしたし。でも、本当は光ちゃんがすごい辛かったんじゃないかって、気付いてあげられなかった自分を恨んでいるよ」

 顔を起して洋太のふくよかな顔を見ると、すごく優しそうな表情をして、洋太は俺の頬を濡らす雫を指先で拭ってくれた。

「洋太、俺…写真を撮られたって。あんなことして、高野のヤツ、バラまかないかな?」

 ギュッと抱きつきながら呟くように言うと、洋太は盛大な溜め息を吐いて首を左右に振った。

「写真を撮ってたって?…あそこに高野が来ていたことは知っていたよ。まさか光ちゃんを脅すなんて思っていなかったから放っておいたけど…アイツ、光ちゃんの可愛い声を聞いて、写真どころじゃなかったみたいだったけど?」

 俺はビックリした。
 こいつ、俺と犯ってる最中でも周囲に気を配ってたって言うのか?なんてヤツなんだ…昔から抜け目ないし、頭いいとは思っていたけど…あれ?今なんか引っ掛かったような。

「思い出した!俺とお前の約束!」

 俺はガバッと身体を起こして洋太を見つめると、ヤツはホント?とでも言うように優しく目を細めて俺の腰を抱き締めた。
 ああ、すっかり忘れていた。
 そうだ、俺はコイツに約束したんだ。
 洋太が、ガキ大将のクセにやけにかっこよかった洋太が俺を守ってやるって言ってくれたんだ、でも俺はそれが嫌だった。守られてるだけじゃ、いつかきっとコイツに嫌われてしまうと、小さいながらに俺は考えてそして結論を出した。
 俺が守るから、洋ちゃんは誰のモノにもならないで。喧嘩も弱くなって、誰も好きにならないで、その代わり僕が洋ちゃんのモノになるから…
 あの約束…だからなのか?

「だから、わざと太って誰からも見向かれないようにして、強いくせに弱っちぃフリまでして…?俺の、俺のモノになってくれてたのか?」

「そうだよ!光ちゃんは約束通りどんどん強くなるし、いつだってエッチもしてくれるし。でも、いきなり好きな子ができたとか聞いたら、やっぱりショックだったんだ」

「違う!俺が好きなのは洋太だけだ!!」

 間髪入れずに否定した俺にニッコリ笑って頷いた洋太に、俺は小さなキスを贈った。この気持ちに偽りなんかねぇ、もうずっと、真剣だったんだ。

「うん。僕も光ちゃんが大好きだよ」

 ああ、俺はまた泣いてしまった。
 まるで涙腺がぶっ壊れちまったみたいに、ボロボロと泣きまくった。洋太は驚いてオロオロしたけど、俺が落ち着いて泣きやむまでずっと抱き締めてくれていたんだ。
 俺は、俺は…なんて幸福なヤツなんだろう。

Level.5  -デブと俺の恋愛事情-

「なんだよ?もっと声を出せよ!」

「なんだ、こいつ。怯えてんのか?」

「まさか!あの里野光太郎だぜ!?」

「ケッ、散々梃子摺らせやがって!」

 口々に下卑た揶揄をする男たち、俺が前に叩きのめした連中は俺の肌に忙しなく指を這わせている。性急な仕草はまるで初体験のガキみてぇだ、バカなヤツらめ。
 唐突に口に含まされたものを、見ないようにして舌を動かす俺の下半身を、高野は尻を叩きながら穿っている。誰にも洩らさねぇとか言って…まあ、洋太のことは言ってねぇみてぇだが、俺のことはちゃっかり連中にくっちゃべってやがった。
 ほぼ毎晩、こいつらに犯されている。
 初めこそ大人数に身体が疲れ切ったが、今は無難に遣り過ごすことを覚えたから気絶することもなくなった。
 せめて安ホテルにでも連れ込んでくれればこれほど身体に負担はないんだろうけど、ヤツらときたら、手っ取り早く犯るためにどこかの廃工場の跡地に連れ込みやがる。犯りっぱなしで行くから、家に帰るまでに身体はクタクタになる。身体の奥に注ぎ込まれた白濁も気持ち悪いし、身体中についてる唾液にも吐き気がする。
 連中が何度目かの絶頂に達した頃、漸く俺は一度目の快感を覚えるんだ。
 それも、快感らしい快感じゃねぇけど…

「見ろよ!里野のヤツ感じてるぜ!」

 目敏く見つけた誰かがそうバカみてぇに騒いで、他の連中も何が嬉しいのか、やけにハイになってる。コイツら…薬でもやってるんじゃねぇだろうな。
 俺は、愛する洋太と清く健康的に犯るために、タバコとか薬は絶対にしないことにしている。
 それが俺の信条だ!アイツが好きだと言った俺の匂いが、タバコとかそんなもんで汚されるのだけは許せねぇ。洋太が俺を抱くときに幸福な気分を少しでも味わってくれたら、俺はそれだけで幸せだったんだ。
 だから、今のきったねぇ唾液だらけのこんな身体、消えてなくなっちまえばいい。

「よーう、光太郎。何を考えてんだぁ?」

 トロンとした濁った目で俺を覗き込んで来る高野は、タバコみたいなものを咥えてる。やっぱり薬かよ。冗談じゃねぇや。

「おら、お前も吸えよ。サイコーな気分になるぜ?天国までエスカレーターで行こう」

「ふざけんな!エレベーターに乗って逝っちまえッ」

 野郎のモノが引き抜かれた口許に無理矢理押し込もうとしたそれを吐き捨てて、俺は高野を、そして俺に圧し掛かろうとしていた連中を蹴倒してやった。
 白濁が漏れた口許を拭いながら、俺は怒りに震える口調で高野に怒鳴りつけた。

「俺はお前に抱かれてやるとは言ったが、薬にまで手を出すとは言ってねぇ!あんまりふざけた真似をすると、てめぇらまとめてぶっ殺すぞッ!!」

 薬で完全にラリってる高野を除いた、いくらか正気を残していた連中は怯えたように竦みあがった。寂れた廃工場の跡地で、全裸で立ってる男なんか普通なら鼻で笑って殴りつける連中でも、ことこの界隈を賑わせているこの俺さまを、どんな格好だって一度は病院送りにされたヤツらなら怯えても当然だ。

「あーあ、もったいねぇ。コイツ1本で1万はするんだぜ?」

「お、おい。こ、高野…」

 俺の般若のような表情に竦みあがった連中が、トロンとした表情で薄汚れた床に落ちている薬を拾い上げる高野を宥めるように突付いたが、高野は物騒な表情をして俺に近付いてきた。
 自然と、この百戦錬磨の俺が後退さる。
 ラリッた連中となんか何人とでも殴り合った、でも、コイツの場合は、なんかゾッとするんだよな。尋常じゃない目付きのせいかもしれないけど…

「そら、男のチ○ポをしゃぶれるんだ。薬ぐらい咥えられるだろ?」

 ゲラゲラと下卑た笑い声を上げて俺の顎を嫌というほど掴み上げた高野に、俺は苦痛に眉を寄せながら、それでも絶対に吸うもんかと口を真一文字に引き結んでヤツを睨み据えた。
 顎は…クソッ、明日には鬱血してるんだろうな。

「なんだよ、強情だなぁ…じゃあ、口を開けるようにしてやろう」

 そう言って、ヤツは俺の目にその真っ赤に燃える炎を押しつけようとしてきやがった!
 ギョッとしてその腕を離そうとしたが、クソッ、薬でラリッたヤツの力の強さにはホント感心させられるぜ。いや、感心してる場合じゃねぇんだけど!

「ウッ!?」

 こ、こいつら…
 まるで、今までの復讐だとばかりに竦みあがっていた連中がやけに興奮して、高野の腕を掴んでいる俺の手を引き離そうとしやがるんだ!
 じ、冗談じゃねぇ、この手を離したらあの炎が俺の目を焼くんだ。
 そんな…そんなのはぜってぇに嫌だ!二度とまともに洋太の顔を見られなくなるなんて…!
 こんな風にムチャクチャになった身体じゃあ、どっちにしたってもう洋太に抱かれることなんてできねぇけど、それでも俺は、洋太の顔ぐらいはまともに見たいんだ!
 うう…クソッ!畜生ッ!誰か、誰か…助けてくれ!

Level.4  -デブと俺の恋愛事情-

「なんだと?」

 俺は呼び出された屋上で、まるで無頓着に流れていく白い雲を眺めながら、聞かされた
台詞に信じられなくてゆっくりと俺を呼び出したヤツに振り返った。

「なんて言ったんだ、てめぇ」

「だからよぉ…」

 ゆっくりと組んでいた腕を解くとポケットにその手を突っ込んで、ブラブラと散歩でもするように俺の傍まで近付いてくると、風に揺れる俺の前髪に触りながら目を細める。
 俺はそれを嫌って首を振ると、高野のヤツはわざとらしく両手を小さく上げて降参するようなポーズを取った。でも、その目は一向に降参する気なんかなさそうだ。

「見ちゃったんだって。お前と、あのデブが犯ってる現場を」

「ヘッ、だからどうしたよ?俺を脅してんのか?バッカじゃねぇの」

 そんなので脅される俺じゃねぇっての。傍にいて気付かなかったのかよ、この間抜け。

「ああ、お前はな。…でも、長崎のヤツはどうだろうなぁ?こんな噂を流されたら、優等生のあのデブ…」

 言いかけた言葉を飲み込んだのは、俺の双眸がこれ以上はないってぐらい釣りあがり、物騒な雰囲気を漂わせたからだ。人一人、殺したって後悔なんざしねぇ…それが俺の口癖だ。

「で、どうしろって言うんだ」

「…ヘッ、聞き分けのよろしいことで」

 冷や汗流しながら言ってんじゃねぇよ。チッ、シクったな。
 よりによって高野のヤツに見られちまうなんざ…しかし、あんな誰もいない南校舎になんの用事があって来てたって言うんだ?フンッ、おおかた俺たちの後でもつけて来たんだろう。

「お前さぁ、やけに色っぽいんだな」

 前髪から、今度は襟足に触れながら高野は粘っこい口調でそう言った。
 なるほど。

「俺を抱きたいのか?」

 直球の台詞に高野のヤツは面食らったようだったが、俺が乗り気だと誤解しやがったのか、尻上がりの口笛を吹いて肩を竦めて見せた。

「抱きたいっつーか、興味があんだよ。男と犯ったことなんかねぇからさ、試させろよ」

 俺はダッチワイフじゃねぇっつの!…でも、ここで断れば明日から洋太は、あのデけぇ身体を縮こめて登校する羽目になるんだよな。おまけに一人暮しもパアになって、呑気な母ちゃんたちから付き合いもとめられちまうんだろう。
 そんなのは絶対に嫌だ!
 あの約束を思い出すまでのもう少しぐらい、洋太の傍にいたいんだ!

「…判った」

「それから」

「まだあるのかよ!?」

 俺がムッとして高野を見ると、まるで当然そうに今までは一度だって触れもしなかったくせに、俺の肩に馴れ馴れしく腕を回しながら頷いた。

「あったりまえだろ?それから、あのデブとは付き合うな。もう二度と抱かれるんじゃねぇ」

「なんだと、この野郎…」

 俺が胡乱な目付きで睨み付けると、高野は少しだけビビッたようだったが、すぐにニヤリッと笑って耳元に口を寄せてきた。

「写真があるんだよ。バラまかれたい?」

「…ッ!」

 声を失った俺は唇を噛み締めると、諦めたように双眸を閉じて小さく頷いた。
 満足したのか、高野はやおら俺の顎を片手で上向かせ、やけに慣れた仕草で口付けてきた。
 吐き気がするほど気持ち悪いキスは続き、俺は双眸を閉じたまま怒りに打ち震えながら両手の拳を握り締めていた。

□ ■ □ ■ □

「里野くん…」

 洋太がオズオズとノートを差し出してきたそれを、俺は目を合わせないように受け取って机に投げ出した。
 洋太はきっと、俺がなんで怒っているのか判らないだろうな。
 いつもの癇癪とも違うし…ごめんな、お前に怒ってるわけじゃねぇんだ。自分自身が情けないんだよ。

「ああ、洋太。もうノートはいいから。これからは、使いッ走りもしなくていい」

「え?」

 本来なら、虐められッ子はこう言われれば喜ぶだろうに、洋太は明らかに愕然としたように、驚いたような表情をして首を傾げた。

「ぐだぐだ言ってねーでさっさと行けよ、デブッ!目障りなんだよっ」

「鬱陶しーんだよ、デブ!」

 高野が机を蹴っていつものように洋太を散らそうとしたが、俯き加減に目線を合わせようとしない俺の肩にさり気なく置かれた高野の腕を、洋太は食い入るように見ているようだった。

「里野くん…」

 もう一度俺の名を呼ぶ洋太。
 お願いだからもう向こうに行ってくれ。
 お前の声も姿も、もう見たくないんだ。見てしまうと、聞いてしまうと…縋りつきたくなる。愛してるのはお前だけだって叫びたくなるんだ。
 お前に抱かれなくなって1週間が経つ、その間、俺は貪るように高野に犯されていた。
 慣れた身体は高野をすんなりと受け入れたが、俺の心は完全に拒絶していた。吐き気もするし、飯だってここ最近はまともに咽喉を通らない。
 首筋には、明らかにお前とは違う男がつけた口付けの痕がクッキリと所有権を主張して
いる。
 吐きそうだ。
 眩暈がする。

「それじゃあ…」

 呟いて、洋太が向こうに行こうとした。
 俺は反射的に顔を上げて洋太を見た。
 違うんだ、お前を嫌ったりなんて、絶対にしていない。むしろ、むしろ大好きだよ!
 だから、だから俺はお前から離れるんだ…
 すぐに俯いてしまった俺を、お前はいったいどんな表情で見たんだろう。

「さっさと行け!」

 ガンッと机を蹴る。洋太はビクッとしたようだった。
 と言うか、その場にいた全員がビクッとしたようだった。
 俺は怒りに任せて机を蹴った。鼻にシワを寄せて、歯を食い縛って、底冷えする目付きで。机の傷を睨みつけながら、洋太にそう言っていた。
 まるで誉めるように高野が軽く肩を叩いた。その腕を振り払って殴れたらいいのに…コイツ、いつか殺してやる。物騒なことを虚ろに考えながら、今夜もこの腕に抱かれるのかと思ったら、吐き気がした。

□ ■ □ ■ □

 洋太は俺が校門を潜って出てくるのを待っていたようだ。
 俺の傍らには高野がいて、ヤツは気安く俺の肩に腕を回して下らないことばかり喋っていたが、洋太の姿を見止めると途端に胡乱な目付きで睨み据えた。

「光ちゃん…」

 学校ではそんな呼び方をするな、目を付けられちまうから…と、あれほど注意したってのに、洋太はキツイ双眸をして俺を昔ながらの呼び方で呼んだ。

「ああ?なんだよ、デブッ。ウゼぇなぁ」

 高野が俺を引き寄せながら片目を眇めたが、洋太はそれに怯まずにまっすぐに俺を見つめている。穴があったら逃げ込みたい気分だ。

「光ちゃん、僕との約束。思い出してくれた?」

「俺は…」

 声が咽喉に張りついて、やたらカサカサに乾いた唇を舐めながら目線を泳がしていると、高野がムカついたように洋太の胸倉を掴んだ。

「よせ、高野!そいつはもう関係ないんだ!!」

 俺が叫ぶように言うと、洋太は弾かれたように俺を見たし、高野は満足そうに鼻で笑って掴んでいた服を突き放すようにして離した。
 そうだ、もう、関係ないんだ。

「…それが光ちゃんの答えなの?」

 辛そうに唇を噛み締める洋太に、俺は視線を合わせないままで頷いた。
 答えかだって?違うに決まってるだろ!この世界で俺ほどお前を愛してるヤツが他にいると思うのか?このバカ… 

「だそうだぜ、長崎。残念だったなぁ、ええ?」

 ゲラゲラと笑って高野に促されるままに俺は学校を後にした…吐きてぇ。

Level.3  -デブと俺の恋愛事情-

「やい、洋太!今日の塾はサボりやがれッ」
 バンッと、本を読んでいるヤツの机にカバンを投げ出してそう言うと、洋太は驚いたように小さな目をパチクリさせたが意味が判らなくても頷いた。そう言うところが従順なんだけどな。
 放課後、帰り支度をしていた他の連中は驚いたように怯えているが、そんなこと構ってられるかっての!
俺は、コイツに話があるんだ。

「おいおい、光太郎。冗談じゃないぜ!」

「そうだよ、デブと一緒じゃナンパもできねーじゃん」

「暑苦しいっつの!」

 薄っぺらいカバンを持って振り向いた高野たちがウザそうな顔でそう言ったが、うるせーんだよ!おめぇらには用はねぇッ。とっとと帰りやがれ!腰巾着ッ!
 俺がいつだって学校をサボらずにわざわざ最後までいるのは、洋太がいるからだ。洋太の広い背中を一番後ろの席から眺めるのが大好きなんだよ!
 それなのにイロイロと言いやがって、そんなに文句があるならお前らだけサボればいいんだよ!

「うるっせぇっつってんだろーが!とっとと帰りやがれッ!!」

 俺の凄まじい剣幕にヤツらはビクッと震え上がり、免疫のないクラスメイトは思わず腰を抜かし、女子は泣き出した。なのに、洋太だけは訝しそうに眉を寄せて首を傾げている。コイツは、小さい頃から俺の癇癪には慣れてるからな。

「行くぞ!洋太ッ」

 俺に連れられて教室を後にする洋太を、この時ばかりはクラスの連中も哀れに思ったようだった。俺から、完全にシメられると信じて疑っていない恐怖の目付きは、フンッ!いっそスッキリするぜッ。
 暮れなずむ夕暮れの校舎は不気味に静まり返って、幽霊が出ると噂の南校舎まで歩いてきた俺は、二階の一番奥にあるトイレに洋太を連れて来たんだ。

「心配するなよ。今日は別にエッチがしたいわけじゃない」

 本当はしたい。
 今すぐにでも抱きついてキスしたい。
 そう、俺は洋太にだけは淫乱になる。俺を淫乱にするフェロモンのようなものが、洋太からは発散されてるのかもしれない。これが他の野郎じゃ冗談じゃねぇけどな。
 俺を犯そうなんざ度胸のあるヤツがいれば、今ごろ東京湾あたりには漂ってるかもしれねぇ。

「…光ちゃん。どうしたの?」

 真っ暗な、それでも窓から射し込む夕日が茜色に染めるタイルを見下ろしながら、洋太は誰もいないことを確認するように気配を窺ってからモジモジと手遊びして問いかけてきた。

「お前さ、今日怒ってただろ?お前こそ、どうしたんだよ」

「僕は…」

 それから唐突に顔を上げて、夕日に染まる俺の顔を遠くを見るような眼差しで見つめてきた。
 う、そんな目をしないでくれよ。
 まるで、そのデッかい身体がポンッと煙のように消えてしまいそうな錯覚がして、俺は思わず洋太の腕を掴んでいた。

「こ、光ちゃん?」

 驚いたような顔をする洋太に、俺は、たぶん縋るような目をしていたと思う。
 だって、お願いだから、その口でもうこんな関係は嫌だとか言わないで欲しいんだ。
 エッチする関係だけでも、俺は満足するから。
 心までは求めないから、だから、お願いだからもう終りにしようなんて言わないでくれ…

「光ちゃん…光ちゃんは本当に綺麗だと思う」

 突然、突拍子もないことを言われて俺は眉を顰めた。
 洋太の言いたいことが判らなくて、首を傾げる俺の手を掴んだヤツは何も言わずに唐突に抱きしめてきた。これは嬉しい誤算だったから、俺は躊躇わずにその背中に両腕を回してうっとりと瞼を閉じた。

「ねえ、光ちゃんはもう忘れた?小さい頃の約束」

「覚えてるさ!俺はお前を守ってやる!絶対なッ」

 俺の後頭部を大きな手で優しく撫でる洋太は、俺よりも背が高い。その肩口に頬を押しつけて、うっとりと目を細めていると、洋太の溜め息が聞こえた。

「違うよ、やっぱり忘れてるね。光ちゃん、小さい頃は体が弱くて、僕が守ってあげるって約束したじゃないか」

 ん?そう言えばそんな気が…

「でも、光ちゃんはすごく可愛い顔をして、ニコッて笑って言ったんだよ。僕が守るからって。だから…」

「だから?だから、俺はなんて言ったんだ…」

 やべぇ、覚えてねぇや。
 そう、チビのころの俺は身体が弱くて、いつも家の中にいたから真っ白で、今みたいに目付きも悪くねぇとんだお姫さまみたいな子供だったんだ。誰も遊んでくれなくて、近所の幼馴染みの洋太だけが家に顔を覗かせてくれていた。
 あの頃は洋太の方がガキ大将で、女みたいな俺をよく虐めていたんだ。信じられるか?俺はコイツに虐められていたんだ。
 でも俺が泣き出すと、途端にヤツは優しくなってオロオロして、頬にチュウをしてくれた。
 そんなに弱かったら大きくなっても虐められるから、俺が守ってやるって言ってくれたんだ。そう、確かにそう言ってくれたんだ、でも、俺はそれが嬉しくて…嬉しくて。あれ?なんか言ったような気がするんだけど…判らねぇ!

「すまん、やっぱ覚えてねぇや」

 小さく溜め息をついた洋太はそんな俺をギュッと抱き締めて、プルプルの頬で俺の頭に頬摺りしてくれる。そう言う仕草をされると惚れられてるんじゃねぇかと嬉しくなって、俺はもっと強く抱きついてしまうんだ。
 でもきっと、それは小さい頃の約束を守ってくれているコイツの優しさなんだと思う。

「ダメだよ。これは光ちゃんが思い出さなくちゃいけない約束だから。きっと思い出して」

 俺はどんな約束をしたんだろう…どうしても思い出さないと。
 きっとコイツは、俺のその約束で縛られているんだ。その約束を俺が思い出したとき、コイツはやっと俺から解放されるんだろうな…それが、コイツの願いなら、俺は思い出そうと決めた。
 愛する洋太の為だ。
 だったら、悲しくなんかねぇ。
 …なんつって、すっげぇ悲しいじゃねぇか!
 畜生、畜生ッ!ええい、この俺さまを切り捨てるつもりなら、いいさ!俺にだって覚悟がある。

「光ちゃ!?…んむぅ」

 唐突にキスしてやった。
 舌を絡めて、飛びきり濃厚なやつだ。
 散々煽って、俺を抱きたい気持ちにさせてやる!

□ ■ □ ■ □

 狭い個室の便座を跨ぐようにして立った俺は、いつ掃除したか判らねぇタンクに抱きつきながら背後から洋太を受け入れていた。悲鳴のような溜め息が漏れるのは、いつにもまして興奮している洋太のせいだ。いや、同じように興奮している自分のせいかもしれない。
 粘りつくような厭らしい音が誰もいないトイレの室内に響いて、俺は幸福に酔いしれていた。

「ぅあ…んん…あ…ッ」

 自分の声の甘さに気付いて思わず苦笑しそうになったが、それは胸元に戯れかけた洋太の指に阻止されてしまった。こんな狭い個室にデブの洋太と二人きりで、吐息を混じり合わせるなんて何日ぶりだろう。
 荒い息遣いが響いて、ここは学校のトイレなんだと思うと、よけいに感じた。
 洋太もそうなのか、俺が誘うとその時は渋々だけど、最後はノリノリで愛してくれる。
 俺はそう思ってるから、いつだって感じられた。 

「よう…たぁ…」

 甘えたようにその名を呼べば、キスをくれる。
 エッチをしてる時の、最高に幸福な瞬間なんだ。
 そうしてお互いに夢中になっていたからかな、俺たちは気付かなかった。
 トイレの外で様子を窺っている人影の存在に…
 畜生…油断してたぜ。

Level.2  -デブと俺の恋愛事情-

 朝からかなりムカついていた。
 洋太は学校では俺のことを苗字で呼ぶ。
 そう呼ぶように仕向けたのは俺だけど、やっぱりなんか、他人行儀でムカつくんだよ。
 特に昨夜のことがあるから、よけいによそよそしく感じてムカつくんだ。
 それにビクビクするし…夜は俺のほうがビクビクするってのにな。フンッ!

「なんだ、光太郎?今日はやけにピリピリしてるな」

 高野が目敏く俺の変化に気付いて声をかけてきたが、曖昧に返事をして、俺は机に頬杖をついて両頬を包みながら前方を睨み据える。うう、なんか、いい方法はないかな…
 いっそのこと、洋太は俺さまのものだと宣言でもしてやろうか…ハッ!いかん、そんなことをしたら洋太が白い目で見られてしまう。俺はいいんだ、もうレッテル貼られまくってるし。
 洋太んとこの呑気な母ちゃんたちは、光ちゃんは強いからずっと友達でいてやってね、とか言ってくれるけど。本当だったらとっくの昔に引き離されてたと思う。
 いかんいかん!洋太から離れるなんて絶対に嫌だ!
 そんなことのために強くなったわけじゃない!
 俺は溜め息をついて、それから徐にギョッとする。
 目の前に高野が怪訝そうな顔をして屈み込んでいたからだ。

「うっわ!お前なんだよ!?驚いたじゃねーか!」

「…なんだよ、じゃねぇよ。どうしたってんだ。朝っぱらから工業の連中にでも絡まれたのか?」

「バッカ言えよ!工業なんか目じゃねぇっつーの。別に…なんでもねーよ」

 俺は不機嫌そうに外方向いて高野を無視することにした。いちいち絡んできやがって、ウザってぇたらねぇんだよ!
 畜生…洋太のヤツは滅多なことじゃないと学校ではサカろうとしない。
 ま、当たり前なんだが。
 俺としてはいつだってアイツに抱かれていたいと思うんだけどな…放課後の更衣室だとか、人のいない南校舎の二階にある一番奥のトイレの個室だとか…そんなところでヒッソリと抱かれるってのは…けっこう好きだけどなぁ。
 アイツは本当に気が向いたときにしか抱いてくれない。
 ま、その分、夜が熱いから嬉しいんだけど。
 抱けと言って凄むわけにもいかねーし。ああ、片思いの辛いところだ。

「まるで恋する乙女だな。誰かに惚れてるのか?」

 ハッとした。
 そうか、こいつ。浮名を流せば日本一野郎だったよな。

「おい、高野。お前さ、色んなヤツと付き合ってるだろ?その、どんな感じだ?」

「はあ?感じって…やっぱり光太郎、誰かに惚れてるのか?」

 言いたかねぇけど、仕方ねぇ。背に腹は変えられねぇからな。

「まあな。で、どんな風にしたら、相手の気持ちがわかるんだ?」

「あぁ?あの里野光太郎が、片思いかよ。信じられねぇ」

 心底驚いたように眉を上げる高野に俺はウザくて引き攣るこめかみを宥めながら、肩を竦めて先を促すように顎をしゃくる。
 クラスの連中は怯えて俺たちから遠ざかったところにいるし、洋太は大きな背中を向けて熱心に本を読んでるし…誰かに聞かれるっつーこともねぇだろう。
 まあ、洋太に聞かれてもいいんだけど。アイツのことだ、もしかしたら俺の気持ちが他に移ったと思ったら、内心でホッとするんじゃねーのかな。…クソッ。

「どうするって、そいつの態度を見てりゃだいたい判るだろ?」

 それが判らねぇから聞いてるんだろうがよ。
 クソの役にもたたねぇな、こいつ。

「ハッキリ告るか、お前から迫ってみたらどうだ?どんな子か知らねぇけど、お前ってけっこうイイ顔してっから即OKとかもらえるかもよ」

 純情系には効かねぇだろうけど、と付け加える高野に、俺は頭を抱えて俯いてしまった。
 バリバリ純情系だよ!
 いくらエッチをしてるからって、アイツはいつもコトの始めにモジモジしてて、それを俺が誘うんだ。もう誘ってるんだ!…乗ってはくるけど、本当に犯りたいのか?って疑っちまう。本当は嫌々で…あう、また暗い方向へと思考が進んでいく。

「…あの、里野くん。これ、今日のノート…」

 控え目に声をかけてくる洋太にギクッとした俺は反射的に顔を上げて、いつの間に近寄ったんだとビビる高野の手前、できるだけ平静を装って英語のノートを受け取った。いつもはビクビクしてるくせに、今日の洋太はなんだかいつもらしくもなく毅然としてる。高野がいても怯えることもないし、なんかコイツ、怒ってるのか?
 落ち込んだり怒ったり、いったいどうしたって言うんだ?
 俺が何か言うよりも早く大きな背中を見せて自分の席に戻る洋太を、俺は言葉もなく見送った。
 なんか、唐突に歯車が合わなくなった気分だ。
 こう言うことってよくあったけど、いつだってなし崩しで解決していたはずなのに…
 なにがどうして…って決まってる。今回は洋太が何かを引き摺ってるんだ。
 何か、なんて判んねぇけど、きっとそれはすごく厄介な問題だと思う。
 俺に言ってくれればいいのに…言ってもくれねぇ、そんなに信頼できねぇのかよ。
 クソッ、むかっ腹が立つぜ、畜生!

Level.1  -デブと俺の恋愛事情-

 長崎洋太は頗るデブだった。
 そのくせ、いちばん目を付けられそうなヤツは、それほど虐められると言うことはない。
 当たり前か。
 俺、里野光太郎の愛人だから。ま、表向きには幼馴染みと言う肩書きだけどな。

 「里野くん。これ、頼まれていたノート…」

 洋太はオドオドとしたように、今日の数学のノートを差し出しながら、俺の周囲に屯している連中を油断なくコッソリと見渡した。いつか、虐められるかもしれない…そんな怯えた目で。
 バッカなヤツめ。この俺さまがついていて虐められるかっての!

「おう、洋太!悪ぃな」

 受け取ったノートをパラパラと捲りながら、相変わらずの綺麗な字を目で追っていると、俺の隣りにいた高野が机を蹴って洋太を散らそうとした。

「目障りなんだよッ、デブ!」

「ヒッ」

 ビクッと肩を竦める洋太のふくよかな、他の連中にしてみれば暑苦しいタプタプの顎が揺れて、俺はムッとした。

「うるせーぞ、高野。洋太をここに呼んだのは俺だぜ?お前、文句があんのかよ?」

 ジロリと睨むと、高野は不服そうな顔をしながらも肩を竦めただけで口答えはしなかった。
 当然だ、このクラス、いや、この学校でもよその学校でも、顔を知らないヤツがいないぐらい有名人だからな。この俺さまは。
 喧嘩上等!売られたもんは、その気がなくても買い取りますぜ。巷では地獄の狂犬、番犬じゃないところがなんだかな、と思わせる渾名で呼ばれているらしいが、そんなもんはどうでもいい。
 取り敢えず、ムカつく連中はその場でのさないと気が済まねぇ性格のこの俺さまは、この界隈では立派に喧嘩野郎としての顔が売れている。
 まあな、レッテルを貼られてる不良どもやチーマー連中を悉くのせば、もう誰も手を出そうなんざ勇気のあるヤツはいなくなるっての。
 おかげさまで自由気侭な生活を恙無く送れてるってワケだ。

「洋太。お前、今日塾なんだってな。あんまし勉強ばっかやってっと、却ってバカになるんじゃねぇのか?ま、気をつけて帰れや」

 俺があっちに行けと片手を振ると、洋太は心底ホッとしたような表情をしてスゴスゴと退散した。

「光太郎よぉ。お前さぁ、いくら幼馴染みだからってよくあんなデブと話ができるよな」

「そうそう、俺なんか暑苦しくてッ」

 腰巾着どもは口々に、俺の愛するデブのことを散々と貶してくれる。この野郎どもが…
 しかし、ここで俺も口角をニヤリと釣り上げて、ヤツらの会話に参戦するんだ。

「まあな。だが便利はいい。頭もいいしな。使いッ走りにもちょうどいいじゃん」

 フンッと鼻で笑うと、ヤツらは媚びるように笑って俺の言葉に同意した。
 こうでもしてアイツをコき下ろさないと、俺と言うプレッシャーでたまった鬱憤を洋太で晴らそうと言う不埒な輩が出てくるからな!見つけたらコテンパンだが、洋太に少しでも嫌な思いはさせたくないんだ。俺は、アイツを守ってやると約束したから。

「そんなもんかよ?なんか、オレにはお前が特別肩入れしてるように見えるんだけどな…」

 しかし、高野だけが胡散臭そうな目をして俺を見る。
 なんなんだかな、コイツはいつだって楯突いて来るんだ。
 コイツに嗾けられた喧嘩も喜んで買って出たし、さらにコイツをコテンパンにしたから実力は判ってると思うんだけどなぁ…なんだって言うんだ。

「冗談じゃねーぜ、高野。なんでこの俺があのデブに肩入れしなきゃいけねぇんだよ?自分の使いッ走りを他人からボコられるのはムカつくけどさ」

 バカにしたように軟派に髪を伸ばして後ろで結んでる色男を蔑んだように見て、俺は面白くねぇし、不貞腐れて頭を掻いた。
 そう、まるでなんで俺が洋太のことで口を開かなきゃならんのだ、とでも言うような感じで。
 いやいや、本当は洋太のことでムカついたワケじゃねぇんだけどな。
 でも、俺は気付かなかった。そんな俺たちのことを、洋太が肩越しに見ていたなんて。

□ ■ □ ■ □

「ねぇ、光ちゃん」

 洋太が甘えたような声を出して俺の耳元に息を吹きかけた。

「うぅん…なんだよ?」

 洋太のデブった身体に組み敷かれながら、俺は震える溜め息を零してデブのわりにはいい顔をしている洋太の真摯な双眸を、熱に潤んだ目で見上げた。

「僕…迷惑なのかな」

 シュンッと項垂れて呟く洋太に、俺はカッと眦を釣り上げると、そのふくよかな頬を両手で包んで顔を引き寄せた。

「誰かに何かやられたのか!?」

 身体の最奥に洋太を受け入れている態勢では凄みも半減するけど、別に洋太に凄んでるわけじゃねぇんだからそんなこたどうでもいい。
 誰だよ、その命知らずなヤツは!

「ち、違うよ!本当だよ?」

 慌てて首を振る洋太のその振動が直接下半身に響いて眉を寄せるが、俺は眉を寄せたままで口許に笑みを浮かべてヤツの鼻先に自分の鼻を擦りつけるようにして囁いた。

「なんだ、じゃあいいじゃねぇか。何を心配してるんだよ?バカだな」

 そんな俺をうっとりしたように見下ろしていた洋太は、ハッとしたように目を見開いてから、またしてもバカみたいにシュンッと項垂れてしまう。んん?今回は下らない悩みが深そうだな。

「最中に何を心配してるんだ、お前は!もっと俺を楽しませることを考えろよ。俺は、お前に抱かれて幸せだし、お前にキスできて幸せだし、こんな風に抱きしめることも幸せなんだ」

 タプタプの背中に両手を回して抱き締めながら、俺は項垂れている洋太のポッテリしてる厚い唇に口付けた。すぐに応えるように舌をのばしてくるそれを受け入れながら、俺はうっとりと微笑んだ。
 小さい頃からこの温もりは俺の、俺だけのものなんだ。
 誰に何を言われてもいい。コイツに抱かれて俺は、やっと人間になれる、そんな気がするから…
 絡めていた舌を離して甘い溜め息を吐いた俺は、唇を唾液に濡らしたしどけない表情をしてニッと笑った。

「こんな風にな」

「光ちゃん…僕も、僕も光ちゃんが傍にいることがとても嬉しいんだ!小さい頃から、ずっと一緒にいてくれて…すごい幸せだよ」

「だったら…もう俺をイカせてくれよ。早く…お前で」

 俺はうっとりと微笑んで背中に回していた腕を洋太の首に絡みつけ、足をそのテップリした背中に絡めながらもう1度口付けた。洋太は、もう躊躇わずに激しく腰を使って、俺を頂きから一気に突き落としてくれた。

□ ■ □ ■ □

 終った後でも、洋太のヤツは俺をお姫さまみたいに扱いながらも暗く沈んだ表情をしていた。
 気怠げにベッドに手足を投げ出して寝ている俺の身体を、湯で濡らしたタオルで優しく拭きながら俯いていた。

「なんなんだよ、てめぇは!辛気臭ぇ顔をしやがって!」

 洋太に甘々なヤツの両親は、洋太が高校に入ったときに勉強のためだと言って一人暮しを申し出たところ、それを快く引き受けたらしい。本当は、こんな風に俺と肌を合わせるために洋太は一人暮しを親に言ったんだ。だから、塾通いをして成績だけは落とさないようにしている。
 頭がいいんだよな、こいつ。
 う~、塾か?塾で何かあったのか?
 俺は素っ裸のままベッドの上で胡座をかきながら、濡れたタオルを握って項垂れている洋太に詰め寄るようにその顔を覗き込んだ。

「塾か?誰かにやっぱり何か言われたんだろう!?ああ!?」

「…光ちゃん。僕、こんな風にデブだし。暑苦しいでしょ?」

「…」

 はは~ん、コイツ、さては朝に高野たちと話してたのを聞いたんだな。
 バッカなヤツめ。

「あのな、洋太。お前がデブだろうとなんだろうと、お前は洋太なんだよ。暑苦しいって言うヤツは大歓迎じゃねぇか!俺の洋太に、近寄らないんだからな」

 そう言って、ベッドを軋ませながら膝立ちした俺は、ふくふくと太っているその顔を胸に抱き締めながら思ったよりも硬い黒髪に頬摺りした。

「…ん」

 落ち込んでいたはずの洋太は俺の胸元にキスをしたようで、擽ったさに思わず声が漏れてしまう。

「バカ…その気にさせるなよ。もう、疲れたんだ。今夜はもう眠らせてくれ…」

 ストンッと腰を下ろした俺は洋太の首に腕を絡めながら、ヤツの肩に顔を埋めた。
 ぬくい…この温もりを守りたくて、俺は強くなったんだ。
 なのに、いつだってコイツは不安そうに眉を寄せる。
 俺は、強くなったのに。
 思ったよりも強くなかったんだろうか…それとも、俺のほうがコイツに守られてるんだろうか…

「光ちゃん?寝ちゃったの?僕…僕…」

 後に続く言葉を聞く前に、俺はどろどろに疲れた身体を洋太に凭れさせながら眠ってしまった。
 でも、俺がこんな風に洋太を好きだとしても、本当はまだ、コイツから『好き』の言葉を聞いていないんだ。
 洋太はもしかしたら、俺を嫌いなのかもしれない。
 怖くて、俺のことが怖くて、ただ従順に言うことを聞いてるだけなのかな…
 だったら、悲しいんだけど。

Level.11  -冷血野郎にご用心-

 結局その日、俺は高熱を出して甲斐の家に泊まることになった。
 予め匠にも言っていたし、親にも泊まるとは言ってたんだよな。用意周到のつもりだったのに…
 こんな形になるなんて悲しい。
 熱に浮かされて、具合がすごく悪くて、目の前がいつもグルグルしてるような気持ち悪さで、何度か吐いたけど甲斐は嫌な顔もせずに看病してくれたんだ。
 ブツブツ文句は言ってたけど、こう言う優しさが俺をメロメロにさせるんだ。
 熱は夜になるともっと高くなって、甲斐は本気で医者に電話しようかどうしようか悩んでいるみたいだった。
 俺はそんな気配を感じながら、それでも薬が効いたんだろうな、ウトウトとしていたんだ。
 夢見がちで…具合が悪いときに、不意にひんやりした冷たいものが額に触れてぼんやりと目が開いた。
 でも、それが何かなんて認識することはできなかった。

「少しは楽になったかい?」

 ひんやりしたタオルを押さえるように、誰かの指先が額に乗ったようだった。
 ギシッとベッドが軋んで、誰かが乗ったようだ。
 揺らすなって、気分が悪ぃんだからさ!

「…?」

 良く判らなくて眉を寄せると、ソイツは小さく笑ったようだった。
 笑い事じゃないってのに…真剣、気分が悪いんだぞ!ったく…はぁ、苦しい。
 少し喘いだら、冷たい指先が頬を滑り下りてきた。
 間近に大好きな顔があって、それが誰だと脳が認識する前に本能が確認して、俺はダルくて死にそうなほど辛いんだけど、何かに縋り付きたくてソイツの胸元の服を掴んで引き寄せた。
 鼻先が触れ合うほど近くに来た大好きな顔を、奇妙に歪む視界に映しながら眉を寄せたんだ。

「好き…だから。ぜったい…離れな…」

「うん。判ってるよ」

 屈み込むようにして覗き込んできたソイツは、喘ぎながら辛い身体を起こして苦しそうに呟く俺の、背中に腕を回して負担にならないように抱き締めてくれた。

「判って…?じゃ…俺…傍にいてもいい?」

 もう、ホントは何を言ってるのかも定かじゃないんだけど、誰かに認めてもらいたくて、甲斐の傍にいることを許して欲しくて気付いたら泣きながら聞いていた。病気になると人間ってのは弱くなるんだなぁ…いや、別に病気ってワケじゃないんだけど。

「いいよ。そんなに泣いたら駄目だよ…僕は君の泣き顔が好きなんだ。欲情しちゃうじゃないか、誘ってるの?」

 クスクスと笑ってそんな恐ろしいことを言うソイツに、でも俺は泣きながら笑ってた。
 それどころじゃないぐらい気分が悪いけど、あんたが、犯りたいってならしてもいいと思えた。
 なんだろうな、俺はあんたが好きだと思う。とても、すごい好きだ…

「冗談だよ。身体が良くなったらセックスしよう」

 クスクスと、ホントに冗談なのか本気なのか良く判らない声音で囁くソイツは、俺の目尻の涙を柔らかで繊細な唇で拭ってくれたんだ。

「愛…愛してる…好き」

 俺はうわ言のように何度もその言葉を呟いて、夢の中の誰かに縋り付いていた。
 甲斐のワケがない。
 甲斐はこんなに優しくない。
 だからせめて、甲斐の顔によく似たこの都合のいい夢の住人に、やっぱり都合のいい答えを求めたんだ。

「……」

 ソイツは無言で俺を無表情な、冷めた目で見下ろしていた。
 ああ…夢の中でもやっぱり甲斐は甲斐の性格なのか…そっか、そうだよな。こんな性格のコイツでも好きなんだよな、俺。だから、夢の中でも冷たくて当然なんだ。
 でもせめて…

「嘘でもいいから…好きぐらい言ってくれたら嬉しいのに…」

 涙が零れて、俺は遠くなる意識を必死に保ちながら、痺れたように感覚のない指先を伸ばして夢の中の甲斐の、温かい頬を触っていた。

「でも俺、甲斐のこと触ってるだけでもいいんだ。すごい、嬉しいよ」

 涙腺がぶっ壊れたんじゃないかってぐらい涙が出て、それでもニッコリと笑えたから良かった。現実の甲斐にも、同じことが言えたらいいな。
 今度、言おう。嬉しいからって、幸せなんだぞって…
 甲斐も俺がいて嬉しいだろ、ぐらいは言ってやろうっと。嫌な顔するだろうけど、ははは。
 はぁ…苦しい。

「嘘で…いいの?」

 そんなこと言うなよ。
 嘘で言いワケがないだろ。
 いつだって、ホントの好きが欲しいさ。

「や…嫌だ」

「…きっと、僕の方が一目惚れだったんだよ。のめり込むのが怖くて、でも、けっきょく手放せなくなっちゃったな」

 クスッと笑って夢の中の甲斐は信じられないことを呟いた。
 ああ…なんて幸せな夢なんだろう。
 甲斐が俺に一目惚れなんて言ってくれた…嬉しくて嬉しくて、言葉がすぐには出てこないよ。
 たとえ夢でも、こんなに幸せな気分はない。
 涙がボロボロ零れて、それでなくても涙腺が壊れてるみたいなのに…甲斐、俺も。

「俺も一目惚れだったんだ…ずっと好きで、でも、この恋はきっと叶わないと思ってたから。俺は…俺は…ああ、どうしよう。嬉しくて言葉にならないよ」

 苦しい息遣いで喘ぎながら、それでも甲斐に、たとえ夢の中であっても嬉しいって伝えたかったんだ。

「…一目惚れって言うだけでそんなになったら、次の言葉を聞いたらどうなっちゃうんだろうね?」

 次…?次なんかあるのか?
 こんなに嬉しくて…幸せすぎて、目が覚めたときが辛いから、もういいよ。
 俺の、都合のいい甲斐。

「あり…がと。もう…いい。うれし…」

 そこで、多分意識は途絶えてた。
 でも、遠ざかる意識のなかで、俺は確かに聞いていた。
 これ以上はないってぐらい都合のいい、幸福な幻聴を。
 夢の中の甲斐は少しだけ小さく笑って、俺の背中に回した腕に力をこめて抱き締めてくれたんだ。

「愛してるよ。もう、ずっと君に夢中だった」

 夢の中の甲斐の、優しすぎる告白を聞きながら俺は混濁した世界に沈んでいた。
 それでも、気分はこんなに悪いのに、サイコーだった。
 サイコーに気分が良かった。

□ ■ □ ■ □

 翌朝、俺の熱は下がっていた。
 日曜の朝で、巷はまだ眠ってるような時間帯に目が覚めたのに、甲斐は床に直接座ってコーヒーを飲んでいた。結局昨夜は眠らなかったんだろう。
 ちょっと疲れた目許がそれを物語っている。
 いいヤツなんだよな、ホントは。
 だから俺、コイツが好きなんだ。
 甲斐が俺を好きってのは、俺の思い込みで、誰からも好かれてるコイツを独占したいって言う俺の子供染みた独占欲だったんだ。
 ああ、昨日はいい夢を見たよな。
 どんな夢だったか、ホントはいまいち覚えてないんだけど、すっげぇ嬉しかったのだけは覚えてる。あんまり嬉しくて、俺、夢の中で泣きっぱなしだった。甲斐の夢だってことだけは確かだったんだけど…あーあ、覚えてたらもっとハッピーなのにな。

「起きたの?…その、気分はどお?」

 床にマグカップを置いて、はにかんだような、珍しい笑顔で聞いてきた甲斐のその顔に見惚れてしまった俺は、ハッとして慌てて頷いた。
 内容もうろ覚えだから、夢のことは甲斐には絶対に内緒にするんだ。せっかくいい夢なのに、コイツに知られて嫌な顔されたら立ち直れないもんな。

「ああ、もうスッカリいいみたいだ!サンキューな、甲斐!」

 朝っぱらから気分爽快で元気に返事をした俺を、甲斐はなんだか訝しそうな、呆気に取られた複雑な表情をして俺をマジマジと覗き込んできたんだ。

「な、なんだよ?そんなにマジマジと見られたら俺…」

 ドキドキするじゃねぇか!

「…覚えてないの?」

「覚えてるって…何が?俺、もしかして寝込んでる時になんか迷惑をかけたか?あ、そう言えば吐いたような…悪い」

「そう言うことじゃなくてね…」

 頭を下げると、甲斐は少し目を瞠って、それから信じられないと言うように首を左右に振ったんだ。
 溜め息をついて、それから諦めたように呟いた。

「何となくは判っていたんだけど…期待した僕が馬鹿だったよ」

 頬が微かに赤くなってる甲斐は、なんだか突然、苛々したように頭を掻いたんだ。

「期待って?え?俺、何かしたか?って、ちょ、甲斐!待てよ、どうしたって言うんだよっ」

 唐突に立ち上がって部屋を出ようとする甲斐を追って立とうとした俺は、熱は下がっても身体はピクリとも動いてくれず、そのまま床にダイブしそうになっちまった。
 ヤバイ!顔面直撃、床とキスしちまう!
 …と思ったときには、甲斐の腕の中だった。
 抱き留めてくれたんだ。
 やっぱ、優しいよな、コイツ。

「ありがとう」

 笑って見上げたら、ムチャクチャ不機嫌そうな顔の甲斐と目が合ってしまって、俺はギクッとしてしまった。
 何か、何か怒らせるようなことを言ってしまったんだろうか…俺。
 あ!…夢の内容を寝言で言ったのかな…うう、どうしよう。

「結城くんは、僕を振り向かせるんだったよね?」

 唐突に甲斐に言われて、俺は慌てたように頷いた。
 そうだ、俺は甲斐を振り向かせてみせる。
 今回は迷惑ばかりかけて好感度はかなり下がったと思うけど、これから取り戻すつもりだ。
 俺、幸せな夢も見られたから頑張れる!

「せいぜい、頑張りなよ。僕の心はとある人に奪われちゃったからね。頑張って、取り戻しなよ」

「え!?ええ!?…って、誰だよ、それ!俺が寝込んでる時に誰かにやったってのか!?」

 クスクスと甲斐が笑う。

「笑い事じゃないって!ああ、クソッ!身体が言うことをきいてくれん!」

 もがくように足掻く俺を一瞬だけ抱き締めてベッドに戻すと、甲斐のヤツは酷く飄々とした顔をして焦る俺を見下ろしてきやがるんだ!
 待て!待ってくれよ、甲斐!

「その人に夢中なんだ。果たして、身動きの取れない結城くんに奪い返すことができるかな?」

 何がおかしいのか、甲斐のヤツはクスクスと笑ってやがる。
 ああ、そりゃ面白いだろうな!ああ、くそ!鉄壁の甲斐の心を溶かしたヤツってのはいったい誰なんだ!?
 何をのん気に寝込んでたんだよ、俺!
 あんな幸福な夢なんか見てる間に、甲斐はさっさと誰かのものになったんだ!
 俺の馬鹿野郎!

「うう…クソッ!甲斐、俺は絶対にお前の心をソイツから取り戻してみせるからな!!」

「うん、頑張ってね」

 クスッと笑う甲斐。
 そんな綺麗な顔で笑いやがって!
 そんな風に楽しそうに笑いやがって!…って、本当に恋をしたのか?
 俺の知らない、誰かに?
 ソイツは…どんなヤツなんだろう。甲斐の氷の心を溶かすのは俺だって決めていたのに。絶対だって思ってたのに…!
 うう、俺もう泣きそう。
 いや!泣いてるヒマなんかねぇ!!
 俺は…俺はきっと甲斐の心を俺の方に振り向かせて見せるんだ!
 絶対だ!
 俺は甲斐が好きなんだ!
 甲斐は俺のものなんだ!
 俺はきっと、この冷血野郎を振り向かせて見せる。
 絶対だ!

 だからなあ、甲斐。
 きっと、その綺麗な笑顔で振り向いてくれよ…

END

Level.10  -冷血野郎にご用心-

 まず始め、インターフォンで少しだけ驚いたような声を出した甲斐は、玄関のドアを開けて、飛び込むように入って来た俺を条件反射で抱きとめながらさらに驚いたような顔をした。
 声が出なくて、普通ならすぐに突き飛ばすくせに、甲斐はそうしなかった。
 背後で静かにドアが閉まって、オートロックのドアはカチャリッと鍵を下ろした。
 全くの密室で、俺は泣きたくなるほど大好きな甲斐の背中に伸ばした両腕で、その温かな身体を抱き締めた。もう離れるもんか、絶対だ!

「…身体は、辛くないの?」

 的外れな言葉が漸く、よく響く玄関の壁に反響して床に零れ落ちた。

「甲斐に会えたら、身体なんてなんともない」

 それに答えてギュッと抱き付くと、甲斐は最初、躊躇っているようだった。
 何が起こったのか、そのパソコンみたいに正確な答えをはじき出す頭脳で考えているみたいだ。
 それから、唐突にハッとしたんだろう。
 慌てたように俺から身体を引き離したんだ。

「何をしに来たんだい?」

 まるで冷たい声音は取り繕うように響いて、心の秘密に気付いてしまった俺は、ああ、なんでもっと早くこんな簡単なことに気付かなかったんだろうと後悔した。
 だってさ、ほら。こんなに甲斐の冷たい声の動揺が判るんだ。
 一瞬見せた、幻のような真実の姿が、俺に鮮烈な衝撃を与えたのは確かだ。
 甲斐はきっと、俺のことが好きなんだろう。
 でもな、お前よりも100倍も好きなんだぜ、俺は。

「忘れ物を取りに来たんだ」

「忘れ物?ふぅん、いいよ。上がりなよ」

 俺の言葉を疑うような表情で聞いていた甲斐は、それでも肩を竦めると部屋に入れてくれたんだ。
 まあ、疑うのも仕方ないか。俺がこの部屋を出た後、コイツはさっさと掃除したに違いないからな。忘れ物があったら目障りだ、きっとそう考えていたに違いない。
 あう、そう考えるのはまだ辛いな、俺。
 自分で落ち込みそうになってハッと思い直して、あの時は酷く辛くて泣きそうになりながら後にしたフローリングの部屋に腰を下ろした。

「…ッ」

 それでも身体は限界なのか、悲鳴を上げるように軋んで声が出そうになった。

「本当は辛いんじゃないのかい?わざわざすぐに来なくても、明後日学校で言ってくれればいいのに」

 面倒臭そうにそう言って、甲斐は青いグラスに冷たいコーラを入れて持ってきた。
 熱いお茶もいいけど、熱を持った身体を冷やすように気を遣ってくれたんだろう。こんな風に、ちょっとした優しさに気付かなかったなんて、ホント、俺はいったい何をしていたんだ!
 甲斐は、俺が熱を出していることに気付いたんだろう。

「それで?忘れ物はなに?」

「…甲斐」

「え?」

 コーラの入ったグラスの中で、犇めき合った氷が窮屈そうにカランッと小気味良い音を立てた。
 甲斐は訝しそうに眉を寄せて、その綺麗な顔で、俺が何を言いたいのかを見極めようとしているみたいだ。俺は緊張で渇いた唇を何度か舐めて湿らせながら、握っていたグラスを床に置いて立っている甲斐を見上げたんだ。

「俺、甲斐を忘れたんだ」

「…笑えない冗談は嫌いだよ。何をしに来たって?」

 不機嫌そうに俺を見下ろして腕を組む甲斐を見上げて、いつもは怯んでばかりいる俺はニッと笑って見せた。

「冗談じゃない。俺は甲斐を取り戻しに来たんだ」

「僕を?そんな傷付いた身体で?」

 クスッと笑った。
 でも、その両目は笑っていない。
 きっと、動揺してるんだろう。判らないけど、俺はなんとなくそう思っていたんだ。

「お前は俺じゃないと駄目なんだ」

「…やれやれ」

 不意に甲斐は溜め息をついて首を左右に振った。
 その一連の動作をドキドキしながら見守る俺を、甲斐は呆れたような、酷く冷めた目で見下ろしてくるんだ。

「たいした自信だね。でも知ってる?僕はね、そんな台詞、何人からも聞いてるんだよ。うんざりするほどね」

「でも…ソイツらはお前を見ていなかったじゃねぇか。俺も人のことは言えないんだけど、でも、俺は気付いたから」

 恋心にも、お前のその冷めた目の奥で動揺に揺れてる激情の欠片にも。
 好きだよ、甲斐。
 気持ちってのは不思議だよな、気付いちまうともう止められなくなるんだ。

「何に気付いたの?」

 甲斐はまるで馬鹿にしたように笑いながら、それでも興味を示したように俺に近付いてきて顎を掴んだ。クイッと仰向けながら、興味深そうな面白そうな目をして、ドキドキする俺を覗き込んでくる。

「お前の恋心だよ」

 ニコッと笑ったら、甲斐は面食らったような顔をして、それでもクスクスと楽しそうに笑いながら俺の前で屈み込んだ。

「全く…君は本当に面白い。予想外の行動ばかりして…だからかな?手放す時になって、急に惜しくなるんだ」

 急に真面目な顔をして、甲斐は唇を舐めた。
 もしかしたら、コイツも緊張してるんだろうか?
 珍しいな、人を馬鹿にしてばかりいるお前が、緊張するなんて…それって、俺のせい?だったら、すごく嬉しいな。
 俺を、やっと個人として確認したってことじゃねーか。
 その他大勢から、ちょっとした格上げだ。

「惜しいんだろ?だったら、モノは験しにもう少し傍に置いてろよ」

「だったら、結城くん。ずっと僕の傍で言い続けるつもりなのかい?」

 クスッと鼻先で笑うだけで、まるで無駄なのに、とでも思ってるみたいだ。

「うん。ずっと言うよ。俺は甲斐が好きだよ。甲斐も俺が好きだってさ」

「ヘンな人だね、君って」

「ずっと傍にいて気付かなかったのか?」

 俺だって甲斐のことは言えないんだけど…

「気付かなかったよ。ってことは、このまま傍にいても同じじゃないのかい?」

「気付いただろ?今、気付いたじゃん。少しずつでいいんだ。俺を見てくれたら…」

「冗談じゃないよ」

 不意に馬鹿にしたように掴んでいた顎をきつく握って、甲斐は苦しそうに眉を寄せた俺の顔を冷めた双眸で覗き込みながら冷たく言い放ったんだ。
 ドキッとしたけど、そんなことぐらいで諦めるもんか。
 俺はお前が好きなんだ。
 いつもなら怯んでいるけど、俺は甲斐から目を逸らさなかった。
 ジッと見つめていたら、マジマジと覗き込んでいた甲斐が、唐突にキスしてきたんだ。
 ビックリしたけど、俺はその口付けを素直に受け入れた。嫌がることなんて何もない。嬉しい誤算に甲斐の服を掴んで引き寄せるようにしながら、俺は目を閉じた。
 甲斐は閉じていなかったけど、でも、俺は閉じた。
 いいんだ、どんなことだって受け入れてみせるから、試したいだけ試すといい。
 俺はけっこう、チャレンジャーなんだぜ?

「…って思ったんだけどな。いいよ、傍にいるといい。でも、僕は君を見ないよ。それでも僕を振り向かせるだけの自信があるなら、ずっと僕の傍にいるといい」

 唇を離して、俺の唇を微かに舐めた甲斐はそう言った。
 よく感情を窺わせない表情だったけど、俺は嬉しくてニコッと笑ったんだ。

「覚悟してろよ、甲斐。絶対に振り向かせてみせるからな!」

「それは楽しみだ」

 冷たく笑って、もう一度キスしてきた。
 どんな意味が含まれてるのかよく判らないけど、俺は舌を受け入れながらその口付けに身を任せていた。
 まずは第1歩を踏み出したってワケだ。