第一章.特訓!9  -遠くをめざして旅をしよう-

 白波を蹴立てて水面を行く一隻の船は、その名の由来の通り、美しき涙を零しながら滑走している。その美しい名を持つ船の主は、気性の激しさから『炎豪のレッシュ』と怖れられていた。

(炎豪…ねぇ。どう見ても 怠惰 な肉食獣みたいだけど。まあ、どちらにしても、あんまり関わり合いにはなりたくないタイプだな)

 色素の薄い髪を潮風で戯れに揺らしながら、彰は愛用のデッキチェアに長々と横たわる海賊【ゲイル】の頭領を呆れたように見上げていた。
 それなりに下っ端どもが磨き上げた床に直接腰を下ろした彰が、腰に巻かれた布製のベルトを下敷きにされて身動きも取れない状態で溜め息を 吐 いていると、肌を覆う部分の少ない衣装に身を包んだ小柄な少女が船室から飛び出してきた。

「シュメラ。どうした?」

 片手で古めかしい羊皮紙の巻物を持って腕を組む少女シュメラは、 胡乱 な目付きで自分の名を呼ぶ主を見据えた。次いで、傍らに座る彰には目もくれず、彼女は海賊船【女神の涙】号の船長であるレッシュ=ノート=バートン愛用のデッキチェアに上がると、鼻先が触れ合うほど間近にその顔を覗き込んで鼻に皺を寄せる。

「どうしたもこうしたもないわよ!何時の間に航路変更しちゃったの!?」

「寝ているお前が悪い」

「なんですって?あのね、レッシュ=ノート。こんなことは言いたくないんだけど、どうしてこう、スレイブ族って嘘吐きが多いのかしらね」

 シュメラが悪態を吐いたとしても、どうやらレッシュにはどこ吹く風で、却って彼女をいきり立たせているようだ。

(シュメラ?今度は誰だよ…)

 落ち着いて事の成り行きを見守る彰にしてみたら、この船に拉致されてから一ヶ月以上も経つと言うのに、何故か見知らぬ顔が後から後から出てくるため、この状況に既に慣れていたとしても仕方がなかったりする。
 今度顔を覗かせた美少女は、こんな海賊船にはまるで不似合いで、奇妙な違和感すら感じていた。

「鳥人よりはマシなんじゃないか?睡眠時間二ヶ月は嘘だろう?」

「失礼ね! パイムルレイール は大地に足をつけて歩いてると凄く体力を使うんだから!私なんて回復力が早い方なんですからねッ」

 レッシュの伸ばした足を跨ぐようにして正面きって膝立ちしているシュメラは、可愛らしく唇を尖らせてレッシュに食って掛かる。その光景を無言で見守っている彰は、初めて聞く単語に首を傾げていた。

(〝パイムルレイール〟?)

「そんなことはどうでもいいわ、レッシュ=ノート!約束が違うじゃない。私をパイアラードの都に帰してくれるって言わなかったッ!?」

「言ったさ。言ったが、誰も今すぐとは言ってないだろう」

 間髪入れずにのんびりと否定されたシュメラは頬にカッと血を昇らせたが、精一杯の強がりで鼻先で笑い、デッキチェアから身軽に飛び降りると尻が見えそうなほど短いズボンに包んだスラリと長い足でキュッと磨かれた床を蹴って腰に手を当てた。

「竜使いに現を抜かすのもいいけど。せいぜい食われないように注意することね」

「お気遣いなく」

 肩を竦めるレッシュに行儀悪く舌を出したシュメラは羊皮紙の巻物を投げつけると、後は振り返りもせずに船室に姿を隠してしまった。
 しかし、彼女はとうとう最後まで彰を見ることはなかった。

「やれやれ」

 軽くレッシュが溜め息を吐いていると、荒々しく蹴散らして行く美少女に「おっと」と言いながら入れ替わる様にして甲板に姿を現したヒースが、シュメラの剣幕に肩を竦めながら日光浴中の頭領とその囚われ人を振り返った。

「ありゃあ、どうしたんでしょうかね?お姫さんの剣幕は今に始まったワケじゃありませんが、どうも【ゲイル】の連中はお頭の耳に念仏を唱えたがる奴が多いようでいけやせん」

 どう言う意味だと軽く睨むレッシュに肩を竦めたヒースは、遠見鏡で肩を叩きながら持ち場へブラブラと歩き出した。その道すがら、仕方なさそうにレッシュに進言する。

「お頭ぁ。女の機嫌は海よりも深い部分で決まるらしいッスよ。早いところご機嫌を取っておかないと沈まない船も沈んじまいますぜ?ましてやパイムルレイールのお姫さんとなりゃ尚更ですぜ」

「わあってるよ」

 相変わらずヒースも【念仏唱え隊】の一員だよなぁと彰はクスッと小さく笑った。彰は意外とこの、ひょろりと背の高いモヤシのようなヒースが好きだった。何がしかの理由でレッシュ以外は当たり障りなく遠巻きに眺めているなかで、このヒースだけは変わりないように接してくれるのだ。
 面倒見が良くてお人好し…と言うのが、彰のヒースに対する第一印象だった。
 一ヶ月以上も経つ月日の中で、今のところはその第一印象は 覆 されてはいない様だ。
 ハッキリしないお頭の態度に溜め息を吐いて肩を竦めたヒースはしかし、仕方なさそうに彼らを残して持ち場に行ってしまった。その後姿を見送る彰に気付いたレッシュは、眠そうに欠伸をしながらグイッと紐のベルトを引っ張った。

『おわッ!?』

 思わずグラッと背後に倒れそうになった彰は、デッキチェアから降りていた長い足に凭れるようにして受け止められると、驚いたようにレッシュを振り返った。

「なにすんだ!」

「いやなに」

 短く言って欠伸を噛み殺したレッシュは、後頭部で腕を組んで面白くもなさそうに隻眼でチラリッとそんな彰を見下ろした。
 怒っているようだが、どこか好奇の光にキラキラと漆黒の双眸を煌かせる彰に、レッシュは珍しくご機嫌そうに口許に笑みを浮かべる。豪快な笑いなら良く見る彰も、こんな風に何気なく笑われてしまうと怒る気が失せてしまう。
 なぜならそれは、案外、レッシュが男前な顔立ちをしているからだ。
 自然に伸びた髪が潮風に揺れ、燃えるような赤毛はしかし、夕暮れの海に似ていて綺麗だと思った。灰色の瞳はたった1つしかないのに、ドキッとするほど鋭利な刃物に似ていてその研ぎ澄まされた感覚にハラハラする。
 本当に、海のような男だと彰は思っていた。

「シュメラが気になるんじゃねぇかと思ってな」

 図星にムッとする彰はしかし、好奇心がプライドに勝って大人しく頷いた。

「気になるよ。で、彼女はだれ?」

「アイツは【鳥人族】の第5皇女だ。バイオルガン国の首都パイアラードに護送中の身分でね、商船を襲ったらオマケで付いて来たのさ」

 どう言った理由で商船のオマケを首都まで護送することになったのかという詳しい理由は判らないが、彰はこの世界に来て新しい種族の名を覚えることだけに集中した。

(バイオルガン国の首都パイアラードに住んでいるのがパイムルレイールと言う【鳥人族】なんだな。鳥人…ってことはあの気の強そうな子は空を飛べるってことか?)

 彰の関心は、自分には全く関係のない護送の理由だとかそんなものからは遠く離れ、自分たちの世界では空想上でしか聞いたことのない種族の名に注がれることになる。
 迷惑そうなレッシュの態度に気付かない彰は、良く晴れた透明度の高い空を見上げ、この世界のどこかに必ずいるはずの友人を思った。
 見つけ出さなくては…きっと自分がいないと泣いているだろう、大切な幼馴染み。
 案外、タフで順応性があって怖いもの知らずの性格だが、泣き虫で寂しがり屋だと知っているから、優しい幼馴染みの安否が自分よりも気遣われるのだ。

(大丈夫だろうか、アイツ…)

 心配そうに空を見上げる背中を、レッシュの細めた灰色の眸が物言いたげに見つめていることに、彰が気付くことはなかった。

第一章.特訓!8  -遠くをめざして旅をしよう-

 光太郎は小さな村を物珍しそうにキョロキョロと見渡していた。ある程度大きい町ならもう見て驚いた後だったが、農村は初めてだったので興味深そうに見渡している。
 町のような活気はないものの、生活臭が酷く身近に感じられる泥臭さが新鮮だった。

「キョロキョロするなよ…と言っても無理か」

 ルウィンは 傍 らで忙しなく動いてる黒髪を見下ろして、仕方なさそうに苦笑しながら肩を竦めて農道を歩いていた。 草臥 れた革編みの靴は 摩り減って 、広大な草原を歩いてきたせいで草の汁で汚れてもいた。
 背の高い美しい賞金稼ぎの腰の辺りの服を掴んでポカンッと口を開けている光太郎を、前方を優雅に飛んでいる深紅の飛竜がクスクスと笑っている。

『アレはなんなんだろう?ダチョウ…?うーんと、鳥かなぁ』

 農道の脇にある柵の向こうで優雅に草を食んでいる奇妙な生き物を、思わず足を止めた光太郎は熱心に観察しながら首を傾げて呟いた。
 堪らなかったのはルウィンで、裾を引っ張った形で立ち止まられると思わず身体を締められてこけそうになってしまう。もちろん、本当にこけたりなどはしないが。

「苦しいだろ、お前は!立ち止まるなら立ち止まるで一言ぐらい…何を見てるんだ?ああ、カークーか。 暢気 な連中だよな」

 ルウィンも腕を組んで光太郎の 傍 らに立つと、珍しくもない 牧歌的 なその光景を暫し見渡していたが口許に笑みを浮かべて奇妙な生き物を眺めた。

「カークー?」

「そうだ、カークー。荷物を運んだり」

「ぬもつ」

「そう荷物だ。人を乗せたり、それなりに便利な生き物だぞ」

 クイクイと掴んでいた服を引っ張って首を傾げる光太郎に気付いたルウィンは、頷きながら吹いてくる 爽 やかな風に 双眸 を細めて説明する。
 その生き物はキーウィをダチョウぐらい大きくしたような感じだが、少し違うのは、なだらかな背が鳥類らしく角張っていると言う事だ。尻尾のないところと翼が退化しているところ、つぶらな瞳と長い 嘴 は、どこをどうみてもキーウィだ。しかしあの背中なら、荷物や人を乗せるには便利だろう。

「カークー。小さい、キーウィ、鳥。いっしょ」

 光太郎が指差しながら説明すると、ルウィンは理解したのかしていないのか、へぇと呟いて肩を竦めて見せた。
 恐らく半分ぐらいは理解したのだろう。

「小さな鳥キーウィと一緒?お前の世界にいる鳥か?キーウィねぇ」

 頷いていたルウィンはしかし、「もう行くぞ」と光太郎の頭に軽く手を当てて促しながら歩き出した。彼らの向かうこの村の長の家は、もう間もなく歩いた場所にあるはずだ。
 農道は土が露出していて道端には草が生え放題で、光太郎は自分の暮らしていた町を思い出した。少し奥に入るとすぐに田んぼがあって、農道がどこまでも続いている。春になると芹が生えて、脇を流れる小さな小川には小魚たちが泳いでいた。
 この村の農道もやはり同じで、脇に流れる小川には小魚が泳いでいる。
 ただ、そのカークーの牧場の広さは北海道か、 或 いは外国の農場のように広大だが。

「引っ張るなって。見たいならゆっくり来てもいいんだぞ。この村から出ないのならな」

 この村を襲っているシーギーの 特徴 を良く心得ているのか、ルウィンはさして慌てた様子もなく自由にすることを許すような発言をする。しかし。
 古めかしい家が立ち並んでいるが、どの家の煙突からも煙が上がり、中世の農家を思わせて光太郎はドキドキしていた。

『RPGの世界だ』

 ルウィンから離れる気など 微塵 もない光太郎の耳には、せっかくの申し出は届いていないようだ。そんな態度に腹を立てるでもなく、ルウィンはこんな他愛のないものに素直に興味を示す光太郎に呆れているようだった。

「おお…これは」

 なだらかな坂を登りきった小高い場所にある一軒の古めかしい家の前で、年老いた男が長い茶色のローブに身を包んで立っている。
 賞金稼ぎの到着を今か今かと待ち構えていたのだろう、ルウィンの姿を見とめると、彼は大きく両手を広げて歓迎の挨拶をした。

「ロードのギルドから伝令鳥が来た時は驚きました。まさか銀鎖の賞金稼ぎにお出で頂けるとは…私はこの村の村長ラーディです」

 ルウィンはその老人に左手を拳に握り右手の指をキチンと揃え、左手の拳の部分をその右掌に押し付けるようにし唇の高さまで持ち上げると、双眸を閉じて軽く首を垂れる賞金稼ぎ特有の挨拶をして、懐から取り出した羊皮紙の紹介状を手渡した。

「これが紹介状だ」

「確かに確認しましたぞ。ささ、何もないあばら家ではございますが、お寛ぎくだされ」

 老人は恭しく紹介状に目を通すと、すぐにルウィンとその連れを招き入れた。
 室内は木の温もりが伝わってくる天然素材で作り上げられているが、長い間使われているせいか、天井は 煤 に汚れ壁には染みが所々文様を作り出している。木のテーブルにも家族が生活している痕跡を残して、食べ物の染みが奇妙な光沢を生み出していた。

『うわー!うわー!』

 もうちゃんとした言葉も出せないでいる光太郎が 不躾 に室内を見渡して声を上げていると、ルウィンがその頭を軽く小突いて黙らせた。二階に続く階段から様子を窺うように顔を覗かせているこの家の住人らしき少年は、熱心にそんな光太郎とルウィン、そして小さな飛竜を興味深そうに見ている。
 小突かれた頭を両手で 擦 っていた光太郎はそれに気付いてニコッと笑いかけたが、ビックリした少年は慌てたように二階に姿を隠してしまった。

(あーあ、隠れちゃった)

 光太郎はこの世界に生きる全ての住人がルウィンのように強くはないことをもう知っていた。
 彼は、やはりその容貌のように 稀 な存在で、その強さのおかげで賞金稼ぎと言う危険な仕事にも 就 けていることをルビアに聞いて理解していたのだ。
 だからこそ、あの少年が物珍しくルウィンを見ていることも理解できた。

「そちらの方は、このようにむさ苦しい家は初めてなのでしょうな」

 嫌味ではなく、親しみを込めて椅子を勧めた老人が目を細めて笑うと、ルウィンは光太郎を促しながら肩を竦めて面倒臭そうに答える。

「カタ族にはなんでも物珍しいのさ」

 この家の娘なのか、田舎娘らしくエプロンをつけた頬の赤い少女が木のコップに温かい液体を満たして持ってきた。テーブルに慎重に置くその微かに震える手は、野良仕事に痛んで、あかぎれができている。
 光太郎はこの少女のような娘が、あの少年の母親なのだろうかと首を傾げた。

「ほほう、カタ族ですか!それはそれは…」

 物珍しそうに村長と娘は光太郎を繁々と観察し、唐突に注目が集まったことにドキッとしてコップの中を覗き込んで冷めるのを待っているルビアを掴んで抱き締めた。不安になるとルビアを抱き締める光太郎の、この世界に来て覚えてしまった奇妙な癖に、いい迷惑をしている深紅の飛竜は仕方なさそうに大人しく抱かれている。

「さて、村長殿。シーギーの詳しい被害や出没時刻を教えてくれ」

 暖かなコップの取っ手を掴んで促すルウィンに、それどころではなかったことを思い出した村長は居住まいを正して咳払いをした。

「月に2羽から4羽のカークーが襲われていましてな。まだ人間は襲われていないので、なんとかその前に退治して頂きたく依頼した次第ですじゃ。出没はやはり深夜ですな」

 簡潔に説明する村長の言葉に耳を傾けていたルウィンは、不意に気配を感じて顔を上げた。

(6、8、10…それ以上だな。家をすっぽりと囲んでいる)

  先端 の尖った耳を 欹 てるルウィンの様子に気付いた光太郎は彼を見上げると、青紫の神秘的な 双眸 がさり気なくだが確実に、油断なく背後の扉と窓の様子を窺っていることに気付いた。

(…殺気がしない?)

「わぁッ!」

 不意に背後の扉が開いて大量の人間がなだれ込んできた。
 ビックリした光太郎はルビアごとルウィンの腕に抱きついたが、銀髪の賞金稼ぎは目を白黒させて背後の扉を肩越しに振り返った。

「なんだね、お前さんたちは。お客人の前だと言うに…」

 年老いた村長はローブの 裾 を 蹴 るようにして、のんびりとなだれを起こして照れ笑いを浮かべている村人たちのもとまで行くと、ほっほっほと笑う。

「なんだ、村人だったのか。 道理 で殺気がしないワケだ」

 やれやれと呆れたように口を開いたルウィンに、照れ笑いを浮かべていた村人から歓声が上がった。

「おお!喋ったぞッ」

「ってゆーか、俺たちの気配を感じていたんだ!」

「さすが銀鎖の賞金稼ぎ!」

「それにとってもハンサムよv」

 口々に思い思いのことを叫ぶ村人の 賑 やかさに、思っているほどには、シーギーの被害は少ないのだろうか?とルウィンが自分の勘を疑ったとしても仕方のないことだった。

『あはは。ここの人たちって楽しいね。賞金稼ぎが珍しいのかなぁ?』

《どうでもいいけど早く解放して欲しいのね。く、苦しいの…》

 光太郎の胸とルウィンの腕に挟まれたルビアはべろんっと舌を出して死んだフリをしている。

『わぁ、ごめん!ルビアッ』

 光太郎が慌ててルウィンの腕を離すと、深紅の飛竜は新鮮な息を吸い込みながらふわりっと天井近くまで舞い上がった。天井近くも酸素濃度は薄いのだけど…
 しかし、それにまたしても歓声がドヨヨ…ッとあがる。

「ルビア、降りてきなさい」

 ルウィンが半ば頭を抱えて促すと、深紅の飛竜は光太郎に掴まらないようにと避難していた場所から渋々と舞い降りてきた。

「飛竜だ!飛竜ッ」

「すっげぇな!銀鎖クラスになるとお供は飛竜なんだ!」

 どよどよとさらに 姦 しく騒ぎたてる村人たちを、村長も 敢 えて注意などせずにのんびりとコレコレと笑って呟いている。ルウィンは自分の選択に今更ながら頭を抱えたくなったが、光太郎がその様子を見てケラケラと笑っているので、まあいいかなと溜め息を吐いた。
 何となく、ルビアもこの村の雰囲気を気に入っているようだ。

(親しみやすいと言えば親しみやすい村だからな…この村を救えば、コイツらも喜ぶんだろう)

 ルウィンは、笑いあっているルビアと光太郎を見下ろして、仕方なさそうに微笑んだ。

第一章.特訓!7  -遠くをめざして旅をしよう-

 トーリア国の姫君は、 些 か不機嫌そうな表情をして目の前の甘いマスクの青年を見つめていた。
 幼い頃からの許婚とは言え、出会ったのは今日が初めてなのだ。しかも、その甘いマスクに常に笑みを 湛 えた青年は、恐らく自分と婚姻を結ぶことなど考えてもいないのだろう。
 遅々として進む 鬱陶 しい時間の流れに、王女は 苛々 としたように爪を噛んだ。

「退屈そうですね、ラーリ=トールティナ姫」

「当然ですわ。わたくしの目の前にいらっしゃるコウエリフェル国の皇太子さまがちっともお話して下さらないんですもの。とても退屈ですわ。 宜 しければ 欠伸 をしてもよくて?」

 辛辣に嫌味を言ってツンッと 外方向 く王女に、コウエリフェルの皇太子、セイランはクスッと微笑んだ。子供染みた仕草をする姫君は、友好国であるトーリア国の第2王女だ。

 奔放に育った姫らしく、くるくると落ち着きなく縺れ、絡まりあった金糸のような髪の毛は羽毛のような柔らかさでふんわりと小さな顔立ちを包み込んでいる。腰まである長い髪と小さな顔立ち、気の強そうな 煌 く 勿忘草 のような大きな双眸が、遠い昔に見たあの幼い姫君を思い出させて、セイランの胸に久しく忘れていた懐かしい甘やかな疼きがゆったりと降り積もる。

「これは失礼。姫君が美しくご成長されていたものですから、私は声を失っていました」

「ご冗談を」

 セイランの嘘臭い台詞にうんざりしたようなトールティナは、小奇麗に飾り付けられたドレスを早く脱いでしまいたいと思いながら、 気怠 げに扇で口許を隠しながら舌を出す。

(今日会ったばかりだと言うのに、まるで昔から知っているような口調…きっとこれで女性を誑かしているのね)

 城を出る前に侍女たちが、コウエリフェルのセイラン皇子はとんだ女たらしだと噂していた。常に美女を二人傍らに 侍 らせて、城を開けては 何処 かへ消えてしまう。女に会いに行くのだと 専 らの噂らしい。甘いマスクも胡散臭いと、今日初めて会った婚約者をトールティナは持ち前の気性の激しさで 扱 き下ろす。

(父さまったら。わたしをこんな女ったらしに嫁がせる気なんて…お城に帰ったら延髄蹴りよ)

 できることなら指を鳴らしたい気分だったが、ここは他国の王城、しかも目の前には相変わらず胡散臭い微笑を浮かべた皇太子殿下までいらっしゃるのだ、トールティナはニッコリと微笑んで内心で悪態を吐いて舌打ちする。

「姫君はもうお忘れやもしれませぬが、私は貴女にお会いしたことがあるのですよ」

 トールティナの微笑の裏に隠された本心を読み取ったかのようなセイランの言葉に、王女はハッとしたように顔を上げ、次いでバツが悪そうに扇で手遊びした。

「まあ、わたくしは何も申してはいませんわ」

 取り繕うような台詞にも、セイランは小さく微笑むだけだ。
 もちろん、洞察力の鋭い皇子のことだ、こんな子供のような姫君の上辺面など易々と見抜いていた。その内心とのギャップが面白くて、皇子は暫く黙って見守っていたのだ。
 確かに、トールティナが意地が悪そうだと見抜いたように、セイラン皇子は人が悪い一面も持っているようだ。

「わたくしがセイラン皇子とお会いしたことがあるなんて…本当ですの?」

 遠い記憶を思い出そうと首を捻っていたトールティナは、やはり思い出せなかったのか、柳眉を僅かに顰めて皇子に 訊 ねた。無害な小動物のようなあどけない仕草に、セイランはクスッと微笑んで頷いた。

「もう、随分と昔の話ですからね。貴女がお忘れになられたとしても、それは気になさるほどのことではありますまい」

「いいえ、それではわたくしの気が収まりませんわ!やはりこうして、対面したのでしょうか?」

 王女が気の強そうな双眸をキラキラと煌かせて、屈託なくまっすぐに見つめてくるその眼差しをしっかりと受け止め、しかし皇子はやわらかく微笑んで首を左右に振った。
 侍女たちが見ればハッと目を見張るほど、今日の皇子は優しげな表情をしていた。
 どこか子供のような姫君だからだろうか、今日のセイランは比較的穏やかな時を過ごしているようだ。

「姫とお会いしたのはほんの一瞬のこと。まだ幼い貴女が許婚として我が城に訪れた時ですよ。貴女は、とても悲しそうに泣きじゃくっておいでだった」

 よくよく思い出して、王女は唐突にハッとした。
 そうだ、あれはまだ5歳の頃、父王に連れられて来た異国の城で、母さまと離れてとても不安で泣きじゃくる自分に、まるで商人のような出で立ちをした少年が声を掛けて来たのだ。

『どうしたの?逸れちゃったのかい?』

『父さまと一緒に来たのよ。でも、母さまがいないの』

 両手を拳にして頬を擦りながらくすんくすんと泣く小さな少女に、少年はやわらかく微笑んで優しく金の羽毛のような巻き毛に覆われた頭を撫でてくれた。

『母さまがいないんだね。僕とおんなじだ。大丈夫だよ、父さまを一緒に捜してあげる』

 商人の息子として認識していた皇子との一瞬の邂逅は、そう言って彼が微笑んだ次の瞬間には終ってしまった。すぐにいなくなった姫君を捜しに来た護衛兵に、彼女は父王の許まで連れて行かれたのだ。商人の息子はポツンとその場に取り残されて、トールティナはその方がいっそ悲しいと思ったものだ。しかし、彼が目の前の青年だったとは…いや、その前にその事実をすらすっかり忘れてしまっていた。

「わたくしったら…あの時は本当に嬉しかったのに。恩人を忘れてしまっていたのですね」

 王女は本当に申し訳なさそうに柳眉を寄せて 項垂 れてしまった。

「姫君、気になさいますな。そうして思い出して頂けただけで、私は満足ですよ」

 セイラン皇子があの時のように優しく微笑んだ。
 トールティナは、遠い昔の記憶を思い出して、そうして今目の前で優しく微笑んでいる皇子を見つめ、自分の見解が誤っているのではないかと思った。
 あの寂しい少年は時を経て、今ではこんなに立派に成長しているが、その醸し出す雰囲気はまるであの頃のまま寂しさに彩られているように感じる。
 自分を見る目付きの、そのなんとも言い難い寂しそうな双眸…

 たった一瞬の邂逅だったが、頭に触れた皇子の優しい手の温もりは覚えている。

 トールティナは困惑したような面持ちで、自分の眼前でティーカップに口を付けている生涯の伴侶となるはずの青年を見つめていた。

「コウエリフェルのお役人がオレに何のようだ?」

 紅の牙を率いる頭領は、銀の前髪が零れ落ちてこないように真紅のタバンダナで額を覆い、エメラルドの勝気そうな瞳を鋭く光らせながら旅装束の青年と一風変わった道化の衣裳に身を包んだ青年を交互に見遣る。

「噂に聞くと、神竜の居場所を知っているそうじゃないか」

 単刀直入に聞く旅装束の青年リジュに、頭領の傍らで凄んでいた連中が 俄 かに色めき立ったが「うるせぇ」と、自分たちの主の 一喝 で黙り込んでしまった。

(なるほど。紅の牙の連中にとって、この青年が絶対権力なんだな)

 リジュは荒くれ者を 統括 しているまだ若そうな青年を、内心で感心していた。ことあるごとにデュアルから寝てんじゃないの?と言われる細い双眸の奥の新緑の眸は、警戒するように油断なく周囲をそれとなく見渡している。

「まあな。あんたらはつまり、神竜に会いに行きたいと言うのか?」

「ああ」

 リジュが表情には表さずに慎重に頷くと、銀髪の青年は肩を竦め小馬鹿にしたように口角をクイッと上げて哄った。

「神竜の許に訪れるはずの竜使いを、大方攫おうって手筈なんだろ?浅はかだな」

 腕を組んで壁に凭れていた青年は身体を起こすと、ゆっくりとリジュに歩み寄って口を開いた。

「残念だが、神竜の許に竜使いが現れれば、もう奴らを止めることなんてできっこないぜ。掻っ攫おうなんざ無理もいいところだ。もっとよく文献を調べて出直して来るんだな」

 突き放すように言って笑う頭領に倣って、リジュたちを囲んでいた連中も馬鹿にしたように笑った。

「そうか、判った」

 これ以上ここにいたとしても、恐らくこの頭領の気性からは何も語りはしないだろう。そう踏んだリジュは傍らに立つ、不気味なほど黙り込んでいるデュアルを促して立ち去ろうとした。しかし。

「どうして掻っ攫えないって言いきれるの?奇跡、なんて馬鹿らしいことは言わないけどさ。神竜はほら、竜使いの涙で復活するんでしょ?だったら泣かせる前に掻っ攫っちゃえばいいってことなんじゃないの?」

 腕を組んで不満そうに下唇を突き出していたデュアルが唇を尖らせてそう言うと、銀髪の頭領はジロッとそんなふざけた道化師を 睥睨 した。

(こいつ…どうして知っているんだ?)

 内心で毒づく台詞がまるで聞こえてでもいるかのように、デュアルがニッと笑う。

「知らないと思ったんでしょ?そりゃあ、竜使いを狙ってるんだから文献ぐらい読んでくるよー」

 ケラケラと笑うものの、その異常に冷めた青紫の双眸だけは笑わずに、頭領の出方を密やかに見守っているようだ。息を殺して、獲物を捕らえようと茂みに身体を隠してその瞬間を狙っている肉食獣のような、狂暴な双眸で。

「…なるほど。あんたがコウエリフェルの用心棒か」

 抜け目のない道化師の噂は、彼が密かに密約を交わしているコウエリフェルの黒幕から話は聞いていた。はじめはリジュがそうなのだろうと思っていた。まさかこのふざけた道化師が…そう考えて、人は見た目ではないのだと言うことを、彼はもう一度再認識させられた気がした。

「オレはカイン。紅の牙の頭領だ」

 そう言ってリジュに腕を差し出す青年に、コウエリフェルの王宮竜騎士団団長は一瞬僅かに 躊躇 したが、すぐに彼が自分たちを認めたことに気付いてその腕を握り返した。

「コウエリフェル竜騎士団の団長リジュ=ストックだ。こいつは…」

「団長さんの心強い相棒vデュアル=ケオティックだよ」

 努めてふざけた口調でニコッと笑ったデュアルはしかし、とうとう最後までカインの手を握ることはなかった。

第一章.特訓!6  -遠くをめざして旅をしよう-

 少女は木々に囲まれて、見張りの為に夜通し燃えあがる篝火に浮かぶ、白亜の美しい王城を見つめていた。
 燃えあがる焚き木の炎にオレンジの眸が揺らぎ、彼女の心の深い部分までも照らし出しているようだ。不思議な髪は薄いブルーと淡い紫が混ざり合っている美しい色で、肩口でキチンとつみ揃えられている様子は、どこか高貴さが漂い、動きやすい衣裳に身を包んであっても彼女には気品があった。
 意志の強さを秘めたオレンジの眸が一瞬細められて、次いで傍らに片膝をついて控えた長身の、漆黒の甲冑に身を包んだ場違いな男を振り返る。

「王城が遠く霞んでいるわ。こんなに近くにあっても、あたしはなんて非力なのかしらね…」

「姫君…」

 肌も露なTシャツにホットパンツのようなズボンを穿き、片足だけ股まである靴下を穿いた快活そうな少女の、まるで出で立ちに似合わない小さな溜め息のような呟きに、黒甲冑の男は兜に見えない表情を僅かに曇らせた。

「心配しないで、ローラディン。あたしは、だからこそ生きていけるのだから。あの、懐かしい城を取り戻すまでは、けっして死んだりしないわ」

 幾分かホッとしたように黒甲冑が身動ぎすると、憂いを秘めた少女のオレンジの双眸が、僅かに優しく揺れる。

「ごめんね。お前たちには無理ばかりさせて…」

「姫君。案じられますな。我らは姫と共にあることこそ無上の幸福なれば、誰も貴女さまを責める者などありますまい」

 些か不満そうに呟く黒甲冑に、少女はすぐにクスッと微笑んだ。
 自分たちをもっと信じてくれと、黒甲冑が雰囲気に漂わせる強い意志が、少女の頑なな心をいつも平常心に戻してくれているのだ。
 ホッとする。
 少女は申し訳なく思いながらも、自らの小さな胸に沸き上がる不安や恐怖のようなものが一蹴されることを感じて目を閉じた。
 大丈夫、きっと明日も生きていける。

《ブルーランドには魔族がいるのね》

『魔族?』

 ルウィンが出掛けてくると言って部屋を空けた殺風景な室内で、光太郎はベッドの上にちょこんと座って胸に抱き締めた小さな飛竜の顔を覗き込んだ。

《そう》

 チビ竜は温かな光太郎に抱き締められることが何よりも好きで、良くこうして会話を交わしている。

《昔は他種族とも仲が良かったのね。でも、ある日突然彼らは叛乱を起こし、ブルーランドを攻めたの》

『てことは、もともとブルーランドって国は魔族のものじゃなかったんだね』

 チビ竜は神妙な面持ちで頷くと、溜め息を吐いて首を左右に振った。

《どうしてそうなっちゃったのか、きっと魔族にも判らないと思うのね。昔はあんなに仲が良かったのに。ルーちゃんの…》

 そこまで言って、ルビアは慌てたようにハッと口許を押さえた。
 もちろん、光太郎は目敏くそれに気付いて、怪訝そうな表情をすると首を傾げてルビアの顔を覗き込んだ。

『ルウィンがどうかしたのかい?』

《な、なんでもないのね》

 取り繕うように笑うと咽喉を晒して光太郎を見上げるルビアのエメラルドの大きな瞳は、微かな動揺に揺れていて、光太郎に不信感を抱かせるには充分だった。

『教えてよ、ルビア!』

 その晒した咽喉をコチョコチョと擽りながら、光太郎がクスクスと笑ってじゃれ付くと、ルビアもイヤーンと笑いながら緩慢な仕草で身動ぎする。

《なんでもないの!ルーちゃんの初仕事の場所だったってだけなのね!》

 ケラケラと笑いながら、あながち嘘でもないことを言って暴れるルビアに、光太郎はその擽っていた手を止めると驚いたような表情をした。

『初仕事…ってやっぱり、賞金稼ぎの?たった一人で、魔族の王城に行ったのかい!?』

 笑いすぎて肩で息をする小さな真紅の飛竜は息を整えると、驚いたように見開かれた夜空色の漆黒の瞳を見つめながら頷いた。

《ルーちゃんは強いの。でも、ナイショだけど。ルーちゃんはその任務を失敗しちゃったのね》

『当たり前だよ!たった一人で魔族の王城に行くなんて!自殺行為じゃないかッ』

 本気で怒る光太郎にルビアは少し驚いたように目を見張ったが、すぐに小さく微笑むと、その身体を小さな両手で必死に抱き締めた。
 普通なら、このアークで生きる住人ならば、賞金稼ぎが仕事に失敗すると言うことは致命的で、以後けして雇おうなどとは思わない。馬鹿にされる要素なのだ。
 だが、異世界から来た住人は、掛け値なしでルウィンの身体だけを心配している。
 そう言う人間もいるのだとルビアは純粋に嬉しくて、そして、どうしてそんな人物が【竜使い】なのだろうかと悲しくなった。
 だからこそ、なのかもしれないが…

『ルビア?』

 【竜使い】の悲しい定めを知る小さな飛竜は、飛竜族でありながらけして思ってはならないことを自分が考え始めていることに気付いて愕然とした。
 光太郎が竜使いじゃなければいいのに…ずっと、一緒に旅ができたらいいのに。
 神竜が待ち焦がれている竜使い、もしかしたら、悲しいルウィンの心を満たすことができるかもしれない光太郎。
 ルビアは唐突に浮かんだ思いに、いったいどうしたらいいのか判らなくて、光太郎の呼びかけに答えることもできにずに不思議そうに小首を傾げるその身体に抱きつくしかなかった。

「ルウィン=アルシェリア。あら、珍しい。ハイレーンの賞金稼ぎね。しかもトップクラス。こんな田舎町じゃ滅多にお目にかかれない 銀鎖の剣 が見られるなんて、あたしってばラッキーねぇ」

 お喋りな受付嬢はクスクスと笑うと、預かっていた銀色のプレートのようなものをルウィンに差し出した。
 それはある種の通行手形のようなもので、行った先々の町で必ずギルドの事務所にそれを提示し、仕事の斡旋を受けたり生きていると言うような生存確認の登録をするのだ。いわば身分証明…つまり賞金稼ぎの免許証のようなものである。

「はい、登録しておいたわ」

 美形の賞金稼ぎに町娘はやや舞い上がっているように頬を上気させ、うっとりした双眸で見つめてくる。そんな視線にも慣れているのか、ルウィンは銀色の無機質なプレートを無表情で受け取って懐に仕舞うと、机を指先で弾きながら訊ねた。

「仕事が欲しいんだけど、何か手頃な依頼はないかな?」

「手頃って言うと、たとえば?」

 受付嬢は、どうやら依頼の掲載されているらしい膨大なリストを持ち上げると、胸元に垂らしていた眼鏡をかけて上目遣いにルウィンを見上げてきた。

「そうだな…日数のかからない、まあ、ぼちぼち金になるヤツだったらなんでも」

「日数のかからない…って言うと、護衛系は無理ってことね。じゃあ、魔物退治なんてどう?」

 そのページを 捲 る受付嬢に曖昧に頷いて、ルウィンは良く聞こえる耳を欹てて、遠くで屯しているこの町の下級賞金稼ぎたちの会話に耳を傾けた。受付嬢は膨大なリストから希望の依頼を弾き出そうと、熱心に俯いて無口になっている。

「おい、聞いたかよ。ティギの村でまたカークーが襲われたんだと」

「マジかよ。この月に入って何羽目だ?」

「3羽か…4羽ぐらいじゃねぇか?あの村も災難だな。シーギーに目を付けられるなんて」

「下級妖魔だと誰も相手にしねーからなぁ。貧しい村だと思うような報酬も得られんし、普通の賞金稼ぎは避けて通るよ。大方、出せても300ギールがいいところだろう」

「あの村はもう駄目だな」 

 口々に言っては溜め息を吐く。だが彼らの言う通り、大概の賞金稼ぎはその名の通り報酬の為に命を張るもので、下級クラスの魔物や低い報酬には見向きもしない。
 中級から上級クラスの魔物となれば、報酬も良ければ自分の名に箔がつく、そう言った理由から賞金稼ぎは下級の依頼は国王の命令でもない限り受けたりはしない。いや、たとえ国王の命令だとしても、断固として撥ね付ける賞金稼ぎもいるぐらいなのだから、その厳しさが判るだろう。
 たとえそのせいで村が壊滅的な被害に遭おうと、彼らの知ったことではない。彼らは慈善事業家ではないのだ。
 よほどの物好きがいれば話は別だが…

「ティギの村の依頼はどうなってるんだ?」

 突然話題を振られ、リストに齧り付いていた娘は顔を上げると怪訝そうな表情をしたが、大方、この旅の賞金稼ぎもそこらで近隣の村の情報でも耳にしたのだろうと思ったのか、言われたとおりにそのページを指で探って見つけ出すと内容を目で追いながら眉を顰めた。

「あなたの希望通りじゃないみたいよ。シーギー退治で250ギール。最低ね。これじゃ、誰も見向きなんてしないわよ」

「ふーん…じゃあ、それでいいや。伝令鳥を出しておいてくれ」

 受付嬢は驚いたように眉を上げて、それから徐に胡乱な目付きをした。

「ちょっと、本気なの?興味本位ならよしてよ。途中でやーめた、なんて言われたら、あたしたちギルドの 沽券 にも関わるんだからね」

「判ってるさ。ほんの小遣い稼ぎでいいんだよ。次の町まで行ける路銀になればな」

 この金額でどこまで行くのかと言いたげな疑い深そうな表情をしていた娘はしかし、幾分か嬉しそうな表情をして紹介状を取り出した。

「それなら、伝令鳥を出しておくわ。これは紹介状ね。…正直、ちょっとホッとしたわ。誰もこの依頼を引き受けてくれなかったから、あの村はもう駄目だって思っていたの」

 羽根飾りのついたペンで羊皮紙にルウィンの名とそのクラスを明記しながら、娘は綺麗で優しい賞金稼ぎに幾分か心を奪われているようだった。いくら小さな村とは言え、自分たちの暮らす町からそう遠くない場所で、ひとつの村が終焉を迎えようとしているのは気持ちの良いものではない。しかし、だからと言って命を落とすかもしれない魔物退治に、喜んで行くのは報酬目当ての賞金稼ぎぐらいだ。それだって、強かな金額でなければ首を縦には振らないだろう。ましてやトップクラスの賞金稼ぎとなればなおさらだ。
 しかし、この美しくも最高のクラスに立っている賞金稼ぎは、誰も見向きもしないような依頼を引き受けようとしている。

「じゃあ、ここにサインして…これでギルドの契約は終り。これ、村までの地図ね。じゃ、後は村の責任者と契約してちょうだい」

 紹介状と地図を受け取ってギルドを後にしようとするルウィンの良く聞こえる耳に、慌てたように駆け寄る足音が聞こえる。あの受付嬢はこの町のギルドでは看板娘だったのだろう。先ほど会話をしていた連中が口々に彼女に問い掛けているようだ。

「なあ、今のハイレーンの賞金稼ぎだろ?お、俺、初めて見ちまった」

「綺麗でカッコイイよな!なあなあ、紹介状を渡してたじゃん!どんな依頼を請けたんだ!?」

「あの 銀鎖の剣 はSクラスだ。5000ギールの依頼か…いや、10000ギールはいくかもな!」

 言いたい放題言う下級クラスの連中に、受付嬢は厚いリストでバンッと机を叩くと、かけていた眼鏡を外しながら怒鳴った。

「あんたら腰抜けと違って、たった250ギールの依頼を平然と請けたのよ!恥を知りなさい恥を!依頼はまだ山ほどあるんだからね!登録ばっかりしてないで少しは仕事を請けてちょうだい!」

 受付嬢の 一喝 で 蜘蛛 の子を散らすように去って行く男たちに溜め息を吐く気配を感じて、ルウィンはクスッと笑った。どこの町も同じだが、ギルドの娘は強いなと思ったのだ。
 当たり前だ、荒くれ者の連中相手に値段の交渉も彼女達がするのだ。低いだの高いだの、 一喝 で 纏 められるほどの勢いがないと、賞金稼ぎのギルドでは仕事ができないだろう。
 ルウィンはそれほど頑丈ではなさそうな扉を開いて外に出た。
 傾きかけた陽射しに町が暮れなずもうとしている。
 今夜は光太郎たちを久し振りのベッドでゆっくりと休ませてやろう。
 光太郎を連れての初めての仕事なら、シーギー退治でちょうどいいだろうとルウィンは安易に考えていた。

第一章.特訓!5  -遠くをめざして旅をしよう-

『町だー!!』

 思わず通りを行き交う人々がギョッとするほど大きな声で叫んでしまった光太郎に、少し先を歩いていたルウィンがギクッとしたように首を竦めて訝しそうな表情をしながら胡乱な目付きで振り返った。
 その緩慢な動作に一瞬ハッと我に返った光太郎は慌てたように口元を両手で押さえて首を竦めてしまう。

「ごめんした」

「…」

 胡乱な目付きでジロッと見下ろすルウィンを恐る恐る上目遣いで窺いながら、光太郎は逸れないように背中の部分の服を掴んで言い訳を試みることにしたようだ。

『だって、この世界に来て初めてルウィン以外の人がいる場所に来たんだよ?そりゃあ、俺ももう高校生だし、町中で騒ぐなんて恥ずかしいと思うよ。でもホラ、やっぱり異世界の町なんて初めてだし、これはもう修学旅行と同じレベルだと思うんだよね』

 捲くし立てるように言いながら、怒られそうになっていると言うのにそれでも物珍しそうにキョロキョロする光太郎を、呆れてモノが言えなくなったルウィンは何か言おうと開きかけていた口を一瞬噤んで、無表情のままで止めていた足を動かした。

「お前の言ってることは判らん」

 どこかで聞いたことのあるようなフレーズで言うルウィンに気付いて、光太郎はニコッと笑いながらその言葉を繰り返した。そこで漸くルウィンは、そうか自分が何か喋ると、この変な異世界人は同じフレーズをそのまま鸚鵡返しにしてくるんだったと気付いて、途方もなく大きな溜め息をついた。

『?』

 疲れたような表情で首を左右に振るルウィンを不思議そうに見上げていた光太郎の興味はしかし、すぐに賑やかな大通りへと移されたようだ。

「ルウィン、町。大きい。なにする?」

 やれやれと溜め息をつくルウィンの服をクイクイと引っ張って光太郎が不思議そうに首を傾げると、まだ何かあるのかよとでも言いたそうな表情をしていた銀髪のハイレーン族の青年は肩を竦めながら、それでも面倒臭そうに答えてやった。

「大きい町で何をするかって?決まってるだろ、買い物をするんだ」

 それに、大きな町なら多少風変わりな出で立ちの光太郎でも目立たないだろう…と言うのは、敢えて口にはしなかったが。
 以前、手に入れたはいいが持て余していたカタ族の衣装がまさかこんなところで役に立つとは思っていなかったルウィンだったが、既に寝巻き用にしている彼のクリーム色の服とは違い、カタ特有の幾つかの布を重ね腰の部分を帯で縛る着物のような上着と黒いズボンは光太郎の体にピッタリだったので無駄にならなくて良かったと思っていた。

「かぬもの。なにかぬ?」

 矢継ぎ早の質問にも、ルウィンは商店通りをめざして歩きながら肩を竦めて答えてやる。

「…そう、買い物な。まあ、いろいろさ」

『そっかー、物資調達なんだ!それでこんな大きな町に来たんだね。やっぱり、この世界でも田舎だと思ったような商品って手に入らないのかな?通販とかもいいけど、やっぱり品物はちゃんと目で確かめておかないと信用できないよね。あ、でもそう言えば。この世界でもやっぱり十進法で計算とかするのかなぁ…?』

 呆れたように眉を跳ね上げて肩を竦めるルウィンにニッコリと笑いかけて、光太郎は興味深そうな顔をしてルウィンのめざす商店通りへと向かうことにした。

「アキラ?…そう言えば最初の頃もそんなことを言ってたな、お前」

 賑やかな町並みを見渡していた光太郎はふと、この大勢の中からひょっこりと彰が姿を現すような錯覚を感じて、思わずルウィンの服をギュッと掴んでしまった。道具の露天商から勧められている粉袋を片手に眉を寄せたルウィンがそんな心細そうな顔をして見上げてくる光太郎に気付いて首を傾げると、迷子になった子犬のような少年は寂しそうに眉を寄せる。

「お兄さん!それ、安いんだよ~?他じゃこの値段で売ってないって!マジで」

「ああ、だがちょっと高いな。あと20ギール負けたら2袋買うぜ?」

 交渉上手なルウィンがニッコリ笑うと、道具屋の主人は困惑したように眉を寄せて「う~んう~ん」と腕を組んで唸っていたが、顔色を窺うように上目遣いで銀髪の旅人を見上げると思い切って片手を出した。

「5ギールだ!」

「15ギール」

 間髪入れずにニッコリ笑う旅人に、主人は「じゃあ、10ギールだ!これ以上は負けられん!!」と言い募るとルウィンは「じゃあ、それで」と言って支払った。主人は毎度~っとは言ったものの、ちょっと不服そうな表情をしてとほほ…と渋い顔をする。

「はっはっはっ、このオレさまをぼったくろうなんざ甘い甘い」

 片手で奇妙な粉の入った袋をポンッと放ってタイミングよくキャッチしながら満足そうに笑うルウィンは、彼の服の腰辺りを掴んで怪訝そうな表情をしている光太郎に気付いて先ほどの会話を思い出した。

「アキラだったな。覚えてるって。そんなあからさまに疑い深そうな目をすんなよ」

 最近、喋ることはまだまだ覚束無いものの、漸く聞き取ることは幾分かできるようになった光太郎はルウィンを質問攻めしては、彼をうんざりさせている。

「アキラ、一緒。たぶん」

 身振り手振りでなんとか意思を伝えようとするものの、思うように言葉にできない。アークの共通語は英語よりも難しそうだ。

「一緒に来てるはず、って言いたいんだろ?」

 だが、ルウィンの努力の賜物で、彼は光太郎の意志を汲み取ることができるようになった。その成果は、異世界から突然降ってきた少年を安心させるには充分だった。

「あの時、お前と一緒には落っこちてこなかったけど…」

 町中でこのような会話をしても大丈夫なのだろうかと思われるだろうが、その点は光太郎が今着ている衣裳によってカバーされていたりする。
 謎の流民カタの衣裳を手に入れたルウィンは、それを躊躇うことなく光太郎に着せた。この衣裳を身につけていれば、多少竜使いや神竜の話をしていても誰も気にもとめないし、カタコトの共通語でもおかなしな表情はされない。
 もともと謎である流民は独特の言語を持っている。
 彼ら独自の楽器であるシュラーンを爪弾いて踊るカンターナを披露して世界中を回る場合はその場所場所の言葉を話しているが、仲間内では独自の言語であるカタ語で会話している。だから、共通語を喋ることができないカタ人がいたとしてもおかしくはないのだ。
 魔族が持っているような漆黒の髪と夜空色の瞳を持つ、独自の文化を花咲かせている謎多きカタ族。神竜や竜使いに尤も近い存在だとも噂されている。多少の奇行もカバーできるだろうと考慮しての結果だった。
 光太郎はその扮装をして、ルウィンと共に旅をしている。

「もしかしたら、別の場所に落ちたのかもな」

「タイヘン!助けるする」

「そりゃそうだけど」

 そう言って肩を竦めたルウィンは、光太郎の着ている独特の衣裳にあるポケットの中に、先ほど購入したばかりの小袋を仕舞い込んでやりながら言葉を続けた。

「どこに落ちたかにもよるだろうな。生きてるのか死んでいるのかも判らんし、何よりこの世界に来ているのかも定かじゃないんだろ?」

 ルウィンに入れてもらった小袋を不思議そうに見下ろしていた光太郎は、ハッとしたように顔を上げて銀髪の美しい賞金稼ぎを見上げた。

『えーっと、えーっと』

「ん?」

 必死に言葉を発せようと開きかけていた口は閉じ、顔は俯いてしまう。
 ボキャブラリーはまだまだ少ないのだ。

『判ってるんだけど、でも、何だか絶対に彰もここに来ているような気がするんだ。漠然とだけど…俺には判るんだよ。やっぱり、兄弟みたいな幼馴染みだからかもしれないけど』

 日本語で言ってもルウィンには理解してもらえない、判っているのだが、何かを口にして伝えたい気持ちがいっぱいある。そうしないと、いてもたってもいられない気分になってしまうのだ。叫びだしたいような、心許無い不安は、何処にいるのかも判らない幼馴染の顔を見ればきっと、落ち着くのだと確信している。
 だが…
 顔を上げてルウィンを見上げると、良く晴れた陽射しの中、とても綺麗な顔が困ったような苦笑を浮かべている。その表情が、この世界に来て初めて触れ合った”ヒト”と呼べる存在が良く浮かべる、温かな感情だと言うことをもう光太郎は知っていた。
 あっさりと突き放されるのでもなく、かと言ってベタベタと馴れ合うわけでもない。
 どこか一歩退いていて、でも近付いているような奇妙な感覚のその表情が、光太郎は優しさだと感じていた。
 この人と一緒にいれば大丈夫、漠然とだがそんな確信が何故か光太郎にはあった。

「仕方ないな…じゃあ、捜してやるよ。それで文句ないだろ?」

『あいたッ』

 ピンッと額を指先で弾かれて、光太郎は痛そうに眉を寄せて両手で額を押さえた。
 仕方なさそうな表情をするルウィンを見上げて、それでも嬉しそうに笑った。

『あれ?そう言えばルビアはどこに行ったんだろう?』

「ん?百歩も譲ってやったこのオレさまに、まだ何か文句があるのか?殺されたいのか?」

 やけに物騒な台詞を吐いてニッコリ笑いながら顔を覗き込んでくるルウィンに、光太郎はちょっと頬を赤くしてぶんぶんっと首を左右に振った。綺麗な顔に冗談でも笑顔で凄まれると、怖いしドキッとしてしまう。
 ともすれば美女にだって化けることができそうなルウィンだ、大抵の人間が見ればその美しさに強く惹かれるだろう。ハイレーン族の賞金稼ぎは、エルフのように美しい幻想的な相貌を持っている。

「ルビアない。どこいぬ?」

「ルビア?ああ、ヤツなら一足先に宿屋に行ったんじゃないかな。この人出だ、何かの祭りでもあるんだろう。宿が満室じゃなきゃいいが…」

 そう言ってルウィンが覗き込むように屈めていた上半身を起こして、大通りを見渡すと、独り言のように語尾を呟いた。
 先端の尖った独特な耳を持っているのは、この人手の中でもルウィンぐらいしかいないんだな、と光太郎は周囲を見渡してそう思った。
 髪の色も肌の色も様々なのに、取り残されたように異形の耳を持つルウィンの背中は、なぜか時折寂しく見える。それは光太郎の思い過ごしなのだが、彼はそう思うと、どうしてもルウィンの服を掴まずにはいられなくなってしまうのだ。
 このままここから消えてしまいそうで…そんな風に、本当に心細いのは、実は光太郎の方だったりするのだが。
 腰の辺りの服をギュッと掴んだ光太郎に気付いたルウィンがそんな彼を見下ろしたその時、不意に、まるで踊り子のようにあられもない姿の少女が銀髪の賞金稼ぎに突然抱きついた。

『わっ』

 驚いたのは光太郎で、抱きつかれた当の本人は別に気にした様子でもなく、緩慢な動作で少女を見下ろした。

「ルビア」

『へ?』

 間抜けな声を上げてマジマジと凝視する光太郎を無視して、僅かな部分だけを覆うような衣裳に身を包んだ小さな美少女は、ルウィンに思いきり抱きついて頬摺りをしながらクスクスと笑う。

「宿屋は一室だけ空いてたのね。でも、ツインしかなくて、トリプルにすることができないって言われちゃったの」

「構わんよ。お前は竜に戻ればいい」

「判ってるのね」

 しなやかな仕草で光太郎を振り返った美少女の大きなエメラルドの瞳だけが、彼女がルビアであることを物語るように縦割れだった。笑みに揺れる美しい少女の顔を、光太郎は驚きに見開いた双眸をしてマジマジと食い入るように見入っている。

「光ちゃんが驚いてるのね!おっかしーの」

 ケラケラと笑ってルウィンから離れた美少女ルビアは、そんな光太郎に思いきり抱きついて少し伸び上がるようにして頬を摺り寄せた。

『ルビア?変身もできるのかい!?』

 驚いたように声を上げる光太郎に、ルビアはちょっと困ったように眉を顰めて小首を傾げた。

「ごめんね、光ちゃん。ルビアは人型に変化すると、言葉が判らなくなってしまうの」

『あ、そうなんだ。…つくづく、ここは異世界なんだなぁって実感しちゃうよ』

 光太郎は呆然としたような、あんまりビックリしすぎて却って冷静になったように感嘆の吐息を洩らして呟いた。

『あれ?でもどうして女の子に変化してるんだろう?』

 光太郎の中に疑問を残したルビアの変化は、その後も様々に形を変えて現れるのだが、その度に彼は首を傾げることになる。…が、敢えてそれについて何か聞こうとはしない。と言うか、聞いてはいけないような気がするのだ。
 ニコニコと微笑むルビアが踊るように通りを宿屋まで案内すると、ルウィンは呆気に取られている光太郎に苦笑を洩らし、肩を竦めながら「ほら、行くぞ」と言って後を追うように促した。
 三人の背後に、運命を指し示す賢者の指先が風となって吹きすぎてゆく。

第一章.特訓!4  -遠くをめざして旅をしよう-

「赤い牙?」

「違いやすぜ、お頭。紅の牙と言うんでやす」

 間もなく中立国の海域に入ろうとしている〝疾風〟の海賊船女神の涙号は、爽やかな潮の香る風を帆にいっぱいに受け、いとも優雅に進んでいる。
 その船上で、いつものようにデッキチェアに長々と伸びている赤い髪の頭領レッシュが眠たそうな顔をして、新米の見張り番レトロとそんな会話をしていた。
 それはこのゲイルではいつも通りの、日常的な風景なのだが…

『赤だろうが青だろうが、関係ねぇっての!畜生ッ、放しやがれ!』

 ただ一ついつもと違うのは、レッシュの足元で蹲る一人の少年の存在だった。

「お?またワケの判らんこと言ってるな。竜使いさんは案外、ほどほどの別嬪さんだったなぁ」

 アラブの貫頭衣に似た風変わりな上着にズボンを穿いた茶色っぽい髪をした少年は、何とかダレている獅子の身体の下からベルトの先を引き抜こうと懸命に格闘している。その様が面白いのか、レッシュは咽喉で笑うと片手を伸ばした。

『くそう、ここに来てまだたった一ヶ月ぐらいだからな。いまいち、言葉が理解できねぇ』

 忌々しそうに舌打ちして、ワシワシと髪を掻き混ぜるその、剣を振るえば海をも切る、と海賊たちの恐れるゲイルの頭領の手を疎んで片手で振り払った。

「何だよ、アキラ。片言でも喋るんだから共通語を使いやがれ」

 ワシッと首を片手で掴んで引き寄せると、怒った様子のないレッシュはニヤッと笑って少年の頬にキスをした。

「うぎゃあぁぁぁ!へ、ヘンなことするなッ、へんたいレッシュ!」

 少年は思い切り嫌そうに両手でレッシュの顔を引き離しながら言うと、隻眼の海賊はしたり顔でニヤッと笑う。

「あ!」

 ハッとして慌てて口を噤んでも既に遅く、レッシュは満足そうに頷いてニヤニヤと嬉しそうに笑っている。

「くそう…ヒキョウだ!」

「当然。海賊はそうでなくっちゃね」

 事も無げにさらっと流されて、少年御崎彰は不満そうに眉を寄せて唇を噛んだ。
 彰は光太郎とほぼ同時期にこちらの世界に降って来ていた。ただ、運がいいのか悪いのか、落ちた先は大海原で、北海の獅子と恐れられている海賊船の真上だったのだ。
 いつも通りに長々と寝そべっているレッシュの真上に落ちたのだから、その重力の反動は彼に数日間食欲を失せさせていた…と言っても過言ではないだろう。
 だが、そんな痛い目に遭っているにも関わらず、レッシュは彰を酷く気に入ったようだった。
 あれ以来、彰を片時も離そうとしないのだから、その執着振りが覗えるだろう。仲間の海賊たちも呆れて肩を竦めるほどだ。

「お頭ぁ…竜使いを発見したら、ソッコーでコウエリフェルかパソ・デルタに売るんじゃなかったんすか?」

「ま、気が向いたらな」

「そんなぁ~」

 長いこと狩りをしてはいないものの、ゲイルは安泰だ。しかし、それでなくても巷が騒いでいる元凶とも言える竜使いなのだ、できれば早々におさらばしたいところである。

「まあね、判ってたんでやすよ。お頭が中立国のウルフラインに行くって言い出したときから、こうなるんじゃないかってね…」

 力のない笑みを浮かべて項垂れるレトロは、交代の時間だと言ってやってきたヒースと入れ替わりで船室に戻って行った。

「何だ、レトロの奴。またお頭に念仏でも唱えてたのか」

「何だそりゃ」

 レッシュが呆れたように片方の眉を上げると、遠見鏡で肩を叩いていたヒースは、ケロッとした顔して至極当然そうに言うのだ。

「お頭の耳に念仏って言葉を知らないンすか?一度こうだと決めたら何を言っても聞き入れてもらえないって言う、ゲイルでは有名な諺ですぜ」

「あのなぁ、お前ら…そんなクダラネェことを言ってるのか」

 レッシュは呆れたように溜め息を吐いたが、不意に傍らの床に座っている彰が声を殺しながら笑っていることに気付いて、その頭をワシッと掴んだ。

「お前…知ってただろ?」

「うっぷっぷ…みんな、知ってるよ」

 不貞腐れた子供のような拗ねた顔をしていたレッシュも、いつも神妙な表情をして空ばかり見ていた彰のその久し振りに笑っている顔を見て、すぐに表情を和らげた。
 竜使いは驚くほど幼い少年だった。
 巷が噂する屈強な戦士でも、ナイスバディの綺麗なおねぇちゃんでも、ましてや勇者でもなかった。何処にでもいる、ただの人間だったのだ。
 世界中が手に入れようと目論む少年の本当の幸福が神竜の許にあると言うのなら、レッシュは彼を伝説の翼竜に届けてやりたいと思った。それが多少危険なことであっても、彼が望む幸福に近付けてやりたいと思ったのだ。
 その気持ちが何処から湧いて、何処に流れて行くのかなどと言う厄介な感情は理解できなくても、レッシュは本能のままにそれを実行しようとしている。多少、彰の気持ちとは違うのだが、ここでも言葉の不通が厄介な事態を引き起こしているようだ。

第一章.特訓!3  -遠くをめざして旅をしよう-

 暗く狭い地下道は、地上にある華やかな町並みに付き纏う影のように、湿った風が吹く淀んだ暗闇のようだった。この地で暮らす人々の双眸は何かに飢え、許しを請うような、怒りに満ちた光を放っている。

「これじゃ、まるでネズミにでもなった気分だねぇ」

 その、壁に掛かった松明だけが明り取りの狭い地下道で、一際目立つ派手な衣装に身を包んだ奇妙な道化師が何故か愉快そうにそう言うと、前方を行く旅装束に身を固めたコウエリフェルの王宮竜騎士団々長リジュが迷惑そうに眉を寄せて肩越しに振り返る。

「ウルフラインのレジスタンスに漸くアポが取れたんだ。滅多なことを言ってくれるなよ」

「うん、判ってるよ。でも、この臭い!すっごいねー、地上の瘴気がみんな流れ込んできてるみたい」

 クスクスと他人事のように笑って、諦めたように溜め息を吐くリジュに肩を竦めて見せた。

「通路の横でこれでもかって、汚物の用水路が流れてるのも凄いよねー」

「悪かったな。それを承知で地下に潜ってるんだ、文句あるか?」

 不意に声が掛かり、リジュはさり気なく身構えるが、気紛れそうな道化師に至ってはさほど気にした様子もなく緩慢な仕種で振り返った。

「子供…?」

 そこには14、5歳ぐらいの少女が、明らかに敵意を剥き出しにして不貞腐れて立っていた。

「あんたたち、コウエリフェルのお役人だろ?おれは案内役だよ」

 自然に口をついて出る男言葉は、生まれた時からそんな言葉遣いの中で暮らしてきたことを物語っているようだ。

「あ、そう。じゃあ、早く案内してくれる?ここはちょっと…ねぇ?」

 ニコッと笑うデュアルに奇妙な違和感を覚えた彼女は、何となく身構えるような仕種をして顎をしゃくって促した。

「こっちだよ」

「…だそうだよ、早く行こう」

 軽くウィンクしてリジュを促すデュアルに、団長は何か言いたそうな表情をしたが、あんまり怖がらせるなよと一言、言っただけだった。

「?」

 キョトンッと、意味が判らないように首を傾げていると、先の細い道に曲がった少女がヒョコッと顔だけ出して怒鳴った。

「早くしなッ」

 デュアルは肩を竦めると、強気な少女の後を疲れた表情のリジュと一緒に追い駆ける。
 彼女の足取りは漆黒とは言わないまでも、明り取りに揺らめく松明だけを頼りにした通路にあっても、その足元は軽やかだ。長いことこの地下で暮らしているのか、闇にある人に多くいるように、彼女の肌は驚くほど白かった。いや、青白いと言ってもいいぐらいだ。

(不健康な…)

 デュアルの眉を寄せた不機嫌そうな呟きは誰の耳にも届くことはない。
 それなりに繕えば可愛らしい少女も、こんな時代にあっては煤に汚れていても気に止めることもないのだろうか。

「せっかくのお顔が台無しだねぇ」

 ちょこまかと通路を行く少女に遅れることもなくのんびりと進む道化師の、突然、頭上から降ってきたその言葉にビクッとした彼女は驚いたようにデュアルを振り返り、すぐ傍らに立っていることに更に驚いたように彼を見上げて目を丸くした。

「ほら、汚れてるよ。女の子なのに」

 少しひんやりとした指先に頬を撫でられて、少女は微かに警戒したように顔色を曇らせた。

(何時の間におれの背後に立ったんだ…コイツ。いったい何モンなんだろう。兄者はもしかして、何かとんでもない化け物を身内に飼おうとしてるんじゃないだろうな…)

 ビクビクしながら前方に歩き出した少女の後姿を見送りながら、漸く追いついてきたリジュにニヤニヤ笑いながら腕を組んだデュアルは言った。

「怯えてる怯えてる。楽しいったらないね。ホント」

「…小さな子供を虐めて遊ぶなよ。性格悪いぞ」

 空気も悪い地下道でやや息を詰まらせながらリジュが呆れたように呟くと、腕を組んでいたデュアルはちょっとムッとしたように組んでいた腕を解いて、どっかりとその肩に乗せながら鼻を鳴らした。

「小さくても自分で生きてるなら立派な大人!認めてあげないと可哀相でしょ?自分で僕ちゃん子供~って言うんなら子供だって認めたげるよ。団長さんはどう?」

 子供かな~?とふざけたように顔を覗き込んでくる派手な化粧を施したデュアルの顔を呆れたように見ていたが、諦めたように溜め息を吐いてその顔をぐいっと押し遣りながら首を左右に振る。

「あう」

「付き合ってられん」

 角を曲がる少女の後を追いかけながら吐き捨てるように言ったリジュに、ひっどいなぁ~とクスクス笑うデュアルもその後を追いながら、そうして暫く笑っていた。

第一章.特訓!2  -遠くをめざして旅をしよう-

『うわぁ、星が綺麗だー』

 両手を伸ばせば届きそうな、と言う形容がまさに似合う、降ってきそうな満天の星空を見上げ、光太郎はお約束通りに両手を伸ばしている。
 道中の長い道程にも関わらず、然して疲れた様子も見せないルウィンは魔物避けに火を熾すと近くの大きな石に腰を下ろし、そんな光太郎に目を向けた。
 こうして、天候の良い日は見晴らしの良い小高い丘で野宿をすることが多い。魔物に比較的見付かりやすい場所だが、だからこそ防御もすぐにできると言うのがルウィンの持論だ。何事もうざったいと考えている彼のことだ、魔物に関わらないでいられるのならそれにこしたことはないのだが… 
 恐らく全ては光太郎のことを考えてなのかもしれない。
 と言うのはつまり、保身の為に茂みに隠れていたのではせっかくの夜空を台無しにしてしまう、それよりは少々危険でもこの方が幾分かでも気分は爽快になるはずだ。
 もともと賞金稼ぎと言う危険な職業を生業にしているのだ、殺気は敏感に感じ取ることができる。何より、この周辺で彼よりも強い魔物などいないのだ。ただ遭遇することにうんざりするだけで、それを我慢すれば別に気にするほどのことでもない。
 賞金稼ぎと言うのは所謂、この世界での何でも屋の事で、時には要人の警護をすることもあるらしく、光太郎一人ぐらい護れなかったら今ごろルウィンはここに生きてはいないだろう…と、ルビアが以前にそう言っていた。

『ルウィン、見て。星が綺麗だよ!』

「?」

 夜空でキラキラと瞬く小さな光は、何万光年も離れた遥か彼方で燃え尽きようとしているのだ。しかし、光太郎の住む世界では、そんな儚い彼らの姿が見られるところは限定されてしまう。
 だからこそ、光太郎がこの世界に来て一番に心惹かれたものがこの星空であり、大自然だった。

『俺の世界だと、星って言ったらちょこっとぐらいしか見えないんだよ。それで、本格的に見ようと思ったら山に登ったりとか、海外の砂漠とか、あんまり人のいないところに行かないと見られないんだよね。あ、でもネオンだったら見られるよ。でも、それって星じゃないから意味がないんだ。便利だけど、時々勿体無いなぁとか思うんだ。本当だよ?』

 ルビアがいないと言葉の不通のせいか、無口になるルウィンに光太郎はへっちゃらで話し掛ける。それが通じていないと判っても、喋らずにはいられないのだ。
 一つには恐らく不安。
 オカルト好きな彰ならともかく、どうして自分がこんなところにいるのかとか、これからどうしようとか、考え込めば果てしなく落ち込んでしまうような悩みの種ばかりが脳裏を渦巻いてしまう。知らず、他愛のないお喋りが口をついて出ても仕方がないのだろう。
 だが、その光太郎のお喋りには意図的なものがあって…

「言葉を理解していないヤツに、よく話し掛けられるな。全く、変な奴だよコータローは」

 呆れたように眉を上げるルウィンに、光太郎はパッと笑ってから、漸く出てきた言葉をお浚いしようと両目を閉じた。

「何だ?」

 ちょっと訝しそうに首をげるルウィンに、パチッと双眸を開いた光太郎は彼を見上げてゆっくりと慎重に口を開いた。

「にゃんた」

「は?」

 さらに訝しそうに眉を寄せると、光太郎はニコッと笑って嬉しそうに頷いた。やはりどうも、言葉は通じていないようだ。

『ヴォイス?』

 小首を傾げる仕種をして尋ねるようなイントネーションに変えると、漸く光太郎の意図する思いが判ったらしく何か言いたそうにしていたルウィンはしかし、首を左右に振って今度はゆっくりと発音した。

「にゃんた(ヴォイス)…じゃない、」

「にゃんだ(ルヴォイス)」

「惜しい!…けど違う。ル・ヴァ・イス。判るか?」

「何だ」

「よし。発音とかムチャクチャだが、聞こうと思えば何とか聞けるな」

 ルウィンが腕を組んで頷くと、光太郎は嬉しそうに何度かその言葉を繰り返した。
 そう、光太郎は、何もせずに不安で眠れない夜を過ごすぐらいなら、毎夜起きて寝ずの番をしているルウィンを相手に、取り敢えず言葉を覚えようと決意したのだ。
 言葉を覚えなければ何も始まらない、それが悩みに悩んだ末、光太郎が弾き出した答えだった。

「…」

 もちろん、そんなことは露知らぬルウィンはしかし、その様子を見ていてすぐさますべてを理解したのだ。
 …恐らく自分は、これからこの言葉覚えに付き合わされるのだろうと内心でたらりっと汗を流しながら、ルビア、早く帰って来いよ、と思っていた。
 そんな複雑な表情をしたルウィンに気付いて、光太郎が嬉しそうにニコッと笑う。
 どうやら悪い予感は的中しそうで、ルウィンは密かに冷や汗を額に浮かべてニコッと笑い返しながら祖国ウルフラインに一時帰国しているルビアのことを考えていた。

《うふふふ~ん♪クローディアは相変わらず可愛いの》

 口笛を吹きながら陽気に戻ってきたルビアを迎えたルウィンは、やや不機嫌そうに眉を寄せているものの何か文句を言おうと口を開きそうな気配はない。

《ど、どうしたのね?いつもは普通に迎えてくれるのに、どうして今回に限ってそんなにどんより雲を背負っているの…?》

「うるせーな。オレに話し掛けるな。寝ろ。そして明日に備えろ」

《…話し方が何か、ヘン、なのね》

 一語一句を綺麗に分けて、なお且つ聞き取りやすい発音で話すルウィンの言葉遣いは、ルビアにしてみれば極めておかしく聞こえるのだ。

「う?…マジかよ。ヘンな癖になりそうだ」

 地面に直接布を一枚敷いただけの簡素なベッドに潜り込んだ光太郎は、柔らかい布に包まれて焚き火の傍で安らかな寝息を立てている。
 困惑したような疲れたような、複雑な表情をして石に腰掛けているルウィンは焚き火の光を受けて静かに眠っている光太郎を見下ろした。

《いったいどうしたの?》

 どんなに鈍いルビアでも、光太郎が関係していることぐらいルウィンの行動を見ていれば充分に予想がつく、が、敢えて聞いてしまうのは好奇心のなせる業だ。

「いや、別に」

 素っ気無くそう言って外方向くルウィンに、ルビアは訝しそうに眉を寄せてその目の前に飛んで行くと、顔を覗き込むようにして詰め寄った。

《別に、じゃないのね!ルウィンの〝別に〟は絶対に裏に何かあるの!隠さないで話すのね!》

「別にそんな大したことじゃないさ。それよりも、光太郎がお前に見捨てられたって嘆いていたぞ」

《大袈裟なの。これからウルフラインに行くのだから、隣国のブルーランドのことも下調べをしないといけないのね》

 ブルーランド。
 今から凡そ十年ほど前、ルビアの祖国ウルフラインの隣国ブルーランドは魔物による叛乱で滅亡してしまった国である。今では魔族が住み着き、魔族の王が支配している。
 その凶悪な闇の支配する国に、噂ではブルーオーブと呼ばれる秘宝が隠されているらしい。もちろん、ルウィンにとって興味深い噂だが、今はお荷物を抱えてどのようにしてその国を抜けてウルフラインに行くのか、と言うことに頭を悩ませていた。
 途中の峠では盗賊も出没するようになったと聞いている。
 凶悪な魔物の支配する国の隣国と言うこともあって、いったん祖国に戻っていたルビアの顔はそれでも僅かながら曇っていた。自分の祖国でも、やはりそれなりの諍い事は勃発しているのだ。中立国と言うこともあって、他国の干渉の全てを自国で解決しなくてはいけない為に、国内ではいらぬ諍い事が多発しているのだ。簡単に言えば、内乱である。
 つまり、皇太子であるルビアは、ガルハの賓客であるルウィンを狙うだろうレジスタンスを注意していた。
 いや、ルウィンを狙うレジスタンスを心配している、とでも言うべきだろうか。

《どっちの国も、今はやっぱり危険なのね。ブルーランドは相変わらずだし、峠の盗賊は恐ろしく強くて魔物ですら避けて通るらしいの。ウルフラインは中立と言う立場で常に近隣諸国との間に緊張感もあるし、さらに重税による圧迫で嫌気が差しているレジスタンスは竜使いさまの出現もあってますます過激化する一方なのね》

「そうか」

 残念なのかそうでないのか、よく読み取れない表情をして頷くルウィンに、ルビアは残念そうに溜め息を吐いて首を左右に振った。

《残念だけど、今のウルフラインに光ちゃんを連れて行くわけにはいかないの。どちらかの国でソッコー捕まっちゃうのね》

「光ちゃん?で、そのレジスタンスとやらの主力部隊ってのはいるのか?ああ、その、リーダー的存在の集団だな」

《光ちゃんは渾名なの。〝紅の牙〟って言うのが、今のところ彼らのリーダーみたいなのね》

 端的に説明すると、ルビアはルウィンの傍らの石に舞い降りて腰掛け、短い足をブラブラさせながら光太郎を見つめた。

《紅の牙って言うのが、誰かの名前なのか、それとも集団の名前なのか、或いは何かの暗号なのか。ぜーんぜん判らないの。これを聞き出すのも大変だったのね》

「厄介と言えば厄介だが、だからと言って何もせずに無駄に過ごすのも面白くないな」

 そう言って立ち上がったルウィンは、軽く伸びをしてから満天の星空を見上げた。
 見慣れたはずの星空は、ふと気付くと、随分長いこと見上げていなかったような気がする。

「綺麗だな。本当だ」

《?》

 呟くような独り言に眉を寄せるルビアを見下ろして、ルウィンは珍しく小さく笑った。

「竜使いはこの星空が好きなんだそうだ。自然をこよなく愛してるコイツになら、神竜の頑なな意志も解けるんじゃないのか?」

《たぶん…でも、危険なのね》

 ルビアが困惑したように言うと、ルウィンは肩を竦めてからもう一度星空を見上げた。

「諍いと騒乱…か。だが、どの国にも渡さずに神竜に届ければ、世界も少しは幸福になるんだろう?それならば、多少の危険は覚悟しないとな」

 ブルーランドを通らずにウルフラインに抜ける道もあるだろう。
 ルウィンは僅かな希望でも試してみる価値はあるだろうと思ったのだ。

《じゃあ、ルウィン!》

「明日、ウルフラインに発とう」

 神秘的な青紫の瞳の中にある満天の星の一つが、まるで希望のような彗星となって夜空を駆け抜けていった。

第一章.特訓!1  -遠くをめざして旅をしよう-

 瀟洒な緋色の天鵞絨が垂れる謁見の間には、純白の甲冑に身を包んだ青年が豪華な緋毛氈の上で畏まったように片膝を付き、最敬礼とも言える騎士の礼をとっている。その傍らに、そんな厳然とした場には不似合いな道化師が酷く退屈そうな顔をして立っていた。

「よう戻ったと労いたいところじゃが、どうしたことか儂の眼に竜使いの姿が見えぬ」

 白い髭を蓄えた老齢の王は豪奢な玉座にどっしりと鎮座まし、恐縮する甲冑の青年を訝しむような胡乱な目付きで捉えると咳き込むようにそうのたもうた。

「竜使いと、それを奪いし者を見付けることもせずにおめおめと舞い戻ってきた団長リジュよ、訳を陛下に詳しく申すのじゃ」

 王の傍らに控える側近の大臣は、踏ん反り返って高慢な口調で促した。

「副団長のセシルくん、ちょっとお口が軽すぎる~♪」

 道化のくせに吟遊詩人のように声の良い、派手な男は素知らぬ顔をして歌うように嘯いた。

「黙らぬか、デュアル!そなたには聞いておらんっ」

「あ、言っちゃった。ごっめ~ん♪」

 小馬鹿にしたように戯ける道化師に大臣は頭を抱えたが、王の面前に控える団長リジュが肩越しに窘めると、なぜか彼は、その言葉に素直に従って悪怯れた風もなく肩を竦めて欠伸をする。

「兎にも角にも、どう言うことが起こったのか手早く申せ。デュアルは黙っておれよ!」

「はいはい」

 先程の行為を教訓に先手を取る大臣に、デュアルと呼ばれた道化師は肩を竦めて舌を出した。

「魔の森は昼なお暗い魔物の巣窟です。いかに屈強なコウエリフェルの翼竜部隊とは申しましても、地上戦には向きません」

 さっさと話を進めようとするリジュに、大臣が水を差すように口を挟んだ。

「それ故に道化を供に連れて行かせたであろう」

「あの森の魔物を一掃すれば気が済むの?あの金額で?冗談じゃないですー」

 実は半端な額を手にしてるわけではないと言うのだが、それでも受けられないほどリスクの大きな依頼に冗談じゃなさそうにデュアルが外方向いたままで言い放つと、ムッとしたような大臣はそんな彼を睨んだが、それ以上発展しないようにリジュが慌てて先を進めるように僅かに声音を上げる。

「湿地帯でもない森にスライムがいたようです。これがその証拠ですが、このような痕跡とも言えない僅かな手掛かりだけを頼りに、あの森の深淵に進むには証拠が少なすぎると判断して戻って参りました」

 脇に置いていた皮袋を手に取り、それを開いて中に納まる粘液に塗れた黒い布の残骸を提示した。
 ムッとする異臭に大臣と国王は嫌そうに眉を寄せるが、平然とした顔でそれを持ち上げたリジュは粘る液体の絡んだ掌を開いて見せる。黒い服の残骸が溶け切れずに零れ落ちた。

「魔の森にスライムか…それで?竜使いの消息はどうした」

 不意に艶やかなバリトンが響き、太い石柱の陰から姿を現した榛色の豊かに長い髪を後ろで三つ編みに束ねた、何処かの国の裕福そうな商人風の出で立ちをした青年が腕を組んで玉座の傍らに立った。

「セイラン殿下」

 大臣とリジュはハッとしたように眼を瞠ると、セイランと呼ばれた青年はその甘いマスクにゆったりと微笑みを浮かべて頷いてみせる。

「おお、セイランか。この放蕩皇子め、いずこに参っておった?」

 王が自慢の息子を見上げて言うが、彼はそれに微笑みだけで答え、質問したリジュにではなく道化師のデュアルを見つめて話を促す。

「は。今のところは不明でありますが、現在、このコウエリフェルを始め、魔の森が位置するヴィール王国全土を探らせています。しかし、あまりに情報が少なすぎる為に難航してはいますが…」

「なるほど」

 セイラン皇子はゆったりとした足取りでリジュたちに近付くと、後ろ手に組んで、暫く何事か考えている風だった。

「時にデュアル」

 突然名指しされても道化師は驚いた様子もなく、却って不貞腐れたような表情をしてその紺瑠璃色の瞳を見据えた。

「なんですか、皇子さま」

 気乗りしない口調ではあるが、ふざけた態度は見せずにそう答えると、セイランは何がおかしいのかクスッと小さく笑う。
 そう言う態度が気に食わないデュアルだったが、どうもこう、腹に一物も二物もありそうなこの皇子の底知れぬ何かが、件の道化師にとっては苦手なようである。どんな権力者も鼻先で笑うデュアルにしては珍しいことだが、それだけに、この気紛れそうな得体の知れない権力者の不気味さが窺えるのではないだろうか。

(気紛れで得体が知れないって良く言われるけど…彼ほどじゃないとは思うんだよねぇ)

 誰にともなく言外に呟く道化師に、セイラン皇子は知ってか知らずか言を次いだ。

「お前は優れた先見の持ち主だと聞く。そのお前でも、竜使いの行方を知ることはできぬのであろうな?」

「判ったらこんな所にはいません。さっさと見つけに行ってますー」

「素直なことだ」

 クックッと笑って玉座に戻りかけるセイランに、デュアルはちらっとリジュを見て、それから徐に声をかけた。

「竜使いを連れ去った奇特な奴は、どうも頗る腕が立つみたいだよ」

 足を止め、振り返ったセイランの無表情な顔を眺めながら、デュアルは腰に片手を当ててニッコリ笑う。

「スライム然り。でもそれだけじゃあない。野営の場所に結界の跡があった。アレって確か、ハイ・ブラッヂスが使うシェリルじゃなかったっけ?」

 わざとらしく聞いてくるデュアルに、そこまで調べていたのなら証拠も一緒に持ってきてくれればいいのにと、リジュは溜め息を吐きながら頷いて答えた。

「その通りです。スライムを一刀両断にしたその腕も然ることながら、恐らく剣に施されているのだろうデュラジオの水準も驚くほど高いと思われます。そのような人物がこの世界に存在していると考えると、わたしは寒気すら覚えます」

「…なるほど。我が国きっての使い手であるお前がそこまで言うとは、面白い」

 興味を示した皇子はすぐにでも謁見の間を後にしようとしたが、ふと振り返り、派手な道化師と純白の甲冑に身を包んだ無骨そうな青年を交互に指差しながら何事かを考えているようだったが、すぐに頷いて手早く告げた。

「そうだな、お前たちに命じる。竜使いと、数多の国々を出し抜いたその使い手とやらを見つけ出してくるのだ。時間を費やしても必ず」

「ちょっと待ってよ。あれぐらいの報酬で長くクラウンを空けろって?冗談じゃないです。団長に殺されますー」

 不機嫌そうに唇を尖らせるデュアルは、まるでお話にならないとでも言うように、片手を振って踵を返そうとした。

「報酬はお前が必要とするだけ出そう。その条件でどうかな?シュカーティア」

 ピタッと道化師の足が止まる。
 無表情で振り返ったとほぼ同時に、不可視の殺気がまるでドライアイスのようにその身体から溢れ出し、リジュは思わず抜刀しそうになった。
 今度こそ意識してそうしているのか、彼の殺気は間違えることなくコウエリフェルの皇太子に向けられている。側近も大臣も、そして国王ですら思わず立ち上がりそうなほど、その気配は冷たい霧のようにゆっくりと大広間を満たしていく。
 しかし、腕を組んで平然と構える皇子を暫く無言で見据えていたデュアルは、不意にニコッと満面の笑みを浮かべると、パチンッと両手を打ち合わせると祈るようにしてその手を組んだ。

「そうこなくっちゃ、皇子さま!やった、これで目標金額に達成する~♪」

 まるでそれまでの殺気が嘘のようにケロッとしたデュアルは飛び上がらんばかりに喜んで、呆気に取られてポカンッとしているリジュを立ち上がらせると、その首に片腕を回して親指を立てて見せたのだ。

「任せなさい!すぐにでも見つけてくるさッ」

 安易に引き受けるデュアルに文句を言おうと開きかけた口をもう片方の手で塞がれ、リジュは苦しそうにもがいたが、圧倒的な力の強さにとうとう断念せずにはいられなかった。
 …と言うよりはむしろ、皇太子殿下の命令であればどのような事情があろうと最優先しなければいけないのだから、断ろうなどとは思ってもいない。ただ、どうしてこのふざけた男と旅を共にせねばならないのだろうと、実直な騎士は些か不満そうに鼻を鳴らした。

「では、任せた。モール大臣」

「は、はい、何でございましょう。殿下」

 同じく呆気に取られていた大臣はハッと我に返り、慌てて低頭すると皇子の言葉を待った。

「彼らが欲しいというものを全て用意せよ」

「はっ」

 深く頭を垂れて仰せ付かる大臣を残し、セイランは颯爽と謁見の大広間を後にした。出て行く方向がいささか違うようでもあるが、その場に居るものは敢えて何も言わなかった。

「ほっほっほ。先行きが安泰じゃ」

 黙して見守っていた王は満足そうに白い顎鬚を扱きながらそう言ったが、リジュとその場にいた側近たちは先行きの不安を感じてこっそりと溜め息を吐いた。
 皇位にある間だけでも、どうかご自分の立場だけは弁えて欲しいと。
 がっくりと一同が肩を落としているその時、デュアルだけがいつもの戯けた態度とは裏腹の、やけに冷めた双眸で皇子を見送るのだった。

Prologue.旅立ち6  -遠くをめざして旅をしよう-

「竜使いさまは予言通りに現れたの~?」

 道化師のような衣装に身を包んだ、黄金の髪をツンツンに立てた青年は腕を組んだ不遜な態度で振り返ると、やけに惚けた口調でそう言った。

「ああ。王宮付きの占者によれば、だがな」

 純白の甲冑に身を包んだ男が、胡散臭そうな目付きを隠しもせずに道化師の男に頷いてみせると、青年は怪訝そうな表情で唇を尖らせ人を食ったような物言いで言葉を返した。

「占者~?胡散臭そうな名前だねぇ。当たるのかい?その占者さんとやらは」

 しかし、特徴的な左目の下の涙型の青い刺青と、右目の下瞼の縁から放射状に伸びた五本の赤い刺青を持つ年齢不詳の青年は、すぐに油断のないゾッとするほど冷たい双眸で微笑んでみせた。
 別に意識しているつもりもないのだろうが、彼の発する殺気のようなものは、昨日今日で身に付けたものではなさそうだ。

「お前は我々の用心棒として国家に雇われたに過ぎん身だ。余計なことに首を突っ込むんじゃないぞ」

 甲冑の男はこの道化師を嫌っているのか、憎々しそうにそう言って同じように腕を組んで威嚇する。

「おやおや…」

 両手を〝参った〟と言うように体の前で翳しながら冷やかに呟いて、道化師はニコッと屈託なく笑う。

「国家を護ることがお勤めの王宮騎士団の護衛としては、一介の旅道化などでは役不足でしょうねぇ。しかしこの役不足の道化一人に護衛を任せるとは、いったいコウエリフェルの王さまは何を考えておいででしょう?」

「!」

 辛辣に嫌味を言って、どうやら騎士団の副団長らしき男をヘコませた道化師はいきり立つように歯軋りする彼に見えないように舌を出すと、惚けたように知らん顔をする。

「喧嘩なら余所でやってくれよ。全員いるか?セシル、引き上げるぞ」

 木立ちの陰から姿を現した年若い男が、片手に何やら滑る黒い物体を手にして副団長と全員に呼び掛けた。

「団長さん、何か見つかったみたいだねぇ。で?竜使いはどこにいるわけ?」

 遠目でも見分けられる派手な衣装に身を包んだ道化は、魔物の多発するこの危険な森の中にあっても、目に痛い黄色の衣装でキメている。

「いない。もうここにはいないだろう。野営をした痕跡は見つかったが、どうも誰かに先を越されてしまったらしい」

 さして残念そうでもないその無感動な糸目をした団長は、手にした緑色の粘液に塗れた黒い布切れを皮袋に投げ込みながら端的に答えた。

「へぇぇ。どっかの国かい?たとえば、ガルハだとか…」

「それは有り得んだろうな。あの国は竜騎士の流れを持つ血族が支配している。竜使いなど災い以外の何ものでもないと考えているだろう」

「ふーん。ま、関係ないけどねー。それにしても、ちっとも残念そうじゃないね。まるでこう、何だかホッとしているみたい」

 付け入るような口調で意地悪く笑って言うと、団長らしき青年は肩を竦めるだけで上手い具合にはぐらかした。

「災厄が降りかからないようでホッとしてる?まあ、そんな答えでもいいんだけどねぇ~。それじゃ、もう帰るんでしょ?」

「そう言うことになるな」

 頷く彼の指示に従って騎乗した一同の最後に、風変わりな道化師は続いた。

「残念。できれば手土産にでもと思ったんだけど。どうもそう、易々と物事は運びそうにないねぇ。…しかし」

 不意に身体からドライアイスのような殺気が不可視の霧となって溢れ出し、馬が怯えたように嘶いた。

「どんな物好きさんがこんな魔の森に入ったんだろう?あれは湿地帯にいるはずのスライムの残骸だった。ここらでも滅多にお目にかかれないから貴重なスライムくん。けっこう強いよ~?」

 ヒッヒッヒッ…と、咽喉の奥で笑う道化師の密やかな独り言を、至近距離にいた兵士は良く聞き取れないせいでゾッとしたように馬を引き離す。

「賞金稼ぎだったら面白いことになるのにねぇ…」

 周囲に異様な空気を張り詰めさせて、派手な道化師は暫く一人で笑うのだった。

 コウエリフェル兵が撤退した魔の森では、殺気を孕んだ別の一行が到着していた。

「やれやれ、出足が遅れた」

 長く豊かな榛色の髪を背後で三つ編みに編んだ男は、漆黒の馬から苔生す大地に降り立つと、それほど残念そうでもない様子で呟いた。
 風変わりな衣装は風を孕んで長身の男をより大きく見せ、美丈夫は威風堂々とした態度でゆったりと腕を組むと小さく笑う。

「先刻、翼竜部隊の一行が飛び立ちました。恐らく、コウエリフェルの兵士かと…」

 彼の後方に控えている物静かな女が控え目に言うと、男は片手でそれを制して首を左右に振る。

「彼らも出遅れたと見える。件の道化師が物浮かぬ顔をしていたからな」

 風変わりな道化師を知っているのか、男は遠目にも目立つ派手な衣装を確認していたらしく、そう言うとクスッと笑った。

「それでは、いったい何者が…」

 物静かな女の傍らに立つ、やはり優雅な物腰の女が困惑したように柳眉を顰めると、何処かの国の裕福な商人風の出で立ちをした男はやれやれと吐息する。

「さあて、何者であろうな?道化師でもウルフラインでも、ましてやガルハ帝国でもあるまい。もちろん、コウエリフェルでもなかろうよ」

 特に残念そうでもない表情で面白そうに呟く男に、麗しい女たちは困ったように柳眉を寄せて顔を見合わせた。

「いずれにせよ、どうも無駄足であったようだ」

 男は呟くようにそう言うと、颯爽と踵を返して漆黒の愛馬へと騎乗した。

「戻るぞ」

「はっ」

 女たちも白馬にひらりと跨ると、風のように速い漆黒の馬の後を追った。彼らが去った昼なお暗い魔の森に、一陣の風が波乱の種子を撒き散らして吹き過ぎていく。
 災いと諍い、そして一種の希望のようなものを象徴する予言の竜使いは、世界中に一滴の雫を投げかけたのだ。
 その波紋は小さな漣となり、やがて津波となるかもしれない。しかし、それが幸いとなるのか災いとなるのかは、まだ誰も判らないことである。

(中央寄せ)いまはまだ、小さな波紋に過ぎないのだ…