1  -狼男に気をつけて!-

 ストーカー…だと言うんだそうだ。
 正直に言うと、それまでの俺はそんなこと、実は微塵も感じていなかった…と言うよりはむしろ、未だにそんな風にヤツのことを思ったことはない。
 いいヤツだなぁとか、そんなモン。
 俺ってばもしかして、頗る鈍感ってヤツなんだろうか…?

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 親にごねて手に入れたワンルームマンションの独り暮し!…と言うには程遠いきったならしい1DKアパートの、安っぽい木の扉に申し訳程度に取り付けられた鉄製のノブにぶら下がった近所のコンビニのビニール袋。
 内容は見なくても判る。
 俺がいつも買うお決まりの商品が一式詰まってるってワケ。
 本日も夕食代が浮きました!
 苦学生には付き物の赤貧と言う名の悪魔に取り付かれた俺、東城光太郎の夕食はお決まりのワンパターンだけれども、毎晩毎晩ありがたい差し入れだと思うよ。
 本当にその機能を発揮してるのか、いまいち疑いたくなる鍵穴に挿し込んだ鍵を回すと鈍い音を響かせて金属がカチリと回る。立て付けの悪さも築年数の古さが物語る時間の流れだと思えば案外と住み心地のいいアパートの一室は少し…どころかかなり散らかっている。足の踏み込み場もない、そろそろ片付けないとゴキちゃんとコンニチワだ。

「ん?」

 チカチカと、外の通路から挿し込む、まるで取って付けたような切れかけた電球の薄明かりに浮かび上がる室内で、主の帰りを待つ電話の留守番機能が反応している。

「…母さんかなぁ?また何か送ってきたのかも」

 口では悪態、でも内心では物資の供給にホクホクしながら、俺は赤いランプを点滅させるボタンを押してみた。
 玄関に行ってドアを閉めて、電灯を点けたところで巻き戻し完了。冷めた機械の声が件数を抑揚のない声で言った後に…無言。

「20件?…で無言。またいつもの悪戯かよ。嫌になるよな、全く」

 これが苦痛だと言う連中もいるらしいけど、俺は気にしない。
 つーか、気にならない。
 消しちまえばいいワケだし、相手にしなきゃそのうち諦めてくれるだろう。
 イタ電なんざ、相手してやるから調子に乗るんだ。無視無視、これに限るよな。

『…もうそろそろ帰り着くよね?今日もバイト、お疲れさま。あんまり店長と親しくしない方がいいよ』

 最後に入ってるのはほんの5分ほど前に掛けたんだろう、いつもの根が暗そうなアイツからの労いの声。
 抑揚らしい抑揚もなくて、一体何を考えてるのか良く判らないヤツだ。

「店長ねぇ…そう言えば」

 俺は今日の店長こと、藤沢実の台詞を思い出した。
 店長と言っても俺と同様の雇われで、確か1つか2つぐらい上だったんじゃないかな?よく覚えてないや。
 つーか、気にしてないから忘れてしまう。悪い癖だとは思うよ。

「ストーカーかぁ…まあ、根が暗そうだって点では頷けるけど。女でもあるまいし、気にする必要もないか」

 簡単に言ってのけたその台詞を、俺が死ぬほど後悔するのはもう少し後の話になる。
 その日の俺は店長の忠告をケロリと忘れて、挿し入れられた夕食を感謝しながら頂きました。
 毒入りのリンゴを、甘くて美味そうだと信じた白雪姫の様に疑いもせずに…俺はペロリと平らげちまった。

Level.12  -暴君皇子と哀れな姫君-

 麗らかに良く晴れた午後の校舎の屋上は、ハッキリ言って誰もいなくて心地好い。
 絶好の昼寝日和の空にプカリと浮かぶのは、モチロン校則違反の紫煙のドーナツ。
 眼下の校庭では璃紅堂の生徒たちが思い思いの部活動に専念したり、この学校を取り仕切る暴君と名高い現生徒会長さまが闊歩して横切ったりしている。その先に、待っているのはやはり『硝子宮殿の姫君』…と呼ぶにはあまりにも男らしい生徒の1人で、ちょっと嬉しそうにはにかんでいる姿が恨めしい。

「タバコは校則違反じゃないの?」

 ピッと激しい仕種で吸いかけのタバコを取り上げられて、いつの間に近付いてきたのか、琴野原の可愛い顔がムッとしたように唇を突き出しながら見下ろしているのに、その時になって漸く宮本は気が付いた。

「チクリますか?」

「…別に。そんな面倒くさいことしないもん」

 恋焦がれていた想い人を奪われてしまった琴野原にとっての学校は、何か大事なものが擦り抜けて行った抜け殻のようになっていた。ぶらぶらとその辺りを歩いたあと、フェンスに凭れて両足を投げ出している宮本の傍らに唐突にペタンと座り込んだ。

「結局、ねえ?俊介は柏木くんとできちゃったの?」

 決まりきったことではあったが、琴野原はどうしてもコトの真相を情報通の宮本の口から聞き出したかったのだ。

「あの姿を見て、誰も付き合ってません。…なんて言えないッス」

 トレードマークのようになってしまったウォークマンの片方のイヤフォンを渡しながら、立原は柏木に何か話し掛けた後、何が楽しいのか、小さく笑っている。そんな仕種は、柏木が入学してくるまでは誰も見たことがない。
 もちろん、上辺だけのおざなりの微笑なら何度も見たことがある彼らにとってだが。
 口許の微笑は、満面の笑顔よりも珍しい。
 手に入れてしまったら飽きるんだろうと高を括っていた宮本にとって、その拍子抜けしてしまうほどあっさりと陥落した暴君の仮面を、よければニッコリ笑って引っぺがしてやりたいぐらいだ。

「ふーん、やっぱりそうなのか…ちっくしょー」

 可愛らしく唇を尖らせてフェンスをカシャンと掴んだ琴野原は、そうして、暴君皇子と哀れなお姫様が仲良く寮に戻って行く姿を恨めしそうに見下ろしていた。

「…」

 ぷかりぷかりと青空に吸い込まれていく投げ捨てられた煙草の煙が、大気に霧散して有害な空気になるのをぼんやりと見届けていた宮本に、唐突に立ち上がった琴野原は片足で蹴りを入れた。

「イテッ!」

「そりゃ痛いよ。わざと痛く蹴ったんだもん…ねえ、結局思い通りになったってワケ?」

 土曜の午後の気怠い陽射しを背にした琴野原は、しゃがみ込みながら柔らかそうな髪を風に遊ばせている。

「どう言う意味ですかな?」

「恍けてるでしょ?うーん、もう!別にいいんだけどね」

 疲れたように溜め息をついた琴野原はやはり宮本の傍らにぺたりと座り込んでしまう。
 キョトキョトとよく動く、まるで小動物のような可愛らしさだ。
 だが、件の暴君皇子はお姫様のように可愛らしい琴野原など眼中にもなく、どこをどう見たらそんな恋愛の対象になったんだ!?と思えるほど体格の良い、スポーツ特待生の柏木に心を奪われきっている。もはや、何もつける薬はない。
 可哀相に琴野原は、泣く泣く諦めなくてはいけないのだろう。
 ふと、ショボンと眼下を見下ろしていた琴野原の顎を掴んで、宮本は対面するように座っている彼の顔を自分の方に向けたのだ。

「なに?別に僕は落ち込んでなんか…」

 言い掛けた台詞が宮本の口腔内に吸い取られ、琴野原は一瞬ビックリしたように目を見開いていたが、うっとりと双眸を閉じて宮本の口付けを受け入れた。
 肉厚の舌を絡めて濃厚な口付けを交わす2人の姿が、一朝一夕でないことぐらい傍目にも明らかだ。
 軽く息を弾ませて宮本の胸元に頬を埋める琴野原の頭を撫でながら、宮本は溜め息のような苦笑を浮かべた。

「また笑ってるんでしょ?結局、宮本くんは俊介が好きだったし、僕は柏木くんが好きだった。でも、お互い手に入らないのなら僕たちが付き合って、彼らをくっ付けちゃったら幸せだ…なんて言ったのは、君なんだからね」

「賛同したのはお前だろ?」

 そうだけど…と、子供のように唇を尖らせた琴野原はしかし、あの登山大会が終了してから初めて見せる柔らかな微笑を浮かべて宮本を見上げた。

「でもね、今となってはこれで良かったんだって思えるよ。だって、僕はもう二度と先生たちとセックスをすることもなければ、大好きな人を奪われることもないんだもの…これは、たぶんきっと、幸せだって言うんだよね?」

 チカリと光る綺麗な瞳の中に、一瞬揺らめく不安を見つけても、宮本は琴野原の濡れた唇をペロリと舐めるだけだった。

「はじめはすごいビックリしたけど…でも、どうせ手に入らないのなら、僕は俊介も大好きだから、他の誰かに取られてしまうぐらいなら、2人をくっ付けちゃった方が、もう安心だものね」

 うっとりと両目を閉じて囁くように呟く琴野原に、宮本はもう一度口唇を重ねながら内心で苦笑していた。
 そう。
 これはあくまでも立原の計画。
 目障りな琴野原を宮本に押し付けて、自分はまんまと愛する者を手に入れる。
 だが…

「お生憎さまさ」

「…え?」

 キョトンと小動物のように小首を傾げる琴野原に何でもないと頭を振って、宮本は白い雲がのん気に流れている空を見上げていた。
 立原の思惑通りにいかないのが、人間が辿る恋路だろう。
 別に宮本は立原を好きでもなんでもない。
 そう、彼が好きなのは柏木に嘘だと思わせるためについた嘘…ではなく、あの真実の告白通り、他の誰でもないこの琴野原なのだ。
 いやしかし、あのエイリアンで暴君皇子の立原のこと、よもやそこまで考えていた…なんてことは、できれば考えたくない。
 何はともあれ。
 日本晴れの空の下、皇子は姫を手に入れて、忠実な家臣は夢にまで見た愛らしい小動物を手に入れたのだ。
 波乱万丈も若さで乗り切るお年頃。
 彼らのゆく手を待ち受けている一波乱があったとしても、大切なものを手に入れた彼らに怖いものなど、もうありはしないのだ。

エンドレスエンドで続く恋もある…のかもしれない。

─END─

Level.11  -暴君皇子と哀れな姫君-

 身体が軋むように痛くて、俺は彷徨っていた闇の中から覚醒した…んだと思う。
 けど、どうして俺はベッドの上で寝ているんだ?
 確か、立原と山の中にいて、アイツは狼男で俺は幽霊だったはずじゃ…
 朦朧とする頭じゃ思うようにハッキリしなくて、起き上がろうとしたらズキッと痛む腰に眉が寄ってしまう。

「う、うう…」

 思わず漏れた呻き声が思った以上に掠れていて、いよいよ俺は自分の身体に何が起こったのか不安になっちまったんだ。

「…気が付いた?」

 不意に、頭上から声が降ってきて、それが誰の声なのか、確認しなくても判る辺りが聞き慣れたヤツだって判るよな。

「立原?」

 声が掠れて思うように声が出ないから少し咳払いをして、あの抑揚のない淡々とした声音の持ち主を見上げたんだ。目の周りがバリバリしていて、この感触は…そうか、俺、泣いたんだろうな。
 それもたぶん、この立原の前で!
 きっとコイツのことだ、鼻先で笑って気のない表情をして俺を馬鹿にするんだろう。

「俺…えっと、何があったんだ?」

 何か言われるよりも先に何か…と思ったのは確かで、けっこう男らしい口元の立原に口を開かせる勇気が弱虫毛虫の俺にはなかったんだ。
 ヤツはクスッと、案の定、他人を馬鹿にしたように鼻先で笑うあの独特の笑い方をして、冷たい指先を伸ばして額に触れてきた。

「良かった。熱は下がったみたい」

「熱?…俺、何かあったのか?」

 そう言えば、この腰の痛みとか、少年自然の家の安っぽい部屋から見える窓の外はもう随分と暗くなってるみたいだし…あの後の、毎年恒例だったキャンプファイアーも後回しになったんだけど、そんなものはどうなったんだろう?
 異常に頭が痛くて、なんか腰の辺りがズキズキして…頭にまるでモヤでもかかってるみたいだ。

「…柏木、覚えてないの?」

 覚えてる?
 何を?
 他の連中とかどこに行っちまったんだ?
 なんか…重要なことを忘れているような気がするんだけど…

「立原…俺、覚えてないんだ。何があったんだ?他の連中はどこに行ったんだよ?」

 ベッドに横になったままで見上げた立原の顔はいつも通り無表情だったんだけど、どこか痛そうな…と言うか、ムッとしたように唇を尖らせている、まるで駄々をこねたガキみたいな表情をしやがったんだ。

「立原?」

「…他の連中は大部屋で休んでいるよ。キャンプファイアーも恙無く終わったしね。柏木はその間、ずーっと寝てたんだ。酷くしてしまったから」

 つっけんどんに投げ槍に言う立原が、いったい何に怒っているのか理解できなくて、俺は眉間にシワを寄せながらムスッとしているヤツの胸倉を掴んで引き寄せた…けど、途端に身体の中心を貫くような激痛に飛び上がりそうになって思わず呻きながら手を離すと、立原はケロッとした表情で蹲る俺をベッドの端に腰を下ろしながら馬鹿にしたように見下ろしやがったんだ。

「大丈夫?ムリはしない方がいい。ムリヤリ貫いちゃったから、たぶんきっと、酷いことになってると思うよ」

「…へ?」

 蹲るようにシーツの下で身体を縮こまらせて見上げると、立原はこの上なく幸せそうにニッコリと笑ったんだ。それまで、あの中学の時の親善試合の開会式の時以来、立原のそんな笑顔を見たことのない俺は、突発的な笑顔にドキッとしてしまった。
 あう、なんで胸を高鳴らせてるんだよ、俺!
 いや、確かにこの笑顔に惚れたのは確かだけど…って、惚れたとか言うな。
 顔を真っ赤にして1人で焦る俺の頬を片手で包み込みながら、立原はなんとも綺麗な笑顔をしてこれ以上にない恐ろしいことを言ってくださった。

「今夜から俺だけの姫君になったんだ。ああ、良かった。今まで悪い虫に手をつけられたらどうしよう…とか悩んでたんだけど。もう、誰も手出しはできないね」

「…に、言ってるんだ?」

「何って…山の中でセックスしたじゃない。虫に刺されて大変だったけど…ああ、柏木は別のところを俺に刺されて大変だったから、きっと忘れたんだね」

 頭がスパークして、たぶんこれは、悪い冗談か悪夢なんだと思った。
 パクパク、酸素不足の金魚みたいに口をパクつかせていたら酸素供給できたのか、俺の鈍い頭が少しずつ鮮明に色付いてきたんだ。
 それで、信じたくなくて忘れていた記憶をまざまざと思い出しちまった!
 嫌だ、と喚いて抱きついたのは確かに俺だし、貫かれながらキスをせがんだのも…俺だ。
 わ、わー!!!

「なななななななな…なんてことだ!!俺、俺、お前と!?わーッ!嘘だッ、違う!」

 腰の痛みに怯みながら…つーか、腰が痛いだけでもその事実を如実に俺に思い知らせてるってのに、それでも俺は信じられなくて、恥ずかしくて、シーツを頭から被って暴れてしまった。
 でも、すぐにそのシーツは立原の思わぬ強い力で剥ぎ取られて、真っ赤で涙目になっている顔を覗き込まれてしまったんだ。

「何が違うの?」

「おおお、お前!こんなことになって、なに、平気そうな顔してんだよ!?俺たちは男同士で、お前はエイリアンでッッッ」

「…」

 支離滅裂なことを言って腕をばたつかせるその手を掴んで、立原は馬鹿みたいに間抜けなことをしやがった。
 俺の手を掴んで、案外長い睫毛を伏せながら手の甲にキスをする。
 思わず痛む上半身を起こしてポカンッとする俺に、立原は口付けながら小さく笑ったんだ。

「愛する俺の姫君。この忠誠を永遠に誓いましょう」

「な、に言ってんだよ、立原!ちっくしょう!なんだって男同士でその、え、エッチなんかしないといけないんだ!あ、愛してるなんてそんな冗談言いやがって!!俺は…俺はお前が嫌いなのに!」

 ギュッと目を閉じて、恥ずかしさやら情けなさやら、何よりも信じられなくて思わず在らぬ事を口走ってしまった…って言うか、俺は確かに最初、立原にムカツイてこの高校に入ったんだ。
 でも、立原のヤツは少しもあのキラキラ光り輝くような優等生生徒会長さまなんかじゃなくて!俺のこと…忘れてるようなヤツだったじゃねーかよ!
 なのに、何でいまさら…
 そこまで考えていたら、不意に手をギュッと掴まれたもんだから強い力に眉を寄せて両目を開いたら…立原の、それまで見たこともないような鋭い双眸に勝ち合ってしまった。思わず息を飲んだのは、その凄みが半端じゃなく強烈で、底冷えする殺気に腰が抜けそうになっちまったからだ。

「…嫌い?柏木は、俺のこと嫌いなの?」

「あ、ああ!大ッ嫌いだね!お前みたいになに考えてんのかわかんねーヤツ、大ッ嫌いだ!」

 下手な冗談で俺をからかったり、ドサクサで犯っちまうようなヤツは大ッ嫌いだ!!
 当たり前じゃねーか!そんな、凄んだって負けないからなッッッ!
 …と、面と向かって言えたんなら俺も随分と天晴れなもんだけど、最初の台詞だけで実はびびっちまって後は妄想だけが意気込んだだけで…

「うッ」

 不意に手を掴まれたまま、空いてる方の腕で頬を掴まれて、俺は全身に走る痛みに眉を寄せながら真っ向から覗き込んでくる立原の双眸を睨み返してやった。

「…ずっと好きで、大事にしてやろうって思ってたんだけどな。残念だよ、柏木。手に入らないなら、壊れちゃう?」

 そんなゾッとするような台詞を言ってのけた立原は、問答無用で俺をベッドに押し倒すように覆い被さってきながらキスしてきたんだ!

「…ん!、…ぅ…ッ、めろって!」

 そりゃあもう、全身を貫くような激痛は、実際犯られたヤツじゃなきゃ判らないほど痛いし苦しいんだ!なのに、覆い被さってくる立原の体重を押し返すことは愚か、嫌がることさえ半端じゃなくムリに近い行為なんだよぅ…
 それなのに立原のヤツは、嫌がる俺なんかお構いなしにキチンと着ていたシャツを引き千切るようにして引っぺがしながら、手当たり次第に触りまくってくるんだ。激情だとか、激しく怒ってんだな…ってことはよく判る。でもな、怒りたいのはこっちなんだぞ!
 くそぅ…俺のことなんか、俺のことなんかホントはなんにも考えてないんだっ。
 コイツは、ゾッとするけど、俺の身体だけが目当てなんだ!!
 …なんて情けないこと言ってるけど、もう、マジで勘弁して欲しい。

「…う、ひ…ッく、…うぅ~」

「…柏木?」

 不意に、室内に響く俺の押し殺した泣き声に気付いたのか、怒りに我を忘れていたような立原は唐突に動きを止めて、ボロボロ泣いてる俺を覗き込みながら首を傾げたんだ。

「お…まえ、俺を馬鹿にしてんだろ?中学の時だって俺、お前に会えた時すっげぇ嬉しくって、話せただけでホント、飛んじまうぐらい幸せだったのに!…ッ、でも、…ッく、お前…高校になってスッカリ忘れやがって!!なのに、いまさら…好きとか言うな!俺は、そんなお前は大嫌いだッ」

 両の拳で両目を覆い隠しながら、恥ずかしいのに、くそ!こんなこと言わせやがって!
 ああ、もう、そうだよ!
 俺は、ずっとお前に憧れてたんだ。
 憧れて憧れて…ずっと、好きだったのは俺のほうだ!
 ヘンなとこばっか見られて、でも、飄々としてまるで無視されて…そりゃ、偶然だってあったけど、半分ぐらいは、お前が来るの待ってて見つかるようにコソコソ画策だってしてた。お前に俺、思い出して欲しかったから…なのに。

「おま…え、ぜんぜん俺に気付かないで、最初はヘンなヤツでも見るような目で見てたくせに!す…き、好きってなんだよ!」

 グスグス鼻を啜りながら悪態をつく俺を、立原のヤツはどんな目で見ていたんだろう。
 ヤツは暫く無言だったけど、不意に俺の身体の下にムリヤリ腕を捻じ込むと、いとも簡単にヒョイッと抱き起こしやがったんだ!

「な、なにす…」

 んだ!と、思わず食って掛かりそうになった俺の顔を覗き込んできた立原の表情は、何が嬉しいのか、ニヤニヤと笑っていて、今までの無表情がまるで嘘みたいにコロコロと表情を変えていた。

「う~ッ、まえなんか!嫌いなんだからな…」

 そんな、俺好みの笑顔なんか浮かべやがって…俯いて、エグエグと涙を零しながら片手で両目を擦っていると、立原はそんな俺を覗き込んできながら、困ったようにクスッと笑ったようだった。

「柏木…ねえ?それって、俺のこと好きってことじゃないの?」

 ブンブンッと首を左右に振ってそれを否定する俺の頭を抱くようにして、立原は嬉しそうに、黒い髪に頬を寄せてきたんだ。
 んなこと、するんじゃねーよ!
 俺は、お前なんか嫌いなんだ。

「う、ぬぼれんな!お前にムカツイて入学したんだぞ!?好きなわけ…」

「でも、俺を追ってきたんでしょ?」

「うッ」

 涙でグチャグチャの顔だけども!今は無視してもらって、俺は困ったように笑っている立原の顔を凝視しながら言葉に詰まってしまった。

「~だよッ!その通りです!俺は、お前が好きだ…」

 セックスだって、したって構わないんだ。
 でも、できれば俺が立原の尻を弄りたかったんだけど…でも!立原がしたいってんなら、ホントはどっちでもよかったんだ。そんなことよりもただ、俺はコイツに思い出してもらいたかったんだ。
 中学の頃、お前にしてみたらただの親善試合の相手チームの選手に過ぎなかったんだろうけど、俺にしてみたらお前は、手の届かない高嶺の花だったんだ。誰もが憧れる名門私立の異例の生徒会長で、花が咲き綻ぶみたいな笑顔を浮かべる優しげな顔をした無敵の優等生だった立原が、俺なんかどこにでもいるヤツに声をかけてくれて…ちょっとした夢ぐらい見たってバチなんか当たらないだろ?そりゃ、そんな些細なことで覚えててもらえるなんて思ってる俺もどうかしてたけど、でも、覚えてて欲しいって願っていたんだ。好きなんて、そんな大それたことは考えていなかったけど…
 たぶん、もうずっと好きだった。

「柏木…ごめんね」

 突然謝られて、やっぱりこれは、俺を騙してみんなで笑おうとした茶番劇だったんだと思った。
 判ってる、立原と俺なんか月とスッポンに決まってる。
 でもやっぱり、それでもちょっと辛いし、傷ついてしまう…うぅ、泣きそうだ。もう、泣いてて顔がぐちゃぐちゃだけど…

「どうしようか?もう、絶対に手放せないよ。悪いのは柏木だから」

 そう言って抱き締められても、やっぱりいまいち信用できなくて、俺は立原の肩に額を擦り寄せながらボロボロと泣いてしまった。でも、それでもいいと思ったんだ。
 立原が俺を好きなら、もう覚えてないことは悲しくても、多分それは当たり前のことだから…もういいんだ。
 これから、立原が覚えていってくれるなら、俺はもう、それでいい。
 ボロボロと零れる涙が、立原のシャツにボタボタと落ちて吸い込まれていく。
 ぼんやりと涙目で見つめていたら…

「ホントはね、覚えていたよ」

 立原は暫くしてからポツンとそう言った。

「へ?」

 呆気にとられて顔を上げたら、立原はバツが悪そうな表情をして笑っていた。

「忘れるられるわけなんかないよ…あの日俺、柏木に一目惚れしちゃってね。気付いたら声をかけていたんだけど…なんて言ったらいいのか判らなくて、思わず在り来たりなことを言ってしまったよ。それで随分と後悔したんだけど…違う中学だし、もう2度とは逢えないだろうってずっと思ってたんだ。でも、柏木が突然、入学式のあの日に目の前に現れるから…ビックリして。忘れた、その、フリをしたんだ」

 立原は言おうかどうしようか迷ってるようだったけど、俺の不安そうな顔に気付いたのか、鼻の小脇を掻きながらポツポツと語りだした。

「ちょっとムシャクシャしたことがあって、当時俺は、優等生でいることが嫌になったんだ。校則で禁じられているウォークマンをして、できるだけ他人の話は聞かないようにしていた。それが、中学3年の頃で…まさか高校で柏木に出会えるなんて思ってもいなかったから。俺は、自分のそんな姿を柏木に見せたくなかった」

 どうして?…とか、聞けなかった。
 なんとなく、その理由が判るからだ。
 俺だって、私立璃紅堂学院の校門を潜るとき、ちょっとした心構えのようなものをしたもんな。
 桜が満開で、夢みたいに綺麗な校門を潜った先に絶対いるに違いない憧れの生徒会長。その学校に受かったこともすっげぇ嬉しかったのに、その先にいるはずの憧れの人に会うために…俺だって教養とか頑張って覚えたんだぜ?なけなしの知恵を振り絞ってさ!
 …全く、役に立たなかったけど。
 たぶん同じことを、立原も思ってくれていたのかな? 

「きっと君は、俺を優等生然とした生徒会長さまだって思ってるに違いなかったからね。こんなボーッとした姿を見たら、嫌われるんじゃないかって…その、不安だった」

「…驚きはしたけど、俺は忘れられてることの方がすごいショックだった」

「逆効果だったってワケか」

 俺の言葉を聞いた立原は小さく笑ってポツリと呟くと、えへへと笑う俺の額に自分の額を擦りつけるようにして摺り寄せてきたんだ。

「でも、こんな俺でも好きなんでしょ?」

「う~、まあ!100歩譲ってな」

「え?」

 ギクッとしたような顔をして両目を見開いた立原だったけど、すぐに意地悪そうに双眸を細めてニヤッと笑うから、今度は俺の方がギクッとしてしまう。立原は意地悪なヤツだ。

「エイリアンなんでしょ?だったら柏木の思惑なんかどうでもいいってことで」

「はあ?それって横暴…」

「しー」

 クスクス笑って、立原はキスしてきた。
 コイツとはここに来てたくさんキスをした。
 でも、今日のこの時ほど最高な気分のキスは初めてだ。
 あの立原がこの俺を好きなんだぜ?信じられるかよ、まるで夢でも見てるみたいだ…
 今はまだそんな風にしか考えられないんだけど、きっと明日になったらもっと実感として感じて、もっともっと傍にいたいと思うようになるんだろうな。そしてそれよりももっと明日になったら、それは現実になって俺の身体に浸透していくんだろう。
 エイリアン立原が身体中に溢れるってのもなんだかな、と思うけど、俺はたぶん、優等生の立原もモチロン好きだけど…
 この、何を考えてるのかいまいちよく判らないエイリアンみたいな立原のことを、たぶんきっと、初めて会ったあの時よりも、ずっと好きになっていると思う。
 俺は立原が好きだよ。
 思ったよりもかさついた唇が触れると、まるで電流でも流れたように全身がビリビリする。
 舌がゆっくりと歯列を割って潜り込んでくると、おっかなびっくりで戸惑っている俺の舌を探り当てて、キスをもっと深く印象付けていくようだった。
 うっとりとした初めての深いキスに俺が酔っていると、濡れた唇を離した立原は満足そうに笑って…想いが通じ合えた最初の言葉を、開口一番でこう言ったんだ。

「柏木はホントに俺のモノになってしまったね。これから問答無用で可愛がるけど、逆らうことはモチロン、許さない」

 ニッコリ笑われて、俺は思わずポカンとしてしまった。
 それから、思い切り溜め息をついて立原の胸元に軽く額を押し当てたんだ。

「お前って…やっぱ俺さまなヤツなのな」

 なんとなくはそう思ってたんだ。
 宮本も琴野原も逆らわないし、なんか、みんな一目…当たり前だけど置いてるみたいだったし…グレたって平然としてられるのはやっぱ、性格が俺さまNo.1野郎だったんだろう。
 はあ、俺ってとんでもないヤツに惚れたし、惚れられたのかな?
 でもそれは、望むところってことで。

「さあ、どうかな?」

 そう言ってクスクス笑う立原に、俺は、俺も、自然と気付いたら笑っていた。

「…今度は、優しくしてくれよなー」

 笑いながらも俺が拗ねたように唇を尖らせて悪態をついてみたら、立原は…少し驚いたような顔をしたけれど、クスクスと笑って頬にキスをしてくれたんだ。

「もちろん、今度は一緒に天国にいこう」

「…………バーカ」

 顔を真っ赤にして言う台詞でもないんだけど…それでも、俺は嬉しかった。
 これからきっと、まだたくさん、色んなことが起こるんだと思う。
 でも、そのどの時でも、こんなにすげぇヤツをゲットできたんだから、俺は腕の中にいるエイリアンを大事にしていくんだろうなと思う。
 立原も、そう思っていてくれたらいいな。
 そうしたらきっと、最高にいい気分になれると思う。
 たぶんきっと、今以上に!
 大切な人とするキスは、幸せな涙の味がした。
 俺たちはこれから、きっともっと幸せになるんだ。
 それが俺の希望だ。

Level.10  -暴君皇子と哀れな姫君-

 柏木が一瞬気を緩めた瞬間だった。
 生暖かい風がふっと耳元を掠めて、恐怖と驚きと不思議な気分に支配されていた柏木の、唯一の弱点である恐怖心を増大させてしまった。

「ひぃー!!!」

 刹那の甘やかな雰囲気はあっと言う間に霧散し、柏木はキスされたことも忘れてもう一度立原の首に抱き付いてしまう。
 目を白黒させていた立原は、困惑して、それから諦めたように溜め息を吐いたが、それでも限界まで我慢した欲望に燈った熱情は容易く消えるものでもなくて、立原はこのチャンスを思いきり活かすことにしたようだ。

「大丈夫だよ、柏木。霊魂はさまようだけで悪さはしないよ…」

「れ、霊魂なんか言うな!どれほど怖いと思ってるんだ!!そんな話をしてたら寄って来るんだぞ!?」

 クスッと、立原は微かに笑う。
 本気で幽霊を信じてしまえる柏木を、心の底から愛しいと思っていた。
 喚き立てながら、それでも支離滅裂になっている柏木を無視して、立原は浴衣の裾から腕を忍び込ませて下着を引き下ろしにかかる。
 狼の被りモノはこうなると邪魔臭くて、立原は抱き付く柏木を器用にあやしながら手早く上着を脱ぎ、いつでも襲いかかれるように用意した。その反面、口では酷いことを言い募るのだ。

「しー。声を潜めなよ、柏木。山で死んだ人間は寂しくて、常に仲間を求めて彷徨っているんだ。幽霊でもいいヤツばっかり、ってワケじゃないから」

 もちろん、人間もだけど…と、立原がそう言ったかどうかは定かではないが、柏木には効果覿面の台詞に、臆病な姫君は肩を竦めてますますギュッと抱き付いてくる。

「うう…立原~」

 男として!…恐らく柏木にとって一番屈辱的なことだろう。立原もそれには気付いていた、が、だからと言って今更止めることなど、もうできないのだ。

「柏木、どうして幽霊が怖いの?哀しい連中じゃないか。もう、何もできないんだよ?」

「お前は何も判っちゃいないんだッ。ヤツらは取り憑くんだぞ!?」

 浴衣の裾から忍び込ませた手で、器用にトランクスを引き下ろす行為にも全く気付いていない柏木は、嫌々するように首を左右に振って立原の肩口に額を擦りつけている。
 立原にとってどうでもいい会話は、柏木にとっては地獄の試練で。
 だがそれ以上に、凄まじいはずの試練が待ち構えていることに全く気付かない柏木は、目先の試練に怯えて、自分をその崖っぷちに追い立てる悪魔な立原に闇雲にしがみ付いていた。
 乱れた浴衣と、脱ぎ下ろされたトランクス、涙を零す顔をチラッと見ただけで、立原の沸点は既に頂上を突き破っていることは確かだ。

「た、立原!?」

 首に回した腕を無理矢理引き剥がされて、動揺した柏木は泣いている顔を見られる恥ずかしさよりも、見捨てられる恐怖に怯えて必死で腕を伸ばそうとする。その時になっても、立原が幸せそうに笑いながら上着を脱いでしまっていることに気付かない。
 正真正銘、愚鈍な姫君だ。

「大丈夫だよ、柏木。参ったな。最初の夜は純白のベッドの上だって決めてたのに…こんな山奥の安っぽいビニールシートの上だなんてね」

「な、何を言ってんだよ~!?は、早く戻ろう!もう、戻ろう!!」

 ビクビクしながら、最早思考回路がグルグルしてしまっている柏木の悲痛な悲鳴でさえ、もう立原の固い決意を覆すことはできなかった。

「戻る?冗談。戻ってる最中に幽霊に襲われちゃうよ」

「うう!」

 目許に浮かぶ涙のしょっぱさを唇で感じながら、いつになく饒舌な立原はクスッと笑って柏木の素肌を楽しむように露出した腿を擦りながら、その足をグイッと片手で抱え上げた。上体を倒して、覗き込むように見つめる柏木の泣き顔は、動揺と、すぐ傍に自分がいることに微かに安堵しているように見える。
 その全てが愛しくて。

「幽霊に襲われるぐらいなら…ちょっと痛いだろうけど、俺に襲われたらどう?」

「立原…?」

「全力で守るから」

 呟きが消えるか消えないか…まさにその瞬間だった。

「~~~…ッ!!」

 悲鳴さえも上げられない、苦痛に全身びっしょりと嫌な汗が覆う。
 無理矢理捻じ込まれた灼熱の杭が、いったいどこに忍び込んでいるのか初めは判らなくて、柏木は見開いていた双眸をギュッと閉じて噛み切る勢いで唇を噛み締めた。

「うう~うーッ!」

 もう、まともな声も上げられなくて、それでも、自分をこんな苦痛に叩き落した張本人であるはずの立原に、柏木は縋りつくしか他に術がない。
 ギュッと、冗談としか言いようのない狼の被り物を、今は腰の辺りに蟠らせている立原の、その素肌の背中に腕を回してギリッと爪を立てた。

「…ッ」

 けしてわざとではないと判っているのだが、背中にぬるっと伝う僅かな熱い筋に、柏木が受けている苦痛を少し感じ取れたような気がして立原は嬉しかった。
 ギチギチッ…と、狭い器官は悲鳴を上げて、立原の灼熱を無理矢理捻じ込まれた部分は切れ、真っ赤な血の涙を零している。

「…ッ、やっぱり…思った通り、最高の気分だ」

 こめかみを伝って頬を流れる汗もそのままに、唇を噛み締めてギュッと眉を顰めたまま泣いている柏木に、眉を寄せて笑いながら口付ける立原は、その唇に微かな鉄錆のような味を感じた。

「唇が…切れてるよ」

「…ッ、はッ」

 噛み締めた口を開こうとしない柏木に焦れて、立原は萎えて萎んだままの柏木自身に触れてると、意識を苦痛から逸らすためにゆっくりと扱いて頬にキスをする。

「う…ううッ」

 肩で荒く息を繰り返しながら、嫌々するように首を左右に振っても、下半身に施される苦痛と快楽が綯い交ぜした奇妙な快感から逃げることができず、柏木は助けを求めるように震える瞼を開いて立原の顔を見上げた。

「た、立原…ッ。俺、俺は…あうッ!…どうしたんッ…だろ?」

 ゆっくりと抽送を繰り返す激情とは裏腹の穏やかな腰遣いと、優しげな愛撫に戸惑うに双眸は涙が滲んでいる。自分にいったい何が起こっているのか、どうしてこんなことが起こり続けているのか、判らないと訴える双眸は小動物のような不安に揺れている。

「ずっと、ずっと好きだったんだよ。言わなかった?可愛いって、俺の弱点は柏木だってさ…」

「好…?好き?…お、俺を?…んぅッ!」

 グイッと深く挿し込まれて、まだ慣れない器官が苦痛を訴えて収縮を繰り返すと、柏木は辛そうに眉を寄せたが、上体を倒してくる立原を信じられないような不安の双眸で見上げた。自分が聞いたことは、この信じられない状況下で聞いている幻聴ではないのかと…自分に都合よく聞こえているだけの嘘の言葉なのではないかと困惑しているようだ。

「本気だよ…もうずっと、好きだった」

 不安に揺れる相貌を見つめて、安心させてやりたくて立原は柏木の頬を包み込んだ。
 前に施される行為が遠退いて、痛みが少し増したような気がした柏木はそれでも立原の真意を見極めたくて首に回していた片腕を離すと立原の頬を確認するように触れてみる。

「…嘘だろ?お前…俺をからかいたいだけで…ッ、そんなこと言うんだ。こんなこと…してるんだ…ッ」

 泣き笑いのような表情をする柏木の真意が判らなくて、立原はムッとしたように眉を顰めて蒼白の顔をした姫君を見下ろした。滲んだ汗が漆黒の前髪を額に張り付かせて、それでなくても惹かれて惹かれて、恋焦がれていた柏木にどうして想いがまっすぐに伝わらないのだろう?
 なんでも手に入れることのできた自分が、だからこそ、優等生でいることにうんざりした自分が、何もかも捨ててもいいとさえ思うこの熱い想いを、どうして一番大事なひとにはまっすぐに伝わらないのだろう?

「柏木が好きだよ。こんなに好きだ…」

 なんてこと、君はきっと気付かないんだろうけど…
 頬に触れてくる震える無骨な手を掴んでそっと口付けても、柏木は不安に揺れる双眸を瞼の裏に隠しながら、永遠のような暗闇に落ちていく酩酊感のような錯覚に囚われながら、呟くように囁いた。

「嘘だ…」

 後部に灼熱を受け入れたままで無理に抱き起こされて、しかし、それさえも感じない闇に沈んだ柏木の汗に濡れた身体を、もうずっと抱き締めたくてできなかったその身体を愛しむように抱き締めて…

「嘘じゃないのに」

 呟いた言葉は、意識の淵に沈んでしまった柏木の耳にはとうとう届くことはなかった。

Level.9  -暴君皇子と哀れな姫君-

「…柏木?」

 シッカリとしがみ付いて俺は、立原の呼びかけに答える気力もなかった。
 狼の被り物がなんだかな、とも思うけど、今頼れるものはコイツしかいないんだ。抱き付いてみて判ったことだけど、立原は思った以上にいいガタイをしてる。まあ、それもそっか。
 初めて会ったときは、確か中学の2年だった。
 私立離紅堂学院中等部で行われたバレーの親善試合で、コイツはキャプテンでもないただの他校のレギュラーだった俺に声をかけてきたんだ。
 泣く子も黙る離紅堂の立原…と知っていたから、ビビリまくっていた俺に、コイツは噂されるほどには強面でもなくて、ニコッと屈託なく笑って挨拶をしてきた。

『どうも初めまして。他校の構内…と言うこともあって何かと不便でしょうが、今日はお互いにベストを尽くして頑張りましょう』

 異例の2年生生徒会長は爽やかに笑ってそう言うと、そのまま呆然としている俺を残して行ってしまった。
 その頃はまだウォークマンも聴いていなくて、理想を絵に描いたような優良生徒会長さまだったんだ。
 部活の仲間たちには羨ましがられて小突かれるは、近くの女子高のファンクラブのお姉さま方からは黄色い声で貶されるは…俺にとっちゃ踏んだり蹴ったりの初対面だったけど、正直少し憧れていた。俺の鬱陶しいぐらい黒いのとは違って、ちょっと色素の薄い髪は睫毛と同じで、やたら男前のソイツがなんて言うか、やっぱりカッコイイと思ったんだ。
 お高くとまってもいないし、一級品の容姿のわりには気さくで人懐こいイメージが嫌味でもない。
 言うことのないコイツに憧れはじめてすぐに、俺はセカンドショックを受けることになった。
 気まぐれにしたって、わざわざこの日の為に他校から来た生徒にも気さくに話し掛ける生徒会長さまは、きっと箸よりも重いものなんか持つこともなくて、文武両道の『文』を担ってるんだろうとばかり思っていたから、コートの中にユニフォームを着て立っている姿を見つけたときは驚いて声も出なかった。
 おまけにムチャクチャ強くて、結局俺たちは敗退したんだけど…それでも眩しいぐらい、なんでもできるカッコイイ生徒会長さまに、この立原に!俺は何時の間にか憧れを通り過ぎて反発心が芽生えたんだと思う。
 ムカツイたんだ。
 俺なんかと違ってなんでもできるコイツに。
 幽霊なんかに真剣に怯えてる俺なんかと違って、飄々と周囲に気配を巡らせるほどには怯えてもいない立原の、その完璧振りがムカツイたんだ!
 いや、今は抱き付いてて離れきらない俺の独り言だけど、あの頃の俺は必死に勉強して、運動に優れるように努力して、なんとかこの私立離紅堂学院の高等部に体育特待生として滑り込むことに成功した。
 立原の、あの取り澄ました仮面を引っぺがして鼻っ柱をへし折ってやる!…ってのが当初の目的だったんだけど、現実の立原は180度性格が変わっていて、あの中学の頃の爽やかな生徒会長さまはどこに行っちまったんだと問い詰めたくなったぐらいだ。
 でも、立原は入学式の朝に会った時、俺のことを忘れていた。
 訝しそうに一瞥しただけで、いつも通りのウォークマンを聴きながらサッサと講堂に姿を消してしまう。慌てて追い縋る俺に眉間に皺を寄せた立原は、ほぼ完璧に、綺麗さっぱりと俺のことなんか忘れていた。
 未だに『そんなこともあったっけ?』と言う始末だ。
 双子の兄貴か弟だったんじゃないかと疑いもしたが、中等部の泣く子も黙る立原は結局ソイツ1人しかいなくて、俺は俄かに夢から覚めたような気分になったもんだ。
 で、寮では常に溜め息を吐いていたんだけど…まさか、こんなエイリアン野郎だなんて思ってもいなかったから、俺の理想と反発心は対象物をなくして空回りばっかりだ。こんなことなら、こんなワケの判らん登山大会で肝試し!のあるような学校に来るんじゃなかったって後悔してる。見渡せば野郎、野郎ばっかり。校内恋愛も恙無く行われていて…キモすぎるんだよッ!離紅堂!!!

「柏木。大丈夫。ホラ、ビニールの敷物だ」

 嫌なことを忘れるために過去の記憶を引き出しながら必死でしがみ付く俺の耳元で、立原のやけに冷静な声が響いている。
 俺はガムシャラに首を左右に振ってそれを断ると、さらにしがみ付きながら喚きたてたんだ。

「違う!フワッて、白い着物で…お前!俺のこと騙してるんだ!畜生…笑ってんだろッ!?」

 支離滅裂で喚く俺に呆れたのか、立原は小さく吐息して俺の背中に腕を回してきた。
 みっともないぐらいガタガタ震えていて、羞恥心も感じないぐらい、いや、全ての感情がショートしちまったみたいに何も考えられない俺を抱きかかえるようにして、立原は少しだけ身じろいだ。

「ホラ。大丈夫だから」

 短く言って何かゴワゴワした、ビニールの感触をした何かを俺に見せようとする立原に、俺は聞き分けのない子供みたいに首を振ってそれを拒んだ。もう半泣き状態ってヤツだ。
 後で思い出せば恥ずかしくて顔を覆いたくもなるけど、今の俺にはそれが精一杯で、立原のしようとしていることなんか気に留める余裕なんかこれっぽっちもないんだ。
 立原はきっと困ってるんだろうに、暫く俺を抱きしめるようにして頬を髪に押し当てるようにしていたけど、依然として落ち着かない俺に焦れたようにゴソゴソと何かをし始めたんだ。

「?」

 訝しく思いながら恐る恐る顔を上げようとした途端だった!
 唐突に押し倒されるようにして俺は何かゴワゴワしたものの上に寝かされたんだ。

「立原…!」

 ギョッとしていると、立原のいつにも増して抑揚のない、その無頓着な表情が薄明かりの中で俺を見下ろしてくる。

「…立原?」

 これはどう言う状況なんだろう?
 俺は問い質すような目付きで立原を見上げながら、でも、シッカリとヤツの首には噛り付いている。
 ヤッベんだって、マジで今!なんかヘンなもんがフワッて飛んでたんだぞ!?女だ!きっと幽霊なんだ!!!
 半泣きで見上げる俺を、それまで抑揚もなく見下ろしていた立原は、やっぱりいつものように鼻先で笑って首を左右に振ったんだ。

「このまま寝てなよ。気分を落ち着けたら大丈夫。幽霊はいないって判るから…」

 立原の狼の肩越しに、木々の枝を透かして雲から少し顔を覗かせた月が見える。
 今日は満月が近いのか、月は不気味なほど赤味を帯びていて、ああ…ヤなもん見なきゃ良かったってほどの相乗効果で俺を震いあがらせたんだ。

「立原!やっぱ、こえぇぇッ!!」

 横になったままでギュッとしがみ付くと、少し浮いた背中に腕を差し込んで抱き締めてくる立原に、俺は遠慮もなく両腕に力を込めたんだ。
 …たぶん、それがいけなかったんだと思う。
 気付いたのが少し遅かったし、それだってもう、後の祭なんだけど。
 気付いたら俺は、立原にキスをされていた。

□ ■ □ ■ □

 幽霊騒ぎで興奮していたし、縋れるものにはなんだって縋り付きたい気分だった俺は、それが最初、どう言う行為なのか良く判らなかったんだ。
 少しカサついた唇がやけにリアルな感触で、いつも眠そうな表情でボーッとしている立原が、ホントに盛りのついた今時の高校生なんだって思い知るには十分な効果だったはずなのに、俺はバカみたいにポカンッとして立原の顔を見上げていた。
 唇を離して、ほんの少し、苦笑するように笑う綺麗な顔。
 月明かりを背にして、狼の被り物ってのが笑えるけど、立原のそんな表情は初めて見るし、未だ理解できていない俺がどんな顔をしてるのかなんてこた判らねぇ。
 とんだ間抜け面だってことは確かだろうけど…

「もうずっと、こうしたかったって言ったら信じる?」

 立原の、ヤツらしい少し低めの声。

「…えっと」

 なんて答えたらいいのか判らない俺の、間抜けな返事。
 バカみたいに見つめあって、嘘だって笑えよ。
 バーカ、柏木。騙されちゃって…っていつもの皮肉げな、あの抑揚のない笑い方でバカにしろってば。じゃないと、じゃないと俺は…
 どんな顔していいか判んねぇだろーが!
 幽霊がいるかもしれないこんな山奥で、何をしてるんだよ立原ぁ~

「…落ち着いた?」

 クスッと立原が笑って、俺は呆気に取られたようにポカンッとヤツを見上げた。
 …つーことは、やっぱ冗談だったのか。なんだ、そうか。

「…お、落ち着くわけねぇだろ!!何をするんだッ、何を!」

「怖いよ~って泣きじゃくる柏木が悪い。可愛くって思わず抱きしめたくなる」

 …可愛い?くぅおの野郎!

「幽霊が怖くて悪いかよ!?人間、誰だって弱点ぐらいあるさッ」

「うん。俺の弱点は柏木」

 …コイツ、きっとバカだ。いや、俺を苛つかせるためだけにこんな趣味の悪い冗談を言ってるに違いないんだ!クソッ!
 思い切り睨みながら、でも、そんな立原にしがみ付いて鼻先だって引っ付きそうなほど近くにいるってのも間抜けだけど、これじゃ凄んでるのか誘ってのかいまいち判らねーな。
 ん?誘う…?
 誘うってなんだよ!?
 嫌な響きだぜ、俺も大バカ野郎だ。

「柏木…我慢しようって思ったんだ。怖がりな俺の姫君は、いつだって大事に守って幸せにしてやりたい」

「…立原、何を言ってんだ?」

 姫君…ってのはなんだよ?俺は男だし、守ってもらわなくたっていいに決まってんだろ?
 …いや、今は守ってもらってるけどな。思いっきり!
 だからってそれに甘んじるのもどうかと思うぞ。いや、こんなことを言ってる場合じゃないのでは…

「でも、ダメだ」

 立原は唇を噛み締めると、眉を寄せて何かを必死で我慢しているような表情で俺を見下ろしていた。けど、ヤツは鼻先すらも掠めるほど近くにいる俺を間近で見下ろすと、今度こそ確かな意思を持ってもう一度キスしてきたんだ。
 呆気に取られて動揺して、抵抗すらしない…と言うかできない俺を見下ろしながら、立原はあの低い声で囁くように呟いた。

「もう、ダメなんだ…」

 耳元にポツリと落ちた立原の声は、何だかザワザワと胸元を騒がせて、俺を奇妙な気分にさせたんだ。

Level.8  -暴君皇子と哀れな姫君-

 薮蚊が悩ませる山中の限られた空間で、柏木は恐怖とはまた違った心臓の高鳴りを覚えてギクシャクと首に回していた腕を離した。
 その様子を訝しそうに眉を寄せて見ていた暴君皇子立原は、浴衣の裾から覗く、思ったよりも細い足を目にした途端、フイッとその視線を逸らしてしまう。
 我慢我慢我慢我慢我慢…
 何かの呪詛か祝詞のように繰り返される言葉に支配される脳内は、もはや肝試しとか、与えられた任務だとかはどうでもよくなっていて、ただひたすら目の前に転がる美味そうな獲物以外は何も考えられないでいた。
 柏木光太郎と出会って数ヶ月、立原俊介は欲しいモノはなんでも手に入れた。
 好きなヤツがいるからと、涙を流して嫌がったヤツでも平気で手に入れた男であるはずの自分が、どうしてこう…巷では『硝子宮殿の姫君』と呼ばれる、どこにでもいる柏木だけに手が出せないでいるんだろう…

「硝子宮殿か…」

 まるで儚く脆いガラスのように、大切にされた姫君。
 全くもって、柏木にピッタリの表現だと噂を流した張本人は満足したように笑う。

「は?」

 間抜けな口調で自分を見上げる柏木の、良く晴れた夜空色の双眸に、間抜けな姿をした自分が映る。狼の耳をピンッと立てて、そのくせ、心許ない双眸は不安に揺れてバカみたいだと立原は思った。
 そうすると、不思議そうな表情をする柏木がずっと愛しく思えて、口許は知らずに綻んでしまう。

「なんでもない」

「おかしなヤツだな、立原って。お前、ホント。エイリアンみたいな奴だよな」

 くすくすと笑った柏木がそう言った次の瞬間、昼間見たら自然ライフを満喫できそうな登山道が左右の木々の間にあるその道を、今夜最初のお客さんが訪れた。

「呉内ちゃん~vここって何が出るんだろうねぇ?楽しみだねぇ」

 ひっひっひ…と不気味に笑いながらそう言った、その猫のように長身の男に擦り寄る生徒は…

「斉木と呉内か。呉内もご愁傷さま。あんな得体の知れないヤツに取り憑かれて」

 心底嫌そうに眉を寄せる立原に、柏木はそうかと頷いた。
 この学校にはエイリアン立原と並ぶぐらい不気味なヤツがいるのだ。斉木と呼ばれるその生徒は、何を考えているのか全くと言っていいほど良く判らず、いつも一緒にいる無口な呉内に疎ましがられていたりする。
 以前1度、「立原は熱い男だよぉ~」とワケの判らないコトを言って、ひっひっひ…と笑いながら去って行かれた柏木としては、できるだけ関わり合いになりたくないと近付かないようにしていた。

「立原ぁ~、俺、アイツ苦手なんだよな…」

「同感。この際、無視しよう?」

 傍らに擦り寄ってきた柏木と腕を組んで頷く立原の2人は、できる限り息を殺して連中が通りすぎるのを待った。

「何も出ないねぇ。面白くないねぇ。このまま山の中を冒険するってのも悪かねぇな。どうするよ?呉内ちゃん」

「断る…と言うよりもむしろ、勘弁してくれ」

「ええ~?残念だな~」

 ブツブツと悪態を吐きながら遠ざかる気配にホッと胸を撫で下ろした柏木は、ふと、すぐ間近にある立原の腕を見てドキッとした。
 思ったよりも男らしい腕は、手袋と長袖仕様の着グルミのその袖を肘まで捲り上げていて、無造作に投げ出されている。と言うか、2人の気配を追う立原が、その辺を注意していないので無造作に肩に触れたりするのだ。

(…なんで俺、ドキドキしてるんだ?なんだ、なんだろう?ヘンだ…)

 こんなのはおかしいと判っているのに、柏木は1度確認してしまった胸の高鳴りに動揺して、思わず俯いてしまう。

「柏木?気分でも悪くなった?」

 不意に、少し低い声がすぐ傍で聞えて、柏木はドギマギと顔を上げて立原を見た。

「?」

 彼は訝しそうに眉を寄せているが、柏木の変化には気付いていないようだ。こう言うところは愚鈍な姫君をとやかく言えない暴君魔王だった。

「…立原、俺、ヘンなんだ」

「…?」

 首を傾げる立原に、柏木はなぜか息苦しくなる胸元を両手で押さえて、縋るような眼差しで少し上にある狼小僧の双眸を見上げて呟くように、掠れる声で囁くようにそう言った。

「なんだろう?」

「…さあ?突然聞かれても…頭、痛いとか?」

「違う…なんて言ったらいいんだ?ええっと…」

 胸がドキドキして…立原の横にいると、意味もなく顔が火照って頭がボウッとするんだ、と言いかけて、柏木は慌てて開きかけた口を両手で塞いだ。何を言ってるんだと、おかしなことを口走りそうになった自分に喝を入れるつもりで頭を殴った。
 立原の頭を、グーで。

「…ホント、柏木はヘン」

 半泣きで頭を擦りながら迷惑そうな顔をする立原に、柏木は顔を真っ赤にして握った拳をそのままでぎこちなく声を上げて笑った。

「ハッ…ははは!いやぁ、夏の夜は熱くていかん!たまには運動してスッキリしないとなっ!」

 人を殴ることが運動?…と疑わしそうに眉を寄せる立原からギクシャクと目線を逸らす柏木は、傍らの雑草が生い茂る地面を見下ろしながら深呼吸した。

(落ち着け!落ち着くんだ、俺!)

 はあはあと肩で息をしながら両拳を握って気合を入れる柏木を、立原は頭を擦りながら訝しそうに眺めている。

「柏木。次が来るけど、無視する?」

「へ…?あ、いや!脅そう、こうなったら徹底的に脅しまくろう!!」

「…まあ、ホドホドに」

 俄然ヤル気を出す姿に何やら恐ろしいものを感じた立原の声音にはしかし、動揺は見て取れず、だからこそ柏木のボルテージもさらに上がったりするのだ。

(こんなの!こんなの、まるで立原に恋でもしてるみてぇじゃねーか!いかん!そんなコトはいかん!俺は!男なんかに恋愛感情を抱くヤツの気なんか知らねんだ!これは…きっと肝試しで気が動転してるだけで、明日になったらきっと落ち着く。絶対だ!)

 まるで何かに願うように何度も呟いて、柏木はチラッと立原を盗み見た。盗み見て、溜め息を吐く。

(…たぶん。きっと)

□ ■ □ ■ □

 次の連中の声に耳を欹てていた立原はそんな小動物のようにビクビクしている柏木に気付いて、思わず口許が緩みそうになって慌てた。笑ったな!…と言って、それでなくても可愛い柏木がもっと可愛らしくなってしまう。

(よほど怖いんだろう。これじゃ、手は出せないな)

 愛しいから大事にしたいと思って、でもその我慢も限界で、今日こそは!…と決心していた立原の想いはグラリと揺らいで、やはり最愛の姫君を前にしては『守りたい』と思う気持ちの方が優先に動いてしまう。

「柏木、大丈夫?顔色悪い」

「へあ!?だ、大丈夫だって、畜生!幽霊の1匹や2匹、それがなんだって言うんだ!?」

 あからさまに動揺して意味不明のコトを叫ぶ柏木に、ニッコリ笑ったままでクエスチョンを浮かべて首を傾げる立原の内心は複雑だった。

「…幽霊は1匹って数えないけど」

 ヘンなところで訂正してしまう。
 やはり動揺は伝染するのか、立原も次第に支離滅裂になっているようだ。

「なんだっていいんだよ!こんなバカげたことはさっさと終わらせようぜッ」

 薄闇に浮かぶ柏木の顔を見ることができたのなら、立原はそれほど焦ったりはしなかっただろうし、いや、もしかしたら別の意味では焦ったかもしれないが、後にあんな結果を生みもしなかっただろう。
 ただ、『こんなバカげたコト』だと言って切り捨てたその態度が、まるで自分すらも拒絶されたように勘違いした立原は、焦って柏木の腕を掴んだ。その瞬間、怯えたようにビクッとした柏木が焦りから手を振り払おうとして、なぜか事態は悪い方向へと進もうとしている。

「柏木…?」

「た、立原…」

 腕を掴んだままで首を傾げる立原と、その細く射し込む月明かりを背にした立原を見上げる柏木の睨み合い…改め、見詰め合った瞬間、彼らの潜むその草陰がガサリッと揺れて、何かが二人に近付いた。
 ビクッとした柏木が反対に立原に抱き付き、不穏な空気を掻き乱した闖入者はムッととした表情で草叢から顔を覗かせた。

「ちゃんとユーレー役と狼男役をしてよね!クレームが入ってるんですけど!」

 宮本を従えた琴野原に胡乱な目付きで睨まれながら手にした懐中電灯で照らされると、抱き付いている自分にハッと気付いた柏木が慌てて立原から離れ、それを見ていた宮本がニヤニヤと笑っている。琴野原よりも近しい位置にいる宮本にとってその現場は美味しい場面で、双眸を細めて立原に『邪魔だった?』と聞いている。
 何が何やらワケの判らない展開に憮然としている立原は、そんな宮本を鼻にシワを寄せて威嚇するように睨んだ。『琴野原を連れてさっさと戻ってろ』…とその双眸が訴えていることに気付いた宮本は、肩を竦めて呆れた表情をする。何の進展もなし、とその場の雰囲気で読んだ情報屋は、まだ何か言いたそうにしている琴野原の腕を掴んで「お邪魔しましたぁ~」と陽気に言って立ち去った。

「…」

「……」

 まるで何事もなかったかのような闇が戻ってきて、柏木と立原はまたしても奇妙な沈黙に陥ってしまう。

(なんだってんだよ!俺ッ。これじゃあ、まるで立原を怖がってるみたいじゃないかぁ!!)

 内心でならなんとでも叫べる柏木も、いざ口にしようとすると咽喉元で言葉が詰まってしまう。

(俺の…気持ちに気付いて怯えてるのか?まさか…)

 訝しそうに眉を寄せた立原は、完璧だったはずの仮面の綻びが信じられなくて違った意味で唇を噛んだ。
 まんじりともしないで肩を寄せ合うようにして狭い空間に座る二人は、まるで意識したように同時に口を開いてしまう。

「あのさ!」

「柏木…」

 顔を見合わせて慌てたようにお互いで俯くと、これはまるで、告白しようとしているようじゃないかと柏木は照れを通り越した動揺に思わず顔を赤らめてしまう。

「柏木…何?」

「立原こそ!な、なんだよ…」

 モジモジと照れる柏木に気付かない立原は、木々の隙間から覗く月を見上げて溜め息を吐いた。

 怯えさせたくないと、ずっと大切にしていたつもりだったのに…つもりはあくまでつもりで、本当はこんなに怯えさせてしまっていたのか。
 それならいっそ、もう何もかもかなぐり捨てて奪ってしまおうか、とも思うのだが、それができないほど柏木に心酔している自分に気付いて今更ながら瞠目してしまう。

「お、俺…あの、立原…ッ!」

 何か言おうとして、途端に柏木の目が大きく見開かれる。
 次の瞬間。

「ぎ、ぎぃやぁあああああ!!!で、出たーーーッ!!!」

 柏木の声は天をも揺るがすほど凄まじく、傍らにいた立原でさえも思わず飛び上がりそうになるほどだった。悲鳴と言うよりもそれは、絶叫に近かったはずだ。
 山に木霊するその声は、暫く響き渡ったと言う。

Level.7  -暴君皇子と哀れな姫君-

 ああ…
 迫りに迫った悪夢の期日。
 逃げ出せないだろうか…なんて、無理だって。
 そう。
 本日、午後7時より肝試し大会始まり始まり~♪…って、1人で明るく振舞っても虚しいだけだ。
 クソッ!なんでみんな平然とした顔でいられるんだ!?

「柏木っくん♪」

 突然、背後から抱きつかれて俺は思わず飛び上がりそうになってしまった。
 な、なんだってんだよ、いったい!?

「ゲッ」

「うっわ、下品な言い様。俺さま傷付いちゃう」

「キモッ!宮本キモッ!」

「冗談だって、柏木くん。僕がそんな酷い言葉如きで傷付くはずがないだろう」

 …なんか、ちょっと変だな宮本のヤツ。

「ん、もう!回りくどいなッ」

 何か言おうと開きかけた口を閉ざさせたのは、長身の宮本の背後から顔をひょっこり覗かせた琴野原で。
 ははん、なるほど、そう言うことか。それで宮本のヤツ、調子がおかしいんだな。
 この宮本も例外なくアイドルの琴野原にメロリンラブで、結局、なんでもハイハイと言うことを聞いちまうんだよな。全くもっての下僕根性には正直頭が下がるってもんだ。
 にしたって、いくら顔が可愛いからって恋愛感情にまで発展するヤツの気は知れないけど。

「琴野原?どうしたんだよ」

 確かに、平均身長に漸く届くかどうかって言う背丈も、大きくて黒目がちで綺麗な目をした琴野原に見上げられれば、女の子かなと勘違いはするかもしれない。でも、それだって勘違いに過ぎないんだ。よく見りゃ咽喉仏だってあるし…俺がこの学校に来てどうしても馴染めないのがコレなんだよなぁ。
 宮本もその性癖があるみたいだし…まあ、なんにせよ自分に火の粉がかからなきゃそれはそれでいいんだけど…とか言って、昨日のアレは早いところ忘れよう。
 俺が1人で悩んで勝手に納得していると、琴野原が綺麗な形をした唇を尖らせて俺を見上げてきた。

「柏木くん、今日ユーレーの役でしょ?田宮センセが浴衣とヒトダマの花火を取りに来いってさ」

「あう~、1番嫌な響きだぜ。ったく…おっと、サンキューな琴野原!」

 わざわざその為だけに来たらしい琴野原は、すぐに踵を返して立ち去ろうとするから、俺は慌ててその小さな背中に礼を言った。本来なら確か同じ班のはずなんだけど…琴野原のヤツはいつもどこかにさっさと行っちまうんだよなぁ。で、こんな風に端から見ればとんちんかんな会話が成立するってワケだ。
 …そう言や立原も村田もサッサと姿をくらますんだけど…俺たちの班ってのはこう、どうしてこんなに協調性がないんだろうな。まあ、得体の知れない連中の吹き溜まり…って言えばそれまでなんだけど。
 それに自分も含まれてるのかと思うとちょっと泣きたくなるなと思っていると、琴野原は肩越しにチラッとそんな俺を振り返り、ちょっとムッとしたような、なんとも形容のしようがない複雑な表情で口を尖らせた。

「別にいいよ。僕はただ、俊に頼まれただけだもの」

 じゃなかったら、誰がお前なんかに関るもんか、とでも言いたいんだろう。琴野原はつんと唇を尖らせたままでさっさとどこかに行ってしまった。その後を慌てたように宮本が追う。
 俊…つーのはやっぱり立原のことなんだろうな。
 そうか、琴野原は立原の幼馴染みとかなんとか言っていたような…宮本が。ってことは、確かな情報ってワケか。
 なんかこう、琴野原に目の仇にされてるのかな、俺。
 なんで?
 んー…まあ、そんなことはどうでもいいや。
 俺はこれから、嫌でも取りに行かなきゃならないものがあるんだ。
 今はそのことで頭がいっぱいなんだ。
 ああ…このまま逃げ出せねーかなぁ…

□ ■ □ ■ □

 …つって逃げ出せるわけもねーか。はぁ。
 いや、判っていたさ。これは俺の限りなく無謀と思える願いなんだ。

「柏木、顔色が悪いよ」

 ふかふかの、ともすればこんな状況じゃなかったらよく似合ってるとカラカえもするんだけど、今はそんな気分にもなれなくて、俺は草がボウボウに生い茂った部分にぽっかりと口を開いている空き地のような狭い空間に両足を抱えて座りこんでいる。その俺に、キャンプファイアー後にさっさと着替えを済ませた立原が傍らに腰を下ろしてくぐもった声をかけたってワケだ。
 虫が飛んだり、薮蚊が耳元で唸り声を上げて、怖いと思うよりもむしろ苛々するけど、やっぱりどこかの草陰でガサリッとでも音がしようものなら飛びあがらんばかりに怯えちまう。
 うう…恥かしい。
 狼の着グルミ…どこで手に入れてきたんだと思うような、そのふかふかの茶毛に覆われた格好は見ているだけで暑くなる。にも関らず、立原のヤツは殊の外平然としやがるからホント、エイリアンのようなヤツだ。
 口元にはご丁寧に鼻筋の長い狼か何かのマスクまでしている。
 ああ、だから声が篭って別人のような声に聞えるんだ。
 立原ッス!…と名乗らなければ立原と判らない全身着グルミ男は、それでも僅かな部分から覗く眠たそうな双眸が立原であると判る…けど、これで脅すのか?
 あのー…けっこう可愛いんッスけど。

「ジロジロ見て?どうかした?」 

 不思議そうに首を傾げる立原にハッとした俺は、そっか、知らん間に凝視していたのか。

「いやぁ…耳元。まだ、ホラ。ジャンバリしてんのか?」

「ああー…いや。今回は置いてきた」

 あれだけ毎日カシャカシャ聴いていたってのに、どうした気分転換なんだと俺は却って心細くなっちまった。いや、何が…ってワケじゃないけど、ホラ、こんな状況じゃねぇか。
 それでなくても環境の変化はお肌に悪いんだ!

「…ごめん。煩いとバレて【脅かす】意味がないって。級長に…」

 ポンッと頭に神経質そうな級長の顔が浮かんで、ああ、まあそりゃ頷けるけど。でも…

「なんで謝るんだよ?」

 俺に。

「いや、約束してたじゃん。あっかるい曲を聴かせるって」

 …ああ、そう言やそんな約束をしていたっけ。周り真っ暗だし、肩でも寄せ合っていないと立原の顔すらも良く見えない状況下なんだ、忘れて当然。大目に見てくれ!
 手前勝手な言い訳にも、立原は鼻先で笑うようなあの独特の表情を、覗いてる目許だけに浮かべて見せた。

「キャーッv」

「おわっ!?」

 やたら夜空に響く絹を裂くような悲鳴に、思わず腰を浮かした俺は傍らで平然と座っている狼着グルミ男に抱きついちまっていた!
 でも、その事実に気付くよりも俺は、バックンバックンと口から飛び出してしまいそうなほど跳ね上がる心臓を宥めながら、と言うことはつまり、暑さも感じずに狼のふかふか着グルミ男に抱き付いたままで声のした方を見たってことだ。

「な、なんだ?もうお客さんか!?」

「…お客さん…ってワケじゃないと思うけど。楽しんでいるような悲鳴だった」

「はぁ?」

 狼の鼻面をつけた立原の思ったよりも近くにある顔を見上げて。
 ん?
 コイツって…思ったよりもいい顔してるんだな。眠そうな目ってのにも、なんか今更ながら気付いたって感じだ。
 あり?
 俺ってそうしてみたら、立原のことって何も知らなかったんじゃないのか?
 なんかやたら面白そうなことを言う、そのくせ性格がいまいち掴めない、得体の知れないエイリアンってぐらいで。深いことなんか何も知らなかったな。
 コイツってどう言うヤツなんだろう?

「ほら。本当に怖いと声とかでなくなるでしょ?柏木もそう。だから、アレは楽しんでる声」

「…まあ、今時の高校生は肝試しなんかチョロイんだろうけど」

「今時ねぇ…」

 首根っこにいつまでも噛り付いている俺をチラッと見下ろした立原は、着グルミの大きな指先でぐにっと俺の鼻先を突いた。

「ここにいる今時の高校生は怖がるけど」

 それから鼻先でクスッと笑う。
 悲鳴が少しずつ近付いてきて、俺のボルテージもマックスまで跳ね上がるんだけど…
 あれ?
 なんだろう。
 なんかちょっと、今までと違う。
 ヘンな感じだ。

Level.6  -暴君皇子と哀れな姫君-

 オリエンテーションの朝は早い。
 柏木たちの学校もそれは例外ではなく、眠い目をこすりながら少年自然の家の前にある開けた広場に集合して、引率の田宮の登場を待っていた。

「あれって名門の桜花院大学付属高校のジャージじゃないか?」

「は?」

 宮本に脇腹をつつかれて、柏木はムッとしながらも眠気眼の目を言われた方向に向けてみた。
 向けてみて、途端にギョッとしたように顔を伏せる。

「?」

 訝しそうに宮本が眉を寄せたが、柏木はどうしてもその方向を見ることができなかった。
 そう、その真っ青なジャージは、ほんの数時間前、自分を組み敷いていた男が着ていた服と全く同じだったからだ。彼の場合は、上着はT-シャツだった。
 見れるかっての!
 内心で悪態をつきながら背中を向けると、館内から腕に琴野原を下げた立原が別になんの感情も窺わせない無表情で姿を現した。
 柏木が泣きそうな顔をして俯いている姿を目敏く見つけた璃紅堂の暴君皇子は、腕にへばり付いている琴野原を面倒臭そうに振り払いながら唇を噛み締めている姫君のもとに赴いた。本来ならこう言う場合は走って駆け寄るものだが、どんな理由で落ち込んでいるのか知っている立原は、殊更ゆっくりと歩いて近付く。
 柏木の少し青ざめた顔を見るのが好きだからだ。
 彼が辛そうに唇を噛み締めたり、泣きそうな表情をしているのが、この暴君と呼ばれる立原を興奮させるのは確かで、歪んだ劣情が時に酷く冷たく柏木を突き放す行為に繋がるのだが…今回は第三者の手がそれをしていると言うことがムカツイてムカツイて仕方がないのだ。
 だがそれでも、切なそうに眉を寄せる姿はダイレクトに下半身を刺激して、今すぐにでも犯したい衝動に立原を駆りたてている。
 だが、そんなことは露ほども知らない柏木は立原の姿を見止めると幾分かホッとしたような表情をした。
 悲しいかな、立原はしかし、柏木のそんな顔も好きなのだ。
 綯い交ぜした切ない思いを抱えながら、立原は漸く柏木の傍らに肩を並べる。

「柏木、泣きそう。大丈夫?」

「ああ、まあな」

 全然平気そうではないが、背後を気にしながら俯いた姿はなぜか酷く立原を腹立たしく思わせた。なぜか…自分以外の名前も知らない誰かに心を奪われている行為が気に食わないのだ。

「柏木、知ってる?昨夜のアイツ…」

 その話題を持ち出すと、柏木はビクッとしたようだった。
 肩が不自然に揺れて、少し離れたところで耳をダンボにしている宮下が気になって仕方がないように、柏木は救いを求めるような無防備な目付きで上目遣いに立原を見た。
 朝の生理的現象だったそれが、明らかに欲望の兆しを見せて立ち上がろうとしている。
 立原はいつだって柏木を犯したいと思っていた。
 だが、全く無頓着な彼は立原の思いになど一向に気付く様子もなく、それどころか平気で彼の前で下着姿になったりするのだ。無防備な姫君のあられもない姿を見せ付けられて、この暴君で知られる皇子が何度彼を押し倒そうとして苦汁の思いで踏み止まったかを、愚鈍な柏木は知らない。
 泣き叫ぶ顔が見たい。
 だが、最初の夜は神聖で、ひっそりと、包み込むように抱きたいと言うのが立原の願いである。だが、その後は柏木がどんなに嫌がっても無理矢理にでも抱きたい時に抱くつもりではいた。

(我慢我慢…)

 我慢の後に来る開放感はとても官能的で、淫らに甘いことを知っている立原はギュウッと誰の目にも触れないように握った拳に爪を立ててニコリと笑った。

「アイツ、もういないよ」

「…へ?」

 間抜けな声をあげる柏木に、腕を組んだ立原は口許に酷薄そうな笑みを一瞬だけ閃かせて頷いて見せた。

「今朝方、なんだかやけに騒がしくて目が覚めたんだ。そしたら…アイツね。階段から落ちたらしいよ。もう早くに落ちてたようだけど、誰も気付かなくて。今朝になって発見されたみたい」

「落ちて…って。し、死んだのか?」

「まさか!」

 立原はクスクスと珍しく笑ったが、その表情に感情はなく、酷く冷たい笑い方だと柏木はなぜかゾッとした。だからこそ、その可能性を疑ってしまうのだ。
 立原は笑いながらも、自分を犯そうとした、大切な姫君を犯そうとした野郎のことにまで気を遣ってやるその優しさに苦笑して、もっと愛しいと思った。

「脳震盪か何かを起こしたみたい。俺も詳しくは聞いていないから判らないけど、命に別状はないらしいよ」

 今朝は珍しく表情のある立原に気付いている柏木はしかし、大切なことを見落としていた。
 確かに表情はある。
 だが、冷たい。
 そして…彼にしては珍しく饒舌なのだ。
 あらゆる意味で、申し訳ないとも思いながらホッとする柏木の横顔を見つめながら、立原はゆっくりと微笑んだ。
 愛しい。
 愛おしい。
 愛してる。
 どんな言葉でも言い表せる感情を噛み締めながら、目を細めた立原は貪欲に考えていた。
 彼をこの合宿中にどうやって手に入れようかと…
 その為にならなんでもする。
 彼を煩わせる全てを抹殺しても構わない。
 死んだのかだって?ああ、できれば殺してやりたかったさ。首の骨をへし折って…だが、それでなくても優しい柏木のこと、そんなことをしたら一生あの男のことで思い煩うだろう。
 いや、何よりも。
 生涯、柏木があの男のことを覚えているということが気に食わない。
 だからこそ、一発殴って我慢してやったのだ。
 階段から落ちて気を失うことも計算済みだった。
 なんでもする。
 この愛しい男を手に入れる為ならば。
 ほっそりとした首筋を見つめながら、獲物を狙う肉食獣の獰猛さで、ペロリとを舐めた。

□ ■ □ ■ □

 初夏にしては暑い日差しにうんざりしながら、柏木は地図を片手に森の中を彷徨っていた。
 宮本たちと逸れてしまった柏木は、なんとも簡単な地図だけを頼りにまずは彼らを捜しているようだ。暑さに負けて脱いだジャージの上着を腰に巻いて、派手なプリントが目立つT-シャツになった彼のそれは、汗で少し濡れていた。

「ったく。申し合わせたように逸れちまうんだもんなぁ…」

 地図を持った手でこめかみから頬へ、そして顎を伝う汗を拭った柏木は大きな樹木に手を当てて差し込む陽射しに眩しそうに目を細めながら、溜め息をついて周辺を見渡した。
 もう何度も大声で叫んでみたが、残念ながら反応は皆無。
 心細くないと言えば嘘になるが、柏木ももう高校生男児だ。
 少々のことで怖いよう~と泣くワケにはいかないのだろう。
 男の意地というヤツだ。

「はぁ…」

 溜め息をついた柏木は疲れたように近くにあった大きな木の根元で少し休むことにしたようだ。逸れてからずっと歩き続けて、足はもうヘトヘトで棒のようになっている。
 陽射しが柔らかに射し込む大きな木の根元は苔生していて、微かに湿った感触のあるそれはベルベットのような柔らかさで、柏木は思わず欠伸をしてしまう。
 ウトウトとしても仕方がないのだ。
 昨夜は変態野郎に襲われかかり、部屋に戻れば恒例のようにトランプを遅くまでして、皆が寝静まってからトイレに行って下着を替えた。そんなこんなで、漸く布団に潜り込んだのは短針が3を回ったぐらいの時間だった。

「で、起床が6時だもんなぁ…眠いっつの!」

 ふぁ~と大きな欠伸をして伸びをした柏木は、そのまま背後の大木に凭れてウトウトと舟を漕ぐ。どうせ服は汗で濡れているのだ、もう少し濡れたってどうってことはない。
 散々捜して見つからないのなら、少しぐらいは休んだっていいだろう。
 安易にそんなことを考えて目を閉じた柏木はすぐに寝息を立て始める。
 そうして暫くして、彼にしては珍しく慌てた表情をしていた立原はそんな柏木を発見したのだ。
 大木の根元ですやすやと寝息を立てている柏木の、その汗で透けた胸元の小さな突起に気付いた立原は思わず息を飲んだ。
 犯るなら今だ!…と思ったかどうかは謎だが、まだその時ではないんだとギュッと目を閉じて思い留まった立原はそっと目を開いて恐る恐る柏木の身体に触れた。

「柏木?柏木、起きなよ。迎えに来たよ」

「…ん」

 目を覚ます気配もなく、柏木は心地よさそうに規則正しい呼吸を繰り返しながら身体を微かに動かすだけだった。

「…柏木?」

 揺すっていた腕を止めて、立原は恋を覚えた少年のようにドキドキと胸を高鳴らせて、傍らに片方の膝をついて屈み込むと、あれほど起こそうとしていたのに今度は起きるなと願いながらそっと胸元に触れてみる。
 ふっつりと立ち上がっている胸元に触れてみても身動ぎしない柏木に、調子に乗った立原はそのグッスリと眠りこけている顔を覗き込んだ。
 乳首を捏ねるように弄りながら、少し溜め息をつくその唇に顔を寄せてそっと口付ける。
 思った以上に柔らかい唇に胸を高鳴らせて、立原はそっと忍ばせた舌で歯列を舐めてみた。まるで応えるように口を開いた柏木の口中に舌を忍ばせて、ゆったりとその身を横たえる舌に舌を絡めて濃厚なキスをしても、やはり愚鈍な姫君は目蓋の裏に大好きな漆黒の双眸を隠したままだ。

「大好きだよ…」

 唇が触れるか触れないかまで放して、そっと囁くと、その時になって漸くピクリと柏木の目蓋が反応を見せた。起きていたのかと冷やりとした、だがやはり、柏木はすぅすぅと気持ち良さそうな寝息を立てている。
 微かに息は上がっているようだが、気に留めるほどではない。

「無防備な俺の姫君。また犯られてるんじゃないかって心配してたけど…まさか寝ていたなんてね。そんな風にあんまりぐっすり眠っていると、今すぐここで抱いてしまうよ?」

 囁いて乳首を弾くと、ん…ッと小さな溜め息をついて、その官能的な反応に立原は嬉しくなった。
 他の誰でもない、自分の手に反応している柏木の仕種が可愛くて仕方がない。

「もっともっと、大事に。壊れてしまわないように…」

 同時に、誰かの目に触れさせるぐらいなら閉じ込めてしまうか、それを嫌がれば壊してしまいたいとさえ思う。
 狂暴な思いを抱えながら、立原はもう一度思いを込めてキスをした。
 唇を離して、ゆっくりと目を開いた立原は、それからすぐに柏木の頭を叩いた。
 先ほどの柔らかさや健気さと言ったものは欠片もなく、いつも通りの無表情な何を考えてるのか良く判らない表情に戻って、立原はもう一度乱暴に頭を小突いて柏木を起こした。
 驚いた表情をして目を覚ました柏木は、悪戯されたことにも気付かずにふんわりと笑って助かったーっと叫んで立原に抱き付くのだ。
 自分の残酷さに気付かない柏木の背に感情を窺わせない表情で腕を回して、立原はもう合宿所のある自然の家の方に戻ろうと促した。
 素直に頷く柏木を見つめながら、自分の我慢の限界を立原は悟っていた。
 恐らく、もうどれほども我慢なんかできないだろう。
 我が侭で知られる暴君皇子が良くぞここまで我慢したものだと自分自身で感心しながら、立原は必ずチャンスを見つけて彼を抱こうと決心した。
 もう、我慢も限界なのだ。

Level.5  -暴君皇子と哀れな姫君-

 初めの1日目は班長と副班長が集まっての簡単なミーティングだけだった。そりゃ、当たり前か。
 ここに着いたのがもう夕暮れだったからな。
 明日はオリエンテーションがあって、翌日が登山大会、そのままキャンプファイアーになだれ込んで…アレだ。
 そう、口にだってしたくない、アレだ。
 何が悲しくてヘトヘトに疲れたその晩に、蚊にやられながらコンニャク垂らした釣竿持って、浴衣に着替えて山ん中で蹲ってなきゃならんのだ!?
 たった今配られた、肝試し大会計画表なるものを見下ろしながら、俺は人目がなかったら泣いていただろうと思う。

「柏木、泣きそう」

 クスッと、鼻先で抑揚もなく笑う気配がして、俺は胡乱な目付きで傍らのパイプ椅子に退屈そうに腰掛けている立原を睨んでやった。

「うるせーな。こう言うときは音楽聴かねーのかよ?」

「聴いてるよ」

 片方のイヤホンは抜け落ちていたが、反対の、向こう側ではちゃっかりシャカシャカ鳴ってる。
 ちぇっ!呑気なもんだよな。
 いいよな、立原は。そう言うことにまるで無頓着で、凡そもう五感なんかねぇんじゃねかって思うぐらい、ケロッとしてるんだ。怖くないのかよ、山ん中で2人っきりなんだぞと聞いても、アイツは別にどうでもいいことだとばかりに肩を竦めるだけで、お前が邪魔しなければ恙無く終るだろうと仰って下さった。
 このエイリアン立原のことだ、五感はなくったって第六感が研ぎ澄まされてるのかもしれねぇ…つーことはだ!コイツと2人なら幽霊も拝めるってことか?
 ひ、ひえぇぇ~

「青くなったり赤くなったり…まるで信号機みたいだねぇ」

 気のない様子で呟く立原は、やっぱり気のない様子で明日の予定を詳細に確認している委員長を眺めている。その横顔はとり止めもなくて、俺はぼんやりと眺めるぐらいしかできない。
 ホントこいつ、何を考えてるんだろう?
 俺は手持ち無沙汰で弄んでいるクシャクシャのプリントを見下ろして、狼男と書かれている項目を見た。
 玩具の耳に着ぐるみを着て、どんな面で脅かすんだろう。
 どうせ、この無表情で耳にはウォークマンをしてシャカシャカ、シャカシャカ…暗闇でその音を聞きながら膝を抱えて蹲ってるんだろうな、俺。虫の音とか聞きながら…夜行性の動物の気配を肌に感じながら…幽霊だってすぐ傍にいるかもしれねぇのに?
 ひえぇぇぇ~!!!

「立原。肝試しの時、俺にもウォークマンを聴かせてくれよ。できるだけ、あっかるい曲がいいな、俺」

「…」

 一瞬黙り込んで俺を見ていた立原は、何かを考えてるようだったが、すぐに頷いて興味のなさそうな双眸を向けて呟いた。

「…別に構わないけど。どうする?」

「は?何が??」

 唐突に聞かれても…俺はウォークマンを聴かせてもらえればそれでいいし。どうする?って、今はいいけど…えーっと?
 そして俺は、唐突に自分の勘違いに気付くんだ。いや、立原の言葉を聞いてから…だけどな。

「ウォークマンからこの世ならざる世界からの声が誘うように…」

 語尾が途絶えたのは俺が躊躇わずにその口許を塞いだからだ。
 それでもまだ何か言おうとする立原の口許を塞いだままで、そのハッキリ言って無気力そうな双眸を睨み据えた。顔色は…クソッ!立原の言う通り青褪めてるだろう。

「お前ってヤツは…ひゃっ!?」

 ビクッとした。
 突然、そう唐突に立原がその口を塞いでる俺の掌を舐めたんだ。ペロッと別に気にしたようでもなく。
 俺だけが真っ赤になってバッと掌を離すと、パイプ椅子のギリギリまで身体を引き離して立原を見た。ななな…何をするんだ!?
 普通、掌なんか舐めるかよ!?

「て、てめぇ…何、何を…」

 動揺して何がなんだか判らないことを口走る俺を、立原は別にどうでもいいような無表情で肩を竦めて見せた。本当に、どうでもよさそうだ。
 なんか、こんなことでヘンに意識してる俺の方がおかしく見えるんだけど…

「柏木が悪いんだろ。苦しいって言ってるのに…」

 本当に苦しかったのか!?…と聞きたくなるほど冷静に呟く立原に、なんか1人でドキマギしている俺って…もしかして滑稽か?
 思い切り脱力して肩を落としていると、我慢も限界と言わんばかりに額に血管を浮かべた委員長の鋭い叱責が飛ぶ。立原じゃなく、俺に。

「柏木くん!静かにしないと肝試しの後片付けもお願いするよ!」

「ひえぇ!それだけは勘弁!!」

 後片付けって言ったら山の中腹の道標代わりの大きな石碑の前にある、みんなが置いてきたローソクの残りを始末する係りだ。無理、1人なんて絶対に無理だ。
 ったく、こう言うとき得体のしれないエイリアンってヤツは、一見大人しく見えるから、とばっちりはいつだって俺に降りかかるんだ。近頃、立原と一緒だからいつもこうだ。
 コイツは声も低いし、それほど目立つってワケでもない。
 そのくせ存在感はどっかりとその場にあるってのにな。
 なんでも注意されるのはこの俺だ。
 とか言って、アレの怖さに立原に当たってるだけッスよ、マジで。
 俺ってばサイテーな奴だけど、今はなんだか世界中が敵のように思えていかん。
 ああ、何だって班長なんかになったんだよ、俺!
 項垂れている間にも、委員長の神経質そうな声は淡々と響いて、楽しいはずの新入生歓迎強化合宿の最初の夜はこうして静かに深けていく。

□ ■ □ ■ □

 …はずもなく。
 俺は解散した後部屋に戻るのも億劫だったから、ちょっと、この少年自然の家の中を勝手に散策することにした。
 夜の9時をすっかり回った館内は不気味なほど静まり返っていて、昼間の賑やかさがない。
 ロビーのような、受付になっているフロアには人影もなく、受付のところに明かりが点ってるぐらいで、省エネ対策なのか電気は全部消えている。ぼやぁっと明るいのは、自販機のおかげだ。

「ホンットに何もねーところだよな」

 俺は青紫のジャージのポケットに手を突っ込んで、ブラブラとその辺を歩き回ったけど、けっきょく真新しい事は何もなかったから踵を返して部屋に戻ろうと思っていた。
 夕方に見たときは他校の生徒も来ていたような気がしたんだけど…連中も確かどっかの男子校だって聞こえたんだけどなぁ、誰にも会わないや。ま、俺たちのような名門校だったら大人しくお部屋で仲間とトランプでもしてるんだろう。
 ちッ、クソ面白くもねーな。
 ブチブチと小声で悪態をつきながら歩き出した、その時…

「…ッ…んぅ…あぁ」

 押し殺したような、咽ぶような泣き声が確かに聞こえて、俺は、俺は…
 落ち着け、俺よ!これは幻聴だ。空耳だ。俺には何も聞こえちゃいねぇ!
 自分に言い聞かせながら顔を真っ青にして踵を返そうとする俺の耳に、咽び泣きとはまた違った声が響いてきた。どちらにしても、押し殺してるのに変わりはないから良く聞き取れねーんだけど…
 …このまま逃げ出せ、と本能が警鐘を鳴らして教えてくれるけど、人間てのには厄介な感情があって、俺にだってその怖いもの見たさの好奇心ぐらいはある。
 何をしてるのか気になるじゃねぇか。

「…ゃ、だ、…んぅ…誰か…来たら…」

 それは、薄暗い館内の死角になる階段の下にある、狭い空間から聞こえていた。
 恐る恐る近付くと、耳朶をやらしい息遣いが打った。

「うるせってんだよ、この淫乱野郎!…お前が、クソッ!誘うから…」

「やぁ…」

 小柄な栗色の髪には見覚えがある。
 琴野原に良く似た奴だと…確か、夕方見た男子校にいた奴じゃなかったっけ?
 う、うえぇぇ…何をやってんだ、コイツら。
 湿った音が微かに狭い空間に響いていて、その湿気た水音はやけに腰にくる。
 なんだろうコレ、どこかで聞いたような…

「あぅ…んん」

 栗色の髪の奴が切なそうな声を上げると、その背中に覆い被さる男は荒い息をつきながら腰の辺りを忙しなく動かしている。その度に、猫が水を飲むような密やかな湿った音が響く。
 腰が抜けそうな甘い声…とでも言うのか、その2人は俺がそこにいることにも気付かず、その犯っちゃてんじゃないでしょうか?
 これは、この音は。
 友達ん家で観た、AVで聞いたことがあるし…
 その唆すような、甘えるような…なんとも言えない耐えているような密やかな声は、確かにAVほどわざとらしくはないけど…ああ、それで下半身が熱くなってきたんだ。
 や、やべぇ!
 このままここにいたらヤバイことになるのは確実で、俺は慌てたように踵を返そうとして口を塞がれてしまった。背後から突然、伸びてきたその腕で。

「んん!?」

 抗議の声を上げようにも無理な話で、俺は必死にもがいて暴れたけど、ソイツの腕は力強くて半端な抵抗なんか蚊が止まったぐらいにしか思っていないようだ。つーか!何なんだよいったい!?
 ヤロー同士のエッチシーンを目撃して、日頃たまりまくってる悪環境の中で、下半身を熱くしてるなんつー恥ずかしい姿は誰にだって見せたくなんかねぇ!変態だ!それってマジで変態みてぇじゃねーか!
 男ってのはどうしてこう、こんなに節操なく勃たせることができるんだ!?っつーぐらい、熱くなった下半身をもじもじさせる俺を引きずるようにしてソイツは、薄暗い廊下を俺の口を塞いだまま暫く行くと、何やらワケの判らん…コミュニティルーム?と書かれたプレートが貼ってある部屋に突き飛ばしやがった。

「なにすんだ!?」

 突き飛ばされて倒れこんだ俺が上体を起こしてキッと睨みつけると、ソイツは…誰だ、コイツ?
 はぁはぁと肩で荒い息をしながら慌てたようにジャージのズボンを脱がしに来る熱い手に嫌悪感を抱きながら、俺は見たこともないニキビ面を非常灯の薄ぼんやりとした緑の明りだけを頼りに思い切り抵抗しながら睨みつけた。

「だ、誰だよ!」

「だ、誰だっていいじゃねーか。ほら、お前だって勃ってるし。あんなの見せつけられたらたまんねぇよ」

 いや、だからってどうして俺がお前とサカらなきゃならんのだ!?
 この野郎!俺は男となんかぜってぇに嫌だってんだ!そりゃ、あんな音を聞かされたら寮で禁欲生活をしていた10代の若い身体にはそうとうな刺激はあったけどさ…だからって!

「…ぁうッ!」

 不意に外気に晒された下半身の素肌を汗でぬるつく掌に撫でられて、不覚にも声を上げちまった俺をソイツは嬉しそうにニヤニヤと笑いながらダイレクトに触ってきやがった!

「…んぅ…」

「ほら、感じてんだろ?…すっげ、マジであんた色っぽいな」

 はあはあとさらに息遣いを荒くしたソイツは、抵抗力の萎えてしまった俺の下半身を思い通りに弄りながら、自分のおっ勃ったナニを背後から尻に擦り付けてきやがる。俺は素肌だけど、ソイツはまだズボンを穿いたままだから一部を突っ張らせた布地が尻をダイレクトにすりあげてくるんだ。

「ん…やめ…い、嫌だ!」

 俺はその感触にハッと我に返ったけど、抵抗しようにも大事な息子は奴の掌の中だ。
 先走りでぬるつく指先で、こともあろうに奴は、俺の尻を弄りはじめたんだ!
 長らく、立原に見つかっちまったあの一発以外はずっと禁欲生活だった俺の若い身体は、嫌がる意思を無視して本能で喜びに震えながら、この得体の知れねー男に身体を摺り寄せている。
 満更でもねぇ…耳元で囁かれた言葉に吐き気がしたけど、俺の身体の如実な変化は誰の目にも明らかだった。やめろ!嫌だ、抵抗しろよ!俺!
 シュッシュッと扱く音を響かせて、俺のナニは限界まで膨れ上がってるってのに決定的な一撃を与えてもらえずに、切なそうに涙を零しやがる。うう…情けねぇ。

「い、挿れてやるからな。辛ぇーんだろ?」

 はあはあ言いながら、辛いのはお前だろうがよ!クソッ!
 慌てたようにズボンを引き摺り下ろしたソイツのナニが、俺の尻に擦りつけられる。先走りに濡れてぬるつく先端は、まるで焦らすように尻の際どい部分を往復するんだ。期待…なんかするわけもなく、俺は唐突に熱が冷め、恐怖に青褪めながら首を激しく左右に打ち振るって嫌がった。

「ちっ!大人しくしやがれッ!」

 バシッと尻を思い切り殴られて、俺は微かに悲鳴をあげる。
 非常灯の明りだけが頼りの暗い室内で、変態野郎の喘ぎ声とかクチュクチュと湿った音が響いていて、気持ちいいんだか恐ろしいんだか、もうよく判らない感情で俺は泣きたくなった。
 尻の敏感な部分を灼熱の先端で擦られるうちに、俺の中で奇妙な感情が生まれた。
 これはもしかしたら…けっこう気持ちよくないか?
 ああ!男って生き物は…

「…ん…あぁ」

 俺の声かよ!?…ってぐらい甘い溜め息が零れて、背後から覆い被さっている男は嬉しそうに笑った気配がする。耳の後ろを舐めながら、前に回した掌で俺の息子を強弱つけながら扱いて、空いている方の手で俺の尻に擦りつけてるモノの照準を定めているようだ。
 俺、挿れられるのかな…

「気持ちいいんだろ?お前さ、夕方見たときから狙ってたんだよなぁ」

 …と、欲情に濡れる荒い息を吐きながら、ねっとりと首筋に吸い付いてくるヤツの性急さにゾクッとした。
 や、やっぱ、嫌だ!
 そこは出るとこであって入れるところじゃねぇんだ!!
 俺が反撃しようと身体を捻った時だった。

「ヒッ!」

 身体が動いたせいですぐそこにあったヤツのモノの、その先っちょが入っちまったんだ!

「うッ!…な、なんだよ?もう、我慢できねぇのか」

 ソイツにもけっこう衝撃がきたんだろう、とっさに腰を掴んでそれ以上の侵入を食い止めた。それは俺にとってもありがたいことだったけど、結果的に自分で入れちまって、愕然としている俺の尻を揉みながら、ヤツはゆっくりと挿入を開始した。
 あ、あ…嫌なのに。嫌なのに…

「い、やだ!やめろ!入れるんじゃねぇ!!」

 まだ先っぽだってのにすげぇ痛さで、俺は涙ぐみながら暴れてやった。
 俺が喚いて暴れるもんだから、先っぽから次に進まなくて、ソイツは焦れたように俺の尻を思い切り叩きやがる。ジーンッとした痛みに、明日には真っ赤な掌の痕がついてるだろうと確信したけど、そんなことに構ってるヒマはねぇ!
 なんだってこの俺がヤローなんかに犯られなきゃならん!

「離せ!離しやがれッ!!」

「うるせぇッ!じゅうぶんソノ気だったじゃねぇか!」

 バシッともう一度、尻が叩かれて…俺は布団だとか座布団じゃねぇぞ!

「うっうっ…クソッ!」

 尻を打たれた痛みに増す身体の痛みに、俺は尻を突き上げるような形で床に押さえつけられて、ギチギチと軋む挿入部に捩じ込まれる苦痛にギュッと目を閉じた。

「男を犯るのって楽しい?」

 不意に背後にかかった声に、俺の中に何とか自分を捩じ込もうとしていた野郎の動きが、ビクッとしたように唐突に止まった。俺は、無様に野郎に尻を突き出すような形で押さえ込まれて、頭を床に押さえつけられていたから背後を振り返ることなんかできないけど、その声には覚えがある。
 近頃よく聞く声だ。
 決まって、シャカシャカと耳障りな音と一緒に。

「だ、誰だ!?」

「ただの見物人。だけど、柏木が嫌がってるから救世主」

 抑揚のない声で言ってクスッと鼻先で笑う、あの独特の無気力さがなんかいまいち頼りないんだけど、今はすっげぇそれがありがてぇ!

「た、立原…」

 苦しく息を吐き出すと、唐突に男の身体が上から退いた。
 立原がヤツの耳元に何かを呟いたら、ソイツはまだ入ったとも言えないモノを引き抜くと、慌てたようにズボンの中に仕舞いこみながら「覚えてろよ!」の捨て台詞を吐いてその部屋から転がるようにして出て行った。

「…ッ、…うう」

 緩慢な動作で軋むように上半身を起こした俺を、抑揚もなく見下ろしていた立原は暫く何かを考えているようだったけど、羞恥で俯く俺にやけにあっさりと言いやがった。

「ズボン穿いて、歩けるようになったら部屋に戻ろう。歩けなくても部屋に戻りたいならおぶってやるよ?それで、ウォークマンを聞こう。あっかるい曲」

 俺はポカンッとして立原を見上げた。
 恥ずかしいのも忘れてマジマジと見上げると、別になんの興味もなさそうな目付きのままで立原のヤツは屈みこんで俺の顔を覗き込んできた。馬鹿にしているのでも蔑んでるのでもない、かと言って哀れんでるってワケでも同情してるってワケでもねぇ、いつも通りの無表情な目付きだ。
 ポーカーフェイスって言うんだろうけど、今の俺にはホント、コイツはありがたいヤツだ。

「でも…部屋に戻るよりもここで大人しくしておいた方がいいかもね。落ち着くまで。じゃ、ウォークマン聴く?」

 いつも垂らしてる片方のイヤホンを差し出して首を傾げる立原はニコリともしない。
 だから、却って俺は噴出しちまった。
 無表情な立原は、これでも精一杯気を遣ってくれてるんだろう。それがありがたいし、もちろん無下にする気なんかねぇ。
 でも、なんかおかしかった。
 大いに笑えた。
 すげぇな、立原マジックだ。
 俺は、深く落ち込むこともなく痛む身体で立ち上がって服装を整えると、反対に立原の腕を掴んで立ち上がらせた。

「サンキューな。思ったほどは酷くねぇから、戻れるよ。ただ、ちょっと風呂に入りたいかな…」

「入る?」

 首を傾げる立原に、さすがにそこまではできんだろうと首を振った俺はニッと笑うことができた。
 引き攣らなかったのは、相手が立原だからだ。もう、恥ずかしい部分は殆ど見せたコイツがなんだかすごく身近に感じて、俺は軽口も叩けた。

「班長が規則を破っちゃマズイだろ?」

 散歩に出てたってだけでもじゅうぶん規則違反なんだけど、敢えて立原は何も言わずに気のない様子で肩を竦めただけだった。
 俺はベタベタに汚れて気持ちワリィ下半身をモジモジさせながら、溜め息をついて立原と部屋に戻った。
 幸い誰にも気付かれなかったから、俺は真夜中にこっそりトイレでパンツを穿き替えた。
 波乱に満ちた…幕開けだぜ。とほほ…
 …ああ、色んなゴタゴタで忘れてたけど、俺の部屋割りの組合せは、俺、立原、琴野原、宮本、村田の5人だ。まあ、そんなこたどうでもいいんだけどさ。
 疲れた…もう寝よう。
 初日はそんな風に、とんでもない幕開けとともに暮れていった。

Level.4  -暴君皇子と哀れな姫君-

 どんなに溜め息をついたとしても、悪夢のような日々は確実に、足音を忍ばせて近付いてくるものだ。
 どんよりと暗雲を背後に背負った柏木のもとにも、それはやはり、当然の顔をして訪れた。
 そう、今日から、4日間の正式名称『新入生歓迎強化合宿』の幕開けである。

「柏木?何を恨めしそうな顔をしてるんだ」

 寮長でもある生活指導の田宮が睨みつけている狂暴そうな視線の主に、訝しそうに眉を寄せて丸めたキャンプのしおりでその頭をポンッと叩いた。

(あんたらには判らねぇんだよ!この、アレさえなければきっと楽しいはずの脱落コンテストだっつーのに。アレが、アレがあるばっかりに…うっうっ)

 下唇を噛み締めて、それでも口にするのも嫌なのか、柏木は胡乱な目付きでそんな教師を睨んだが別に何も言わずに頭を掻いた。
 えへへへ…と。
 アレ…そう、つまり言葉を濁しているが『肝試し大会』のことだ。
 言い出したのは驚くことに、この引率の田宮だった。
 ニヤニヤ笑いながら、まさかこの年になっても怖いよぅ~なんつー腰抜けはいないだろうと、高を括っての提案に青褪めたのは柏木だけで、その他の生徒は一様に馬鹿にして呆れるか、キャーキャー言って喜ぶかのどちらかの反応に綺麗に分かれた。
 ああ、クソ野郎ども…
 柏木が密かに袖を濡らしたことは言うまでもないが、肝試しが大半の賛成の声で決まったこともまた言うまでもなかった。
 そんな思いもあるせいか、誤魔化しても目付きの悪さは尋常じゃなく、教師は何か言いたそうに口を開きかけたが諦めたように溜め息をついて首を左右に振った。見本になるべきはずの田宮は丸めたしおりで自分の腕を叩きながら、総勢30名の生徒たちに整列するよう拡声器で怒鳴った。

「おらおら!お前たち、並べ並べーッ!」

 班長である柏木たちも整列させるべく忙しなく動いているが、本来、良いところの坊ちゃんである箱入りウサギのような彼らは、人気のあるまだ若い田宮の一喝にキャーキャー言いながら素直に整列している。それほど、柏木たちの手を煩わせることはなかった。

「…つーか、立原。お前さぁ、旅行先でもジャンバリかよ?」

「…?ジャンバリ?なに、ソレ」

 耳元でシャカシャカと音量の洩れるイヤホンは、満員電車だと躊躇わずに非難の視線を一身に受けること間違いなしだろう。しかし、さすがに大自然に囲まれたキャンプ場。ワイワイ騒ぐ生徒の声に紛れてそれほど鮮明には聴こえないが、肩を並べている柏木の耳には届いていた。

「何を聴いてるんだ?」

「…柏木っていつもそうだな。俺が聞いてる曲に興味があるわけ?」

 クスッと抑揚もなく鼻先で笑う立原に、これまたやはり同じように、いつも通り外してある片方のイヤホンを奪うように柏木はコッソリ田宮の様子を窺いながら、それを耳に嵌めて聴いてみる。
 片耳では拡声器でがなる田宮の声を聞きながら…

「なんだ、こりゃ?」

「大自然の中にいるんだ。心を安らげないとな。フィールだよ」

「フィール?ええっと、近頃流行ってるって言うヒーリング系のアレか?」

「ご名答」

 立原と仲良く…と言うワケでもないが、よく一緒にいることが多くなったここ最近では、彼のおかげで音楽に興味のない柏木もけっこう曲名に詳しくなっていた。
 独特のフレーズを口ずさむ物悲しげな歌声で…立原はよくこう言った悲しげな曲を聴いている。
 だが本人にそれを聞くと、彼はいたって抑揚のない無表情で突拍子もない感想を述べてくる。柏木にはそれが不思議でもあったが、気に入っていた。立原は気付きもしないことをあっさりと口にするくせに、それに対しての頓着がない。
 この年代の少年にしては珍しく、ふふんっと奢ると言うことがまずないのだ。
 何事に対しても…そう言うことが面倒臭いのだろう。
 本人もたまにそんなことを口にすることがある。

「お前ってさ。いつもこんな風に物悲しい曲ばかり聴いてるよなー」

「物悲しい?」

 立原は拡声器で注意事項を叫んでいる田宮を感情の窺わせない表情で見つめながら、暫く何かを考えているようだったが、肩を竦めて鼻先で笑った。

「柏木にはこう言う曲は物悲しく聞こえるんだな」

「え?お前にはそんな風に聴こえないのか」

 柏木の驚いたような姿をチラッと見返して、彼は僅かに肩を竦めただけで説明しようとはしない。

「なんだよ、教えろよ」

 柏木は少なからず立原のエイリアン的発言を心待ちにしていた。
 それは面白いし、なんの刺激もない寮生活あって立原ほど面白い奴はいないと、初めて見た毛色の違う玩具に興奮する子供のように柏木は立原に噛み付いた。…と言うよりも、じゃれていた。

「先生―。立原が柏木に襲われてますぅー」

 誰かが、いやきっと歩く宣伝カー的宮本が野次るように面白半分で田宮に大声で告げ口すると、肩を寄せ合っていた柏木は一斉に全員の視線を集めてハッとしたようなバツが悪そうな顔をし、イヤホンを外すとそれを立原に返しながら身体を退いてしまった。
 その瞬間、微かに傍らから舌打ちしたような声が聞こえて、柏木は訝しそうに立原の方を振り返ってみた。が、彼は相変わらずの無表情で受け取ったイヤホンを耳にしながら、別に気にとめた素振りもなくまた自分の世界に没頭したようだ。
 なんだ…気のせいか。

(そうだよな。あの感情のない宇宙人があんなことぐらいで不機嫌になるはずがねぇや)

 でも…と、柏木は傍らで退屈そうに腰を下ろしている立原の、その抑揚のない横顔を盗み見をしながら思うのだ。

(コイツの取り乱した顔とか…一度でいいから拝んでみたいもんだな)

 そう遠くない未来をコッソリ思いながら、柏木も同じように退屈そうに座りなおした。
 田宮の取り留めのないキャンプにおける注意事項と称した武勇伝は、それから暫くは続いていた。

□ ■ □ ■ □

(…宮本、殺す)

 まさか、その抑揚のない仮面の下で狂暴な焔が渦巻いているなどと言うことにこれっぽっちも気付いていない愚鈍な姫君の傍らで、暴君魔王の冷やかな双眸がチラッと自分を見て舌を出す優秀な片腕に注がれている。
 内心の憎悪を感じ取ったのか、それでも宮本はゾッとしながら肩を竦めて見せる。
 どうせあと少しで聞き分けのないじゃじゃ馬はあんたの腕に堕ちるんだ。こんな些細なことで怒るなよと、その怯えを孕んだ双眸が訴えかけている。
 暴君な硝子宮殿の皇子はしかし、すぐにそれにも興味を無くしたように視線を逸らせると、傍らで退屈そうに欠伸を噛み殺している柏木をコッソリと見た。
 意志の強そうな横顔も好きだと…覚えたての恋に戸惑う少年のように胸を高鳴らせて、そのある程度整った鼻筋に見惚れている。
 難を逃れた宮本は吐息し、それから何も知らずにしおりに視線を落として面白くもなさそうに読んでいる柏木に、同情したような溜め息をつく。
 こうして、やや波乱気味の長い4日間はこんな風に幕を開けたのだった。